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第174号  2018年11月



 

(第2708話) 日光浴

2018年11月30日 | 教訓

 “五年ぶりの健診で、思いもかけない骨粗しょう症の疑いが。まだ薬に頼りたくない私は先生から「まず日光浴や運動をして、カルシウムの多い食事を心掛けてみますか。投薬はそれからでも」と聞き、実行することにしました。
 日光を浴びることの大切さは知っていたはず。でも思い返すとこの三年、毎日歩くのは日の出前。紫外線を避けるために、帽子に化粧品、車のガラスもUVカット。外出はほとんど車で、日中外を歩くことはありません。私に一番足りないのは日光浴です。もっと骨がもろくなって骨折したら、一大事です。私はお日さまと仲良くなり、いっぱい太陽に当たって、一日一時間歩くことを目標にしました。
 献立にも気を配り、食卓にはカルシウムの豊富な青魚が日替わりで並びます。野菜をたっぷり、乳製品や豆類も欠かさず、いかにも骨粗しょう症予防のおかずばかり。夫は文句も言わず一緒に食べて、毎日歩くのも付き合ってくれて、きっと夫の骨も強くなります。
 せっかちな私が日光浴だけのために、じっと椅子に座ります。その格好はおばあさんの日なたぼっこそのもの。毎日頑張った成果は必ずあるはず。四ヵ月後の検査結果で、驚く夫の顔が楽しみです。”(11月8日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・渡辺さん(66)の投稿文です。骨粗しょう症は女性に多いようだが、高齢になれば誰もがその恐れはある。転倒したり、強く当たるとすぐに骨が折れる。足が骨折したら、今まで元気な人も一度に弱ってしまう。どんな事故も起こしてはいけないが、特に転倒は起こしてはならない。数ヶ月歩かなかったら、もう完全復帰は無理だろう。先日私が運営するサロンで「転ばぬ先の体操教室」を開催した。要介護者の1割以上は骨折、転倒が原因とあった。この予防には骨を強くすることと、足を上げて歩くこと。強くするには日光に当たることと、栄養。女性は日に当たることを極力避けようとする。もうそんなことは言っておられない。渡辺さんは、日の出前に歩くことから日中に歩くように変更された。それもご主人と。何と良いことであろうか。渡辺さんの骨密度検査は思いがけない良いことを招いてくれた。ボクの妻も友人と夜歩いている。ボクと昼間歩くことを提案しようかな。でも絶対拒否されるだろう。理由は歩くスピードである。ボクがゆっくり歩けばいいだけのことであるが、多分ボクにはできない。
 ボクは骨密度を測る機会がなく、測ったことがない。一度測りたいと思っているが、何の心配もしていないのでのそのままだ。でも、思いがけない結果が出るかも知れない。

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(第2707話) 軽トラハウス

2018年11月28日 | 活動

 “キャンピングカーで日本一周というのを、ずーっとずーっと思い続けていました。車やバイクでの旅行が好きで、最近では自転車でも健康のため走っています。軽トラハウスをテレビで知り、自分も追ってみようと思いました。家計に負担をかけずに、自分の小遣いをためて製作を開始しました。
 材料を集めるのに、ホームセンターヘ通いました。近くの大工さんに相談に乗っていただきました。軽トラックの荷台に載せる小屋を造ればよいのですが、高さ、長さ、重さが制限されています。一人ではできないので、妻に「ここを持っていて」と頼んだり、防水テープを貼るときに協力してもらったりしました。いろいろ内助の功があり、約三ヵ月かかり完成しました。ずいぶんお金がかかって、予算オーバーです。子どもたちが見に来て、屋根にソーラーパネルを、防災グッズも必要などとアドバイスしてくれました。
 何度も近くの山道でテスト走行しています。まだ旅行はしていませんが、安全、安心を第一にしています。夢の中ではすでに、北の大地を楽しく旅しています。こんな自分を久しぶりにときめかせてくれた「ドリームワン」ありがとう。そして、わが家の皆さま、ありがとう。”(11月5日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の自営業・稲垣さん(男・64)の投稿文です。キャンピングカーで日本一周を長年夢みられ、今まさに実現されようとしている。それも、家族で協力して軽トラを改造してである。3ヶ月かけ、奥さんにも手伝って貰い、子供さんからも意見を聞いて。今、テスト走行中と言われる。用意万端である。ご夫婦で行かれるのだろうか。この文ではよく分からない。良い旅を祈りたい。
 車で何ヶ月もかけ、全国を旅行される話を時折聞く。自由が許される歳になり、車が好きな人にはいい過ごし方と思う。ボクは車が余り好きではないが、羨ましい限りである。もちろん豪勢なキャンピングカーでもいいが、こうした手作りのキャンピングカーもいい。楽しみを倍加させるのは、いろいろ手をかけることである。手をかけることがまた楽しみである。
 ボクは団体旅行ばかりである。夫婦で参加することが多いが一人参加も増えた。高齢者に旅行は最高のぜいたくである。今年は過去最高の旅行三昧の年になろう。ツアー旅行は楽でいいが、稲垣さんの旅行も羨ましい。

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(第2706話) 記録を後世に 

2018年11月26日 | 活動

 “江南市東部にあり、大口町と隣接する力長町の町史を、有志の町民九人がまとめ、「力長町史」として発行した。力長町は安産守護神で知られる「若宮八幡社」を中心に発展したが、江戸時代の寛文十一 (一六七一)年当時は、人口百七十三人の小村だった。住んでいるのは氏子が中心で、大半が江口姓を名乗っていたとされることなどを記した。(中略)
 力長町には歴史が分かるまとまった文献などがなく、町史をつくりたいという意見が、以前から町民の間で出ていた。有志が編さん委員会を立ち上げ、江南市史や「愛知県丹羽郡誌」を調べるなどして製作。一九五四(昭和二十九)年の江南市制施行以前の資料探しに難航しながら、完成には一年半を要したという。
 以前から自身でも郷土の歴史を調べてきた委員長の本田俊男さん(八五)は「周りはお年寄りが多く、昔を知っている人が亡くなってしまう前に本にまとめたかった」と話す。委員の近藤憲市さん(七八)は「力長に住んでいても知らないこともある。正確な記録として後世に伝えていきたい」と語った。”(11月2日付け中日新聞)

 記事からです。ボクは村のことについてあまり知らないが、それでも今はもうなくなった昔の記憶のあることもある。でもいわれや詳しいことは知らない。比較的知っているボクにしてそうだ。もうまもなく全く忘れられてしまう。何とか記録に残せないかと以前から思っていた。ただ思っているだけだった。それを江南市力長町の人はされたのだ。実際する人があるのだ。ボクの村では長老と言われる人が最近次々と亡くなった。遅すぎるかも知れないが何とか方法はないのか、考えてみよう。
 そして先日、2人の年長者にこの記事を読んで聞かせた。時間がなかったので、ほとんどボクの真意を話すことはできなかったが、賽は振った。いろいろな手法が浮かんでくる。数ページ、数項でもいい。話し、試してみたい。

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(第2705話) 明るく許す 

2018年11月23日 | 活動

 “「注文票持って帰るの、忘れてるよ!」。料理を届けたウエーターに明るく声を掛けるお客たち。失敗を励ますおおらかなやりとりに、思わず笑ってしまった。
 「注文を忘れるレストラン」というインパクトのある名前にひかれ、北名古屋市のNPO法人「おれんじの輪」を訪ねた。認知症や物忘れの症状がある高齢者が接客するレストランで、間違ったメニューが届いても、怒らず見守ろうという趣旨だ。企画したNPO法人の江口照美理事長は「施設にいると、身の回りのことは全部やってもらう。でも自分で動くと脳の刺激になるでしょ」と話す。中には頼んだ通りのメニューが届き「間違えてくれても良かったのに」と残念がる男性客までいた。
 最近、認知症患者の家族や介護者が、ストレスや疲れから患者を虐待してしまうなど、暗いニュースが絶えない。しかし、正反対のおだやかな空間に触れ、こういう考え方が広がってほしいと思った。”(11月2日付け中日新聞)

 「モーニング」と言う記事欄からです。こんな発想があるのか、こんなことが許されるのか、小説かと思うような取り組みである。先日本を読んでいて、何でも試してみることが大切、と書いてあった。試してみた結果、このような記事にもなった。ボクも高齢者邁進中、高齢者の記事にはすぐに目が行く。もう何度も書いたが、高齢者には動くことが大切、認知症になっても同じである。認知症の人ほど、周りが支え合って動かすようにしなければいけない。動けば進行も抑えられる。こんな発想から始まった活動であろう。「注文を忘れるレストラン」とは確かにインパクトがあり、またいい名付けである。入った人は間違えられることを承知である。間違えられて怒る訳にも行かない。どんな間違いが起こってくるのか、密かに楽しみにしている人も出て来よう。本当に世の中は様々、いろいろ挑戦し、試してみよう。
 前回リセットのことを話題にした。ボクは徐々に仕事から遠ざかり、昨年6月で完全退職した。その後を心配したが、全く杞憂であった。今は気の向いたこと何でも取り組める。入っていける。することが様々になった。全く予定のない日は月に数日である。でも忙しいかと言われれば、ボクは忙しいとは言わない。予定はあっても1日数時間、半日くらいである。余裕はある。その間は畑仕事など外仕事に当てる。これからもドンドン試してみよう。老人は楽しく、まさにそんな気分である。

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(第2704話) 子どもの力

2018年11月21日 | 人生

 “三十年保育士を続けてきたが、今春退職した。五十歳という節目で体力の不安も伴い、一度自分をリセットして人生を考えてみたかった。忙しい毎日が、急にゆったりとした。朝ドラを見て、洗履物を干す。仕事の時は夜干ししていたな。いつでも布団は干せる。暖かいうちに、ふかふかの洗濯物を取り込む。ワイドショーを見たり、主婦ならではの情報をメモったり。今年の猛暑は、クーラーの中でゆるゆると過ごした。
 でも、何か違う。やっぱり子どもの声が恋しい。今まで当たり前に聞こえていた声、心から癒やされるかわいい姿をいとおしく思い出す。子どもからもらうエネルギーは、やっぱりすごい。未来に向かって生きる子どもたちは尊いし、周りを元気にしてくれる。子どもは本当に宝である。
 やっぱり仕事が自分を生かしてくれていたとあらためて気づかされた。早速、就活スタート。ありがたいことに新しい職場が決まった。新しい仲間との出会い、かわいい子どもたちとの出会いを想像するとわくわくする。今まで学んできたことを感謝しながら種まきし、子どもと一緒に成長したい。未来を担う子どもたちが、明るく元気に幸せに育っていくことを願ってやまない。”(10月31日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・北村さん(50)の投稿文です。人生を一度見直す、リセットする、これは大切なことだと思う。でも北村さんの50歳は早すぎた。30年保育士として働いて、この半年のゆるゆるとした生活に満足される訳がない。満足されたのはほんの一瞬であろう。そして再就職となった。でも、改めて子供との触れあいが必要と感じられ、再就職されたのだから良かったとしよう。
 これからは65歳も70歳も働く時代である。生涯現役とも言っている。人生の区切りがなくなる。仕事一筋もよかろうが、ボクには何の人生かと思う。「第2699話」に書いたように「いい老い加減」があると思う。地域活動など高齢者がしなければならないこともある。仕事を口実に避けているのは問題だと思う。仕事をしながらも、できることをして欲しい。高齢者としてしなければならないことをしながら、仕事をして欲しい。
 ボクの体験上から、50歳は60歳以降に向けて準備を始める頃だと思う。60歳以降のことを60歳から始めては遅すぎる。退職したらしたかったことを始めようとされるが、多くは中途半端で終わる人が多いと思う。いくら元気と言っても、熱意も根気も老いているのである。退職後の人生は千差万別、よく見極めねばならない。

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(第2703話) 手書き文字

2018年11月19日 | 知識

 “引っ越し作業の疲れからか右腕を後ろに回すと痛かったので、自宅近くの接骨院を初めて訪ねました。施術はとても丁寧で、おかげで少し楽になった気がしましたが、会計のとき、次回の予約券を渡されました。受付の若い男性スタッフが書いてくれた私の名前を見たら、殴り書きのように記入されていました。私は「待っている患者がそんなにいるわけでもないのに」と少し腹立たしくなりました。手書きだったため、つい感情的になってしまいました。
 接骨院にはその後二回行きましたが、予約券を見るたびに不愉快な気持ちが湧いてくるため、通院をやめてしまいました。「もう少し寛容に受け止めるべきだったかしら」とも思いますが。
 やはり受付は訪れた人や客との大切な接点です。字のうまさは人それぞれですが、相手に渡す書面にはもう少し気を配ってもらえたらと思いました。”(10月29日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・岩田さん(女・56)の投稿文です。手書き文字が人に与える印象は思っている以上に大きい。第一印象になる場合も多い。第一印象は後々まで影響を及ぼす。岩田さんのこの投稿がまさにそれを表している。医師には快く思っていたが、事務員の乱雑な文字から通院を止めてしまったと言われる。こんなこともあるのである。ボクが思うにこの事務員の文字は、殴り書きでも何でもなくてこんな文字しか書けなかったのではなかろうか。今はそんな人が多いのである。今の学校や親は成績は重視するが、文字の綺麗さなど重視していないのである。昔は読み書きソロバンと言って、これができなければいけないし、これができればいいとされた。昔と言ってもボクの親の時代までである。時代と共に書きとソロバンは軽視されてきた。ボクはこれは間違いだったと思っている。いくら時代が変わっても、毎日、書くことと計算は必要である。最低限のことである。ボクは習字を習わなかったことを非常に悔いて過ごしてきた。孫の文字は全くひどい。妻はくどく注意しているが直らない。テストで読みにくい文字は減点させるといいと思うが。孫にこの投稿文を読ませるつもりだ。

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(第2702話) 最後の同窓会

2018年11月17日 | 活動

 “七十歳を超えてから、もう先が短いと二年ごとに決めた小学校の同窓会だが、気づけば前回から三年がたとうとしている。その間、病に伏せる人、よみの国へ旅立つ人が徐々に増えた。十六、七人いた参加者がひとけたになる前に、「最後の同窓会」として締めくくることになった。
 郵便受けに配達される返信はがきを見ては、参加の印にほっとし、不参加の印にがっかり。一喜一憂の日々だ。コメント欄に納得したり、未記入のはがきを見ると、どうしているのと問い掛けたり。前回、「体調が良くなってきたから次回は必ず出席」としていた友人の返信は奥さまから。「昨年暮れに肺炎で急逝しました」。涙がにじむ。同窓会命だった女性の返信も娘さんから。「体調不良で、元気になれば連絡させる」とのこと。残された時間の針は、善実に進んでいると実感する。
 結局、参加したのは十一人。近況報告に耳を傾けながらの昼食会。独り身になった人、連れ合いの介護に励む人。娘を亡くして落ち込んでいる人など、個人的なドラマを抱えていても、明るく前向きな姿に勇気が湧いてくる。二次会はカラオケでパワー全開。「上を向いて歩こう」を合唱し、暮が下りた。”(10月26日付け中日新聞)

 愛知県江南市の脇田さん(男・78)の投稿文です。脇田さんは78歳、ボクはその歳まであと5年。そんなに先と思えない。でもこんな状況である。ボク達もこうなるのだろうか。脇田さんは幹事をされているようであるが、ボクも小中学校同窓会の幹事を長年している。卒業以来ずっと中心でやってきた、と言っても誰も否定しないだろう。そして、小学校は平成18年以来隔年で、中学校は平成18年以来毎年開催している。それ以前は思いついたときに開いていた。平成18年は60歳の年である。毎年開いてももう限られるだろう、と思ってである。1回の参加者が少なくなるという声もあったが、それより参加の機会を多くすることのほうが大切だ、と思った。毎回小学校は十数人、中学校は30人前後である。案内を出すと脇田さんのようなことも度々になってきた。最後はどうなるのだろう。ボクは何人になろうとも、ボクが健在の限り開催するつもりである。ボクが最後まで生き残るのが同級生のためである。こう言ってくれる同級生もいる。この心意気で生き延びたいと思う。

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(第2701話) 一雨一度

2018年11月15日 | 知識

 “わが家は、豊かな自然がいっぱいの静かな山村に住む三世代、七人家族です。テレビで気象予報土が、これからの季節は「一雨一度」と言っていました。雨が降るごとに気温が一度下がるとのことで、なるほどそうなんだと、興味深く聞き入っていました。
 ここ岐阜県・聞ケ原は伊吹おろしの直下。時には新幹線も止めてしまう雪の名所。昔から積雪量は「一里一尺」と聞き伝わっています。伊吹山から一里遠ざかるごとに、雪の積もる量が一尺減るという意味。現代の言葉で言えば「四キロ三十センチ」ということです。
 滋賀県境あたりから四キロ伊吹山寄りなら、三十センチ雪が深く、四キロ南なら三十センチ浅いということ。本当にその通りで、うまく言っているなと思います。
 朝、家を出るときは大降り。長靴をはいて駅まで行くとぐっと小降り。大垣駅前ではからっから。そんな経験は何度かありました。勤め先に着くと、みんなから心配されたり、慰められたり。でも、私は雪自慢、「明日は屋根の雪下ろしに来てね」などと、楽しい雪談議に花が咲いたものです。最近はあまり降らなくなり、ありがたい半面、何か寂しい思いがしています。”(10月25日付け中日新聞)

 岐阜県関ケ原町の農業・相撲さん(男・82)の投稿文です。この時期一雨ごとに寒くなる。これは長年、身に沁みて思ってきたことである。でも「一雨一度」という言葉は知らなかった。日本には味わいのあるいい言葉があるものである。「一里一尺」と言うのもいい。これはその地域の言葉である。まさに地方文化である。
 ボクの家は相撲さんから比べれば、はるかに伊吹山から遠いが、それでも伊吹おろしの影響を受けている。空風が吹く。それで大根切り干しを作る。ボクは今の所から知多半島に通勤していた時がある。雪で長靴を履いて家を出る。ところが勤務地は快晴である。苦労して出てきたのにと、力が抜けてしまう。相撲さんと同じ経験である。
 ところでボクの地方にこんな言葉はないか。何かあるだろうが、考えてみたが思い当たらない。こういう言葉は伝えなければ残らない。ボクは昔からの行事や言い伝えを残さねばいけない、と思ってきた。長老と言われ人に話したこともある。でもまだ何もできていない。最近長老が次々と亡くなった。もう時間はない。立たねばいけないだろうか?

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(第2700話) 秋バラ

2018年11月13日 | 活動

 “バラ愛好家の間では「春のバラは自然が咲かせ、秋のバラは人が咲かせる」と言われます。水やりや害虫退治、しおれた花の除去などの手入れを日々していると、花開く秋バラは手をかけた人だけに与えられるご褒美だと思えてきます。
 いてつく冬にエネルギーをため込み、一気に咲き誇る春バラも見事ですが、秋バラはまた違った魅力があります。気温が下がっていく時期なのでゆっくりと花は開き、花本来の色が出やすくなり香りも深いものとなります。咲く花の数は少なくて、一見春のバラに比べて寂しく感じてしまうかもしれませんが、一輪一輪は美しくて十分に見応えがあります。
 バラ六十本があるわが家の庭では今年もたくさんの花が次々と開いてきました。「ロザリアン」と呼ばれるバラ愛好家の気分に私は今どっぷりと浸りながら花を観賞しています。バラを通じて四季の移り変わりや自然の恵みが体感できる上、何より心が癒やされます。”(10月25日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・市原さん(56)の投稿文です。植物の手入れは大変だが、それ以上に喜びも与えてくれる。市原さんの庭には60本以上のバラがあるという。何か趣味を越えている気がするが、楽しんでおられるのだろう。そして、秋バラを愛でておられる。よく観察されている。これも熱心からの賜であろう。何事も熱心になればなるほど楽しみも大きい。「春のバラは自然が咲かせ、秋のバラは人が咲かせる」という言葉は初めて聞いた。頷く言葉である。
 ボクは野菜も花も手に余るほど作っている。自家消費には広すぎる土地があるからである。できるだけ場をふさぐように植え付ける。そしていい加減に作る。丁寧に作ると、できすぎて処分に困ってしまう。ちょろちょろでいいのである。これでは楽しみより苦である。でも、最近花畑に熱心になっている。道路際に作り、人に楽しんで貰うためである。人に見てもらう為にはそれなりに作らねばならない。苦でもあるが楽しみでもある。でもこうして作る楽しみがあるのはありがたいことと思う。退職後も時間を持て余すことはない。

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(第2699話) 「いい老い加減」

2018年11月11日 | 意見

 “七十歳の息子は年配の人向けの本を自分で選んで読んでいるようで、最近「書店で良い本を見つけた」と私にも薦めてくれた。医師石川恭三さんの「いい老い加減」という本だ。石川さんは循環器、心臓病の分野で名医として長年活躍していて、専門書だけでなくエッセーなど一般向けの著書も多数あるそうだ。これまで私は有名な女性作家のエッセーをたくさん読んできたが、今回息子に紹介された石川さんの著書はそれらにも勝るとも劣らず面白くて読み応えがあった。
 石川さんによると、「沈黙は猛毒、おしゃべりは百薬の長」。年齢を重ねて足腰も弱ってきた私にとって心強い言葉がいくつもあって、うなずきながらページを繰った。”(10月24日付け中日新聞)

 愛知県半田市の山川さん(女・94)の投稿文です。「沈黙は猛毒、おしゃべりは百薬の長」とはよく言ったものである。もちろん「沈黙は金、雄弁は銀」をもじったものであろう。これは高齢者の話であることを忘れないで欲しい。ともかく高齢者は体も口も頭も動かせねばいけない。動かさないとドンドン衰える。健康体操クラブに口腔衛生士に来て貰っていて、口の運動が大切なことを知った。口も舌も大きく動かすのである。もう何度も書いたが、女性のおしゃべりは凄い。百薬の長、長生きする訳だ。それに比べたら、よくおしゃべりする男性でも比較にならない。これでは寿命に大きな差がある訳だ。沈黙は猛毒には恐れ入る。これはユーモアと取れるが、ユーモアではない。最近ツアー旅行に一人参加も多い。先日、相席の男性2人を見ていた。1日中全く一言も話さなかった。男はこれだ。哀れささえ感じる。女は以前からの知り合いかと思うほどにすぐ親しく話している。これでは男は女に勝てぬ訳だ。幸いボクは誰と話すのもそれ程苦にしない。女性の集まりに一人だけでも入っていく。今はそれを謳歌している。
 読んでいないので本について何も書けないが、老い加減とはまた面白い言葉である。老いているのである。無理に若者ぶることもない。老いは老いらしい人生を楽しめばいいのだ、と思う。

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(第2698話) 看護師のユーモア

2018年11月09日 | 知識

 “総合病院の眼科に通っています。先日、椅子に腰掛けて薬を点眼してもらう順番を待っていました。私の番になったとき、看護師長が真面目な顔で「いくら私がベテランでも眼鏡を掛けていてはさせませんよ」と。病院とは重苦しい雰囲気が漂うものですが、このやりとりで周囲は大笑いして場は和みました。私は少し恥ずかしかったもののユーモアに癒やされました。
 訪れた別の病院では診察の順番を待っていたら、呼び出しの放送が聞き取れませんでした。姓はともかく名は自分だと確信し、私は診察室へ向かいました。すると看護師長が「名前は一緒ですが名字が違います。あなたは次の次です」と。迷惑をかけていますが、私は楽しい通院生活を送っています。”(10月21日付け中日新聞)

 三重県桑名市の吉田さん(男・76)の投稿文です。ユーモアは日常生活に非常に必要なものである。特に病院など気持ちの重いところではその価値を発揮するだろう。それがこの投稿文である。1番目の話はつい微笑んでしまう。2番目の話はユーモアと言うより、老人にはありがちなことである。ボクは高齢の至りで、一部の言葉が聞き取りにくい。聞き取れなかったり、違って聞こえる。若い人には理解できないことなのだろうが、ユーモアを持った対応を願いたい。
 ユーモアは日本人に不得手と言われるが、ボクもその部類である。ボクの知人に得意な人がいて、いつも人を笑わせていた。いつか話の中心になっている。羨ましい人である。そう思ってもユーモアは一朝一夕には行かない能力である。下手なユーモアでは返って場をしらけさせる。難しいものである。日頃からの気持ちであろう。まずは気楽に話すことであろうか。

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(第2697話) 紙と鉛筆

2018年11月07日 | 意見

 “九月二十一日付本欄「ノートをタブレットに」を読み、十一歳の小学生が素直な思いをつづっていて感心しました。ノートを買い替えるのは面倒でIT機器のタブレットが魅力的という合理的な考えは理解できます。けれどタブレットは充電しないと動きません。九月の北海道地震で停電した被災地ではタブレットが充電できずに困った人もいるでしょうが、子どもたちの皆さんが日頃使っている紙と鉛筆、消しゴムなら電気がなくても使えます。地震後、道内の子どもたちの間では昔ながらのトランプがはやったそう。
 タブレットは「現代の利器」でしょうが、それ以外にも古典的ながら便利で楽しめるものがあることも忘れないでください。”(10月18日付け中日新聞)

 名古屋市の専門学校講師・小野さん(女・62)の投稿文です。今の小学校では学習にタブレットを使っているようだし、こうしたものを使いこなす能力は、ぼくらの目から見ると全く脅威である。びっくりする能力である。今中学生となった孫は、小学生の時からいつもわが家にタブレットを使いに来ている。自宅にあるものを使わせて貰えないからである。もちろんゲームをするためである。来た時に何か聞けばすぐに解決してくれる。そんな孫を見ているのでタブレットがいろいろ使えることは分かる。子供の能力も分かる。しかし、タブレットがノート代わりになるのだろうか。今のボクには疑問であるので、今度来た時聞いてみたい。
 しかし、代わりになってもボクは小野さんの意見を支持する。一つに偏るのは危険である。言われるように電気が来なければ使えない。いろいろな手段を用意しておいた方がいい。用意するだけではいけない。使えるようにしておかねばいけない。何でもそれなりのメリットはある。便利になるとは、人間の能力をそれだけ落とすことにもなる。頭も体も使わねばいけない。使わねば鍛えられない。

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(第2696話) やるべきこと

2018年11月05日 | 意見

 “僕はやるべきことを忘れていることがよくあります。そして「明日やろう」「正直やらなくてもいいでしょ」「どうでもいいか」と思っていました。ある日、僕は「明日という日が今日のような平凡な一日とは限らない」という言葉と出合いました。一つ一つの物事にどうでもいいことなんてなく、やらなければならないからあるんだ。そのことを僕に気づかせてくれました。
 それまでの「やらなくてもいいでしょ」「どうでもいいか」と思っていた自分自身にすごく腹が立ってきました。どれだけ自分は甘い考えだったんだと反省しました。それから僕は考えを改めました。日常の中でやらなければならないことと同じぐらい、自分自身がやりたいことがたくさんありました。そう、やるべきこととやりたいことはともに大切なことだったのです。”(10月17日付け中日新聞)

 名古屋市の中学生・棚瀬さん(男・14)の投稿文です。前途洋々の中学生がこのようなことを考えるのだ、素晴らしい。「明日という日が今日のような平凡な一日とは限らない」という言葉は事実です。災害の多かった今年の日本を見てみるだけでもよく分かります。災害に遭われた人には、今日と明日は全く違います。勉強道具も家も流された。明日すればいいと思っていたことがもう当分できない、ということもあったでしょう。交通事故など、誰にもあう危険性があります。人間一寸先が闇です。今日できることは、今日しなければならないことは今日する。これが悔いを少なくする方法でしょう。良いことに気付かれました。これは高齢者に特に言えることです。「明日死ぬと思って生きなさい」。

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(第2695話) オセロ世界一

2018年11月03日 | 出来事

 “「オセロの世界チャンピオンが、この飛行機をご利用いただいています。実は、以前の記録は私自身が・・・」。九~十二日にチェコで開かれた第四十二回世界オセロ選手権で、歴代最年少の優勝を果たした小学五年の福地啓介君(11)。全日空機で凱旋帰国する際、機長がアナウンスで祝福し、自身がそれまでの最年少優勝者と明かすと、機内は驚きに包まれた。
 全日空によると、機長は谷田邦彦さん(51)。離陸前の機内放送で「最年少優勝記録の快挙です」と福地君をたたえ、続けて「実は、以前の記録は私自身が一九八二年に打ち立てた十五歳という記録」と驚きの素性を披露した。
 福地君は選手権に初めて出場し優勝。十五日にドイツ・デュッセルドルフ発成田行きボーイング787の便で帰国した。このとき全日空側の機転で、787の機長を務める元王者の谷田さんを配置し、サプライズ放送となった。谷田さんはアナウンスで、団体戦で日本が十四年連続で優勝したことも紹介。「オセロの世界で日本は大変有名」と話したという。”(10月17日付け中日新聞)

 記事からです。最年少優勝記録を達成した少年の帰国に際し、前記録保持者の機長を当てるという、またとないチャンスを見事に生かした機転、配慮でしょう。聞く人には全くのサプライズです。拍手喝采でしょう。何か殺伐としてきた世の中に、こういう話を聞くと温かい気分になります。
 世界中で子供から大人まで競っているオセロの世界チャンピオンが、日本の11歳の少年とはこれもまた驚きです。年齢や経験ではない世界なのでしょう。将棋の世界では高校1年生の藤井7段が次々記録を書き換え日本を賑やかせています。努力もありますが、持って生まれた天才的なものでしょうか。我々庶民、凡人に大きな楽しみを与えてくれます。大いに期待したいものです。

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川柳&ウォーク