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第172号  2018年9月



 

(第2678話) 避難情報

2018年09月28日 | 意見

 “テレビで台風情報を見ていて、身を守るための避難情報や津波情報などは日本語が分からない外国人には伝わりにくいのではないかと心配になってくる。私もいまだに気象庁による雨の強弱の分類の「激しい雨」「猛烈な雨」などの違いがよく分からない。
 米国ではハリケーンをその強さに応じて五段階に分類しているそうだ。大まかな分け方にも思えるが、どの程度用心すれば良いかを数字で示して考える目安としては分かりやすい気がする。日本でもそんな米国式の分類を導入したらどうだろうか。最大の危険度は「避難レベル5」として最小は「避難レベル1」としてみては。想定される災害を簡略化したイラストやマークも作り、テレビの画面の片隅にでも表すようにしたら、日本語が得手でない外国人にもメッセージが伝わると私は考える。それこそが、台風の通り道となるわが国の「おもてなし」だと思う。”(9月9日付け中日新聞)

 愛知県半田市の会社員・二宮さん(男・69)の投稿文です。続いて災害の話である。情報が流される。それが理解され、生かされて初めて生きる。二宮さんが戸惑われているように、実はボクもよく戸惑っている。例えば避難について避難準備情報、避難勧告、避難指示等がある。勧告と指示のどちらが重いか、テレビで見ていてではあるが、戸惑うボクがいる。妻も同じ言うなことを言っていた。多くの人はどうであろうか。台風では大きさと強さの表現がある。調べて見れば、しっかり区別されている。この文はインターネットで調べながら書いている。普段時には調べに行くことはできる。いざの時どうなるか。多くはテレビやラジオの情報であろう。そこで、誰もが容易に判断できる情報であらねばならない。特に高齢者家族では、インターネットもスマホも使えない人が多い。高齢者や一般の人が目と耳で理解しやすい伝え方をよく研究して欲しい。理に走り専門家や学者が納得する難しい情報ではダメである。少しくらい齟齬があっても、分かりやすい情報が必要である。災害列島日本である。情報を発した後の受け取り方をよく調べ、次に役立てて欲しい。避難指示が出ても避難する人が数%では、十分とはとても言えない。

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(第2677話) 被災して

2018年09月26日 | 活動

 “岐阜県関市は七月の豪雨による律保川の氾濫で被害を受けました。全国各地の六千人余のボランティアが市内の被災地にやって来て浸水被害のあった家屋や倉庫などの復旧作業を手伝ってくれました。
 私の住む地区では被災から四十日後、今回の水害について住民で話し合う場がありました。わが家は甚大な被害を受けませんでしたが、私も会合に顔を出しました。ボランティアの受け入れについて初めは「見知らぬ人に自分の家に入ってほしくない」という抵抗感や、「自分ですべきことを手伝わせて申し訳ない」という遠慮があったそうです。しかし自力ではどうにも後片が進まず、ボランティアの援助でみるみるうちにきれいになっていく近所を見て意識が変わったといいます。そして積極的にボランティアにお願いするようになったとか。災害時は、ありがたくボランティアなどの行為を受け入れることが必要だと痛感させられました。”(9月9日付け中日新聞)

 岐阜県関市の塾講師・川合さん(男・65)の投稿文です。本当に自然災害の多い年である。そして、最近は災害ボランティアの支援も多くなった。ボクはまだ行ったことも来て貰った事もないので、そこにどんな問題があるのか、あまり知らない。そしてこの投稿である。受け入れる側にもただありがたいだけではなく、いろいろな想いがあるのである。でも結果的にはありがたい存在と分かった、という投稿である。
 テレビなどで被害地の映像を見ると、全く悲嘆に暮れるばかりと思う。でも何とかしなくてはいけない。家族だけではできない。そこにボランティアである。日本にもいい傾向が出てきたと思う。
 本当に災害列島かと思う、最近の日本である。そして、自然というのは人間の想定外のことも多いが、対応のできることもある。体験を積んでいろいろな対策がなされてきている。自分の地域状況を知り、適切な対応をしなければいけない。その気になれば情報などいくらでもある。これこそ転ばぬ先の杖である。その杖が役立たなかったら、ボランティアに助けを請うのである。

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(第2676話) 奇をてらわず

2018年09月24日 | 知識

 “皆さん、こんにちは。これまで脳の発達と加齢、そしてどのような生活習慣が脳の発達に有用かをお話ししてきましたが、今回をもって、この連載の最終回としたいと思います。
 運動や睡眠、食事が重要であること。楽しい趣味を持って、多くの方とコミュニケーションを取り続けることが脳の健やかな発達を促進し、健康な脳を保っていく上で大切だと語ってきました。
 ストレスをコントロールしつつ、ささやかながら日々の生活を幸せと感じることが肝要であることもお話ししてきました。どれも当たり前のことであり、当然のことをしっかり継続して行うことこそが、健康脳の維持に大事であると強調してきました。裏を返すと、奇をてらったことは往々にして正しくないことが多いということです。「○○は認知症を予防するから、○○だけをたくさん食べなさい」とか、「××だけをするとよい」とか、そんなことはほとんどありません。栄養バランスのよい食事や適度-な運動、十分な睡眠など、均衡の取れた生活習慣こそが最も重要なのです。一つのことだけに気を配るのではなく、運動をして食事にも気遣いつつ、趣味の活動も行うなど、複数のことを行うことで、より脳の健康が保たれることも分かってきています。(後略)”(9月5日付け中日新聞)

 東北大加齢医学研究所の滝靖之教授の「いきいき健康」からです。時折拾い読みする程度で、あまり熱心に読んだ欄ではない。最終回という事で目についた。世の中、健康についての記事で溢れている。まずは健康であることが願いの第1であろうから、当然である。しかし、あまりに情報が溢れ、何を信じて良いか分からない位である。その中には極端なものもある。バナナなり納豆なりいいと流れれば、店頭になくなるほどである。関心の程が分かる。そして、次から次へと情報は変わっていく。ボクの信じることはひとつ「極端に走らない、いろいろなことをする」である。これも食事に限らず運動もそうである。これが自然であるし、楽でもある。そして、滝教授のこの文である。「奇をてらわず、当然のことをしっかり継続して行う」これが話の中心であろう。ボクの姿勢を肯定してもらったようなものである。食事は1日30種類を食べようという話もある。これはまさに偏らない、何でも食べることである。運動の様々は体の箇所を満遍なく動かすことである。これにはウォーキングやラジオ体操がいい。最近ボクは、口の体操も大切なことを知った。ボクは昔から文武両道を考えてきた。頭を使うことと体を使うことである。その結果の今が、川柳や「話・話」とウォーキングである。滝教授の言われる「奇をてらわず」、これは自然であり、自然は楽である。

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(第2675話) 幸せの形

2018年09月22日 | 活動

 “長年、週末に会社の先輩とテニスをすることが夫の唯一の楽しみだった。だが、その先輩が他県に転勤になり、できなくなってしまった。それをふびんに思った私は、夫とテニスをやろうと思い立ち、四十歳を過ぎてから初めてラケットを握った。しかし学生時代にもほとんど運動をしたことがない私は、打ち返すことすら簡単にはできなかった。夫のがっかりする顔。そこで私は、昨年八月からテニススクールに入会し、初心者クラスに通い続けた。同時にテニスサークルにも入り、テニスの腕を上げていった。
 あれから一年。今では私が自分でテニスサークルを立ち上げ、幹事としてサークルを切り盛りしている。メンバーは二十人ほどになり、週末はみんなでテニスをしている。
 テニスをすることでストレスを発散してきた夫。最近は表情が生き生きしているようになった。そんな夫の顔を見ているだけで、私はとても幸せな気持ちになれた。このような幸せは、お金では買うことができない。さあ、今日も夫と一緒にテニスに行かなくちゃ。たくさんのボールが入った重たいバッグを持つ夫の顔は、今日も輝いている。”(9月5日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・山本さん(43)の投稿文です。テニス好きなご主人の相手をしようと、全くしたことのない奥さんがテニススクールに通われ、そしてテニスサークルまで立ち上げられてしまう。何と行動的な女性でしょう。本当に女性にはかなわないと思う。
 お互いに配偶者に寄り添うとする姿勢、これが夫婦であり、円満の鍵であろう。1+1が2ではなく2以上をめざす、足らないものを補ぎあう、これが夫婦になる価値であろう。テニス相手のいなくなったご主人の相手を務めようと努力する。嬉しくない訳がない。ますます愛おしみ、円満になる。
 「では、お前さん夫婦はどうですか?」と問われれば、娘がかつて「貴女の両親のように仲の良い夫婦ばかりではない」と婿さんから言われた、と伝えてきたことがある。推測願いたい。

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(第2674話) ラジオ体操

2018年09月20日 | 活動

 “夏の健康は毎朝のラジオ体操からー。町内で催される夏休みのラジオ体操の手伝いを始めて十年がたった。残念ながら参加者数は減少傾向にある。毎年来ていた子どもや常連の親子連れの姿が見られなくて寂しく思うが、開始時刻が近づくと一人また一人と子どもたちが集まって来る。眠い目をこすりながらもお父さんやお母さんと手をつないでやって来るさまはとてもほほ笑ましい。周りのまねをしながらぎこちなく体を動かす幼い子もいて、皆で同じ体操をして汗を流せば朝から爽やかな気分になれる。
 わが子も参加者カードのスタンプ押しや会場の後片付けに奮闘してくれた。ラジオ体操には家族の絆を深める効果もあるのだ。私はそう考えている。”(9月3日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・青木さん(男・46)の投稿文です。夏休みのラジオ体操を青木さんの地域では、どのような形でなされているんだろうか。どうも子供会などではなく、町内会など地域が主催者のような読み取れる。そうであれば、それは好ましく珍しいと思う。
 ボクは昨年度、老人クラブ連合会長を務め、ラジオ体操について調査をした。ボクの地域16町内では、寺院主催2町内、子供会主催9町内、やっていない町内が5町内あった。ボクはこれを踏まえ、世代間交流事業として、夏休みラジオ体操一斉実施日を作り行った。その結果、全町内が行い、約800人の参加があった。今年もこれが踏襲された。発展したの後退したのか、結果はまだ聞いていない。
 ボクはラジオ体操信奉者である。ボクの町内は寺院主催である。今年の夏休みは21日間実施され、ボクは17日間参加した。ボクが壇上で行ったこともある。幼い子が一生懸命マネしようとする姿は全くほほ笑ましい。ラジオ体操の良い発展を望みたい。その1つの方法が町内会など地域主催である。地域主催となると様々な人が参加しやすい。青木さんの地域にそれが見える気がする。

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(第2673話) 娘のプレゼント

2018年09月17日 | 出来事

 “長女が二十歳の誕生日を迎え、お祝いに家族で食事に行きました。その数日後、娘から「これ」と包みを渡されました。包みを開けたら私へのプレゼントが出てきました。それと同時に、「二十歳となりました。いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」と書かれたカードが入っていました。聞くと、夫と祖父母にもそれぞれプレゼントとカードを贈ったとのことでした。
 私も親になって二十年。共働きで子どもとゆっくり過ごす時間も少なく、子育ての仕方がこれで良いのかと悩み続けた二十年でした。娘は大学生となりました。私たちから大したことも教わっていないはずなのに、お礼を言ってくれるなんて。
 娘からの思いがけないプレゼントから、子育ては大変なことばかりではなかったと思えてきました。二十年間、私は実にたくさんの人に助けてもらいました。この恩を今後は私が返す番だと考えています。”(9月1日付け中日新聞)

 三重県松阪市の看護師・坂井さん(女・50)の投稿文です。子供からこのような行為をされると、今までの苦労は一片に忘れ、いろいろな不満も一挙に吹っ飛んでいく。親とはそんなものである。成人したお祝いにプレゼントを貰う子は多いが、感謝で親や周りの人にプレゼントをする子供は少ない。それだけに酒井さん家族は感激である。これには坂井さん夫婦の姿や躾が反映されたのはもちろんだと思う。
 子育ては苦労ばかりではない。苦労ばかりだったら、子供を産み育てる人ははるかに少なかろう。苦労を上回る喜びがあるのである。世界人口の増加を見れば、これは人類共通であると思う。先日講演会に参加したら「人間の三大欲求は食べる、眠る、子孫を残す」と言われた。現代はいろいろな生き方があり、認められてもいる。ボクもそれを否定はしない。だが凡人にとっては、結婚し子供を育てて一生を終える、これが喜びも大きく、分かりやすい過ごし方と思える。

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(第2672話) 地球を守る

2018年09月15日 | 意見

 “冷房時、エアコンの室外機は外に向かって熱風を放出し続ける。これでは街全体を「暖房」しているようなものだ。特に酷暑の今夏、テレビをつければ冷房が効いているであろうスタジオでスーツを着たコメンテーターが「ためらわずにエアコンをつけましょう」「学校にエアコンを設置すべきだ」などと繰り返していた。もちろん熱中症を防ぐためにエアコンで暑さをしのぎ、命を守ることは大切だ。しかし地球規模で考えると、エアコンに頼り過ぎて自然の摂理に反しているような生活を人聞か続けていていいのだろうか。地球温暖化は進んでいる。「申し訳ないがエアコンをつけさせていただく」という謙虚さを、私たち人間は忘れてはならない。”(8月28日付け中日新聞)

 名古屋市の鈴木さん(男・68)の投稿文です。今年の夏は、新聞でもテレビでもどこを聞いても「エアコンをつけろ」の一辺倒であった。35度越が続き、熱中症が多発した。亡くなった人がエアコンをつけていなかったとなると、さもそれがいけなかったと批判調である。エアコンで防げるなら、そういうのも分からない訳ではない。実はボクも今年ほどエアコンをつけた年はない。エアコンをつけず熱中症にでもなったら、それこそ批判の対象になるだろうと思った。今まで言っていた、節電や省エネルギー、地球温暖化はどうなってしまっただろう、と思いながらである。
 そこに鈴木さんの意見である。エアコンをつけるという事は、家の中の熱を外に吐き出すことである。家の中を涼しくして、外を暑くするのである。ボクの家に裏に会社がある。そこのエアコンがボクの家を向けて放熱されている。その前を通る時の熱風には、こんなにも熱いのかとびっくりする。まさに鈴木さんの言われるように街を暖房しているのである。家さえよければ後は知らない、と言っているようなものである。こんなエアコンについて今年は是非を語る言葉は全くなかった。人間の身勝手さ、都合主義を知った今年の夏である。
 ボクの川柳連れ連れ草8月号の句 「人間の身勝手さ問う声もなし」

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(第2671話) 髪を寄付

2018年09月13日 | 活動

 “小学校六年生の長女がヘアドネーションをした。病気で髪がなくなってしまった子どもに人毛のかつらを贈るための活動の一環で、小学校一年生のときにテレビでヘアドネーションを知ってから「病気の子の役に立ちたい」と自らの髪を伸ばしてきた。
 髪を伸ばしているときは洗髪にも時間がかかって大変そうだったが、娘の意志は固かった。長さ五十センチ以上の髪が不足していると聞き、六年生の夏まで伸ばすことにした。 そして七月。腰の下まで伸びた娘の髪を提供する前夜、私は「この髪で誰かが笑顔になればいいな」と思い、娘の髪をいつもより丁寧に洗って乾かした。
 ヘアドネーションに賛同している美容室で娘は長さ五十三センチの髪を切ってもらった。娘は鏡を見ながらとても満足そうな笑顔を見せたことが印象的だった。娘は短髪もよく似合うと感じた。それ以上に、娘がたくましく映った。”(8月27日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の主婦・岡本さん(44)の投稿文です。髪の寄付について話題にするのは3度目であると思う。第1回目は2016年6月8日第2282話、第2回目は2017年6月23日第2463話である。第1回目は自分自身の話、第2回目は子供にさせた話、今回は子供が自発的にした話である。ここに優劣はないが、それでも小学1年生の子が自発的に始め、それも6年生まで丸っと5年、53センチである。腰の下まで伸びた髪では、洗うのも活動も大変だったろう。こんな小学生がいることにびっくりし、感嘆する。丸5年間、この意思はどこから生じたろうか。本当に子供でも凄い子は凄い。岡本さんが娘さんをたくましく思われたのは当然であろう。しかし、これは何らかの親御さんの影響もあると思う。この親があってこの子があるのである。子は親の後ろ姿をみて育つという。

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(第2670話) 最後の手紙

2018年09月11日 | 人生

 “主人が退職して四ヵ月目、二人の楽しい老後が始まるはずの時、主人が肺がんで余命一年、長くて一年半と宣告されました。いろいろな検査、セカンドオピニオンを済ませて主人が出した結論は、何の治療も受けず、自然体で残された貴重な時間を、人間らしく、自分らしく生きたいということ。最後には、家族の誰もが主人に同意しました。
 毎月のように旅行に出かけ、夏休みには子どもたち家族全員での旅行。孫たちは何も知らず大喜びでした。病気にならなければなかった、たくさんのぜいたく。そんな中でのいろいろな人との出会いにも、たくさんの感動をいただきました。
 その二年ばかりの大切な時間が、長かったのか、短かったのか。覚悟のことであったはずなのに、旅立ってしまった後の喪失感。そんな時、机の引き出しの隅に、一通の手紙を見つけ、鳥肌が立ちました。途中「ありがとう、ありがとう、ありがとう」とあり、「ヨシ、本当にありがとう」で結ばれた手紙に、どれだけ涙があふれたことか。今日までこの手紙にどれだけ癒やされ、助けられたことか。主人からの最後の手紙。私こそ本当にありがとう。秋にはもう、七回忌です。”(8月26日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦・蟹江さん(70)の投稿文です。ご主人は何歳で退職され、何歳で亡くなられたのだろうか。推測するに、多分60歳代で亡くなられたのであろうか。そうとすれば今の時代では早いと言わざるを得ない。「二人の楽しい老後が始まるはずの時」という話もよく聞く。本当に悔しいだろう。でも、蟹江さんは「病気にならなければなかった、たくさんのぜいたく」をしたと言われる。こういう言葉はなかなか言えないと思う。そしてこのように言えるのも、「ヨシ、本当にありがとう」という最後の手紙があったからではなかろうか。こういう配慮が残された人の癒しになるのであろう。ボクも覚えておかなくてはと思う。
 余命幾ばくと言われるとは、末期ガンであったろう。この時どうするか、この判断は難しい。若かっただけに、何もしないという判断は余程の信念が必要だったろう。ボクは70歳で前立腺全摘手術をした。今も尿漏れが残り、少し不便を囲っている。今妻はリンパ腫で放射線治療を受けている。その結果はどうなるか、分からない。2人とも医師の勧めを淡々と受け入れた。したことの是非は振り返らないつもりだ。

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(第2669話) 四日市公害

2018年09月09日 | 意見

 “三重県四日市市の公害に関する語り部が高齢化していることを本紙で知り、私は高校生のときの体験を思い出しました。私の高校は同市塩浜地区にあり、軍の建物を校舎にしたと聞きました。廊下と教室は同じぐらいの広さで細長く、所々に視界を遮る柱がありました。何より窓の外からはタマネギの腐ったような何ともいえず嫌な臭いが漂ってきました。そのたびにどんなに暑くても一斉に窓を閉めました。校庭にいれば途端に気分が悪くなりました。とても体育の授業どころではありませんでした。
 三年生のときに海から離れた内陸方面に新校舎ができて移転してからはあの臭いを嗅ぐことはなくなりました。しかし塩浜地区に家や職場、学校がある人は移ることもできず、1日中そこで過ごすしかなかったのです。
 私たちは四日市公害のことを絶対に忘れてはいけません。”(8月26日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・水谷さん(73)の投稿文です。水谷さんの高校時代と言えば、昭和30年代後半である。その頃の四日市の郊外は凄かったであろう。実はボクは結婚してすぐに東海市の借家に住んだ。昭和45年頃である。その頃の東海市の公害も凄かった。赤い雪が降ると言われ、外に干した布団は赤いホコリだらけになる。電車から降りると凄い臭いであった。ボクは気管支が弱いと思っていたので、とてもここには住めないと転居を考えた。そして、2年ほど住んで転居した。
 新聞では第2次世界大戦の語り部のことがよく報道される。戦争のことを語れるのは80歳以上の人であろうが、80歳では戦後の苦しさのことしか語れない。本当に語れるのは、90歳以上の人であろう。となると、もうまもなく絶える。こういうことが絶えると一挙に戦争のきな臭さが臭い出す気がする。もうその兆候があると思うのは、杞憂であろうか。
 そして、公害である。四日市や東海市のような大気汚染による公害は戦後まもなくから始まり昭和40年代が最悪であったろうか。最悪だった頃の公害を知っている人も減っていく。個人のことは良いことばかり覚えていればいいが、社会のことは悪いことを覚えておかなくてはいけない。そして今も次から次へと新たな公害が発生している。

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(第2668話) 読み聞かせ

2018年09月07日 | 活動

 “今ごろお母さん読んでいるかな、この作文。上手に読んで、お父さんに聞かせてね。私の父は七月で九十八歳、母は同じく九十二歳。二人で一生懸命暮らしています。先週の日曜日、父の入浴介助か終わり、片付けをしていて、ある光景を目にしました。母が独り言を言いながら、新聞を流し読みし記事をチョイスしています。
 記事が決まると父の横に座り、読み聞かせが始まりました。新聞を読むのが大好きだった父は、十年ほど前に病気で小さい文字が読めなくなりました。そこでこのような日常が始まったようです。「次行くよー」と言って本文に入ります。すると父は母の声に反応して、頭を前に振り「うんうん」とうなずき、真剣に聞いています。記事は戦争に関係することが多いようです。父は八十年ほど前のことを思い出しているのでしょうか。満州への出征やシベリア抑留を経験した父。内地で戦火を逃れ生き抜いた母は、まさに戦友です。
 二人で過ごした六十八年間の年月を思い、母の声が静かな空間を流れていく。あー、この時間が一日も長く続きますように、と心から祈る気持ちでいっぱいです。お父さん、お母さん、今のこの平穏な時間をゆっくり二人で過ごしてください。”(8月15日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・藤村さん(女・60)の投稿文です。「読み聞かせ」という言葉を聞けば、すぐに大人と子供の光景が浮かぶ。しかし、この投稿は90歳を超えた老夫婦の話であった。文字の読めなくなった夫に、妻が新聞記事を読み聞かせる。ゆっくりとした時間の流れ、麗しい光景と言えようか。それを見た娘さんには、二人の至福の時間に見えたであろう。この時間が長く続くことを願わずにはおられない。苦しい戦争時代を過ごした二人に訪れた老後、こういう時間を持てて本当によかったと思う。
 夫婦は共にあって夫婦である。先日妻と1泊2日のツアー旅行に出かけた。バス車内で、近くにいた人から「夫婦で旅行されているのを見ると本当に羨ましい」と話しかけられた。聞けばその人は奥さんを14年前に亡くされたと言われる。元校長で、90歳近くになられた今も元気に活躍されている。それでも、夫婦の姿は羨ましいのだ。配偶者を亡くした男は全く寂しいようだ。藤村さんのご両親のように、90歳過ぎても、100歳近くになっても夫婦共にありたいものだ。人生に勝者敗者という言い方は無いかも知れないが、それでも高齢まで夫婦仲良くそれなりに元気で過ごすこと、これがまず第1位の勝者であろう。社会での地位や名誉など、この下である。

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(第2667話) 墓参り

2018年09月05日 | 活動

 “子どもの頃から毎夏、岐阜県恵那市の山間部にある墓を訪れて手を合わせています。太平洋戦争が始まる直前に生まれた亡き父は、どんなに忙しくても夏の墓参りを欠かさず、必ず私を連れて行きました。麓の冷たい井戸水を手おけにくんで墓石に運び、蚊に刺されながら拝んだものです。
 父が亡くなってから私は息子を三人授かりました。かつての父のように、私も先祖が眠る墓の前に息子を連れて行くようにしています。今年は七月末に家族で手を合わせました。九歳の長男、五歳の次男、その日にちょうど三歳となった三男が墓石の前でこうべを垂れる姿を見て、私はなぜか言い表せないような安らぎを覚えました。”(8月14日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の会社員・成瀬さん(男・49)の投稿文です。最近、お墓についての話題が何かと多い。なぜ多いか・・・それは従来のお墓を、将来に渡って守っていく事が難しい、と考えることにすべて行き着く気がする。一昔前なら何とか工夫し、また無理してでも維持してきた。今は遠いだけでも十分理由になる。
 成瀬さんは、親がしてきたように自分の息子さんを連れて墓参りに行かれる。各務原から恵那であるから、車なら1~2時間のところであろうか。良い習慣、家庭方針と思う。
 世の中のこと、なぜ?なぜ?と理由を問われれば答えるのがなかなか難しい。お墓に何の意味があるのか。お墓もいろいろ変わってきたようだ。先祖代々となったのはそんな古いことではないらしい。世界を見れば個人墓地の国も多い。1つの理由では説明できないようだ。だが、ボクがお墓参りに理由を問われれば、それはただ1つ、先祖への感謝である。親があって先祖があって、自分がある。自分一人だけではこの世に存在しないのだ。先祖に思いをはせ、感謝し、自分の傲慢さを慎しむ。これだけで十分に墓参りの意義はある。

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(第2666話) 講師冥利

2018年09月03日 | 出来事

 “料理教室を開いている。このクラスを開いて、もう十六年になる。退職後の男性を中心に、男性十八人、女性八人の総勢二十六人。ほとんどの方が十年以上続けている。毎回四~五品、お持ち帰りの一品を作る。お持ち帰りは、おうちの方がとても楽しみに待っていてくださっているとのこと。六月は「ほお葉ずし」だった。
 メンバー最高齢、八十三歳のMさんは本当にお元気で、毎回米とぎを一手に引き受けてくださる。そのMさんは奥さまの看病だけでなく、毎月ゴルフに出かけられ、町内会の役員もされている。スーパーおじいちゃんだ。
 そのMさんから授業の後にメールをいただいた。「一日に少ししか食べない人が、机の上に置いておいたほお葉ずしをペロリと一人で食べてしまった。幸せです。ありがとう」と書かれていた。思わず涙が出た。これこそ講師冥利に尽きる、というのだろう。細く長く、迷いながらだったが、教室を続けてきて、本当によかった。
 私を含めみんな体力的に厳しくなってきたけれど、一回でも長く続けられるように、健康に気をつけ、もう少し頑張りましょうね。もちろん私も老骨にむち打って頑張りまーす。よろしく。”(8月12日付け中日新聞)

 名古屋市の料理講師・安田さん(女・69)の投稿文です。ボクの妻は、地元の公民館で月1回開かれている料理教室にもう20年以上通っている。そしてその料理講師は、35年間くらい務められ、歳も70歳半ばになられ今年3月で辞められ、交替された。妻はこの間、その講師とかなり親しくさせて頂いて個人的な付き合いもし、ボクもいろいろな話を聞いてきた。受講生はもちろん女性ばかりである。作ったものを少し持って帰ってくる。そしてボクが賞味する。ボクも恩恵を預かれる嬉しい教室である。
 安田さんの教室は男性が主である。それがもう16年も前からと言われる。男性の料理教室の先駆けであろう。そして、Mさんからの嬉しい報告である。まさに講師冥利に尽きるであろう。いろいろやっていれば嬉しいことも辛いことも起こる。人様々である。嬉しいことに目を向け頑張ればいい、続ければいい。辛いことには目をつぶればいい。これが高齢者、余生の上手な過ごし方だと思う。

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(第2665話) 女性の年齢

2018年09月01日 | 出来事

 “七月十四日付本欄「女性も年齢 明かしては」に共感しました。私も「女性に年齢を聞いてはいけない」という世間の一部の考え方が理解できません。三十代と思われる男性が言いにくそうに私に「お年を聞かせていただいてよろしいでしょうか」と聞いてきました。「あなたはもうおばあさんだから年齢を言いたくないでしょう」と言われているようで嫌な気分になりました。私自身、年齢を聞かれても恥ずかしくて言えないような生き方をしてきたつもりはありません。
 女性は若くないと値打ちがないのですか? 誰も若い人に向かって「お若くみえますね」と言わないはずです。むしろ私は、「元気なばあちゃん」と言われるようになりたいです。”(8月9日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市のヨガ講師・松下さん(女・78)の投稿文です。世の中、女性に対する意識も大きく変わってきて、開けてきたと思う。しかし、女性自ら閉じていることはないだろうか。その1つがこの年齢である。同じ場であるのに男性は年齢や生まれ年が書いてあるのに女性は書いてない時が結構ある。人を年齢で判断してはいけないこともあるが、年齢が大きくものを言うこともある。書かないということはそれだけ年齢を気にしているからである。女性が若いほど価値があるとは、誰が言っているのだろうか。これは女性は肌など見てくれの艶やかさに価値がると言っているのと同じである。こんなことを女性が言っていてはいつまでたっても、女性と男性は同じにならない。何も女性の価値は見栄貌の美ばかりではない。
 ボクは若くても老いても、女性も堂々年齢を出すべきだと思っている。女性に年齢を聞いて「女性に年齢を聞くなんて何と無粋な、気が利かない」と言われたら、もう2度と聞くことはないだろう。この男性もそんな知識があって、聞いていいか、尋ねられたのであろう。ボクも必ず尋ねる。松下さんが言われるようなことではなく、これはまだ今の世の常識なのだ。こんな常識は女性から打ち破って欲しい。「私の年齢も書いて下さい」と女性自ら言うべきである。男性からは無理である。

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川柳&ウォーク