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第170号  2018年7月


 

(第2651話) 気付こう

2018年07月31日 | 知識

 “外から見えにくい障害や病気のある人への配慮を促す「ヘルプマ-ク」を愛知県は二十日から配布するという。私は大腸の難病を患っている。幸い今は症状が落ち着いているが、埼玉県に住んでいた数年前は入退院を繰り返していた。体調が悪いときは通院や通勤時に電車内で立っているのがつらかった。外見からは分からない病気のため優先席に座るのは気が引けて、かばんにヘルプマークを付けて座るようにしていた。
 私にとってお守り代わりだったヘルプマークのおかげで席を譲ってもらったことがある。関東地方で大雪が降った日、満員の駅のホームで立ったまま一時間待ってやっと乗れた電車内で私のかばんのヘルプマークを見た女性が声を掛けてくれた。疲れ切っていた私はありがたく座らせてもらった。あのとき席を譲ってくれた女性には今も感謝している。今度は私が誰かのヘルプマークに気付く番だと思っている。”(7月16日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の図書館職員・染谷さん(女・31)の投稿文です。ヘルプマーク、最近新聞等でも紹介されている。この「話・話」でも扱ったことがあると思う。社内の優先席、このことにも何度も触れた気がする。見た目に明らかに弱者と分かる人にも譲らない優先席である。見て分からない人に譲られる訳がない。染谷さんのこの投稿は、ヘルプマークが役だった話である。しかし、この文で気になったのは、ヘルプマークが役立ったのはこの1回であろうか。何かそのように読み取れる。
 ボクはもう73歳である。まだ老人ではないと若気ぶっている身でもない。最近、ボクは優先席が空いていれば素直に座る。先日、ボクは優先席に座っていた。明らかに高齢の弱々しい人が乗ってきた。どうしようかと見ていると、その人は優先席に座っている若い人に向けて、替わってくれと要求したのである。そして座ったのである。こんな光景を見るのは珍しい。替わってくれとはなかなか言いにくい。言われて文句を言う人はきっとある。今の時代、どんなトラブルになるかも知れない。こんな時、ヘルプマークはきっと役立つと思う。しかし、問題は多くの人の認識である。弱者のマークはかなりある。どれほどに認識されているのであろうか。

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(第2650話) 東三河の誇り

2018年07月28日 | 意見

 “用事で久しぶりに愛知県豊橋市の街中へ行きました。同県新城市の山間部で生まれ育った私にとって豊橋駅前といえば、若い頃自慢げに「街に行ってくる」と言って出掛ける場所でした。しかし今やどこの地方都市でもみられるようにシャッターが下りた店が目につきました。
 寂しく感じていたとき、路面電車が近づいてきました。見覚えのある白と黒の配色で「パトカーみたい」ど思っていたら、車体に「パト電車」という文字があり、警察の啓発メッセージも載せていました。意表を突く発想に見ているだけで楽しくなりました。
 豊橋市では今も「市電」と呼ばれる路面電車が走っています。幼いときに母と乗るたび、あの独特な振動にワクワクしたものです。今は「おでんしゃ」や「ビール電車」など季節に合わせた工夫が凝らされているよう。日本でも数少ない路面電車がこれからも豊橋市内を走り続けるよう、東三河人として応援していきたいです。”(7月15日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・豊田さん(66)の投稿文です。今路面電車が残っているところはどのくらいあるだろうか。この近辺では岐阜市も一部残っているが、豊橋市が最大であろう。ボクも昨年まで、会社に勤めていた頃はよく乗った。どこまで行っても150円である。信号に従いゆっくり走る。そして豊橋の路面電車はいろいろな形式のものが走っている。どうも各地から集められたようである。そして、いろいろな趣向、企画がされている。豊田さんの文にもあるように、とりどりの彩色が施されいるものもある。車内でビールを飲む電車もある。豊田さんのように応援者も多い。
 自動車交通に路面電車は邪魔者である。自動車が増えるに従って路面電車は廃止された。そして、残されたものに注目が集まった。1つの売りになった。時代の流れをどう読むのか。為政者にいつも突き刺さる問題である。時代の流れに逆らうのは勇気が要るが、皆が同じになっては味気ない社会である。通信、交通などいろいろ発達して地域の特色は減ったであろう。個性、個性と言いながら、実は均一化してきたのではなかろうか。そんな中、豊橋市の路面電車は残して成功だったと思う。

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(第2649話) 地域で見守る

2018年07月26日 | 出来事

 “早朝のいつものウオーキング中、登校する小学校三年生の男の子が「今日は街探検で近くまで行くで、外に出て待っとって」と私に向かって言った。私は運良く在宅している日だったので、そわそわと玄関先を掃除していたら、にぎやかな子どもたちの声が聞こえてきた。担任の先生と教頭も一緒だ。緑いっぱいの田舎道を皆笑顔で元気な声を弾ませて歩く姿を見送った。
 私は、この子たちの親も、じいちゃん、ばあちゃんもよく知っている。この地に住み、地域で育ててきた子どもが成長していく。それが長年にわたって繰り返されてきている私たちの地域が、とても誇らしく思えてきた。
 六月末には私の息子が結婚した。そのとき、同じ地区に住む人たちは声をそろえて「自分の息子のことのようにうれしい」と言ってくれた。そんな温かい言葉の一つ一つで胸がいっぱいになった。”(7月12日付け中日新聞)

 岐阜県関ケ原町の書道教師・竹野さん(女・61)の投稿文です。これは竹野さんが慕われているからである。この男の子は竹野さんの書道教室の生徒であろうか。竹野さんに別の姿を見て欲しかったのであろう。
 竹野さんは「私は、この子たちの親も、じいちゃん、ばあちゃんもよく知っている」と言われる。ボクなど、父が亡くなっても長いこと「Eさんの子」だった。これが以前の田舎の姿だった。ほとんど家庭の事情まで知っている。それだから田舎は嫌だという人も多かったであろう。それが今や、隣の人が亡くなっても知らないこともある、そんな社会になってしまった。何か極端から極端である。ほど良い中間はなかろうか。こういう社会になってしまったから、絆、絆と叫ばれるのであろう。引っ込んでいては絆は築けない。積極的に人に触れあわなくては築けない。そしてそれは日頃であろう。
 お寺さんの境内で夏休みのラジオ体操が始まった。出かけられる日は毎朝出かけている。今この場においてボクは何の役員でもないが、一人前で行っている。皆一生懸命見てまねてくれる。そんな姿を見ていると楽しい。そのうちボクは「ラジオ体操のおじいさん」と呼ばれるかも知れない。そうなったら嬉しい。

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(第2648話) 正直に伝え

2018年07月24日 | 出来事

 “近くのスーパーで買い物をして帰宅後にレシートを見たら、買ったのにレジ打ちがされていない品が一つあった。その日は大量の買い物をしたが、きちんとかごにいれてレジカウンターに置いたはずだ。記憶をたどっても間違いないので、店員がレジを打つのを忘れたのかもしれない。たった百数十円の品なので「まあ、いいか」と思ったが、やはり気分はもやもやしたので再びスーパーに行って事情を説明した。店員は「覚えています。たくさんあったので私が打ち忘れたと思います。すみませんでした」と。追加の代金を払っての帰路、足取りの何と軽かったことか。
 ささいなことだが正直に伝えて良かったと思う。爽やかな気分になった。”(7月5日付け中日新聞)

 愛知県みよし市の主婦・大野さん(66)の投稿文です。買い物をして得したお客さん側の話である。それも相手が間違えた話、それも帰ってから気づいた話である。それも数百円である。これを後日申し出るか・・・・できそうでできないと思う。大野さんはそのままにしておくことを気持ちが悪く思う人だった。わずか数百円で、後ろめたい気持ちになることもない。正直に話して、気持ちをすっきりさせた方がいい。そして、大野さんはさわやかな気持ちになられた。本当にこの方が余程いいのだ。いつも自分を見つめ直す。そして何がいいか、冷静に考える。すると、いかにおかしな事をしているかに気づく。人間は愚かである。そう思っていた方がいい。

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(第2647話) いってらっしゃい

2018年07月22日 | 活動

 “毎朝、靖子さんは「いってらっしゃーい」と、友達のご主人、徹さんの通勤を見送る。駐車場から車を出して靖子さんの家の前を通る時、徹さんは窓を開け、笑顔で手を振ってくれる。ちょうど花に水をやったり、ごみを出したりする時間と重なるのだ。
 仲よしの美保さんに「私、おたくのご主人に、いってらっしゃーいって手を振ってるんだけど、いいかしら」と聞く。「何言ってるの。あの人喜んでるわ。手でも足でも振ってよ」というわけで、靖子さんはうれしくなった。夫が亡くなった後5年も、毎朝よそのご主人を見送っているのだ。ひょうきんでいたずら好きな靖子さんは、手を振るだけではもの足りなくなる。
 門の前を掃除していた日は、ほうきを高々と掲げた。草取りしていた時の「いってらっしゃーい」はつい、ちりとりを振り回してしまい、頭から雑草と泥をかぶる。徹さんは大笑いして走り去った。(後略)”(7月4日付け中日新聞)

 西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」からです。これはなかなか楽しい話だ。靖子さん、徹さん、その奥さんの美保さん、よく分かり合えた仲だからできることであろう。いくつになっても男と女の仲は難しいもの、報道などを見ていると、その歳でと思う事件に度々出合う。美保さんが内心嫉妬をすることはなかろうか。表面的にニコニコしていても内心は嫉妬で固まっていることもあるようだ。ここは余程気を使わないといけない。ここを乗り越えて交際できると、本当に素晴らしい。
 ボクもオバサン化したいので、女性の中に混じっていくことは多い。混じっていても特定の人と特に親しくしないようにしている。オバサンはにぎやかではあるが、うわさ話も好きである。オバサンの餌食にされたらたまらない。いくつになってもこの程度の配慮は必要であろう。そして、妻にも開けっぴろげにその日にあったことを話している。妻に変な疑いを持たれたらそれこそ大変だ。地元では妻の方がよく知られている。先日も言われてしまった。「貴方はS子さんのご主人でしかまだ通りませんからね」と。

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(第2646話) 譲り合いの心

2018年07月20日 | 出来事

 “近くのコンビニでいつものようにコピーを一枚しようとしたら、学生とみられる若い男性がちょうどコピー機を使おうとしていました。私の気配を感じたのか、彼は二、三歩後ろに下がって「お先にどうぞ」と手招きをしました。私は「とんでもないです。急いでいませんから」と辞退しました。それでも彼は「私は数枚ありますので時間がかかります」と譲ってくれました。私はすぐにコピーを済ませ、「お先にありがとうございました」と礼を言って店を後にしました。
 昨今こんな譲り合いの気持ちは忘れられたと思っていましたが、若い人にも根付いていることを実感して爽やかな気分になりました。あのときの若者よ、ありがとうございました。”(7月3日付け中日新聞)

 三重県大台町の小西さん(男・76)の投稿文です。ボクは一宮友歩会の資料等をコピーするためにコンビニやスーパーによく行く。ボクは毎回100枚以上コピーする。その時、コピーをしようとしている人はいないか、気にかかる。ボクが先に始めてしまうとかなり待たせてしまうことになる。時には割り込んでもらったこともある。やり方を教えてあげたこともある。ボクはそれなりに気を使っているつもりだ。小西さんは若い人から譲られ、このように感激され投稿までされた。小さな親切でも受けるとこのように嬉しいことなのだ。ボクはこれからも気を付けたいと思う。
 似たようなことで、スーパーなどのレジのことがある。ボクなど買っても数点、時には1点である。凄い量の買い物をした人が前にいると全くうんざりする。こんな時先にしてくれないかと、思ったりする。これも同じようなことである。この時の気持ちを忘れないようにしたいものだ。

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(第2645話) 「オバサン化」

2018年07月18日 | 意見

 “孤独は喫煙や肥満よりも病気の原因になりやすいという研究結果があり、孤独を感じる人が多いほど国家の損失は大きいと指摘されています。英国では「孤独は万病のもとだ」として一月に孤独担当相が新設されたほどです。
 日本では中・高年の男性が孤独に陥る可能性が高いと聞きます。団塊の世代が後期高齢者の仲間入りをする超高齢化社会ではもはや看過できない問題です。専門家によると孤独への処方箋は「オバサン化」だとか。日常的に他人と会って楽しくおしゃべりをして交流することが大切だそうです。一日に少なくとも八人に会うと良いと聞いたこともあります。
 「人生百年」と言われて久しくなりました。人とつながって生き生きと楽しい毎日を送りたいものです。地域の住民向けのサロンは元気な女性でいっぱいです。男性の皆さん、「オバサン化」も捨てたものではありませんよ。”(7月3日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・浦崎さん(66)の投稿文です。「オバサン化」とはよく言ったものだと、ボクは感心する。でも世の中はオバサンと言われて不機嫌になる話が多い。でもここでは好意的に言っている。浦崎さんの投稿から見れば「オバサンとは日常的に他人と会って楽しくおしゃべりをする女性」となろうか。オバサンと言われて不機嫌になる女性は30代40代であろう。60代ともなると、お婆さんと言われて不機嫌になる人はあろうが、オバサンではなかろう。その60代以上のオバサンは凄いのである。浦崎さんはサロンに行かれているようだが、ボクが開いているサロンもオバサンのパワーは凄いのである。2時間以上話しっぱなしでも話は尽きない。男もオバサン化しなさいとは、このことを言われているのだ。そして、ボクはこのおばさんの姿によく接しているので、全く頷くのである。ボクの開いているサロンでは、役員以外の男性は1割にもならないのである。男性を増やすのが課題だと思っているが、これは何よりも難儀なことである。英国では孤独担当相が新設されたという話にはびっくりです。孤独はそれ程重大事なのだ。男性は自ら認識しなければいけない。「オバサン化」にボクは何が足りないか、考えねばならない。

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(第2644話) 「ゴールデン」

2018年07月16日 | 意見

 “六月で七十五歳となり、後期高齢者の仲間入りをしました。しかし私はこの「後期」という言葉がとても気になります。ひと昔前と比べて平均寿命が延び、百歳前後まで長生きする例も珍しくありません。私より年上でも元気に生き生きと生活している人はたくさんいます。人生の終わりを連想させる「後期」よりも、もう少し前向きな表現はないものでしょうか。
 高齢者を表す言葉として「シルバーエージ」があります。七十五歳以上はその上の世代として、例えば「ゴールデンエージ」と呼んではどうでしょうか。銀よりも輝くという明るいイメージがある気がします。皆さんは、七十五歳以上のお年寄りの呼び方についてどんなアイデアをお持ちですか。”(6月25日付け中日新聞)

 名古屋市の新聞配達員・森さん(男・75)の投稿文です。年代の呼称についての意見は結構あり、森さんがここで言われる後期高齢者については特に意見が多い気がする。高齢者の内でも更にその後期である。何かもう死ねと言われんばかりの気にもなる。ボクはあまりこうした言葉を気にしない方だが、それでもこの言葉はいかにも短絡的に付けた気がする。高齢者について一律の規定はないようだが、75歳以上を後期高齢者と呼ぶようになったのは高齢者の医療の確保に関する法律であるようだ。医療保険から見れば後期高齢者は厄介な存在だ。これが保険ばかりでなく一般に使われるようになったから様々意見になろう。高齢者には違いない。
 2004年9月30日の「話・話」第71話で、プラチナスタイルという言葉の提案を紹介している。小説家の渡辺淳一さんが50歳以上の年代の前向きな人生を「プラチナスタイル」と呼ぼうと提唱されている、というものである。後期高齢者は保険の中だけで言わせ、他の場面では「プラチナスタイル」でも「ゴールデンエージ」でももう少し前向きな言葉を使ったらいいと思う。と言いながら、ボクは今盛んに余生と言っている。余生と言えば、いろいろなしがらみや余分な損得が達観できる。余生だからできることがある。そう自分に言い聞かせているのである。第三の人生とも言っている。まずは自分で上手に使うことが先決である。世の中が変わるのを待っている時間はない。

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(第2643話) 梅の木

2018年07月14日 | 出来事

 “わが家の梅の木は、毎年たわわに実がなり、梅酒や梅ジュースを作るのに活躍してくれた。老木になって、数年前からは枝もだんだん朽ちてきて、あちこちに穴が開き、もうそろそろ寿命を迎えたかのようにみえた。花も咲かなくなってしまったので、庭師に「もう切ってもらいたい」と告げた。
 すると庭師からは「梅というのは、数年咲かずに実をつけない時期もあるが、また咲きだすこともあるので、しばらく様子を見てくれ」と諭された。一年が過ぎ、二年がたち、梅の花は一向に咲く気配がなかった。そして三年目、なんと二つ三つと花を咲かしたのだ。そのときはもちろん、実をつけることはなかったが、四年目、新しい枝に花がいくつも咲いた。実も少しであるが実った。そして今日、たわわに実った梅の実が、実に六キロも取れる立派な梅の木に返り咲いたのだ。
 一時のちょっとした判断で、大事な梅を切ろうとした自分を恥じた。「人生、まだこれからでしょ。がんばらなきゃ」。そんな励ましを誇らしげに、梅の木が言っているような気がした。”(6月24日付け中日新聞)

 愛知県東海市の主婦・坂野さん(55)の投稿文です。梅がならなくなってもう切ろうかと思って5年、今年は6キロも取れた。本当にこんなことになるのだ、びっくりしました。植物の生命力は凄いですね。疲れれば休む、そして体力を貯えまた勢いを増す。生きる知恵を知っているようですが、それが自然の成り立ちなのでしょう。ボクの家にも梅の木があり、梅酒、梅ジュース、梅干しを作っていましたが、数年前にその土地を売り、もう今は梅の木がなくなりました。20年くらい楽しませてくれました。
 今わが家に面白いことが起こっています。父が植えたミカンの木があります。これこそもう何十年です。そしてここ何年も実がついていません。それが今、結構たくさん実を付けているのです。この後どうなるのでしょう。落ちてしまうのか、食べられるまでなるのか、興味を持って見ています。坂野さんの梅の木のようになったらびっくりです。ボクにも頑張れという事でしょうか。自然の知恵は凄い。人間の知恵は浅はかだ。

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(第2642話) 滋賀が好き

2018年07月12日 | 意見

 “私は自分が暮らす滋賀県が好きだ。京都や大阪にもすぐに行くことができる所にあるのに、都会すぎず、安らぎと落ち着きを感じられるからだ。滋賀県のことを地味であまり知らないという人もいるだろうが、最大の魅力は歴史が深いところだと私は思う。
 琵琶湖近くには戦国時代に織田信長が築いた安土城があった。城跡には今博物館があって当時の生活などが学べるようになっている。行けば、きっと滋賀を誇りに思えるような歴史のロマンに触れることができるはず。海外の人にも日本の歴史は人気になっているという。県外の人にはぜひ足を運んでもらいたい。
 滋賀県民にも滋賀は「ダサくて嫌」「地味でつまんない」と思っている人がいるそうだ。そんな県民にも一度は安土城跡を訪れてもらいたい。それまでの考えは改まるはずだから。”(6月23日付け中日新聞)

 滋賀県栗東町の中学生・堤さん(女・13)の投稿文です。滋賀県はいいと思いますよ。滋賀は「ダサくて嫌」「地味でつまんない」と言っている県民があるという事ですが、あまり自慢する訳にはいかないから、ちょっと言ってみただけではないでしょうか。少し考えればよいことずくめです。日本一の琵琶湖があり、自然も多く空気も綺麗。大阪、京都へ通勤圏内なのにまるでリゾート地のようです。また日本列島の中心に位置し、暑すぎず寒すぎず過ごしやすい気候です。日本の住みやすい都市の上位に入る都市が沢山あります。堤さんが言われるように、歴史上もいろいろあり、重要な県です。調べればもっといろいろ出てくるでしょう。
 自分の住んでいるところを誇れることは非常に大切なことです。もちろん嫌なところもあるでしょう。でもそれを上回る良いところ見つけ、住んでいる。多くの人はそのように感じている。ボクにしてみれば、なぜそのように不自由なところに住んでいるのか、不思議に思うことがあります。でも住めば都なのです。住んでみて初めて分かることです。良いところ見つけ、誇りを持って住みたいものです。もちろん、ボクは今住んでいるところをいいところだと思っています。生まれ育ったところですから、どこにも替えがたいです。

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(第2641話) 固定電話

2018年07月10日 | 知識

 “娘が小学生になってからわが家の固定電話が活躍するようになった。わが子が通う幼稚園と小学校はいずれも保護者の連絡先などが載った名簿を家庭に配っていないが、町内の子ども会では個人情報の一部が載った名簿が配られ、それを見た友達が小学生の娘に「遊ぼう」と電話をかけてくる。家族に電話を取り次ぐのは何年ぶりだろう。結婚して十二年目だが、夫への電話を取り次いだことはこれまでに一度もない気がする。
 私が子どもの頃、家族に電話を取り次ぐことでそれぞれの交友関係を緩やかに把握していた。家族の目と耳を気にしつつ男の子からめ電話に出たりドキドキしながら男の子の家に電話をかけたりしたことが懐かしい。親戚からの電話なら親に取り次ぐ前に一言二言話したものだ。それが今はたいてい直接個人の携帯電話にかかってくる。便利になった半面、人との関わりが減ったことが私は寂しい。”(6月21日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・伊藤さん(36)の投稿文です。今では固定電話のない家庭もあるようになった。若い家族ではかなりあるのではなかろうか。携帯電話は個人のもの、固定電話は家族共有のもの、大きく違うのである。世の中、いろいろな面で個人単位になっているが、それが家族までに広がっている。これは、伊藤さんの文でも分かるように繋がりを希薄にしてるのである。
 ボクはスマホを、妻は携帯電話を持っているが、それだけに頼っている訳ではない。固定電話にもよくかかってくる。お互い取り次ぎもよく行う。伊藤さんの文にもあるように、取り次ぐ前に一言二言話す人もある。伊藤さんは「人との関わりが減ったことが私は寂しい」と言われる。36歳の伊藤さんにしてこのように言われるのではあるから、70歳超えのボクらにしたらどんな思いだろうか。
 問題がない時は一人一人の方が楽でいい。ところが人生、問題ばかりである。その時は人の助けがいる。その時平生の繋がりが生きてくる。新聞等を読んでいると、一人で悩んでいる人がいかに多いかを知る。本当に住みよい社会に進んでいるのだろうか。

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(第2640話) スイカ

2018年07月08日 | 出来事

 “スイカはまさに、「ザ・日本の夏」といった食べ物だと思う。味よし、見た目よし、だ。
 子どものころ、夏休みに祖母の家に行くと、井戸で冷やした大きなスイカを切ってもらうのがうれしかった。スイカはまず、玉の上下を薄く切り取る。それは小皿となって、そこには塩を盛る。そしてザクザクと赤い色が顔を出すと、もう本当にワクワクした。昔の広い台所。床に皆で輪になって、次々かぶりついた。体は涼しくなり、おなかはいっぱい。
 外はセミが鳴き、真夏の太陽がギラギラと照っている。黒く光った床板は、座るとひんやり心地よかった。スイカの時、毎度叔母は、嫌がる私たち子どもの服を脱がせようとする。赤い汁が付いて汚れると、オカアチャンが困る、というのだ。ユリコネエチャンと呼んでいたその叔母はまだ年若く、「美容」と言って、食べた後に皮で顔をなでたりした。
 遠い遠い昔の思い出。スイカを丸ごと買わなくなって、何年たつのだろう。スーパーでは今日もまた、カップ入りのカットスイカに手を伸ばした。「本当はこんなのでない方が・・・と、心の中でつぶやきつつ。”(6月16日付け中日新聞)

 名古屋市の太田さん(女・68)の投稿文です。井戸で西瓜を冷やす、上下を薄く切る、ボクの子供頃と全く同じ風景だ。でも違うのは、ボクはこれが自分の家庭であった。スイカはいい、夏の王様だ。「ザ・日本の夏」と言う表現は面白い。ボクの一番思い出す風景は、畑で取って、そのままそこで手で割って食べるのだ。もちろん綺麗には割れない。皮ばかりの部分と中味が大きいものに分かれる。生温かい西瓜であったが、中味ばかりの方にかぶりつくのは至福であった。そんな思い出がある。
 ボクも毎年西瓜は作っている。取る時に迷う。まだ早いか、適頃か、遅すぎるか、持って帰って切るまでヒヤヒヤである。これも作っている人の醍醐味であろうか。今年ももう数個取ってきて食べている。近年は烏に食べられないか、これもヒヤヒヤである。皆さん、網で覆っている。ボクは手を省いて、大きくなると布をかぶせて分からないようにしている。でも、毎年数個はやられる。その悔しさと言ったらない。今年は何個食べられるか、知恵比べは続く。

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(第2639話) 父が泣いた

2018年07月06日 | 出来事

 “幼い頃、父が苦手だった。父は喜怒哀楽が激しく日常生活を中心にさまざまなことへの注意が多かった。それら全てが父の嫌なところだと私は思ってきた。少なくとも私が二十九歳のときまでは。
 私は想定外の早産で次女を産むことになり、不安と悲しみの中、父に電話をした。しっかりしなさいと言われるだろうと思っていたが、父は電話口で泣きだした。そして行き場のない私の悲しみに寄り添ってくれた。それから、父は孫である次女の成長を誰よりも喜んでくれた。
 それまではいつも父の日に何をプレゼントしたら喜んでくれるかと悩んできたが、父にそっくりな次女の成長ぶりを話して聞かせることが最高の贈り物なのだと思っている。”(6月16日付け中日新聞)

 岐阜県大野町のパート・伊藤さん(女・34)の投稿文です。父親も親である。子供のことを気にかけない親はない。ただその表現である。昔の父親は唯我独尊、しかも素直でない父親が多かったのだ。父親と母親の役割分担がはっきりしていた。父親は威厳を保ち、その分母親はただ優しかった。子供には父親は随分嫌な存在であった。今から思うと随分損な役割であった。最近の父親は随分変わってきた。娘婿を見ていると本当に思う。共に優しくなった。父親の方が好きという子供も多かろう。一般論であろうが、ボクはこのように思っている。子育てにはどのようなことがいいか、一概に言うのは難しい。共に優しくていいのか、恐い人があった方がいいのか、同じように育てても全く違う子供になる。同じように育てているようでも子供はその本質を見抜いているのではなかろうか。子育ても野菜作りも同じである。同じようにやっていても、同じようにならない。愛情を注ぎ込むより方法はない。
 伊藤さんのお父さんも全く昔のお父さんであった。でも、早い時に父親の本質を知ることができてよかったと思う。亡くなってから知ってはもう取り返しがつかない。「親孝行したい時に親は亡い」十分に注意したい。

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(第2638話) 勉強ではない

2018年07月03日 | 意見

 “私は読書が大好きです。本を読んでいるとその本の中に入って恋をしたり、冒険をしたりできるので楽しいです。でも私の学校では「朝読」の時間があり、強制的に読書をさせられています。先生は「読書は遊びではない」と言います。
 先生たちからすると、読書は自主勉強にふくまれているそうですが、私は読書は自主的なもので、自分のやりたい遊びとして思い思いに取り組むべきだと考えます。ただでさえ読書を苦手とする人は多いのです。読書に勉強というイメージをうえつけてしまったら、みんなは余計、本を手にとりにくくなるのではないでしょうか。
 そこで私は興味のある事がらの本や漫画など、読みやすい本を自主的に遊びとして読むようにすることをおすすめします。そうすれば読書は勉強ではなくなるので、だれもが好きなときに自分のタイミングで読むことができるようになるのではないでしょうか。私はそう考えています。”(6月15日付け中日新聞)

 津市の小学生・中村さん(女・11)の投稿文です。小学生の人からこのような考え方を聞くとは、全く驚くと共に感心します。というのはボクも同じような考えを持っているのです。ボクは仕事について言ってきました。同じことでも趣味ですると楽しいが、仕事にすると苦しみに変わる。野菜作りでもスポーツでも趣味でやっていると楽しいが、仕事となると身を削られる思いである。同じことをやってお金が貰えれば更に楽しいはずですが、なぜでしょう。これは自主的にすることと義務で行うことの違いでしょう。ですから考え方捉え方の問題です。読書も勉強と言われると苦労ですが、遊びと捉えると楽しくなる。全く同じです。人間、仕事や勉強は苦手です。同じことをやっても義務は苦手です。どうせ同じことをやるなら楽しくやりたいものです。返ってその方が効率も上がるでしょう。なかなかこのようには捉えられないものですが、ここは少しでも頭で割り切りたいものです。

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(第2637話) 自転車にヘルメットを

2018年07月01日 | 意見

 “自転車事故が多発する11~20日を「自転車対策強化旬間」と定めている県警は初日の11日、自転車の安全利用を呼び掛ける「広報啓発隊」の出発式を名古屋市北区の「ネックスプラザ」で開催した。期間中は地域住民らと広報啓発隊を結成し、交通ルールやマ.ナーの周知や、自転車を乗る際のヘルメットの着用などを訴える。
 式には、県警自転車対策チームBーForce(ビーフォース)のほか、地域住民でつくる「自転車ヘルメット着用推進隊」の隊員ら約50人が参加。県警の石川智之交通部長は「自転車事故で亡くなった人の7割は頭部を損傷してい.る。ヘルメットの効果や着用を呼び掛け、少しでも悲惨な事故がなくなるよう協力してほしい」と要望した。広報啓発隊が自転車で近くの交差点に向かい、「自転車に乗るときはヘルメットをしましょう」と書かれたちらしを配った。”(6月12日付け中日新聞)

 記事からです。自転車事故は多発である。特に高齢者に多いという。さて、自転車でヘルメットを被っている人は、小中校生以外でどのくらいあるだろうか。ボクは見かけたことがない。ほとんど皆無ではなかろうか。ところがこのボクは被っているのである。昨年6月頃から、町内を回るなら自転車の方が好都合と、自転車愛用を始めた。このことを知り合いに話したら、ヘルメットを被りなさい、と忠告を受けた。その人の知り合いで、自転車で側溝に落ち、頭を打ち、その後車椅子生活をしているという。ボクは老人クラブ連合会長である。ボクが被れば見本になろう。早速購入して被った。多分今では、ヘルメットを被って自転車に乗っている人を見たら、ボクと思われるのではなかろうか。それならと被る人が増えたら大嬉しである。残念ながら今のところ見かけない。そのうち現れるだろう。
 この時、ボクはバックミラーも取り付けた。バックミラーを取り付けた自転車も見たことがない。高齢者は自転車に乗ったまま、後ろを振り返ることは非常に危なっかしい。広い道ならまだしも、狭い道で一々降りる人もあるまい。一々降りることの方がより危ないこともある。まずはバックミラーで確認である。ボクは大いに有効と思っている。自転車を活用して車を使う機会を減らす。健康にもいい。いろいろな安全対策を取りながら自転車を活用したいと思っている。

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川柳&ウォーク