ha1806

第169号  2018年6月


 

(第2636話) 見返り求めぬ

2018年06月29日 | 意見

 “ある人から誕生日のプレゼントをもらったとします。「昨年この人から自分の誕生日にプレゼントをもらったから、この人の誕生日は何かでお祝いしないと」。誰もがそう考えるのではないでしょうか。
 日本には、昔から中元や歳暮といった慣習があります。だからか、「ギブ・アンド・テーク」という言葉の意味を誤って、何かを与えるからには見返りがほしいという意味合いでよく使われる気がします。本来の意は相手の存在を認めて、自分と相手とは対等な関係にあるということを前提とした言葉ですが・・・。
 義理堅いことは日本人の長所だとは思いますが、見返りがないとしても、「ただお祝いしたい」「あなたの笑顔が見たい」と思うことを私は心掛けたいです。”(6月7日付け中日新聞)

 愛知県犬山市の会社員・鬼頭さん(男・38)の投稿文です。鬼頭さんは「見返りを求めない」と書かれています。ボクは、6月21日の「話・話」第2632話で「恩は受けっぱなしにしない」という話を書きました。これは全く逆のことを言っているのでしょうか。これは与えた方と受け取った方の考え方です。与えたてもお返しは求めない、与えられたらお返しする。これでは損をするばかりですが、そんな気持ちで過ごせば、人生、穏やかということです。これは何も損ではありません。穏やかは人生、最高の過ごし方です。与えて、お返しがないと言ってブツブツ言い、ストレスを溜めるくらいなら与えない方がいいでしょう。与えるなら素直に与えたいものです。これは言うことはできても、なかなかできないことです。これが素直にできたら聖人君子でしょう。でも、心がけたいことです。

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(第2635話) 身なり整え

2018年06月27日 | 意見

 “定年後も嘱託やアルバイトとして働き、昨年夏には完全に仕事を辞めました。比較的規則正しかった生活から一転して自由になったものの、メリハリのない暮らしとなりました。それでも私が注意していることは身だしなみです。一日中不潔な身なりのまま過ごすことはやめ、外出時も「知人にはほとんど会わず、他人が自分を注目しているわけでないから」と、だらしのない格好で出掛けることを慎んでいます。
 身なりを整えることを面倒くさがっていたら高齢者特有の体の臭いや見た目の見苦しさも加わって、他人に不快な思いをさせてしまうかもしれません。相手に不快な思いをさせないことはエチケットです。このため日頃私は可能な限り清潔感を保つようにしています。「身ぎれいでピンピンコロリを迎えたい」。これが 今の私の希望であり目標です。頼りになる妻には日々チェックとアドバイスを受けています。”(6月5日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の生方さん(男・75)の投稿文です。完全退職して、自由な時間が増えた、人に会うことも少なくなった。この後どういう過ごし方をするのか、縛りがないだけ、自分で決められます。ありがたいことです。これが長年の夢だった人もあるでしょう。時間は自分の使い放題、ここでいろいろある人はいい。しかし、特にない人はどうするでしょう。服装も人を気にする必要はない。起きたままでもいい。人間は怠けることが好きです。必要なことだけをしていたら、ひたすら楽な方に動きます。特に家事をしない男は問題です。ふしだらな生活になり、テレビの番をすることにもなるでしょう。やはりここは自分で自分を律ししなければなりません。生方さんはそれを言ってみえます。特に服装に気をつけてみえます。一事が万事です。一つをキチンと行えばすべてがそのようになっていきます。
 ボクは会社を辞めてからも、毎日それまでと同じ時間に起きています。5時に起き、コーヒーを入れ、飲みながら新聞を読む。メールをチャックし、返信するものは返信する。インターネットを見る。アクセス数などの記録をする。「話・話」をUPする。そして次の「話・話」を書く。「平成のことば」の書き写しをする。これらを終えた頃に朝食の声がかかる。服装についても心がけているつもりだが、こちらについては妻は不満のようだ。しょっちゅう注意をしてくる。マア、ありがたいことであるが・・・。老いるほど、注意を払わねばならない。

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(第2634話) 夫に親切

2018年06月25日 | 出来事

 “「今日、すごくいい人に会ったよ」。夫が枝切りの仕事から帰ってきてこう言いました。作業する数人がそれぞれの車で現場に行くため、大人数だと駐車場の確保に苦労するそうで、その日も皆でゾロゾロと車を止める場所を探していたといいます。そこに民家から女性が出てきて「良かったらうちの駐車場を使ってください」と、少し離れた駐車場を案内してくれたそうです。
 夫によると、作業中に車を止めていて近所の人から注意されることはあっても、こんな親切はめったにありませんでした。それを聞いて私は感心しました。すると後日、その女性は私の友達だったことが偶然分かり、驚きました。この友達とは大切にしたいご縁だと心から思いました。”(6月4日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・永田さん(66)の投稿文です。自分の身近な人が人から親切を受けた。そのした人は自分の知り合いであった。嬉しくなると共に益々感心し、尊敬する。お互い知らないところの出来事だっただけに、その受ける度合いは大きい。この逆の場合もある。知らない人だからと無視をする、少しのことに苦情を言う。後日、知り合いの身近な人だったと知る。もう取り返しがつかない。ここから不仲、疎遠となる。こんなこともある。「情けは人の為ならず」といういい諺がある。どこでも機会があれば親切にしておく。その親切が回り回って自分に返ってくる。
 最近ボクは女の人と話す機会も多い。女の人の話は尽きない。しかし、うわさ話や悪口も多い。これは気をつけた方がいいと思う。しかし、女の人の口を閉じるのは難しい。

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(第2633話) 山陰にて  

2018年06月23日 | 出来事

 “山陰の旅二日目、午前中は雨。松江城から小泉八雲記念館へ行くことにした。車を置いて歩きだしたが、なかなか着かない。主人の勘に頼ったのがまずかった。道を尋ねようにも、雨で人がいない。しばらく歩き人を見つけ主人が尋ねると、何と全くの方向違い。お礼を言い、鈍った勘をからかい歩いていると、追い越された車から若い男性が降りてみえた。「送りますよ、乗ってください」。びっくりして助手席を見ると、先ほどの女性がにっこり。後部座席から小さな娘さんが手招きしてくれた。二人とも雨にぬれ、ちゅうちょしていると「私たちも図書館へ行くので遠慮なさらずに」とご主人。ありがたく乗せていただくことにした。
 昨日、愛知県から来たこと、午後は出雲へ行き、夜帰路につくことを話した。「山陰は雨が多いから。でも午後は晴れますよ」。車を降りるとき、奥さんがおっしゃった。何かお礼をと思いつつ、言葉だけですませてしまった。この家族の代わりに、誰かに返そうと思う。「図書館へ行く」は優しいうそかもしれない。
 境港、松江、出雲はいい旅だった。主人は写真をたくさん撮ったが、この家族三人の優しい笑顔と言葉が、記憶として一番に保存されている。”(6月3日付け中日新聞)

 愛知県大府市の主婦・広藤さん(61)の投稿文です。旅での親切、心細いだけに、特に嬉しいことである。特にこの若い家族は素晴らしい。教えるだけで終わらず、車まで出してきて送っている。広藤さん言われるように、図書館は口実だったかも知れない。ボクは図書館は後で行くつもりだったが、この時に合わせたのが本当だと思う。どちらにせよ、行き届いた配慮である。若い人には何でもないことでも、高齢者には大変なことが多い。ここらの配慮があると本当に嬉しくなる。
 受けた恩を他に人に返すことを「恩送り」という。そしてその恩を送られた人がさらに別の人に送る。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってよい連鎖になる。これが好ましい世の中である。昔の日本はそうだったという。それが近年非常に減った気がする。ボクは田舎育ちで、いろいろな風習があった。結婚や葬儀、その他いろいろな儀式も、受けたものは返す、この意識で続いてきた。結婚式で呼ばれたら、自分の時には呼ぶ。初老で物をもらったら自分の初老の時に返す。これは恩を受けっぱなしにしない、と言う意識である。これを古い伝統、悪しき伝統、不合理な伝統として断ち切る。 ここに皆の納得があればいいが、革新的気分で勝手に行う。その結果、田舎でも付き合いは全く減った。話は少し違ったが、受けた恩は返す、そういう意味では同じである。

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(第2632話) 駅の放送

2018年06月21日 | 出来事

 “社会人になって三ヵ月目です。働き始めて自分が置かれた環境の変化に戸惑う日々で、慣れないことばかりです。仕事の帰りにいつものように駅のホームで電車を待っていたら、「お疲れのところ、お待たせいたしました」とのアナウンスが流れました。温かみのある中年の男性の声に私は思わずほっこりしました。「また明日も頑張ろう」。そんな気持ちになれました。何げない一言が、誰かの心に響き渡り、それが生きる糧になる場合があることに気付きました。
 私の会社は接客業ですが、本格的にお客さんと接するのはもう少し先です。そのときが来たら、あの駅員のように客の心に寄り添うような言葉を掛けられたらと思っています。”(6月3日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・丹羽さん(女・23)の投稿文です。「お疲れのところ、お待たせいたしました」等という駅の案内放送を、励ましの言葉と嬉しく受け入れる人があることに、驚きの感じです。最近はマニュアル通りの言葉遣いに、状況を考えない言葉や違和感を感じることもあり、言葉は多くなっても心を動かされることは少なくなっている、そう思っていました。丹羽さんは駅での言葉に心を動かされたと言われる。言葉に心がこもっていたのであろう。駅や車内放送が多すぎるという声があります。スマホ使用の遠慮や優先席の譲り合いなど、放送されても動じない人が多い気がします。皆すでに知っているのです。知っていてやらないだけです。だから無駄な放送です。と、ボクは感じていましたが、丹羽さんの話は、そうは言ってはいけない、と言うことでしょうか。無駄であっても続けることは必要です。そういうことでしょうか。

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(第2631話) 見事なバラ

2018年06月19日 | 活動

 “広い庭でバラを育てて十五年という夫婦が近所に住んでいる。初夏には美しくバラが咲きそろい、「ご自由に散策してください」という看板を立てて庭を開放している。私は毎年この季節を心待ちにしていて、先日その庭を観賞した。白、濃淡のある紅、ピンクなど花の色はもちろん、花びらの数や形、大きさもさまざまなバラが並び、ほのかな甘い香りに包まれての至福のひとときを楽しんだ。
 趣味で絵を描いている庭の主人が作品の題材にしようとバラを植えたことがきっかけとなり、さまざまな品種を植え続けたという。丹念に草を取って肥料を施し、消毒も欠かさないとか。咲き終えれば花びらが散る前に摘むという。このように愛情を往いで育てたバラは見事だ。
 「一度来た方は仲間を誘ってまた来てくれ訪れる人は毎年増えています」と上品に笑う奥さまもバラの花のように美しかった。”(6月2日付け中日新聞)

 三重県大台町の主婦・上平さん(76)の投稿文です。絵の素材にしようとバラを育て始めて15年、今では人に見てもらうほどの見事な庭園になった。凝り始めると全く凄いものである。植物などは手入れに切りがない。同じようにやっていても毎年結果は違う。その度に振り返り、工夫する。これが又楽しみで、継続できる起因であろう。ボクも少しずつ、野菜や花の手入れに力が入ってきた。特にこの数ヶ月である。余裕ができてきたからである。道路沿いの畑の数メートル部分は花畑にした。散歩する人も多いし、車も多い。そんな人の楽しみしてもらおうと思ってである。きっかけは案山子を褒められたことからであるが・・・・。花畑は楽しみではあるが、その維持は野菜以上に大変である。でも農家育ちで元々慣れている。嫌いではない。草取りなど無心になれて結構好きである。今は特に予定もなければ、朝の日課を終えるとすぐに畑に出る。大きな過ごし方になるかも知れない。
 バラは咲き終えたら散る前に摘むのか・・・知らなかった。ボクの庭にもかなり以前からつるバラが1本ある。伸びて邪魔になったら切る程度の世話である。それならもう摘まねばならない。今年もう1本買ってきて増やした。又勉強し、することが増えた。

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(第2630話) 登頂7000回

2018年06月17日 | 活動

 “「おじいちゃん、村積山の山登り、今何回なの」と、孫から問い合わせがあった。「七千回を超えたわ」と返事をしたら、「ほいじゃあ、お祝い登山をしようよ」となり、みんなの都合のいい日が決まった。
 楽しみに待っていた。その日はなんと雨天。昨日までは上天気。私は侮しさを感じつつも、中止を決めていた。ところが息子夫婦も、名古屋に住む娘夫婦も、四人の孫たちも、山登りのいでたちで集まってしまった。主役の私が中止と言うのは難しくなり、八十八歳十ヵ月のじいも、傘とつえを手に決行し、見事に登頂を果たした。
 展望台で、用意してきた七千回記念の自作ポスターを囲んで、十人と犬一匹の集合写真を撮った。雨の音さえ、祝いのささやきに思えた。帰宅してからは祝いの宴。みんなのおかげですしやケーキが振る舞われ、記念品にと鉢花もいただいた。孫からは表彰状も賜ってしまった。
 これこそ、この世の極楽というのであろう。感謝の気持ちを込めて、用意していた便箋三枚半の作文「登頂七千回をありがとう」を、息子と娘の夫婦に手渡した。無論のこと、言わずして語るは、妻への「ありがとう」である。”(5月28日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の市川さん(男・88)の投稿文です。市川さんをこの「話・話」で紹介するのはこれで多分4度目である。すでに45話、1888話、1944話で紹介している。45話の時は75才、3000回であった。今回は7000回、88才である。88才で毎日12kmのウォークである。この運動量といい、この継続といい、ボクには全く凄いことに思われる。この継続がこの元気さを保つ起因であろう。又元気だから継続もできるのである。家族にとっても誇りであろう。それがこのような記念登山になった。文章から家族円満が読み取れる。家族円満は何よりの力である。それにしても世の中には全く凄い人がいる。それも結構埋もれた中にある。
 ボクにまだ遅すぎるということはない。今まさに余生に入り、過ごし方を模索している状況である。これからと言っていい。目立つことでなくていい。ウォーキングも候補に入っている。そして、先日から始めた。まだ4回であるが・・・。新しく始めたことで比較的よくやっているのは中日新聞の「平成のことば」の書き写しである。一番は畑仕事である。花畑を増やし、少しきれいにし始めると切りがない。この時期である。草の生えるのは全く凄い。取っても取ってもすぐに生えている。いろいろ試行しながら、継続できることを決めたい。市川さんは一つの目標である。

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(第2629話) 飼い主の姿

2018年06月15日 | 出来事

 “早朝、車で農道をゆっくりと走っていたときのことだ。三十歳を過ぎたと思われる普段着の男性が中型犬を散歩させていた。犬は電柱のそぱで用を足し、その後、男性は白いタオルのようなもので、用を足した辺りをごしごしと拭き始めた。誰かが見ているわけでもないのに、とても丁寧に拭き取っていた。
 私は昔犬を飼ったことがあり、散歩のときの犬のふんは袋に入れて家に持ち帰っていたが、おしっこを拭いたことは一度もなかった。この男性のように拭いている人をこれまでに見たこともなかった。
 私はすがすがしい気持ちになった。男性は日常生活でもいつも誠実で、人に好かれる性格なのだろう。勝手に想像を膨らませた。”(5月24日付け中日新聞)

 愛知県西尾市の主婦・内田さん(78)の投稿文です。ボクの家の周りは田畑であるので、犬を散歩させている人は多い。そして、犬の糞尿の始末はどうしているのだろう。一部の人であろうが、全くひどいものである。尿どころか糞さえ、道路に置いたままである。ボクの畑の中でわざわざさせている人さえいる。ボクは市から「糞はお持ち帰り下さい」の看板を借りてきて、貼りつけた。効果はほとんどなしである。
 尿でもそのままにされたら、雨が降るまで消えない、結構目立つものである。この男性はそれを知っている。それで拭いていたのだろう。ボクはペットボトルに水を入れて持って歩き、それで流したらいいと思う。飼うのは自由だが、人を嫌にさせる行為は止めて欲しい。ボクは犬を飼っていない。それだからより気になるのだろうか。

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(第2628話) 手紙っていいな

2018年06月12日 | 出来事

 “「緑、緑の季節ですね」。友人から手紙が届いた。彼女の文字のぬくもりは、若葉の森と若葉の匂いを運んできたようだった。私と手紙との出会いは、今から六十年くらい前。転勤族の父を持つ私が転校するとき、担任の先生が「どこに行っても居場所は知らせてな」と言ってくださり、級友や先生との文通が始まった。
 転校のたびにペンフレンドが増えていった。手紙をポストに入れたときの響きも好きだ。手紙には三年前亡くなった母も、転勤で始まる生活を支えられていたようだった。手紙がミカン箱に三つ、物置に残されていた。整理していたらい小学一年になった私に、三年生のいとこから「しっかり勉強してください」などと書かれた手紙が出てきた。私の学校生活を心配してくれた気持ちと言葉が、私を見守ってくれていたようでうれしかった。
 セピア色になった手紙を彼女に送った。「ありがとう。おばさんは何回も転勤したのに、ずーっと取っておいてくれたんだね。感激したよ」と返信があり、思いがけない手紙の存在はその後、電話でも話が弾んだ。手紙を出せる人がいて、手紙をくださる人たちがいる幸せに、手書きの手紙の良さをしみじみ感じるこのごろだ。”(5月23日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の主婦・長井さん(69)の投稿文です。何十年も前の手紙が保存されていた。それも転勤族である。転勤する度にいろいろなものを処分していったであろう。でも手紙は処分されなかった。何十年も前に送った手紙を見せられた。送った人には本当に驚きだろう。それだけ自分を大切に思っていてもらった証しである。感激もするだろう。思いがけないものが残されているとこうした感激を味わうこともある。ボクも結構古いものを残している。探せばそんなものも出てくるかも知れない。
 妻は結構手書きで手紙を書いているが、ボクは手紙を書く機会は全く減った。それも書いてもパソコンである。そして手書きの手紙をもらうことはほとんどなくなった。時代の変わり様を本当に実感する。スマホで、インターネットで文字のやり取りもたやすくなった。手紙のように何日も待つこともなく、瞬時である。こうして考えると、手紙ばかりでなく、待つということも少なくなった。せっかちになった。これが進歩ということであろうか。

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(第2627話) 傘の持ち方

2018年06月10日 | 意見

 “私は電車通学をしているが、駅を利用する人の傘の持ち方が気になっている。長い傘を閉じた状態で持ち手を握ったまま歩くと傘の先が地面に当たるからか、持ち手の少し下を握っている人をよく見る。そのまま腕を振って歩けば手にした傘が前後に大きく揺れ、傘の先端は後ろを歩く人の腰の高さぐらいになる。私はそんな光景を見るたび、「当たるんじゃないか」と心配になる。
 駅の階段を上っていたら、こんな持ち方をしている人が私の斜め前を歩いていた。私の横には母親に手を引かれた五歳ぐらいの女の子がいた。前を歩く人の傘の先端が女の子の目の高さになることもあった。
 私自身、傘の持ち方を学校で教わった記憶はなく、先生には「傘の先を引きずらないように」としか言われなかった。でも人のふり見てわがふり直せだ。他人を傷つけかねないことは戒めないと。こんな少しの思いやりがあれば、皆がもっと気持ち良く過ごせる社会になるはずだ。”(5月22日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の大学生・戸田さん(男・21)の投稿文です。これは電車通勤していた時、ボクもよく感じていたことである。特に昇り階段では大人にも非常に危険である。傘の先がちょうど目の前に来るのである。トラブルはないだろうか。最近は被害でも受けない限り、注意する人は少ない。ボクも言ったことはほとんどない。言って何を言われるか分からない社会である。良いと思ったことでトラブルになることもある。本当は言わねばいけないのだろうが、避けている。
 同じようなことでエスカレーターのかけ上がりがある。これも全く危険なことである。少し触れたら転倒さえある。これこそ被害は一人で済まない。「歩かないでください」と書いたあるのに、ほとんどが全く無視である。そして歩かない人は、片側を空け、列を作って待ってエスカレーターを利用している。これについては、ボクは空いている方をさっさと利用することにしている。そして歩かない。歩こうとする人は当然歩けない。意地悪と思えるような行為であるが、人の安全のためである。ボクはこれを通している。まだ誰からも文句を言われたことはない。皆、歩いてはいけないことを知っているのだ。

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(第2626話) 奥深い川柳

2018年06月08日 | 活動

 “図書館で目にしたチラシの「初心者歓迎」に背中を押され、川柳教室に通い始めて五年が過ぎた。本紙「時事川柳」に教室の仲間や知人の句が載っていることがあり、競うつもりはないが少しうらやましく思う。
 難しそうな俳句や短歌に比べ、川柳は初心者でも何とかなると軽く考えていたものの、思ったより知恵が必要で四苦八苦している。私が通う教室では経験豊かな講師の指導を受けながら、人間模様や社会風刺を題材とした渾身の一句を紡ぎ出す。自分の句が選ばれて講師から読み上げられるときほど晴れがましいことはない。誰がの句が読まれると教室の皆が笑顔で名前を呼び合う。最近は私もたまにだが、選んでもらえるようになった。
 人生を一日に例えると私も夕日が傾き始めた年齢となり、知恵の泉はかれつつある。が、「継続は力なり」を信じて日が落ちるまで詠み続けたい。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県幸田町の加藤さん(男・75)の投稿文です。ボクは川柳を始めてもう35年以上になる。ホームページ「川柳&ウォーク」の主柱である。川柳をやっていなかったら、ホームページは無かったかも知れない。生き甲斐の主柱かも知れない。いたずら心から始まったことであるが、やって非常によかった。何がどうなるか、分からないものである。
 加藤さんは5年前から始められた。こうして投稿文を書かれるほどになった。ボクは川柳の捉え方や技術についてどうこう言うつもりはない。一人一派と言われるほど多様である。でも、創造的活動である。それは川柳でも俳句でも、短歌でも他の文芸でもいい。こうしたものを一つ持つことは人生の潤いである。続けることによって自信にもなる。更に知能を使うので、頭の活動、ボケ防止にもなろう。是非勧めたい。

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(第2625話) 青春の仲間

2018年06月06日 | 人生

 “~赤い夕陽が校舎をそめて・・・五十五年前に歌手舟木一夫さんが歌って大ヒットした「高校三年生」は昭和を代表する名曲だと思います。そのとき、私はちょうど高校生になったばかりで不安もいろいろとあって、この曲には本当に勇気づけられました。
 歌詞から連想される風景は田舎の小さな学校です。木造平屋の校舎で学ぶ生徒は一学年一クラスで、運動場には鉄棒やテニスコートがあり、真っ赤な夕日が校舎を照らす様子が目に浮かびます。私が通ったのもそんな高校でした。田舎に生まれ育って不便なこともありましたが、忘れがたいたくさんの思い出と、三年間一緒に学んだ友の顔が次々とよみがえります。
 古希の祝いをかねて六月に高校の同級会が開かれます。この曲の歌詞の一節、「クラス仲間はいつまでも」の通り、おじいさん、おばあさんになっても私たちの交流は続いています。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・川松さん(70)の投稿文です。舟木一夫は一宮市出身、ボクと同年代である。ボクらがカラオケとなると、毎回のように誰かが「高校三年生」を歌う。誰も歌わなければボクが歌う。そしていつも合唱になる。本当にボクらにはいい歌である。
 ボクは大学時代、自転車でよく旅行をしていた。地元の人と話して、一宮市と言っても分ってもらえない。舟木一夫の出身地です、と言えばすぐ分かって貰えた。舟木一夫の売り出し中の時代である。一宮市を全国区にしたのである。泊まりはほとんど寺院などで、ただで泊めて貰らった。舟木一夫で随分得した気がする。
 ボクは、小中学校の同窓会は毎年のように開くが、残念ながら高校の同窓会はほとんど開かれていない。小学校は今年1月に開いたし、中学校はまもなくの6月10日に開くことになっている。老いたら同窓会はますますよくなる、大切な場所になる。いつまでも出かけられるようにしていたいものだ。

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(第2624話) 手帳

2018年06月04日 | 人生

 “「こないだ、見つけてねえ」。母が一冊の手帳を出した。紙は相当傷んでいた。「じいちゃんのだよ」。母の言葉で開く手が止まった。祖父は他界している。手帳は祖父の出征の記録だった。見覚えのある字で書かれている。めくるうち、私は覚書に目がくぎ付けになった。「昭和十九年七月十六日宮古島着」「昭和二十年八月四日マラリア」「昭和二十年十一月十七日陸軍病院退院」つまり祖父は、「鉄の暴風」が吹きすさぶ沖縄で戦っていたことになる。そして重病にかかり、戦線を離れた。
 母は戦後生まれである。祖父が生還しなかったら、私は存在していないという当然の事実を、いきなり手帳から突きつけられがくぜんとした。私は社会科の教師で、沖縄戦は何度も授業で扱った。解説がどれだけ教科書的だったかを思い知らされた。人ごとだった戦争が、私ごととして強烈に迫ってきた。次の夏、授業に手帳を持ち込んだ。生徒に見せ、顛末を話した。
 「先祖が必死に生き抜いた結果、私やあなたたちの命が存在することは間違いないです。だったら、継いだ命として、自分の命を扱わなくてはと思うよ。だから、命を壊す戦争や行為は、それこそしたらいかん」伝わっているといいが。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の教員・杉田さん(女・42)の投稿文です。重い話である。そして大切な話である。人は誰一人として一人では存在しない。杉田さんの言われるとおり、先祖があって、親があって自分があるのである。これは最近ボクもよく言うことである。墓終いなど先祖と縁を切る話が多い世の中である。自分一人で生まれ自分一人で育ってきたと思うと、傲慢になったり、命を粗末にすることにもなる。自分は自分一人ではないことを意識して、自分の命も他人の命も大切であることを心しなければいけない。
 実はこの話は、ボクにもあるのである。父も戦争に行って、左小指に球が当たり負傷した。そして、病院に入院した。その後遺症で父の小指は生涯曲がらなかった。杉田さんのお祖父さんのように、これでもう戦争に行けなくなって命が助かったのか。ボクは昭和20年9月生まれである。考えればそんな気がしてくる。
 しかし、これ以上のことは知らない。もっと聞いておけばよかったと、今になってつくづく思う。もっと聞いておけばこの話ももっと書けるのに、これ以上書けない。これも父のことをあまり思っていなかった結果である。気がついた時には遅いのである。

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(第2623話) カット売り 

2018年06月02日 | 人生

 “コンビニでデザートの棚を見ていたら、皮がむかれ、カットされたりんごが目についた。1パック148円。1個買いより少し高い。店員に「どういう人が買うの?」と聞いたら、「若い人も、お年寄りも」と、こともなげに答える。
 スイカやメロン、パイナップルなどのカットフルーツを売っているのは知っていたが、りんごまでとは気付かなかった。りんごは当然自分で皮をむき、食べきれないときは、茶色くならないよう塩水につけ、冷蔵庫に保存するものと思っていたから。りんごは風邪をひいたり、疲れたりしているとき、急に食べたくなる。子どもの頃、病気をすると、いつも母親がりんごをすりおろしてくれた。その甘酸っぱい味が、記憶に残っているせいかもしれない。
 私は、りんごの皮をむく一手間を惜しめば、自分の料理の決め事がどんどん崩れていくような気がする。すぐに出来合いの総菜も、サラダも買いたくなるに違いない。料理をするときの手先の細かい作業は、ボケ防止にも役立つと聞く。私は自分が料理が出来なくなるまでカットされたりんごは買わないと改めて決心した。”(5月17日付け朝日新聞)

 東京都の牧野さん(女・73)の投稿文です。ボクの家の前にコンビニがこの5月に開店したことは先日の「話・話」で書いた。外へ出れば見たくなくても目に入るが、車が駐車していない時がない。こんなにも利用客は多いのだとびっくりする。ボクはまだコピーに2回行ったくらいで、何も買い物をしていないが、先回どんなものを売っているか、見て回った。弁当より単品の惣菜が多いことに驚いた。牧野さんも驚かれるのが分かる。先日同級生の女性数人と話をしていた。「男性はいまさら料理を勉強することはないですよ。コンビニで買い物ができれば十分ですよ」と言われてしまった。回ってみてなるほどと頷く。ボクは料理は全くできない。こうなれば、できたコンビニが閉鎖されないことを祈るばかりである。
 リンゴに塩を付けておくことはボクも知っていた。一つのリンゴを大切に食べた時代である。一度に食べきることは少なかったであろう。半分は残して置いた。そんな時の知恵だったと思う。
 「りんごの皮をむく一手間を惜しめば、自分の料理の決め事がどんどん崩れていくような気がする」と、牧野さんは言われる。この理解は賢明だと思う。こんなことくらい、一つくらいと思ったところから大きく崩れていく。人間は生来怠け者である。楽を覚えるとすべてがそちらに傾いていく。牧野さんも時間はあろう。手仕事を楽しんで欲しい。

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川柳&ウォーク