ha1805

第168号  2018年5月


 

(第2622話) 人徳積む

2018年05月31日 | 活動

 “昨今、自分さえ良ければいいといった自己中心的な風潮が社会全体でどんどん広がっている気がする。PTAなどの役員になりたくないという話はよく聞く。役員や係をやって何らかの得があると耳にすれば手のひらを返したように関心を示すが、何もなければ引き受けたくないという人が多いようで残念だ。
 私は最近ある団体で無報酬の仕事を後任に引き継いだ。そのとき、後任から「何か得なことがありますか」と聞かれた。私は自信を持って「ある」と即答した。この仕事を務め上げれば有能な人材と認められるはずで、周りからの評価は上がる上、自らもさまざまな問題への対処能力もつくからだ。それに何より、人徳はお金では買えないのだから。”(5月16日付け中日新聞)

 滋賀県近江八幡市の僧侶・西沢さん(男・69)の投稿文です。地域の役員について以前から触れていたが、昨年度、老人クラブ連合会長を務めてからはより触れてきたと思う。PTAなどの役員は、くじ引きなどなんとか方法を見つけてやってきているようだが、老人会は役員の引き受けてがなくて潰れていく深刻さである。これは平成25年度老人クラブ長の後任を見つけるときの話だが「何か得なことがありますか」と聞かれたことがある。その時ボクは「社会に奉仕できる」と答えたことがある。もちろんこの言葉で引き受け手は見つからない。この文を読んで「評価が上がる」と答えたらどうだったろうか、と思った。損だ、得だという人に「評価が上がる」ことは、得と考えられないだろうか。実利的得を考える人に、評価は得にならない気もするが・・・・。ボクは「人間70になって損だ、得だということか、もっと広く見ろ」とうそぶいているが、実際はなかなか難しい。でもやってみると、本当に徳になることは多い。どれだけたくさんの人を知り世間が広くなったことか。そして、又いろいろな頼み事を受ける。お陰で老人に必要な「今日行くところがある、今日することがある」が可能になる。
 と言いながら、実は困惑してきた。いよいよ暇な時間が多くなりそうである。今まで勤勉であった分、暇に慣れていないのである。これからの過ごし方を組み立てねばならない。

コメント

(第2621話) マタニティーマーク

2018年05月29日 | 出来事

 “久しぶりに早い時間帯の電車で大学へ行った日のことだ。早い時間帯は駅のホームで通勤途中と思われる一人の妊婦とよく同じ列に並ぶ。女性がマタニティーマークを付けていることに私が気付いてから数力月。おなかも大きくなり、見るからに歩きにくそうだ。
 新学期で車内は満員だった。「妊婦は座れただろうか」。そんな私の心配もむなしく、マタニティーマークをかばんに付けた女性は優先席の前に立っていた。優先席には学生とみられる若者が座ってスマートフォンを操作していた。私は少し離れたところにいたため、スマホに夢中になっていた若者に顔を上げるよう、促すことができなかった。もちろん座っている若者も外見からは分からない病気を患い、けがをしているかもしれないが、健康なら自分の周りに目を向けてほしかった。
 妊娠中や内部障害などがあることを示す各種マークが普及してきている昨今なのに、社会の理解はまだまだだと思った。”(5月15日付け中日新聞)

 名古屋市の大学生・継岩さん(男・21)の投稿文です。何歳の人の意見かとみれば、若い男の人の意見である。こんなことを投稿する人もあるのかと、感心して取り上げた。感心するのは、ボクの偏見かという気もするが、でも電車の優先席にずらりと並んだ若い人をいつも見てきたボクには、こう言わざるを得ない。
 マタニティーマークに限らず、体の不自由な人にはいろいろなマークが作られている。少し調べて見ると、出てくるわ、出てくるわである。知っている物より、知らない物の方がずっと多い。関係者が知恵を絞って作られたのだろう。作った後は知ってもらい、気遣いしてもらうことである。このマークに配慮しなければならない人は、当人ではなく一般人である。それだけに周知することは難しい。妊婦さんなどは、ある程度になれば見れば分かる。盲人なども見れば分かる。マークなどなくても、気遣いしなければいけない。マークが本領を発揮する時は、見ただけでは分からない時である。人に要求することは難しい。近くの人の気遣いが大切である。これができるのが優しい社会である。そんな社会が来ることを願ってやまない。

コメント

(第2620話) コンビニ開店

2018年05月27日 | 意見

 “酒類とたばこを売る店を亡き夫と営んでいた三十年前、「この店をコンビニにしませんか」と若い男性営業マンが訪ねてきました。「酒店なら業種転換と同時に酒類を扱える」と熱心に勧めてきましたが、話を聞いているうちに自分の店が自分のものでなくなるような気がしました。
 その雑談で彼の両親も古里で酒店をしていることが分かりました。「ご両親にコンビニ経営を勧められますか」と尋ねたら、「それはちょっと」と口ごもったので私は驚きました。仕事とはいえ、自分の親にもさせたくないようなことを他人に勧めるのはどういう訳でしょう。結局私たちは誘いを断って商売を続け、自分たちが高齢になった十年前に店を閉めました。
 コンビニに転向したかつての同業者の中には「二十四時間営業や本部との契約が厳しい」とこぼす人もいました。コンビニがたくさんでき、昔ながらの小売店が減っている昨今、地域の人同士の交流は確実に少なくなって寂しい限りです。”(5月14日付け中日新聞)

 三重県松阪市の石原さん(女・76)の投稿文です。コンビニはどこまで社会を席巻するのか、びっくりするほどである。実はボクの家と道路を挟んだ対面にこの5月からコンビニが開店した。近々近くにもう2件が開店する予定であり、ボクの家の約1km範囲に5件あることになる。これは少し特殊かもしれないが、全くすさまじいものである。
 30年前と言えば、今から見ればまだコンビニの草創期であろうか。少し調べて見ると、全国のコンビニ数は1983年6300件、2015年57800件とある。約10年で9倍の増え方である。この営業マンのような人が頑張ってきたのであろう。そして、便利なのであろう。でもボクには不満や疑問がある。こうしたコンビニは地域とのつながりが全く希薄である。既存の店舗が廃業し、ますます地域力が落ちていく。石原さんが言われるとおりである。地域にもっと溶け込んで、地域に頼もしい店であって欲しい。そして24時間営業である。ボクに採算性は分からないが、ほんの一握りの利用者のために夜中も開く必要があるのだろうか。労働条件は過酷であろうし、社会的にも良いと思えない。本当に必要な人以外、夜中は寝るべきである。この営業マンが「自分の両親に勧めますか」と問われて口ごもったことがすべてを語っていると思う。会社経営者など社会のリーダーは、要望があれば何でもやるではなく、より良い社会になるよう、取捨選択してやって欲しいものである。便利にはなっているものの、社会は劣化の一途の気がしてならない。

コメント

(第2619話) 余命告知

2018年05月25日 | 意見

 “私は余命告知をすべきだと思います。自分があとどのくらい生きられるかを聞いておけば、行きたいと思っていた全ての所に行ったりおいしい物を食べたりして残りの人生を楽しめるからです。
 私の祖父が、がんと診断されたとき、「余命はあと半年もつかもたないか」と医師から言われました。祖父はお酒が好きで、いつも「お酒が自分の生きがい」と言っていて、病気になってからもお酒を飲むことはやめませんでした。祖母は祖父に少しでも長く生きてほしかったので体に良いとされる温泉によく連れて行っていました。病気になる前よりも、余命を知らされた後の方が祖母は祖父を大切にしていたような気がします。
 誰でも病気にはなりたくありません。でも病気になって初めて身近にいる人の存在の大切さが分かるのではないでしょうか。余命を知ってつらいこともあるでしょうが、残された時間をどのように使うかをじっくり考えることができます。だから私は余命の告知は大切だと考えます。”(5月11日付け中日新聞)

 岐阜県瑞浪市の高校生(女・16)の投稿文です。高校生なのに難しい課題に挑まれたものである。これに感心して取り上げた。これもお祖父さんという身近な人の例があったからであろう。身近なところで起きた問題は、その人に及ぼす影響が大きい。若い内に人の死を見せるべきだ、という話もある。
 さて、余命告知であるが、最近は告知されることが多いと思う。昔はガンと聞けばもう死ぬものであったが、今ではかなり治せるし、余命も伸びている。また隠そうと思っても、情報が多く、知られるところとなってしまう。変な疑心暗鬼を覚えさせるより、キチンと伝えて対応してもらった方がいい、と言う時代になったと思う。最近は隠されたという例をほとんど聞かない。この問題はもう過去のことの気がする。
 もう30年以上前のことになるが、ボクの父の時は告知されなかった。父は胃がんであったが、すぐにボクが呼び出され、あと半年と言われた。父は痛みは全くなく、ずっと治る気でいたと思う。最後頃、気づいていたかどうかは分からない。お互い、命のことは全く話題にしなかった。1年半ほど生き、静かに亡くなっていった。ボクと父の関係にはいろいろ問題があったが、闘病中のことに悔いはない。ただ悔やまれることは、もっといろいろなことを聞いておくべきだった、ということである。父の生い立ちなど、よく知らないままだった。

コメント

(第2618話) 宿題 

2018年05月23日 | 活動

 “「宿題やってきた人、手を挙げて」と先生。「はーい」と二十三人が一斉に手を挙げる。町内の地域交流センターである「童謡を楽しむ会」の教室でのこと。三月には恒例の「仰げば尊し」を歌った。生徒は三年生もいるし、二十一年生もいる。平成十年に発足した。私は二十年生になった。
 「宿題は何でしたか」。「『犬のお巡りさん』を覚えてくること」と二、三人が答えた。「一番、二番、本を見ないでね」と先生。会の皆は暗唱して大きな声で歌えたようだ。顔
らないように歌います」と今後の抱負を発表された。私たちは「七十代で若い人、うれしいねえ」と苦笑いだった。
 今日の課題は「からすの赤ちゃん」。一番、二番の暗譜、三番、四番は歌詞をよく読んでくること。会員は脳トレの効果もあるので、ほとんど宿題をする。子どものころ、宿題は必ずするものと教わった。
 先生が「他の会では自主練習もしていますよ」と言う。宿題だけする子と、自主練習をする子の学力に差があったことを思いだした。宿題だけでは進歩がない。先生に後押しされた四月の一回目の練習日だった。”(5月9日付け中日新聞)

 岐阜県揖斐川町の主婦・国枝さん(73)の投稿文です。「童謡を楽しむ会」・・・この言葉に唸ってしまった。ボクは昨年「童謡に親しむ会」を催したのである。ホームページの随想でも紹介したが、老人クラブ連合会長をしていた昨年、世代間交流事業として初めて童謡を歌う事業を企画したのである。昨年12月に230人の参加者を得て中学校の体育館で童謡を楽しんだのである。この催しの中心になってくれたのが、老人クラブ連合会の傘下にある「童謡を歌う会」である。この会は国枝さんが参加されている「童謡を楽しむ会」とほとんど同じような会である。ボクは数回様子を見ただけなので詳しくは分からないが、皆さん、非常に熱心である。参加希望者が多すぎて、今年度から会場を変え、参加者も80人に増やしたと聞いている。そして全員女性である。我々世代に童謡はいい。素朴だし、馴染んだし、歌いやすい。高齢者に全く好都合だ。参加者が多いはずだ。ボクも参加したいくらいだ。国枝さんのところはもう21年も続いているという。我が町内の会はまだ数年である。続いて欲しいものだ。

コメント

(第2617話) 弁当

2018年05月21日 | その他

 “私が中学生の時、家の隣に駐在所ができ、本署勤務で駐在業務も兼務する刑事さんが赴任されました。この方は私が高校生のころ、本署勤務のみになり、市の中心部につながる幹線道路沿いに転居されました。
 高校に通うのに私を含め皆その道路を通りました。警察署は市の中心部に近い幹線道路沿いにあり、月に一度か二度、刑事さんの奥さんに、「夫に弁当を届けてほしい」と頼まれました。私が家の前を通るころを見計らって、門の前で呼び止め弁当を渡されます。届けるだけなら別に何とも思わないのですが、嫌なのは届け先が警察署だということです。
 ちょうど通学の時間帯。多くの男女高校生が自転車で登校しているときです。署の前に自転車を止め、中に入っていく姿を変な目で見られているような気がします。友達からも「おまえ、何か悪いことをして、警察に呼び出されたのか」などと言われました。内心では、その奥さんに「もう少し早く起きて、出勤に間に合うよう、弁当を作ればいいのに」と思ったものでした。
 そんな忘れもしない思い出のある、その刑事さんの長女が、今の私の妻です。”(5月3日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の生方さん(男・75)の投稿文です。小説のように思いがけない結末に、嬉しくなって紹介した。人生、何がどうなってどうなるか分からないもの、人間万事塞翁が馬である。ひょっとして刑事さんの奥さんは、こうなることを願って仕組まれたのではないか、聞いてみたいものだ。いや、読むほどにそんな気がしてくる。月に1、2度である。何も隣の高校生に頼むことはない。届ける方法はいくらでもある。奥さんにしてみれば、してやったりではなかろうか。
 人の出会いは全く面白い。思い出せばいろいろあるが、ボクの最近の出来事を紹介してみる。ボクは今年度から千秋歩こう会の役員を務めている。支部長がボクの他に3人いる。ところがこの3人の配偶者、又本人が妻の以前からの知り合いであったのだ。一人の人の奥さんは公民館役員で、もう一人の奥さんはPTA役員で、もう一人は女性で本人だが、その人とは料理教室で一緒であったのである。そこへ遅がけにボク一人がのこのこ加わるのである。こんなことを知れば当然のようにすぐ親しくなる。まさに女房の功績である。これも出会いである。誰が仕組んだのか知らないが、人生の妙である。生方さんも仕組まれたのである。奥さんか、神様か知らないが・・・・。

コメント

(第2616話) 草餅

2018年05月19日 | 活動

 “毎年春になると、自然の摂理にかなって、野山の木々は芽を出し、花を咲かせる。草までも勢いよく伸びてくる。そんな中、ウォーキング中に目にするのがヨモギの芽。これが目にとまると、草餅を思い、わくわくして居ても立ってもいられない。
 私はあまり食べないのに、どうしても摘みたくなってしまい、今年も行動を開始した。夫の大好物なのだ。義母亡き後三十数年、欠かしたことはないのだが、近年は何をするにも動作は鈍く、おっくうになってきた。毎年、もう今年限りと言いつつも、やっぱり一念発起して作ってしまった。
 摘んできたヨモギは丁寧に洗い、ゆがいてミキサーにかけ、もち米と一緒にこねる。あんこの準備もせねばならない。去年までは自作の小豆があったけれど、今年は既製品ですませた。ご先祖さまに「今年もできましたよ」とお供えし、嫁いだ娘にも毎年のごとく送った。孫も欲しいと言うので送り、知人にもお裾分け。嫌いというわけでもないが、あまり食べたいわけでもない。それなのに草餅を作る第一の目的は、夫がむさぼるようにうれしそうに食べるのを見るためだ。そんな夫を見ることが、私の何よりのごちそう。何とも幸せを感じる。”(5月2日付け中日新聞)

 滋賀県長浜市の主婦・沢村さん(78)の投稿文です。ヨモギを見つけると、摘んできてヨモギ餅が作りたくなると言う沢村さん。義理のお母さんから受け継ぎ30数年、もうおっくうになってきたが、喜ぶ家族を思い出すと止められない。特にご主人の喜ぶ姿に、幸せ感さえ感じられる。これが料理を作る主婦の姿であろうか。これはもう沢村家の家風である。しないと何かし忘れた気がして落ち着かない。さぼった気がして罪悪感さえ持つ。そういうものがそれぞれに家にはあるのである。
 ボクの子供の頃は、毎年ではないが、わが家でもヨモギを摘んできて、ヨモギ餅を作っていた。今思い出すに、働く以外にあまり何もしなかった両親にしては、よくこんな手間がかかることをしていたな、と言う気がする。働く以外の姿で何を思い出すのだろう。数少ないと思う。そんな両親であったし、そんなボクの子供時代だった。今は本当にいい時代だ。妻は餡の入った草餅が大好きで、ボクは先日、西国観音巡りに出かけた折草餅を買ってきた。

コメント

(第2615話) その先にゴール

2018年05月17日 | 活動

 “八年前のこと。名古屋市緑区の加藤那律さん(三九)は乳がんと診断された。幸い早期で発見できたため、手術し、経過を見ることになった。ところが、四年後に再発。二度目の手術をした。その二年後、今度は肝臓に転移していることが分かる。ショックではあるが、今も治療に前向きに取り組んでいる。その力の源となるのが、マラソンだった。
 加藤さんは元々、長距離を走るのは苦手だったが、友人に勧められマラソンを始めた。がんの治療を始めた後のことだった。走るのは苦しい。でも、頑張ればその先に必ずゴールがある。つらい治療と重ね合わせ、病気の克服へと向き合う手助けになると信じて。
 そのかいあり、昨年三月、名古屋ウィメンズマラソンに参加した。スタート時点から感じていた股関節の痛みは、走るにつれ増していく。二十キロ地点で走れなくなり、足を引きずって歩くようになった。そんな中、支えてくれたのは応援者だった。両親、職場の仲間、高校の恩師、同じ病気の友達が沿道から声援を送ってくれた。そしてゴール! 制限時間のわずか五分前だったという。
 そのゴールで待ち受けていてくれたのが、主治医の先生だった。完走賞としてもらえるティファニーのペンダントを受け取ると、その場で先生にプレゼントした。「それが目標でチャレンジできたので、借しいと思うより本当に感謝の気持ちを込めて渡した」という。ところが数カ月後、予期せぬことが・・・。
 事情をすべて知っている勤務先の上司が、米国ニューヨークに出張した際、ティファニーのペンダントを買って来てプレゼントしてくれたのだ。「治療をしながら働く環境を常に配慮してくれた方です」。それだけに感激ひとしおだった。”(4月29日付け中日新聞)

 志賀内泰弘さんの「ほろほろ通信」からです。ほろほろ通信とこの「話・話」の目的は共通するところが多く、もう何度もこの「話・話」に活用させて頂いた。今回が最終回と記されていました。十二年間に渡って連載されたと言われる。身近な良い話をたくさん発掘して頂いて、ご苦労さまでした。その最終回ということで、少し長いですが全文を紹介させて頂いた。
 若くしてガンを発症、その後治療をしながらマラソンを始められた。苦しい時に苦しいマラソンをするなんてことはなかなかできることではないが、それによって自分を鼓舞されたのだろう。周りの人もその姿勢に共鳴され、多くの支援をされたのだろう。そして昨年、名古屋のウィメンズマラソンに参加し、フルマラソンを完走された。ガンと聞いて意気消沈し、意欲を失う人も多いだけにこれだけでも凄いことである。そしてその後の話が麗しい。こういう話の展開になるのも、加藤さんの人柄がなせる技であろう。
 今マラソン人口は凄い。ボクも30代、40代の頃走っていた。まだマラソンの始まりの時代である。毎年10回程度市民マラソン大会に出ていたが、第1回大会に参加というも数回あった覚えである。マラソンと言うより10km程度のジョギングであり、最大ハーフマラソンまでであった。それでもきつかった。ボクにはガンと闘ってするなんて、考えられない。

コメント

(第2614話) 何でもスマホ

2018年05月15日 | 意見

 “スマートフォンは便利で常に持ち歩いている。どこでも最新の情報を得ることができ、好きなスポーツ観戦やインターネットでの買い物をついしてしまう。私は公共料金などの利用明細もスマホ上で管理していてペーパーレスを実践しているが、毎月自分で能動的に確認しなければならない。こうしてスマホに蓄積されている各種データはもちろん、個人認証のためのIDやパスワードなどの管理には細心の注意を払っている。私が突然病気で倒れたら家族は手順が分からずに困るかもしれない。
 思えば携帯電話が今ほどはまだ普及していなかったとき、親しい人の電話番号はしっかりと暗記していたのに、いつしか「スマホを見れば済む」として覚えようともしなくなった。紛失や破損などでスマホが使えなくなったら・・・。考えるだけで焦ってくるが、便利さの裏には不便さがあることをちゃんとかみしめないと。”(4月19日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・菅安さん(54)の投稿文です。インターネットやスマホは全く社会を変えてしまった。使えない人から見るとあまり感じないかもしれないが、使える人から見たら全く違う。使っている人が使えなくなったらもう生活ができない、と思ってしまうのではなかろうか。道具の便利さは、人間の能力の低下と裏腹である。今では小刀も使えないし、薪でご飯も炊けない。スマホ頼りで、記憶力も衰え、字を書く能力も衰える。その分、もっと有益な能力を身につければ前進だが、それができなければ後退である。
 そして、インターネットやスマホは所詮道具である。使われてはならない、使うのである。ところが、使っている内に使われているのである。特にスマホはその傾向が大きい。使い方が簡単だし、どこでも手軽に使える。機能も大きい。それが菅谷さんの意見になってくる。何もかも自分で納めてしまう。その自分が使えなくなったら家族は手に負えない。クレジットカードなどはその通知のペーパーレス化を進めてくる。菅谷さんはそれに応じている。ボクはこうしたものには頑として応じていない。妻が全く分からなくなってしまう。ボクが使えなくなった時、妻に少しでも分かるようにしておく必要を感じるからだ。

コメント

(第2613話) 治水の遺徳

2018年05月13日 | 知識

 “江戸時代の木曽三川の治水工事に携わった薩摩藩士の遺徳をしのぶ例大祭が二十五日、岐阜県海津市の治水神社で営まれる。私は、今年も訪ねようと思っている。
 外様だった薩摩藩は幕府の命に従い洪水や疫病に悩まされながら工事を完了させた。鹿児島県出身の私は幼いときにそのことを知り、いつか先人が偉業をなした地に行ってみたいと思っていた。四十年以上前に初めてその地を訪れたとき、住民の高齢女性に神社の場所を聞いたら、「薩摩さま」と言って手を合わせた姿が今も忘れられない。
 現在海津市の一部となっている旧平田町の名は工事を指揮した薩摩藩家老平田靭負にちなんだという。住民の義理堅さには本当に感服させられる。”(4月19日付け中日新聞)

 愛知県知多市の外野さん(男・74)の投稿文です。木曽三川分流、薩摩藩士の史跡は海津市に近い愛知県、岐阜県、三重県では至る所にある。功績が非常に大きかったことと、その悲惨さであろうか。歴史は過酷ですね。権力を保つために、一方に無理を強いる。今の日本は大丈夫だろうか。何かそんな匂いがプンプンする。
 治水神社にボクは何度も行っている。一宮友歩会でも行っている。木曽川と長良川に挟まれた中洲に建つ。今も薩摩藩士の遺徳をしのぶ例大祭が行われているのですね。歴史に学ぶこういう行事は大切にしたいものです。今では橋を渡っていくことができ、治水神社の北側には国営木曽三川公園が整備され、一大イベント地区になっている。訪れる人も多くなったでしょう。治水神社を多くに人に知ってもらいたいものです。
 一宮友歩会では史跡を訪ねることを大きなテーマとしている。今年から三重県編を始めた。数年後には桑名市へも行くだろう。桑名市には海蔵寺という薩摩義士の墓所がある。歩いてたくさんの歴史を知りたいと思っている。

コメント

(第2612話) 公園デビュー

2018年05月10日 | 活動

 “思い付きで、地元の運動公園へ隣組のおばあさん四人で桜を見にいった。腰がふにゃふにゃいっている八十六歳、神経痛で足が痛い痛いと言っているしっかり者の八十四歳、おしゃべり上手で足が痛い、腰が痛いと常に言っている七十七歳、リンパ腫の病を持つ八十歳の私。それぞれ病と個性を持つ四人。八十六歳のおぱあさんから「桜を見に行こう。おにぎりか日の丸弁当を持って昼食を食べよう」との電話。他の二人にも連絡した。
 自由な身のものばかり。十時半から、順次誘って公園へ。老人車を押すもの二人、つえの世話になるもの二人。ツツジが咲いているなあ、チンチョウゲのいい匂いがするなあ、などと止まっては進み、進んでは止まりし、四十分ほどかかって到着した。汗をかいたがいよいよ昼食。弁当を食べ、各自持参のお茶でのどを潤し、話が始まった。昭和のころを振り返り、昔話に花が咲き、時には泣きそうになり、時には笑ってと話は尽きない。
 「もうそろそろ帰ろうか」。四時を合図に、来た道をぼつぼつと帰った。いつも出会っているのに、いろいろな話をして楽しかった。「今日の公園デビューを機に、また誘い合って来ましょう」と別れた。”(4月18日付け中日新聞)

 滋賀県東近江市の藤田さん(女・80)の投稿文です。公園デビューとは幼い子を持った母子のことを言うのであろう。若い人の話と思いきや、80歳前後の老婆4人である。老婆というと叱られるかもしれない。こんな言葉を使うことやその感性は若々しい。故障もあるようだが、こうして老いていく姿は生き生きしている、好ましい姿である。要は気持ちと行動である。
 ボクは喫茶店デビューを狙っている。もう何度も書いたが、ボクは昨年から地元の歩こう会とグラウンドゴルフの会に入った。ボクは終わるとすぐに帰っていた。それ程のんびりしている余裕はなかったのだ。皆さんはその後ほとんどの人が喫茶店に行かれる。喫茶店に行く機会のために集まっている感じさえする。喫茶店文化は尾張の代表的文化である。特に一宮はモーニングコーヒー発祥の地を謳っている。5月に入りボクの用事も一段落し、余裕が見えてきた。そろそろ喫茶店デビューである。仲間に入れてもらえるように声もかけている。軽い運動をして、コーヒーを飲みながら雑談をする。こんな時間を持って過ごせばこの4人組に負けないだろう。

コメント

(第2611話) チャレンジ

2018年05月08日 | 活動

 “今年も春がやってきました。週末、予定ががら空きの次男と、岐阜の金華山に登りました。調べると、ロープウエー以外にいろいろな登山コースがあるようで、せっかくだからと歩いて登ることにしました。
 「どうする、どのコースで行く?」と聞くと、「まあ、おっかあの無理のないコースで」と次男。「はっ、私フルマラソンだって走れるんですけど。なめんな。自分の心配した方がいいんじゃないの」「はっ、俺大学のワンゲル部でアルプスだって登ってますから。なめんなよ」などと言い合いながら、まあまあきつめのコースを選択。岩や木の根っこでごつごつの斜面をよじ登りました。なんだか息がぜーぜー。そう感じさせないように登りましたが、何度も「大丈夫か」みたいに振り返る次男に、頼もしいような、ムカつくような。まだまだ負けませんよ。
 頂上は絶景。帰りはまた別コースで下りましたが、花が咲いていたり、ちらちら見える下界の景色、整備されすぎていない山道、とても楽しかったです。いつも下から見ていた天守、小さな山に魅力がぎゅっと詰まってました。やっぱり行ってみないと分からないね。今年は、こんな調子でいろいろチャレンジしたいな。”(4月16日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・吉田さん(女・52)の投稿文です。親子で金華山登山とはいいですね。金華山に登れば、頂上に岐阜城や公園があり、岐阜の街が一望である。また眼下には長良川も見え、素晴らしい眺望である。日課のようにして登っている人も多い。ボクのところからももさほど遠いところではない。ボクも何度登ったろうか、簡単には思い出せない回数である。特に妻と付き合っていた時に登ったことはよく覚えている。もう50年近い前のことである。今再び登ろうと言ったらどう言うだろうか。もう数年もすると金婚式である。金婚式記念に登ろうと言ったらどう言うだろうか。膝が少し悪いようだが、楽なコースなら登れる気がする。吉田さんは若い親子のチャレンジ、ボクらは老夫婦のチャレンジである。金華山は手ごろな本当にいい山である。吉田さんの文から、改めて金華山を思いだしたことである。

コメント

(第2610話) 誤字の指摘

2018年05月06日 | 教訓

 “仕事で帰宅が遅い娘に代わって小学生の孫の宿題をみている友人がいる。彼女は毎日「本読みカード」に検印をしてコメントを書くのだが、孫の先生から誤字を指摘されることがあるという。先生は「周りの大人が間違った字を書くと子どもたちはそれを覚えてしまうので、失礼ながら」と一言断った上で、「青」という漢字の下の部分は「月」ではないと教えてくれたそうで、友人は「ありがたいよ」と前向きに受け止めていた。
 友人によると私の姓の「能」という漢字の左下も「月」とは書かないそう。結婚してこの姓になって四十年以上、私は気分次第で「月」と書いていたこともあった。辞書で調べると友人の指摘通りで、冷や汗をかいた。”(4月15日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・能勢さん(67)の投稿文です。漢字というものは難しいものですね。数が多い上に、似ているようでも似ていないところがある。この月でも同じである。意識していなかったが、青は月ではないですね。ボクも月とは書いていません。
 最近はカタカナ言葉が多くなった分、漢字を使う機会はめっきり減った気がします。年取ってくると覚えていた漢字も思い出せなくなる。また書く機会が減って、忘れてしまう。でも、漢字はいい。一目で意味が分かる。ボクはカタカナ言葉が嫌いな分、漢字が好きである。読む機会はあるが、書く機会は減った。この文もパソコンである。自ら書いていない。ボクが自ら書く時は、日記と中日春秋などの書き写しの時くらいであろう。こんなことをしている人も少ないだろうから、他の人ではもっと機会が少ないのではなかろうか。ボクは日記を書く時、極力漢字を書くようにしている。分からない時は辞書で調べている。これはボクのぼけ防止法でもある。より正確に書きたいものだ。

コメント

(第2609話) 老人会の役員 

2018年05月04日 | 活動

 “三月まで一年間、老人会の役員を務めました。「役員になるのが嫌だ」「老人会に入るのはまだ早い」などとさまざまな理由で入会しない人がいますが、老人会の催しは近所の人と会って話す良い機会になると私は思います。
 昨年度の「ふれあいサロン」は毎回、集会所が参加者でいっぱいになりました。皆で会話をしながら昼食を食べ、笑顔で帰っていく人たちの姿を見て大切な交流の場だと感じました。
 スポーツ競技大会は運動が嫌いな私も役員のため参加せざるを得ず、ゲートボールとグラウンドゴルフ、カーリングのような「ユニカール」に出場しました。三種目とも初めての挑戦でしたが、予想以上にずっと楽しかったです。ゲートボールは案外難しく、九十歳近くまでプレーしていた亡き父母に尊敬の念が湧きました。グラウンドゴルフでは大勢の人と仲良くなれました。これらはどれも役員をしたからこそです。”(4月10日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の主婦・舘さん(71)の投稿文です。昨年度老人クラブ連合会長を務めたこともあって、老人会については何度も触れました。舘さんも役員を務められた感想を投稿されました。多くの方は努めてみればこんな気持ちを持つものです。メリットを見てデメリットは見ない、こんな気持ちで役員を引き受けてもらいたいものです。やってみれば舘さんと同じように、デメリットはほとんどなく、メリットの多さに気づかれるでしょう。
 ボクはサロンを始めた張本人ということもあって、これからも世話人代表を務めていくつもりです。老人会役員になったことでグラウンドゴルフも会員となり、歩こう会にも入会し、今年度は副会長を務めることなりました。役員を務めたことで交流の輪は一気に広がりました。役員が終わったからと言ってすべてが終わりではありません。このように何かの形で続いていきます。終わってみればデメリットはほとんど思い浮かばず、メリットばかりが出てきます。皆さんも機会があったら是非役員を引き受けてください。

コメント

(第2608話) いつ頑張る?

2018年05月02日 | 意見

 “僕は決断力がなく、やらなければならないことをいつも後回しにしてしまいます。そうなる原因は一つです。「今日ぐらい、いいや。明日から頑張ろう」と自分に言い聞かせてしまうからです。でも考えてみたら、後回しにすると後で苦しくなるのは誰にでも分かることです。しかし分かっていてもやらず、いつも後悔してきました。今やった方が楽なのに・・・。
 中学校の社会科の授業で世界の貧困について学びました。先生がつけたテレビに、やせ細った男の子の写真が映し出されていました。僕はこれを見て衝撃を受けました。自分はこれまでとんでもなくぜいたくなことを言っていたんだと思いました。そこで気づきました。世の中にはやりたいことをやりたくてもやれない子がいるんだ、と。それから僕は考えを改めました。今頑張らなきゃ! 明日じゃ駄目なんだって。”(4月6日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の高校生・高橋さん(男・15)の投稿文です。高校1年生でしょうか?「今頑張らなきゃ! 明日じゃ駄目なんだって」よく言ってくれました。この言葉は後幾ばくもない高齢者に特に向けた言葉でしょう。それがあと何十年もある若い人から聞くとは、嬉しいですね。本当は年齢には関係ない言葉なのです。明日があるからと言って後回しにしていては、実は何もできないのです。若いから次から次へと問題も生じてくるし、やりたいことも出てくるでしょう。気がついた時が吉日、すぐにするのが賢明です。この気持ちで実行していけば、高橋さんの未来は納得がいくものになるでしょう。高齢者については言うまでもありません。もうできる時間は短いのです。「明日死ぬと思って生きなさい」。

コメント


川柳&ウォーク