“昨今、自分さえ良ければいいといった自己中心的な風潮が社会全体でどんどん広がっている気がする。PTAなどの役員になりたくないという話はよく聞く。役員や係をやって何らかの得があると耳にすれば手のひらを返したように関心を示すが、何もなければ引き受けたくないという人が多いようで残念だ。
私は最近ある団体で無報酬の仕事を後任に引き継いだ。そのとき、後任から「何か得なことがありますか」と聞かれた。私は自信を持って「ある」と即答した。この仕事を務め上げれば有能な人材と認められるはずで、周りからの評価は上がる上、自らもさまざまな問題への対処能力もつくからだ。それに何より、人徳はお金では買えないのだから。”(5月16日付け中日新聞)
滋賀県近江八幡市の僧侶・西沢さん(男・69)の投稿文です。地域の役員について以前から触れていたが、昨年度、老人クラブ連合会長を務めてからはより触れてきたと思う。PTAなどの役員は、くじ引きなどなんとか方法を見つけてやってきているようだが、老人会は役員の引き受けてがなくて潰れていく深刻さである。これは平成25年度老人クラブ長の後任を見つけるときの話だが「何か得なことがありますか」と聞かれたことがある。その時ボクは「社会に奉仕できる」と答えたことがある。もちろんこの言葉で引き受け手は見つからない。この文を読んで「評価が上がる」と答えたらどうだったろうか、と思った。損だ、得だという人に「評価が上がる」ことは、得と考えられないだろうか。実利的得を考える人に、評価は得にならない気もするが・・・・。ボクは「人間70になって損だ、得だということか、もっと広く見ろ」とうそぶいているが、実際はなかなか難しい。でもやってみると、本当に徳になることは多い。どれだけたくさんの人を知り世間が広くなったことか。そして、又いろいろな頼み事を受ける。お陰で老人に必要な「今日行くところがある、今日することがある」が可能になる。
と言いながら、実は困惑してきた。いよいよ暇な時間が多くなりそうである。今まで勤勉であった分、暇に慣れていないのである。これからの過ごし方を組み立てねばならない。