“私が暮らす農村地帯でも十数年前から地域の絆や触れ合いが薄くなってきていると感じます。生活が豊かになって助け合いの精神が希薄になり、農村ならではの考え方や慣習を「時代遅れ」「面倒だ」などとして知らず知らず遠ざけてきたのではないでしょうか。結果、近隣に余ったものをお裾分けする習慣や、路地で近所の人たちと元気に声を掛け合う光景は昔話になりつつあります。
何も昔に戻りたいというわけではありません。現代人は個を優先して内にこもる傾向を強めてきているのが私には気になるのです。自分の心の周りに見えないガラスの壁を築いているかのよう。何とかして私はこの壁を少しでも低くしようと、ボランティアや地域活動に精を出しています。”(2月7日付け中日新聞)
滋賀県東近江市の村山さん(男・68)の投稿文です。ボクも全く同感に思っています、我々の世代は同じような意見を持つものですね。近年、特にその様子が強くなった気がします。それはこの「話・話」でも最近話題にしたお墓や葬儀、お裾分け、そして老人会などなど、ボクの周りでも変化が多すぎる、大きすぎるのです。ボクらが心配するだけのことでしょうか。高齢者は過去と比較してものを言います。今盛りの人は今だけを見ています。この違いでしょうか。人間の歴史、こんなことを繰り返してきたのでしょう。何も心配することなく、人間の歴史は続くのでしょう。それでもなあ・・・と思うのは、やはり郷愁でしょうか。