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第165号  2018年2月


(第2578話) 触れ合い

2018年02月27日 | 意見

 “私が暮らす農村地帯でも十数年前から地域の絆や触れ合いが薄くなってきていると感じます。生活が豊かになって助け合いの精神が希薄になり、農村ならではの考え方や慣習を「時代遅れ」「面倒だ」などとして知らず知らず遠ざけてきたのではないでしょうか。結果、近隣に余ったものをお裾分けする習慣や、路地で近所の人たちと元気に声を掛け合う光景は昔話になりつつあります。
 何も昔に戻りたいというわけではありません。現代人は個を優先して内にこもる傾向を強めてきているのが私には気になるのです。自分の心の周りに見えないガラスの壁を築いているかのよう。何とかして私はこの壁を少しでも低くしようと、ボランティアや地域活動に精を出しています。”(2月7日付け中日新聞)

 滋賀県東近江市の村山さん(男・68)の投稿文です。ボクも全く同感に思っています、我々の世代は同じような意見を持つものですね。近年、特にその様子が強くなった気がします。それはこの「話・話」でも最近話題にしたお墓や葬儀、お裾分け、そして老人会などなど、ボクの周りでも変化が多すぎる、大きすぎるのです。ボクらが心配するだけのことでしょうか。高齢者は過去と比較してものを言います。今盛りの人は今だけを見ています。この違いでしょうか。人間の歴史、こんなことを繰り返してきたのでしょう。何も心配することなく、人間の歴史は続くのでしょう。それでもなあ・・・と思うのは、やはり郷愁でしょうか。

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(第2577話) 命の連鎖

2018年02月25日 | 意見

 ”二十二歳の投稿者が毎月先祖の墓参りを欠かさず花を手向けているという一月三日付本欄「墓参りの意義伝えたい」を読み、思わず目頭が熱くなった。文明が発達し便利で快適な生活を送れるようになったが、それを当たり前と考えている人が多くはないか。人間も自然の一部にすぎない以上、私たちは決して思い上がってはいけないのだ。
 「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根元の思を知れ」という言葉がある。人には父親と母親がいて、父方と母方それぞれには祖父母がいる。命の連鎖が連綿と続いてきたからこそ今の自分があるということに気付いたとき、先祖を敬う気持ちが生まれ、自然とこうべを垂れるようになるのでは。私はそう考えている。”(2月6日付け中日新聞)

 滋賀県近江八幡市の僧侶・西沢さん(男・69)の投稿文です。お墓について日本の状況は大きく変化しているようだ。墓は作らない、ある墓は墓じまいをする、無縁仏の増加などもう日本人の心の中に墓はない雰囲気である。宗教心は薄い、これといった心のよりどころもない、ある方向に流れ出すと一気にその流れになる。日本とはそんな国だという気がしている。
 一人前になると自分の力で生きてきた気持ちになっているが、そんなことあるはずがない。一番元に振り返れば、西沢さんが言われるように先祖があって、父母があって自分が産まれている。そして両親や周りの人の支えがあって、一人前の自分になっているのである。これが命の連鎖、社会の連鎖である。
 ボクの家庭でもかなりあやふやである。でも、ボクは近年檀家総代になり、十八日講という浄土真宗の講にも入っている。折角機会を得たのだからそれに臨む時、先祖を思う気持ちをもっと持って臨まねばと思う。娘家族にも数年前、あることがあって墓参りを強制した。反発を持っているかもしれない。でもまずは形からでもいい。そうしている内に心も伴ってくるだろう、ボクはそれを期待している。ボクのように親が亡くなって後悔をしないように、そのように仕向けたつもりである。「親の心、子は知らず」そんなことにならないように願うばかりである。

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(第2576話) ラジオ体操

2018年02月23日 | 活動

 ”一月十一日付本欄「精いっぱい生きる年に」を読み、同年代として考えさせられました。八十歳を過ぎてから感じている人生の寂しさについて私は友人と語り合うこともあります。
 心身の健康のために近所の神社の境内でラジオ体操を続けて二年になります。毎朝、四十~八十代の四十人ほどが集まります。ラジオ体操の第一と第二をすれば全身の筋肉のほとんどを使うそうです。筋肉は他の器官や身体機能に比べて老化の影響が少なく高齢でも鍛えることができるとも聞きます。
 まだ早朝は暗く、寒い日が続いていますが、ラジオ体操は今の私にとっては毎日の散歩とともに欠かせないものです。「八十代はまだ若い」と思って過ごしたいものです。”(2月3日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の山田さん(男・82)の投稿文です。ラジオ体操の功徳については、この「話・話」でも紹介したと思いますが、この話の機会に再度述べておきます。ボクの妻は、もう数十年になると思いますが、毎朝ラジオに合わせてラジオ体操をしています。ボクはその時パソコンに向かっていることが多かったのですが、ある年の6月頃から妻と一緒にするようになりました。そしてその冬、二つの悩みが吹っ飛んでいたのです。一つは足の冷えです。靴下を履いて寝ていても冷たくして仕方がなったのですが、その冬から全く感じなくなりました。もう一つは五十肩をいい加減な治療したので、冬になるとその肩が病めて仕方がなかったのですが、それも吹っ飛んでいました。全く驚きました。どう考えてもラジオ体操の効果です。ですからボクはラジオ体操の信奉者です。もう15年以上も前のことになるのでしょうか、それ以来この痛みは知りません。
 一宮友歩会の準備運動はまずラジオ体操です。昨年は老人クラブ連合会の世代間交流事業で、夏休みラジオ体操一斉実施を企画しました。それはこの体験があったからの発想です。そして、ボクは山田さんの入っておられる体操の会ももくろんでいます。2月11日に紹介した「話・話」第2571話のように、願っていればいつかチャンスは訪れると思っています。

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(第2575話) どんど焼き

2018年02月20日 | 活動

 ”私の住む地区で何十年と続いている「どんど焼き」が今年も一月中旬の日曜に地元の小学校の校庭でありました。自治会の役員ら百人余で運営していて、昨年の暮れに何十本もの竹やササ、丸太、薪を切り出して乾燥させておき開催日の前日にそれらを組み、当日は朝から神事をして点火しました。
 火は勢いがよく一直線に空へ向かって燃え上がり、炎は次第に周りへと広がっていき、パンパンパンと竹がはじける激しい音がしました。火の周りには九百人ほどの住人が集まり、無病息災を願って皆が持ち寄った正月飾りや寺社のお札などが次々と火の中に投げ込まれました。お神酒やするめ、お汁粉が振る舞われ、くじ引きをして盛り上がりました。寒さもなんのその、火を囲んで話に花を咲かせました。三時間近く燃やした後、片付けて地面に砂をまきました。私はこの行事に参加して十二年になりますが、いつも終わるとすがすがしい気持ちになれます。”(2月1日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の会社員・大谷さん(男・74)の投稿文です。どんど焼きは左義長ともいうし、ボクのところでは「しゃぎと」と言っています。多分、左義長がなまったものでしょう。そして、規模も内容も地域によって様々でしょう。滋賀県近江八幡市の左義長は凄いもので、この日にウォーキング大会があり、ボクは何度も見ました。
 大谷さんのところもなかなか大規模ですね。ボクのところは、1月14日朝に神社の門松等を寄せてきて堤で焼きます。ボクは今年も御札様等を燃やしに行きました。見ていると持ってくる人は今でも結構あります。昔はここで餅などを焼いたものです。この餅を食べると風邪を引かないといっていました。今そんな人はありません。でも、今でもボクの村で残っている少ない行事の一つです。村の行事も本当に少なくなりました。細々ながらも何とか残って欲しいものです。

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(第2574話) 天でも咲け

2018年02月18日 | 活動

 ”半田市と阿久比町境の矢勝川堤で28年前にヒガンバナの植栽活動を始め小栗大造さん(半田市岩滑東町)が昨年11月7日、老衰で亡くなっていたことが分かった。99歳。同市出身の童話作家新美南吉(1913~43年)の生前を知る数少ない人で、その顕彰にも尽力した。堤は秋、三百万本のヒガンバナが咲く有数の観光名所となっている。   (中略)新美南吉顕彰会の広報部長を務めていた90年、南吉が散策した矢勝川堤をキャンバスに、ヒガンバナで真っ赤な風景を描くことを発案。南吉の代表作「ごんぎつね」にはヒガンバナの描写も登場する。ゼロから始めた活動は地域や行政の協力も得ながら広がっていき、現在では三百万本に。見ごろの秋分前後には14万人前後が全国から訪れる。 小栗さんは生前、「私の魂は矢勝川の土手のヒガンバナに化身する」と話していたという。(後略)2(1月31日付け中日新聞)

 記事からです。矢勝川のヒガンバナは何度も見に行ったことがある。それは見事なものである。それが、30年前の植栽から始まったのである。いろいろな努力があったのであろうが、30年たつとこれほど見事になるのか。何事も一朝一夕ではできない。そのきっかけを作った人も、その後に努力した人も凄い。小栗さんは矢勝川のヒガンバナに化身することが心からの願いであったろう。その可能性を信じたい。また賞賛したい。
 ボクの家の近くに川がある。その整備が年明けから始まった。遊歩道にするのである。数年で6kmほどの遊歩道が整備される予定である。そして、それを守っていく団体結成の話が出ている。どのような成り行きになるのか、興味が湧く。実はこの遊歩道の整備について、ボクは最初から係わり、実現に表から裏からそれなりに尽くしてきたのである。小栗さんのこの話を大いに参考にしたい。

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(第2573話) 幼稚園じい

2018年02月16日 | 活動

 ”幼稚園で送迎バスの運転をしている夫が、今日も相好を崩して帰ってきた。開ロー番、「逆なら大問題やで-」とうれしそうだった。聞けば、男児がバスから降りる際、運転席までやってきて、ほっぺにチュツとしてくれたという。
 夫は六十歳で定年退職し「もう働かん、主夫になる」と宣言。二年ほど、家事見習いをしていた。ある日、私が偶然見つけた求人を見せたところ「ん、時間を守れる方、子ども好きな方って、これ俺のことや」と言ったかと思ったら、もう履歴書を書いていた。
 運良く採用され一年あまり。園児からは毎日、言葉の矢が飛んでくる。「井上さんの前髪いつからないの」「結婚してるの」「井上さんをペットで飼いたい」。また、股間にパンチを受けることも。
 しかし、見違えるような成長を見せてくれるときもある。練習に練習を重ねたであろう賛美歌を、厳粛な空気の中で聴いたときは「あの子たちが」と涙がこぼれたという。先日は雪山遠足があった。御在所ロープウェイで山頂まで行き、手作りのそりで一緒に遊んだという。人生で初めて買ったスキーウェア。一番派手だったらしいが、園児にも好評で、ウキウキの幼稚園じいだ。”(1月31日付け中日新聞)

 三重県四日市市のパート・井上さん(女・62)の投稿文です。ボクの同級生でもつい最近まで幼稚園児の送迎バスに乗っていた人がいる。その人の話を聞くと、全く思いがけことがでてきて面白かった。井上さんの話もまたそんな話である。子供好きな、定年後元気な人に取ってはいい仕事であろう。若い人と接すると自分も若返る。「これ俺のことや」と思える井上さんには天から降ってきた仕事と思えたであろう。
 定年になると、やっと自由が得られた、これから好きなことを思う存分できる、と喜ぶ人は多い。ところが1、2年するともう飽きてしまう、あきらめてしまう人も多い。定年後始めようと思ってはもう遅いのである。その前に助走を付けておかねばいけない。しかし、多くの人はこれが難しい。そして何をしようとも、勤めていた頃に比べれば暇が多すぎる。そしてまた働く道を求めるのである。これもまた一つの生き方である。ボクはこれを否定はしない。4月以降、ボクにもこの試練が待っている。

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(第2572話) 犬型スーパーロボット

2018年02月13日 | その他

 ”尼棒は、その家の玄関から、こっそり中に入った。そこに、一匹の犬型ロボットがいた。「おかえりなさいませ、ご主人さま」しめしめ!こいつはオレのことをこの家の主人と勘違いしているな。泥棒はニヤリとした。
 「そうそう、通帳と印鑑はどこにあったっけ」「ベッドの下の茶色い缶の中です」犬型ロボットはまんまと教えてくれた。金目のもののありかは聞けばすべて答えてくれるので、泥棒は楽な仕事だと笑った。
 「そうだ、暗証番号も聞いておこう」「110です、ご主人さま」
 すると突然、玄関から警察官が入ってきて泥棒を捕まえた。「通報ありがとう。さすがスーパーロボットだ。時間稼ぎをしながら、警察に通報までするとはね」”(1月28日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県日進市の会社員・山門さん(女・38)の作品です。少し前までならば、まさに小説、空想の世界であったろう。ところが今や空想でも何でもない、このように泥棒を捕まえるところまではいかないだろうが・・・。
 ボクは今年度中学校へよく行った。校長室ではロボットが迎えてくれるのである。もう中学校にまで配置されていることに驚いた。この小説のように家庭に置くこともそう遠くないだろう。一人暮らしなど話し相手に手っ取り早くて、早々に普及するのではなかろうか。ボクなど今でも入れたい気分である。もうかなりの家庭に入っているのかもしれない。ロボットやIoT(Internet of Things・モノのインターネット)の技術の話を聞くと、もの凄いスピードである。そして、過去でもそうであったように、普及し始めるとあっと言う間に広まってしまう。それこそ今と別世界になってしまうだろう。でもそうなればなるほど人とのつながりが必要になると思う。こう思うのはボクらの年代だからであろうか。

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(第2571話) 高齢者サロン

2018年02月11日 | 活動

 ”一宮市の高齢者の生活支援について地域住民や医療、福祉関係者らが話し合う催しが二十四日、市尾西生涯学習センターであり、旧尾西市地域の自治会で広がっている高齢者サロンの取り組みが紹介された。各地の取り組みを参考にしようと、介護保険や地域福祉の拠点となる地域包括支援センターを市から委託されている医療法人「泰玄会」が主催。旧尾西市地域の住民や介護サービス事業者、医療関係者、民生委員ら二百人が参加した。 旧尾西市地域にある六連区が、高齢者が集い介護予防などに取り組むサロンについて発表。大徳連区ではお寺で読経した後や、地区内の病院で毎週一回朝に集まり、体操をしているという。また、朝日連区では近隣の喫茶店が閉店し集いの場が減ってきたため、集会所でお茶会や太極拳、合唱などをして交流を深めているという。同連区の中島稔連区長(六七)は、ここ一年ほどで連区内に三つの高齢者サロンができたことを紹介。連区の高齢化率は34.6%で市内で最も高いといい「住民に危機感があり、ボランティアも盛ん。町内の公民館を積極的に開放し、活動を支えられれば」と話した。”(1月25日付け中日新聞)

 記事からです。高齢者のサロンは今のボクが一番興味を持っていることであり、また行っていることです。そんな催しが旧尾西市で行われた、ということで紹介しました。
 ボクは以前から高齢者のサロンに興味があり、密かにその機会を狙っていました。そして、昨年地元の老人会会長になるとすぐに、このサロンを提唱しました。そして6月から「サロン羽根邨」として始めました。このことはすでにこの「話・話」でも紹介したと思います。進めていく内に、市もこの活動に力を入れていることを知りました。そして市では「おでかけ広場」の登録募集をしていることを知りました。これも面白いところですが、ボクが会長になるとすぐに「健康体操クラブ」の話が持ち込まれ、昨年5月から「羽根る会」として発足しています。この2つを登録することにしました。昨年12月と今年の1月の開催時に市の担当者が視察、調査に来られました。そして先日登録を承認したという連絡が入りました。今年3月が終わると、ボクの地元の老人会会長も連合会会長も終わります。でも「サロン羽根邨」と「羽根る会」は中心になってやっていくつもりです。考えているといろいろな構想が浮かびます。楽しんで運営をやっていくつもりです。高齢者同士が助け合っていく。少子高齢化がますます進む日本に取ってとても大切なことと思っています。

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(第2570話) スマホヒヤヒヤ

2018年02月09日 | 出来事

 ”地下鉄の車内で入り口の近くに立っていたときのことだ。急いで降りようとした人とぶつかり、私は手にしていたスマートフォンを落とした。降りる人に蹴られたスマホは車外に出てしまい、私も慌てて追いかけた。スマホは電車とホームの隙間から線路に落ちていた。
 私の友達と近くにいた乗客の若い男性1人が電車を降り、一緒に駅員に事情を説明してくれた。後続の電車も通過したが、スマホは車輪の下敷きになることなく無事だった。駅員が線路に降りて拾ってくれた。
 それ以来、私は電車の中でスマホを触っている人がとても気になるようになった。スマホを触っている人はとても多く、皆画面に夢中になって自分の周りが見えていないようだった。私は自分の失敗を大いに反省し、今では電車の中で乗り降りする人に注意を払えなくなるほどスマホに依存してはいけないと思うようになった。”(1月23日付け中日新聞)

 愛知県津島市の大学生・山田さん(女・21)の投稿文です。スマホの功罪についてはいろいろあるが、歩きスマホや人混みでのスマホは全く迷惑であると共に、危険である。この「話・話」でも何度も取り上げたと思うが、今回は失敗した人からの懺悔である。この危険性についてはもう言うまでもない。誰もが承知していることだろう。電車内ではいつも注意を促している。でもさわり始めると手が離せない。やっている人は迷惑や危険を承知してやっている、と言わざるを得ない。
 ボクの近所で運転をしながらポケモンGOをやり、子供を死なせた事故が数年前にあった。その親の苦衷や講演が今でも時折新聞で紹介される。道具は使うものである。使われてはならない。人の中では周りに気を使い、迷惑をかけることのない使い方を心がけねばならない。マナーのよい日本人と言われるが、電車内の席譲りと横断歩道の一旦停止は最悪のようだ。

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(第2569話) お裾分け

2018年02月07日 | 出来事

 ”愛知県岡崎市の山に囲まれた地域にある妻の実家へ帰省したときのことです。外出先から戻ると、玄関先に取れたての大根がドサッと置いてありました。近所の農家が分けてくれたとのことでした。妻の実家の周りには田畑が多く、余った農作物を隣近所で分け合う習慣があるそうです。こんな光景が都市部で育った私には新鮮でした。
 このお裾分けを目にしながら、私は「国内総生産(GDP)」や「生産性」という言葉を思い出しました。昨今、日本のGDPは中国に追い抜かれ、国民一人当たりの生産性も先進国の中では低くなったなどと言われます。自分の畑で取れた農作物を近所の人に分けてもGDPには加算されず、生産性も向上しないでしょう。しかし分かち合うという行為は間違いなく人を豊かにしているように私には見えます。私たちはGDPや生産性といった万能ではない指標に日頃振り回されていないでしょうか。いま一度自問すべきかもしれません。”(1月22日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・森さん(男・31)の投稿文です。「お裾分け」を新鮮と感じられたという言葉に驚くと共に、現代社会ではさもありなんと納得もする。隣とも交流しない時代である、亡くなっても知らない時代である、一昔前の感覚はすっかり失せている。この森さんの文からすれば、わが家は野菜をドサッと置いてくる立場である。するといつの日にかお返しが届く。旅行に行って来たからとか、頂いたからかと、返って高くついて申し訳ない気になるがありがたく受け取っておく。これも交流、絆を築くのである。さしずめ、わが家ではボクが作る人、妻が届ける人である。
 森さんはお裾分けの話からGDPの話に飛ぶ。お裾分けがGDPに及ぼすことはあるまいと思うが、でも話としては面白い。GDPばかり気にするなと言うことであろう。「人を豊かにする」これが元である。この豊かはもちろん金銭や物だけではなしえない。心の豊かさが重要である。心が豊かになるような行為、それを大切にしていきたい。

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(第2568話) やるならば

2018年02月05日 | 意見

 ”  【 やるならば精いっぱいよろこんで  小沢道雄(足なし禅師)】
 私の住む山奥の小さな坐禅堂での「坐禅会」の指導に来てくださったときのお話です。両足義足でこの山まで登って来てくださっただけでもありがたいことでしたが「やるならば・・・」と。「よろこんで」と言われてもなぁ嫌なものは嫌だし、大変なことはしたくないし、辛いのも・・・。
 ヘソの曲がっていた僕にとって「よろこんで」のところに内心、抵抗を感じたわけです。あのニコニコしたお顔でそうおっしゃるのですから、きっと何かもっと深いところで納得しなければならないはずです。戦争から生還して、義足で托鉢を始めたころの壮絶な体験とは正反対の柔らかなお顔で「よろこんで」とおっしゃるのです。
 そこで、どうであろうとせめて「精いっぱい」の方だけでも実践しようとしました。意外なことにそれが「よろこんで」に通じたのです。ポイントは「精いっぱい」の方だったのですね。”(1月23日付け中日新聞)

 「今週の言葉」からNPO法人・くだかけ会代表の和田重良さんの文です。またもや「今週の言葉」からです。この言葉、今のボクが心がけている言葉である。特に昨年4月、老人クラブ連合会長を受ける事になった時に、特に意識したことである。そして、皆の前で大見得を切ったことである。「会長に選ばれたのが不正な選挙であって、もう今更くつがえることはあるまい。この歳になれば1年1年が大切な1年である。やるならば楽しんでやりたい。それにはイヤイヤやっていては楽しくならない。積極的にやりたい。」という意味のことを言った。今思うと恥ずかしさも恐れも知らずよく言ったものだと赤面する。そして、言ったからにはやらねばならぬ、有言実行である。その気持ちでやり始めると、いろいろなことが舞い込んでくる。想像以上にいろいろなことをする結果になった。もうまもなくこの役目も終わる。今はやってよかった、楽しんだと思っている。和田さんの言葉を実践できたと思っている。これからまたいろいろ舞い込むだろうか。やるからには、この言葉を心がけ喜べるようにしたい。

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(第2567話) 3年前のお礼

2018年02月03日 | 出来事

 ”「ほろほろ通信」宛てに人捜しの依頼の便りが届いた。今から、三年前の話。名古屋市南区の森瀬隆徳さん(六〇)の娘さんは、高校の入学試験に向かうバスに乗り間違えてしまった。だが、運転手さんが乗り換えの方法を教えてくれ、試験開始に間に合った。帰宅するなり、その話を聞き「良かったね」と家族で言い合った。そして無事合格。ところが、昨年の暮れも差し迫る中、娘さんが「実はあの時・・・」と告白めいたことを話し始め、驚いた。あの日、乗り換えのバス停で待っていると、老夫婦から「受験?」と声を掛けられた。「はい、M高校へ」と答えると、そばにいた女性が「今からじゃ間に合わない」と言い、試験会場までタクシーで送り、代金まで支払ってくれたというのだ。森瀬さんは「なぜそんな大切なこと黙っていたんだ」と娘さんをしかった。だが、思い当たることがあった。(後略)”(1月21日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。「ほろほろ通信」のめざすところとボクのめざすところはほぼ一致しているので活用したいが、全文を引用するには長いので、いつも躊躇している。今回はまずは思わせぶりな部分で終え、その続きを次に書きます。
 ”「当時、妻が病気で入院中でした。子どもながら、よけいな心配をかけまいとして黙っていたようです。今からでもお礼を申し上げたくて投稿しました」とのこと。”
  そして、その主を捜し当て、お礼を言うことができたという話です。今の日本で高校入試は人生の一大重要事である。この女性にしてみれば、この受験生が自分の娘のように思われたのであろう。自分にも予定があったはずだ。それを曲げてまでの行為である、なかなか出来ることではない。両親にしてみれば、、何としても探してお礼を言いたい、お礼を言わないと、仕残したままで落ち着かないだろう。その気持ちがよく分かる。ボクの孫達も順次高校入試を迎えていく。間違いなく通り過ぎて欲しいものだ。

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(第2566話) 献立記録

2018年02月01日 | 活動

 ”今年から献立を毎日記録している。昨年子どもが巣立って夫と二人暮らしになったため、夫婦だけの食事をより大切に考えようと思ったからだ。シニア世代に仲間入りするにあたり、食生活を見直すことが毎日を健やかに過ごすことに役立つのではないかとも思ったのだ。
 昨年十二月から試しに家計簿の余白に献立をメモするようにしているが、それが案外楽しい。何げなく作っている毎日のおみそ汁も記録することで具材やみその種類の取り合わせにまで気を使うようになった。
 家計簿の余白には書き切れないので、一月からは日付ごとの余白に書き込めるカレンダーを使っている。夫婦だけの食卓をより楽しめるような日常を積み重ねていくつもりだ。”(1月16日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・小森さん(57)投稿文です。今回は献立の記録である。その気になれば平凡な毎日でもいろいろ記録するものはあるのだな、と感心する。確かに料理は、毎日同じものにならないように、工夫をして作っていく。妻を見ていると全く感心する。それを記録する。毎日が違ったものになるだろう。テーマを持った記録というのも一つの方法である。
 作る人はまだしも、ただ出されて食べる人は、昨日何を食べたかも思い出せない。こんな人ほど記録を付けるべきではなかろうか。ボクはその典型である。当然威張っていることではないが、まだ当分今にあぐらをかいているつもりである。でもボクは結構記録を付けている方と思っている。日記、手帳、また活動について結果を記録をしている。

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川柳&ウォーク