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第162号  2017年11月


(第2535話) 合わせて723歳

2017年11月29日 | 人生

 “私の兄弟姉妹を紹介します。長女九十三歳、次女八十七歳、長男八十五歳、次男八十二歳、三男八十歳、三女(私)七十八歳、四女七十六歳、四男七十三歳、五女六十九歳。以上九人。
 現在自慢できるところ。全員健在。よく食べ、よくしゃべり、よく笑う。一人も介護を受けていない。大きなけんかはしたことはない。全員お人よし。何ともめでたい九人兄弟姉妹です。だけど陰では、こそこそ悪口ざんまい。小さいころはきょうだいが多くて、恥ずかしいと思ったときもありましたが、今となったら全員が幸せを感じながら、楽しく生活しています。
 日ごろは二、三ヵ月に一度、次女の家に集まりおしゃべり会を楽しんだり、毎日誰かが電話をくれたりします。短いときは十五分くらい、長いときは三時間くらいになることも。それが一日に三、四人とかかってくると、電話だけで一日が終わってしまうことも。これがボケ防止になってるのかな、と思います。
 最後には「あと十年は生きたいね」「そんなに生きたら、家族や国に迷惑。ほどほどにあの世に行けよ」とか言って、話は長々と続きます。でも今の子どもたちには、こんな経験はできないと思うと、少し寂しさを感じています。”(11月7日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の自営業・加藤さん(女・78)の投稿文です。これはまた何という至福な兄弟姉妹でしょうか。産めよ増やせよの戦前の親世代にはこうした多産の話をよく聞く。ボクの同級生にも10人以上の兄弟の人がある。しかし、69歳から93歳の今、9人全員が健康、そして今も親しく交流している、とはまた凄い。まず健康を損なう人があっても普通である。そして、兄弟は他人の始まりという。一人二人疎遠になっていても不思議ではない。「何ともめでたい九人兄弟姉妹です」と言われるのも当然である。
 今は少子時代である。あっても2、3人、子供を持つことを否定する夫婦もある。何がそうさせているのだろうか。いろいろあっていいが、でもこれでは日本の人口は減り続けるのである。減って何が悪いか、という人もある。しかし、少し考えてみると、これは大変なことである。今までの社会が成り立たないのである。いい社会に変わるのならいいが、とてもそう考えられない。だから今、子供を持つ世帯を増やそう、大切にしようといろいろな政策が打たれている。でもこのことはもう何十年も前に分かっていたことである。遅きに失していると思う。

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(第2534話) 億万長者  

2017年11月27日 | その他

 “ふだんは株の話などめったにしない夫が、新聞を広げて慌て始めた。20年前に300円台で購入した株が、いつの間にか3500円台に値上がりしたというのである。
 これは一大事。慌てて娘にメールすると、娘も驚き、「生前贈与はいつでも待っとるわ」という。皮算用が始まり、税金対策はどうするの? 家のリフォーム? みんなで海外旅行? 車を買い替える? あれやこれやと、娘夫婦を巻き込んで大騒ぎになった。
 しばらくして、証券会社から最近届いた書類に目を通した娘婿が、遠慮がちに切り出した。「おかあさん、併合により、株数単位が変更されていると書いてありますよ」よく読むと株数単位が1千株から100株に切り下げると書いてある。(後略)”(11月8日付け朝日新聞)

 名古屋市の主婦・栗原さん(74)の投稿文です。これは中日新聞の「300文字小説」ではありません。朝日新聞の「ひととき」という投稿欄からです。今の世の中、何もかも変化が早いが、経済社会はさらにすさまじい。株価は実際に10倍に値上がりすることも珍しくないことでしょう。うっかりしていればこんな間違いもあるでしょう。しかし、栗原家の大騒ぎを想像すると、その落胆は相当なものだったでしょう。笑うに笑えないものがありますが、他人のことですから笑えます。失礼ですが「300文字小説」以上の面白さです。この教訓は、人に言う前には十分に慎重にならねばなりません、と言うことでしょうか。特に嬉しいことは!

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(第2533話) 米寿の高校生

2017年11月25日 | 活動

 “戦争に邪魔されてできなかった「学生生活」を現在、定時制高校の1年生として楽しんでいます。しかし、苦労もあります。「高校に数学というもの無かりせば楽しからずや学生生活」。生まれて初めて聞く「方程式」や「数式」にはお手上げです。苦肉の策で、近所の学習塾に通っていますが、88歳の頭は聞く速度に覚える速度が追いつかず、四苦八苦。でも親切な塾の先生のおかげで、だんだん面白くなってきました。
 米寿を迎えた10月6日、私以外は全員10代のクラスメートの前で、「米寿という文字の語源について」のスピーーチをしました。黒板に「米」と書いて、この字を分解すると八十八になること、米を収穫するまでに八十八もの手間がかかることなど。
 最後に「今日が私の米寿の誕生日。何よりうれしいのは、こうして今日も元気にみなさんと机を並べて勉強できることです」としめくくると、全員が声をそろえて「ハッピーバトスデー」を歌ってくれました。私の次なる目標は、高校3年生になって90歳を迎えたとき、「卒寿の文字の語源について」のスピーチをすることです。”(11月7日付け朝日新聞)

 東京都の高校生・大森さん(女・88)の投稿文です。高齢になって中学や高校に入る話を時折聞くが、88歳はまた驚きである。人間の意欲はどこまであるのか、人によって大違いである。本来は学んで何かをなすのが目的であろうが、学ぶこと自身が目的もあっていい。大森さんは学ぶ楽しさを知られたのだ。それは学べなかった悔しさもあろうか。
 普通には当たり前のように中学や高校へ行く。今では大学も当たり前の時代である。当たり前だからそれ程の意欲も嬉しさも少ない人も多かろう。入っていい加減に過ごす人も多かろう。大森さんにすればもったいないことである。大森さんが入られたのは定時制高校である。定時制高校はいろいろな事情で昼間にいけなかった人が多かろう。そこには悔しさを持った人も多かろう。それだけに一生懸命な学生も多い。大森さんの在学は他の学生に与える良い影響も多かろう。それがハッピーバースデーの歌に繋がったと思う。
 ボクの妻は高校も大学も夜間であった。ボクも夜間大学を卒業している。夜間の状況を体験している。それだから夜間には強い思いもある。

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(第2532話) 二ツの橋

2017年11月23日 | 出来事

 “私は六年生になってから、二人のすてきなおじいちゃんと話しました。一人は私の曽祖父です。九十五歳で元気です。私たちひ孫や自分の子どもたちが集まった食事のとき、曽祖父は必ず話をします。少し聞き取りにくいし、聞き流している人もいますが、戦争のことや若いころの話をしてくれるので、私はちゃんと聞きます。
 もう一人は、交通立ち番のおじいさんです。公園で私と友達が座っていると、「今の雑炊はいいなあ。昔のは食えたもんじゃない。水とご飯のかたまりみたいだったよ」と言いました。「どんな味か知りたい」と言うと、「だめだめ、あんな味は知らない方がいいんだよ」と答えました。
 二人の話を聞いて、教科書を読むのと、表情を変えながら話してくれるのを聞くのでは、伝わり方が全然違うなと思いました。こんなことも考えました。お年寄りは「今の世の中と昔の橋渡し」ということです。その橋はお年寄りの数だけあります。
 お年寄りは「話す」ことで橋を懸けようとしていて、私たちはその話を聞くことで、橋を今の世の中に固定しているのではないでしょうか。私はこの作文を書いたことで、二つの橋を固定できたのではないかと思いました。”(11月2日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の小学生・板坂さん(夏・12)の投稿文です。12歳と言えば小学6年生でしょうか、もう反抗期です。こんな年齢には高齢者など全く鬱陶しいだけだと思っていましたが、このように高齢者を尊ぶ意見を聞くとは全く思いがけなことです。素直に耳を傾ける、これは誰にも、どんな人の話にも必要なことです。聞いてから判断する。聞く前から先入観で受け入れないのは損失です。そして、板坂さんは現代社会と昔の社会の架け橋になろうと言われる。本当に良いことに気づかれたと思う。なにも現代社会が良いことばかりと限らない、昔が悪いことばかりとは限らない。昔を知り、良いことは取り入れる。この気持ちであろう。この2人のお年寄りの話のように、昔は辛いことも多かった。それを知ることにより感謝の気持ちも生まれよう。

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(第2531話) 「赤ちゃん乗車中」

2017年11月21日 | 知識

 “「赤ちゃんが乗っています」という表示がある車をよく見掛けます。私は「この車には大切な小さな子が乗っているのでくれぐれもぶつけないでね」という意味だと勝手に解釈していました。わが家にも幼児はいますが、おこがましい気がしてあえて表示はしませんでした。
 しかし先日、表示の本当の意味を知りました。「子どもがぐずったり騒いだりして運転者は集中できず、気になって後部座席を見て急ハンドルや急ブレーキをしてしまうことがあるかもしれません」という注意喚起だったのです。私自身の経験からもその真意に「なるほど」と思いました。表示がある車の近くを走行する車はなるべく車間距離をとるようにしてください。”(11月2日付け中日新聞)

 三重県桑名市の会社員・藤谷さん(女・34)の投稿文です。ボクはこの表示を見たことがありません。まだあまり普及していないのでしょうか。「赤ちゃん乗車中」のステッカーを始めて見た時この文字をどう受け取るのでしょうか。その例を藤谷さんが示してくれた気がします。そして、インターネットで少し調べて見ました。好意的、批判的、いろいろな意見があることを知りました。この「話・話」でもいろいろ表示を紹介したことがあります。知った時良いと思っても、正しく意味を知って普及しなければあまり意味がありません。車の初心者マークや高齢者マークはよく知られている方でしょう。そして、その効果はどうでしょうか。付けていることで近くの車が配慮してくれるのか、返って嫌がらせされるのか、よく分かりません。横断歩道でさえ止まる車はほとんどありません。そんな状況で、マークを付けることがいい意味になるか不安です。ボクももう高齢者マークを付けることに何の抵抗感もありませんが、でもそれが良いことになるのか確信が持てないことが躊躇させています。マークを貼る人も、またマークを貼った車を見かけた人も、お互いの思いやりの心がないと、逆効果さえ生じます。もっとやさしい社会になることを願いたと思います。

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(第2530話) ヘルメット

2017年11月19日 | 出来事

 “愛知県では交通事故死者数全国ワーストが続いている。死因の多くは頭を強く打ったことによるものだそうで、高齢者の死亡事故も後を絶たない。私は六年前に自転車同士の事故で頭を強く打った。内出血がじわじわと脳を圧迫したのか、思うように体を動かせなくなってしまい、事故から二カ月後に頭部の手術を受けた。リハビリ生活を強いられ、自転車に乗るときには頭部を守らなければいけないことを思い知った。
 名古屋市の条例で十月から自転車賠償保険への加入が義務化された。高齢者のヘルメット着用も努力義務となっている。私は八月に自転車を安全運転するための講習会に参加しヘルメットを購入、自転車を整備して賠償保険に加入し九月からヘルメット着用でハンドルを握っている。しかしヘルメットをかぶって自転車に乗る大人はほとんど見ない。最初は恥ずかしかったが、あごひもを締めると気持ちも引き締まるのでお勧めだ。”(10月29日付け中日新聞)

 名古屋市の鬼頭さん(男・69)の投稿文です。自転車にヘルメットは、子供はキチンと付けているのに、付けた大人はほとんど見たことがない。ほとんどと言うより、全然であろうか。ところがボクは被っているのである。
 老人クラブ連合会長になり、町内を走り回ることが多くなった。町内は狭い道である。車より自転車の方が便利である。そこで今年6月に自転車を買い換えた。この話を知人にしたら「ヘルメットを被りなさい」言われた。この知人の知り合いで、鬼頭さんと同じように自転車で転倒、頭を打って、障害者になってしまった人があるというのである。鬼頭さんはほとんど回復されたようであるが、その人は生涯不自由されたようである。ボクはすぐに実行した。恥ずかしさはない。見本を示す気持ちである。今頃「今日も老人会長がヘルメットを被り、走っていく」と話題になっているかも知れない。ヘルメットを被った大人は全然いないのだから。全く鬼頭さんの言われるとおりである。高齢者の自転車と車の事故は増え続けているのだ。

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(第2529話) 古米

2017年11月17日 | 出来事

 “スーパーの店頭には各地の銘柄の新米が山積みされている。私はまだ古米が30キロ残っており、当分新米は食べられそうにない。1993年の東京は米不足におそわれた。私は、妹の住む茨城からお米を送ってもらい助けられた。あの年は多くの人が外米を食べたと聞いた。
 翌年から東京でお米を買ったことが無い。妹に頼んで1年分の2俵を玄米で買い、数回に分けて精米して送ってもらっている。今年の夏はめん類を多く食べた。年齢的にも食が細くなっており、お米がだいぶ残った。知人に「コシヒカリの古米だけど食べる?」と聞いたら「いらない」と断られてしまった。
 子供の頃、農業を営んでいた祖母が話していた。新米が出回り出すと、古米は「負けてたまるか、おいしくなってやるぞ」と言うんだと。この時代、おいしいものはあふれているが、農家が手をかけて作ったお米である。古米と言っても、まだまだおいしく食べられる。
 各種の具材を使った炊き込みごはんや、すし飯など、喜んで食べてくれる友達は大勢いるので、残りのお米をおいしく炊いて配ることにしよう。”(10月21日付け朝日新聞)

 東京都の主婦・小池さん(81)の投稿文です。先日の畳干しの話しに続いて、またなつかしい話を思い出してしまう。ボクの父親は、零細と言ってもいいほどだが専業農家であった。野菜作りが主体だが、当然米も作っていた。ボクの子供頃は、米を作りながらも新米を食べたことがないのである。なぜそんなことになっていたのか。当時の農家は、危機に備えてその家で食べる米をほぼ1年分貯えていたのである。このことを父親に余り聞いたことはないが、いろいろ体験がそうさせたのであろう。食べることについては、買うと言うことを知らない農家であった。ほとんどが自給自足である。肉や魚などほとんど食べた記憶がない。これもなつかしい話になるが、小学高年になる頃から母親はカレーライスを作るようになった。ところが肉なしのカレーライスであった。カレー粉もSB食品だったと思うが、小麦粉で溶かすのである。こんな話を思い出すと、今は本当に豊かな時代であることをつくづく思う。そして、お婆さんの「古米は負けてたまるか、おいしくなってやるぞ」という言葉が面白い。多分古米をおいしく思って食べようという知恵であろう。
 ただ1度新米を食べることがあった。それは米を収穫した時である。褒美として、お祝いとして食べるのである。そしてこんなに米はおいしいものかと思った記憶がある。

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(第2528話) 今しかない

2017年11月15日 | 出来事

 “一宮市の服部修寛さん(六七)からの便り。今年の三月、隣家の改修工事を請け負う工務店の人が「ご迷惑をお掛けします」と、あいさつにやって来た。続けて「服部先生、お久しぶりです。高校時代にお世話になったYです」と言う。二十年ほど前のことが鮮明によみがえった。
 服部さんが高校の教師をしていた頃のこと。ある晩、深夜に電話が鳴った。「二年生のYの父親です。夜遅くに申し訳ありません。息子が部屋に閉じこもって出てこないのです。何を尋ねても答えてくれません。でも、服部先生になら事情を話すと言うので、失礼かとは思いましたが・・・。
 服部さんは取る物も取りあえず、Y君の家に駆けた。Y君と向き合い、話を聞いた。(中略)
 見違えるほど立派になったY君は「あの時、先生が助けてくれなかったら、俺はマジで死ぬつもりでした」と言い、驚くやらほっとするやら。と、同時に、もしあの時「今日は遅いので明日の朝」と答えていたら・・・と思うと、ぞっとした。
 「教師だった父親から、問題が起きた時には『今しかない、明日はない』と教えられていました。『忙しい』とか『後で』は禁句だと。今、子育て中の親御さんたちにも、ぜひ心がけてほしいです」と、服部さんは話す。”(10月22日付け中日新聞)

 志賀内氏の「ほろほろ通信」からです。話したことはないが、ボクは服部さんを知っている。あの人が元は教師であったことを初めて知った。そしてこんなに慕われていた人であることも知った。良い話である。子供の思いは強い。一時が待てない。すぐに対応しないと思ってもいなかったことになる。そんな話である。お父さんから『今しかない、明日はない』と教えられていたと言われる。先生というのはそんな職業である。最近はペアレントモンスターと言われる父兄もあるようで多忙を極めている。ボクの娘婿も小学校の教師で、大変さを目にしている。父兄も教師に要求すると言うより協力し、本当に必要なことに力を注いでもらえるようにした方が賢いと思う。
 ボクは「明日死ぬと思って生きなさい」という言葉を座右の銘にしている。意味合いは違うが「明日はない」は同じである。要は先延ばしはいけないと言うことである。身近な話と聞いた。

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(第2527話) 畳干し

2017年11月12日 | 活動

 “十月の初め、天気がよいので畳干しをした。畳一枚が重くて、1人では持ち上がらない。次男と二人で担いで、駐車場まで運んだ。日に当てること五時間。少々長いかと思ったが、ちょうど曇りもあり、日もありといった天気で、風を当てた。畳を外した板敷きは、掃除機でほこりをたっぷり吸い取った。窓を二ヵ所開けて風を通すと、なぜかとてもすがすがしい気持ちになった。布団たたきでパンパンとたたくと、ほこりが舞い上がった。家の前を通る人が、ちらちらと視線を向けていた。息子が誰かと話していて出てみると、通りすがりの女性が「珍しいわねえ、何十年も畳干しなんて見てないわ」と話している。息子はニコニコして、黙って聞いている。
 わが家もそうだった。何十年ぶりだろう。五十年ほど前、母が一生懸命やっていたのを覚えている。その時、畳の下の板も外して干していた。
 最初乗り気でなかった息子も、気を良くしてか、畳を敷くと言ってきた。二階ともなれば大変で、息子が上方、私が下方を持った。息子は「僕は楽だけど、お母さんは大丈夫なの」と聞いてくれる。優しい言葉に内心うれしいが、「大丈夫」とだけ答えた。畳干し、大変だけど、やってよかったと思う。”(10月20日付け中日新聞)

 名古屋市の公務員・宇野さん(女・61)の投稿文です。「畳干し」という、懐かしい言葉を聞いて取り上げた。畳干しなど最近見たこともないし、我が家にも畳はあるが、したことがない。最後にしたのはいつのことだったのか、思い出せない。
 ボクの子供の頃は毎年していたし、梅雨の頃から冬まで畳を上げてしまった。畳は部屋の縁に積まれゴザの生活となる。父親に聞いたことはないが、これは多分、畳を大切に使うことと涼しく過ごすためであったろうと思う。板の間にゴザ敷きであるから、当然柔らかくはない。こんな程度の硬さなど問題ではなかった。縁の下の空気が直接来るから涼しかったのであろう。それもあったが、必要のない時は畳も大切にしまっておく、と言う発想が大きかったと思う。それ程に物を大切にしたのである。今は物が溢れ、大切にする価値は小さなものである。この投稿文から昔を思い出し、懐かしさに浸るのである。

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(第2526話) 終盤戦

2017年11月10日 | 意見

 “あと何年生きられるかは分からないが、間違いなく言えることは、私も人生の終盤戦に入ったということだ。あちこちに出掛けると、同じように人生の終盤戦を迎えた人に出会う。生活習慣病や認知症になりたくないからとウオーキングやカラオケをする人、いろいろなクラブに入って運動する人・・・。十人十色だ。
 先日、知人の七十代の女性が「寝たきりにはなりたくない。ピンピンコロリであの世に行きたいもんや」と話していた。私も同感で、ウオーキングやクラブで積極的に体を動かすようにしている。人の集まる場所へ出掛けての会話も大切だと思う。
 他人を喜ばせることができる人は幸せになれ、怒ってばかりいる人は不幸になると聞いたことがある。お金や物を与える方法ではなく、思いやりのある接し方で相手を喜ばせられるような人はとても魅力的だ。私も残り少ない人生の中で、目の前の人を喜ばせることができる人でありたいと思っている。”(10月16日付け中日新聞)

 岐阜県坂祝町の川尻さん(男・66)の投稿文です。66歳で人生終盤か・・・川尻さんは完全退職されているようだから、そう思われるのも無理はない。問題は終盤をどう捉えるかである。そして川尻さんは「目の前の人を喜ばせることができる人でありたい」とあるから、間違いないし、素晴らしいと思う。また、いろいろなところへ出かけて情報収集し、役立てようとされている。良い終盤を送られると思う。まずは終盤の助走である。
 ボクも数ヶ月前、完全退職し、まさに余生を覚えた。終盤と言うと、まだ先がある感じであるが、ボクは余生と感じた。余生は終盤の終盤である。川尻さんは60歳代半ば、ボクは70歳を超えている。この違いは大きい。でも余生であるからより自由を感じた。言いたいことを言い、やりたいことをやる。より積極的に行けると思った。そして老人クラブ連合会長をやりながら、いろいろなことを知った。人に喜ばれることにも気がついた。余生は次の始まりである。
 問題は川尻さんのように積極的でない人である。何もすることがなく、しようともしないでボヤッと過ごす人である。「おじいちゃんは毎日椅子に座って何をしているの」と問われたと言う奥さんの話を聞いた。「寂しい、寂しい!」と言っている男性の話も聞いた。男性がほとんどである。こういった人にどのように語りかけていくか、これがこれからのボクの課題と言う気がしている。

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(第2525話) 長所87個

2017年11月08日 | 活動

 “二十代の孫娘二人の連名で手紙が届きました。封筒の中には、五センチ四方に切った赤や青などの折り紙が四十枚以上クリップで留められて入っていました。折り紙の両面には「よく笑うところ」「話を聞いてくれるところ」「姿勢が良いところ」「毎朝新聞を読むところ」・・・。私の年齢と同じ八十七の私の長所が書いてあって驚きました。最後の紙には孫たち家族四人の笑顔の似顔絵が添えてありました。
 すぐにお礼の電話をすると、一人の孫娘は「友達の記念日に相手の良いところを年齢と同じ数だけ書いて渡すのが今、友達との間ではやっている。敬老の日だからおばあちゃんの良いところを皆で考えたんだよ」と。友達の何倍もある八十七も長所を探すのはさぞ天変だったことでしょう。家族でどのぐらいの時間をかけたのかを想像すると、涙がにじんできました。
 この折り紙を一枚ずつ画板に張って何度も読み返し、健康で過ごすことが皆のためだと思いました。”(10月14日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の絵手紙講師・塩田さん(女・87)の投稿文です。「人は褒めて育てよ」と言う。褒められて気分が良いのは何歳になっても同じである。ボクも現役時代こんな研修を受けたことがある。長所も数個はすぐに浮かぶが、それ以上は大変である。87個と言えば、良いと言われることをすべて挙げても足らないのではないか。それを家族揃って思い浮かべられたのである。素晴らしい、感激で潤まれるのも当然である。宝である。画板に張って読み返される気持ちが分かる。これからの良い励みになろう。
 お孫さんによれば、こんな行為が若い人の間ではやっているという。本当だとしたら嬉しいことである。若い人の交流がスマホなどですますことが多いと聞く最近において、紙とはまた良い。愛知県の話である。我が町でも広がってくれると嬉しいが。そして、我が孫から届いたらどんな気持ちになるだろうか。夢の一つとしておきたい。

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(第2524話) 共助の心実感

2017年11月06日 | 活動

 “町内会の組長になり、地元の小学校で九月上旬にあった防災訓練に初めて参加しました。子どもや若い母親からお年寄りまで皆積極的に参加していて、私には頼もしく思えました。
 体育館では段ボールで仕切りを作り、マットを空気で膨らませて避難所での暮らしを体験し、いつ来るか分からない地震などの災害への準備ができました。自分のことは自分でする自助の精神だけでなく、日頃近所でコミュニケーションを図り、いざというときに助け合う共助も大切だと実感しました。
 わが家の子どもたちがお世話になった学区や地域への恩返しの気持ちも込めて、今後は地域の催しやボランティアにも精を出していこう。そんな気持ちも芽生えました。”(10月14日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・小川さん(男・65)の投稿文です。我が町内も先日防災訓練があり参加しました。台風来襲中の中、中学校の体育館で行われました。参加者のほとんどは小川さんのように今年何かの役員の人。何年かに1度の体験で、どれほど役にたつだろうかと思うが、それでも毎年やっていけば体験者も増え、意味はあるだろう。小川さんも始めての体験に思いを新たにされた。今後に役立てられるだろう。
 最近の雨の強さは脅威である。河川の氾濫、土砂崩れは日本中至る所で起きている。ボクの地域でも、以前はほとんど問題なかった川が今年は溢水した。雨の強さに加え田畑が減っている。土地は風化するのが自然である。昔大丈夫であったからと言って今も大丈夫とはとても言えない。地震の脅威もある。自助、共助、公助と言われる。自助、公助はかなりよくなってきたと思うが、共助は大丈夫だろうか。ボクには薄まっているとしか思えない。

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(第2523話) 正攻法の25歳

2017年11月04日 | 知識

 “新聞社にはさまざまな仕事がある。将棋や囲碁のタイトル戦の運営も、そのひとつ。今月は囲碁の天元戦(十一日、愛知県豊田市)の準備、そして将棋の王位戦の来年の会場選定に追われている。
 対局室の照明は暗くないか、畳は古くないか、思わぬ騒音はないか、空調は十分か。対局前のお茶、午前と午後のおやつ、昼食のメニュ・・・。会場となるホテルとの打ち合わせは盛りだくさんだ。盤面をインターネット中継するための天井カメラ設置の可否の確認なんて作業もある。
 そんな折、八月に今年の将棋の王位戦を制した菅井竜也七段(二五)から文化部にこんな手紙が届いた。「王位戦七番勝負で大変お世話になりました。対局者が集中出来る環境を作って頂き、感謝しています」ほんのり若草色の便箋に丁寧な手書きのボールペン文字。事務作業の疲れが吹き飛ぶ思いがした。
 平成生まれの棋士で初のタイトル保侍者で、流行のコンピューターソフトによる研さんがあまり好きでないとも聞く。定跡通りでない新手をたびたび放つことで知られるが、裏方への配慮は正玖法。話題の藤井聡太四段(一五)以外にも、棋界には魅力が多い。”(10月8日付け中日新聞)

 「世談」と言う欄から文化部長・清水さんの文です。将棋の対戦にこのような配慮がなされていることにびっくりもし、納得もする。何事も主催者や裏方になる人はいろいろな苦労がある。多くの人はそれをある程度知っていても、本当の大変さは知らない。表に出る人は、自分が主役と思っているが、裏方があってのことである。それを間違えてはならない。菅井さんはそれがよく分かっておられるのである。清水さんがわざわざこのことを文にされると言うことは、裏方にこれほどの配慮をされる人は少ないと言うことであろうか。何事も謙虚さを忘れてはならない。感謝を忘れてはならない。
 例えばこんなこともある。先日町会長から、雨のため一斉ゴミ拾い延期の知らせが入った。依頼した時には紙1枚で済むが、予定変更は電話等で緊急に知らせねばならない。そして苦情を言われることはあっても、何の成果にもならない。これが意外に大変なのだ。ボクも先日の老人クラブ役員会で、思わず苦言を吐いてしまった。提出日までに提出がないと、何度も足を運んで取りに行ったり、請求をしなければならない。キチンと約束を守ってもらえば何でもないことが、これは表に現れない大きな苦労である。役員や裏方に対する対応をいつも心しておきたい。

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川柳&ウォーク