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第161号  2017年10月

(第2522話) 雨戸に感謝

2017年10月30日 | 出来事

 “九月中旬の台風で強い風が吹き荒れましたが、わが家では雨戸をしっかりと閉めてやりすごしました。夜が明けて雨戸を開けたら、戸の汚れがあまりにもひどくて驚きました。雨戸は年に数回開け閉めするだけですが、使った後は乾燥させて内側をサッと拭く程度しかやってこなかったので、これまでのちりが積もっていたのかもしれません。たわしや雑巾で念入りに拭いて落としました。隣には普段名古屋市に住む息子宅があり、私は半日かけて二軒分の雨戸を磨き上げました。
 近年、各地での台風被害が増えているような気がします。そんな報道に接するたび、自然の前に人は無力であることを痛感させられます。今回の台風で、雨戸は強風や飛ばされてくる物から住人を守ってくれていることに改めて気づき、感謝しなければいけないと思いました。
 日頃目につく窓ガラスは磨くことはあっても雨戸はつい後回しにしてきたことに反省しきりです。”(10月4日付け中日新聞)

 岐阜県池田町の主婦・鳥井さん(58)の投稿文です。最近の住宅はアルミサッシの窓で雨が入り込むこともなく、また風も入らない。だから雨戸は余り必要性がない。ない家も多く、あってもシャッターであろうか。今雨戸の必要性は、強風の時、物が当たってガラスがわれる心配の時くらいであろう。まさに台風の時くらいである。それだから雨戸を使うことはあっても年に数回であろうからホコリにまみれている。風が強ければそのホコリが窓ガラスに当たる。鳥井さんのこの文はそんな折の話である。こんな時に感謝の言葉が浮かぶとは、面白いものである。
 昔の建物には必ずあると言っていいだろう。ボクの家の母屋は古くほとんどの窓に雨戸がある。ボクは伊勢湾台風の体験が強く残っている。あの時は戸箱が飛び、雨戸も外れた、壁も抜けた。本当に怖い思いをした。これがトラウマになっている。いつまでたってもその恐さが忘れられない。今も台風が来ると知ると早くから準備をする。雨戸やシャッターの出番である。そして雨戸のない家を思う。今はガラスも強くなったとは思うが、何か飛んできて窓ガラスが割れるようなことは考えないのだろうか。

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(第2521話) 私に教わって

2017年10月28日 | 出来事

 “先日、探しものをしていて段ボール箱を開けたら、原稿用紙が2枚見つかりました。60年前、中学生の頃に書いた「二年生になって」と題した作文でした。作文には「二年生になって、少しえらくなったと思うことが時々ある。でも生徒会などを良くするために自分自身、クラス、そして学校全体に目を向け中心になって、つらくても、正しいと思った事に強く邁進しなければならない。それには実行の出来ない大きな計画ではなく、確実に実行出来る計画を立てる事である」と書いてありました。
 これを読んで、今までの自分の人生を振り返りました。組織の中に入り、中心となって正しいと思うことを実行できたのか。答えはイエスでもノーでもありません。ただ、前向きに歩んできたとは思います。
 中学時代の自分は、純で正義感にあふれていたことを思い出しました。この年になると、ひとつのことに対して、何が正しくて何が間違っているのか、強く言えなくなります。でも人生80年、人の中心にならなくても、ことの善しあしだけはしっかり見極めて生活したいと、今にも破れそうな茶色に変色した原稿用紙に教わりました。”(10月3日付け朝日新聞)

 千葉市の主婦・佐藤さん(73)の投稿文です。小学校や中学校時代に書いたものをある時偶然に見つける。こんなものがまだあったのか、驚くと共に懐かしさにひかれ夢中で読む。誰にも時折ありそうなことである。余りに純粋で気恥ずかしくなることもあろう。これがまた気持ちを新鮮にさせる。佐藤さんのこの文はまさにそういったものであろう。そして、それなりに書いたような人生で安心されたようだ。用がなくなると何でも捨ててしまう人もあるが、また最近は断捨離とか言っていろいろ整理を勧めている。ボクの夫婦も年老いてきて、妻は整理することを気にかけている。ボクは抵抗するように余り動かない。
 実はボクにはたくさんの紙くずがある。これをボクは宝物と称している。佐藤さんが見つけられたら小中学校の作文などもまだある。久しく読んだことはないが、、整理されているのでどこにあるかは分かっている。この機会に一度読んでみようか。驚くようなことが書いてあるかも知れない。

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(第2520話) 昆布巻

2017年10月26日 | 活動

 “ふだんは別々に自分のしたいことをしている夫婦ですが、九月に入るとがぜん、一致団結となります。それは正月の昆布巻き用のハゼのためなのです。これなしにはわが家の正月が迎えられません。
 夫は朝早くからハゼ釣りに出かけます。昆布巻き用のハゼは、なるべく小さいものが骨も柔らかに煮えるので、ハゼが大きくならない時期を狙っています。釣ってきたハゼを夫が内臓を出し、私がガスこんろの網でじっくりゆっくり焼き上げます。それを干物用のネットにいれ、陰干しして、冷凍庫に入れます。この一連の作業が、天気のよい週末続きます。昨年は六十匹のハゼを昆布巻きにしました。
 初めて挑戦したときは、昆布の巻き方から味のつけ方まで、その都度実家の母に電話で教えてもらいながら作ったことが思い出されます。ハゼを巻いたのと、ニンジン、ゴボウ、油揚げを巻いた二種類作り、この時しか出番のない大鍋でとろとろ煮込んでいきます。ハゼのだしと野菜のうま味が相まって、海の物と山の物の味の融合に、先人の知恵を思います。今年の締めくくりに、おいしい昆布巻きができるか、母の味に近づいているか、今からドキドキしています。”(9月30日付け中日新聞)

 浜松市のパート・荒川さん(女・63)の投稿文です。ふだんは別々でも、何かの折りに一致協力する、これも一つのいい夫婦のあり方であろう。荒川さんご夫婦はそれが昆布巻き作りであった。荒川さんのご主人は、フルで働いてみえるのか、それとも完全退職されているのかなど、今どうされてるのか分からないが「ふだんは別々に自分のしたいことをしている夫婦」とあるので、それぞれの生活を満喫されているのであろう。夫婦だからと言っていつも同じでは息が詰まることもあろう。でも何かの折りに、お互いの存在が確認でき、頼りにできればそれも夫婦の一つの形である。
 夫婦のあり方は千差万別、でも何十年と連れ添えばそれは一つの形であろう。夫婦げんかばかりしている夫婦に見えても、どこかに良さを感じているから続いているのである。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」という諺もあるから、下手な注意は要注意である。

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第2519話) 習い事
2017年10月24日 | 活動

 “四日付本欄「習い事 役に立つのかな」を読み、私も子どもの頃、同じように感じていたことを思い出しました。親の勧めで習い事をいくつかしていましたが、「小学校卒業まで」などの区切りがつくまでやめさせてはもらえず、自主的に練習をやめたり、勝手に休んだりしていました。
 学生時代はこうした習い事の成果を感じられませんでしたが、大人になり、その経験に助けられることがいくつかありました。英語や電子オルガンを習ったおかげで、英語教室の講師としてリトミックを指導する機会がありました。書道をたしなんでいたため、人前で字を書くのも恥ずかしくありませんでした。
 子どもの頃の習い事は将来の仕事や趣味の選択肢を広げ、友人が増えることにもつながります。決して無駄ではないのです。私も親になった今、いろいろと習わせてくれた親に感謝しています。”(9月30日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市のパート・八木さん(女・38)の投稿文です。ボクにしてみれば八木さんが羨ましい。習い事は役に立ちます。農村だからだったかも知れないが、ボクらの子供時代に習い事はなかった。ボクの娘はピアノを習った。近くに教室があったのである。もちろん中途半端で終わるが、それでも娘にはピアノが弾けるのが大きな自信であった頃があった。
 ボクは今思うと習字は習っておきたかった。戦前の人は読み書きソロバンであった。戦後はそれらが軽視された。今我々の世代で文字が上手に書ける人は少ない。数年前檀家総代をしていた時、大慌てをすることがあった。今まで芳志者名を墨で書いていた長老が突然休まれた。書ける人は誰もいない。さてどうする・・・?ボクはこんなことも起こりうるだろうと思って、事前にパソコンで試しておいた。それが役に立った。その後パソコン書きとなった。習字が書けたらもっとボクの株が上がったろうにと、思うことは度々である。ボクの妻は40代の頃に習字を習いに行き、師範まで取った。書くことにおいてはほとんど妻頼りである。他の場でも妻は重宝されている。
 習い事は役に立ちます。でも今は熱の入れすぎの気もする。週にいくつも習い、それを親が送り迎えする。これでは子供も親も忙しくなる訳だ。それに費用もかかる。その分、もっと大切なことがおろそかになっていないか、それが気にかかる。

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(第2518話) 生物の命

2017年10月22日 | 人生

 “朝のサイクリングの途中、自宅近くの路上でアメリカザリガニを久しぶりに見つけました。戦後すぐの食糧難の時代、私は小学生で現在の愛知県愛西市に住んでいました。兄や友人と近くの川でよくザリガニを釣りました。カエルの肉片を針に刺し、競うように釣ったものです。バケツいっぱいのザリガニを意気揚々と持ち帰ったこともありました。真っ赤にゆで上げ、殼をむいて取り出した肉を母が甘辛く煮てくれました。当時は貴重なタンパク源でした。とてもおいしかったです。
 子どもの頃はいつも空腹でした。桑やハスの実やイナゴなど、それこそ食べられるものは何でも口にしてきました。おかげで今も好き嫌いはありません。飽食の時代といわれますが、私にはどうしても、食材である動植物からいただいた命を粗末にすることはできないのです。私たちが口にするものは全て尊い命の犠牲の上にあることを忘れてはいけないと思います。”(9月28日付け中日新聞)

 愛知県津島市の横井さん(男・74)の投稿文です。横井さんは同世代、全く同じ食生活です。ボクもアメリカザリガニをよく取りました、食べました。ボクの所にはハスはありませんでしたが、桑の実はありました。口を真っ黒にしたものです。イナゴも食べました。今でも好物です。幸いボクの家は農業です。食べるものを欠かすことはなく、空腹も余り覚えていません。ただ毎日同じものを食べるのです。ナスやキュウリの頃は毎食これです。買ってきて食べることはほとんどありません。数回同じものが出ると不満に思う人を聞くことがありますが、ボクは今でも1週間、2週間同じものでも多分不満は言わないでしょう。食べ物に限らず小さい頃からの習性はいつまでも生きているものです。そして食物を大切に扱うことです。食べるものはほとんどが元々は生物です。いくらきれい事を言っても人間は他の生物を食べざるを得ないのです。横井さんが言われるように感謝しながら大切に食べることにつきます。
 ぼくらは貧し時代から豊かになった。今の子供や孫は生まれた時から豊かであった。その豊かさはどこまで伸びるのか?今の豊かさはどこまで続くのか? 満足感、幸せ感はここまで来たら感じられるという絶対的なものではありません。相対的なものです。昨日より今日の方がよければ幸せです。人より恵まれていれば幸せです。これからの人は大変だと思います。

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(第2517話) そこだけ頑張る

2017年10月20日 | 教訓

 “私の毎朝六時の日課。主人を送り出したついでに、庭の草取りをすることです。昔、亡き母がよく「家に入る前に十本でいいから、草を取って入ってきてね」と言っていたその言葉が、今になってよみがえり、適当に聞き流していたことを、申し訳なかったなと、反省しています。
 しかし最近、いつも通り草取りをしている最中に、すてきな発見をしました。たまたまトマトやナス栽培に使われていた、直径30センチくらいの金属製の輪が草の上に落ちていて、ハッとしました。そうだ、この輪の中の草だけ、まず一気に取ろうと。すると不思議なことに、輪を置いただけで、がぜんやる気がわき出しました。輪の中だけ、そこだけ頑張ればいいんだ。それって、いわゆる人生の目標をつくって、それに向かって頑張るのに似ているな、と気付きました。
 脇目も振らず目標を絞って取り組めば、おのずと好転していくものだと感じました。たまに輪の外の草に手が出そうになります。これが欲というものでしょうか。こんな小さな発見ですが、人生にも当てはまると気付いたことに、小さな感動を覚えました。これからもこの輪のように、頑張るけど欲張らないで、小さな目標を持ち続けていきたいと思います。”(9月26日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・中川さん(60)の投稿文です。また一つの知恵をもらった。大きな目標を持つことは大切である。しかし、疲れて飽きて、途中で投げ出してしまうことも多い。その目標を小刻みにして、一つずつ達成していくのである。気づいたら大きな目標が達成できていた、こんなこともありうるのである。中川さんはそれを草取りから気づかれた。大きな区域では見ただけでも嫌になる。それをまず30センチ円だけやろうとされた。これなら簡単なことである。そして、それを続けていけば大きな区域も終わるのである。人生全般に通じる知恵である。小さな事なことでも継続すれば大きな成果になる。ボクは昔から言ってきた。凡人も継続すれば凡人ではなくなる。ボクら凡人は小さな事を継続することくらいしかできない。でもこの継続は難しいのである。継続できれば非凡人である。

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(第2516話) 手話甲子園

2017年10月15日 | 活動

 “稲沢市祖父江町の杏和高校JRC(青少年赤十字)部の九人が、十月一日に鳥取市で開かれる「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」に出場する。本選出場は三年連続で、テーマに掲げる「共生社会」を歌やダンスを交えた演劇で力いっぱい表現し、優勝を目指す。(中略)
 大会は、全国で初めて手話言語条例を制定した鳥取県で開かれ、四回目。高校生が手話による歌やダンスなどを披露し、正確さや表現力を競う。今大会には五十四チームの応募があり、八月のビデオ審査予選を通過した二十チームが本選に挑む。三年連続の出場となった今年の予選は、過去最高の十位以内で突破した。(中略)
 リーダーの飯田さんは「手話に緩急をつけて感情を表現するのが難しいけれど、みんなで一つのことをする楽しさを表現したい」と意気込む。顧問の森雅子さんは「生徒たちのモチベーションがはち切れんばかりで、練習すればするほどどんどん上手になっている」と期待をのぞかせた。”(9月26日付け中日新聞)

 記事からです。そして、10月1日の大会で杏林高校はみごと準優勝を飾った。普通なら簡単に読み飛ばす記事であるが、今回は違った。今年8月26日(土)にこの生徒の手話を見たのである。隣村の老人クラブで、世代間交流事業として手話教室を開くというのである。そして老人クラブ連合会会長のボクに案内状が届いたのである。所用を早めに終えて、その会場へ足を運んだ。会場に入ったら全くにぎやかな有り様である。子供、父兄、老人が40人くらい集まっていた。早速いろいろな説明を受けた。もうすでに手話の勉強は終え、新聞で輪を作り、輪投げをしていたのである。高校からは2人の先生と2人の生徒がきていた。最後にまた手話で歌を歌ってくれた。もう十分に慣れた進行である。こうした講習や慰問で経験を積んできたのであろう。こうしたことに努力をする高校生に敬服である。そして、見事全国大会で準優勝になったのである。ボクからも拍手喝采を送りたい。
 次の連合会役員会でこの事業を紹介し、褒め称えた。ボクは連合会会長を半年終え、各クラブの事業が一番大切と感じている。それは自分の住む場所の近くで行われるからである。いくら良い事業でも、遠くでは高齢者に不向きである。歩いて行ける、少しの自転車で行ける、そんな場所であることが必要である。ボクは中央の公民館で開催される教養講座を分散してやって欲しいと要望した。敬老会も中央一箇所ではなく、各小学校単位でやって欲しいとも言った。ボクの要望を取り入れて欲しい。

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(第2515話) 広い駐車場

2017年10月12日 | 知識

 “自宅近くの大型スーパーへ1人で買い物に行き、広い駐車場に白い軽自動車を止めました。駐車場に番号などは振ってありません。その日はとても慌てていて、急いで買い物を終え、車に戻ろうとしましたが、止めた場所が分からなくなってしまいました。私と同じ色や車種の車がたくさん並び、駐車したときに近くに止まっていた車は入れ替わっていたのでパニックになりました。自分の車のナンバーを思い出して冷静になって捜すこと二~三分。ようやくマイカーが見つかりました。
 既に工夫している施設もありますが、大きな駐車場だと地面や柱などを色分けしてもらえたらと思っています。特に日本では白、黒、シルバーといった色の車が多い気がしますので。私たちはもっと目立つ色や柄の車体を選んだり、目印を付けたりすることも必要かもしれません。乗り手の個性が出て運転も楽しめるのではないでしょうか。”(9月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・犬飼さん(53)の投稿文です。これは有効な意見である。ボクも少し大きな駐車場だと、どこに置いたかな、と迷うことは多い。管理者がこのことに気づけば、実施することは比較的簡単なことである。それも一方法だけでなく、できることはして欲しい。高齢者には特に必要だが、若い人にも有効であると思う。
 先日孫の小学校運動会に行った。しかし、孫がどこにいるか分からない。探しているうちにその種目が終わってしまう。ところが、別の小学校の話が出た。1枚の紙に種目毎に略図が書いてあるものが学校から配布されたという。孫から、その略図に自分のいる位置が記入された物をもらったと言うのである。おおよその位置が分かれば探すのも早い。いい知恵と思った。頭は使いようである。

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(第2514話) 紙基本の暮らし

2017年10月09日 | 意見

 “八月二十六日付本欄「ネットを解約 紙も便利」を読み、まさにその通りだと思いました。最近私はスマートフォンを使って書籍などの商品やイベントのチケット購入を始め、ネット銀行も利用しています。スマホは便利で、これ一つで「何でもできる」気がしていますが、便利すぎて少し怖くもあります。そこで本当に必要な買い物なのか、ネット銀行の預金残高は今いくらあるのかを自問してみました。自分が一日に何時間スマホを操作しているのかも考えてみました。
 そんな中、スマホの電話帳に登録していてもほとんど使っていない連絡先があることに気付きました。先日、家族や親しい友人、必要な連絡先以外の百件ほどを削除しました。私は今すぐにスマホを手放せそうにありませんが、少しずつ昔ながらの紙を基本とした生活に戻していきたいと思っています。”(9月20日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・54)の投稿文です。ボクもスマホを持って4ヶ月ばかりたつ。こんなに便利かと思うほどである。これではのめり込む人もあろうと思う。便利と言われるものはほとんど同じである。上手に使いこなすのか、使われるのか、それはその人の意識に係わっている。ボクの年代になると、まだほとんどがガラケー携帯電話である。スマホを見せるといろいろ聞かれる。まず料金であるが、10000円くらいかかると思っておられる方も多く、いや、2000円くらいですよと言うと驚かれる。ボクはそんなものであり、ゲームなどをしなければ驚くほどではないのではなかろうか。もちろん、電話をかけたり、娘らとラインをしたり、欲しい情報を見るくらいである。カメラもよく使う。デジカメと使い分けているが、持って来なかった時に助かっている。ボクは歳にしては先端機器をよく使っている方だと思う。それが大きな優位なことになっていることも多い。道具は使いようである。そして紙には紙の良さがある。

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(第2513話) 中学の同級会

2017年10月07日 | 意見

 “年を重ねてからの同級会は多くの人にとって楽しい催しらしいが、故郷を遠く離れて暮らしている私には憂鬱の種だ。四十代のときに始まった中学校の同級会は、三十数年ぶりに再会した初回こそ懐かしいひとときだったものの、回を重ねるごとにその感激は薄れていった。地元に残って頑張り、自分を成功者だと思っている人の自慢話にはうんざりした。そうでなくても皆趣味の自慢や幸せ自慢、孫やペット、病気の話ばかりで、泊まりがけで会を開く必要があるのだろうか。私は疑問を抱いた。
 同級会に参加すると気の合う旧友に会える一方、できれば関わりたくない人と今後もつながらざるをえない可能性がある。酒癖の悪い人が皆の思い出を台無しにすることだってある。気の合う人といったん連絡先を交換できれば、その後の同級会はあまり意味がないように私には思える。定年退職した同級生が増え、同級会の開催頻度は増えそうだが、毎回誘いを断っている私の心情を察してもらいたいとも思う。”(9月20日付け中日新聞)

 岐阜県関市の主婦・長野さん(64)の投稿文です。小学校、中学校の同窓会を運営しているボクには気になる意見である。確かに自慢話をする人も多いだろうし、学校時代目立った人が同窓会でも目立つ人は多かろう。しかし、これは何も同窓会に限ったことではない。人の集まるところ、どこにもある。ボクの会では泊まりがけはほとんどしたことがない。希望があってしたこともあるが、参加者はわずかであり、ボクは同窓会として開くつもりは今のところない。ボクは数年前に、案内の要らない人をきいた。そして、要らないといった人には案内を出さなくした。しかし、昨年は再び、全員に案内を出した。そしたら要らないと言っていた人が数人参加した。人はいつまでも同じ気持ちではない。年々、その時その時で気持ちは変わるのである。70歳を超えると参加できなくなる人も多くなる。結果的にその時が最後であった、と言うことも多かろう。自分が参加するのは自分のためばかりではない。会いたいと思っていた人があるかも知れない。嫌なことは見なければいい、聞かなければいい。長野さんも上手の同窓会を利用されといい。

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(第2512話) 百日紅との別れ

2017年10月05日 | 活動

 “「百日紅」は「さるすべり」とも読む。初夏から9月末頃まで咲き続ける。俳句では、夏の季語である。この花は、家を建てて35年近く私に寄り添って咲き、行き交う人の目を引いた。我が家は俳人としての半生を送ってきた私の居場所。亡き母の終のすみかでもあった。寒肥と選定を欠かさず大切に育ててきた。
 木登り上手なサルも滑るという艶やかな太い幹となり、大きな枝を張っていた。家の前の川にかかる石橋の上には、花くずと落ち葉が重なり、掃除のたびに袋を一つ二つと重ねた。それが毎日続く。特に雨の日の後は、重みでちりとりを持つ手がしびれ、加齢とともに対応が難しくなってきていた。
 病気の数が増えるたびに、もし寝付くことになると、どうしようと不安が募った。これから花が終わって、落ち葉の季節となる。目をつむって、伐採してもらう決心をした。35年間を共に過ごした夏の思い出がよぎった。名残の百日紅を仰ぐ私の肩に花びらの紅がこぼれた。今月6日、葉を刈りに来た植木屋さんに伐採を頼んだ。残ったのは高さ5センチほどの切り株。終活の中でもっともつらい決断だった。”(9月15日付け朝日新聞)

 大阪府豊中市の俳人・小畑さん(女・77)の投稿文です。長年育ててきた木を、この先維持できなくなって伐採する。まさに我が家の抱える問題である。ボクはもう30年前以上になるが、庭を造り、何十本と木を植え、守ってきた。数年前まで植木屋さんに剪定を頼んでいたが、その植木屋さんも高齢となり、もう来てくれなくなった。そこですべてボクがするようになった。そのボクも70歳を過ぎている。脚立に立つのが危なかしい。妻にいつも支えてもらっている。そこで妻はすべて切り倒してくれと言う。この時期になると毎年このやり取りである。ボクにはまだ未練がいっぱいである。小さく切ることはできても切り倒すことはできない。そこにこの文に出合った。こういう家庭は多いだろう。今の若い人は庭木にほとんど魅力を感じない。先日、家を新しくしたある家庭に行ったら、以前あった庭木はほとんどなく、すべてコンクリートと石張りである。これでは草も生えない。世話はほとんど要らない。これが若い人かと思った。

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(第2511話) 30年ぶりの電話

2017年10月03日 | 出来事

 “「Kです。わかる?」「もしもし?」「忘れた?Kだけど」「もしもし、うーん、はい・・・」。Kさんと同姓の名前は、他に心当たりはない。なぜ?突然の電話に言葉が出ない。Kさんはひとしきり、私の家族のことを尋ね、自分にひ孫が生まれたと語った。そして、「もう30年ぐらい経つ?」
 そう、30年前のことがよみがえる。あの日、彼女が姶めた店の流し台が詰まって大騒ぎになり、それが原因で疎遠になった。20年来の友人だった彼女から理不尽な誤解をされ、友情のもろさを痛感した。とても親しくお付き合いしていたが、互いに連絡をしなくなって30年の歳月が過ぎた。
 その彼女からの電話に本当に驚き、その勇気に感激した。衰えのない、懐かしい声が聞けて幸せな気分になった。30年の月日は、あの時の悲しかったこと、人間不信に陥ったこと、すべてを忘れさせてくれた。昔聞いた、月日が全て解決してくれるという言葉を実感している。お互い人生も終わりに近づき、和解の電話だったのかもしれない。最後は「健康で過ごしましょうね。ご主人ともどもよろしくね」と終えた。”(9月14日付け朝日新聞)

 東京都の主婦・肩村さん(82)の投稿文です。これはまた勇気の要る話である。でもしてしまえば何と言うこともない。こんなこと、なぜもっと早くしなかったろうかと、悔やむことであろう。このKさんは肩村さんと同年代であろう。Kさんにはこのままでは死ねない、と言う気持ちがあったのではなかろうか。もう何十年も前のことである。今更謝罪の言葉など要らない。安否を尋ねるだけでいい。それですべて解決である。この話はこんなことを伝えているのではなかろうか。
 さて、ボクにこんな知人はいなかったろうか。今は誰も思いつかない。この先こんな知人があることに気づいた時、この話を思い出したいものだ。

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(第2510話) 食中毒防ぐ

2017年10月01日 | 知識

 “腸管出血性大腸菌O157による食中毒が問題になっているのを知り、私は一つの教えを思い出した。五十年以上前に林業関連会社で働いていたとき、ある男性と知り合った。彼は山で伐採した材木をケーブルで麓に搬出する作業を請け負い、現場で親方を務めていた。伐採作業中は簡単な山小屋を建てて、1ヵ月ほど作集員たちが集団生活をした。山小屋に冷蔵庫はなく、麓から食料を運んだり、町へ買い出しに行ったりしていた。
 親方は「食べ物を口にするときは『作れ』『焼け』『炊け』『ほったれ』の順番を守りなさい」と教えてくれた。新鮮な食材は刺し身などで、食べられるかが怪しくなったら焼き、さらに危ないと思ったら煮炊き、それでも駄目なら捨てろというのだ。作業員たちは山に入ると新鮮な食料を手に入れられなくなるので、生活の知恵として実践していたようだ。以来私もこの教えを守っている。”(9月13日付け中日新聞)

 津市の自営業・村田さん(男・81)の投稿文です。O157の患者が発生し、死亡者まで出た。その店は全店を閉鎖をした。大変な騒ぎになっている。今は食品の衛生管理がしっかりし、それに従っていれば問題なく過ごしている。しかし、その昔は個人が、その食べ物の状態を把握して判断していた。その一つの知恵がこの親方の言葉であろう。この知恵は食品を無駄なく使おうという知恵がある。今はどうだろう。賞味期限が過ぎれば捨てる。本当はまだ十分に食べられるのにである。自分の知恵で判断するのではなく、書いていることに従っているのである。書いてあることは、すべてを一律に扱うので、自然安全側に働く。食べられないものを売ったのではなく、賞味期限を過ぎた物を売ったことで処罰がされる。ものの溢れた豊かな日本だからであろうか。いつまでこのような生活が続けられるもだろうか。安全は自分で守るものではなく、守ってもらう時代になってしまった。他人任せである。これを進歩というのだろうか。マニュアルニッポン、どこへ行く。

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川柳&ウォーク