“九月中旬の台風で強い風が吹き荒れましたが、わが家では雨戸をしっかりと閉めてやりすごしました。夜が明けて雨戸を開けたら、戸の汚れがあまりにもひどくて驚きました。雨戸は年に数回開け閉めするだけですが、使った後は乾燥させて内側をサッと拭く程度しかやってこなかったので、これまでのちりが積もっていたのかもしれません。たわしや雑巾で念入りに拭いて落としました。隣には普段名古屋市に住む息子宅があり、私は半日かけて二軒分の雨戸を磨き上げました。
近年、各地での台風被害が増えているような気がします。そんな報道に接するたび、自然の前に人は無力であることを痛感させられます。今回の台風で、雨戸は強風や飛ばされてくる物から住人を守ってくれていることに改めて気づき、感謝しなければいけないと思いました。
日頃目につく窓ガラスは磨くことはあっても雨戸はつい後回しにしてきたことに反省しきりです。”(10月4日付け中日新聞)
岐阜県池田町の主婦・鳥井さん(58)の投稿文です。最近の住宅はアルミサッシの窓で雨が入り込むこともなく、また風も入らない。だから雨戸は余り必要性がない。ない家も多く、あってもシャッターであろうか。今雨戸の必要性は、強風の時、物が当たってガラスがわれる心配の時くらいであろう。まさに台風の時くらいである。それだから雨戸を使うことはあっても年に数回であろうからホコリにまみれている。風が強ければそのホコリが窓ガラスに当たる。鳥井さんのこの文はそんな折の話である。こんな時に感謝の言葉が浮かぶとは、面白いものである。
昔の建物には必ずあると言っていいだろう。ボクの家の母屋は古くほとんどの窓に雨戸がある。ボクは伊勢湾台風の体験が強く残っている。あの時は戸箱が飛び、雨戸も外れた、壁も抜けた。本当に怖い思いをした。これがトラウマになっている。いつまでたってもその恐さが忘れられない。今も台風が来ると知ると早くから準備をする。雨戸やシャッターの出番である。そして雨戸のない家を思う。今はガラスも強くなったとは思うが、何か飛んできて窓ガラスが割れるようなことは考えないのだろうか。