“電車やバスなどで優先席に座っている若者をよく見かけます。皆さんはそんな光景をどのように思いますか?何も感じないでしょうか。私はとても違和感を覚えます。優先席はお年寄りや体に障がいがある人など長時間立っていることが不可能な人が座るための席です。そこに健康な若い人がよく座っているのです。もしかすると座っている若い人には見た目には分からないような何か特別な理由があるのかもしれません。ですが私には、ただ座りたくて座っている人も結構いるような気がしてなりません。
本当に優先席を必要としている人が、そこに座っている健康な人に「席を譲ってください」とはなかなか言いだしにくいものです。いま一度、優先席のあり方を考え直すべきではないでしょうか。”(8月13日付け中日新聞
津市の高校生・池谷さん(女・17)の投稿文です。電車の優先席の話は尽きない。それだけ身近な話で、座らなくてもいい人が座っているからである。座らなくてもいい人でも、空いていれば座ってもいいが、その時は周りに気をつけねばいけない。必要な人が来たと思ったらサッと立てばいいのである。それが立たないから問題になるのである。こういう話になると、必ず「若い人でも必要な人はある」という話が出てくる。優先席に座っている人は、それが必要な人ということであればこんな話は出て来ない。必要な人を立たせてスマホに夢中になっているから問題なのである。72歳のボクでさえ優先席に座るときは気を使う。ボクより必要な人はいないか、そんな人が乗り込んでこなかったか、気になるのである。気にするくらいなら座らない方が楽である。だからまず一般席の空きを見つけるのである。日本の電車の優先席と歩行者優先の横断歩道は、ないと同じである。全く無視されている。こんな社会でいいのだろうか。池谷さんの言葉をよくかみしめて欲しいものである。