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第158号  2017年7月


 
 

(第2481話) 笑う姉妹

2017年07月30日 | 活動

 “姉が八十代半ばになって、「高齢になって体が大変だから、五アールのハウス以外は耕作をやめる」と、突然言い出しました。あれほど一生懸命にたくさんの野菜を栽培して、孫たちに送ることを楽しみにしていた人がです。一瞬、耳を疑った私ですが、とっさに「じゃあ、空けた畑、私に貸して」と言ってしまいました。
 姉の家の周りは、構造改善で真っ平らに造られた農地ばかりです。さらに、周囲は集落の人々の大変なご努力で、獣害防護柵が張り巡らされています。自分の周囲にはない、素晴らしい条件が整った農地を、借りることを決めた日から、「通い農業」が始まったのです。
 姉と相談して作付けを決め、肥料を入れて耕運し、種まきし、耕作していきます。ともに高齢の二人がそれぞれの体力にあったやり方で、仕事を進めていきます。仕事の合間に、お茶を飲みながら話は途絶えることなく続きます。破顔大笑をモットーに、百歳近くまで生き抜いた母のDNAを、真っすぐに受け継いだ私たち姉妹です。誰はばかることなく、今日も大声で笑いながら、仕事を進めます。”(7月9日付け中日新聞)

 愛知県東栄町の主婦・森下さん(76)の投稿文です。「笑う姉妹」とあるが、まさに老婆2人である。畑の中で、老いた姉妹が笑い合いながら、助け合いながら農作業をする。専業ではないので、のんびりしたものであろう。のどかないい風景である。
 しかし、目を少しそらしてみると大変なことである。愛知県東栄町と言えば、まさに山村、過疎の村である。この後どうなっていくのだろうか。構造改善事業で整備した農地も間もなく荒れ放題になるだろう。後を継ぐ若い人がいないのである。会社などの大規模農業が入って来れば何とかなるかも知れない。入ってきたとしてもどこもかしことは行かないだろう。会社などでも農作業をする人は必要である。どれだけこのような地域で確保できるであろうか。これから人口減少社会、人手不足の時代に入っていく。農業が楽しいという人の声は聞くが、そんなに多いとは思えない。いくら機械になっても土仕事である。きれいな仕事ではない。荒れた農地は災害の元でもある。こんなことを考えると笑ってはおられない。笑っておられるのはこのような年代までであろう。

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(第2480話) 走る市民ギャラリー

2017年07月28日 | 知識

 “一宮市は7月から、市内を走る名鉄バスの路線バスと市のコミュニティバスの広告スペースに市民の絵画や書などの作品を無料で掲示する「走る市民ギャラリ-」を始めた。名鉄バスによると、同社の路線バス内に市民の作品を掲示するのは初めてという。
 市が市民に公共交通機関の利用を促し、創作活動の発表の場にもしてもらおうと、名鉄バスに協力を依頼。同社は快諾した。絵や書作品、写真など作品のジャンルを問わず、市内で活動する団体が応募できる。(中略)
 市内を走る名鉄バスの路線バス五台と、市のコミュニティバス「iバス」三台が対象で、路線バスー台に六枠、iバスー台に五枠ある。原則一台につき一団体が掲示する。来年六月末までで、1ヶ月ごとに交換する。
 路線バスのスペースの最初の利用団体となった、新聞を使ってちぎり絵を作る市民グループ「えんがわの会」は、花や昔話を表現した作品など二十七点を展示。代表の古川咲代子さん(七一)=一宮市大和町苅安賀=は「バスはいろんな人が乗る。たくさんの人が活動を知って、興味を持ってもらえたらうれしい」と話す。市地域ふれあい課の星野克治専任課長(五〇)は「バス移動の時間を楽しんでもらえれば」と話している。”(7月8日付け中日新聞)

 記事からです。最近のバスは全くいろいろなものが掲示されている。場合によっては中ばかりでなく、外観もそうである。うるさくさえ感じるときがある。しかし、市民の作品となれば別である。改まった場所に行かなくても市民の作品が見える。いろいろな発展があるだろう。いい知恵があるものだと、感心する。これこそ発想である。一人一人違う発想がある。ここはいろいろな人の意見を聞くことが大切であると思う。
 ボクの老人クラブ連合会長も、ここまでは自分一人で走ってきた気がする。特に世代間交流事業についてはそうだ。やらねばならない。時間はありそうでない。この事業についてはこのまま走っていかざるを得ないだろう。しかし、この他はじっくり意見を聞こうと思っている。10月にはそんな場を持つことを明言している。前回の委員会でこんな発言をした。「連合会というのは、本部役員だけでいろいろなことをやり、皆さんには連絡するだけである。これが連合会だろうか?」と、疑問を提しておいた。他にもいろいろなことを言ってきた。皆さん、どのように考えてくれるか、どんな発想があるか、前向きな意見が出ることを期待したい。

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(第2479話) 流れる水

2017年07月26日 | 人生

 “今年もアユの友釣りシーズンが到来した。激流に立ち込み、ガガーンと掛かったあの瞬間の醍醐味、一度味わった者は、必ずとりこになるだろう。釣り暦四十年近くになる私も、例外なくはやる気持ちを抑え、やれさおだ、やれ仕掛けだと、日夜没頭するのが通例だが、なんとここ三年余り一度も釣行していない。
 別に釣りが嫌いになったわけではない。実は、体力には人一倍の自信があったが、三度の手術、入院などを余儀なくされ、一気に心身とも、意気消沈してしまった。今でもそのトラウマを引きずっている。毎日、もんもんとしながら、何とかしなければと焦ってみても、もう年だから仕方ないと、半ばあきらめていた。
 とある朝、いつものように暦をめくった。そのときあることわざが目に入った。「流れる水は決して腐らない」。一瞬、パッと何かがひらめいた。そうだ、動かねば。体はともかく、心まで腐っては生きているかいがない。よし、腹は決まった。アユの顔を見に行こう。「流れる水は決して腐らない」。名言だ。これを座右の銘に、一念発起、友釣りに行こう。何分、無理のないように。私には釣り以外、何もないのだから。”(7月8日付け中日新聞)

 岐阜県高山市の滝下さん(男・76)の投稿文です。一寸先が闇の人生であるが、若い時はまだしも高齢になればまさに、先が読めない。脳梗塞などで倒れれば一瞬にし不具者であり、もう完全復帰は絶望である。滝下さんも手術入院から、好きな釣りができなくなった。気力も失せた。加藤さんはそんな時、一つの諺に出合った。「流れる水は決して腐らない」。滞ってはいけないのだ。滞っては腐ってしまう。生きている限り、流れる水でいたい。できる範囲で活動的でいたい。再び友釣りに行く決心をされた。よかったと思う。
 この諺は暦に書かれたものであった。いつものように暦をめくったとあるので、日めくりであろうか。日めくりなど今はとんとお目にかからない。確かに日めくりにはいろいろなことが書かれていた。その日に関わることはもちろん、このように諺も書かれていた。昔は、毎年一つくらい頂いていたものだし、毎日めくるのがボクの役目だったときもある。何が発展するか分からないものである。このような発展に繋がった人も多かろう。この文を読んで買ってきてでも日めくりが欲しくなった。ボクも完全退職して、朝ゆっくりすることが多くなった。日めくりでもめくって、妻との会話にするのも一つの方法だ、と気がついた。
 そしてすぐにネットで探した。もう今年は半ばを過ぎている。日めくりは無理だ。しかし調べて見るといろいろなものがあるものだ。150枚位を綴った「四字熟語」と言う暦を見つけ、購入した。今の次点で暦は余り重要ではない。これで毎日新しい四字熟語を勉強できる。

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(第2478話) 有終の同窓会

2017年07月24日 | 人生

 “傘寿を目前にした最後の同窓会。タイトルは万感の思いを込め、「有終の同窓会」としました。鬼籍に入られた恩師や、多くの仲間をしのびながら、百通の案内状を発送。五十六人の方から参加の返書が届きました。
 開催までの間に、さまざまな出来事がありました。直前にご主人が急病となられた方、突然の入院を余儀なくされた方、開始間際になっても姿が見えず、急きょ連絡するも期日の間違いで、いまだに遠方の家におられた方。こうした事情は年齢を浮き彫りにしましたが、1人の女性からの手紙はダイナミックなものでした。「安定しない体調に、参加への決意が揺らぎます。気持ちを固めるために、会費を先に送ります」。潔い決断でした。
 これまで培った揺るぎない友情で盛り上がり、過ぎた歳月を懐旧談で満たしながら、集大成ともいうべきうたげの終わりには、「ふるさと」と「ラバウル小唄」の替え歌を合唱。
 中学卒業以来、重ねてきた私たち同窓会の長い歴史は、幕を閉じました。惜別の感情が、寂しさを伴って胸にこだました山あいの宿での「有終の同窓会」は、生涯の美しい思い出となりました。”(7月6日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の加藤さん(男・78)の投稿文です。同窓会もいつか幕を閉じるのか、と感慨を持って読んだ。ボクの場合、小中高大とそれぞれ同窓会がある。クラス会ではなく、学年全員の同窓会である。おおよその人数は、小学校30人、中学校100人、高校400人、大学30人である。高校の同窓会にボクは何も携わっていない。そして今まで2,3度開かれたのみである。大学は数年前から2年に一度開かれるようになった。こちらは幹事補助と言うことで、少しだけ関わっている。ところが、小中学はボクが長年会長、主催者である。当初から整理した記録はないが、分かる範囲で見てみると小学校は平成に入って1年おきに開いている。中学も平成に入って、当初は3年おきであったが、平成18年からは毎年にした。今年も6月に開いたので、もう12年連続で開いている。1,2人を除いて小学校から中学校に上がっているので、中学校を開けばそれで済むと思うところだが、それがそうはいかない。小学校の同窓会には出るが、中学校には出ないという人が多いのである。人それぞれ思いがあるのである。中学を毎年開催としたとき、毎年開けば、いつでも参加できるから1回の参加者は減る、と言う意見があった。でも、ボクは機会をたくさん作った方が良いと言って、そのようにした。次回参加するつもりでいてもできるとは限らないし、毎年参加しても、もう何回会えるか分からないのである。そして、この文である。いつか有終の同窓会が来るのである。

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(第2477話) 緊急入院袋

2017年07月22日 | 教訓

 “妻が病気で1ヵ月余入院した。急な入院で私は慌ててしまった。四月下旬の朝、妻の意識はもうろうとして起き上がれず、私はすぐに救急車を呼んだ。入院が予想されたため、妻の洗面具を用意した。衣類はどこに何が収納されているのかが分からず、手当たり次第に大きな旅行かばんに詰め込んだ。救急車が到着するまでに荷物の準備を終えようと焦ってしまい、自分の考えた通りには体が動いてくれなかった。
 荷物が終わると、今度は救急患者を受け入れてくれる病院があるかどうかに気をもんだ。数年前、受け入れ先の病院が見つからず赤色灯を点滅させて止まったままの救急車を近所で見たからだ。
 幸い妻を受け入れてくれる病院は見つかった。その後、無事退院できたが、持病があり妻の体調は決して万全とはいえない。今では、災害時の非常持ち出し袋のような「緊急入院袋」を備えておく必要があると痛感している。”(7月6日付け中日新聞)

 津市の山田さん(男・79)の投稿文です。災害時の非常持ち出し袋よりこのような「緊急入院袋」の方が必然性が高いのは、考えてみれば当然である。非常持ち出し袋は生涯にあるかないか分からないくらいのことであるが、緊急入院袋は必ずと言っていいほどある。余り言わないのは当然過ぎるからかも知れない。でも一度は慌てるのである。できれば一度も慌てないように、準備しておきたいものだ。
 わが家では緊急入院袋は、母の時によく活用したので、今でも用意はされている。しかし、非常持ち出し袋はいつも目に見えるところにあるのに、緊急入院袋は奥にしまわれている。そしてボクはその中味を知らない。妻がどこまで用意しているのかも知らない。ボクとしては反省すべきことである。この機会にしっかり確認しておきたい。

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(第2476話) 奇跡の日

2017年07月20日 | 出来事

 “突然のことでした。一瞬、目を疑いました。もう一度見直しました。それは十年間、音信不通の娘からの便りでした。急に胸がどきどきしてきました。開けるのももどかしく、手が震えているのが分かりました。
 「沈黙」という映画に感動し、心がつき動かされて、娘家族の安否の確認と、自分の近況報告の便りを出したのです。それは二月上旬でした。母娘である故に、人に言えない微妙で難しい関係性に葛藤もあり、悩みながら過ごしてきました。彼女の性格を知り尽くしている私は、九分九厘返事は来ないだろうと、あきらめていたのです。
 五枚の便滴には、娘も私同様悩み、もがき苦しみ、きっかけを待っていたようです。クリスチャンの彼女は、信仰と向き合う中で、これだけの長い時間が必要であったことに気付かされたとのこと。
 三人の息子を一人で育て、ご多分に漏れず三人三様の荒れた反抗期を受け止め、乗り越えてきた様子などなど。ともあれ、家族の近況を知ることができ、読み進める途中から、涙で文字がかすんで読めなくなる始末です。最後には「機会があれば会いに行きたい」と書き添えられ、成人した孫の写真と新茶が同封してありました。本当に奇跡が起こりました。”(7月4日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の河村さん(女・74)の投稿文です。親子の葛藤、疎遠・・・本来は一番親しく、頼りにしあわねばならない関係であるだけに、余りに悲しいことである。でも身近なだけに、遠慮が要らない間柄だけに、疎遠、葛藤は少なくないことである。所詮は甘えであるだろうが、他人以上に素直になれないこともあるのである。
 「沈黙」と言う映画をボクは知らない。河村さんはその映画に心を動かされ、思い切って娘さんに手紙を書かれた。返事は来ないものと思っていた返事が来た。仲違いが一気に薄れていく。奇跡の日となった。本当はお互い気にしていたのだ。素直になれない。きっかけがない。親子とは他人以上に厄介なのである。
 ボクも父親とは長い葛藤があった。でも行き来はあった。そして、父親が余命幾ばくないと聞かされて、こちらから頭を下げて同居した。他人は頭を下げても済まないことが多いが、親子は下げれば済むのである。社員にはよく自分の経歴や考えを語った。でも娘らにはこれほど語っていない。娘らも聞こうとしない。平生の態度から語ればうるさく思われることが分かっているから、こちらも語らない。亡くなって何も知らなかったことに愕然とする。他人から聞かされてびっくりする。親子は繰り返すのか・・・。

 

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(第2475話) 豆ご飯

2017年07月18日 | 人生

 “十年ぐらい前、仕事から帰宅した娘がいきなり言った。「おばあちゃんちの匂いがする」と。何のことかと思ったが、そのときに作っていた豆ご飯の匂いのことだと気付いた。十五年ほど前に亡くなった夫の母は、私たち家族が訪ねると必ずといっていいほど豆ご飯を作って迎えてくれた。自分で育てたというエンドウ豆を使って炊くご飯は絶品で、夫にとってはおふくろの味だった。早くに母を亡くした私も、義母の豆ご飯がすぐに大好きになった。
 今では私が「おばあちゃん」と呼ばれる立場になった。孫たちはどんな匂いで私を思い出すのだろう。孫が来るとよく作る鶏のそぼろご飯や鶏の唐揚げかな?六歳と三歳の兄弟に食べてもらえるものを考えると、どうしてもいつも同じようなメニューになってしまう。
 私が死んでも、誰かの記憶にとどまっていれば、その人の心の中で生き続けていける。心地よい匂いを残したいものだ。”(7月2日付け中日新聞)

 愛知県清須市の主婦・仲吉さん(62)の投稿文です。料理で人を思い出す、匂いで思い出してくれる、それはありがたいことである。忘れられるより嬉しいことである。去る者は日々に疎しである。まして亡くなった人など、どこまで覚えていることだろうか。それでも何かの折りにふと思い出す。親子や身内のことであれば、その機会は多いことであろう。このように料理のことであったり、何かの仕草であったり、人々の中に強く残っていることはあろう。先日おばさんの一周忌法要があった。思い出すよい機会である。このおばさんの場合は花であった。よくもらった。
 しかし、このように思いだしてくれることがあるのか、全くないのか、死んだ本人はその後ことは何も知ることはできない。遺産相続など死後のことを考えないといけないこともあるが、多くは考える必要はない。それは生前で決まることだから。だから死後のことまで悩まない。ボクも余生に入った。余分な人生である。口で言うのはたやすいが、どこまで本心になれるのか、ますます試される気がする。誰の問題でもない、ボク自身の問題である。

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(第2474話) 自作ドレスに

2017年07月16日 | 人生

 “変色した箱の中から決してうまい出来とは言えない自作のウェディングドレスが出てきた。このドレスを手に取り、思い出の糸をたぐりながら私の結婚50年の歳月を振り返ってみた。
 結婚生活に夢をふくらませた20代、子育ての難しさに直面した30代、親と死別の40代、孫誕生の50代、ゆとり空間を楽しめた60代・・・。それぞれの年代は、まるで1360個あまりのモチーフをかぎ針でつなぎ合わせたドレスが物語っているかのようだ。  途中、糸がからまったり、ほつれそうになったり。でも糸をかけ違えることなく、あまりよれよれにならずに生きてきた。モチーフの中には、友が手伝ってくれた「友情の糸」もある。
 この一針一針がどんなに大切なことか、50年前の私には想像もできなかった。しかし、夢中でモチーフつなぎをしながら、この一つ一つが幸せにつながるような気がしたことも、おぼろげながら記憶している。多くの人に支えられ、実に幸運な巡り合わせのある人生だった。そして、この糸をつないで幸せな終盤を迎えた。まだまだ人生は続くでしょう。この幸運の糸を結び終えるまで。”(6月28日付け朝日新聞)

  愛知県知多市の主婦・小島さん(73)の投稿文です。20代、30代、40代・・・と自分の人生を振り返ってみる。そんな文に触れてつい気持ちが動いた。そこでこの文の紹介となった。時にはこんな時間も必要である。いろいろ経過はあっても、今このようにあることにほとんどの場合、感謝の気持ちが生まれる。小島さんは、ウェディングドレスにそのきっかけを見つけられた。何かの折りにフトそんなことに及ぶのが、この歳であろうか。
 ボクは第二の人生も終え、第三の人生に入った。そして今つくづく思うとは、もうこれからは余生である。余分な人生である。責任や義務はない。だから何の執着もいらない。ただ思うがままに、生きていけばよい。それが人の役に立つならよりいいだろう。不要だったら切り捨てられればいい。切り捨てられて不満を言うこともなかろう。すべて淡々と受け入れる。ただ積極的に生きたい。熱意を持ってやりたい。そんな余生でありたい。座右の銘「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」をより強く意識した第二の職の退職であった。

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(第2473話) 「家族の日」を

2017年07月14日 | その他

 “昔は良かった-。こう言うのは孤独をかこつ老人の口癖だと思われてしまうだろうか。その時々の文明の利器は私たちの生活を変えた。洗濯機の登場が主婦たちの井戸端会議を終わらせ、テレビの出現で向こう三軒両隣が「隣は何をする人ぞ」になった。最近はスマートフォンの普及により、多くの家庭で家族の会話も少なくなっていると聞く。
 支え合って生きるはずの家族をないがしろにさせる現代の利器は私からすれば「凶器」だ。せんえつながう今こそ、祝日として「家族の日」を提案したいと思う。一年のうち唯一祝日ない六月に設け、仕平や学校を休んで家族と過ごす日にしてはどうだろう。確か政府は十年ほど前に「家族や地域の絆を再生する」と目標を掲げた施策を展開していたような気もするが、成果はあったのだろうか。絆を見直す「家族の日」は今の日本にとって意義ある祝日になると私は思う。”(6月27日付け中日新聞)

 三重県亀山市の主婦・岡田さん(86)の投稿文です。家族の絆は確実に薄れてきているでしょう。家族ばかりではありません、地域の絆も確実に薄れてきています。政府は十年ほど前に「家族や地域の絆を再生する」と目標を掲げた施策を展開していたようだが、と岡田さんは言われていますが、ボクはよく覚えていません。どこにそんな施策があるのか、ボクは知りません。あったとしてもそれは多分形だけでしょう。ボクも今年老人クラブ連合会長になり、いろいろな会議によく出ます。あて職の人が多く出席しています。顔ぶれはほとんど同じで、組織だけが違っているものもあります。もう少し理解しないと意見が言えませんが、理解した頃には任期切れです。これでは効果は上がらないでしょう。それより日本人の向いている方向が個人尊重、自由尊重、そして個人情報保護です。これらが良い方向に向けばいいのですが、どうも内向きばかりです。新たなものを作るどころか、既存のもの存続さえ難しいことになっています。ボクの地域では町内会も怪しくなってきています。老人クラブは10年後には壊滅状態になると、ボクは思っています。良くなるどころか悪くなると思っています。
 さて、家庭の日ですが、必要でしょう。人をもう少し、家族や地域に戻さねばなりません。早急にすそうすることに、何の疑義もありません。遅きに失しているくらいでしょう。

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(第2472話) バラ色の月曜日

2017年07月12日 | 人生

 “今日は月曜日。ブルーマンデーという言葉があるくらいで、毎週月曜になるとブルーになる。なんで毎日、日曜にならないのかと。それが今年、嘱託満了になって気持ちがガラリと変わってしまった。
 何で今日も休みなの。一日のメリハリがないし、夜になってテレビを見るまで今日が何曜日なのかさえ、わからなくなってしまう。
 朝早く起きなきゃいけない、もう会社に行かなきゃならない月曜日が、どんなに楽しい思いなのか、今になって初めてわかった。よく失ってみてわかるというけど、ブルーマンデーが実はハッピーマンデーだったんですよね。ブルーの裏の色は、バラ色なんでしょう。”(6月25日付け中日新聞)

 「300文字小説」から東京都日野市の清水さん(65)の作品です。これは小説と言うより、清水さんの本音でしょう。同じことも受け取り方で全く違って見える。月曜日がブルーからバラ色に見えてきた。働き方にもよるが、働くというのは本来楽しいものなのだ。いろいろ条件が加わって楽しいものでなくなるのが仕事である。仕事を辞めて暇になってしまった清水さんが、仕事がバラ色に見えてきた。ボクも今、まさにその中にあり気持ちはよく分かります。
 ボクも先月30日を以て完全退職しました。毎日サンデーになりました。なってまだ10日余りです。今のところ辞めて暇になった実感は全くありません。ボクの場合、ここ2年は毎週2日間の勤めで、ほとんど軟着陸状態でした。そこに老人クラブ連合会長の要職を賜り、返って忙しい状態に戻った感があります。そしてこの10日間ばかりは毎朝毎夕、畑仕事に振り回さされています。草との格闘です。清水さんの気持ちが本当に分かるのはもう少し先のことになるでしょう。

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(第2471話) サトイモ

2017年07月10日 | 出来事

 “去年の正月、「知り合いの人からもらった」と、大きな袋を手に帰ってきた主人。中にはたくさんのサトイモがごろごろ。「こんなにたくさん、どうする」。「土に埋めておけば春まで大丈夫」と主人。早速、庭の隅に穴を掘り、三十個ばかりを埋めて、少しずつ掘り出しては、夕食のおかずにしました。
 昨年の今ごろ、サトイモの芽が出ました。どうやら三個ほど取り忘れがあったようで、みるみる間に大きくなりました。あんな小さな芋が、夏には大きな葉をつけ、真夏の暑さも涼しげに見えるのが不思議です。毎朝、葉の上のつゆがきらきらと光り、見事なサトイモの株になりました。
 いつ収穫したらいいのか分からず、近くの畑を主人と時々見て回りました。師走も近くなったころ、わくわくしながら掘ってみました。親芋にくっついて子芋が五、六個。土の中で十ヵ月以上かけ、親芋に子が授かる。子孫繁栄、子だくさんも納得です。
 娘にお裾分け。「めっちゃおいしかった。来年もよろしく」のメールに、私もうれしくなり、今年も五個植えてみました。先日、芽が出てきました。毎朝の水やりは主人の仕事。今年の冬が楽しみです。大地の恵みに感謝。”(6月24日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・塩沢さん(67)の投稿文です。畑作業などに縁のない人が、野菜などの生長を見つけたとき、楽しいだろうなと思う。塩沢さんのこの文を読んで、思わず微笑んでしまう。土の中に置き忘れたサトイモから、芽を出し葉を広げ、その先にはそれを収穫する。多分感動ものであろう。子供に限らず、成長を見るのは嬉しいのだ。
 生活が違うと言ってしまえばそれまでだが、少しばかりの畑でも守している人や、それを生活の糧としている人となると全く話は違ってくる。ボクの父は専業農家であった。ボクは後を継ぐものとして育てられたから、小学生の頃から手伝っていた。サトイモを整理することや親芋を削ぐことなどよくしたことを覚えている。今は自家用に70個ばかりのサトイモを作っている。この時期など草との格闘である。ここ10日間ばかりは朝6時頃から、又夕方4時頃から数時間、は格闘している。疲れが出てきている。こんなことが楽しくなる塩沢さんが全く羨ましい。生活が違うと言うことはこんなものである。と言いながらも、ボクも苦労した分、収穫できるのは楽しい。今は西瓜を毎日のように食べ、昨日は今年始めてトウモロコシを食べた。

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(第2470話) 入院して

2017年07月07日 | 人生

 “五月上旬、目の痛みがひどくなり、かかりつけの医院から大きな病院を紹介された。訪れると、その日のうちに入院となった。私は「自分のことは自分でする。子どもたちに迷惑はかけない」と常々思い、家族が集まるとそう口にしてきたが、いざ入院となるとそう簡単にはいかなかった。着替えや日用品の準備をはじめ、留守中の回覧板や新聞配達に関する連絡など、自分一人では到底できなかった。
 入院したことを告げると、娘はすぐに駆け付けて身の回りのことをやってくれた。退院のときには息子が来て手続きを済ませてくれた。入院中は社会人になったばかりの孫が見舞いに来て、「おばあちゃんはずっと働き続けてきたから少し休んだら、ということだと思うよ」と声を掛けてくれた。
 病院スタッフの献身的な治療と家族の支えのおかげで、五日間で退院できた。たくさんの人たちに支えられて生きていることを改めて実感した。”(6月19日付け中日新聞

 名古屋市のパート・渡辺さん(女・74)の投稿文です。ことの大小は別にして、病気になったり老いれば人の世話になるのは必然である。世話にはならないと言っていても、周りの人は放っておく訳に行かない。誰にも迷惑をかけない、と言っていても迷惑をかけずに済む訳がない。昔は、親の面倒を子がみるのは当然だった。親もそれを言い放っていた。ところがいつからか、子供には迷惑をかけないと言い始めた。昔に比べれば、子供にはるかに手をかけているのにである。親はどうしてここまでへりくだるようになったのであろうか。
 子供が親にいかに尽くしても、その恩に尽くしきれるものではない。それなのに老後の世話にも躊躇する。子供が看なかったら社会が看ることになるのである。まずは子供や身内がして、できない部分は社会がする。それが親子の自然の情である。社会がすべてせよ、と言う意見があるようだが、ある人があってしないのはどこかおかしい思う。渡辺さんの周りの人が親切にしたのは人間の情である。人間の情にまずは従うのが自然である。しかし今、この情が非常に希薄になってきている。ボクはまずは子供の世話になると言い切っている。妻には「あなたなど誰が看てくれるか」と言われているが・・・・。

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(第2469話) シニア講座

2017年07月05日 | 活動

 “戦国大名浅井長歌の居城があった滋賀県長浜市の小谷城跡の近くで、登山道整備のボランティアをした。急斜面に鉄くいを打ち、丸太を並べる作業には体力を要したが、琵琶湖を眺める絶景や歴史の再発見など得るものも多かった。
 昨年十月から通っているシニア向け講座「レイカディア大学」の地域活動の一環だ。県社会福祉協議会が講座を運営していて、六十歳以上の県民なら誰でも受講できる。レイカディアとは、湖の「レーク」と理想郷の「アルカディア」を合わせた造語らしい。私は三十九期生として園芸学科で二年間学ぶ。選択講座で樹木の枝切りや野菜作りを受講し、必修講座の人間理解や社会参加などの授業も受けている。近く、学習成果を発表する大学祭が予定されている。
 これまでに私は多くの仲間と出会った。セカンドライフを有意義に過ごすにはうってつけだと思っている。滋賀県のシニアで興味がある人はぜひ仲間に入ってほしい。”(6月17日付け中日新聞)

 滋賀県米原市の田中さん(男・65)の投稿文です。続いて高齢者の生き方である。シニア講座で学び、それを社会で生かそうとされているのだろう。シルバーセンターにでも登録されるのだろうか。65歳、まさにセカンドライフである。「話・話」第2464話で言えば第二の人生であろうか。いや、第三の人生かも知れない。高齢者が活き活き過ごすことは自分のためばかりでない。社会のためでもある。
 老人クラブは高齢者は増えているのに衰退の一途である。老人クラブ連合会長になってこんな話をよくするが、老人クラブという名称がよくない、とよく言われる。元気な高齢者は幾つになっても老人と思っていないらしい。老人と言われて入る気にならないという。それなら何がいいかと考えてみる。ここにシニアという言葉が使われている。シニアクラブならどうだろうか。しかし老人クラブは全国で使われている。変えるとなると全く大事である。印鑑や印刷物など変えるものは数知れない。それだけの効果はあるだろうか。入らない人は何のかんのと理屈を言って入らない。できない理由などいくらでもできると同じように、入らない理由などいくらでもできる。まずは魅力のある会にすることだろう。しかし、これにもいろいろ言いたいことはある。

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(第2468話) 高齢者訪ねて

2017年07月03日 | 活動

 “日本だけでなく海外でも高齢化が進んでいる国があると聞きます。高齢化とともに認知症患者も増えていくことでしょう。高齢者による運転で痛ましい交通事故は後を絶ちません。誰もが自分のこととして考える必要があると思います。
 高齢者の一人である私も物を忘れる機会が増えてきていて、数年前には脳梗塞を患い、認知症は人ごとではないと心配しています。予防手段の一つとして俳句や短歌、川柳を続けています。菊の栽培やグラウンドゴルフなど、頭と体を使う趣味で仲間づくりも心掛けています。
 認知症予防には誰かと会話をすることも有効だと考え、地域の八十代以上のお年寄りを訪ねておしゃべりをするようにしています。物心つく頃から両親に「世の中に役立つ人になってほしい」と言われていたことを思い出します。微力ながら高齢化社会で地域のサポーター役になりたいと願っています。”(6月15日付け中日新聞)

 大津市の農業・北村さん(男・73)の投稿文です。ともかく高齢化社会である。若い人だけに頼る訳にはいかない。死にたいといって死ねる訳ではない。自分のことは自分ですると共に、高齢者同士が助け合わねばならない。自助、共助である。北村さんのように、頭と体を使う趣味を持続させねばならない。高齢者同士が補い合わねばならない。北村さんは高齢者を訪ねてしゃべると言うことをされている。良いことである。しかし、親しくなればできるが、親しくもない人が何の役もなく出来ることではない。返って不審がられて用心されてしまう。これにはまず顔なじみなることである。
 ボクは老人会長というチャンスに、公民館でサロンを開設した。先月20日に始めて開き、45人の人に参加してもらった。まずは大成功である。あまり家を出ない人を車で送迎してくれた人もある。何回も参加してもらう内に、顔なじみを作ってもらえればこの上ない成功である。そうすれば家を訪ねてくる人も出てこよう。始めたことである。少々のことでくじけてはならない。

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(第2467話)シンデレラ?は

2017年07月01日 | 出来事

 “ある日、家に帰ろうと夫婦でJRの電車に乗り、駅におりたときのことである。ドドドドーと、ものすごい勢いでホームの階段を駆けあがってきた若い女性がいた。なんとか彼女は電車に乗れたのだが、ふと見ると、黒いハイヒールの片方がホームの上にコロリンと転がっていた。シンデレラのガラスの靴ではないけれど。
 夫はとっさに目の前のヒールをつかみ、しまりかけた電車のドアの30センチくらいしかないすき間から、ポーンと靴を投げ込んだ。と、ハイヒールは見事に電車の床に着地した。ああ、夫はなんて器用(貧乏)な男。お嬢さん、駆け込み乗車はあかんよぉ。気ぃつけて行きやぁ。私は心のなかで叫んでいた。
 ほかの乗客の目もあり、彼女はさぞ恥ずかしかったことだろう。彼女は車内で泣き笑いみたいな表情を浮かべて、何度も何度も私たちのほうに向かって頭を下げていた。いつもおもしろいことを言う夫だが、靴がうまく入ってよかったとほっとした様子で無言。動き始めた電車に私も手を振った。”(6月15日付け朝日新聞)

 大阪市の主婦・吉田さん(69)の投稿文です。電車に「駆け込まないで下さい」と放送でいつも呼びかけられているのであるが、駆け込む人は度々である。本数が少なければ気持ちも解るが、でも危険なので止めねばならぬことである。このお嬢さんのようなことも生じるのである。吉田さんのご主人は見事な対応であったが、なかなかそうはいかない。片足のないハイヒールでどこまで行くのであろうか。その恥ずかしさを思ったら、もう2度してならぬことである。シンデレラは落としたハイヒールによって幸運が舞い込むが、そんなことは現実社会ではまずあることではない。
 女の人は大変だと思う。ハイヒールでなくても、歩くのに不適な履き物を履いている人が多い。あれで速く歩いたり、階段の上り下りは全く気を使うだろう。失敗も生じるというものだ。もう少し歩きやすいもので歩いたらと思うのは、男の余分な意見であろうか。服装についてもしかりである。

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