ha1706

第157号  2017年6月


 

(第2466話) 記念切符

2017年06月29日 | 活動

 “鉄道ファンの私は五十年ほど前から記念切符に興味を持ち、JR、私鉄、第三セクターなどの乗車券や入場券を約七千枚集めた。これらからSLの歴史や新幹線の開業など、鉄道の変遷を振り返ることができる。切符を買いに行ったり、取り寄せたりしたときの思い出もよみがえる。
 より多くの人に関心を持ってもらおうと今、地元の郵便局で展示会を開いている。自分なりに分類したものを整理し直し、説明を付けた。切符のデザインや形はもちろん、材質も和紙、ステンレス、銅板、貝殻などさまざまだ。それぞれの特色を出そうと工夫が凝らされている。
 展示品は毎週入れ替えている。作業はまだまだ続きそうで、定年退職後の楽しみとなっている。”(6月14日付け中日新聞)

 津市の伊東さん(男・69)の投稿文です。収集の趣味の話である。収集と言っても高価な絵画や陶磁器などから、箸袋や使用した切手などほとんどただのものまである。一般的に趣味とはお金のかかるものである。魅せられたが運の尽きである。この切符は正規の値段で買うのであろうか。そうだとしたら、切符の値段でも大変なのにそこまで行く運賃も大変である。大変高価な収集と言うことになる。これはボクが知らないだけで、いろいろ上手な方法があるかも知れない。趣味はお金ではない。楽しみが第一である。そして伊東さんは、その収集趣味で展示会を開かれた。まさに晴の発表の場である。「定年退職後の楽しみとなっている」と言われるので、もう申し分ない。
 さてボクの収集は何があるか。ホームページの付録に「私の宝物」と言う随想がある。少し抜粋する。「私もどこかへ出かけたり何かあると、アイスクリームの蓋とまではいかないが、記念や記録となりそうなものがあると持ち帰るようになった。パンフレットやチラシ、入場券、箸袋、領収書、土産や弁当の包装紙・・・等々。そして、関連した新聞記事を見かければそれを切り抜き、時には感想文や行動記録を書きそれらと一緒に綴じ込んでおく。また、家庭内でも捨てるのが惜しい手紙や子供の絵などがあればそれらを分類して、まず仮のファイルに綴じる」。これがボクの収集である。他人にはゴミ以外の何物でもない。最近はあまり増えすぎて、妻がもう捨てる歳だから「もう止めなさい」と言うのであまり綴じなくなっている。そういう妻もかなり協力してきてくれたのですが・・・。

コメント

(第2465話) 欧米のゆとり

2017年06月27日 | 人生

 “三十五年ほど前、大学生だった娘がオーストラリアの家庭に1ヶ月ホームステイした。その家族とは今も文通やお互いの国を行き来する交流が続いている。五月にオーストラリアからの手紙が届いた。五十代の夫妻とその娘三人に長女の婚約者の計六人が六月に来日し、七月にかけて日本に滞在するとのこと。それぞれ仕事や学校があるはずだが、休んで来るようだ。六月末には三日ほど私たちの家の近くで過ごしたいという。
 六、七月といえば南半球は冬だろう。この家族はごく普通の家庭のようなのでオーストラリアでは一ヵ月程度の長期休暇は普通のことなのだろう。思えば二十年ほど前、彼らが来日した際もそうだった。
 日本では大手広告代理店の女性社員が長時間労働の末に自殺した問題など過労死が後を絶たない。広大な国土を持つオーストラリアだけでなく、欧米でも長期休暇は一般的だと聞く。この違いは何だろう? 私は考え込んでしまった。”(6月11に付け中日新聞)

 長野県安曇野市の農業・丸山さん(男・88)の投稿文です。日本でこのような休暇を取れる人はどのくらいあるであるか。普通に勤めていて取れる人はほとんど皆無ではなかろうか。どこにこの違いがあるのであろうか、丸山さんと同じように考え込んでしまいます。日本は豊かかも知れない。でもその豊かさは、ほとんど個人生活を犠牲にしてのものではなかろうか。どこまでが正常で異常かの線引きは難しいであろうが、世界から見ればほとんどが異常社会ではなかろうか。今、まさに超過勤務が問題視されているが、昔に比べ内容が密になっているだけにより問題であろう。病む人も多い。何のために働くのか、もう一度原点に戻って考える必要があると思う。
 ボクの高校2年の孫が今年の春休みにニュージーランドに短期留学したが、このまま住んでもいいと言っていた。子供の目で何がそう思わせたのか、よくは聞いていないが、感じるものがあったのであろう。

コメント

(第2464話) 第三の人生

2017年06月25日 | 人生

 “会社を定年退職後、第二の人生として、地元の介護サービスの送迎運転手を十年余り無事務め、近く退職することになりました。そんな折、隣町に住む息子夫婦から、「地元の公民館で演奏会があるから、聴きに来ない」と言われ、家内と出かけました。
 息子夫婦がともに、音楽の趣味があることは知っていましたが、演奏を聴くのは初めて。二人のフルートと、孫娘のピアノ演奏に感激し、帰り際「僕も高校の時、トロンボーンやってた」と言ってしまいました。家内にも話していなかったので、皆びっくり。その場で、「いつかファミリーコンサートをやろう」ということになってしまったのです。
 後日、話を闘いた娘婿が、中古トロンボーンを購入してくれました。懐かしい。ブラスバンドで、当時は学校の備品として共有でした。
 五十余年ぶりのマウスピース。「音が出ない」「音階が分からない」。こんなはずでは。楽しみにしている息子家族には、「少し時間をくださいね」と言ってあったけれど、リクエストしたビゼーの「アルルの女」の演奏に向けて、トロンボーンを抱えて、孤軍奮闘。第三の人生の始まりです。”(6月11日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の小栗さん(男・71)の投稿文です。第三の人生が懐かしトロンボーンの練習になるとはまた嬉しい話です。第一、第二と働く人は今の時代、結構多いでしょう。ボクもまさにその通りでした。ボクの周りもそんな人ばかりですから、今や大多数かも知れません。それができる社会構成になっています。そして第三の人生はどうなるのでしょう。趣味か、奉仕か、はたまた何もしないか・・・・。第二の人生まではほとんどの人が働くので、本当はここからが大きく違ってくるのかも知れません。小栗さんは71歳ですが、第3の人生の始まるのは多くの人では70歳前後でしょう。後何年あるのでしょう。これこそまた人様々でしょうが、多くは10年前後でしょうか。
 ボクもまさにそれに該当します。あと1週間、今月6月30日で第二の職場を退職です。ボクが元気で活動的なことを知っている人は、この後はどうされるのでしょうか、とよく尋ねられました。もう勤める気はありません。7月以降の心構えも準備してきました。ところが4月から老人クラブ連合会長というとんでもない大役が舞い込み、今年度は何も考えることもなくそれに邁進です。考えるのは来年4月からのことになりました。趣味についてはもう何年も前から始めていますので、地元への奉仕が主になるのは確かだと思っています。

コメント

(第2463話) 娘の髪寄付

2017年06月23日 | 活動

 “生まれてから一度も髪を切らなかった四歳の娘の髪をバッサリと切りました。切った髪の長さは十五センチ以上あり、小児がんや脱毛症などで髪が抜けてしまった子どもの医療用ウィッグを作るために寄付しました。髪を寄付するヘアドネーションという制度を知ってから規定の長さまで一年間伸ばし続け、制度に賛同する近くの美容院で切ってもらいました。活動に必要な資金も寄付しました。
 毎日かわいい髪留めやゴムで髪を結んでいた娘はいきなりショートカットになって戸惑っていますが、「髪の毛がない子はきっと悲しいよね。そういう子たちの役に立っているかもしれないんだよ」と言い聞かせています。自分の髪がどこかで生きているんだー。こう認識するまで時間はかかるでしょうが、寄付するともらえる認定証を将来見せるつもりです。小さな社会貢献かもしれませんが、いつか娘自身にも寄付しようという気持ちが芽生えたらいいなと思っています。”(6月4日付け中日新聞)

 愛知県東海市のパート・高野さん(女・40)の投稿文です。髪を寄付する話は、2016年6月8日の「話・話」第2282話で紹介している。その時は自分の髪であったが、今度は子供さんの髪の話である。今はまだ理解できない子供にである。高野さんの気持ちの強さであろう。親の信念は子供に通じるであろう。将来きっと理解されるとは思うが、ここまでできる親はなかなかないと思う。
 ボクのように悠然としているガン患者もあるが、多くの人は大変である。特に子供さんは大変であろう。理解すると言ってもなかなか出来ることではない。その子供さん用に髪を寄付する。いろいろな組織があるものだと感心する。外国にいろいろ手助けに行く人があるが、それよりまず国内だろうと言う人もあろうが、ボクはこれはこれでいいと思う。いいことであれば、いろいろあっていい、その人の思いでいろいろやればいいのである。

コメント

(第2462話) 季節はずれのひな飾り

2017年06月21日 | 出来事

 “娘と十八歳になる男の孫が、米国から帰省する日、いきなり驚かせてやろうと思い付き、季節外れの七段飾りのひな人形を飾ることにした。ひな人形は五十年前、長女が誕生したときに、実家から贈られたものである。七段をきちんと飾ったのは、何十年ぶりだろうか。(中略)
 ひもうせんを敷き、人形を並べたら、座敷が華やいだ。夫も面倒がらずに手伝い、腰の痛さも忘れ、楽しい時間を過ごすことができた。無事飾ることができ、一息ついた。
 娘と孫が、大きなかばんとともに「ただいま」と家に着いた。ひな飾りを目にした娘。「えっ」と立ち尽くし、「懐かしい、私もう五十歳よ」と言ってほほ笑んでいる。孫は初めて見るひな飾りに「うわあ」と言って眺めている。夫と「飾って良かったね」とあらためてひなを眺める。子供たちが成人して家を離れ、老夫婦の暮らしが長い日々に、ぽっと明かりがともったようだった。”(6月4日付け中日新聞)

 愛知県蟹江町の主婦・二村さん(74)の投稿文です。七段の雛飾りが普通だったのはもう何十年も前のことであろう。その内親王飾りになり、それもなくなっていく。ボクは、長女が生まれたとき親王飾りを買い、それが今でもボクの家にある。娘二人の二女に持って行けと言っても持って行かない。娘も孫も興味がないようだ。それで今でもその季節になるとわが家に飾っている。
 二村さんも飾るのは何十年ぶりと言われるので、娘さんが子供頃だけだったのであろう。そして、思いつきで今回飾られた。飾る老夫婦に、驚く娘さんと孫、良い思い出なることであろう。時折はこんなことをしてみるのもいい。

コメント

(第2461話) 踏切での手助け

2017年06月20日 | 出来事

 “今年二月の初め、早朝の出来事。一宮市の玉置光代さん(六二)は、車でスーパーマーケットに出掛けた。途中、名鉄今伊勢駅近くの踏切に差し掛かると、遮断機が下り始めたため、停車した。その時だった。目の前の三十代ぐらいの女性が遮断線を持ち上げて線路内に入って行くのが見えた。ここは名鉄とJRの線路が並んでいるので、ひんぱんに遮断機が下りる場所として有名。そのため、違反と承知しつつも、遮断線を手で上げて通る人をよく見かけるという。玉置さんは「またか」「危ないなあ」と眉をひそめて女性を目で追った。
 ところが、である(後略)。”(6月4日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。「ところが、である」この続きはどうなるのでしょう。それを次に紹介します。
 “その女性は向こう側の遮断機近くの線路の上で、うろたえて立ち尽くしている年配男性に声を掛け、踏切の外へ連れ出したのだった。よく見ると、その男性は白い杖を手にしていた。目が不自由なようだ。その後、女性はこちらを向き、遮断機の前に立って電車が行き過ぎるのを待った。通過後に渡ってくるつもりらしい。ここで玉置さんはハッとした。推察するに、女性は踏切の線路内で目の不自由な男性とすれ違った。踏切を渡り切って、いったんこちら側に来てから、男性のことが『大丈夫かな』と心配になって振り返った。(中略)自らの危険を顧みず、速やかに手助けをしたあの女性に、心から拍手を送りたいと思いました」と玉置さんは話す。”となります。この勇気にボクも拍手を送るが、これは難しい判断が要る。一つ間違えば、共倒れである。線路内の救出について、時折美談として報道されることもあるが、悲惨な話もある。山や海の遭難者者の救出でも同じである。とっさに適切な判断をすることは難しい。衝動的ではいけない。実はボクに経験がある。線路内に帽子を飛ばした人がある。ボクはまだ電車は来ないと思っていたので、とっさに線路内におり、拾い上げた。そしてホームに飛び上がったところで通過電車が来た。思いがけない電車にびっくりした。通過電車があることを忘れていたのである。線路内に下りることは2度としていけないことと思っている。

コメント

(第2460話) お年寄りと公園清掃

2017年06月17日 | 活動

 “一宮市三条小学校の児童が二日、地元の老人クラブ「三条クラブ」の会員と、近くの尾西公園を清掃した。公園をきれいにし、地域の人と触れ合ってもらおうと、毎年春と秋の二回実施。この日は二年と四年の児童約二百四十人と、クラブの約四十人が参加。一時間、雑草抜きやトイレ掃除などをし、百袋ほどのゴミを集めた。
 四年の加藤壮甫君(九つ)は「大変だったけれど、葉っぱをたくさん集められてよかった」。四年の大野柊依さん(九つ)は「クラブの人とも話せて楽しかった」と話した。三条クラブの有村隆さん(七七)は「子どもたちとつながりも持てるので、これからも続けたい」と話していた。”(6月3日付け中日新聞)

 記事からです。老人クラブ連合会長になったボクは、老人クラブはどうあるべきか、どうすれば喜ばれ、会員も増え、活発になるのか、そんなことが頭をよぎる日々である。そんな中この記事を目にした。小学生240人と老人40人が公園の草取り等清掃をする。世代混じってのボランティア活動である。公園はきれいになる、奉仕の精神は養われる、疎遠になっている世代間の交流もできる、良いことずくめである。三条老人クラブの連合会長と会う機会もある。一度聞いてみたいと思う。
 実は我が町内の老人クラブ連合会では世代間交流事業として、長年3つの事業を行ってきていた。ゲートボール、グラウンドゴルフ、カラオケであった。まさに老人の趣味で、子供らには興味はない。そこで人集めに苦労していた。ボクが会長になってすぐに止めて欲しい要望が一人、二人ならずあった。その後いろいろ情報を集め、結果三つとも止めることにした。止めて良しではない。世代間交流事業は良い事業である。替わりのものを見つけねばならない。新たに始めることは大変なことである。これが大変で、おかしいと思いながらも続いてきたのであろう。それをボクはアッサリ止めてしまった。今、老人クラブ連合会長さんはどうされるのだろうと話題になっているらしい。ボクに何も腹案がない訳ではない。思うように行くだろうか。自分ながら興味津々である。

コメント

(第2459話) ビワ

2017年06月15日 | 知識

 “梅雨の気配が近づきつつある頃、ビワの実は色づき始める。濃い縁に茂る分厚い葉に、黄褐色に熟すぷっくりとした果実。なじみの果樹だが、そういえば最近、あまり見かけない。かつてはよく庭にも植えられていたように思う。裏手のじめついたようなところでひっそりと実り、それを悪童たちが失敬するといった話も、今は昔だ。
 庭にビワを植えるのは縁起が悪いという言い伝えもある。薬効があるビワの葉を求め病人が集まるとか、葉が茂って家の通気が悪くなるなど、諸説あるが、迷信の域を出ないらしい。(中略)
 思えば、裏庭のビワは甘みが薄く、小さくてタネばかり大きかった。だが、このタネも焼酎に漬けて万能薬として愛用されてきた。ビワの葉も民間療法に活用され、「大薬王樹」の異名もある。ビワは実を味わうだけではない特別な果樹なのだ。”(5月28日付け中日新聞)

 「旬のフルーツもの思い」という欄から食のライター・清水ふみえさんの文です。今ボクの畑の枇杷は鈴なりである。毎日のように食べても食べきれない。あまりに成りすぎて人にあげるのには小さすぎる。又甘みも少ない気がする。肥料も摘花も何の世話もしないから当然かも知れない。それでもよく成るのである。
  「大薬王樹」という名があることは知らなかった。それ程に体にいいのだ。実ばかりでなく葉も種も役立つのだ。多分多くの果物は、知らないだけでかなりの効用があろう。わが家は、野菜ばかりでなく、枇杷、柿、ミカン、イチジク、スモモ、カリンなどの果実も植わっている。これで健康で長生きできなくてどうするのだ。それができなければ生活が悪いと言うことだろう。

コメント

(第2458話) 三婆会

2017年06月13日 | 活動

 “今日は、今どきはやりの女子会ならぬ、三婆会のディナーで集合の日です。メンバーは同じ町内会、平均年齢七十歳代です。三人とも十年以上前に、連れ合いを来世に送って、気ままに気楽に暮らしています。
 老人会の仲間でもある、立派な独居老人です。三人のうち最年長のMさんは、あまり料理好きではないけれど、食べるのは大好き。あとの二人は、大家族で過ごした経験もあることから、そこそこの総菜も作れます。冬の寒い夜は熱々の鍋に、夏の暑い日にはそうめんパティーに、またあるときは手作りギョーザにしたりと、メニューはなかなか豊富です。一人で食べてもおいしくないけども、缶ビールー本を三人で分け、ワイワイガヤガヤと話をしながらだと、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
 何かあったら、すぐ連絡できるようにと、三人で各家族への連絡網も作りました。ニュースで報道されるような独居老人にはなりたくないし、ならないためにも、三婆会は大切で、大事な存在だと思っています。
 ちなみに今日の担当は私です。こよいはちょっぴり豪華メニューに決まりました。さあ、すし飯作りにかかりましょう。”(5月28日付け中日新聞)

 名古屋市の鈴木さん(女・71)の投稿文です。本当に婆さんは元気です。連れ合いをなくして沈むよりも、一時過ぎればより元気になる人も多い。することも多様です。更に強みはこのように家でのパーティーもできる。長年料理をやってきたからです。爺はこの点が特に弱みです。この文でいい知恵と思うのは、連絡網を共有しあうことです。もう親族です。なかなかここまでは行かないと思います。いい三婆ですね。遠くの親戚より近くの他人と言うこともあります。こういう心がけで近所付き合いをしたいものです。三婆会はこの理想です。
 老人クラブ連合会長になって、いろいろな情報を得ています。先日は「見守りネットワーク」という会合に出ました。「地域の一人一人がふれあい、助け合いの精神でお互いに見守り、見守られるまち」作りをめざすというものです。その協力者は、我が17000人の町内で400人が指名されています。これだけの人が目配せをすれば目的は十分に果たされると思いますが、実際はそうではありません。実はボクも以前役割上この協力者に指名されていたのですが、その意識はあまりありませんでした。形だけ作っているのが実態でと思います。実行ある組織にしなければなりません。それには意識の向上です。先日の老人クラブ連合会の委員会でこの点を強く訴えておきましたが、その効果はあるでしょうか。絆の全く希薄になった現代に強く望まれます。

コメント (1)

(第2457話) ガイド案内

2017年06月11日 | 活動

 “平均年齢七十歳ぐらいの男女二十人ほどで名古屋市の東山植物園を散策した。企画した人がボランティアガイドも手配してくれた。私自身は植物園はなじみの散策コースなので、ガイドの世話にならなくてもいいと思ったが、それは聞違いだった。
 二十人を三つのグループに分け、それぞれガイドー人が案内してくれた。私のグループは六十代ぐらいの女性で、ガイドになってまだ四年と謙遜しながらも豊富な知識と柔らかな笑顔で案内してくれた。
 園のシンボルともいえる大木は根の一部が地上に現れる「気根」が見えることや、アヤメとショウブの違いなど、初めて知ることも多かった。自分たちだけでは得られない貴重な一日となった。”(5月21日付け中日新聞)

 名古屋市の米山さん(女・73)の投稿文です。今は各地にボランティアガイドの会があり、多くの方が活躍されている。特に高齢者が多い。老人にはもってこいのボランティアである。学んで、人に喜ばれて、健康にもよく、本人にも全く良いことばかりである。一宮友歩会はその人達にお世話になる会である。6月例会では「弥富ふるさとガイド」の方5名に、9時過ぎのスタートから午後2時近くまで一緒に歩いて説明をしてもらった。全く熱心である。7月例会でも別の会にお世話になることになっている。
 どの会の人も熱心である。しかし、会によっては依頼者が少ないようである。依頼者があって活躍する場所もできる。ボクのような会も必要である。持ちつ持たれつである。大いに利用させてもらおうと思う。

コメント

(第2456話) 花談義

2017年06月09日 | 活動

 “新年度になって順番で町内会の班長役が回ってきた。班長の主な仕事は、回覧物をまわすこと、行政の広報誌を配ること、そして町内会費を集金することである。自宅では数十年来、ガーデニングを楽しんでいる。集金する世帯は34軒。負担は感じたが、日ごろ気になっていた庭先もあった。この機会に花も楽しもうとプラスに捉えた。
 玄関先に立ちチャイムを鳴らす。玄関先や庭に咲く花々を眺める。あるお宅では、花談議が進んで庭に案内された。広くて丹精込められた素時らしい庭である。「これだけきれいな庭だったらオープンガーデンをやってはどうですか? 紅茶などサービスしたりして」と水を向けた。すると、「それなら電子オルガンを演奏しておもてなしをしようかしら。ちょっと練習をしておかなければいけないわね」と笑顔で応じてくれた。
 別のお宅でも花談議。庭にはタツナミソウが今を盛りと咲いている。我が家のタツナミソウは白一色だが、この庭には薄紫のものも咲いている。「一株分けて頂けませんか」とお願いすると、すぐにシャベルをもってきてポットに入れてくれた。 花談議に幸せを感じた。”(5月21に付け朝日新聞)

 横浜市の中川さん(男・75)の投稿文です。今年は班長を務めねばならぬと、最初は負担に思われたようである。それが始めてみると思いがけない発見があった。各家を回るといろいろな庭がある。それを見るのが楽しくなってきた。会話も始まった。まさに余録である。こういうものである。何事もやってみることである。そして臨む姿勢によって結果は全く違ってくる。好い事例である。
 ボクはここでもう何度も書いてきたが、老人クラブ連合会会長という職を引き受け、その職は並大抵のものではないと言うことが分かってきた。。今のところ係わらない日はないと言えよう。何もなくても考えている。こんな日々を後ろ向きにとらえたらどんな年になるだろうか。残り少ない人生である。貴重な1年である。いい1年にするには前向きにとらえることである。幸運が巡ってきた、チャンスがきたと捉える。この歳になるともう最年長のグループである。積極的に発言し、行動している。今のところ順調に推移している。この姿勢を貫くと共に、謙虚さを忘れぬようにしなければならない。

コメント

(第2455話) 洗濯物回収

2017年06月07日 | 出来事

 “突然の強風と雷雨に見舞われた四月末のある日のことです。一時間ほど外出して帰宅すると、ベランダに干した洗濯物がありません。集合住宅の十三階にある自宅から、さおごと地面に落ちていました。慌てて傘を差して一階へ下りると、雨宿りをしていた男子中学生二人が「雷も鳴っているので傘は危ないから」と言って、私の代わりに外へ飛び出して拾って来てくれました。そして、さおは長くてエレベーターに載せられないことが分かると、一人の生徒は階段を上って十三階まで運んでくれました。見ず知らずの私のために何のためらいもなく、行動してくれたことに感動しました。
 お礼をしたくて住所を聞いても、「遠いからいいです」と教えてくれませんでしたが、近くの中学校の二年生ということと名前は聞きました。後日、中学校に連絡して謝意を伝えましたが、「ありがとう」を何度言っても足りません。”(5月17日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・野田さん(女・60)の投稿文です。2017年4月30日の「話・話」第2437話で中学生の言葉に喜びを覚えた話を紹介したが、またも中学生の話である。今回は単なる声かけではなく、雨の中を飛び出す、竿を持って13階の階段を登るというかなりの行動を伴っている。それも見知らぬ人に「何のためらいもなく、行動」ということである。嬉しくて投稿したくなるのももっともであろうか。何のためらいもなくとっさにこういう行動が取れるのは、何がなせる技であろうか。両親の姿か、教育か、いろいろな環境が影響してきたのであろう。どんな環境に身を置くか、それによって人柄は大きく違ってくる。「門前の小僧、習わぬ経を読む」という諺もある。ともかく子供にはいい環境を整えたいものである。それにしても大人であろうと子供であろうと、人はまさに様々である。

コメント

(第2454話) 手をつなぐ

2017年06月05日 | 出来事

 “手をつなぎたいと思った。
 初めてのデートの帰り道、彼の腕の揺れるタイミングに合わせて私は彼のほうに手を伸ばす。ちょんと手が触れると彼の手は反動でピクっと動いた。そのピクがどういう意味なのかわからなくて、私はそれ以上、手を伸ばすのをためらう。嫌だったのか、それとも照れくさいのか。
 私はなんだか恥ずかしくなってうつむいた。すると、彼の掌が私の方へ向いた。その掌の意味がわかる私は、彼と通じ合っていると思っていいのだろうか。彼の手にすっと自分の手を重ねると、彼はぎゅっと握り返してきた。
 「ほんとは」小さな声で彼は言う。「ほんとは、ずっとつなぎたいと思っていたんだ」彼の手はとても温かくて、大きかった。”(5月14日付け中日新聞)

 「300文字小説」から東京都の大学生・久保田さん(女・21)の作品です。偶然にも前回に続いて続いて手をつなぐ話です。
 これはノンフィクションであろう。久保田さんの嬉しさを現している。初々しさが感じられる。若いっていいなとつくづく思う。こんな気持ちを持ち続けて欲しいものだ。こんな話を聞くと、ボクもこの頃を思い出す。会える機会を一生懸命模索し、そしてお互いの愛を確信した後には辛いことが待っていた。でも今思えば貴重な体験だったと思う。辛い体験などない方がいいが、それも与えられた人生である。それがあって今があるのである。久保田さんのこの先の幸運を祈りたい。
 今の若い人達の生態をほとんど知らないが、すぐにセックスに走る気配も聞く。もっとじっくり愛を確立して後のこととして欲しいと・・・老人は思う。セックスは体を傷つけることでもある。すべての愛が成就することはない。というより破断することの方が多いのである。

コメント

(第2453話) ずっと手を

2017年06月03日 | 人生

 “夫と歩くときは、必ず手をつなぐ。61歳と48歳で結婚したのは8年前。結婚が遅かった分、一緒にいる時間を大切にしてきた。けんかをして私が1人でさっさと歩き出しても、「仲ようせなあかんねんで」といつも夫が強引に手をつないできた。けんかが長引くことはなかった。
 でも4月半ば、夫に気になる症状があって病院に向かう際、つまらないことで言い争い、お互いに意地を張った。手をつなぐどころか、病院までの道はずっと離れたままだった。夫は検査で頭の中の出血がわかった。即日手術を受け、翌日にも再手術を受けた。どうして手をつないで来なかったんだろう。6時間に及ぶ2度目の手術をそばの別室で待ちながら、もう二度と手をつないで歩くことができなかったらと思うと、涙が止まらなかった。
 集中治療室のベッドで意識が戻った彼は、酸素を吸入したまま、私の手をぎゅっと握った。その目は「やっぱり仲ようせなあかんねんで」と言っていた。一番大切な人と一緒にいられることが、当たり前になっていたのかもしれない。何かあっても、お互いにしっかり手をつないで歩いていこうと思う。”(5月12日付け朝日新聞)

 神戸市のパート・清水さん(56)投稿文です。男と女が手をつないで歩く、ここにはお互いの愛がある。それを見るようなものである。若い人ならまだしも61歳と48歳、手をつないで歩く。高齢になってからの結婚であったからだろうか。こんなことを言うボクが馬鹿げている。手をつなげる人はつなげばいいのである。そうした方がいいのである。親子、恋人、夫婦、皆手をつなげばいいのである。特に日本の夫婦は手をつながないのである。ぼくも全くしかりである。妻もしようとしない。二人で歩くとボクが早すぎると言っていつもむくれている。それなら手をつないで遅らせればいいのに、そうした発想はないようである。お互い様と言うことであろうか。でも高齢者になるほどつながなければいけないのである。転倒防止である。手をつなげば防げることも多かろう。妻にどう提案しようか。

コメント

(第2452話) 野球少年

2017年06月01日 | 出来事

  “四月中旬の土曜日の昼、江南市内の信号のない横断歩道の脇で、中学生くらいの少年が一人、雨にぬれ、立ち尽くしていた。上着は野球部のユニホームで、頭には野球帽。朝は降っていなかったからか、傘は持っていなかった。車を運転中だった私は、はっとした。信号のない横断歩道では横断者が優先で、車は停車しなければならない。前の数台がスピードも緩めず、通り過ぎるため、見過ごしそうになった。
 尾張に赴任して九ヵ月。横断者がいても止まらない車があまりに多く、当初は驚いたが、もはや日常だ。自分が停車しても対向車線の車が止まらず、横断者と一緒に待ち続けることもある。横断者のために停車しても、わずかな時間。目的地への到着時間も、大して変わらないのに。
 私が停車すると、少年は走って渡り、車の前で野球帽を取って頭を下げた。当然のことにも感謝を示す少年と、当然のルールを守れない大人の落差に、言葉を失った。”(5月11日付け中日新聞)

 「モーニング一席」という記事欄からです。このテーマは以前も書いたことがあります。この地方では止まらないことが普通のことと言っていいでしょう。「横断者がいても止まらない車があまりに多く、当初は驚いたが、もはや日常だ。」と書かれているので、他の地方では多くの車が止まっていると言うことでしょうか。そうだとすればこれも名古屋走りといことの一つでしょう。全く恥ずかしい話です。
 ボクも最近は止まることに心がけています。そうすると記者さんが体験されたように、歩行者と一緒に待つことになります。これが歩行者に返って危ないと思うこともあります。困ったものです。外国へ行ったときには、横断歩道の前でウロウロしていると渡る人かと思って止まる車が多くありました。これを見て横断歩道の近くでウロウロしていてはいけないな、と思ったことがあります。交通事故死者日本一を続ける愛知県は交通ルールを守らない人が多いことが原因でしょうか。車も歩行者も自転車も、もう一つゆとりを持つことが必要でしょう。

コメント
 


川柳&ウォーク