ha1704

第155号  2017年4月



(第2437話) おばあさんからの手紙
2017年04月30日 | 教訓

 “三月中ごろ、一宮市千秋中学校宛てに一通の手紙が届いた。差出人の名は「江南市○○」とだけ書かれてあった。校長の川口和彦さん(54)が開封すると、こんなことがつづられていた。
 「先日、手押し車を押して踏切に差し掛かった時のことです。五、六人の男子中学生が『こんにちは』と声を掛けてくれました。『こんな年寄りにありがとうね』と答えると、『そんなこと、当たり前だよ』と言われました。さらに『おばあちゃん、気を付けてね』と。うれしくて学校名を尋ねると、千秋中学校とのことでした。私は涙があふれて止まりませんでした。あの子たちを教育してくださった先生方になんとお礼を申し上げたらいいか。誠にありがとうございます。88歳」
 川口さんは思った。「こんにちは」の一言が、なぜそんなにもおばあちゃんの心に響いたのだろう。それも涙するほどに。(後略)”(4月16日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。一言の挨拶がこんなに喜ばれるとは、こんなこともあるのですね。やはり少しでも良いことはするべきです。良いことをして悪いことになることはありません。こんな思いもかけない結果になることもあるのですから。校長先生も「たかが一言、されど一言。今回の手紙を生徒に披露し、たった一言で人を感動させられる場合もあることを教えたいと思います」と言っておられます。
 この千秋中学校はボクの母校です。ボクも嬉しくなってこの「話・話」で紹介しました。良い話が広まっていくのはまた嬉しいことです。そしてまた良いことに繋がればボクの「話・話」もより生きるというものです。
 でもこうは言いながらも、挨拶は普通のこと、良いこととわざわざ言わねばならぬことがおかしい。それだけ現代社会は挨拶が減ったと言うことでしょう。昔は村中で出合えば知らない人同士でも挨拶をしあったものです。この春休みに高校2年の孫がニュージーランドへ短期留学をしました。そして帰って来た報告で、どこでも声をかられる、例えばエレベーターに乗るときでも声をかけられたと、感激して話していました。乗るときにも声をかけて乗るのが普通のことのようです。それだけ挨拶が生活の中で習慣のようになっている。ボクも地元で会う人には挨拶を心がけていますが、知らない人では返ってくることの方が少ないですね。

コメント

(第2436話) フードバンク

2017年04月28日 | 活動

 “英国映画界の巨匠ケン・ローチ監督の映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」を見ました。貧困や格差に苦しむ人々の姿は日本の現状にも重なるようでした。印象に残ったのは主人公たちがフードバンクの長い行列に並ぶ場面です。フードバンクは、品質には問題がないのに流通困難になった食品をとりまとめ、支援を必要とする団体や家庭に届ける活動です。企業からの寄付のほかに、個人の善意も受け付けています。私も数年前に送ったことかあります。
 地方の特産品を知人からもらったものの、アレルギーの問題でわが家では食べられませんでした。譲る当てもなく困っていたところフードバンクの存在を知りました。食べ物を無駄にせず活用してもらえて良かったと思っています。食品ロスと貧困ー。この二つの社会問題を解決する一助になると思う活動に、皆さんも参加してみてはいかがですか。”(4月11日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の契約社員・相沢さん(女・43)の投稿文です。日本は食糧の多くを世界に頼りながら、そのロスの多さに驚かされます。衛生意識が非常に発達した結果でしょうか。これも豊かさからでしょう。貧しかったらこんなことにはなりません。ありがたいことですが、節度は守りたいものです。
 このようにアレルギーで食べられないものを活用してくれる機関があれば活用したいものです。衛生上何の問題がないものですから。インターネットでフードバンクを調べて見ると「加工食品の場合、賞味期限が1ヶ月以上のものをお受けしています。フードバンクでは、食べ物を右から左へ横流しするのではなく、“マッチング”といって、必要なものを必要な数だけ必要なところへお渡しします」とあります。賞味期限内に確実に使う手法も取り入れられているようです。もっと広がればいいのですが、難しさも感じます。郵送料や手間をかけねばなりません。ゴミ回収のような手間になればいいのですが・・・・必要のない人にとってはまさにゴミですからね。

コメント

(第2435話) ボクは病弱?

2017年04月26日 | 人生

 “小学校に上がるとき、息子は私にこう尋ねました。「お母さん、僕って病弱なの?」ぜんそくの息子は、夜中にせき込むと寝つくのが遅れ、幼稚園の通園バスに間に合わないことがたびたびありました。見知らぬ人にも心配されるようなアトピーの肌にも、自信がなかったのでしょう。不安げな顔の息子に、私はこう答えました。「大丈夫、学校までは遠いけど、毎日頑張って歩いて通ううちに、きっと丈夫な体になるよ」
 その言葉を信じて、息子は毎朝、歩いて登校しました。足をけがしたお姉ちゃんを車で送っていく朝も「僕は元気だから」と、白い息を吐きながら、1人で先に家を出ました。宿泊研修の日も「平気だよ、行って来ます」と大雨の中、大きな荷物を抱えて出かけていきました。
 夜中にぜんそくの発作が出て、今日は休ませて様子を見たい、という朝。「大丈夫だから」と言う息子の言葉に押し切られ、心配しながら送り出したこともあります。この春、息子は小学校を卒業しました。欠席、遅刻、早退ゼロで、六年間を終えました。
 「僕は病弱?」。いいえ、君は心も体もたくましい男の子です。お母さんの方が毎朝、君の背中から元気をもらいました。”(4月7日付け中日新聞)

 岐阜県美濃加茂市の主婦・藤吉さん(41)の投稿文です。学校まで歩いて通えば丈夫になる、小学校に上がる前に言った一言を信じて6年間歩き通す、子供の素直さというのは凄いものですね、いい加減なことは言えません。そして6年間、欠席、遅刻、早退ゼロ、ボクは毎年休んでいただけに凄いと言うほかありません。あの一言でこれほど頑張ってくれるとは、またキチンと成果を残したとあってはお母さんにも感無量のものがあるでしょう。何よりも丈夫になってくれたことが嬉しいことでしょう。この成果は大きな自信となり、これからの人生に及ぼす効果も大きいでしょう。本当によかったと思います。ボクの孫もアレルギーや花粉症に悩んでいる。強くなってくれないものだろうか。

コメント

(第2434話) 地域の絆公民館で

2017年04月24日 | 活動

 “私が勤める公民館は、地域の生涯学習や交流の拠点として各種講座を用意していて、年間二万人余が利用します。身に付けた素養を活用してもらうと同時に、世代間交流を目的に、ボランティア実践チームをつくろうと準備しています。
 これまでも地元の高校生や大学生ら若者とお年寄りがお互いに教え合い、学び合う機会を設けました。その取り組みを発展させ、さらに地域の結び付きを深めたいと考えています。チャンス、チャレンジ、チェンジ、チャリティー、コミュニケーションの五つの英語の頭文字から「5Cクラブ」と名付けました。各参加者の持ち味や得意分野を生かして活動したいです。培った地域のつながりは、災害時にもきっと役立つと期待しています。”(4月5日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の公民館館長・杉谷さん(男・74)の投稿文です。公民館と言っても、市町が運営するものから、町内の会合位にしか使っていない公民館もあります。杉谷さんが館長を務められる公民館は代表的に立派な公民館でしょう。ボクの市にこれだけの活動をしている公民館はあるのでしょうか。ボクも2年ほど、公民館長がおられる公民館の役員を務めたことがありますが、これほどの活動はなかった気がします。特に若い人が活動するような場は少なかった気がします。公民館の維持にはかなりな経費を必要とします。維持費に見合う程の活用がなけねばいけません。それこそ箱物行政と言われてしまいます。皆で知恵を出し合い、協調し合って活用して欲しいものです。
 ここでボクが問題としたいのは、町内の公民館です。ボクの町内の例を取れば役員の会合くらいにしか使っていなくて、ほとんど空いています。宝の持ち腐れです。ボクは以前から問題にしていましたが、活用は進みませんでした。今年町内の老人会会長を引き受けました。この機会にと、先日の第1回役員会で、サロンの場として活用することを提案しました。そして、運営委員会も発足することになりました。実現に頑張ってみたと思っています。そして面白いことに、ボクが会長になって、公民館で健康体操をしたいという申し出がありました。老人会としても協力しましょうと約束しました。そして、先の役員会で提案し、これも了解されました。どんな発展になっていくのか、楽しみになってきました。

コメント (1)

(第2433話) 拾った財布

2017年04月22日 | 出来事

 “私は家族と牛乳店を営んでおり、趣味で農業もしている。先日、あるお客さんとの間で奇跡とも思える出来事が起こった。
 自転車で畑から帰る途中のこと。バス停の近くの歩道に、男性のものと思われる財布が落ちているのを見つけて交番に届けた。その日の夕方、牛乳代の集金で訪れた家のお客さん今日はお金を払うことができない」と。理由を聞くと、「今日、病院帰りに自転車で転んだ。恥ずかしさもあり慌てて帰宅したが、その時に財布を落としてしまったようだ」。財布は退職時に社長からもらった大切な物だそうで、落ち込んでいた。
 私が昼間に財布を拾った話をすると、お客さんは驚いていた。なんと、私が届けたのはお客さんのものだったのだ。
 普段車で行く畑に自転車で行ったこと。月一回の集金日だったこと。お客さんが財布の話をしてくれたこと。偶然が重なり、私までうれしくなる体験だった。”(4月5日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の自営業・飯島さん(女・74)の投稿文です。ちょっとした一言、一動作がなかったらこの出来事は起きなかった、本当にこういった偶然はあるものですね。偶然に偶然が重なっていい結果を生まれると、本当に何か分からないものに感謝したくなります。
 ボクも昨年の出来事で話しておきたいことがあります。「話・話」の2016年5月1日付け「(第2263話)思い出の合唱」をまず読んで頂けるとありがたい。ボクが書いたその後半をまず書き抜きます。「実は関崎さんから毎年縁賀状を頂いていたのである。名前を見てすぐに気づき、妻に尋ねた。関崎さんのお奥さんとボクの妻が昔、まさに青春の頃同じ職場にいたのである。その縁があって年賀状が届いていた。ボクはお二人を知らない。妻に届く年賀状だけの縁であるが、その年賀状が独特でよく覚えている。家族4人が、それぞれ自分の近況を書いているのである。その内容が全く機知に飛んでいたのである。奥さんは数年前に亡くなり、それから届かなくなった。そして、見つけた投稿文で懐かしく思い出した。投稿文はいろいろな発展がある。」ところが今年に入って、その関崎さんからメールが届くのである。何かの形でこの「話・話」第2263話が、関崎さんの目に留まるのである。そしてメールを頂き、その後何回もやり取りしました。まだこの後の発展がある気がします。偶然が偶然を呼んで、楽しい結果になれば嬉しいことです。

コメント

(第2432話) 理想の相手

2017年04月20日 | 人生

 “タクシー運転手をしていた三十歳の時のことです。職場には女性はおらず、内気な性格の私はそれまで女性と交際したことかありませんでした。両親からは「早く結婚しなさい」と催促されていました。お見合いも数回しましたが、縁はなく悩んでいました。
 知人に相談したところ、「タクシーの乗客で、これはと思った女の子に声を掛けたら」とアドバイスされ、「なるほど」と感心しました。私はハンドルを握って前を向いているから、仮に失敗しても、お客さんが降りたら二度と会うことはないー。それで勇気を出して実行しました。断られてばかりでしたが、だんだん私も声掛けに慣れていきました。半年後、ついに理想の女性が乗ってきました。「付き合っていただけませんか」と話し掛けたら、承諾を得ました。数回デートを重ねて結婚しました。
 それから四十七年。子ども二人も独立し、大好きな妻と今も幸せに暮らせていることに感謝しています。”(4月2日付け中日新聞)

 「さがしもの」と言う課題で、愛知県北名古屋市の石川さん(男・77)の投稿文です。今の若い人の結婚事情はよく知らない。しかし結婚しない人は増えている。ボクの周りでもいっぱいである。出会いが少ないと言うが、ボクらの時代に比べれば格段に多い気がする。結婚したい願望はあっても、お互いが引いているのではないか、見栄を重んじて積極的に出ないのではないかと思うが、違うのだろうか。その点で見ると石川さんは素晴らしかった。タクシー運転手が乗客に声をかけるとは、今の時代で見ると疑問符がつくかも知れないが、それ程に積極的だったのだ。そして77歳になった今でも好きだと言われる奥さんに出会い、結婚されたのである。ボクは男が恥をかかなくてどうするのだと言っている。女性に恥をかかせて嬉しがることではなかろう。両方とも積極的になれればいいが、そうはうまく行かない。どちらが積極的ならねば始まらない。乞われて結婚するのもいいが、男なら恋して結婚した方がいいだろう。本当に多くの人に結婚して欲しい。結婚しない自由もあるが、今のままが続けば日本は衰退する、いや、滅ぶ。

コメント

(第2431話) 教師のあり方

2017年04月18日 | 出来事

 “たんすに1本の傘と手紙があります。ピンクの華やかな傘は三十余年、私を励ましてくれるお守りで、手紙には教え子の母親からの一言が添えてありました。「今日、娘が初めてのお給料をもらってきました。障害をもって生まれた日から、この子が自立できる日がくるのだろうか、働く喜びを手にすることがあるだろうかと心配していました。しかし、その日を迎えることができました。感謝の気持ちを送ります」
 私が傘を受け取ったのは教員になってから三年後、結婚を機に広島の特別支援学校を退職し、岐阜の小学校に移った頃でした。あの女の子は授産施設で働いていたそうです。
 あの明るいあいさつと笑顔が浮かび、働いている姿を想像しながら尊い気持ちになって和だんすにしまいました。子どもに寄り添い、ともに歩むのが教師の仕事だとこの傘は教えてくれました。もったいなくて今も使えないままです。”(3月28日付け中日新聞)

 岐阜市の小学校講師・山本さん(女・59)の投稿文です。障害者が始めてもらった給料の中から、恩師に傘の贈り物をする。もらった教師はもったいなくて使えない。その傘を戒めとして保存する。ありそうでなかなかない話である。山本さんはよほどいい教師であられたのであろう。教師の及ぼす影響は大きい。特に小さい児童が相手だと、その影響が生涯に及ぼすこともある。それ程重い仕事であり、やり甲斐のある仕事である。
 ボクの娘婿は小学校の教師である。本当に子供が好きである。今は管理職となり、担任を持てないことが寂しくて仕方がないようである。彼はどんな思い出を持っているのか、聞いてみようと思う。しかし、忙しい。聞いていると教師が本来やらなくっていい仕事をしている。もっと教師らしい仕事にならないだろうかと思う。

コメント

(第2430話) どう言おう夫へ

2017年04月16日 | 人生

 “簡単なようで一番難しいのが夫への感謝の言葉。夫には「私のことをありがたいなんて思ったこと一度もないよねー」と愚痴ってきたけれど、私も今まではっきり言ったことがあったかしら? 反省しています。
 結婚四十年目を迎えた十二日。入院中の私は病室でもうすぐほころぶであろう桜並木を眺めていました。退院したらどんな言葉をかけようかと思案しながら。「何度も入院してすみません」「毎日洗濯物を取りに来てもらいごめんねー」。以前のことも言わないと・・・。「自由気ままな性格に合わせてくれてありがとう」かしら、それとも「四十年前に私を選んでくれてありがとう」かな?
 夫が言った「数ある見合い写真の一番上を開いたらおまえやった」を思い出して笑いながらも、感謝の涙がこぼれ落ちてきました。そこへ回診に来た医師は「もう少し、入院ね。頑張って」と。言葉探しにはまだ時間をかけられそうです。”(3月26日付け中日新聞)

 岐阜県関市の加藤さん(女・69)の投稿文です。夫婦で感謝の声をかけ合う、こんなことが難しいなんて、考えてみると全くおかしなことである。一番身近な存在である。二六時中、何か係わり合い、補いあっている。それがあまりに当たり前で、そのことの感謝を伝え合わない。そういうボクも同類である。「ありがとう」とはいうが、それ以上の言葉はまずない。これは妻も同じかも知れない。言葉を出すくらい何の負担でもない。それで夫婦がますます慈しみ合えれば本当に良いことである。まさに怠慢である。外国映画を見ているとそれが日常茶飯事である。習慣であろうが、あれほどでなくても少しはまねしたいところである。

コメント (1)

(第2429話) ふるさと納税

2017年04月14日 | 出来事

 “五年前の春、高知県の四万十川原流点のある町で、母は一人暮らしの身となった。今、八十五歳。年金と野菜栽培の収入で生計を立てている。私たち家族は、その野菜を愛知まで宅配便で送ってもらい、味わっている。お返しに魚や肉、果物などを送る。こんな物々交換も、母にとっては楽しみの一つのようだ。
 昨年の五月の連休、夫婦で帰郷し、サニーレタスを収穫。袋詰めしてシールを貼り、集荷場まで運ぶ手伝いをした。母一人での農作業を思うと心配だが、ぼちぼちやってほしい。 そんな母へ、バレンタインデーにハートのケースに入ったチョコを送った。「高級なチョコをありがとう」。母の電話の声は、いつもより明るく弾んでいた。「最近いいことばかりあってね」「どうしたの」「私の作ったサニーレタスがふるさと納税の返礼品、地元野菜の詰め合わせの中の野菜の一つに選ばれたのよ」「へえ、すごいねえ」。無農薬でおいしいから、買い付けに家まで来てくれるとのこと。
 「ばあちやんのサニーレタスが入っているなら」と、夫がネットでふるさと納税の申請をしてくれた。四万十源流水をたっぷり吸った野菜たちが、どんなふうに届くのだろう。心待ちにしている。”(3月21日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・飯本さん(60)の投稿文です。ふるさと納税はいろいろな議論が飛びかっている。多く寄せてもらうために返礼品が過激になり過ぎたからである。何事にも節度が必要である。そしてふるさと納税の返礼品の裏には、こんな麗しい話もあるのである。こういう話があるとふるさと納税の意義も深まってくる。
 ボクはふるさと納税の意義を感じ、毎年数市町村に寄付している。意義とは、さびれていく地方を少しでも支援できることである。地方で育ててもらって、成長して都会で働いて都会を潤すでは理不尽である。それを少しでも解消しようとした政策であろう。地方に寄付し、その地方の産品を選択すれば2重に地方を潤すことになる。その生産者の利益が上がり、その地方に納める税金が増えればまた地方を潤すことになる。ボクはこのように考え、地方を選択している。特に地震で大変な被害を受けた東北の市町村が多くなっている。

コメント

(第2428話) 門出祝う

2017年04月12日 | 出来事

 “一年ほど前から友人とウォーキングをしていて、毎朝、自転車に乗った高校生とすれ違います。その中でひときわ爽やかな女子高校生と出会いました。寒い朝、ウォーキング中に「おはようございまーす」と透き通る声が聞こえました。すれ違った女子高校生の声でした。慌てて「おはよう。いってらっしゃい」と声を掛けると、「いってきまーす」と爽やかに返してくれました。
 二月中旬、あいさつを交わしてきたあの女子高校生は自転車を止め、「大学の保育科に入学が決まりました。もうあまりお会いできないと思いますが、頑張ります」と。それからは彼女を見かけず、寂しさもありますが、四月から新たな人生を切り開いていくことをお祈りしています。”(3月21日付け中日新聞)

 岐阜県土岐市の吉村さん(男・75)の投稿文です。75歳が女子高生から挨拶され、交流が始まるとは楽しいでしょうね。すれ違いに挨拶だけの交流、さわやかで羨ましいことです。節度を守れば、いい関係は続くものです。
 すれ違いに挨拶を交わす、ボクのような田舎では地元の人と分かればまず声をかけて通り過ぎます。これが知らない人となると難かしくなる。そして家が増え知らない人が増えた。挨拶をしてもしない人が多くなった。ここは自分がこれにめげず積極的に行うべきであろう。これが高齢者の役目であろう。そうしておれば、何かの縁が産まれることもある。それが人生を楽しく、面白くする。挨拶をしたり声をかけることに何の損もない、負担もない。

コメント

(第2427話) 読み語り

2017年04月10日 | 活動

 “万が一の時にはよろしく頼む、と手術入院の前日、部屋に書類を並べた。連絡をする人の名前と用件を記し、渡す品物も用意した。その中に、分厚いファイルがある。2001年4月から始めた小学校の図書ボランティアの記録だ。
 いろんな歴史をへて、いまは月1回、昼休みに1年から6年までのクラスに入り、15分絵本を読む。年3回の読書週間には、全学年のクラスごとに図書室で45分読み語りをする。学校の担当が代わっても今日まで続けてきた。幸い、図書ボランティアの数も何とか確保できている。
 私はその絵本の選書を引き受けている。65歳から始めていつの間にか80歳を過ぎた。そろそろ後任に手渡していく時だ。これまでのプログラムと、絵本別の実践記録。この二つがそろっていれば残ったメンバーで続けられる。そう思って急いで完成させた。それを見て、我ながらよくやってきたなあと思った。
 学校以外でも別のメンバーと読み語りの活動をしている。高齢者の施設に行くこともある。入所者の年齢と近い私。でももう少しボランティアをする側でいたい。負けてたまるか。術後の一歩に思いを込めた。”(3月21日付け朝日新聞)

 東京都足立区の内藤さん(80)の投稿文です。読み語りを65歳から始め、80歳になった今も続けている、本当に世の中感心する人は多い。そして病気入院を機会に後のことまで考える。自分が動けなくなったとき、後の人が困らないように対処する。
 世の中、趣味の会やボランティアの団体は多い。しかし引き継ぎがうまく行かないのである。創設時は意欲のある人によって成り立っている。代表もそうであるし、支える人も意欲がある。そして年月がたちその人達が十分に活動できなくなったとき、うまく引き継がれるか。後継者が育っているか、これが難しい。多くの会で苦労されているのではなかろうか。さてボクの一宮友歩会はどうなのだろう。今、会の企画運営はボクに8割方かかっている。ボクはまだまだ大丈夫だと思っているが、それでも70歳を超えた。数年前から意識をし始め、若い役員をだいぶ増やした。ボクの代で終わってもいいが、誰もそう思っていないと思う。ここまで評価されるような会をうまく引き継ぎをし、1年でも長く存続する会にするのもボクの役割の気がしている。

コメント

(第2426話) 箸遣い

2017年04月08日 | 教訓

 “二月二十一日付本欄の「箸は便利で誇れる文化」という中学生の投稿に感心し、十年以上前にカナダ人男性と食事をしたときのことを思い出しました。洋食のランチコースでテーブルにはナイフとフォーク、箸が置かれていました。サラダを食べていた時、男性がフォークを置いて「こちらの方が食べやすい」と箸に持ち替え、レタスやコーンを上手につまんだのです。同席した友人と「私たちより上手だ」と恥ずかしくなりました。彼は英語講師として来日して二年ほどで、「箸は日本の基本文化だから」と来日前に練習してきたそうです。
 私は家に帰り、小豆を皿に広げてつまむ練習をしました。だが長年の癖は直らず、幼い頃に身に付けなければならない作法が、いかに大切なものなのかを痛感したものです。若い人の投稿から、美しい箸遣いは日本の文化なのだと再認識しました。”(3月20日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(59)の投稿文です。ボクも箸使いは全くヘタだ。自分がヘタなことを言われたのは大学時代で、それまで誰も言ってくれなかった。言われて始めて気がついた覚えだ。その後直そうと努力したが、見かけは少しは直ったと思うが、実質はあまり直っていない。このこともあって子供や孫にはかなり注意し、まあまあの使い方をしていると思う。箸使いと同じように鉛筆の使い方もある。こちらはどうもダメだった。若い人を見ていると、箸も鉛筆も全く不器用な使い方をしている人が多い。我々時代の比ではない。これはキチンと教えない周りがいけないのだ。このまずい使い方をしているタレントを堂々と使っているテレビも全くおかしい。おいしそうに見える料理もまずくなってしまう。今はそういうことに無頓着になってしまったとしか思えない。タレントなど仕事である。正しい人しか使わない、とすれば良いとさえ思う。
 外国人に「箸は日本の基本文化だから」と来日前に練習してきた、と言われて恥ずかしくなる日本人は多いだろう。思わなかったらより深刻だ。

コメント (1)

(第2425話) 投稿の楽しみ

2017年04月06日 | 活動

 “結婚して関西に住む娘から、地元紙の読者の声欄に初めて投稿し、採用されたとの連絡がありました。少々驚きましたが、20年ほど前、私が初めて投稿した時を思い出しました。当時、高校2年の息子の親離れに、うれしさと寂しさを感じ、無性に書きたくなり、地方紙に原稿用紙で投稿しました。投稿を読んだ友人、知人からお手紙や電話をたくさん頂きました。
 その後、何度か「ひととき」にも投稿しました。親の仕送りで卒業できたことへの感謝、父からのお年玉、母の介護、私の足の手術、娘とブログのこと。投稿を通じて全国の読者の方からお手紙を頂き、お友達もできました。今も手紙やメールを交換しています。
 投稿採用の連絡があると、掲載日まで家族が私に優しくなったのは、今となっては笑い話です。娘から新聞の切り抜きが届きました。知り合いのいない土地で、お地蔵様の掃除を近所の方に教えてもらいながら、少しずつ地域に溶け込んでいること。お地蔵様に手を合わせておじぎをする1歳3ヵ月の子のこと。暮らしぶりが伝わってきました。娘もこれから、読者の方とよい交流ができればと思います。”(3月16日付け朝日新聞)

 北海道名寄市の主婦・菊池さん(67)の投稿文です。「親の背を見て子は育つ」と言うが、まさにそんな話です。子は親と寝食を共にし、親を見て育つ。そして反発することも多いが、心の内には親をしっかり意識している。何かの折りにそれが芽を出す。それがDNAと言われるものであろう。親の投稿される姿を覚えていて、ふと思い出す。新しい地域での交流が嬉しい。それを自分も書いてみようと思う。そんな菊池さん親子であった。一般新聞に投稿するというのは、ボクにしては生やさしいこととは思えない。知っている人、知っていない人、多くの人の目にさらすのである。好意的な目もあろうが批判中傷もあろう。覚悟がいる。これだけ文章を書く習慣のあるボクにしてそう思うのである。ボクは専門誌や業界新聞に依頼されて投稿したことはあるが、一般紙にしたことない。毎日投稿欄を読み、感心している。

コメント (1)
 

(第2424話) 赤い風船

2017年04月04日 | 活動

 “今から三十一年前の昭和六十一年三月、滋賀県の近江八幡から山を越え、赤い風船がわが家の庭に舞い降りてきました。「拾った人はお返事ください」と、かわいい字で書かれていました。さっそく、書かれている保育園のかおりさんに「拾いましたよ」と手紙を出しました。返事が届いたのは、かおりさんだけだったそうで、とても喜んでいただきました。
 あれから毎年のように、年賀状の交換はしていましたが、彼女も今では二児のお母さんとなりました。一度会いたいということでしたが、私は今では、すっかりおばあさんになって、会うのをためらっていました。この三十一年の間、いろいろあって、彼女に励まされ、そして保育園時代から今まで、彼女の成長を楽しませていただいた感謝の気持ちでいっぱいです。
 四年前に主人が亡くなり、寂しい時を乗り越えた今、恥ずかしさもありますが、初めて会うことになりました。四月一日に、ご主人とお子さま二人で、わが家に来てくださるそうです。今からワクワクとドキドキ。お互いに良い思い出となるよう、彼女たちをどのようにおもてなししようかと考え、楽しんでいます。”(3月17日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の主婦・伊東さん(69)の投稿文です。保育園や学校から手紙を付けた風船を飛ばし、拾った人と交流が続く話は時折あります。と言っても、伊東さんがこの風船を受け取ったのは30歳半ば、相手は保育園児。まさに親子の年の差、そして遠い場所。年賀状だけのやり取りにしても大きな縁を感じなければ続かないことだろう。そして会うことになった。4月1日とあるから先日会われたのであろう。どんな状況であったか、聞きたいものである。きっと投稿されると思う。再びの掲載をお待ちしたい。
 こういう話を、この「話・話」でも過去に3話ほど取り上げている。2005年12月20日の第492話、2007年3月12日の第738話、2008年2月7日の第890話です。前の2話はこの伊東さんと同じような年賀状の交流等であり、890話は15年後に手紙が拾われた話です。併せて読んでみて下さい。

コメント (3)

(第2423話) 投稿の楽しみ

2017年04月02日 | 活動

 “結婚して関西に住む娘から、地元紙の読者の声欄に初めて投稿し、採用されたとの連絡がありました。少々驚きましたが、20年ほど前、私が初めて投稿した時を思い出しました。当時、高校2年の息子の親離れに、うれしさと寂しさを感じ、無性に書きたくなり、地方紙に原稿用紙で投稿しました。投稿を読んだ友人、知人からお手紙や電話をたくさん頂きました。  その後、何度か「ひととき」にも投稿しました。親の仕送りで卒業できたことへの感謝、父からのお年玉、母の介護、私の足の手術、娘とブログのこと。投稿を通じて全国の読者の方からお手紙を頂き、お友達もできました。今も手紙やメールを交換しています。  投稿採用の連絡があると、掲載日まで家族が私に優しくなったのは、今となっては笑い話です。娘から新聞の切り抜きが届きました。知り合いのいない土地で、お地蔵様の掃除を近所の方に教えてもらいながら、少しずつ地域に溶け込んでいること。お地蔵様に手を合わせておじぎをする1歳3ヵ月の子のこと。暮らしぶりが伝わってきました。娘もこれから、読者の方とよい交流ができればと思います。”(3月16日付け朝日新聞)

 北海道名寄市の主婦・菊池さん(67)の投稿文です。「親の背を見て子は育つ」と言うが、まさにそんな話です。子は親と寝食を共にし、親を見て育つ。そして反発することも多いが、心の内には親をしっかり意識している。何かの折りにそれが芽を出す。それがDNAと言われるものであろうか。親の投稿される姿を覚えていて、ふと思い出す。そして自分もしてみようと思う。そんな菊池さん親子であった。一般新聞に投稿するというのは、ボクにしては生やさしいこととは思えない。知っている人、知っていない人、多くの人の目にさらすのである。好意的な目もあろうが批判中傷もあろう。覚悟がいる。これだけ文章を書く習慣のあるボクにしてそう思うのである。ボクは専門誌や業界新聞に依頼されて投稿したことはあるが、一般紙にしたことない。毎日投稿欄を読み、感心している。

コメント
 


川柳&ウォーク