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第154号  2017年3月

2017/03/31(Fri) (第2422話) 若気の至り 寺さん MAIL 

 “「先生なんて大嫌い」。中学生のとき、担任の先生とやりとりしていたノートに書いた一文です。別にぐれていたわけでもなく、いたってシンプルな中学生でした。ただ、新任で男性、年も近いこともあって攻撃していたように思います。3年間担任だったので、私の記憶にはしっかりと焼き付いています。思春期、当たるところは世の大人、親の次に近い存在の先生を、どこが嫌なのか表現できないまま反抗していました。それが約35年前の私。
 その先生にばったり講演会場で出会いました。白髪のまじった先生、私も子の親となり、年をとりました。でも、一瞬あの10代の自分ヘタイムスリップ。勇気を出し声を掛けました。先生は私を覚えてくれていて、現在は校長先生でした。やさしく穏やかな先生。なぜあんなことを書いたのか、今思うと恥ずかしいです。でもそのときの私はきっと夢中で生きていたのだと思います。その日は言えませんでしたが、若気の至りをお許し下さい。
 私の息子もあのときの私の年になりました。悩める思春期の親となり、先生の気持ちがわかる気がします。今度は私の相談に乗って下さいね。”(3月15日付け朝日新聞)

 愛知県日進市のパート・佐野さん(女・47)の投稿文です。中学生の時の話と言え「先生なんて大嫌い」と言い続けた先生に、35年後に会った佐野さんの気持ちは複雑だったでしょう。その後も本当に嫌いだったら何のこともなかったでしょうが、そうではないようです。そんな生徒だったからその先生は佐野さんのことを覚えておられたのでしょう。ボクの体験からも先生と生徒の関係は複雑なものという気がします。本当は嫌いではなかったのでしょう。本当に嫌いなら適当にあしらっておくでしょう。先生もそれが分かっていて、応じておられたのではないでしょうか。ヒョッとして素直に抵抗を示す生徒が可愛かったのかもしれません。無反応な生徒よりよほど対応のし甲斐があるものです。そしてこの35年後の出合いが新たな発展になっていくでしょう。いやもう始まっているでしょう。この投稿で必ずそうなっているはずです。聞いてみたいものです。




2017/03/29(Wed) (第2421話) コースを清掃 寺さん MAIL 

 “名古屋ウィメンズマラソンを前に、ボランティアら約二百人が十日朝、マラソンコースとなる名古屋市中心部の桜通の歩道を掃除した。
 中部地方整備局名古屋国道事務所が呼び掛けた。そろいのピンク色の手袋をして、東西約2kmの区間で吸い殼や空き缶、落ち葉などを拾い集めた。
 出動前に参加した同市中川区、会社員水野舞さん(三〇)は「海外や全国から集まるランナーに気持ち良く走ってもらえたらうれしい」と話した。”(3月11日付け中日新聞)

 記事からです。3月12日に開催された「名古屋ウィメンズマラソン2017」は、過去最多の19857人の参加で、女性だけのマラソン大会としてギネス記録を更新したそうである。また男女のハーフマラソンと女性の車椅子マラソンも同日開催され、こちらの方は14921人の参加であったという。35000人弱の参加者である。名古屋の街をこれだけの人が走ったのである。この記事はその沿道のゴミ拾いをした話である。実はこの活動にボクの会社の社員25名ばかりが参加したのである。6団体と一般の人への参加呼びかけがあった。
 ボクの会社は桜通の清掃活動を始めてもう11年になる。この間、ボクが活動の中心を担ってきた。昨年末、名古屋国道事務所の方が来社され、この清掃活動を始め桜通に関する整備計画の話をされた。その後2回の会議が持たれ、今回の実施となったのである。ボクはこの活動を始めた当初から、将来には他団体の協調になることを望んでいた。一時いろいろな働きをしたが、それは形にならなく、今回思いがけなく実を結び始めた気持ちである。ボクは今年の6月で退職の予定であり、少し残念な気分もあるが、これがはなむけと受け取りたい。今後発展することを期待したい。
 また、今回のマラソンで、愛知県豊川高校卒業の安藤選手が2位となり世界選手権代表に選ばれた。直接関係ないささやか活動であったが、それでも嬉しさが倍増してくる。




2017/03/27(Mon) (第2420話) 若者投稿 寺さん MAIL 

 “一月の孫の誕生日。今年は何をプレゼントしようか。いつか孫に読んでほしいと願って、本欄の主に十代の小学生から大学生までの投稿「ヤングアイズ」のうち、心に残ったものを切り抜いて大学ノートに貼ったものを送った。
 その表紙には「誕生日おめでとう 発言ヤングアイズ第一集」とのタイトルを書いた。手にした孫は「えっ、すごい。おばあちゃんが作ったの?」と感激した様子。私が「一日に二〜三ページでよいから、勉強の合間に読んでね」と言うと、「楽しみ」と笑顔で答えてくれた。
 日々若者の投稿を読むと、人が人として生き難い激動する現代にあっても、子供たちはちゃんと社会の流れを見つめ、自分の生き方を学び続けようという姿勢がうかがえ、いつもエールを送りたくなる。そして将来の日本を担う子供たちに心強さも感じる。孫は第一集を読み終えたかな?次は第二集。”(3月11日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の松原さん(女・73)の投稿文です。中日新聞の「発言」という投稿欄には毎日「ヤングアイズ」という若者の投稿を掲載する欄がある。本欄とはこのことである。松原さんはこの欄から参考になるものをスクラップして、お孫さんに贈られたのである。その孫さんが感激されたのである。いい贈り物であったのだ。親や先生の意見ではない。同年代の人の意見である。素直に同感されることも多かろう。いい知恵である。感激されたとはお孫さんは幾つなのだろう。
 これはまた松原さんにもいいことである。若い人の意見を読む。それもお孫さんに贈るために真剣に読む。投稿されるような意見である。投稿される人も真剣である。時代を知るいい機会である。時代は自然と若い人に移っていく。若い人が担っていく。ボクもこうしていろいろな投稿を読んでいるといろいろな知恵をもらう。それらを実行していけば時間はいくらあっても持て余すことはない。




2017/03/25(Sat) (第2419話) ありがとう日誌 寺さん MAIL 

 “グループで脳トレを始めて、六年目に入った。テキストの1ページに、毎日「ありがとう」を何回言ったのか、日誌につけるのが良いとある。また「ありがとう」と言えば脳が広範囲に刺激されて、記憶力、集中力からコミュニケーション力までアップし、認知症予防に役立つとあった。
 早速今年初めから書き始めた。早朝書くのがいいとのことで、前日を思い出して書き続けて1ヵ月が過ぎた。1ヵ月が終わるとまず、日誌を見直すこととあり、数えて驚いた。何と1ヵ月で467回も記されていた。この中には先祖や両親、夫らへの毎日の祈りも入っている。これまでどんなことに感謝してきたのかを知り、その内容を思い出すことで、脳の想起力も著しく高まることがよく分かった。
 日誌をつけることで、誰かに親切にしてもらったり、幸せをもらっていることに気付かされる。独居の私でも日々、もったいないほど周りの人たちに守られていると、感謝の気持ちでいっぱいになる。感謝できることを書くのは、幸福感が高まり、ポジティブな気分になると記してあったが、まさにその通りだ。これからも書ける限り「ありがとう日誌」を続けようと、心弾む今日この頃である。”(3月4日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の主婦・大森さん(89)の投稿文です。「ありがとう日誌」とはまたいいことを知った。1日に何回ありがとうと言ったかを記録する。少ない日は作りたくないから、ありがとうという機会を意識する、当然増える。ありがとうといわれて気分の悪い人はいないから関係もよくする。また記録することもいい。ボクらは昨日何を食べ何をしたかも忘れてしまう年代である。記録するまで覚えておかなくてならない。思い出すという利点もある。翌日朝書く利点は、日記を翌日朝書くボクはよく承知してる。いろいろな知恵があるものだ。
 グループで脳トレとあるが、何をされているのだろう。1人ではなかなかできないし、続かない。グループだとこれらが克服できる。89歳でこの意欲である。現在の老人パワーにはほとほと感心する。先日老人会で認知症の話を聞いた。認知症は克服できるし遅らせることもできる。これは努力である。努力は1人より仲間がいた方がしやすい。ボクはこの4月から老人会会長を務める。何かできることはないだろうか。




2017/03/23(Thu) (第2418話) 梅のつぼみ 寺さん MAIL 

 “数年前から、梅の花を写真に収めることが、この時季の私の楽しみの一つである。寒梅、ろう梅、枝垂れ梅・・・どれをどの角度から見てもそれぞれに違った美しさがある。
 雪がちらつくこの季節、静かに春の訪れを告げてくれる梅は、私たちにとって希望そのものだ。満開を迎えた後も、その散りゆく姿には美しさとともにどこかはかなさも覚える。さまざまな表情を見せてくれるからこそ、梅は長い間、繊細な日本人の心に寄り添ってきたのであろう。
 人間の人生はよく花に例えられる。二十代はようやくつぼみになったところか。深刻に思えるニュースがいろいろ飛び交う昨今、希望を伝える梅のつぼみのような存在があちこちに増えたら、いつか美しい世界になるのではないか。まだ寒い日は続く。私は梅の花の美しさで春の訪れを実感し、希望の光を目に焼き付けたいと思う。”(2月27日付け中日新聞)

 名古屋市の大学生・兵藤さん(男・22)の投稿文です。梅の花を愛でる20代の男性の投稿に驚く。こんな人がこんな文を書くのだ・・・でも本当は驚くようなことではない。若い人の感性は素晴らしい。とんでもないと思う人もあるが、総体的には今の若い人はできる、よく知っている。ボクらの頃に比べ、情報も多いし、機会も多い、豊かである。ボクらよりできて当然である。もちろん足りない部分もあろうが、良い部分を伸ばし、足りない部分を補っていかねばならない。
 先日会社の若い人3人に誘われ、劇団四季のミュージカル「リトルマーメイド」を見に行った。その帰り飲み屋にも寄った。いろいろな話を身近で聞く機会となった。やはりボクと違うし、ボクの若い頃とは違う。総じて良く知っている、いろいろなことをしている。期待したい。




2017/03/21(Tue) (第2417話) すっぱい味 寺さん MAIL 

 “スーパーで紅甘夏を見つけ、買ってみた。イヨカンやハッサクに比べると、酸味を強く感じた。「かんきつ類を食べた」という実感があった。子どものころに食べた夏みかんはもっとすっぱかった。酸味が暑さにぐったりした体の疲労回復に効きそうで、よく食べたものだ。
 最近の果物はどうか。やたらと糖度の表示が目につく。しかし特にかんきつ類は、甘さと酸味のバランスが取れていることがおいしさの決め手だ。酸味を弱め、甘さを強調するのがおいしさなのか。
 食べやすく品種改良することは、消費者に受け入れてもらうために必要なのかもしれない。しかし「酸いも甘いもかみ分ける」という表現があるように、酸味は残したい味だと思う。”(2月25日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・鏡味さん(56)の投稿文です。酸っぱい味に郷愁のような意見です。本当に最近はいろいろ甘くなりすぎ、更に柔らかくなりすぎとボクは思っています。甘いことが売り言葉になっている感じがあります。甘いもの、酸っぱいもの、いろいろあっていいのです。甘いものばかり食べていると弊害もあります。
 わが家には夏みかんの木があります。1本の木に何百個となります。ボクが食べるだけで誰も食べません。1月から夏にかけ毎日のようにボクは食べています。妻が日課のように皮をむき食べられるようにして持って来てくれます。夏みかんの皮は非常に厚く、むくのに一苦労です。手でむこうものなら辺り一面しずくだらけになります。そこで妻は台所で準備してくれるのです。それがいつか日課になりました。確かに酸っぱいですが、ボクにはそれが苦になりません。以前は食べてくれる人にあげたり、ジャムにしていたことがありましたが、今はボク食べなかったらすべて捨てることになります。折角成ったものを捨てるのも耐えられません。ボクはひたすら食べるのです。毎日1,2個食べるのは健康にいいのではないのでしょうか。栄養素について調べて見ると、ビタミンA、B1、B2、C、クエン酸などが豊富に含まれていて、特に多いのがビタミンCとあります。肌にはりをもたせたり、コラーゲンと働くことで免疫力を高め、風邪のひきにくい身体をつくりあげるとあります。ボクの健康はこれが元かも知れない。




2017/03/19(Sun) (第2416話) 災害時に井戸活用 寺さん MAIL 

 “役場から「災害時協力井戸」の書類と標識が届きました。家庭用井戸水の提供の可否を問う調査があった際、井戸が二本あると伝えたからです。災害時に飲料用以外の生活用水にするため井戸水を提供します。
 一本の井戸は、江戸時代から使い続けています。水道が引かれるまでは、飲み水にも風呂や洗濯などにも使っていました。夏も井戸水は冷たく、打ち水にしたり、たらいで行水したりしました。昭和三十年代、つるべから手押しポンプに変わりました。農繁期のこどもの日課は井戸水を風呂に張り薪で沸かすこと。そこにサツマイモを放り込み、焼き芋にして楽しみました。水道が引かれてからも、井戸水は畑の野菜や花壇への水やり、洗車などに毎日使っています。
 災害が起きた場合、一番に困るのが水です。わが家の井戸水が非常時に役立てば幸いです。早速、門柱に「災害時協力井戸登録標識」を掲げました。”(2月25日付け中日新聞)

 愛知県幸田町の林さん(男・67)の投稿文です。災害時に個人の家の井戸活用について、こんな動きがあることにびっくりしました。地域に応じていろいろな施策がされているものだと感心しました。こうした情報が伝わり、地域に応じた施策が広まればいいことです。林さんの投稿も、それを活用したボクの「話・話」も役立てば嬉しいことです。
 実はボクの家にも井戸は残してあるのです。ただ林さんの家では今でも使っておられるようですが、ボクの家では今はもうコンクリートで蓋をして、その上を歩けるようにしています。蓋を上げれば使えます。水は今もあり、汲み上げることはできます。水質は分かりませんが、水道が引けるまでは飲料用に使っていました。井戸に対する思い出も林さんと同じようなものです。夏冷たく、冬暖かい、この利点を大いに活用していました。小さい頃はつるべで汲み上げていましたが、その内ポンプになり、水道が引けたのはボクが小学5年生の時です。井戸の活用についてボクの家にもいつか調査が来るでしょうか。一度市に話してみようかな。




2017/03/17(Fri) (第2415話) 感性育てる 寺さん MAIL 

 “七日付の本欄で、ベトナムからの留学生が日本の梅雨に雨が降る様子を「花びらが降るみたい」と評していました。その感性に感銘を受けました。以前、ラジオ番組で、日本人が繊細で感性豊かなのは、多雨によって培われてきたのだという話を聞きました。小ぬか雨、五月雨、霧雨、氷雨、翠雨・・・。多様な雨の呼び方があります。
 若いころによく聴いた歌「城ケ島の雨」。歌詞に出てくる「利休鼠の雨」はいったいどんな雨だろうと思ったものです。童謡から歌謡曲に至るまで、雨は数多く歌われています。
 今日は社会の変革が激しく、古くからの日本人の感性が失われつつあるような気がします。私も、感性を磨きたいと思っています。”(2月23日付け中日新聞)

 愛知県春日市の高田さん(男・77)の投稿文です。冒頭にある7日付けの本欄の文の一部を紹介します。
 “日本では六月から七月にかけて梅雨の時季です。日本の梅雨で雨が降る様子は花びらが降るみたいで、とても美しいです。穏やかな雨なので、植物や動物はうれしいと思います。私の母国ベトナムの雨期は大雨が降り、洪水や地滑りなどの自然災害があり、とても怖いです。”
 こうして聞いても日本の雨の呼び方は多様ですね、びっくりするほどです。その日本の雨の良さを外国人から聞かされる。そして忘れていたことに気づかされる。高田さんが「日本人の感性が失われつつある」と嘆かれるのはもっともだと思います。言葉は生き物、時代と共に変わっていくというのも分かりますが、あまりに変化が激しい。あまりに以前からの日本語が使われなくなっている、知らない人が多くなっている気がします。そしてボクらの分からない日本語が多くなっている。英語教育が小学校から始められるようですが、日本語教育は大丈夫でしょうか。




2017/03/15(Wed) (第2414話) 「葵桜」 寺さん MAIL 

 “愛知県岡崎市の中心を流れる乙川の堤防に2001年1月、21世紀が希望に満ちた素晴らしい世紀であるようにとの願いを込めて、市民の有志86人の手で桜を植えた。早咲きの河津桜で、徳川家康公の三つ葉葵の家紋にちなんで「葵桜」と命名した。力を合わせ愛情を込めて育て、立派な桜並木に成長してきた。春の岡崎の名所として、お花見客でにぎわうようになっている。
 一輪、二輪・・・とほころび始め、じっとしていられなくなった。歩行が不自由なので電動車いすに乗って、約1キロの堤防を往復しながら桜に話しかけている日々だ。「あんたは偉い! どんなに寒くても文句も言わず、けなげに毎年きれいな花を命いっぱい咲かせ、大勢の人を笑顔にしてくれて本当にありがとう」と。
 岡崎百景の中でも上位20に選ばれ、歴史遺産と肩を並べるように立派なパンフレットにも載った。これで私たちのこの20年間の努力と苦労は報われたと感じている。”(2月23日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の三橋さん(女・78)の投稿文です。住民有志で堤防に桜の木を植え、育ててきた。そして今や名所として花見客で賑わうようになった。立派な地域活動です。軌道に乗るまで大変な苦労があったと思います。ご苦労さま、おめでとうと申し上げたい。
 以前にも書いたと思いますが、ボクの近くに川が流れています。その堤防を遊歩道として整備して欲しいと市に要望しました。そして5年、先日説明会があり、ボクも出席しました。今年から工事が始まるようです。ボクはこの要望に初期から係わり、その後も実現に後押しした経緯があります。これからどのように係わろうか、少し悩んでいました。そして先日、今年度の町会長と来年度の町会長予定者と会い、いろいろ話をしました。後は流れに任せようと思っています。




2017/03/13(Mon) (第2413話) 妻への恩返し 寺さん MAIL 

“妻が脳梗塞で倒れて左半身不随になり、車椅子生活を始めてから、かれこれ5年になる。最初のころ、妻はしばらく頻尿、筋肉痛が続いた。介助や慣れない家事に翻弄され、心身ともにくたくたになった。当時は福祉サービスの存在を考える余裕すらなく、それはまるで戦争状態だった。現在は、妻の車椅子生活には変わりがなくても、週3回の福祉サービスや妻の回復のおかげで、夫婦ともに通常に近い生活に戻った。
 昨年は妻が旅行をしたいというので何度か夫婦旅をし、今年に入ってからは約40年続けてきた日本語教師のボランティアを再開した。「毎日が日曜日」のような日々を楽しんでいる。時折、以前のように新聞投稿もできるようになった。
 ずっと夫婦共働きだったので、経済的にはそれほど心配をしなくてもいい生活が送れてはいる。だがその分、妻には家庭を支えてもらうなど、かなりの苦労をかけ通しだった。
  【 さて我は苦労をかけし我が妻に償いきれるか生涯に 】
 と、妻が倒れる前に詠んだこともあった。妻の苦労を考えればその一部にすぎないと思うが、何とかお返しできそうだ。”(2月19日付け朝日新聞)

 埼玉県新座市の渡辺さん(男・74)の投稿文です。妻が倒れたら・・・ボクも深刻な事態になるでしょう。その気になれば大方のことはできるとは思いますが、一番困るのは料理です。毎日3度のことですからこれが一番重要で大変なことです。ボクは家事にはこまめな方だと思っていますが、それは料理や洗濯以外のことです。この二つはほとんどしたことがありません。自分が食べるためだけのものなら何でもいいでしょうが、これが妻が食べるとなるとそうはいきません。だから手が出ません。全くお手上げです。ですから妻にはボクより早く動けなくなることは絶対に止めて欲しい。妻にはボクより絶対に長生きして欲しい、これが今のボクの最大の願いです。女性はぐずぐず言っていてもしぶといですから、大丈夫とは思っています。そんな中、渡辺さんは立派です。この危機を乗り越えられた。恩返しをされた。ボクも妻の行動を眺めることが多くなっていますが、全くよく動きます。ボクにしてみればそこまでしなくてもと思いますが習慣なのでしょう。しないと落ち着かないのでしょう。そうしてくれてボクも落ち着いて家の中で過ごせているのでしょう。感謝しています。妻への恩返しはいつまでもボクが元気でいることでしょう。




2017/03/11(Sat) (第2412話) JRC通じ 寺さん MAIL 

 “私はJRCという部に所属しました。ジュニア・レッド・クロス(青少年赤十字)の略で、主にボランティア活動をする部です。もともとボランティア活動に興味があって入りました。
 高校に入るまで「JRC」は聞いたこともなかったので、ひっそりとした活動をしていると思っていました。いざ部活動を始めるととても大変だということがわかりました。地域の名所、熊野古道を留学生の方々にガイドしたり、熊本で震災が起こったら次の日に募金を計画し、二日後には募金活動を始めて三日間やり続けたり・・・。
 私が自身の成長を実感したのは、地域の行事に実行委員として参加した時でした。大人の委員の方とどのようなことをすればよいかを考え、部員にも案を出してもらい、皆の協力で祭りを成功に導くことができました。このJRC部で貴重な経験をすることができ、とても感謝しています。”(2月17日付け中日新聞)

 三重県御浜町の高校生・瀬古さん(男・18)の投稿文です。今回も若い人の投稿文です。JRC、ボクは知りませんでした。今はその気になればいろいろな活動があるものですね。そういうことに目が向けられるいい時代です。こういうボランティア活動での体験や培われる精神は尊いものです。これからにも大いに期待しましょう。
 ボクがボランティアの興味を持ち始めたのは結婚してからで、それ以前は全く考えていなかった気がします。自分達が生活していくことで精一杯だった気がします。高校へ進学するのは半分だったですからね。いい時代になりました。でもいい時代もいつまで続くか、分かりません。今のいい時代を有意義に満喫して欲しいものです。




2017/03/09(Thu) (第2411話) 日常を支える人に 寺さん MAIL 

 “大学生になってからアルバイトを始め、もうすぐ一年になる。初めはなかなか仕事を覚えられず、何度も指導を受けた。それも最近は慣れ、楽しんでできるようになった。
 年末年始もアルバイトをした。毎年、こたつでゴロゴロしてきた私にとっては大変な日々だったが、達成感もあった。元日もアルバイトをして、夕方に帰宅して一息ついたとき、年末年始も働いている人が他にもたくさんいることに改めて気付いた。郵便などの配達、交通機関、マスコミ、商業施設の関係者・・・。挙げ始めるときりがない。
 そして、年末年始も、いつもと変わらず家事をしてくれている母がいる。こうした多くの人たちに支えられ、助けられて私たちは過ごしていることを実感できたお正月だった。
 日常も、どこかで誰かのために頑張っている人がいる。そんな人たちへの感謝を忘れず、私もこれから、人の役に立てるよう精進していきたい。”(2月17日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の大学生・坂東さん(女・19)の投稿文です。社会はいろいろな人によって成り立っています。頭で分かっていても分かったことにはなりません。体で感じることが大切です。アルバイトは体で知るいい機会です。坂東さんは学生です。これから先いろいろなことに役立つでしょう。でもアルバイトはアルバイトにして、学ぶという学生の本分をおろそかにしないで欲しいと思います。
 24時間営業や年中営業など昔にはなかった営業形態が増えています。利用する方も便利さに慣れると更に上のサービスを要求します。ますます過激な労働が増えていきます。過剰なサービスはないのでしょうか。国民は消費者であると同時に労働者です。そんな中、いろいろな働き方が模索されています。でもいろいろな働き方を選択できる人はどれだけあるのでしょうか。派遣社員やアルバイトが増えています。これも一つの選択と言われるかも知れませんが、多くは正社員になれなくて、この道を選ばざる人が多いのではないのでしょうか。これから人手不足も起きてくるでしょう。企業は何のために存在し、労働者や国民はどうなあるべきか、本当の豊かさとは何か、もっと基本に返って考えねばと思います。




2017/03/06(Mon) (第2410話) 昭和の明細 寺さん MAIL 

 “昨年末の午後、本棚の整理をしていたら、茶封筒の中から、思いがけず、かつての勤め先での三十七年分の給料明細書が出てきました。定年して二十八年。それこそ久しぶりに手にしました。一枚一枚の明細書の紙の軽さとは反して、改めて自らの歩みの重みを感じました。
 当時の若い社員が淡い恋心を抱いていた経理のかわいいS嬢やF嬢。彼女たちが押印した朱肉は、すっかり色あせていました。さまざまな思い出がどんどんよみがえってきました。こんな明細書は、ITの発展でスピード化し、便利になった現代の若い人には到底理解しがたいことでしょう。これが、大半が手作りだった昭和の事務処理だったのです。”(2月15日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の曽原さん(男・85)の投稿文です。給料明細書の保存はボクもしています。就職したときからずっとスケッチブックに張ってあります。源泉徴収票も一緒に張ってあります。この文を見てボクも久しぶり、スケッチブックを開いてみました。初月給の昭和43年4月の支給総額は33094円です。妻のも張ってありましたので見てみると、21280円です。あれから50年近くになります。今では考えられない額です。懐かしさがこみ上げてきました。
 いつからか覚えていませんが、給料が銀行振り込みになりました。ボクは抵抗して当分の間、一部を現金でもらっていました。また今の会社は給料明細書はくれなくて、パソコンで確認するだけです。まさに時代の変遷を感じます。時代の流れとは思うものの、余裕が減った気がします。本当の豊かさとは何でしょう・・・余裕もその中味だと思いますが。今昔のようにしてもらったら感激するのではないでしょうか。こんなことを思うボクは随分歳を取りました。いろいろ処分をしなければと言われますが、ボクにはまだ当分出来そうもありません。




2017/03/04(Sat) (第2409話) 地図に残る仕事 寺さん MAIL 

 “土木建設会社に勤める岩倉市の佐々木兼一さん(四六)が、入社二年目に高速道路建設に携わった頃の話。(中略)
 そんな時、作業員さんが小学生の息子を現場へ見学に連れて来た。夏休みの自由研究の一環らしい。世話をすることになり付き添っていた佐々木さんは、その男の子の発した言葉に衝撃を受けた。父親が現場で働く姿を見て「かっこいい!」と言ったのだ。それも澄んだまぶしい瞳で。「なぜ、そう思うの?」と尋ねると、男の子は答えた。「お父さんは、いつも服が汚れたままで帰ってくるけど、仕事に対して誇りを持っているから尊敬できるんです」と。佐々木さんは、自らを省みて恥ずかしくなった。
 「さらに『お父さんの子供でよかった』と言うのです。幼いのに立派だと思いました。以来、私も建設の仕事を誇れるようになったのです。実は、その時の彼女が今の妻です。私にも息子がいて、小学三年の時『お父さん、地図に残る仕事をしててすごいよね』と言われたことがあります。今ある自分は、あの時の男の子のおかけです」と佐々木さんは話す。”(2月12に付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。少し長いので中略しています。建設事業は3K(きつい、危険、きたない)職場と言われてきました。さらに3つ(給料が安い、休暇が少ない、カッコ悪い)加えて6K職場と言われてきました。「しっかり勉強しないとああいう仕事をしなければならないよ」と建設現場を見ながら親が子供に言ったという話もあります。佐々木さんはこんな仕事にコンプレックスを抱いていた。そんな時、建設現場を見た子供の言葉です。見かけが悪くても仕事に誇りを持っているお父さんを尊敬しているという。家庭でどのような会話がされてきたのか知りませんが、子供の素晴らしい言葉です。仕事に誇りを持つという大切さを知ります。「地図に残る仕事」という言葉も嬉しくさせられます。建設業はそれ程大きな仕事です。
 「職業に貴賎はない」といいますが、ほとんど誰も心の内には多かれ少なかれ貴賤を持っています。それがあるから、貴いと思う仕事につくことをめざして頑張っている一面があります。でも人生終えてみると、思っていたほどに大きな貴賤の差はないと感じるのではないでしょうか。もっと重要なことがあるのです。ボクはそんな気がしています。




2017/03/02(Thu) (第2408話) 著作に感謝 寺さん MAIL 

 “エッセー「置かれた場所で咲きなさい」の著者でノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが昨年末に亡くなりました。訃報に接し、ショックを覚えました。四年ほど前のことになりますが、新聞で紹介されていたエッセーを、読書家でもない私がなぜか手にし、読みました。その感想を出版社に送りますと、担当者の方が渡辺さんのもとに送って下さり、何と渡辺さんから返事を頂きました。
 当時、老いを受け入れられず人生に悩んでいました。そんな私にとって、このエッセーは暗闇を明るく照らしてくれるものでした。
 教壇に立たれたり、執筆をされたりして、ご壮健だと思っておりましただけに、渡辺さんの訃報は残念でなりません。私のような愚かな老人が残りの人生をしっかりと歩んでいけるように、あのエッセーのような指針本をもっともっと書いていただきたかったのに。心よりご冥福をお祈り申し上げます。”(2月9日付け中日新聞)

 愛知県春日井市のパート・塚本さん(男・60)の投稿文です。渡辺和子さんのような著名な方から返信が届く、塚本さんがびっくりされるのももっともだと思います。一読者の感想文に返信が届くとは、ボクもびっくりします。塚本さんの感想文に渡辺さんが大変気を引かれたのでしょう。渡辺さんは高齢で忙しい方でしょう。渡辺さんの人格の現れでしょう。ますます感心します。そして多くの人の喜びを与えて亡くなりました。ボクもご冥福をお祈り申し上げます。渡辺和子さんの言葉について、2009年7月12日の「話・話」第1138話に紹介しています。その文を読んでもその人格に感じます。
 塚本さんは4年前に「老いを受け入れられず」と書かれています。また「私のような愚かな老人」とも書かれています。そして60歳と書かれています。この60歳は間違いではないでしょうか。70歳、80歳なら分かります。本当に60歳でこのように言われたのなら、何があったのでしょう。首を捻ります。


 


川柳&ウォーク