ha1702

第153号  2017年2月


2017/02/28(Tue) (第2407話) 孫新聞 寺さん MAIL 

 “プルルー、プルルー。電話の受話器を急いで取ると、すぐに、ピーという音とともにファックスに切り替わる。「来た、来た、来た」小学四年から中学一年まで、二家族計四人の孫たちからの新聞が、毎週日曜に届くのだ。
 今は六年生になった孫娘が四年前に送ってくれるようになり、他の三人もまねを始めた。それぞれがA四判の紙に一枚ずつ、学校や家であったことや、今週の気になるニュースとその感想、アンケート、クイズ、四こま漫画などを、記者になったかのように書いてくる。各自が考えたタイトルも付けられている。
 孫たち一人一人の性格がよく出ていて、読んでいると楽しい。離れて暮らしている孫たちの日常もとてもよく分かる。口下手の夫は、土曜日の夜になると、いそいそとファクスの用紙をスタンバイ。新聞が届くと、わが家に準備している貯金箱に、「購読料」を入れ、満足げな顔をしている。ふだんは顔に出さない夫も、四人の「孫新聞」を心待ちにしているのだ。
 二人きりで暮らす老老介護生活の大きなエネルギーになっている。今週も待っています。わが家だけに届く日曜夕刊、孫新聞。”(2月8日付け中日新聞)

 愛知県知多市の主婦・江端さん(69)の投稿文です。毎週4人の孫からファックスで近況報告が送られる、これはまたなんと嬉しい話であろうか。老夫婦にとって孫の話は何であっても聞きたいものである。この孫新聞は、老夫婦を喜ばすばかりでなく、孫自身にとっても非常にいいことである。孫さん自身は気づいていないと思うが、書くと言うこと、またそれを自発的にするというのはいろいろな効果を生む。学校の学習にも大きな効果を及ぼすだろう。少しでも長く続くことを期待するばかりである。江端さんが購読料を積み立てられるのもまた面白い。嬉しさの現れである。購読料はどのように使われるだろうか、これも興味をひく。
 ボクの妻は毎夜7時半過ぎから1時間近く歩きにでる。昨年から時折小学5年の孫が歩きについて来る。妻を思ってではなく、自分の楽しみのようだが、妻には嬉しいことである。いつまで続くのかと、ボクは興味を持ってみている。これも妻ばかりでなく孫自身にとってもいいことである。続いて欲しいものである。




2017/02/26(Sun) (第2406話) 新聞と心遣い 寺さん MAIL 

 “今年初の積雪をもたらした一月半ばの朝、心温まることに遭遇した。わが家は玄関からポストまで十メートルほどある。雪が降っていたので、新聞を取りに行くため、長靴を履いて扉を開けた。すると、玄関先に新聞が置かれていたのだ。長靴まで準備しただけに、拍子抜けしたものの、縮こまらんばかりの寒い日の朝なのに体は一気に温かくなった気がした。
 現在の家に住んで二年半。このような親切は初めてだった。思わず、届けてくださった新聞販売店にお礼の電話をしたくなった。けれど、そうすることによって積雪の日にそこまでしなくてはならない風習になっては困ると思ってやめた。
 新聞を届けてくださった方はただでさえ早起きなのに、積雪の日はいつもより早く起き、慎重に、しかも遅れることなく配達されたのだろう。遅起きした私へのここまでの心遣いに、感謝の意を伝えたい。ありがとうございました。”(2月6日付け中日新聞)

 岐阜市のパート・野村さん(女・37)の投稿文です。新聞の戸別配達は日本独特のものらしい。確実に新聞が売れるが、関係者には大変な努力がいる。特に新聞配達員さんは、雨の日も雪の日も朝暗いうちから配らねばならない。昔は元気な子供が多かったが、今は高齢者が多い気がする。よく頑張ってみえると思う。そしてこういう配慮である。高齢者ならばの配慮であろうか。嬉しいことである。そしてこういう投稿になった。今は雨の降っている日や降りそうな日には袋に入っている。昔に比べたら随分ありがたい。でもそれだけ労がかかっている。新聞を取る人も少なくなっていよう。でもこの方式をいつまでも維持して欲しいものだ。
 ボクみたいに早起きで、すぐに新聞を取りに行く人がいるから配達員さんは大変だ。時折配達員さんと出くわすこともある。「ご苦労様」と礼は言うが、忙しいからそれ程声はかけられない。もっとねぎらいたいものである。新聞配達については、今年1月29日の「話・話」第2392話にも書いています。




2017/02/24(Fri) (第2405話) 名城案内 寺さん MAIL 

 “退職後、名古屋城の観光ボランティアガイドをしています。選考で面接官に応募動機を質問され、自分の思いが明確になりました。郵便局で働くことを選んだときから、社会に貢献できる職を、と思っていました。退職後も思いは変わらず、人と接して喜ばれることはと考え、このボランティアを選びました。
 お客さまからの「ありがとう」は最高の喜び、生きがいになっています。ガイドする以上、勉強もしますし、当番の日には一万歩から一万五千歩は歩き、頭も体も鍛えられます。「人のために」という選択基準は、自分をもよい結果へ導いてくれるようです。”(2月5日付け中日新聞)

 名古屋市の鈴木さん(75)の投稿文です。近年観光ボランティアガイドは各地に広まりました。良いことですし、嬉しいことです。特に鈴木さんのように、退職後何かボランティアをしたいという人にはもってこいです。喜ばれることであるし、自分にとっても勉強になり、健康作りにもなります。良いことずくめです。ボクもしたくお思いますが、今のところボクはもっぱら利用させてもらう側です。利用させてもらう側も必要ですからね。一宮友歩会の例会でもう各地でお世話になりました。皆さん熱心です。ガイドの方をお願いしてあると参加者に喜ばれます。本当に助かります。
 名古屋は観光客にとって魅力のない街とよく言われます。観光ボランティアガイドは魅力を増す大きな力があります。もっともっと増えて欲しいと思います。




2017/02/22(Wed) (第2404話) 書き写し 寺さん MAIL 

 “現在、私は育休中です。新年度の復帰に備えて新しく何か始めたいと思い、年明けから朝刊一面のコラム「中日春秋」の書き写しを始めました。今までも読んではいましたが、書き写しによって気付くことかありました。それは文章構成の巧みさです。誰もが興味を引かれる小話で文章が始まって時事的な話題に入り、最後は小話に絡めてまとめる。これは、職場での朝礼のあいさつにも使えるのではないかと思いました。
 切り取ってノートに貼る作業は、四歳になる上の子供にやらせています。冬休みのお手伝いの宿題として朝刊を取ってこさせていましたが、新年からは切り貼りも追加。率先してやってくれるので、私も毎日怠けずに続けられます。
 育児でなかなかまとまった時間が取れませんが、書き写しを続けて文章力をアップさせ、また新たな発見ができればいいなと思っています。”(2月1日付け中日新聞)

 愛知県豊山町の会社員・荒尾さん(女・32)の投稿文です。書き写しの利点に気づかれ、忙しい中始められた、感心する。しかもこの若さである。ボクが朝日新聞の天声人語の書き写しを知り、そのノートを購入したのは2014年である。そして1ヶ月分のノートを使い切るのに3年近くを要した。全く情けないと言ったらない。でも今年は心を入れ替えている。今のところ週一を保っている。荒尾さんには頑張って欲しい。利点はいろいろあります。時の話題を知り、文章のまとめ方を覚え、丁寧に字を書くことで文字が上手になり、あやふやな漢字の確認にもなる。特に高齢者にはボケ防止に最適である。
 荒尾さんの文で、職場の朝礼で挨拶をされていることを知りました。ボクの会社では毎週月曜日朝に、順番に何か話をすることになっています。話題を見つけ、要領よく話さねばなりません。ボクは非常に良い行事と思っています。荒尾さんの職場も多分同じようなことをされているのでしょう。仲間を得た思いです。また子供さんにも仕事を与えておられる。これも良い。続けて欲しいものである。




2017/02/20(Mon) (第2403話) 家族全員に 寺さん MAIL 

 “受験シーズンになると思い出すことがある。今から十数年前、息子の大学進学が決まった時のこと。あちこちから「おめでとう」のメッセージが届くものの、なかなか実感できずにいた。緊張が解けて放心状態になっていたのだろう。そんな中、義妹がお祝いにホールケーキを持ってきてくれた。早速開けてみると、まあびっくり。そこには家族全員のファーストネームが。飾り付けの間に、四つの名前が並んでいた。すかさず義妹が言った。「家族全員におめでとうだから。だって家族みんなで頑張った結果の合格だものね」。そうそう、本人はもちろん、家族も同じくらい結果が出るまで張りつめた日々を過ごしたのだから。
 受験生に風邪を引かせてはならぬと細心の注意をはらっていた親の方が風邪を引いてしまったこと。家にじっとしていられず、寒い中お百度を踏むかのように毎夜歩き続けたこと。いろんなことが、今では義妹の思いがけないお祝いとともに、懐かしい思い出に変わっている。
 今、受験生として懸命に頑張っている方々、そしてその家族に心からのエールを送りたい。無事にこの関門を突破して欲しい。”(2月5日付け朝日新聞)

 鹿児島市の主婦・蒲ヶ原さん(66)の投稿文です。大学合格に、本人ばかりでなく家族全員におめでとうを言う。良い配慮と感心する。こういう心配りは大切だ。それが嬉しくてこういう投稿にもなるのである。ボクの孫は昨年高校に入学した。時折娘が来て、その生活やこれからの大学受験について話していく。今の時代の大変さを知る。蒲ヶ原さん宅も家族全員がいろいろ協力されたであろう。その結果の合格であり、おめでとうである。娘宅もまもなく始まるであろうか。孫はまだ英会話教室へ通い、この春休みに外国へホームスティーをしたいといっているので、まだまだ入試体制には入っていないようだ。
 たかが大学入試に、一生の一大事とばかりに家族も巻き込んで総動員体制というのも何かおかしい気がするが、それが日本の現実であろう。本当は入学後であり、卒業後である。ボクの人生を振り返って、大学名がすべてではなかったと思う。




2017/02/18(Sat) (第2402話) 雪の神様 寺さん MAIL 

 “珍しく初雪が降った昨年の11月、スーパーヘ買い物に行った。レジの長蛇の列にうんざりして、ふと「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ・・・」と、受験で覚えた三好達治の詩「雪」を口ずさんだ。すると後ろに並んでいた女性が、すかさず「次郎の屋根・・・」とつぶやいたので、顔を見合わせて笑ってしまった。
 一緒に店内のイートインコーナーでコーヒーを飲んだ。年代が同じなので、受験勉強はつらかったけど高度成長期の日本は元気だったこと、輝くような青春時代が広がり、楽しさいっぱい夢いっぱいだったことなど話はぽんぽん弾んだ。「誘ってくださってありがとう。とっても楽しかったわ」とお礼を言われ、私も「じゃあまたね。話の続きは次回のお楽しみに」と帰路についた。ふんわりと雪をかぶった街並みの美しさ、久しぶりに心のうちを話せた高揚感。また会えるだろうと思い、連絡先は交換しなかった。
 近くのスーパーだが、その後はお目にかかれていない。公民館、サークルとアンテナを張っても、いつも空振り。縁があればまた、雪の神様が引き合わせてくれることでしょう。”(2月2日付け朝日新聞)

 神奈川県藤沢市の主婦・水口さん(74)の投稿文です。全く見知らぬ人がちょっとしたきっかけでコーヒーを一緒に飲む、誰とも気楽に話しすぐに友達にしてしまう。これだから女性はいつまでも達者だ。本当に感心する。その点男はダメだ。なかなか気楽に話しかけられない。再び会っても素っ気なくしてしまう。これでは友達を増やすのは難しい。今週1泊2日のツアーに1人で参加した。1人参加は女性6人、男性3人であった。見ていて全く雰囲気が違う。また女は話し始めたら切りがない。先日も妻が朝9時頃、知人数人と会うために出かけていった。帰って来たのは2時近く。当然昼食をしてきたと思ったが、話ばかりしていてまだだという。あきれてしまった。長生きできる訳だ。女性の会話はたわいもない話の中に、時折役立つ話が少し出る。男性の会話は必要な話のみで終わってしまう。無駄話が少ないから続かない。時間がないときはそれでいいが、有り余る時間があるようになったらもっと会話を楽しむようにしてもいい。いや、それが必要である。ボクも今までは会社へ行っていて、話す機会も多かった。退職したら一挙に減る。まさに自己改革の今年である。




2017/02/16(Thu) (第2401話) 松刈り奉仕 寺さん MAIL 

 “私の知り合いに心臓にペースメーカーを入れて15年になり、そのほかにも病気を抱えながら、毎年地区の神社の松刈りを4日がかりでされている方がいます。もちろん一人で奉仕です。いつも声掛けして下さる方なので時折お茶うけを持って行きます。
 その方のおっしゃる言葉にいつも感銘を受けて帰って来ます。朝鳥居をくぐる時は今日も無事に仕事をさせて下さいと頭を下げる。20数年奉仕をさせてもらえる事に感謝をしながら松を刈る。そして仕事が終わったら今日も元気に仕事を終えた事に感謝を。大仕事を全て終わった日は来年もどうか元気で松を刈らせて下さいと神様に御願いをして帰るのだそうです。
 町民の方々の中には神社費から日当を支払っていると思われている方が大半だそうです。奉仕するに当たり宮世話さんに奉仕とは絶対に言わない事を前提にさせてもらっているとのことです。手弁当でお茶持参の心いきにいつも頭が下がります。見返りを求めず今年も元気で奉仕をさせていただけた感謝の心が満ち溢れて、今年齢80になられどうかいつまでも元気で今年も氏神様の松を守ってやって下さいと祈っています。”(1月31に付け「話・話」コメント)

 1月31日付けの「話・話」に、はなみずきさんが長いコメントをつけて下さった。紹介したい話と思って、了解を得てここに1話として書くことにしました。
 今80歳、20年も前から神社の松の剪定を1人で自発的にされたきた。更に無料奉仕と言うことを悟られないような配慮もされている。そしてすべてに感謝、感謝である。自分とほど遠い心の持ち主だけに、びっくりするほど感心するが、こういう人は思っている以上に多いのかもしれない。神社や寺院の整備や行事の維持はほとんど多くの人の無料奉仕によってされている。考えてみれば、ボクの檀那寺の境内の花は1人の人がしている。春には春の、夏には夏の花を植えておられる姿を見る。御華束作りも無料奉仕である。多くは役員や年行司になった時に、慣習として義務的に奉仕している。でもこのように自発的な人もある。この違いは大きい。義務は負担であり、自発は喜びである。同じように見えても全く違うのである。どうせするなら喜んでやりたい。




2017/02/14(Tue) (第2400話) やって後悔 寺さん MAIL 

 “人生の最初で大きな選択は、将来、どんな職業を目指すかであることが多いだろう。私は中学校の在学中、大学進学に少しは関心があったが、わが家の家計を鑑みては言い出せなかった。工業高校へ入り、関東地方の電機会社に就職した。
 入社して二年ほどのころから、この仕事をこの会社でしていていいのか、疑問を持つようになった。当時、転職するのはわがまま者、我慢できない者と言われていた。親も大企業に入って安心し、転職には反対するだろうと思った。それでも大学へ行きたかった。金をため、時間がある時は参考書を開いて格闘した。職業を変更するために費やすエネルギーは大きい。本当に後悔しない変更なのかは分からない。
 やはり父は反対したが、母が父を説得してくれた。母の優しさとありがたさを痛感した。不安があっても、やらずに悔いるより、やって後悔した方がよいと思った。大学生活は貴重な年月になった。”(1月29日付け中日新聞)

 岐阜県羽島市の渡辺さん(男・65)の投稿文です。この投稿文で言いたいのは「やらずに悔いるより、やって後悔した方がよい」の一言である。どうせ生きていく人生である、いろいろやってみればいい。やることは希望が増えるし、道も開ける。しかし、これも言うに易し、行うに難しである。迷うようなことを、すいすいと手を出すことはなかなか出来ることではない。失敗した後が怖いのである。特に失うことが多いものについては難しい。内容、歳、状況等いろいろな総合的な判断が必要である。でも迷い始めたら進まないこともある。渡辺さんは若かった。失敗しても十分に取り返しがついた。
 またやらない多くの理由は怠惰である。することが面倒である。良いことと思っても、やらなくて済むことはやらない。多くの場合はこれである。高齢になればほとんどがこれである。ボクなどまさにこれだ。もうまもなく本当にできなくなる。今やらなくていつするのだ。今年はこの気持ちで行こうと思っている。いろいろ挑戦しやすいのはやり直しのきく若者と失うものの少ない高齢者であろうか。




2017/02/12(Sun) (第2399話) 老木に自分を重ねる 寺さん MAIL 

 “大空に向かって存分に枝を広げたその威容で、地域のシンボルだったクスノキの大木が、あんなに切って大丈夫なのかと思うほど大きな枝ごと切られ、裸同然になった。聞けばかなりの老木で、樹木医の診断ではこのままでは倒れるのを待つだけだったとのこと。わずかな葉っぱをつけただけで、さみしそうに立っていた姿を思い出す。
 それから2年、老木は季節がかわるごとに枝葉を増やし、今では枝の長さこそまだ以前には及ばないものの、密集した葉に覆われて隆々とした若々しい樹勢を保っている。まさに生まれ変わった感じである。樹木医の見立ての正確さと木の持つ強靭な生命力に驚く。
 定年後、職場以外の社会との折り合いの付け方に戸惑う人は少なくない。だがこの老木に、現役時代の地位、人脈、しがらみをきっぱりと捨て、生き生きと新しい人生を送っている退職後の元サラリーマンの姿を見る思いがする。
 第二の人生をスタートするにあたり、それまでに身につけたものを捨てれば捨てるほど、新しいものが身につくということか。退職したわが身に重ね合わせ、近くを通るたびにこのよみがえった老木を見上げている。”(1月29日付け中日新聞)

 埼玉県志木市のアルバイト・皆川さん(男・69)の投稿文です。老木の若返りに自分の生き方を重ねられた皆川さん。上手に解釈されたと思う。男の退職後がうまくいかないことに、いつまでも現役時代の肩書きを引きずっているからと言われる。現役時代の肩書きは組織があってのことである。組織を離れたらその肩書きが何の価値もないと理解しなければいけない。大きな取り柄のある人ならそれも簡単だが、組織に頼ってきた人はなかなかそうはいかない。それを取り外したら一からのスタートである。でも取り外さねばいけない。昔の自慢話をいつまでも言っていては誰も寄りついてこない。取り外したら人も寄ってきて新たなものが身につくのである。皆川さんは老木の蘇りからそれを理解されたのである。
 ボクの再就職も、以前の組織や肩書きがものを言っていたと思う。それも今年7月に完全に終わる。いよいよ身ひとつになる。今までの組織や肩書きを自分から語ってはならない。この話を忘れてはならない。




2017/02/10(Fri) (第2398話) 「おいしかった」は最強 寺さん MAIL 

 “久々に訪れた居酒屋で「ごちそうさま。本当おいしかった!」という声が聞こえました。支払いをしながら若い女性が店員に話し掛けていました。続いてレジに並んだ夫もつられたように「ごちそうさん。おいしかったよ」と言うと店員は顔をくしゃくしゃにして喜んで、こちらまでうれしくなりました。
 その前、日帰り入浴に行き、その宿でのご飯が絶品で米の銘柄は何だろうと思いました。隣のテーブルにいた女性も私と同じだったようで、宿のスタッフに「おいしいお米ですね。産地はどこですか」と尋ねていました。スタッフは、こぼれるような笑顔で応対していました。
 私も支払いの際、「ごちそうさま」は言うようにしていますが、なかなか「おいしかったです」とは言えません。ですが、「おいしかった」は提供する側が喜ぶ最強の言葉なんだと改めて感じました。今年は「おいしかった」をたくさん言おうっと。”(1月24日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(59)の投稿文です。何気ない一言がこれだけ人を喜ばすのか、改めて知る一話である。ボクも外食したとき、日比野さんと同じように近くにいた店員さんに「ごちそうさま」は必ず言っていると思う。でもこの一言である。もう一言足りなかったのだ。その時の気持ちをもう一言足せばいいのだ。是非心がけたい。
 仕事とは言え、料理を作るというのは本当に大変である。あまりテレビを見ないボクではあるが、「カンブリア宮殿」や「ガイアの夜明け」はほとんど録画して見ている。堅い番組であるが、食物に関する話が非常に多い気がしている。作物を作る、魚を捕るから始まり、料理して口に入れるまで食に関する仕事は多いのである。最終目的はおいしく口に入れることである。料理はその最終作業である。最終作業の出来不出来でおいしさは違ってくる。生産者の評価もここにかかっているのである。「おいしかった」などキチンと料理の評価を伝えたいものだ。




2017/02/08(Wed) (第2397話) 夢 寺さん MAIL 

 “「難しい質問だねえ」。昨年末に会った映画監督山田洋次さん(85)は、そう言って沈黙した。「夢」をテーマに一時間余、インタビューした。その最後に「毎日が苦しくて、夢を持てない人にアドバイスを」と尋ねた。事前に連絡した質問事項には入れていなかった。沈黙は1分ぐらいだろうか。そして「こういうことかな」と、映画「男はつらいよ」の第39作「寅次郎物語」(1987年)のワンシーンを語り始めた。
 寅さんのおい満男は大学受験で悩み「おじさん、人は何のために生きているんだろうか」と問う。寅さんは「何て言うかなあ、ほら『ああ生まれてきて良かったなあ』って思うことが何べんかあるじゃねえか。そのために、人間生きてんじゃないのか」と答えた。
 「男はつらいよ」シリーズ全48作のほとんどは山田さんが監督した。脚本もそう。寅さんのせりふは山田さんの言葉でもある。寅さんは「寅次郎物語」で「難しいこと聞くなあ」とちょっと考えてから、満男に答えている。30年前と同じ難しさの中から紡ぎ出された言葉は、時代を超えた人生訓だと思う。全ての皆さんにささげたい。”(1月22日付け中日新聞)

 「世談」という記事からです。「人は何のために生きているか」問われてすぐに答えられる人は少なかろう。ボクなどは「産まれてきたから生きている、死ぬ訳にいかないから生きている」と言うくらいがせいぜいであろう。そしてせいぜい言って「生きねばいかないなら活き活き生きよう」という位である。ここで活き活き生きるとは、今のボクの場合、楽しく生きる、ということにすぐには繋がらない。まず世にあって価値のある生き方となろう。それは家族のこともあり社会のこともあり誰か一人の場合もある。それができたと感じられるとき『生まれてきて良かったなあ』って思えることになる。「良かったなあ」と思えることは人によって、その時によって違ってくる。寅さんが言い山田洋次さんが言われる『ああ生まれてきて良かったなあ』ということは、真理である。
 映画「男はつらいよ」はバス旅行の車内ビデオの定番であったときがある。誰もが楽しんでみられるからである。でも面白い、楽しいだけではなかった。何か一言、一動作に心に響くものがあったのだ。だからあれだけ誰にも好まれたのであろう。山田洋次監督はすごい。




2017/02/06(Mon) (第2396話) 愛車卒業 寺さん MAIL 

 “昨年の夏、実家の両親が愛車を手放しました。父は75歳、母は71歳。そろそろ運転をやめたらどうかと、私は何度となく話して来ました。その度に、両親から何か大きなものを奪ってしまうような申し訳無い気持ちと、これまで大きな事故を起こすことなく来られたことに感謝をして、優秀な成績で卒業証書を受け取って欲しいという願いのはざまで、心が苦しくなりました。
 そして今考えると、両親も同じように悩み苦しんでいたことでしょう。車検の時期が近付いたのを機に、自分たちで決断をしてくれました。ただ単に車を手放すという事実だけではなく、そこには自分の人生と向き合う覚悟が必要であったと思います。
 今では公共の乗り物を活用し、ウォーキングを楽しむ姿もみられるようになりました。私はそんな両親を誇りに思います。子どもの頃から、よくドライブに連れて行ってくれたこと、この先もずーっと忘れません。手放す前、最後の思い出にと両親とドライブした日、晴天の夏空がとてもすがすがしく感じられました。卒業おめでとうございます。そして今までありがとうございました。”(1月24日付け朝日新聞)

 北海道函館市の会社員・湊さん(女・37)の投稿文です。車を手放すというのは易しいことのようですがですが、難しいことです。多くの人に大きな生活の変化を起こします。不便になります。事故でも起こせばその気になるでしょうが、その時では遅いのです。最近は高齢者の事故を多く聞きます。ボクも手放すのはいつだろう、ふと思ったりします。湊さんのご両親は75歳と71歳です。妻もこの文を読んだとき、この歳では無理だろうな、とつぶやいていました。湊さんのご両親は運転免許はどうされたのでしょうか。返納されたのでしょうか。ボクの知人で、接触事故を起こし、その機会に車を手放した人がいます。でも1年もたたない内にまた購入しました。不便でたまらなかったようです。運転免許まで返納しないとなかなか難しいということでしょう。先日は友人が事故を起こしこの機会に廃車するといった。さてどうなるのでしょう。
 ボクの場合はその時の活動状況が大きく左右するだろうと思っています。ただ自分の生活をするだけなら、自転車でかなりの用が足せるので何とかなっていくでしょう。でも、社会活動をしていたら出る機会も多く、範囲も広く、時間の制約等もあり、車はなかなか手放せない気がします。マア、社会活動ができないときはもう体力も知力も弱っているから、簡単に手放せるでしょう。ボクは今まで無事故無違反です。それまで安全運転で行きたいものです。




2017/02/04(Sat) (第2395話) ギンナン 寺さん MAIL 

 “知り合いの方から、ギンナンを百個ほどいただいた。キッチンばさみの柄を使って殼を割り、茶色い薄皮をはがしながら、大学生のころを思い出した。
 友達の家に泊まりに行った日のこと。その日の夕食は彼女のお父さんが腕をふるってくれた。「お客さんだから座ってていいよ」と言われたが、台所をのぞきに行くと、彼女がギンナンの薄皮を難儀そうにむいていた。
 すかさず私は、「その皮はね、こうするといいんだよ」と友達に言った。鍋に少しの水とギンナンを入れて、火にかけながら数本の箸で転がし始めた。徐々に薄皮がはじけていき、さらに転がすこと数分、きれいに薄皮はめくれたのであった。「ほら、ね」「すごいね」勉強は彼女の方が数段よくできたが、その日はギンナンの皮むきひとつで私は得意になった。
 普段、台所のことなどはほとんどしなかった学生時代だったが、幼いころ、家で母にギンナンの皮むきを頼まれたことが生かされた。薄皮をむかれてつやつやになった百個のギンナン。茶わん蒸し、飛竜頭(ひりょうず)、そのままいって塩でも・・・。さて、どう料理しましょうか。”(1月21日付け中日新聞)

 愛知県弥富市の薬剤師・中山さん(女・49)の投稿文です。ギンナンの薄皮を綺麗にむく方法を母親の仕方で覚えていた。それを友達に教えた。こうして生活の知恵が受け継がれていく。小さな事例ですが、大切なことです。今は生活様式の変化も大きく、なかなか昔の知恵が生かせません。また親子であっても、伝える機会が少なく伝わりません。もったいない気がします。
 中山さんはこのことで、優秀な同級生に少し得意になることができた。たわいも無いことかも知れませんが、今でもこうして思い出されているのです。これは意外に大きなことかも知れません。走ることが速い、歌うことが得意、何か一つでも誇れることがあると、気分はグンと明るくなります。
 ボクはこの文で飛竜頭(ひりょうず)という言葉を懐かしく読みました。最近では聞いた記憶がありません。妻も知りませんでした。「がんもどき」のことです。母がよく使っていたのです。ここにも伝達がありました。




2017/02/02(Thu) (第2394話) 家庭で血圧測定 寺さん MAIL 

 “(前略) 43年前にライフ・プランニング・センターを設立した際、「よりよく生きるために、医師や病院任せではなく、自分の健康に主体的に関わる」という理念を掲げました。当時、日本人の死因の多くは脳卒中や心臓病で、高血圧はその最大の危険因子でした。背後には塩分の多い食事習慣などがありました。ならば、家族の食事づくりを担う主婦の皆さんに、血圧の知識をもってもらい、塩分の少ない食事を作ってもらおう。血圧の正しい測り方を知ってもらおう。そう考えて、一般の人たちへの血圧測定指導を始めたのです。当時は「血圧測定は医療行為だから、医師が測るべきだ」とされ、私は厚生省(当時)から、素人に血圧を測定させるのはよくない、と注意を受けたこともありました。
 正しい血圧値を知るためには、同じような条件下で長期にわたって変化を見なければなりません。朝忙しい時、夫婦げんかの後、寒い日、肩がこっている時。状況が少し進うだけで、血圧値も大きく変動します。体温や体重と同じように、血圧も自宅で習慣的に測っていく必要があるのです。(後略)”(1月21日付け朝日新聞)

 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんの「105歳、私の証あるがまま行く」からです。この欄を活用させてもらうのは始めてでしょう。この文を読んで気が惹かれたのは、もう43年前に「医師や病院任せではなく、自分の健康に主体的に関わる」ということを提唱されたと言うことと、「厚生省(当時)から、素人に血圧を測定させるのはよくない、と注意を受けた」ということです。この2点は今では当たり前のことです。特に後者には驚きました。そんな時代もあったのかと知りました。今でも医療行為ということで、規制されていることは沢山あるでしょう。人間の健康、命に関わることだけに難しい判断もあるでしょう。すべて医師の行為としておけば間違いは少ないでしょうが、それは現実的ではありません。病院に行けば半日がかり、1日がかりになってしまいます。返って病院に行かなくて手遅れになることが多くなるのではないでしょうか。こうした問題は権益にとらわれることなく誠意を持った判断をして欲しいものです。時代は本当に変わるものだと言うことをこんなことでも知りました。
 それにしても日野原さんは105歳で医師として現役というのは何者でしょうか。もちろん希有の人ですが、人間です。人間の可能性はすごいものだと唸ります。


 


川柳&ウォーク