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第150号  2016年11月

2016/11/30(Wed) (第2362話) ムカゴ 寺さん MAIL 

 “穂田では黄金の粒がこうべを垂れていた。裏山に分け入ると既に栗が落ち、誰が拾ったか一面イガ栗のじゅうたん。見上げれば色味深まる柿の実。山裾はまだつるで覆われているが、中に大好物がある。細長いハート形の葉っぱの裏で肥大したムカゴだ。目の前のごちそうに慌てそうになるが、そっと採らないとぽろぽろ落ちてしまう。片手を受け皿に収穫、口に運ぶと山の幸を独り占めした気分になった。この素朴な食は世間でいう別腹感覚のおやつ。低カロリーで栄養たっぷりの味覚は山芋の味そのものだ。
 小さいころは毎年、父と山芋を掘った。ムカゴの時期、芋づるをたどり、付け根に目印をする。紅葉が終わる初冬、丹念に掘れば天然の山芋が採れる。大きなものだと半身を大地に埋めての半日仕事だ。正月、子どもは芋汁ご飯で父はそれをすすりながらお酒を飲んでいた。今年は久しぶりに息子たちと掘ってみよう。”(11月1日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の会社員・成瀬さん(男・47)の投稿文です。成瀬さんの思い出は自然にできた山芋掘りである。自然薯とも言うであろう。山芋掘りは半日仕事であったという。そこにムカゴが落ちていた。それを大切に採っていた。この文を読むと、それをその場でそのまま食べたと読めるが、本当であろうか。
 ボクは長芋を作っている。大好きで、とろろご飯が特にいい。この長芋掘りも大変な作業である。最近は楽に掘れる作り方もあるが、ボクは自然に任せて作っている。1m近く下へ伸びている。少し焦って掘るとすぐに折れてしまう。最後まで深く掘るの大変な根気と労力である。大した量ではないが何日にも分けてする。この作業をもう何十年とやっている。
 長芋と山芋とはかなりの味の違いがあるようだが、ムカゴは同じようにできる。わが家ではムカゴを食べたことはない。この文を読んで先日、わが家の畑に残っていたムカゴを拾ってきた。そして妻にムカゴご飯を作ってもらった。芋に似た素朴な味である。色は黒いが味は赤飯とあまり違わない。十分食の足しにはなる。今までもったいないことをしてきた。これから毎年の食になるだろう。




2016/11/25(Fri) (第2361話) 祭りに同行 寺さん MAIL 

 “八十歳の叔父が入院しています。主治医から「がんが全身に転移していて、いつ、何が起きても不思議ではない」と言われています。先日、看護師から電話があり、「叔父さんが祭りを見たいと言っています。連れて行ってあげられませんか」と言われました。見せてあげたいと思いつつ、二人きりのときに容体が急変したらと不安で断りました。
 すると、再び病院から電話があり「主治医が一緒についていくので安心して」と言われました。私は「そんなことまでしていただけるんですか」と答えるのが精いっぱい。涙が出てきました。
 当日は私の軽ワゴンに叔父と主治医を乗せて移動。町を練り歩く山車を見せてあげられました。主治医はずっと穏やかな表情で、叔父の話に相づちを打って聞いてくれました。医師への感謝とともに、叔父さんを祭りに連れて行ってあげられて本当に良かったと思います。”(11月1日付け中日新聞)

 「ホンネ外来」という欄から静岡県の68歳の女性からの投稿文です。「ホンネ外来」と言う患者さんの意見を募集している欄からです。この欄からて取り上げたのは初めてでしょう。不満や苦情の意見が多い。そんな中、患者さんの希望に添って、祭りにまでつきそうとは、素晴らしい思いやりのお医者さんである。家族が感謝する訳である。死を間近にしたとき、人は何を希望するか。求めるものがあるのかないのか、様々であろう。今何を思おうと、その時にならねば分からないだろうが、これをしたらもう死んでもいいと思えたら、これはひとつのありがたさではなかろうか。
 医者と患者、立場は全く違う。患者は医者に頼りつく。時によっては命に関わる、当然医者の立場は強くなる。その違いが態度に大きく現れていた。それは一昔前のこと、今では多くのお医者さんが本当に優しく親切になったと思う。患者様と呼ぶ病院もあるという。これには様々な意見があるが、ボクには違和感があり行き過ぎと思う。何事も人として対等でありたい。いくら偉いと思っているお医者さんであっても、患者が来なくては力の発揮しようもないし生活も成り立たない。お互いを思いやり、感謝する。この気持ちだけである。




2016/11/23(Wed) (第2360話) 鉛筆型人間 寺さん MAIL 

 “あなたには理想とする人間像があるだろうか。人間誰しも理想を描く。周りの人を参考にしてもいい。尊敬できる家族、先生、友達。理想とする人間像に近づこうとすることで、人生はより生き生きしたものになるだろう。
 自分の理想像を考え始めのは中学三年生のころ。今も尊敬する先生に、受け持っていただいたことがきっかけだ。それからは、むさぼるようにさまざまな本を読み、理想像を探してきた。行き着いたのは、自分の芯を持ち、周りへの気配りや目配りを忘れず、いつも思やりを大切にできるような女性だ。一言で言い表すなら、「鉛筆型人間」だ。友達から聞いて知った言葉だが、芯が通り、周りに「気」(木)を使い、自分の身を削って役立てる人という意味。将来そんな人間になりたいと思う。”(11月1日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の高校生・佐藤さん(女・18)の投稿文です。鉛筆型人間とは、またいい言葉を聞いた。芯が通り、周りに「気」(木)を使い、自分の身を削って役立てると言う説明は的を得ている。鉛筆もこんなふうに例えられるのだ、ボクは知りませんでした。いろいろ本を読み、勉強し、それを自分の理想像とする。これなら忘れないでしょう。理想像を持てることはありがたいことだ。立派なものだ。尊敬できる先生に会われたのが良かった。いい友達に恵まれたのが良かった。「類は友を呼ぶ」と言いますが、似た者同士は自然と集まってくるものです。佐藤さんは勉強家です。だから友達もそうでしょう。
 「類は友を呼ぶ」と言う諺をボクは「類は類を呼ぶ」と思っていた。調べて見たら明らかに違っていた。そして違って覚えている人が多いことも知った。意味を考えたとき「類は類を呼ぶ」の方が納得しやすいからではなかろうか。でも間違いである。




2016/11/21(Mon) (第2359話) 指輪 寺さん MAIL 

 “「指輪、出てきたぞ」。畑から戻った夫が言います。二十五年ぐらい前、畑で芋を掘っていたときだったと思うのですが、なくしたことがありました。指から抜けてしまったようで、「あーあ、なくしちゃった」とがっかり。夫が新しい指輪を買ってくれましたが、仕事の関係で、長い間はめたことはありませんでした。
 見つけたのは、畑で土を起こして、草や石なども分けていた時。「缶の切れ端かな」と思ったそうです。よく出てきたものです。長い間、土の中に入っていたんですね。娘は「モグラの子どもが王冠にしてたけど、大きくなったので返したんやね」。そう、ずっと王冠にして着けていてくれたのかもね。
 十月は私の誕生月。結婚四十一年目を迎えました。思ってもみない、うれしいプレゼントに思えました。ちょっとごつこつした指になりましたが、見つかった指輪はスムーズに入りました。親を送り、子どもたちも家庭を持ち、今は夫婦の生活になりました。これからお互い補い合いながら、やっていこうと思います。縁あって、人生のパートナーになったんですもの。マニキュアを塗って、ちょっとおしゃれしようかな。七十歳の秋に。”(11月2日付け中日新聞)

 三重県川越町の主婦・井上さん(70)の投稿文です。25年も前に畑でなくした指輪が出てこようとは、また驚いた話です。こんなこともあるのだ。何か幸運が降ってきたようで嬉しかったことでしょう。こんなことがあると気分も前向きになり、新たな発展も起きます。人生誰にも時折こんな幸運もあります。こういう機会をうまく利用したものです。井上さんは、改めて夫婦のありがたさを実感されたようです。
 ボクが畑でなくすのは鎌や鋏です。気をつけているのですが、どこに置いたか分からなくなります。何かの時に見つかるのですが、もう錆びて使い物になりません。ボクにはこんなことばかりですが、怪我がなかったことを良しとしましょう。
 それにしても、再び指輪を買ってくれるとは優しい旦那さんですね。無くしたとき、どのように言われたでしょうか、散々嫌みは言われなかったでしょうか。ボクは結婚後、アクセサリーを妻に買って贈ったことはあったろうか。ほとんど記憶が無い。




2016/11/19(Sat) (第2358話) 家族の会話遮断 寺さん MAIL 

 “帰宅すると、突然テレビが故障をしてしまったという。テレビを誰も見ていなくても音声が流れているのがわが家の日常となっていて、食事中はテレビを見ながらの「ながら会話」で番組の話が中心です。
 職場の同僚とは仕事について共通の話題もすぐに見つかり、会話に悩むこともありません。家族とも気兼ねなく会話できると思っていましたが、テレビがないだけで、無言の静かな夕食になってしまいました。
 テレビの故障による気付きは、テレビが家族間の会話を遮断しているという事実でした。お互いの顔を見ながら話すことの大切さを知りました。相手の表情を見ながらの会話は、食事の楽しさを倍増させてくれることを発見しました。家族と正面から向き合っての会話に悩むとは思いもしませんでした。テレビが直っても、家族だけの会話を楽しのが絆を強める道だと、今は感じています。”(10月30日付け中日新聞)

 三重県松坂市の会社員・山本さん(男・60)の投稿文です。テレビの影響は大きい。日本人にテレビのない生活はあまり考えられない。功は大きいが、罪も大きい。これは見る側にかかっている。何をどう見るかである。特に人と一緒の時の食事中に、例え家族でもテレビを見るのは避けたい。会話の全くの妨げである。ボクはよほど気にする番組がある時以外は見ないことにしている。これは若い時からである。わが家の鉄則でもある。山本さんも食事時のテレビのない効果を知られたようだ。良かった。この文で、誰も見ていないのにテレビがついているのが日常と言うことに驚いた。テレビの電気消費量は大きい。こんな無駄は止めた方がいい。わが家では絶対という位ないことである。最近は若い人にテレビ離れもあるのようだが、スマホなど何かの形でテレビ番組は見ていよう。でも最近のテレビ番組は制作者の思考を疑う番組が多い。そういうことでは、ボクはテレビ離れを起こしている。一億総白痴化という言葉があったが、今はその時代をはるかに超えていると思う。




2016/11/17(Thu) (第2357話) 食事変えただけで 寺さん MAIL 

 “昨年の人間ドックで、コレステロール値や尿酸値などの項目で「イエローカード」が出た。体重も前年より3キロ増えた。再診で医師から「薬を処方するまでではないが、運動をし、酒はやめるように」と言われた。酒をやめるのは嫌だが、運動ならできると思い、休日や長期休暇中の空き時間を使ってウォーキングをやった。だが週に数回では、全く効果はなかった。
 今年4月、元同僚が転動してきて再び一緒に働くことになり、驚いた。がっちりタイプだった彼がスリムになっていたのだ。「どうやって?」と問うと「食生活を変えた」の一言。それしかやっていないという。
 すぐに、飲食量をコントロールすることにした。昼はご飯を少なめにし、コンビニで買うおにぎりは三つだったのを二つに。ラーメンは大盛りをやめた。夕飯の際の発泡酒はできるだけ2缶にとどめ、それ以上はノンアルコールビールに。もったいないと思ってすべて食べるようにしていたが、それもやめた。
 今年8月の人間ドック。驚いたことに全ての数値は標準値になり、体重も2.5キロ減となった。これほど体のことで変化があったのは初めてだ。同僚の実践伝授に感謝したい。”(10月30日付け朝日新聞)

 静岡県牧之原市の高校教員・池ケ谷さん(男・59)の投稿文です。太る原因は食べ過ぎにある、至極当然のことである。ダイエットも何もない、食べなければ増えないのである。ところがこれが豊かな日本人にはできないのである。余分なお金を使って余分な体重を増やしている。その結果、体も悪くしている。何とも愚かなことである。これほど考える間もない愚かなことを多くの日本人が犯しているのである。それ程に食欲に勝てないのである。食べて増やさないように苦しんでいるのである。こういうボクは、長年体重の増えに悩んだことはなかったが、今年ついにその体験をした。尿漏れからつい行動が控え目になる。食欲は変わらない。当然体重は増える。半年で4kg程増え人生最大の体重を記録した。これではいけないと、減量を決意したのが9月下旬である。食事量を減らし、食べ方を変えた。行動も活発にした。そして1ヶ月半、ほぼ元に戻った。増えたばかりであるので、減るのも早かったのだろう。この文を書くに当たっていろいろ調べて見た。ボクはオムロンの体重体組成計を使っている。いろいろなデータが出て面白い。参考ではあろうが励みになる。池ヶ谷さんが言われるように適当な体重の効果は大きい。心がけたいものだ。




2016/11/15(Tue) (第2356話) 年重ねた顔 寺さん MAIL 

 “何年ぶりかで、娘が写真を撮ってくれた。それを見て思わず「やだ、七十歳のおばあさんが写って」と声をあげてしまった。娘は平然と「いつもの姿そのままだよ」と笑う。孫に「ばあちゃん」と呼ばれて戸惑った時期もあったが、今や私の呼称として定着した。化粧っ気はなく、視力も弱い。どこから見ても年相応に違いない。鏡は見えるが、老眼は進む。記憶する自分の顔は何年も前のままなのだろうか。
 自分の歴史、家族の歴史が納まったスナップ写真を見返して、自然にこぼれ出た家族の心の明暗を発見したこともあった。平凡な日常では見過ごす老いも、カメラは逃さず活写する。いつかこの写真を見て「あのころはまだ若かったね」と、年をとった娘と感慨にふける日が目に浮かぶ。
 一生を貫く長いストーリーの一瞬を切り取って、そのときどきで新鮮な発見をもたらしてくれる写真。この一枚は、普段開けない引き出しに封印することにした。”(10月23日付け中日新聞)

 三重県津市の丹羽さん(女・68)の投稿文です。年老いたことはなかなか認めたくないものである。元気であれば尚更であろう。最初のショックは電車などで席を替わられることであろうか。ボクも最初の時はびっくりし、苦笑いしながら座らせてもらった経験がある。孫ができておじいちゃん、おばあちゃんは割に自然に受け入れられるだろう。孫の自然な呼び方である。ところがボクは「オオパパ」と呼ばせている。パパのパパだからオオパパである。これは婿方のおじいちゃんと区別する意図も含まれている。今だオオパパと呼んでくれるが、いつまで続くだろうか。
 写真は素直なものである。取り方によって多少の違いはあるものの、それが素顔である。歴史がその顔を作ってきたのである。受け入れるより仕方があるまい。と言うより堂々と受け入れればいい。60代後半はまだおばあちゃんと言えどもまだ十分に若い。問題はこれからである。若作りしながら頑張って下さい。




2016/11/12(Sat) (第2355話) もらっていない贈り物 寺さん MAIL 

 “おつかいに行くのに手頃な手提げかばんがなく、娘の部屋でお気に入りを拝借しようと手に取った。何やら入っている。「お母さん誕生日おめでとう」と書かれたカード付きの包みがあった。「えっ!? 誕生日は過ぎているのに」。忙しい私に渡しそびれ、あきらめて忘れてしまったのか。
 娘は昨春に社会人になったが、学生だったころは誕生日プレゼントをもらったことはない。仕事にも慣れ、娘に余裕ができたのか。涙が出そうになった。実はまだ娘からもらっていないのに。
 私の母は特別な日にプレゼントしても「もったいないお金使うて」と使わずにたんすにしまった。「母のために悩んで買ったのに」と悲しかった。もったいなくて使えず面はゆかったのだろう。プレゼントはそのまま部屋に置いて、時がきたら感謝の気持ちを伝え、使わせてもらおう。別の手提げかばんを持ち、高揚しておつかいに出掛けた。”(10月23日付け中日新聞)

 三重県四日市市のパート・森下さん(女・47)の投稿文です。お母さんの誕生日祝いに鞄を買ったのだが、渡しそびれてしまった。それをお母さんが見つけてしまった。ほほ笑ましい話である。この結末がどうなるか、気になるところである。さて、娘さんは本当に忘れていたのだろうか。機会を逸したのだろうか。そうとは思えない。ボクが推測するに照れくさくて渡せなかったのが本当ではあるまいか。しなれていない良いことは意外に照れくさいのである。ボクなど妻にプレゼントはできない。アリガトウなど感謝の言葉は常に言っているのにである。でも、母親と娘さんの間である。娘さんの部屋に勝手に入り、娘さんのものを勝手に使う親子仲である。そんなテレはないと思うが・・・・。どこが真実であろうか。




2016/11/10(Thu) (第2354話) メモ取り読書 寺さん MAIL 

 “九月二十八日付の本欄「読書法二つのこだわり」を読み、投稿者が映画の原作を読んでから映画を見て、文章と映像の素晴らしさを満喫している点に共感しました。今はインターネットで検索すれば何でも分かる便利な時代ですが、自分自身で考える力が明らかに低下していると数年前から感じています。テレビやネットに慣れると、長い文章を読むのが面倒になり、内容も理解できていないような気がしてなりません。
 しかし読書ノートをつくり、読んだ本や新聞で新たに知ったり、感じたりしたことを少しずつメモするよう心掛けると、徐々に文章を読むことができている手応えを感じ、読む楽しさが分かってきました。
 テレビ番組で取り上げられた昔の名作を書籍で読み返してみると、以前読んだときには気づかなかった点を発見することもあります。折しも秋の夜長。昔読んだ本も読み返し、新たな気づきを得たいと思っています。”(10月19日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の会社員・加藤さん(男・53)の投稿文です。インターネットの利用などで長文を読む機会が減り、その結果読んでも理解ができなくなった。それを補う為に読書ノートを作った。映画やテレビドラマを見た時原作も読むようにした。なかなか大変であるが補う一方法であろう。気になった文をメモする、ボクもしたことがあるが長続きしなかった。若い時は読書感想文を書いていたが、いつの間にか面倒になりこれも止めてしまった。ただ自分のために文を書くと言うことはなかなか大変なものである。この「話・話」は掲載するという目的がある。2ヶ月の一度作文を書いているが、これは会に投稿し皆に読んでもらっている。その文はホームページにも掲載している。やはり目的があるもの、縛られるものがあると続きやすい。加藤さんには頑張ってもらいたい。この年代はまだ根気がある。




2016/11/08(Tue) (第2353話) 失恋の秋 寺さん MAIL 

 “息子が失恋したらしい。相手は半年ほど前、家に連れてきたことがある感じのいい女性だった。恒司さん夫婦は息子の結婚に期待していた。(中略)
 恒司さんは「何も聞くなよ。放っといてやれ」と、おしゃべりの妻に注意した。夫婦は同じ十月生まれなので、誕生日も土曜の夜、二人いっしょに祝う。今年も、息子は両親に一万円入りの封筒を渡し、ケーキを買ってきてくれた。出前のにぎりずしと、妻の手料理にテーブルに並んだ。「おめでとう」と乾杯した後、突然、息子が明るい声で言った。
 「あのさあ、振られちゃったんだおれ。結婚しようって決めてたから、ショックだった。向こうも同じ気持ちだとばかり思ってたんだけど、おれ以外に付き合ってる男がいたらしい。女は強いなあ」恒司さんは「そうか。ま、いろいろあるからな」とあっさり応じる。妻も「あせらなくていいのよ」と笑いながら言った。
 若い時に、恒司さんも何度か失恋している。苦い恋の恵い出を重ねた末、妻と出会ったのだ。「好きな人は見つかるもんだよ。恋はしないよりした方がいい」父親らしく温かい目で恒司さんは息子を見つめた。”(10月19日付け中日新聞)

 西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」からです。男は失恋をしなければいけない、これはボクの主張でもある。男が失恋を恐れていてどうするのだ。女に失恋を味合わせたいのか。どちらも失恋を恐れていては話が進まない。男が積極的にならなくてどうするのだ。失恋をかっこうわるいと思っていないか、これが縁遠くしている現代ではあるまいか。最近の晩婚化や未婚者が多いのはこのせいではないかと、ボクは思っている。機会がないと言うことはない。昔よりはるかに多いだろう。その気があるかないかの問題である。
 ボクは若い時何回も失恋した。男泣きしたこともある。そして妻に出合い、困難?を乗り越えて結婚した。失恋の経験があったから、困難も乗り越えられたと思っている。
 恒司さんはいい家族関係にある。両親の誕生日に1万円を渡すような人である。両親もそんな息子さんを優しく見守っている。大いに失恋をして最後に得恋をすればいい。




2016/11/06(Sun) (第2352話) 真の感動 寺さん MAIL 

 “八月に友人と瀬戸内海の島々を旅した。古き良き時代の姿が今なお残る港町を歩き、しまなみ海道をサイクリングし、非常に充実した五日間だった。写真が趣味の私にとって、愛用の一眼レフカメラは旅の必需品だ。少しでもいい写真を撮るとの意気込みだけでなく、飛び込んでくる題材の風光明媚な瀬戸内海もあって、盛んにシャッターを切った。
 旅を終え、写真を整理するのも楽しみの一つ。だが今回、私は後悔した。物事を記録する技術ばかりに頼り、直接自分で目にして味わった感動を記憶することをおろそかにしてしまったからだ。写真に残すと、後でいつでも見られるという気持ちから、その場での感動が薄れてしまいがちである。
 カメラを持たず、自らの目と体で真の感動を存分に味わう。後で振り返るよりも、旅をしているときの時間を大切にする。そんな旅はいかがだろうか。”(10月18日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の大学生・鈴木さん(男・21)の投稿文です。写真に撮って終わり、目でじっくり見ない、よく見る光景である。行ってきた言う事実のみを残すだけではもったいない。アリバイ証明でもあるまい。現地を目で見て感じての旅である。写真で見るのなら写真家の写真集を見るだけでもいい。鈴木さんはこのことに気づかれた。ボクもどこへ行ってもたくさん写真を撮ってくる。ボクも陥りがちな罠である。眼鏡をかけカメラをぶら下げていたら日本人と思えと言われた時もある。写真もいいが、程々であろう。
 先日ボクは北海道へ3泊のツアー旅行に参加した。紅葉に少し遅いかと思ったが、十分に満足できた。写真もたくさん撮ったが、この投稿文を意識した。できるだけ目で直接見て肌で感じる感動を味わった。




2016/11/04(Fri) (第2351話) 生きてていいんだ 寺さん MAIL 

 “私が精神の病気になったのは16歳の時です。病院に入院し、対人関係に苦しみ、社会から取り残されたような気がしました。やっと退院しても、自分ほど不幸な人はいないと本気で思いました。
 でも最近になって、世界中の人がなにかしら苦しみや悲しみを抱えていると悟り、自分が恥ずかしくなりました。幸せな人と不幸な人は別の人だと思っていたのが、実は同じ人のなかに幸せと不幸が一緒に重なってあるのだと、気付きました。
 まわりの世界のことを知らなかったのが、病院や施設でいろんな人がいることを知るなかで、だんだんそれがわかるようになりました。そして、自分はここにいていいんだ、生きていていいんだと気付いた時、重い荷物のようなものをやっとおろせました。
 自分が不幸と思うのは「今」だから。10年後には忘れているかもしれない。幸せな人をうらやむのはその人の影の部分を知らないから。私は30年近くかけて、長い長い闇から少しだけ抜け出せたような気がしています。”(10月16日付け朝日新聞)

 東京都の清掃業・曽根さん(45)の投稿文です。人の一生は山あり谷ありである。山ばかりと言うことはない。谷ばかりと思っている人もそうではない。山はあるはずだ。そして、一生をならしてみると意外に違わないのである・・・というのがボクの感想である。 そして、曽根さんが気づかれたように「同じ人のなかに幸せと不幸が一緒に重なってある」と言うのも事実である。山の日々の中にも心配なことはある。ボクは職場で順調にみえる人も家庭では問題を抱えている人を何人も見てきた。すべてが順調にみえる人も本人は意外にそうは思っていない。何かに不満の種を探しているのである。こうなると心の持ち方、捉え方の問題である。感謝の心を忘れているのである。曽根さんも重い荷物が降りたと思われるまで、状況はあまり変わっていないのである。ただいろいろ知り気の持ちようが変わっただけである。いろいろな人を知り、いろいろな本を読み、前向きに受け取りたい。




2016/11/02(Wed) (第2350話) トウガン 寺さん MAIL 

 “サザンカの垣根に大きなトウガンが三つ、ぶら下がっている。庭の片隅の小さな畑から芽を出して、垣根伝いに7〜8mも茎を伸ばし、大きな実をつけたのだ。種をまいたわけではないのに、畑に埋めた生ごみのトウガンからはえてきた。私はこの夏、暑い暑いとだらだら過ごしていたが、トウガンは自分一人で生まれて、肥料もあげないのにぐんぐんと育ち、もうすぐおいしくなるよと、このところの秋風に揺れている。
 強い雨や風の時は落ちないかなと心配したが、しっかりと垣根に巻き付いていた。このトウガンの強さに感激したら、背筋が伸びてしゃきっと元気になった気がする。
 トウガンは夏の野菜なのに冬瓜と書くのは、長く保存できるからと新聞にあった。トウガン料理は母がよく作ってくれた。シイタケとかつお節でだしを取って、しょうゆ味で水溶き片栗粉を加えた汁物。鶏肉を入れて、甘辛く煮付けたのもおいしい。
 夏の終わりとともに、トウガンは白く粉を吹いたようになってきた。そばのキンモクセイの木には、夏の忘れ物のセミの抜け殼がいくつもついている。庭の真っ赤なケイトウの花も、トウガン頑張れと応援しているみたい。淡泊なトウガンの味が楽しみだ。”(10月6日付け中日新聞)

 愛知県大府市の主婦・舘本さん(74)の投稿文です。ボクの家にも毎年トウガンができる。舘本さんと同じように種を蒔いたわけでもなく、苗を買ってきた訳でもない。自然生えである。前年の種がその場所に残り、生えてくるのである。もうこれで何十年と作り、食べている。全く強い野菜である。そして舘本さんが言われるようにトウガンは長持ちする。いろいろな野菜がある時にはその野菜を食べる。その野菜が少なくなってくるとトウガンの出番である。秋ナスもなくなった今は毎日のように食べている。野菜なら何でもいいボクだが、トウガンはまたいい。料理の仕方を妻に聞いてみると、舘本さんのお母さんとほぼ同じようである。淡泊であるが、減量中のボクにはもってこいである。
 この文の中で驚いたのが、垣根にぶら下がっていると言うことである。あんなに大きくなるトウガンがぶら下がるのか。そんなに茎も強いのか。トウガンはともかく大きくなる。大きすぎてもらってもらうのも大変である。妻は苦労している。多分もらった人も切り分けて近所の人に配っていることであろう。何とも楽しいトウガンである。


川柳&ウォーク