2016/10/06(Thu) (第2338話) 私はファイターだ |
寺さん |
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“先日、足のリハビリ中に、親身に接してくれる理学療法士の女性から「未来の目標を日記に書いたりしますか」と尋ねられ、言葉に詰まった。2年前にがんが発覚して以来、未来を想像するたび、生きているかなと不安になる。がんが牙をむいてきそうで、未来から目を背けていた。今日一日を生きられたことに感謝して過ごそうと思っていた。10年日記が今年で終わるのも何か運命のように感じて次を買うことをためらっていた。 それらを伝えると、「それでは、もうがんに負けていますよ。少しずつ先の目標を立てましょう。目標に向かって頑張らなきゃ」と言われた。彼女の言葉が、すとんと胸に落ちた。そうだった。未来を想像し、楽しい目標を持つことは私の自由だった。周囲に「十分頑張っているから頑張らなくていいよ」と言われ、そうかなと思い、いつしか自分で自分を縛っていた。そんな私を見て彼女はあえて言ってくれたのだろう。解放された気がした。 どんな目標を立てようか、久しぶりにワクワクしてきた。2017年からの日記も買おう。私は常にがんファイターだ。弱い自分には負けない。”(9月19日付け朝日新聞)
横浜市の水澤さん(女・57)の投稿文です。病人の心理には微妙なものがある。特に明日も知れないがん患者ともなると更に複雑である。水澤さんは「一日を生きられたことに感謝」の気持ちで過ごし、未来にあまり目を向けられなかったと言われる。それも自然と思う。そして人の言葉で一喜一憂ともなる。闘病の人に向かって「頑張って」と言いがちであるが、もう一杯頑張っているのだからそれを言ってはいけないという話がある。この理学療法士の人は「目標に向かって頑張らなきゃ」と言われた。そして水澤さんは「久しぶりにワクワクしてきた」と言われる。これは何かと言えば、ボクには何事にも程度があると言うことになる。誰にも頑張ってと言われれば、これ以上何を頑張れというのか、と内心反発したくなる。逆に誰にも頑張ってと言ってもらえなければ寂しくも思う。人間、世の中、一律ではないのだ。結局、その人を思いやり、、気持ちを察することであろう。水澤さんをその気にさせ、がんファイターだと思わせたのだから、この理学療法士さんの言葉は適切だった。長いこと接しておられるからであろうか。 中途半端を見下し、徹することを評価することがあるが、これも場合であると思う。ボクは徹することは意外に弊害が多いと思っている。様々な人と接し、一人で生きているのではないからである。
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