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第149号  2016年10月

2016/10/31(Mon) (第2349話) 作文に映そう 寺さん MAIL 

 “九月十三日付本欄「作文 生活見直す機会に」に共感を覚えた。日々の生活には大小さまざまな変化があり、その一つ一つの変化に、成長の鍵がある。成長の手だてとして作文に勝るものはないと私も思う。
 「人のふり見て、わがふり直せ」と言われるが、「人のふり見て」ではわがふり直すのに手間がかかり、後手に回ることも少なくない。
 人の言行を見抜く見識を身につけるためには、まずは「わがふり見て、わがふり直す」ことが必要。見えないわがふりをじっくり映し出すのに有効な手だてが作文ではないだろうか。わが心を作文に映して心構えを整える。文を作ることは、自分自身を作る「分を作る」につながるにちがいない。”(10月6日付け中日新聞)

 岐阜市の団体職員・小野さん(男・53)の投稿文です。「わがふり見て、わがふり直す」とはまた面白い造語だ。それには文を書くことだと言われる。否定するものではない。我が身を直すにはいろいろな方法があろう。人にふりを見てただ批判するだけではなく、それを我が身の戒めとする、これが諺の言うところである。でも、こんな機会は少ないものである。我が身には毎日のように反省することがある。冷静になって日記を書くと反省することがいかに多いか。書きながら冷静にもなるが、興奮したままで書くと反省は少ない。冷静になった時、それには朝がいい。ボクはもう何十年と日記を書いているが、朝である。一晩寝ると冷静になっている。それと、朝書くもう一つの効用はほとんど毎日書けると言うことである。夜は状態が様々である。遅くまで仕事があったり、飲んで帰ったりと日記どころでない日も多い。前夜どのようであっても、朝にはほとんどの場合収まっているのである。そして日記ばかりでなく、文を書くことはいろいろなメリットがある。ボクにはこの「話・話」も大きな効用があると思っている。




2016/10/26(Wed) (第2348話) 家事させよ 寺さん MAIL 

 “入院とは無縁で、人生の最後にするものと勝手に思っていた私ですが、まさかの入院をしてしまいました。一週間、絶食し、点滴を受けました。入院中、同室の女性が隣のベッドのおばあさんにアドバイスしている声が力ーテン越しに聞こえました。毎日、仕事帰りに寄る息子さんとの会話は心地良く聞こえ、ステキな女性だなあと思っていました。話をする機会があり、なんと私と同年齢。しかも彼女は看護師ということが分かって、合点しました。ご自身も大変な手術をしたのに、前向きで冶ったら仕事もしたいと意欲的な様子でした。
 今まで、人の世話ばかりする方がどんなにか気が楽で幸せなことと思ってきました。「かわいい子には旅をさせよ」ということわざもあります。炊飯だけで右往左往する夫を見るにつけ「愛する夫にも家事をさせよ」と思いました。そして私も、いざというときに備えて、入院グッズを用意しておかなければならないと痛感しています。”(10月5日付け中日新聞

 愛知県豊橋市の主婦・清水さん(63)の投稿文です。入院というものは、予想がつく場合もあるが、突然やって来ることも多い。突然やって来ると大慌てである。物も心の準備もない。これは、今まで余り病院に縁のない丈夫な人に多い。そんな人も高齢になれば準備をしておくことが賢明であろう。60年、70年使えばいくら丈夫でも痛んで当たり前である。入院となる前にいろいろ対応したいが、生身の体である。思うように行かなくて当然である。
 ボクは今年手術をした。妻は結婚して以来、出産以外大きな手術も入院もない。腰とか膝とか、よく痛い痛いと言っているが、今のところ大事にはなっていない。でも、いつなるかも知れない。ボクはいろいろな家事をしているが、料理や洗濯などはゼロである。「愛する夫にも家事をさせよ」といわれるが、この家事とは料理や洗濯のことであろう。ボクに全く耳痛いことである。覚悟せねばならないだろうか。




2016/10/24(Mon) (第2347話) 選手がくれた勇気 寺さん MAIL 

 “リオデジャネイロ・パラリンピックが閉幕した。まだ、パラリンピック選手が繰り広げた熱戦の記憶がまざまざと浮かんでくる。勇気とエネルギーをもらい、心打たれる日々であった。なぜそこまでやるのか、やれるのか。
 私は3歳の時にかかったポリオの後遺症で足に障害がある。若い時、それでも水泳、スキー、ソフトボール、卓球などに挑戦し、地区の競技会に出たこともある。いずれも参加賞止まり。それ以上を望んでも、自分の体では無理だと思っていた。当時のことを「もう少し頑張れたのではないか」と省みる。
 パラリンピックに出るために、選手たちはどれほどの努力と練習を積んできたのか、私には計り知れない。障害があるからできないーと考える人もいる。だが、そんなことはない。人はあらゆる部位を使って、自分の意志で目的を達成することができる。そのことを、パラリンピック選手から改めて教えてもらった気がする。私はパラリンピック選手からもらった勇気とエネルギーで、日々へこたれずに、これからも暮らしていこうと思っている。”(10月2日付け朝日新聞)

 川崎市の辻田さん(男・75)の投稿文です。ボクも今年はオリンピック、パラリンピックでたくさん楽しませてもらった。特にパラリンピックではその努力や裏話を聞くと感嘆してしまう。障害者は体の一部の機能が少し足りないだけのことである。一部の足りない人など世の中いっぱいである。犯罪者もモラル不足も一部が足りないのだ。障害者は無用と今年殺人事件があったが、この人の方がよほど足りないのではないか。
 いろいろ感動をもらったが、少し違和感もある。余りに国威掲揚、勝ち負けにこだわりすぎではないか。オリンピックは「参加することに意義がある」はどこへ行ってしまったのか。金メダルしか意味がない、と言う選手もある。スポーツである、勝つ時もあれば負ける時もある。勝つ人があれば負ける人もある。そして、オリンピックとパラリンピックの落差である。パラリンピックとなるとメディアの扱いも小さくなる。国民の熱意も下がりがちである。ボクは開催順序を逆にしたらどうかと思う。パラリンピックを先に行う。当事者になってみるといろいろな問題があろうが、いろいろな考えがあってこのようになっているのか知れないが、素人考えではこのように思う。




2016/10/22(Sat) (第2346話) 秋ナス 寺さん MAIL 

 “スズムシの音色も少々弱くなってきた気がする。季節の移り変わりを肌で感じながら、日々の生活を送っている。私は昔からの田舎暮らしで、四季がある生活をずっと楽しんできた。今、畑は夏野菜から秋、冬の野菜へ変わってきている。ただナスだけは実り続けていて「秋は特においしいから食べて」とても言っているかのように、つやつやの紫色が食卓に上るのを待っている。実は引き締まり、夏とはまた違う味わいだ。
 「昔から『秋ナスは嫁に食わすな』と言うよ」。かつて祖母がこう言っていたのを思い出して懐かしくなった。この慣用句の真意は、秋ナスはアクが強いため、おなかに良くないからとも聞く。
 暑い夏に別れを告げて、一日一日と秋が深まり、風も一段と爽やかになってきた。そんな日々、祖母の思い出とともに食卓に秋ナスが上る。”(9月28日付け中日新聞)

 岐阜県安八町の主婦・中名さん(76)の投稿文です。ボクはナスさえあれば何も要らない、と言うほどのナス好きである。事実今年はナスばかり食べていた。本当によく成った。最初5本の苗を買ってきた。ところが病にかかり枯れ始めた。ナスの時期にナスが採れない生活はない。そこでまた5本買ってきた。ところが10本とも成長してしまったのだ。2人では食べても食べても食べきれない。妻は薄く切って干し、保存食とした。急に寒くなり枯れ始めたが、まだ成るかも知れない。最後まで食べ尽くそう。
 「秋茄子は嫁に食わすな」の諺の意味を調べてみると『おいしい秋のなすは、もったいないから嫁には食べさせるなという姑の嫁いびりの言葉。また、反対に、なすは体を冷やす、あるいは種が少ないので子供ができないといけないから、嫁には食べさせるなという嫁を大切に思う言葉。』とある。どちらが本当であろうか。本当に茄子はおいしい。後者の意味は言い訳の気がする。どんな料理でもいいが、中でも茹で上げてショウガ醤油で食べる。妻はいろいろな食べ方をしてくれるが、これが一番簡単で一番の食べ方である。ナスは妻孝行でもある。




2016/10/20(Thu) (第2345話) 年いってからの夫婦 寺さん MAIL 

 “「この世で起きたことは、この世で解決できる」「一人口は養えないが、二人口は養える」「年いってからの夫婦」これは母の口癖です。今年の異常ともいえる夏の暑さを、なんとか父と元気に乗り越え、八十八歳の誕生日を迎えました。昨年両親そろって元気に米寿祝いをできたことが本当にありがたいと「子孝行」の両親に感謝しています。
 たまに電話で「元気でうれしいよ」と言うと「息してるだけでもえらいよ(つらいよ)」と答える母ですが、今の世の中や政治の話になると、がぜん論調は鋭くなり、辛口評論家そこのけの弁舌です。それを聞いていると、さすが昭和一桁生まれは違うと、感心してしまいます。
 一昨年、私は甲状腺腫瘍で両親に内緒で入院手術しましたが、ひょんなことから知られてしまい、両親は大変ショックを受けた様子でした。今でも私が不在で電話に出ないと「また内緒で入院したんじゃないかと思って」と、携帯にまでかけてきます。私もあの時は「親より先に死ぬような親不孝者にはなりたくない」と思ったものでした。
 今年も両親そろって敬老の日を迎えられ、感謝しています。「年いってからの夫婦」という言葉を、私もそろそろ実感する年になりつつあります。”(10月2日付け中日新聞)

 浜松市のパート・荒川さん(女・62)の投稿文です。「一人口は養えないが、二人口は養える」「年いってからの夫婦」、忘れていた諺である。おおよその意味は見当がつくが、確認のためボクの持っている諺事典で調べてもインターネットで調べてなかなか出てこない。特に「年いってからの夫婦」は見つからなかった。それだけ使われることがないのだ。年いった人の知恵は凄いと思う。
 私なりに解釈すると「一人口は養えないが、二人口は養える」は、結婚した方が,独身でいるよりも経済的である。1人で生活すると無駄が多いが、2人だと経済的に過ごせると言う意味であろう。「年いってからの夫婦」は、夫婦の価値や味が出るのは年取ってからである。年取ってから相手が必要になる。だから簡単に離婚するなと言うことにもなる。本当に現代人はこの言葉を忘れている。そうすれば結婚する人も多くなり、離婚する人も少なくなる。
 「子孝行」か、これはボクも忘れないようにしなければ。夫婦揃っていつまでも元気に過ごす、子に心配をかけない。これは「子孝行」と言わなくても自分自身のためである。ボクも70歳を過ぎいよいよ本番だ。しかし「親孝行」という言葉は忘れられていないか?




2016/10/18(Tue) (第2344話) 動物らしく 寺さん MAIL 

 “「動くこと」が私のリフレッシュ術です。人間も動物なのですから本来動くものです。現代人は確かに動いてはいますが、車や電車などに頼ることが多いです。そこで自分の足で動くことが大切と思い、私は歩いたり、走ったりして体を動かすように心掛けて生活し、歩数計で毎日の記録をつけて励みにしています。
 動くと良いことがあります。体重も体脂肪も減り、体の不調は消えました。歯科医院以外には十年近く縁がありません。ストレスらしきものも消え、夜も安眠です。歩きながら思いついた日常のことをメモしておき、後で役立てることもあります。自分自身に向き合い、自分の考えをまとめることができます。何より、お金をかけないでリフレッシュできることも気に入っています。動くことは良いことずくめです。この先、何年生きられるか分かりません。もっともっと動物らしく生活したいと思っています。”(10月2日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の団体職員・日比野さん(男・63)の投稿文です。これも「リフレッシュ」という課題からの意見です。動物らしく動く、人間を動物というと抵抗感を感じる方もあろうがボクは賛同します。人間と動物は違う、確かに違うことが沢山あります。いい点が沢山あります、数え上げたら切りがありません。でも、人間も動物だ、生き物だと言うことを忘れすぎていないでしょうか。器具などに頼りすぎ、その結果、体力が維持できなくなっている人も多いのではないか。日比野さんが言われるように「人間も動物なのですから本来動くもの」です。動いて体力を維持し、病気なども防いでいるのです。人間は怠け者です。楽をし始めたら切りがありません。世の中のこと、ほとんどのことは程々がいいのです。現代人はもう少し動物としての認識も必要だという気がします。
 ウォーキングの効用について知らない人はいないでしょう。知って必要性を感じてもできない、こんな人も多いと思います。きっかけを求めて下さい。どこかにあるはずです。




2016/10/16(Sun) (第2343話) 教員採用試験 寺さん MAIL 

 “ひょんなことから46歳で教員を回指すために、通信教育で短大生になりました。教育実習を終え、教員採用試験も受けました。若い子たちが本気で教員になろうとしている姿に、感動してしまいました。張り詰めた空気の中で、何時間も待たされながら受ける面接試験の緊張感といったらありません。偶然、一緒に面接を受けた子たちに「緊張したね」と話しかけたら、せきを切ったように話をしてくれました。
 自分の将来を見据え、一生懸命プレッシャーと戦いながら、頑張る若者たちに力をもらいました。そして、親世代の私を受け入れてくれる心の広さもうれしく感じました。こういう若者たちに、ぜひ先生になってもらいたい。優しさやコミュニケーションの大切さを身につけている知性と根性のある若者が、これから育っていく子どもだちとタッグを組んだら、きっと日本はまだまだ良い国になっていくに違いありません。
 志を高く持つ彼らが教員になったとき、多すぎる雑務やプレッシャーで押しつぶされないよう、国も地域も支えてください。きっと彼らが次世代を育ててくれます。頑張れ、みんな!”(9月28日付け朝日新聞)

 愛知県豊川市のアルバイト・向井さん(女・46)の投稿文です。向井さんは46歳で教員試験を受ける、その試験会場で若い人の意欲に感心された。それはそれでいいのだが、本当に感心されたのは周りにいた若い人ではなかったろうか。46歳で教員に・・・ボクは敬意を表します。向井さんにも若い人にも良い場になったようです。
 ボクは以前から、教員というのは社会の経験者がいいのではないかと思ってきました。学校を卒業してすぐに先生と呼ばれるのは無理があります。社会経験豊富な保護者から信頼されない人が多いのも当然です。すべてとは言いませんが、社会経験をした先生がもっと多くなってもいいと思っています。先生ひと筋の人ばかりでは世間も狭くなります。いろいろな人がいて助言し合う、どうでしょうか。ボクの娘婿も小学校の教員ですが、なかなか大変なようです。雑務とプレッシャー中で過ごしているようです。そして自分の子供をほっぽり出して他人の子供の面倒を見ている。仕事となるとそんなものかと思いますが、どんな意見を持っているのか、聞いてみたいものです。




2016/10/14(Fri) (第2342話) 香をたき 寺さん MAIL 

 “就寝前、寝室で香をたき、香りと煙の行方を追いつつ、ゆっくり呼吸を繰り返す。弔事の線香しか知らなかった私が何かの折にどなたかに頂いて以来、興味を深め、自分なりに楽しむようになって五年ほどたつ。古くからある香りはもちろんダイエット、気分高揚、集中力を高めるなど、現代は目的別の「ブレンド」もあることに驚いた。
 草木に疎かった私だが、花の名前が付けられた香を見るうち、それぞれの花が咲く時期を知りたいと思うようになった。季節ごとに集めたものに一日一本、その日の気分で火を付けるのが私の癒やしだ。
 熱帯夜は「夏夜の香」という名の香を選ぶ。夜半、寝苦しさで目が覚めても残り香を探し、時にはお香の箱を開けて火は付けずにしばし深呼吸すると、また眠りにつける。虫の音が枕元まで届くようになった。そろそろ菊の香りの箱を出すのもいいかもしれない。”(9月25日付け中日新聞)

 「リフレッシュ術」と言う課題から愛知県日進市の主婦・赤木さん(51)の投稿文です。日常の中で香を焚く、それも自分の癒やしのためにである。こんな生活もあるのだ。目的別の「ブレンド」があると聞いてこれにも驚いた。日本には香道というものもあるようだ。知らないこと、忘れていることに驚く。いろいろ試したいものだ。そうしている間に自分にふさわしいものが見つかるだろう。
 実はボクの家でも香を焚くことはある。仏のためのこともあるがそればかりではない。ドイツやマレーシアで買ってきたものもある。ドイツで買ってきたものはパイプおじさんで、体の中で香を焚くとパイプから煙が出るのである。玄関に置いてあって、思い出したように来客がある時、火を付ける。赤木さんはもっと身近なものにして、自分の癒しに使われる。使い方を見直せばいいのだ。ボクも自由時間が増えてくる。生活の見直しも必要である。




2016/10/12(Wed) (第2341話) 子見守る幼稚園長 寺さん MAIL 

 “知多市つつじが丘の近藤とみさんは、十一月に百二回目の誕生日を控える現役の幼稚園長。「子どもの笑顔こそ世界の宝」と園児たちの健やかな成長を見守る。
 名古屋市で花嫁修業の専門学校を営んでいた五十八歳の時、日本の将来のために重要なのは幼児教育」との理念を実践に移すため、知多市に「まさ美幼稚園」を開設した。以来、40年余り。現在は知多、名古屋市に開いた4つの保育、幼稚園を巡回する毎日。「耐える心、顧みる心、感謝する心が豊かな人間をつくる」を信念に、園児たちを教え、導く。幼児教育を「子どもたちの一生を左右する命懸けの仕事」と話す。長寿の理由は「ひたすら真剣に生きてきただけ」。(後略)”(9月19日付け中日新聞)

 「百歳現役」と言う記事欄からです。長寿社会となり100歳越えの人も多くなった。と言ってもボクの村には1人も見当たらない。やはりまだ希有の人である。そして、現役となればまたまた希有である。それが4つもの保育・幼稚園を巡回する園長である。名前だけではない。花嫁修業の専門学校から58歳の時、日本の将来のために幼稚園を開設したという。理念も意欲も凄い。これだから100歳までいられるのだろう。と言っても意欲だけでは生きられない。いろいろなものが幸いしなければならない。
 自分とはほど遠い人と思いながらも、こういう人がいることは励みになる。どうせ死ぬまで生きていなければならないのだから、意欲を失わないように活き活き生きよう。




2016/10/10(Mon) (第2340話) 男の勲章 寺さん MAIL 

 “四月、ランドセルと黄色い帽子が目立つ新小学一年生。おはようございます、と元気よくあいさつできる子と、少し恥ずかしそうにうつむいたままの子。そういった子どもたちを見ていると、だんだんと表情が明るく、生き生きしてくるのが分かります。やがて給食が始まり、会話も弾んでくると、お話に夢中になって、交差点の信号を見るのを忘れ、車道に飛び出してしまう子がいます。
 この子たちが交通事故に遭わないよう、登下校時の交通安全の旗振りを始めて今年で12年になります。夏休みが終わって、2学期が始まりました。1年生も身長が少し伸びたようで、日焼けした元気な顔が今年も見られます。この子らが交通ルールを守り、交通事故に遭わないように、楽しい小学校生活を送れるように、祈らずにはおられません。
 年に一度、小学校で開かれる「交通指導感謝の会」に招かれ、画用紙に書かれた児童手作りの感謝状をもらいます。これがまた素朴で、温かみのあるなかなかのものです。雨の日も雪の日も交差点にたってくれてありがとう、と書かれた小学生の文字を読むと、感激します。晩酌のとき、時々それを眺めては泣けてくるときがあります。”(9月20日付け中日新聞)

 名古屋市の寺島さん(男・73)の投稿文です。こういう子供を見守る活動をすると、毎日会う子供は自分の孫のような感じになるでしょう。その成長も楽しまれます。そして子供が手書きした感謝状をもらう、嬉しい極みでしょう。寺島さんは男の勲章と言われる。少し大げさな気もするが、この歳になればそう思われるのも自然かも知れません。ボクの同級生でもしている人がいます。活き活きやっていますね。
 でも先日不安な場面に出合いしました。誘導している人が、子供が渡りきったのにいつまでも横断歩道の真ん中に立っているのです。話に夢中になっているのです。ボクは警笛を鳴らしました。子供の手本です、これこそ周りに気を使って欲しいものです。




2016/10/08(Sat) (第2339話) 私にとっても宝物 寺さん MAIL 

 “私は写真屋です。昨冬、成人の振り袖撮影のご予約をいただきました。お客様はダウン症の20歳の女性でした。ご来店前は、正直、戸惑いがありました。意思が通じなかったらどうしよう、笑顔は見せてくれるだろうか・・・。
 撮影当日、きれいに振り袖を着て、満面の笑みでご来店いただき、心配なんて吹っ飛びました。ボーズもしっかり取っていただいて、良い笑顔が撮れました。撮影中も家族のこと、好きなこと、たくさん話しました。障害者と聞いて、身構えて過敏になっていたのは、こちらなのです。出来上がった写真を見て、「きれい!すごい!ありがとう!うれしい!」。ありったけのうれしい言葉をいただきましだ。写真屋冥利につきます。
 写真をしっかり胸に抱いて、「ほんとうにありがとう!宝物!」と出て行かれた時、お母様が「写真代は娘が働いたお金なんです」と、とても優しい笑顔で話してくれました。もったいない。涙が出ました。こんなに重くて、ありがたいお金はいただいたことがありません。またのご来店を、本当にお待ちしています。”(9月20日付け朝日新聞)

 静岡県磐田市の自営業・江塚さん(女・52)の投稿文です。前回は闘病者、今回は障害者と接する話である。自分がその身でないと、戸惑い、なかなか難しいものである。つい相手の気分をそぐわないものではないかと不安になる。そして避けられるものは避けたいと思ってしまう。本当はこれが一番いけないのだが。ボクにも自信はないが、そんな時は普通の人に接するようにすればいいようである。相手も特別扱いは望んでいない。少し不便なところを理解しながら普通に接して欲しいのだ。「案ずるより産むが易し」である。
 江塚さんは、宝物と言ってもらえる写真を撮り、その喜びようが自分の宝物になったと言われる。写真屋冥利に尽きると言われる。人に喜んでもらえることをすると言うことは本当に嬉しいものだ。こう言える機会を持てるというのは人生冥利に尽きる。少しでも多くこんな機会を持ちたいものだ。




2016/10/06(Thu) (第2338話) 私はファイターだ 寺さん MAIL 

 “先日、足のリハビリ中に、親身に接してくれる理学療法士の女性から「未来の目標を日記に書いたりしますか」と尋ねられ、言葉に詰まった。2年前にがんが発覚して以来、未来を想像するたび、生きているかなと不安になる。がんが牙をむいてきそうで、未来から目を背けていた。今日一日を生きられたことに感謝して過ごそうと思っていた。10年日記が今年で終わるのも何か運命のように感じて次を買うことをためらっていた。
 それらを伝えると、「それでは、もうがんに負けていますよ。少しずつ先の目標を立てましょう。目標に向かって頑張らなきゃ」と言われた。彼女の言葉が、すとんと胸に落ちた。そうだった。未来を想像し、楽しい目標を持つことは私の自由だった。周囲に「十分頑張っているから頑張らなくていいよ」と言われ、そうかなと思い、いつしか自分で自分を縛っていた。そんな私を見て彼女はあえて言ってくれたのだろう。解放された気がした。
 どんな目標を立てようか、久しぶりにワクワクしてきた。2017年からの日記も買おう。私は常にがんファイターだ。弱い自分には負けない。”(9月19日付け朝日新聞)

 横浜市の水澤さん(女・57)の投稿文です。病人の心理には微妙なものがある。特に明日も知れないがん患者ともなると更に複雑である。水澤さんは「一日を生きられたことに感謝」の気持ちで過ごし、未来にあまり目を向けられなかったと言われる。それも自然と思う。そして人の言葉で一喜一憂ともなる。闘病の人に向かって「頑張って」と言いがちであるが、もう一杯頑張っているのだからそれを言ってはいけないという話がある。この理学療法士の人は「目標に向かって頑張らなきゃ」と言われた。そして水澤さんは「久しぶりにワクワクしてきた」と言われる。これは何かと言えば、ボクには何事にも程度があると言うことになる。誰にも頑張ってと言われれば、これ以上何を頑張れというのか、と内心反発したくなる。逆に誰にも頑張ってと言ってもらえなければ寂しくも思う。人間、世の中、一律ではないのだ。結局、その人を思いやり、、気持ちを察することであろう。水澤さんをその気にさせ、がんファイターだと思わせたのだから、この理学療法士さんの言葉は適切だった。長いこと接しておられるからであろうか。
 中途半端を見下し、徹することを評価することがあるが、これも場合であると思う。ボクは徹することは意外に弊害が多いと思っている。様々な人と接し、一人で生きているのではないからである。




2016/10/04(Tue) (第2337話) 自分史づくり 寺さん MAIL 

 “実家の母が満88歳を迎えた。正月ごろから米寿祝いの計画を練り始めたのだが、記念に88年の思い出をつづる自分史の作成を思いつき、母に提案してみた。母は当初「いや−無理だと思う・・・」と乗り気ではなかったが、私の強引なプロジェクトが始まった。
 まず、母に祖父母や両親、きょうだいの思い出を箇条書きすることを勧めた。時間はたっぷりあるのだから、ゆっくりと気がのった時だけでよいからとアドバイスした。次に、学生時代の話を書いてみてと言うと、戦中戦後の厳しい時代ではあったが青春時代である師範学校生活の記憶が、案外すんなりと筆を進ませたようだった。
 次第に慣れてきたのか、35年間の教職を経て現在に至るまでの思い出が、次々と原稿用紙を埋めていった。古いアルバムを父と一緒にめくりながら、夢中になって思い出つづりは進んでいった。私が大好きな、母のウエディングドレス姿のモノクロ写真ももちろん載せることにした。最後に米寿祝いの写真を入れて自分史を完成させる予定だ。
 今回のことで母の頭と心はいっそう元気になった気がする。何よりの祝いになったようでうれしく思う。”(9月9日付け朝日新聞)

 山□県宇部市の医師・中野さん(女・52)の投稿文です。自分史作りの話もいろいろあるが、これはまた面白い方法である。老いた母に思い出話を書いてもらう、それが自分史となっていくのである。自分史を作ろうと思って、いろいろ構想してかかってもなかなか思うように進まない。まずは何でもいい、バラバラでいい、箇条書きでもともかく書くのである。かなり書いたところで、まとめる構想を考えるのである。すると何とかなるものである。と分かったようなことを書きながら、ボクは自分史を作った経験はない。今もそのつもりもない。他の経験からである。ご覧のようにボクはしょっちゅう文を書いている。ホームページの随想は100編を超えた。この「話・話」に至っては2300話を越えている。話題はバラバラである。でも、密かにこれはボクの自分史と思っている。本にしたければこれを編集すればいいとも思っている。
 「古いアルバムを父と一緒にめくりながら」というのもいい。この試みはいろいろな効果を生むだろう。娘さんの思いつきは素晴らしい。当然何よりの祝いである。こういう娘さんを育てた褒美でもあろう。ボクの娘には望めない。


 

川柳&ウォーク