2016/08/05(Fri) (第2311話) 「名前」で呼び合う |
寺さん |
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“先日、会合に出席していた時のこと。「○○子さん」と名字ではなく名前で呼び合っている人たちがいて、それが新鮮に響いた。子どもの頃は「○○ちゃん」と、しばしば名前で呼んだ。とはいえ、私は小学生の頃から名字をもじったニックネームで呼ばれていたので、名前で呼んでくれたのは幼い頃の友人、親、親戚ぐらいだった。大人になってからは、もっぱら名字で呼ばれた。時にママ友からは「○○ちゃん(娘の名)ママ」と呼ばれたりして、自分の名前を呼ばれる機会はますますなくなった。 かつて、名前はその人にとって「最初のプレゼントである」という話を聞いたことがある。確かに、生まれた時に与えられ、一生使い続けるものが名前だ。名字は結婚して変わる場合もあるが、名前はそのままのことが多い。もっと名前を使う機会があってもいい。 しかし、同姓の人がいる場合を除いて、大人同士で名前を呼ぶのは一般的ではない。かなり親しくならないと名前で呼び合うことはしない。だからこそ、名前で呼び合える友人関係を築きたい。自分が自分であるための名前なのだから、大いに呼び合い、使いたい。”(7月20日付け朝日新聞)
名古屋市の主婦・鏡味さん(56)の投稿文です。「名前で呼び合う」というタイトルに、夫婦の話かと思った。違っていた。考えてみるとなぜほとんどの場合、名字で呼び合うのか不思議である。名字より名前の方が特定できるのにである。鏡味さんが言われるように、大人同士で名前を呼ぶのは一般的ではなく、かなり親しくならないと名前で呼び合うことはしない。これは長年かかって築いてきた日本文化であろうか。だから名前で呼び合える友人関係を多く築きたい、と言われる。こうなると名字で呼ぶことと名前で呼ぶことの違いの意味がでてくる。ボクの場合で考えてみると、小中学校時代の友人は名前かあだ名である。これは多くの人で続いている。これは田舎で同性が多いことが一番の理由であろう。高校以降は名字であろうか。そして、これが親しさも現している気がする。小中学校時代は生徒数も少なく、親しみが多い。だから毎年のように同窓会も開いている。そしてボクにとって面白いのは、職場である。同年以上の多くの人は「寺さん」と呼ぶのである。名字の簡略化であろうが、あだ名に近い。後輩からもこう呼ばれることがある。だからHPのタイトルも「寺さんの川柳&ウォーク」である。たかが名前だが、意味は大きい。名前はその人にとって「最初のプレゼントである」という言葉に頷く。最近の名前には驚くばかりである。一生読んでもらえないような漢字の名前では名前の用をなしていない。
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