ha1608

第147号  2016年8月

2016/08/31(Wed) (第2324話) ナマズも後世に 寺さん MAIL 

 “土用の丑の日に、各地のスーパーや飲食店で近畿大が開発した「ウナギ味に近いナマズ」が販売され、ウナギより安価なことから好評だったという。ウナギの値上がりが続く中、手頃な価格でウナギに近い昧が楽しめるようになれば、庶民にとっては喜ばしいことだ。
 一方で、気掛かりなこともある。木曽三川流域では古くからナマズのかば焼きが名物で、見かけによらずあっさりした味わいが人々に愛されてきた。脂の乗ったウナギ味に近いナマズが広く流通するようになると、脂の乗った濃厚な昧が好まれやすい昨今のことだから、本来のナマズの味が「脂が乗っていない」と悪く評されてしまわないだろうか。
 それでは本末転倒になってしまう。あっさりした伝統のナマズも、その味を後世にしっかりと伝えてほしい。そのために本来のナマズとウナギ味に近いナマズが混同されないよう、別々の名称を付けるなどの工夫も必要だと思う。”(8月9日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・牛田さん(男・54)の投稿文です。ウナギの高騰で、ウナギ似の商品がいろいろ開発されているようだ。ウナギ味の練り製品もあるようだ。近畿大はナマズをウナギ味に近づける研究をしている。その後の心配が、牛田さんのこの投稿である。ボクもテレビ番組でこの研究開発を見た。好評のようである。人間の欲求に限りがないことは知っている。本当にこれでもか、これでもかである。でも、ナマズはナマズであってなぜいけないのか、よく分からなくなってくる。
 魚介類に限って言えば、養殖物などなく元々は天然物であった。ボクが小学生の頃には、ウナギもマナズも近くの川でたくさん採れた。村中総出で魚取りをした思い出もある。ウナギが何匹、ナマズが何匹と競い合った。消毒薬や川の整備でいつの間にか採れなくなった。これは全国的なことであろう。そして、養殖が始まった。人間が手を加えるのである。加え始めると次から次へ、人間の欲求は高まっていく。味も好みのものに変えていく。それが今のナマズである。これは自然の流れであろうか。嘆くことではないかも知れない。ナマズ本来の味を好む人があれば、それも生き延びていくだろう。牛田さんが提案されるように、別の名前もつくだろう。人の欲求は止められないが、只その研究がお金のためだけというのは止めて欲しい。




2016/08/29(Mon) (第2323話) 夏に祈る 寺さん MAIL 

 “八月は日本人にとって鎮魂の季節だ。ヒロシマの日、ナガサキの日、そして終戦記念日。お盆には、迎え火のなか、祖先の魂が今を生きる私たちのもとへ帰ってくる。遠くに古里がある者は、父、母が待つ家に帰り、優しい古里の山や海にいっとき魂を預け、祖先の墓に手を合わせて心を安らかにする。家には懐かしい顔が集まり、テーブルを囲んでスイカを食べながら、思い出話に花が咲く。茶の開のテレビに映る高校野球の熱戦に沸く。
 都会が故郷の者は、騒がしさが消えた街にしばしの安らぎを覚える。見上げる夏空も心なしかいつもより青く優しい。入道雲を切るようにトンボが飛ぶ。こんな平和な日本の夏がいつまでも続いてほしいと願う。”(8月9日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の会社員・内野さん(男・57)の投稿文です。終戦記念日にお盆、8月はまさに鎮魂の月である。1月や4月は気分一新、新しい挑戦の月である。前に向かう月も大切であるが、過去を振り返る月はもっと大切と思う。前を向いているだけでは配慮に欠けることもあるし、間違いを繰り返すこともある。人間も社会も過去があって現在、未来がある。何も現在が突然現れるのではない。繋がっているのである。過去を振り返りながら先に進んでいくのである。ボクにはどうも最近の日本は過去をないがしろにしている気がする。先祖を敬わないし、敗戦の教訓も薄れている気がする。もう一度振り返って欲しいと思う。内野さんの投稿はそんなことを考えさせてくれた。




2016/08/27(Sat) (第2322話) ハッピーモア 寺さん MAIL 

“なんでも「ハッピーモア」というファミリーレストランがあって、小学校に上がるかどうかの息子さんがその意味を聞いたそうだ。「ハッピーモアってどういう意味なの」▼「もっと幸福にって意味だよ」と教えると、息子さんはこう言った。「ぼくはこれ以上、幸せになりようがないなあ」ー▼脚本家の山田太一さんが『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』の中で書いていらっしゃる。山田さんは驚いたという▼当時の息子さんは「母親にガミガミいわれ」「お姉ちゃんにはいじめられ」、いろいろ我慢しているんだろうと思っていたのに「これ以上幸せになりようがない」ほど幸せだという。親にとって、それこそこれほど幸せな言葉はあるまい。息子さんをぎゅっと抱きしめたそうだ(後略)”(8月8日付け中日新聞)

 「中日春秋」と言うコラム欄からです。「これ以上、幸せになりようがない」こんな言葉が言える人がどれだけあるだろうか。いや、こんな言葉が世の中に存在するのだろうか。恋愛真っ最中や新婚ほやほやさんはヒョッとしてこれに近い言葉を吐く人がいるかも知れない。確かにその時点では最高だろう。でも「これ以上、幸せになりようがない」とは思っていない、もっと大きな幸せを望んでいるのである。しかし残念ながらほとんどの場合、後は下るばかりである。
 太一さんの息子さんは小学に上がる前と言われるから、まだほとんど世の中のことや大人のことを知らない。正直そのもの、その時の気持ちである。こんな言葉を聞くと本当に子供は良いなと思う。「これ以上、幸せになりようがない」誰もが一生の間の頂点はあったはずだ。それを気づかずに過ごしてしまった。後になってあの時が頂点であったと、振り返る。その時「これ以上、幸せになりようがない」と思ったろうか。不満ばかり言っていたのではなかったろうか。「これ以上、幸せになりようがない」は一生の間に何度思ってもいい。あの時、これ以上はないと思ったが、いや、今の方がもっといい、こんなふうに何度も思えたら素晴らしい人生だ。




2016/08/25(Thu) (第2321話) 互いの夫で 寺さん MAIL 

 “私が一番心休まる「友」は、一年前に夫が趣味で知り合った方の奥さま、すーちゃんです。私たちは、同じ年の同じ日に生まれた六十九歳同士。血液型も同じ。この奇跡に意気投合して、何でも話せる友になりました。でも性格は正反対です。私は大ざっぱ、人生に曲折もありましたが、全てをさらけ出して生きています。夫に対しても、はっきり物をいう妻です。彼女は細やかで周りに気を使い、愚痴は心に秘めて、ご主人にも反論せず貞淑な妻。
 そんな二人の会話は孫自慢と、笑って済ませる程度の夫への愚痴。いつも夫の話題には大笑いです。どちらかが「隣の芝生がうらやましいわあ」と言えば「わが家の枯れ芝もいいもんよ。冬の日差しが暖かく、美しいよ」と返します。夫の長所を見つけて納得。当初の「夫の愚痴を言う会」は、今では「互いの夫を褒めたたえる会」となりました。”(8月7日付け中日新聞)

 岐阜県関市の加藤さん(女・69)の投稿文です。「互いの夫を褒めたたえる会」とはまた素晴らしい会を作ってもらったものだ。旦那さん同士がまず知り合い、そして奥さん同士が知り合った。その奥さん同士が、最も気の休まる仲になるというのだから世の中分からない。こんな運の良い話は滅多にないだろう。こういうこともあるのだ。
 「互いの夫を褒めたたえる会」本当にこんな会があったら嬉しいものだ。「夫の愚痴を言う会」とは言わないが、まさにそんな集まりがほとんどだろう。日本には人前で自分の身内を褒めるべきではない、と言う雰囲気があった。謙譲の精神であろうか。あまり聞かされると、鬱陶しくなることも確かにある。身内自慢には節度がいる。それがお互い理解し合って、堂々と言えるのは嬉しいことだ。褒められて嫌な人はいない。人から「奥さんが貴方のことを褒めていましたよ」と聞かされたら、有頂天になること確かである。いつもはあんなにぶつぶつ言っているのに、本当は感謝していてくれたのだ、と知ったら更に優しくなろうというものだ。こういう会が増えて欲しいし、日本人ももう少し身内を褒めることが増えても良い気がする。




2016/08/23(Tue) (第2320話) 盆踊りの練習 寺さん MAIL 

 “どこからか盆踊りの音楽が聞こえてきた。息子が帰宅してきて「盆踊りをやっていたよ」と教えてくれた。私の住む団地でも、毎年恒例の盆踊りを八月中旬に催している。
 一昨年七月、夫が病で他界した。それ以前の十六年間、介護に明け暮れた。今年七月、三回忌の法要があり、一段落したところで盆踊りの練習に出てみようと心に決めていた。先日、団地内を歩いていると、知人に声を掛けられた。盆踊りの練習に行くという。「私も一緒に」と頼むと、誘ってくれた。
 初日は練習に参加できなかったが、二日目から参加している。先生の指導通りにまねしながら、ぎこちなく一生懸命励んでいる。とても楽しく、身も心も浮き浮きしてくる。”(8月3日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・久村さん(64)の投稿文です。盆踊り、まさしく日本の風物である。ボクのまわりでは盆踊りをやっている地区も少なくなったが、それでもまだまだ見かける。参加したり見ているだけの人にはいいものである。ところが主催者にするとなかなか大変な行事である。昨年まで数年間公民館の役員をしていて、主催者側に立った。大勢の人が乗る舞台の組み立ては大変な作業である。多くの人が集まるのである。いろいろな気遣いが必要になる。この盆踊りができる地区はまだまだ大丈夫だ。他のことも十分にできる体制にあると思う。
 ボクには苦い?経験がある。平成9年のことである。この年ボクは組長だった。年度当初に盆踊りの是非の議論があった。以前から廃止の声が上がっていたらしい。そしてアッサリ廃止と決まった。その時の町会長は、こうなることの予想がすでにあったようだ。廃止が決まるとすかさず、ボクの他数名の若い人を指名して「盆踊りに変わる催し物を提案して欲しい」と言われたのである。そしてボクを中心に検討が始まった。そして「ふれあい祭」と言う行事を提案し、その年の10月に開催した。提案したボクがびっくりするほどの素晴らしい催し物となった。しかし、その後数回で消えた。盆踊りが復活することもなく、全く何もなくなった。この体験からいろいろなことを思った。機会があればまた書きたいと思う。




2016/08/21(Sun) (第2319話) 受験感銘 寺さん MAIL 

 “七月二十四日付本紙の「くらしの作文」を拝読しました。そこに登場された左半身不随になりながら、日本漢字能力検定(漢検)の勉強に励まれた方は、私と同じ受検会場にみえた方だと思われ、とてもうれしく思いました。私の場合、漢検に挑戦したのは、母が受けるからという軽い気持ちでした。ですが、限られた時間の中で勉強して臨みました。
 その方は、奥さまと思われる女性に付き添われて席につかれ、消しゴムや文鎮を出してもらって準備に余念がなく、やる気に満ちていました。女性は、ご本人を信じ切ったご様子で、その場を離れられました。
 試験開始直前になると、解答用紙を器用に口で切り離されていました。私はそれらを見ただけで感銘し、受けるからには合格をと気持ちを切り替えることができました。受検勉強の際、周りにいた高校生たちも刺激を受けたに違いありません。体が不自由になっても、何かに夢中になる姿は素晴らしいと思いました。”(8月3日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の会社員・内藤さん(女・34)の投稿文です。8月7日に紹介した「(第2312話) 勉強に夢中」の同席した人からの投稿です。本人が語る以外のことを知り、より敬意が深まった。脳梗塞のその後の状態がよく分からなかったが、これでよく知ることができた。介添えが必要なのだ。解答用紙は手でなく、口で切り離さなければならないのだ。まだそんなに不自由だったのだ。本人が勉強に夢中と言われる。76歳の人のこの言葉に驚いたが、それを示すように、やる気に満ちていたと言われる。内藤さんばかりでなく、同席した人は刺激を受けられたであろう。
 今オリンピックの最中である。競技の内容ばかりでなく、今までの努力の内容やその打ち明け話を聞くと更に敬意が増す。ここまでに至る人は並大抵のことでは済まされない。大変なドラマが秘められていることが多いのだ。8月15日掲載の「(第2316話) 過程が大切」で書いたとおりである。単なる観客のボク達も過程をもっと知りたい。すると、結果をあげられなかった人にも、もっと評価が行く。ここまで来た人に結果はわずかの差でる。同じようなドラマを持っていることが多いと思う。そう思ってみていきたい。




2016/08/19(Fri) (第2318話) 母からの手紙 寺さん MAIL 

 “とうとう来ました。農業委員会からお叱りの手紙が。畑を管理していた母が入院後に亡くなり、草で覆われてしまった畑をきちんと維持保全するよう促す手紙でした。半年ぶりに畑を見に行くと、ひどい状態。週末ごとに草取りに行き、一カ月ほどでやっと片付きました。野菜を作付けしていた母は頑張っていたなあと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。季節の野菜や果物があることが当たり前で、生前は感謝の気持ちさえ持たなかったことが悔やまれます。
 葬儀の際には、家を立派に継いでいくと決心しましたが、日々の雑務に追われて、決心もどこへやら。農業委員会からの手紙は、怠けていた私に母から届いた叱咤激励の手紙のように思われました。草をきれいに片付けると、サトイモが土の下から顔を出し、母が好きだった花が咲き誇り、夏ミガンが鈴なりになっていました。亡くなった後に残してくれたものがあると思うと、いつもそばにいてくれるような安心感に包まれました。
 サトイモは煮物に、花と夏ミカンも仏前に供えました。生きていたころには言えなかった「ありがとう」が自然と口から出て、後悔や胸のつっかえが少しは和らいだ週末でした。”(8月2日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の地方公務員・青木さん(女・51)の投稿文です。農業委員会からの苦情の手紙を、お母さんから野叱咤激励の手紙と思うとは、なかなか思えぬ発想です。お母さんから受け継いだ農地にそれだけの責任を感じておられたからでしょう。
 暑く、雨の多いこの時期は、取っても取っても草は生えてくる。大切に大切に育ててきた野菜は弱い。取っては捨て取っては捨ててきた雑草は強い。野菜はすぐに雑草の下敷きになる。半年も行かなくてはもう草の山であろう。その大変さはやってみないと分からない。野菜をもらう有り難さも、やってみて深まることである。青木さんも見て分かっていたつもりでも、やってみて本当の大変さが分かった。感謝の念が深まった。
 愛西市はボクの所よりは農地が多いところでるが、状況は似たり寄ったりであろう。草ぼうぼうにすると農業委員会から通知が来るのか、これは大変だ。本当に農地は負の遺産になりかねない。ボクのまわりでは草を絶やすだけのためにトラクターを持っている人もある。耕作放棄地に税金を上げる話もある。跡継ぎがいない、売るにも買う人がいない、貸すにも借りる人がいない、こういう土地も多い。どのようになっていくのであろうか。第2304話でも少し触れたが農業問題、農地問題は大変だ。




2016/08/17(Wed) (第2317話) 娘の育児ニュース 寺さん MAIL 

 “娘は昨年、上の子と十歳離れた第二子を授かった。幾分気持ちに余裕があるのか、その子が三ヵ月になったころに突然「ニュース」という形の手紙がきた。A4の紙に手書きで、二人の子どもの日常を、母親目線でつづったもので、両方の実家に毎月一回ずつ送られてくる。日々、子どもと接する者ならではの、細かなおもしろい記事が満載。読みながら思わずニッコリしている自分に気付く。
 子育てをしていると、とてもおかしいことやかわいいこと、驚きなど独り占めするのがもったいないから、ニュースとしてお裾分けしたいと、思い付いたらしい。娘は昔から手紙を書くのが好きで、今でも誕生日や母の日など、折に触れて手紙をくれる。それでも、大変な育児と、上の子の学校やサッカークラブで忙しい中、子どもの行動をよく観察している。それを毎月一枚に細かくまとめて、レイアウトしたニュースを欠かさず届けてくれる。
 私もちゃんとファイルして、成長の足跡をほほ笑みながら見守っている。下の子もやっと一歳を過ぎて、個性を発揮し始めている。いつまで発行されるか、ママのニュース。子どもへの大きなプレゼントだと思っている。”(7月31日付け中日新聞)

 静岡県牧之原市の池田さん(女・67)の投稿文です。育児日記を付けておられるお母さんは多いでしょう。子育ては喜びばかりでなく悩みが多いものです。一人思いを詰めるよりできれば文にするとよりすっきりするでしょう。また子供の成長は記録したくなるものです。そこで家計簿やあまり文を書かない人も育児日記を付けている人は多いと思います。池田さんの娘さんは元々文を書くのが好きだった。そしてそれを身内に届けることを思いつかれた。いいことを思いつかれたと思う。いつかは子供へのプレゼントになるであろうが、もっと間近に両親への大きなプレゼントである。孫のことは何より気になるものである。こういう形で伝えてもらえると読み返すこともできるし、想いも深まる。家族は良いものである。喜びも悲しみも苦しみも共にしたい。先日の第2313話でも書いたように、家族は最後の砦でありたい。本当に困ったとき、家族がいるから何とかなる、そう思えるには日々の付き合いが大切である。




2016/08/15(Mon) (第2316話) 過程が大切 寺さん MAIL 

 “私はこの夏、部活を引退しました。私の最後の試合結果は、あまり良いものではありませんでした。でも、今までにないくらい楽しめました。私は今まで、試合を楽しむことより、結果しか重視していませんでした。でも、本当に大切なのは結果までの過程であり、どれだけ誠実に一生懸命練習したかだと思います。
 部活を通して、努力が報われるというのは、良い結果を残すとか、試合に勝つとかではないと感じました。たとえ努力が今報われなくても、その努力は決して無駄ではなく、いつかきっと何らかの形で報われると信じています。
 これから社会に出て、うまくいかないことの方が多くなると思いますが、過程を大切にして立派な大人になりたいです。”(7月29日付け中日新聞)

 福井県越前市の高校生・吉田さん(女・17)の投稿文です。いいことに気づかれました。社会や他人は結果で判断しがちです。報償も名誉も結果です。でも本人は結果だけでしょうか。結果だけならほんの一瞬のことです。結果だけを重視するなら、どんな卑怯なことをやってもいいのでしょうか。今オリンピックの最中です。結果を重視し過ぎるからドーピングなどの問題も起きます。手抜きをしてもたまたまいい結果を生むことがありますが、これで本当に嬉しいでしょうか。人間は毎日毎日生きています。一瞬のことではありません。その結果に至るのにどんな過程を経たか、本人にはそれが重要です。そして結果も良ければもっと喜べばいいのです。ボクは社会は結果を、本人は過程を重視するものとズッと思ってきました。だから社会が結果で評価しても、不平を言ってはいけません。社会はまたそうしないと成り立っていかないのです。そういうものと割り切るのです。まだ若い吉田さんです。過程を大切にする生活をすれば、結果もついてくるでしょう。




2016/08/13(Sat) (第2315話) 「ふつう」への感謝 寺さん MAIL 

 “この間、テレビで「ふつうが一番」というドラマを見ました。物語の舞台は昭和の中ごろです。夫の帰宅時間に妻が娘と一緒に駅まで迎えに行くー。ごく普通の出来事を、劇中で夫婦がとても幸せに感じる時間だと言っていて、それがとても印象に残りました。
 ドラマのタイトルをみて、中学3年の頃を思い出しました。個人懇談の時、担任の先生から将来のことを聞かれた私は「普通の生活ができればいい」と答えました。すると先生は「あのな、普通の生活を続けることは難しいのだぞ」と言われました。若かった私には、その、言葉が理解できませんでした。
 大人になり、母になって、時々先生の言葉を思い出し、理解することができました。最近は、天災や事件の多さに驚きます。今の世の中は、物があふれて少々のことでは幸せと感じなくなっている人が多いように思います。生まれた時からパソコン、携帯電話のある生活をしてきた小学3年と5年の孫たちも、昔の私のようにまだ理解でぎないでしょうね。普通に生活ができていることへの幸福を。”(7月27日付け朝日新聞)

 岐阜市の書道教室講師・神谷さん(女・62)の投稿文です。作家・藤沢周平の家族の話です。ボクも見ました。藤沢周平の作品は好きです。そして、作家というのは普通一般家庭とは違ったもう少し違った家庭かと思っていましたが、ドラマは全く普通の家庭を描いていました。まさしく普通が一番という描きぶりでした。そして普通とは、神谷さんの先生が言われたとおり「普通の生活を続けることは難しい」のです。誰もが良くなろう良くなろうと精一杯頑張って今の生活をしているのです。頑張って凡人の生活です。では普通の生活が一番でしょうか。では普通の生活でない生活とはどんな生活でしょうか。大臣やタレントの生活でしょうか。書きながらボクにはよく分からなくなってきました。でも頑張っても普通の生活しかできないボクに、そんなことを考えるのは無駄でしょう。もう一度人生のやり直しができたら、何歳に戻りたいですかという話があります。戻って今まで以上の生活が保障されている訳ではありません。もっと悲惨になることも考えられます。これ以上の悲惨はない、と思えなければ、この質問には答えられないでしょう。ボクには答えられません。と言うことは、今までの生活で良かったと言うことでしょう。皆さんも考えてみて下さい。




2016/08/11(Thu) (第2314話) ワンコインの手助け 寺さん MAIL 

 “「ちょっと手助けがほしい」と誰でも思う。特に独居や夫婦の高齢者所帯、子育て中や介護者、障害のある方が、電話で気安く頼める「ワンコインの手助け」が身近にあればと思う。
 「ワンコインでありがとう」と、ご近所さんや地域住民が「手助けを頼む、する、お礼」が全部済むように取り決めておく。気安く頼める「手助けさん名簿」も作り、故意でない場合は責任は問わない約束も必要だろう。
 これは本年度から、市の地域福祉計画推進委員会に公募委員として出席した会議で思いついたことだ。この委員会は来年から五ヵ年計画を策定する。
 「思いやり支え合いの心で地域交流」「安全・安心に心豊かに暮らす地域社会」を基本目標にし、重点プランは「地域力・安全生活・担い手育成」。私は地域のご近所意識で住民が助け合うことが、地域福祉推進の原点ではないかと思うので、夢物語と言われても根気よく訴えていきたいと思っている。”(7月25日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の太田さん(男・85)の投稿文です。85歳にして市の地域福祉計画推進委員会の公募委員に立候補したというのである。市にいろいろ提案したいのである。社会に意見を持つのである。単に苦情を言うのではない。建設的、創造的である。意欲的な人があるものだ。
 そして、意欲ばかりでなく、「ワンコインの手助け」という提案に非常に賛同し、この投稿文を紹介したのである。何か頼んで500円の礼を出す。する方もされる方も気持ちがすっきりすると思う。頼む相手は公式の団体でもなく、組織だったボランティア団体でもない。地域住民である。隣近所である。身近な人の方が頼みやすくよく理解してくれる。でも只では頼みにくい。払ってもいくら払っていいか分からない。それを約束事として500円としておくのである。今時、500円なら子供小遣いである。地域住民からなら頼まれる方は「礼無し」でもいいと思う人は多かろう。だからこれは頼まれるより、頼む方に配慮した方法だと思う。高齢化社会である。一人世帯も多くなる。ちょっとしたことができない。近所の人にちょっと手助けしてもらったら随分助かる。こんな時気軽に頼んで500円硬貨を渡す。考えるほどにいい考えだと思う。実現を期待したい。




2016/08/09(Tue) (第2313話) 家族で応援 寺さん MAIL 

 “先日、次女が秋にある運動会の応援団に立候補しました。今まで代表などをやる子ではなかったので、立候補するのも一週間ほど悩んで決めました。次女のクラスは、男女各二人のところに、男子七人、女子六人が立候補しました。そして選挙があり、次女は応援団になれませんでした。帰宅した次女は落ち込んでいました。
 私にはなれなかったことだけを話して「おばあちゃんとこ行ってくる」と自転車で出かけました。帰ってくると、珍しく早く帰宅した姉に相談していました。
 「今回は選ばれなかったけど、次は学級委員をやりたい」と次女。侮しさを祖父母に癒やしてもらい、姉に話を聞いてもらい、次も頑張ろうという次女を応援したいと思いました。”(7月25日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の主婦・伊藤さん(47)の投稿文です。社会の縁も希薄、家族の関係も希薄になってきていると感じる今の時代、こうした家族の繋がりを聞くと本当に嬉しいものである。こうでありたいものだ。特におばあちゃんに話に行くところが、いいじゃないか。おじいちゃんだともっといいが。
 この二女と言われる人は中学生だろうか、高校生だろうか。実は今年高校に入ったボクの孫は、この女性徒と同じように代表などに立候補する子ではなかった。勉強はある程度できるので、もう少し積極的だともっといいが、と苦々しい思いで見てきた。ところが今年高校に入って、何かしらないが立候補したというのである。そして成り行きで二つも引き受けたという。今溌剌と高校生活を送っているようだ。ボクの孫だからどこかで変わるだろう、と内心思っていた。ボクもそうだったから。学校が変わる、就職をする、恋をする、こういうときは人生の変わり目である。人生、何度もこういう経験をしていかねばならない。いつもうまく行くとは限らない。落ち込むこともあろう。そんな時伊藤さんの二女の方は家族に目が行った。頼るものがあるといい。こんな時家族に想いが行くような家族でありたい。家族は最後の砦でありたい。




2016/08/07(Sun) (第2312話) 勉強に夢中 寺さん MAIL 

 “先日、漢字能力検定(漢検)を受検した。高校生程度の人を対象にしたものだった。十年前、脳梗塞で左半身不随になり、気力も衰え、ただ漫然とデイケアサービスに通っていた。デイケアで職員から「娘が英検の勉強をしている。目標に向かって勉強する姿は素晴らしいよね」と聞いた。それがきっかけで、私も漢検に挑戦する気になった。
 妻は「無理無理、昨日のことも思い出せない人だから」と言いながらも、応援してくれた。三月のことだった。受検のために、かなり勉強した。三ヵ月間、地区市民館の学習室で、黙々と勉強している高校生らに交じって、夕方五時から閉館時間の九時まで、ルーペ片手に勉強に夢中になった。妻との夕食はいつも九時すぎだった。
 帰りに、その高校生らに励まされ、勇気づけられたこともあった。今ごろ、みんなはテレビを見ながら家族だんらんを楽しんでいることだろうと、うらやましく思うこともあった。そんな思いも振り払い、自分を勉強に集中させた。
 合格か不合格か、の結果に不安もあるが、勉強に夢中になり、充実した時間を過ごせたことに満足している。この習慣、今後も続けていきたい。”(7月24日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の彦坂さん(男・76)の投稿文です。今合否を気にされているようだから、この漢検に挑戦された話は今年のことであろう。76歳の今、高校受験や大学受験と同じような生活にはかなりの決意と努力がいる。それも脳梗塞で倒れられて10年、デイケアーサービスなどに通ってみえた後である。人のちょっとした話を聞いての決意である。この彦坂さんの話を聞いたボクが挑むのなら、話も分かる。どうしてこんな経過になるのか、人間というのは本当に面白い。それにしても立派である。歳は関係ない。本当に気持ちだけである。本当に、歳、歳と言ってはいけない。今の時代、70代半ばにして元気な人はいくらでもある。見かけ50歳など言う人も珍しくない。まだまだチャンスはいくらでも巡ってくる。その気構えさえあればであるが・・・。




2016/08/05(Fri) (第2311話) 「名前」で呼び合う 寺さん MAIL 

 “先日、会合に出席していた時のこと。「○○子さん」と名字ではなく名前で呼び合っている人たちがいて、それが新鮮に響いた。子どもの頃は「○○ちゃん」と、しばしば名前で呼んだ。とはいえ、私は小学生の頃から名字をもじったニックネームで呼ばれていたので、名前で呼んでくれたのは幼い頃の友人、親、親戚ぐらいだった。大人になってからは、もっぱら名字で呼ばれた。時にママ友からは「○○ちゃん(娘の名)ママ」と呼ばれたりして、自分の名前を呼ばれる機会はますますなくなった。
 かつて、名前はその人にとって「最初のプレゼントである」という話を聞いたことがある。確かに、生まれた時に与えられ、一生使い続けるものが名前だ。名字は結婚して変わる場合もあるが、名前はそのままのことが多い。もっと名前を使う機会があってもいい。
 しかし、同姓の人がいる場合を除いて、大人同士で名前を呼ぶのは一般的ではない。かなり親しくならないと名前で呼び合うことはしない。だからこそ、名前で呼び合える友人関係を築きたい。自分が自分であるための名前なのだから、大いに呼び合い、使いたい。”(7月20日付け朝日新聞)

 名古屋市の主婦・鏡味さん(56)の投稿文です。「名前で呼び合う」というタイトルに、夫婦の話かと思った。違っていた。考えてみるとなぜほとんどの場合、名字で呼び合うのか不思議である。名字より名前の方が特定できるのにである。鏡味さんが言われるように、大人同士で名前を呼ぶのは一般的ではなく、かなり親しくならないと名前で呼び合うことはしない。これは長年かかって築いてきた日本文化であろうか。だから名前で呼び合える友人関係を多く築きたい、と言われる。こうなると名字で呼ぶことと名前で呼ぶことの違いの意味がでてくる。ボクの場合で考えてみると、小中学校時代の友人は名前かあだ名である。これは多くの人で続いている。これは田舎で同性が多いことが一番の理由であろう。高校以降は名字であろうか。そして、これが親しさも現している気がする。小中学校時代は生徒数も少なく、親しみが多い。だから毎年のように同窓会も開いている。そしてボクにとって面白いのは、職場である。同年以上の多くの人は「寺さん」と呼ぶのである。名字の簡略化であろうが、あだ名に近い。後輩からもこう呼ばれることがある。だからHPのタイトルも「寺さんの川柳&ウォーク」である。たかが名前だが、意味は大きい。名前はその人にとって「最初のプレゼントである」という言葉に頷く。最近の名前には驚くばかりである。一生読んでもらえないような漢字の名前では名前の用をなしていない。




2016/08/03(Wed) (第2310話) 癒やしの鉄道 寺さん MAIL 

 “幼少のころから鉄道が大好き。定年退職した後、足かけ5年をかけて、JRのほぼ全線を、各駅停車で乗った。その後は、全国約20力所の路面電車に乗った。昨今は、わざわざ乗りに行く人がいないような、地方の小さい私鉄に乗りに行っている。
 とにかく、乗っているときが一番の癒やしだ。月に一度投稿している短歌・俳句がなかなかできないとき、なんとなく気持ちが沈んでいるとき、人付き合いに疲れたとき、ふらりと電車に乗る。見慣れた車窓でも、季節の移ろいを感じたりしてひといきつぐと、なぜか気持ちが楽になる。
 さすがに70歳を過ぎたあたりからは、何日も続けて乗るとかえって疲れるようになった。それでも初めての路線に乗るときなどは、いまだに運転席のろしろに陣取りして、線路状況や、乗り降りの人を観察して悦に入っている。いい年をしていつまで乗っているのだと、まわりからは失笑が絶えない。でも足が地につけられるうちは続けるつもりだ。さてあと何年続くかわからないが、最後は、鉄道が見える場所に散骨してほしいと、妻に頼むつもりだ。”(7月17日付け朝日新聞)

 栃木県さくら市の大澤さん(男・76)の投稿文です。JR線の全線を乗り継ぐ人の話は時折聞く。ボクの知り合いにもある。もちろん鉄道に乗ることが好きで、そしてどうせ乗るなら全線を乗るという目標を持とうと言うことであろうか。多くの人は、鉄道に乗って景色を見ながら過ごす時間が嫌いという人は少なかろう。大澤さんのように癒やしの時間になるという人もあろう。でも膨大な時間と費用を要する。その覚悟が必要である。でも始まりはそんなものではないかも知れない。やっていて自然に目標ができてくるのかも知れない。大澤さんは私鉄まで乗り始められたという。体が続く限り続けられるであろう。それが元気の素となるであろう。どんなことでも良い。こんなものを一つや二つ持ちたいものだ。もちろんボクもゆったりした鉄道に乗るのが嫌いではない。むしろ好きかも知れない。大澤さんは短歌や俳句ができないときに乗ると言われる。実はボクの川柳もほとんど鉄道に乗って作っているのである。本を読むのも電車の中である。鉄道の中は意外に集中できるのである。




2016/08/01(Mon) (第2309話) 妻がよみがえった 寺さん MAIL 

 “三人の子供が独立してから二十数年。妻は最近、料理の段取りが悪くなったり、出かけるときに忘れ物をするなど、少々老いが気になることが多くなってきた。そんな折、新年度を前に町内会の役員さんから妻に、保健環境委員をやってもらえないかと打診を受けた。「私で役にたつならお受けします」と快諾したという。
 主な仕事は、資源ステーションに出される資源を収集車が来るまでに、分別の確認と整理をすることらしい。早速、作業用手袋、日よけの帽子、雨がっぱなどを買って用意している。
 あれから間もなく三ヶ月。ステーションにはマナー違反で分別に困るものも出されるらしい。妻は状況を知ってもらいたいと、デジカメを買って記録を始めた。また文字の消えた看板が、分別の悪い原因かもしれないと、新しいものをもらって取り換えた。困った問題は、環境事業所に相談に行くなど積極的に活動、最近では自分でも役に立つことがあるのだと気づき、生き生きと目が輝いてきた。
 この調子で二年間の任期を全うしてほしいと願う。私が協力できることは、妻の愚痴を聞くだけだ。今日はどんな話があるだろうか。ゆっくり聞いてやろうと思い、今朝も送り出した。”(7月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主夫・小池さん(72)の投稿文です。小池さんの奥さんは元々行動的な人だったのでしょうね。それが子育てなどいろいろな役目が終わり、静かな生活になった。そこへ老いも加わり、少し怪しくなってきた。そこに、社会に役立つ役割を与えられ、本来の性格が現れてきた。デジカメを買ってきて記録するなどは普通にはない行動的なものです。態度もしっかりしてきた。主夫のご主人も嬉しくなり応援される。これからの高齢化社会のあり方を示す一つの例ではないでしょうか。
 高齢者をいつまでもリーダーにすることはない。それこそ老害です。役割を与えて上手に使うのです。高齢者もそれを理解することです。生き甲斐を与えてもらっていると思って、協力するのです。今のところボクも静かな生活は、求めているものの苦手です。数日もするとうんざりしてしまう。そこでいろいろ活動の場を求める。今のところ十分に足りています。しかし、来年には勤務も終わり、次第に減っていくでしょう。それに向けて考えておかねばならないことです。


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