ha1606

第145号  2016年6月

2016/06/30(Thu) (第2293話) 仲人 寺さん MAIL 

 “私たちが結婚したころは、家と家の結婚式とされ、結婚の承諾を受けると両親は両家を取り持つ仲人を立てて大安吉日を選んで結納など手順を踏んで儀式を行い、神前結婚式に臨むのが一般的でした。
 時代が変遷し、結納は略されつつあり、仲人を立てることも減りました。私は、両人の尊敬する先輩ご夫妻を仲人ならぬ立会人としてお願いすること、その夫婦は今後の二人の生活を見守り、折に触れて助言することを提案したいです。家族と別居して暮らす現代夫婦は人生経験も浅く、他人からの忠告により気付くこともあるでしょう。
 私たちの仲人の叔父さんは数年前に他界しましたが、客観的な立場で支えてくれました。末永い幸せを守りたいです。”(6月14日付け中日新聞)

 長野県飯田市の会社員・鎌倉さん(男・62)の投稿文です。結婚式に出る機会もなくなったボクの今に、現在の結婚式模様がどうなっているのかよく分からない。仲人さんというものはあるのだろうか。見合い結婚はどの程度あるのか、その場合仲人さんを立てるのか、知らない。結婚しない人が増え、またしても晩婚化してることは知っている。これが少数の時は個人の自由としてあまり問題ではないが、多くなると人類や日本社会存続の問題として大問題である。今もう大問題になっているのではなかろうか。
 仲人さんは、少し煩わしいが良い制度であったと思う。人間自由はありがたいが、見守る人がいないと間違いを起こしたりわがままに陥りやすい。欠陥のない人間はいない。見守る人に親や先生など多くの人もあろうが、結婚と言うことになると仲人さんが最も身近である。それが例え頼まれ仲人さんであっても、結婚に起因する問題だと仲人さんが頭をよぎる。自制が働く。相談に行く気にもなる。
 ボクも結婚式だけの仲人さんを頼んだ。でもそれだけでは終わらない。その後も時折自宅を訪ね、いろいろ報告した。何かの折りに意識し自制が働いたと思う。




2016/06/28(Tue) (第2292話) 兄と私の文集 寺さん MAIL 

 “膠臓ガンの兄から、亡くなる1ヵ月ほど前に電話があった。「文集を作ろう。題名は『僕らはあの頃少年だった』や」。子どものころ、兄からの発案で色んな遊びをした。死期を悟った兄からの最後の発案だと思い、すぐに、町内の少年野球大会で兄がレギュラー、私が球拾いで参加して優勝した思い出を書き、兄に送った。兄も野球大会で一緒に活躍したタッコンやニシムラのことが「夏休みの野球の期間だけの友達だったけれども、忘れられない『ヤツ』達である」などと綴っていた。
 また電話があり、今度は叔母たちの思い出を書こうとのことだった。父が応召中に母の実家で生まれた兄は、父が復員してからもしばらくの間、母の実家で過ごした。その間に私や弟妹も生まれた。同居していた叔母たちに兄も私もよく可愛がってもらった。兄からは、家族団欒の席で、司会老役の叔母にすすめられて兄が「リンゴの唄」を歌い、拍手喝采をもらった思い出などを書いた原稿が届いた。
 「苦しい時や悲しい時には、楽しいことを思い浮かべて耐えるんや」と兄に教えてもらったことがあった。兄は幸福な幼少年時代を過ごしたに違いない。兄よ、安らかに。”(6月12日付け朝日新聞)

 兵庫県明石市のアルバイト・榎本さん(男・68)の投稿文です。死を身近に覚えたとき、思い出を書くことを思いつき、弟を誘う。素直に応じる弟、この時兄弟は70歳近い歳と想像される。この行為に感じ入るとともに、何と仲の良い素直な兄弟と思う。
 死を知ったとき、または人生をほぼ終えたと思ったとき、1人思い出を綴ることは多くの人がしたくなることだと思う。自分の一生は何だったのか、自分の一生を総括しておきたい。自分の存在を確かなものにしておきたい。自分史が盛んに作られることもその理由だろう。ボクがこの「話・話」を書きながら、自分の過去に少しずつ触れているのもその現れであろう。平凡なありふれた人生も本人にとってはかけがえのない人生でる。これでいいと思う。それでこそ自分を大切にできると思う。
 そんな中、榎本さん兄弟は素晴らしい。こんなことができる兄弟はそんなに無いと思う。




2016/06/26(Sun) (第2291話) 別れの日まで 寺さん MAIL 

 “「妻よ! 二十九年前にあげた、『愛国発幸福行』のキップ。そろそろ幸福駅は見えてきましたか」。これは五年前、朝刊地方版に掲載された私の一言投稿です。
 結婚して間もないころ、古代ローマの哲学者キケロが残した「朋友はわが喜びを倍にし、悲しみを半ばにす」の言葉通りの心境でした。「妻に出会えて良かった」というメッセージとともに、思いを込めた切符を贈ったのです。
 不器用な生き方しかできなかった私と三十三年間も連れ添ってくれた妻には、ありがとうの言葉しかありません。波瀾万丈とは言わないまでも、いくつかの山や谷を越えてきました。妻のおかげて子ども二人は十分、私たちを超え、それぞれわが家を巣立っていきました。
 「幸福駅」に降り立つ日はまだまだ先のことでしょう。が、いずれ訪れるであろう別れの日までは、二人三脚でよろしく。”(6月5日付け中日新聞)

 三重県桑名市のアルバイト・竹尾さん(男・64)の投稿文です。愛国駅と幸福駅の話である。1973年3月5日にNHKのドキュメンタリー番組「新日本紀行」で『幸福への旅〜帯広〜』として紹介され、これがきっかけとなり、「愛国から幸福ゆき」の切符が大人気となっている。そして駅の役割は1987年に廃止されているが、建物だけは保存されている。。この年数から想定するに結婚してすぐに妻に贈った竹尾さん、まさに幸福な気分だったでしょう。それから33年近く、一通りの社会の役目も終えられ、悠々自適の生活の入られたと感じられる。
 結婚が「朋友はわが喜びを倍にし、悲しみを半ばにす」の言葉通りの心境であると言われるのもいい。一心同体、相思相愛を感じる。「幸福駅に降り立つ日はまだまだ先のことでしょう」という意味はどういうことでしょう。幸福駅は終着駅、幸福駅へ降り立つのは、死を迎えたときと言うことでしょうか。愛国駅から乗って、そのままズッと幸福ではなかったのでしょうか。列車に一緒に乗っている間は幸福に向かってひた走りだったのでしょうか。そして行き着いた幸福駅でそのまま天国へ。ボクにはそのように思えないが、いずれにしろ良いご夫婦であられたことは十分に感じられる。ボクも十分に同じ気分であるが、こんな粋なものを贈っていたら評価はもっと上がっただろうに。




2016/06/24(Fri) (第2290話) 専業主婦の妻 寺さん MAIL 

 “娘が生まれ、妻は仕事を辞めて専業主婦の道を選んだ。「子どもには精いっぱいのことをしてやりたい」というのが一致した考え。私が外での仕事を、妻が家の仕事を受け持つという「分業」がスタートした。おかげで私は安心して仕事に集中できた。妻はいつも笑顔で私を送り出してくれた。家事一切、子どもの世話、学校や子ども会の役員の仕事、やがては親の看病なども加わり、彼女は毎日忙しく動き回っていた。
 最近、家事や子育てに励む若いお母さんたちが、不安を持っていると聞く。自分は活躍していないのではないか。子どもを預け、外で働かなくてはいけないのではないかと。
 私たち夫婦は受け持った仕事にそれぞれ精いっぱい取り組んだ。無事に定年を迎えられたのも、そのおかけだ。時代が違うかもしれないが、いろいろな場面でさまざまな活躍があってもいいのではないだろうか。私は妻に感謝している。専業主婦の彼女は立派に「活躍」しているのだから。”(6月5日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の林さん(男・65)の投稿文です。「専業主婦」について語られて長いことになる。ここでも何度も話題にしただろう。それでも尽きない。子供にとって母親は何物にも代えがたい。父親や社会が代わりにやっても限度がある。どう頑張っても父親から乳はでないのである。母親が主に子育てをするのは生物として自然である。社会で働くかどうかは、人間社会のことである。社会に貢献したい、金銭的余裕を持ちたい、これは社会の中のあり方の問題である。どうでもいいような前置きをして、林さんの話しにしよう。林さん夫婦は2人の考えが一致し、金銭的余裕もあったのであろう。奥さんは専業主婦を選ばれた。2人で働くより金銭的余裕は少なくなったろうが、生活に余裕はできた。奥さんが専業主婦を選ばれたのは、林さんに専業主婦の価値を認める考えがあったことも大きいと思う。それはこの投句文でも十分に感じられる。ボクの妻も子供ができた時、専業主婦の道を選んだ。その結果、子育てと共に地域の中で活動する場所も与えられ、多くの知人を得、今もその恩恵を受けた生活をしている。この話を書き始めると切りがないので、この辺にしておきたい。
 ところで、最近「孫源病」なる言葉を聞くようになった。年老いた老母に孫の世話の負担が大きいという話である。これもボクの身近でよく聞く話である。今のボクにはこの話の方が興味を引く。




2016/06/22(Wed) (第2289話) 父からの贈り物 寺さん MAIL 

 “父の日を前に、今年も父から郵便局の「ふるさと小包便」が届いた。昨年は何の連絡もなく力二が届いたので、何かの懸賞に当選したと勘違いした。が、父からとわかり、隔月で届く商品を心待ちにしていた。果物やゼリーなど子どもや私が大喜びする物が1年間届いた。姉からもメールで「うちもきたよ」と。
 弟が局員なので、父も協力していたのだろう。親心というヤツだ。が、その父は2月に急逝し、今は天国に母といる。もうこの世にいない人が差出人なので、驚きと同時に涙があふれ止まらなかった。
 申し込む時、父はまさか自分が死ぬなんて思ってもいなかったわけで、私や姉家族に喜んでもらおうと、ただ思ったはず。そんな父の優しい思いが私たちの所に届いたことが、うれしかったし悲しかった。すぐ側で励ましてくれている気もして心強かった。
 今回届いた宇都宮餃子を食べながら、幼い頃、母と一緒に作ったギョーザを思い出した。まさに「ふるさと小包便」となった懐かしい気持ちと愛が詰まった父からの贈り物となった。「お父さん、ありがとう。私は元気です。次のおいしい物、まってます」”(6月1日付け朝日新聞)

 愛知県江南市の保育士・青山さん(女・48)の投稿文です。亡くなった人から贈り物が届く、受け取った人の気持ちは、嬉しいと共に複雑だろう。こんな人は多分突然亡くなることが多いだろうからより複雑である。青山さんの場合、贈り主はお父さんであった。お父さんは80歳前後であったろうか。父親の子供達への思いやり。母親とは違うものがある。ボクと妻とを見ていると全く違う。妻は目の前の喜ぶことをする。ボクは将来を思ったことをする。子供の喜びようは全く違う。孫はもっと目の前である。妻が断然有利だ。これも役割であろうか。ボクももう少し青山さんを見習ったらと思う。でもできない。今のことは自分達でしなさい、と言いたい。そんなに甘やかしていいのか、と言いたい。妻は残してやるより今与えた方がいいという。妻がすることに苦情を言わないことが精々である。




2016/06/20(Mon) (第2288話) サクランボ 寺さん MAIL 

 “さわやかな五月は、私にとって特別な月である。サクランボの実が鈴なりになって、楽しませてくれるからだ。木は植えて十年余がたち、車庫の屋根を越えたころからやっと花が咲き、以来毎年、実がつくようになった。
 例年、三月の初めに花が咲きだし、花が散るとマッチ棒ほどの実がつき、日ごとに大きく育ってくる。熟して食べごろになるのは五月十日すぎ。でも今年は早く色づいた。もっと眺めて楽しみたいのに、鳥が来て騒ぎだした。「ちょっと待ってよ」と、鳥を追い払う。店に売ってるサクランボより実が小さく、味も及ばないが、ちょっと酸っぱいのや甘いのが魅力だ。青空の下、日に輝く赤い実は、宝石のようで美しい。見ていると幸せな気分になる。
 友達や知人にお裾分けすると喜んでくれる。毎年楽しみに待っていてくれる人がいるので、欠かせない行事だ。あとはジャムに炊く。小さい実の種を取る作業は大変だけど、味は絶品だ。その後は、木を鳥に開放すると、実がなくなるのに一日とかからない。実がなくなっても、鳥はうれしそうに鴫いて、落ちた実を拾っている。忙しい一週間が過ぎた。サクランボの木に、ありがとう、また来年もよろしくと、心の中でつぶやいた。”(6月1日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の主婦・中西さん(75)の投稿文です。サクランボへの思いである。1本の木にもいろいろな想いや思い出がある。わが家にもサクランボの木がある。植えてもう20年以上たつだろう。そのサクランボが今年の収穫で終わるのだ。今年末にはその畑が人手に渡ることになっている。中西さんの文から書いておく機会を得たと思った。植えたのは父が亡くなって専業農家を終えたことにある。残された畑をどうやって維持していくのか。そこで何本もの果実を植えた。耕す部分を少しでも減らすことと自家使用できる食べ物を増やす為である。みかん、柿、梅、そしてサクランボを植えた。サクランボもよく成るようになった。摘花などせず自然に任せた。だから成る数の多さは凄い。多いから実は全く小さい。グミの実くらいである。一斉に成り、一雨ですべて落ちてしまう。その間に採れるだけ採る。妻の執念は凄い。野菜などもいくらでもあるが、少しも無駄にしないと使うことにこだわる。女の執念は怖いくらいである。小さくてもサクランボはサクランボ、サクランボの味はする。サクランボなど買ってきたら高価であるのでなかなか食べられないが、よく食べてきた。今年で梅も終わる。梅こそ、梅干しを始め梅酒、梅ジュースなど良く活用した。これは少し寂しい気がする。みかんは他にもあるが、手軽だからまた植えよう。サクランボと梅はさようならである。




2016/06/18(Sat) (第2287話) 似顔絵1万枚 寺さん MAIL 

 “七十歳から地元の保育園、幼稚園の卒園記念に園児の似顔絵を贈り続けている。一万枚を目標に、九千八百枚になった。昨年、がんのため入院し現在治療中だが、園児たちは似顔絵を待っている。年長児が絵をもらうのを見た年下の子たちは「僕たちももらえる?」と先生に聞くらしい。
 体力がなくなり、手に力が入らなくなり困っている。毎日紙に線や円を描く練習をしている。ようやく以前のように絵が描けるようになった。今年も市内の全園児を描きたい。一人一人に以前のように手渡しして喜ばせたいが、体力がなくなり歩けず、自動車の運転もできない。園長さんに渡してもらい園児たちを跳び上がらせて喜ばせたい。
 十三年前、一幼稚園の園児の似顔絵を描いて以来、市内の全園児を十三年間も似顔絵で喜ばせている。最初に描いた園児は、もう大学生になっている。この似顔絵によって大府市の各家庭が笑顔で明るくなったらしい。うれしい。”(5月31日付け中日新聞)

 愛知県大府市の深谷さん(男・83)の投稿文です。この深谷さんは、2012年9月5日の「話・話」第1653話で紹介しています。あれから5年、83歳になられ、枚数も1万枚近くになった。毎年1000人である。凄い精力が要る。そのために体力も付けておられる。70歳にして生き甲斐を見つけられた。これだけ楽しみにしている人がいては止めるに止められない。人間幾つになってその人の価値が出るか分からない、と言うものの70歳である。70歳というのは今のボクである。ボクもこれからなのか。ところがボクはいろいろしてきたことの仕舞い方を考え始めている。遺産相続のことも考え始めた。ガン手術が影響している気がする。でも手術はもう10年憂いなく活動するためであった。「明日死ぬと思っていきなさい。永遠に生きると思って学びなさい」良い言葉が机の上に載っているではないか。両面を頭に入れながら過ごしていくのだろう。勤務は来年の今頃で完全退職予定だ。しかし、市議会議員との二人三脚は始まったばかりである。先日中学校の同窓会を開いた。卒業以来世話役をしてきたと言っていい。交替を言おうかと思ったが、言い出すことは止めにした。他にも長いこと世話役をしているものがある。辞めた方がいいかと思ったが、自分からは言い出さないことにした。今すら物議を醸すこともないし、言われたらすみやかに応じればいい、と言うことにした。




2016/06/16(Thu) (第2286話) 10年前の手紙 寺さん MAIL 

 “ゴールデンウイークのある夕方、いつもどおりにポストをのぞきこんだ。私の字で子どもあての手紙があった。「あれ?」と思って見ると、それはなんと、十年前のゴールデンウイークに家族で博物館明治村へ出かけ、その中の宇治山田郵便局舎で息子が十年後の自分に書いた、すっかり忘れていた手紙だった。
 感激して封をあけると、かわいい字で一生懸命書いた文字があった。「10年後のぼくへ。夢は変わっていませんか? 一生懸命勉強していますか? 納豆は食べていますか?」と。
 高校三年の息子は、大学受験に向け勉強中だ。十年前の自分に励まされ「よし、やらなきゃな!」と言った。手紙の最後には「じいじ、ばあば、まだ生きていてくれていますか?」とある。両親に手紙を見せに行くと、涙ぐみながら大笑い。「じゃあ、元気なうちに十年後の健大へ手紙を書きに行こうか」大好きな明治村、ありがとう。また家族で出かけたい。”(5月31日付け中日新聞)

 岐阜市の会社員・飯塚さん(女・46)の投稿文です。2016年5月5日の「話・話」第2265話で「5年前の彼からの手紙」を紹介しました。5年後の誰かに届く手紙です。今回は10年後の自分に届く手紙です。なかなか妙味のある企画です。今の自分を思って書くのか、10年後の自分を思って書くのか、いろいろな書き方があるでしょう。10年後は予想できてできないものです。開いて悲喜こもごもでしょう。飯塚さんの場合はどうも喜びであったようです。特にじいじ、ばあばは大喜びであった。
 博物館明治村の郵便局というのがまたいい。この企画はいつもやっているのだろうか。ボクにとっては近くの観光地だし、久しぶり訪ねてみたいものだ。さてボクの10年後はそれこそ不確かである。人生最も不確かな年代に入ってきた。生きているのかも分からないし、生きていても健康とは限らない。認知症であるかも知れない。と遠慮気味に言っているが、本当は少し元気さは衰えているがあまり違わないと思っているのである。思おうとしているのかも知れない。




2016/06/14(Tue) (第2285話) ストロベリートーチ 寺さん MAIL 

 “四月二十日は、母の六十八回目の誕生日だった。当日、離れて暮らす母にお祝いを伝えようと、母の携帯に電話する。出ない。そこで父の携帯に電話する。「もしもし、お父さん。今どこ。お母さんは?」「今、お母さんへのプレゼントのために畑に来てるんだ。お母さんも一緒にいるよ」と父。「え、大根でもプレゼントするの」「いや、畑全部がプレゼントなんだ」「どういうこと?」
 「畑一面を真っ赤な花畑にしたんだ。それを今、お母さんにプレゼントしているとこ ろ」
 父は農業を営んでいる。父に話を聞くと、どうやら母の誕生日ごろに満開になるように、畑一面に花の種をまいたらしい。花の名はストロベリートーチ。その名の通り、イチゴの果実に似た花穂で、畑一面、真っ赤に染まる。父が電話で続けて言う。「昨日、公民館にかけてあった花のカレンダーで偶然知ったんだけど、ストロベリートーチは四月二十日の誕生花だったんだ」。そんな奇跡、本当にあるんだ。
 後日、父に会ったとき「お母さん、喜んだでしょう」と聞くと「それほどでもなかったみたい」。父は照れくさそうに笑った。”(5月28日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・佐々木さん(39)の投稿文です。誕生日祝いに畑一面に花を咲かせるとは、スケールが大きい。素朴である。こういう話しは何とも嬉しい。それも誕生花と知らず蒔いたという。言われるようにこれぞ奇跡である。この行為に感激して神様のプレゼントではなかろうか。あまり嬉しそうではなかったと言われるが、これはテレである。この年代は表現が控え目、上手ではないのだ。この「話・話」は良い話を集めているが、ボクにはこの話は最近一番の痛快な話の気がする。
 さてボクの妻の誕生花を調べて見た。あるはあるは、オシロイバナ、カラー、ガーベラ、コマチソウ、サンスベリア、ダリア、ツユクサ、ナデシコ、フロックス、マルバシモツケなど20種類くらい載っている。ナデシコなら今わが家の庭に咲いている。誕生日まで持つのだろうか。誕生花とはその頃に見頃になっているものではないのか。カラーも誕生花とある。カラーは今のわが家にはない。カラーは球根であるので、今でも手に入るかも知れないし、調べて見ると誕生日の頃に咲いている可能性があるようだ。畑一面とはならないが、1株2株なら手に入るかも知れない。ダリアもツユクサもわが家にはある。オシロイバナが代表のようだ。もう少し調べてみよう。




2016/06/12(Sun) (第2284話) 親子で献血 寺さん MAIL 

 “娘の高校の代休と私の仕事の休みが重なった日、娘を連れて最寄りの献血ルームに行ってきた。娘は自分の血液型が出生時に調べたきりであることを常々不満に思っており、献血すれば確定できるよ、と私が勧めたのだ。
 娘にとっては初めての献血で緊張したようだが、受付スタッフの方、看護師さんが親切、丁寧に接してくださり、不安になることなく無事、200ccの献血をすることができた。
 そして先日、血液センターからの血液型・検査成績の通知が届いた。娘は血液型が確定できたこと、検査数値に問題がなかったことに妙にはしゃいで見入っていた。そういえば、私も二十年ほど前に初めて通知を見た時はそうだったな、と昔を思い出した。
 献血ルームのアットホームな雰囲気も分かったことだし、親子で献血もよいけれど、次回は友達と一緒に行ってくれたらうれしい。娘たちに「行っておいで」と言ってみたいと思っている。”(5月28日付け中日新聞)

 愛知県安城市の会社員・杉浦さん(男・45)の投稿文です。ボクも若い頃は盛んに献血に行ったものだが、ある薬を飲んだことによってできなくなってしまった。迂闊であった。それ以来献血のことは頭から去っていた。
 杉浦さんの文を読んで、親子で献血という方法があったのか、自分もしておくべきだったとこれも少し残念な気がする。
 献血についてはもう何度も「話・話」で扱っている。今は十分に足りているのだろうか。それなら良いが、そうでなければもっと広めねば。誘導策も採らねばと思う。




2016/06/10(Fri) (第2283話) 墓じまい 寺さん MAIL 

 “「墓じまいをする」。群馬に住む義母から突然電話がかかってきた。ええ?89歳の義母がもしもの時は、どこに埋葬すればいいのだろう。バブル絶頂の頃、義父が埼玉の山の中のお寺の分譲墓地を購入。亡き義父のお骨だけが納まっている。義母は自分の娘の嫁ぎ先の広島の老人施設に入居を決めた。
 東京に住む長男夫婦も、遠いお墓になかなか行けないし、これから先維持費を払うのも大変だと、義母は判断したようだ。私たち夫婦はお墓をつくらず、近くのお寺に永代供養、共同墓地への埋葬を決めている。
 田舎育ちの私は、お盆、正月、命日には家族そろってお出かけ気分でお墓参りをしてきた。いとこたちとわいわい遊びながら草取りをしたり、ご先祖さんの武勇伝やルーツを聞いたり、家族の伝承の場であった。
 私の故郷島根に帰り、お墓参りをすると、思った以上に「墓じまい」が進んでいる。ご先祖様をしのんで家族、親戚が集まることはどんどんなくなっていくのだろう。家を継ぐ、お墓を守る。そういう言葉が死語になるのも、そう遠くないのかもしれない。寂しい日本になってしまったような気がしてならない。”(5月25日付け朝日新聞)

 愛知県尾張旭市の主婦・宮本さん(62)の投稿文です。「墓じまい」などという言葉があったのだろうか。広辞苑にはない。墓を処分することであるから、昔からこの行為がなかったわけではなかろうが、盛んになったのは近年であろう。墓は少し遠くてもお盆やお彼岸の日にはお参りに行く、これが長いこと続いてきた日本の慣習である。少し面倒でもそれが優先された。ところが家族そのものが希薄になり、現世利益や合理性が優先され、よく分からぬ先祖はないがしろにされていく。宗教心もあまりない日本人が、安易に流れるのは早い。葬儀も近隣住民は関わりがなくなり、家族だけのものになっていく。また火葬場直送もあり、骨上げもないこともあるようだ。その先の墓である。先祖代々から個人墓になり、共同墓になる。散骨して終わりもある。昔からの慣習は急激に廃れていく。ボクは専門家でもないし、身近な事例といろいろな情報として知っていることを書いている。ボクは前時代の人間である。現代生活を満喫していると共に過去も懐かしく想っている。第2281話の女高生の話でもあったが、親がいて自分がいるのである。先祖があって自分があるのである。そんな先祖をないがしろにしていいのだろうか。宮本さんもお墓は作らないという。子供の都合を思ってのことである。こんなことにまで子供のことを思う必要があるのであろうか。これが子供を思うことであろうか。これではすべての繋がりが消えていく。それが本当に良いのだろうか。ボクには疑問ばかりである。




2016/06/08(Wed) (第2282話) 髪を寄付 寺さん MAIL 

 “二〇一四年九月に本欄に掲載された「髪の寄付 増えてほしい」を読んだのをきっかけに、二年近く髪を伸ばし続けた。先日やっと、NPO法人JHDAC(ジャーダック)の賛同美容室で、目標にしてきた三十一センチの髪の寄付を終えた。
 小児がんなどの病気や、その他の理由で髪を失った子どもたちに、無償でフルオーダーメードの医療用かつらを提供するジャーダックの活動が、少しずつ世の中に浸透しているようで、うれしい。
 二年前には、三重県内に一軒しかなかった賛同美容室もどんどん増え、私の住む市内にも複数ある。私かネットで検索してカットの予約をした店では、ヘアドネーション(髪の寄付)の協力者が、この一年半で私を含め四十人近くになる。このまま増え続け、髪を失いつらい思いをしている子どもたちとその家族に、笑顔を贈り届けられたらと願っている。”(5月23日付け中日新聞)

 三重県松坂市の主婦・小山さん(57)の投稿文です。髪を寄付する話は聞いていたが、このように投稿を見て実践された人がいたのだ。2年近く、このことを思って髪を切らずにおられた。女の人が髪を伸ばし続けるには、身だしなみのこともあってかなりの苦労があると思う。自分のために好きですることなら苦労とは思わないだろうが、人の為である。長い髪が鬱陶しと思う人もあろう。ボクなどは男の短い髪を更に短めにしている。そしてこのジャーダック活動は広がっているという。こういうことに関心を持つ人が増えているのだ。人助けになるならやってみようという人も増えている。優しい人が増えている、良い社会である。投稿文が生きている。ボクの「話・話」もどこかで生きていないだろうか。




2016/06/06(Mon) (第2281話) 女高生の話 寺さん MAIL 

 “母の日の前日、ショッピングモールは買い物客でにぎわっていた。買い物を終え、下りのエスカレーターに乗ると、すぐ後ろに2人の女子高生が乗ってきた。1人が「お母さんへのプレゼントはお花に決めたの」と話すと、もう1人は「私はあまりお母さんと仲良くないので何もしないつもり」という。するとお花をあげるという女子高生が「ダメだよ。感謝しなけれは。私たちが今、生きているのはお母さんが産んでくれたからなんだよ」とはっきりした口調で言った。エスカレーターを降りた時、そっと後ろを見ると、スカートを短くしたいまどき女子高生だった。母親がしてきてくれていることを意識しながら、きちんと見ているのがわかり、なんだかほっとした。
 我が家の離れて暮らす息子たちも独り身になった私を心配して、時々、様子を見に来てくれる。猛暑が続くと「お母さん、生きている? 安否確認だよ」と電話をしてくれる。地震や台風の時も同様に。優しい息子たちとその家族がいることで、私の方も幸せをもらっているのを感じた。翌日の母の日、宅配便で息子から真っ赤なバラが届いた。”(5月23日付け朝日新聞)

 埼玉県越谷市の主婦・鈴木さん(79)の投稿文です。母の日のプレゼント、するのかしないのか。その家の習慣にもよろうが、好きな母なら問題はない。嫌いだったらどうするか。高校生である。いろいろ反抗する時期である。自己が芽生えいろいろ批判もする。考えがストレートに出る時期でもある。その時意見を言う友がいる。この時期友達の影響は大きい。親より友達でもある。こういう友がいるかいないか、これが一生を左右することもある。友は自分で選ぶことができる。そういうことに気づいて欲しいものだ。
 さて父の日はどうだろうか。この女高生は父にも同じ配慮があるのだろうか。「私たちが今、生きているのはお母さんが産んでくれたからなんだよ」という。でもお母さんだけでは子供は生まれれないのだ、育たないのだ。そのことが分かってくれているだろうか。5月21日の中日新聞に第一生命が行っている「サラリーマン川柳ベスト10」の今年の作品が載っていた。その4位に【娘来て「誰もいないの?」オレいるよ】と言うのがあった。これが父と娘の関係だ。ボクも似たようなものだ。2位は【じいちゃんが建てても孫はばあちゃんち】これも同じだ。父の日こそもっと大切にして欲しいと想うのは男のひがみであろうか。更に第1位は【退職金もらった瞬間妻ドロ−ン】である。こうならなかったボクはまだよかったと言えようか。




2016/06/04(Sat) (第2280話) 自宅開放 寺さん MAIL 

 “私の住む岡崎市には、世界に誇る「自然科学研究機構」がある。そこには世界中から大勢の科学者たちが、家族と共にいらしている。しかし、市民との交流はほとんどなく、隔離された宿舎と研究所との往復だけで、帰国されてしまう方がほとんどだと聞いていた。せっかく縁あって岡崎にいらしたのにもったいないと思い、私は毎月、自宅を開放して「世界の家庭料理と日本文化の交換パーティー」を始めた。私は50歳と若く、未知への挑戦だった。初回から大盛況で、毎回三十人を超す出席者で、百回までは一度も休まずに続けた。六十七力国から延べ三千人が、わが家の玄関を入ってくださった。
 全く日本語の分からない小中学生を、下校後に二、三人ずつ預かってホームステイさせ、日本語と日本文化を特訓し、近所の子どもたちと一緒に学校に通わせた。その子たちも三十歳を過ぎ、今や世界中で大活躍している。”(5月22日付け中日新聞)

 国際交流という課題で、愛知県岡崎市の主婦・三橋さん(77)の投稿文です。毎月、自宅を開放して「世界の家庭料理と日本文化の交換パーティー」を始めて100回、67ヶ国3000人を招いたという。こんな話を聞くと、町の中には全く凄い人が住んでいるものだと改めて思う。英語は苦手、ツアーで外国へは行くが国際交流となると全くダメなボクである。こんな話には唸るだけである。ボクは英語が話せないと言うことから外国人を避けてきた、逃げてきたと思う。これが世界を狭くした。何かきっかけがあればまた違ったかも知れない。でも逃げていたらその機会は訪れない。典型的な悪さである。この話にもただ紹介し感心するだけでコメントはできない。汗顔の至りである。




2016/06/02(Thu) (第2279話) おじいさんとカフェ 寺さん MAIL 

 “飯田線の東栄という駅には、花祭りの鬼をかたどった駅舎に小さなカフェがある。コーヒーを飲みながら耳を澄ませば、ウグイスの鳴き声も楽しむことができる。そんなカフェでまどろんでいた春の午後、電車からおじいさんが一人、にこにこうれしそうに降りてきた。そして店に入ってきて、私の前に座った。「いらっしゃい。常連さんなの」とママが言った。
 話を聞けば、おじいさんは毎日、豊橋から電車に乗り、一時間半かけてこの店にやってくるのだそうだ。そして一杯の?コ−ヒーと会話を楽しむと、次の上り電車で帰って行くという。休業日も忘れて来てしまったこともあると、皆にからかわれていた。
 「どうして、わざわざこんな遠くまで来ゐの」と尋ねてみた。するとおじいさんは「昔、この町で働いていたもんで懐かしくてのう」と、満面の笑みで言った。こんな幸せそうな顔の人は見たことがない。生きることを精いっぱい楽しんでいるように見えた。
 一時間もすると、上りの電車がやってきた。おじいさんは私の手を力強く握ったあと、ママに見送られながら電毎に乗った。車窓から、どんな景色を眺めているのだろうか。幸せのお裾分けをしていただいた春の午後だった。”(5月21日付け中日新聞)

 愛知県東栄町のパート・伊藤さん(女・58)の投稿文です。毎日1時間半電車に乗ってコーヒーを飲みに来る。そんな生活もあるのかと驚く。恋人や会いたい人があってなら分かる。そのコーヒーに特にこだわりがあるというのならこれも少しは分かる。が、どうもこの町が懐かしい、この町で時間を過ごしたいと言うことらしい。乗車券も片道1000円近くかかる。こんな人もあるのか、こんな生活もあるのかと驚く。
 飯田線はボクも年に数回、仕事のために途中の新城まで乗る。山間部を走っていく単線である。すれ違いのための待ち時間も結構多い。のんびりした路線である。ボクは乗ると何となく窓外を見ている。ゆったりした時間が過ぎる。時折のボクにはいい時間である。さてこれが毎日となるとどうだろうか。今のボクには少し考えがたいが、でもよく考えてみれば至福の時間であろう。こんなゆったりした時間が持ちたくて、若い時にあくせくしたのではなかろうか。ボクは喫茶店ばかりあるモーニングコーヒーの地域に住んでいる。そのボクが連れがあれば行くが、未だ一人で行くことはほとんどない。悪い時間とは思っていない。一人で過ごす時間があっていい。活動するだけがすべてではない。メリハリであろう。このおじいさんの生活をもう少し考えてみたい。


 


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