2016/05/01(Sun) (第2263話) 思い出の合唱 |
寺さん |
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“私のいる老人ホームに、市内のコーラスグループが訪れた。服装はそろっておらず、赤ちゃんを抱いた女性もいた。素人の合唱だから、プロ並みの演奏は無理だろうと思っていた。しかし、聴くうちに次第に引き込まれていった。そして、古い昔の記憶がはっきりとよみがえった。 私は名古屋大理学部の職員、大学院生からなるコーラスグループにいて、仕事の合間に練習した。バリトンに所属していたが、私の浪花節のような声を聴いたプロの歌手が、発声など基本を教えてくれたことは大助かりだった。他学部も含めた八つのグループの合同発表会が決まった。二百円のチケットを売っった記憶がある。バス代が二十円のころで、二百円は決して安くはなかったが、チケットは売り切れたようだ。プログラムが終わったときは、割れんばかりの拍手を受けた。私の研究室の女子学生が言った。「女性指揮者がそっと涙をふいていたわ」。そうだろう。長期間、たくさんの出演者を統率し、指導してきたのだから。 あの興奮を今も覚えている。録音テープももちろん残してある。見事な合唱だ。あれだけ練習したのだから、当然といえば当然だ。この時、私は二十七歳。甘酸っぱく、楽しい青春時代だった。“(4月14日付け中日新聞)
金沢市の金沢大名誉教授・関崎さん(74)の投稿文です。少し個人的係わりもあって紹介します。 青春を思い出す、思い出す青春がある。関崎さんは合唱の思い出を語られた。思い出の合唱があった。よかった。そこで関崎さんは長いこと合唱をされたのであろうか。ボクはこの文からそんなに長いことはなかったと推測する。それだけに思い出の合唱となったのだ。ボクもほんの一時期合唱団に入った。ボクは音楽音痴である。そのボクが合唱団に入り、半年後には初代会長になっていた。この話は過去何度も触れたが、ボクには一生を左右するほどの思い出となっている。この頃ボクは中年であったが、同じようなものである。 「私のいる老人ホーム」と言う言葉が気になった。職員でおられるのか、看られる側としておられるのか、どうだろうか。職員でおられたら「私のいる」と言う言い方は少し不自然の気がする。短い文はいろいろな推測を生む。 個人的係わりと最初に書いたが、実は関崎さんから毎年縁賀状を頂いていたのである。名前を見てすぐに気づき、妻に尋ねた。関崎さんのお奥さんとボクの妻が昔、まさに青春の頃同じ職場にいたのである。その縁があって年賀状が届いていた。ボクはお二人を知らない。妻に届く年賀状だけの縁であるが、その年賀状が独特でよく覚えている。家族4人が、それぞれ自分の近況を書いているのである。その内容が全く機知に飛んでいたのである。奥さんは数年前に亡くなり、それから届かなくなった。そして、見つけた投稿文で懐かしく思い出した。投稿文はいろいろな発展がある。
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