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第143号  2016年4月

 
2016/04/29(Fri) (第2262話) 学びの連続 寺さん MAIL 

 “「一年生」とは、入学初年度の児童・生徒や学生のことですが、技芸などを始めて日が浅いことの例えでもあります。そういう意味では、人は何歳になっても人生の一年生ではないでしょうか。なぜなら、毎日の生活の中に出会いや感動、驚きがあるからです。もちろん失敗や悲しみ、悔しさもあるでしょう。いずれにせよ、同じ日は二度とありません。ですから毎日を新鮮な思いで過ごすことができますし、毎日がピカピカの一年生です。
 私も一年生体験が続きます。三年前は還暦一年生でした。一昨年は実父の葬儀や相続の一年生でした。昨年はNPO勤務一年生でした。悲喜こもごもですが、新鮮な学びの連続です。「今が一番若い」という言葉がありますが、何歳であっても後からみればその時点が一番若いのです。この年齢で一年生であることに、晴れがましさを感じています。”(4月10日付け中日新聞)

 「一年生」と言う課題で、岐阜県可児市の団体職員・日比野さん(男・63)の投稿文です。「毎日がピカピカの一年生」という言葉に驚いた。こういう捉え方もあるのだ。確かに毎日、今日という日を迎えている。今日という日は今日始まる。初めて迎える日なら、迎える自分も一年生だ。一年生はピカピカだ。新鮮だ。新鮮な気持ちで毎日を過ごそう、と日比野さんは言われるのである。何か禅問答の気もするが、毎日を楽しく送る知恵に違いない。慣れて惰性の日々より、新鮮で何かを期待する毎日の方がいい。さて、今日は何があるか、いろいろ関心や興味を持って過ごしたいものだ。
 さてボクの今年の1年生は、何と言ってもがん手術後の尿漏れである。これは早々に卒業したいものだ。そして、十八日講の自主参加である。昨年は地元役員としての参加であり、1年の任期であったが、今年から個人参加で、この卒業は自分の意思にかかっている。どこまで続けるのか、続くのか興味がある。他にどんな1年生が待っているだろうか。




2016/04/27(Wed) (第2261話) がん講習 寺さん MAIL 

 “病院主催のがんセミナーに、夫婦で参加しました。義父がこの病院のホスピスで亡くなってから参加し、今年で七回目です。今年のテーマは「人生の苦楽をみつめる」。介護現場、医療者の立場から講演がありました。日常の喜怒哀楽の中でいかに生きるべきか考える時間になりました。二人に一人ががんになるといわれる現在、どのように健康を維持するか、病気になった時いかに向き合うか、病気になった家族など当事者をどう見守るか、など人生の大事なテーマを考えさせてくれました。
 六十七歳になり、前だけ向いてきた私たちも後ろを振り返ったり、周りを見回す必要があります。現在は健康ですが、検診を継続的に受ける重要性もあらためて教えられました。がんには見つかるタイミング、治しやすいタイミングがあるそうです。健康寿命を延ばすためにも、病気への向き合い方を日常からよく考えることが大事です。”(4月7日付け中日新聞)

 大津市の嘱託職員・川村さん(男・67)の投稿文です。自分ががん手術を受けたせいか、世の中、がんやがん情報に溢れている気さえしてくる。川村さんも身内の方のことから身近なものになられた。がんは、一昔前なら死に直結した。今では早期発見早期治療でかなり助かる。それでもその後の生活はかなり変わる。人生観も変わる。ボクの今の尿漏れなどは大したことではない。大変な人はいくらでもある。それだけにがん講習は大切である。その気になれば、こうした話を聞く機会はいくらでもある。ところが、これほど騒がれても自分のことではないと思う人も多い。無関心のままである。ある時突然不調を感じ、診察を受けたらがんです、と言われたときはもう遅いのである。これががんの恐さである。二人に一人といわれる時代になってきたのだから、すべての人が自分のことと思わねばいけない。若いからまだまだと思うことではない。若ければより大変だ。「がんには見つかるタイミング、治しやすいタイミングがある」と川村さんの文にあるが、それには常日頃からの関心が必要である。




2016/04/25(Mon) (第2260話) すてきな卒業式 寺さん MAIL 

 “三月十八日、小学校の卒業式を迎えるはずだった息子。A型インフルエンザにかかり、なんとか当日までには間に合うな、と思ったのもつかの間。式の四日前に、まさかの二度目のB型インフルエンザにかかるという事態に。息子は泣いて悔しがり、親もへこみながら学校へ卒業式欠席の連絡をしました。担任の先生も涙声で残念がってくださいました。
 翌日、先生が来てくださり、やはりきちんと送り出したいと三学期修了式に在校生の前で卒業証書授与を行いたいといっていただきました。学校の温かい配慮に感激、感謝しかありませんでした。
 そして当日、息子を含めて欠席した卒業生三人に、ミニ卒業式をしてくださいました。飾り付けもしてくださり、司会も、在校生からの贈る言葉も、校歌斉唱も本番と同じにしてもらいました。授与の時には式辞の代わりに校長先生が一人一人の頑張ったことを言ってくださり、とても思い出に残る素晴らしい卒業式になりました。
 みんなと一緒に卒業できなかったのは残念ですが、ステキな忘れられない卒業式をしてくださった先生方、在校生には、感謝しかありません。先生方、お世話になりました。本当にありがとうございました。”(4月6日付け中日新聞)

 滋賀県東近江市のパート・鷺坂さん(41)の投稿文です。大切な卒業式にインフルエンザで欠席とは、何とも無念であったろう。それを先生方の計らいで、忘れられないミニ卒業式になった。規則一辺倒ではないこんな配慮は本当に嬉しいものである。鷺坂さんの息子さんは、このことでより配慮の行き届いた人になるだろう。
 2月3月は、入試に卒業式にと人生を左右するような大きな行事が多い。今年ボクの中学3年の孫は高校の入学試験をうけた。第一志望にしていた入試の時、孫はインフルエンザに罹ってしまった。大騒ぎである。母親である娘が送り迎えをし、試験は特別室で受けた。面接も特別室であったようだ。体調が万全でないだけに、終えた後も不安一杯である。でも幸いに合格であった。もしこれが不合格であったらどういう思いになったであろう。元々不合格であったかも知れない。でもこの状態ではそうは思えない。病気のせいにする。親子の長年の苦労、努力が水泡に帰す。万全の状態で不合格なら頷きようもあるが、インフルエンザでは不遇を恨みたくもなるだろう。この先の人生を素直には進みにくくなろう。人生にこんなことはつきものと思うのにはまだ若すぎる。本当に紙一重であった。
 特別室で受けた人は15人くらいあったという。不合格になった人もあろう。2月3月はこのようにインフルエンザも、又大雪などもある。これは毎年のことである。もう少し時期をずらせないか、そんな議論はないのだろうか。




2016/04/23(Sat) (第2259話) 叱られない子 寺さん MAIL 

 “先月三十日付本欄「親に叱られる経験必要」に同感です。私は親に叱られたことがあまりありません。親が優しかったわけではなく、妹に手がかかり自由に育ったからです。
 もともと穏やかな性格で、けんかをすることも叱られたり怒鳴られたりすることもなく大人になりました。就職し上司に怒鳴られた時は胸がいっぱいになり、反論や疑問など何も言えず、涙をこらえるのが精いっぱいという情けなさ。今年五十歳になるというのに、冷たい言葉を投げかけられただけで泣きそうになってしまうのです。
 子どもたちは二人とも聞き分けが良く、ガミガミ怒る必要もありませんでした。兄弟げんかも全くせず、叱られることに免疫がないかもしれない・・・と心配になります。兄弟げんかをし、それを親が叱るのは、生きていくための大事な経験。二人の子どもたちは大人になりつつあります。社会に出て、対処していけるのか、とても心配です。”(4月5日付け中日新聞)

 三重県桑名市の主婦・遠藤さん(49)の投稿文です。最近の子供の指導は「褒めて育てよ」の一点張りである。言葉で叱ることもしない。体罰など与えようものなら大騒ぎだ。そんな中、遠藤さんの投稿文はいかがなものか。
 人様々、いろいろな考え方がある。しかし、小中学時代の子供の指導には何か偏りがある気がする。叱るより褒めるのが確かにいいかもしれない。しかし、一生叱られなくて済むものではない。それなら叱られる時の免疫力もつけておいた方がいい。社会に出れば順位がつくのはいつものことである。最近は実力にあった評価が進められているのでより順位はつく。負けることの免疫力も必要だ。運動などいろいろなことに順位をつけない、優劣をつけない。しかし義務教育を過ぎると突然、実力主義である。平等の学校からいきなり競争の社会では、くじける人も多かろう。ボクはほとんどすべてのことにほどほどが良いと思っている。良いと言われることでも徹底すると弊害が生じる。信念がない、場当たり的、優柔不断などと言われるかも知れないが、世の中は一律一辺倒ではないのだ。そこを一律一辺倒で当たれば、軋轢、争い、不都合も生じる。自分がすべてでもない。状況を考え柔和に判断する、これが良いと思う。




2016/04/21(Thu) (第2258話) 人生初めて 寺さん MAIL 

 “私、七十四歳、妻六十九歳。結婚してもう四十五年ほどになる。これまでの人生で、妻の誕生日を祝うことを、一度たりとも考えたことはなかった。贈り物をしたり、外食して祝ったりすることなども、私の心に思い浮かんだことはなかった。
 しかし、私が病気によって右足を失って、考えが一変した。短いのですが一昨年、3ヶ月間の初入院をした。その間、妻は片道二時間もかかるのにもかかわらず、毎日バスで病院へ見舞いに来てくれて、私の身の回りの世話をしてくれた。
 やがて、私はリハビリをする生活に入っていって、少しずつ普通の生活になっていった。そして今年は思い切って妻の誕生日を祝おうと決心した。まず外食をした。今までの私の人生では、とうてい考えられないことだ。さらに、妻の希望を聞いて、花もプレゼントした。彼女が以前から欲しがっていたアジサイを買い、手紙とともに渡した。「長年にわたる私の姿を反省し、これからはいまある健康を幸せに思い、この先も永く仲良く暮らそうね」妻の目からは、一筋のものが流れた。”(4月4日付け中日新聞)

 愛知県日進市の鈴木さん(男・74)の投稿文です。誕生日祝いもして貰うだけで、相手に誕生日があることさえ忘れている。と言うより意識にもない。して貰うだけで相手のことを全く考えない、本当に男というものは困ったものだ。そういうボクも似たようなものである。よくこれで40年以上やってきたものだ。しかし、鈴木さんは病気がきっかけでこの理不尽さに気づかれた。どうして気づかれたのかは分からない。感謝の念が気づかせたのかも知れない。そして行動に移された。ここが偉い。気づいてもしないことが多い。ボクはこれに近い。行動に移すか移さないか、ここは大きな違いである。鈴木さんは偉い。これで奥さんの長年の苦労も報われたというものだ。そこに一筋の涙があったのであろう。
 ボクも数年前から少しは違ってきている。花をプレゼントしたこともある。食事にもよく行く。今年は妻の誕生日など記念日に声をかけてみたい。先日男は退職後も妻のために家を出た方がいいという話があった。賛否両論いろいろ意見があった。ボクは今のところこれでは妻に貢献している。妻は昔通りの行動をし、ボクがいることで縛ったことはほとんどない。まだ会社に行っていることもあるが、会社を辞めてもボクの出かけたがり屋は変わらないだろう。変な弁解である。




2016/04/19(Tue) (第2257話) 退職後の時間つぶし 寺さん MAIL 

 “退職後は、趣味がない、運動をするほどの体力はない、草を抜くほどの庭もない、旅行する金も、ちょっとの金を稼ぐ技術もない。ないないづくしだ。仕方なく時間潰しに散歩をするが、不審者と思われないように、娘さんとも、幼い子どもとも目を合わせないようにしている。気楽な散歩にも気を使う。図書館は空調設備が整っていて、ありがたい。ただ、お目当ての読み物が重なると早い者勝ち。なかなか順番が回ってこないのがつらい。もともと静かに読書をするところで、話し合う知人が増えるわけではない。
 家でのひとり遊びはローカル紙の朝・夕刊と全国紙を読むこと。投稿欄は採用されなくても楽しい。もう一紙購読したいが、年金額からは、現状の2紙が最高のぜいたくだ。月曜日は図書館が休み。新聞の休刊日が重なることもある。休刊日は休肝日としたいが、出かける用事もないと実に一日が長い。ストレスがたまり、結果として2合酒になる。ぬれ落ち葉にならないか、妻の邪魔にならないか、気がかりだ。そんなことを思いながら、ふといつもの図書館で周りを見回すと、私と似た感じの人が目に付く。”(4月3日付け朝日新聞)

 宮島県松茂町の三原さん(男・73)の投稿文です。中日新聞の「300文字小説」ではありません。それと見間違うような話です。これは「男のひといき」という投稿欄からです。
 この話のようにないないづくしの人がどのくらいあるのだろう、気になるところである。例え趣味はなくても、あまりお金がなくてもボクみたいな農村地帯には比較的少ないと思う。土地はある。なくても家庭菜園程度なら借りられる畑はいくらでもある。少なくなったと言っても近所付き合いもある。これは我が地方の独特かも知れないが、モーニングコーヒーの文化もある。現に日課のように行っている人はたくさんいる。田園は散歩にはもってこいである。そして町中の人を考える。特にマンションなど高層ビルに住む人を思うと、退職後何をやっているのだろう、と考えてしまう。お金があり、趣味がある人はいい。またボランティアなどに関心を持つ人はいい。これらは誰にもある訳ではない。
 定年後のことを定年になってから考えるのは遅い。考えているだけでも遅い。定年後には本格的にできるように準備を進めておかなくてはいけない。自分のことを言っては恐縮だが、ボクは早くからウォーキングの会に参加し、定年になる年に一宮友歩会の活動の準備をし、定年後本格的に活動を始めた。そして10年、例回数は60回を超え、ボクの生き甲斐となっている。時には、ウォーキングなど何の能力も趣味もない人がすることだといわれる、もっともだ。ウォーキングなど何の技術も能力も要らない。趣味のない人はウォーキング会に参加するといい。話が大分それてきた。しかし、何事もその気がなければできないし、その気になればできるのである。




2016/04/17(Sun) (第2256話) 直虎ゆかりの地 寺さん MAIL 

 “来年のことを言うと鬼が笑う、といわれる。まさに来年のNHK大河ドラマに、私の住む浜松が舞台の「おんな城主 直虎」に決まりました。千載一遇の好機に、井伊直虎ゆかりの北区は盛り上がっています。そんな中、地元の新聞記者さんが北区だけではなく、西区にもゆかりの地がないかと探していました。あったのです。わが町、村櫛町にも井伊家始祖共保が育った志津城跡と、城主藤原共資の石碑が御山塚に。
 折も折、昨年の秋にウォーキング大会が催され、志津城跡、御山塚もコースに組まれました。草で覆われていましたので、事前に自治会役員で草刈りをしたのです。このことが中日新聞で大きく掲載され、反響を呼びました。「見たよ、読んだよ」と友人からの電話。歴史好きの人たちが見学に来たり、地元の人たちも足を違んでくれるようになりました。訪れた人が少しでも安全に歩けるようにと、さらに掃除をして、見違えるようにきれいになりました。
 歴史好きな夫は、かねて勉強をしたり、資料を集めたりしていました。見学に来た人たちに楽しそうに説明しています。久しぶりにキラキラと輝いている姿を見ました。”(4月1日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・松下さん(66)の投稿文です。直虎についても来年の大河ドラマについてもこの投稿で始めて知った。直虎とはどんな人か、この名前で女性なのか、調べて見ておおよそのことは分かった。気になったのは、昨秋のウォーキング大会がどういうきっかけで行われたかと言うことである。イ)ドラマが決まってのことか、ロ)ドラマを誘致しようと言うことで行われたのか、ハ)それとは全く関係なくたまたま合致したかと言うことである。ここらを知ると見方が変わる。いずれにしろ良いことである、嬉しいことである。特に地元の人が協力して事に当たると言うことが良い。ハ)の場合だと更に良い。イ)はほとんど場合あるし、ロ)も最近は良く行われている。それだけ大河ドラマは凄いのである。地域に及ぼす影響は計り知れない。
 愛知は信長、秀吉、家康の3英傑出身の地である。この時代のドラマの材料に事欠かない。過去に何度も扱われ、今も県は3英傑で活気を作ろうとしている。我が市も全く無縁ではない。そして捜せばもっと出てくるかも知れない。ウォーキング会の主宰者としては期待したい。




2016/04/15(Fri) (第2255話) 門かぶりの松 寺さん MAIL 

 “この冬、「門かぶりの松」を切った。昨秋ごろより松葉が徐々に黄色くなり、地面に落ちるようになった。枯れた松は早く取り除いた方がいいよと、近所の人たちが教えてくれた。だが決心がつかない。もう一度緑の葉を付け、元気な姿を見せてくれるかもしれない。しかし風の強い日、小枝が古い表皮とともに地面に舞った。残された枝に触れると、ポキポキと手のひらに。木々にも人と同じように限りがあるのだろうと思うと、見続けるのがつらくなってきた。
 先祖が植えたこの門かぶりには、春の鳥がやってきた。夏には涼しい日陰をつくってくれ、松ぼっくりはクリスマスの冬まで部屋をにぎわしてくれた。雪が舞う冬の朝には枝葉に真っ白い雪を載せ、絵画の世界を見せてくれた。こんな光景に心癒やされたに違いない先祖も、時に素直になれない私をも受け入れてくれた。家族と得た幸せは、決して夫と二人で築いたものではない。先祖の恵みをいただいての今があると気付かされた門かぶりとの別れの日。
 朝に夕に門の側でたたずみ、下を通る家族や先祖を見守り続けてくれた六十余年。長い間ありがとう。君の住所は残しておくねと、門かぶりの根元を残した。そして周りに花の種をたくさんまいた。”(3月31日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・小林さん(66)の投稿文です。松は日本式庭園の代表的樹木であった。いや、松がなかったらなり立たないくらいであった。そして、門かぶりの松は日本住宅の象徴であった。立派な家には必ずと言っていいくらいあった。いや、植えると立派に見えるのである。小林さんの家にはご先祖が植えられた門かぶりの松があった。その松も寿命であろうか、枯れ始めた。この松は小林さんの家を守り、見守り続けてきた。忍びなかったが切り倒され、名残として根元を残された。こうして先祖からのものがあると「先祖の恵みをいただいての今がある」と言うことを実感される。本当に先祖があって今の自分があるのだ。
 しかしながら、この意識は急激になくなり始めた。先祖を思う機会は法要や墓が一番身近であろう。法要は3周忌、いや1周忌で終えてしまう家もでてきた。墓も個人のものになり先祖代々の墓の存続は難しくなってきている。先祖を敬う気持ちはどうなるだろう。なくなっていいのだろうか。
 ボクの家にも門かぶりの松はある。でもこの松はボクの代になって植えたものである。そしてボクの代で消えてなくなるだろう。




2016/04/13(Wed) (第2254話) ヒガンバナの葉 寺さん MAIL 

 “春の陽気に誘われて、散歩に出かけた。菜の花やイヌフグリが咲き、周りの草も負けじと新芽をしゃんと立たせている。そんな中、あちらこちらに葉が倒れ込んでいる場所があり、何とも不釣り合いな光景に一瞬、戸感った。
 倒れ込んでいるのは、ヒガンバナの葉。子供のころ、花には葉がついているものだと思っていた私は、ヒガンバナはどこを探しても葉がないことが不思議でならなかった。あるとき球根ごと掘ってきて、家の近くに植えた。秋にそこへ行ってみると、スイセンのような葉が群生していた。ヒガンバナの葉だと母に教わり、ヒガンバナにもちゃんと葉があったのだと、妙に安心したのを覚えている。
 それからというもの、堤防を真っ赤に染める花もきれいだが、葉をいっぽいに茂らせて、寒い冬の間、球根に栄養を送り込んでいる頼もしい姿に、寒い冬が苦手な私はいつも力をもらっている。その葉が春になって、その役目を終わらせようとしているのだ。春は卒業の時期。ほっとする一方、役割を終えたようで寂しさを感じる親御さんもいるだろう。ヒガンバナの葉のように、大変なときも身を削って大切に育ててきたお子さんが、今度はどのような花を咲かせてくれるのか、ぜひ楽しみにしてほしいと思う。”(3月29日付け中日新聞)

 岐阜県揖斐川町の公務員・四井さん(女・57)の投稿文です。ほとんどの花は咲いている時には葉も活き活きとしている。しかし、ヒガンバナのように花が咲く時には葉が出ていないものもある。いきなり花が出てきて咲くのでびっくりする。「葉見ず花見ず」と言うらしく、葉は花を見ないし、花は葉を見ないと言うことでしょう。似たような花にコルチカムがあります。こちらはヒガンバナに比べ茎が短いのでいきなり花の感じです。わが家では隣同士に植わっていて、競演しています。ボクは名前も知らない花を結構植えています。最近では人から苗を貰うことも多くなっています。観察すると面白いものです。知識がもっと増えればもっと興味が湧くでしょう。花は良い、癒やしになります。もう少し栽培に精を出そう。
 春は卒業の時期と言われるが、あることを卒業するだけで、この卒業は次の出発でもある。孫の一人は中学生になり、一人は高校生になった。ますます輝いて欲しい。そしてボクは?・・・寂しきかな、である。




2016/04/11(Mon) (第2253話) そっと置かれた花瓶 寺さん MAIL 

 “無人駅となって久しい地元の駅は、すぐ先に海がある気持ちのいい場所だ。その改札口手前の待合室の一角に、6年ほど前から花を生けている。(中略)
 2月のある日、花の脇に花器が二つ置かれているのに気づいた。しばらくたつと、今度は三つの花器。お礼を言いたかったが、どなたなのか手がかりはない。「花器をありがとうございました。大事に使わせていただきます」とメモに書き、棚にピンで留めた。
 数日後、花の水を替えようとすると、メモの裏に何か書いてあるではないか。「この駅に来ることが楽しみになりました。引き続きよろしくお願いします」とあった。うれしかった。女性なのか男性なのか、お年もお住まいも分からない。でも花を生けることがお礼になればと思った。
 いただいた花瓶に今、庭のアミガサユリをさしている。陶器の深い緑のシックな色合いによく合い、気持ちも落ち着く。”(3月29日付け朝日新聞)

 神奈川県小田原市のパート・稲子さん(女・71)の投稿文です。無人駅に花を生ける、生けられた花を見た乗降客が花瓶をそれとなくプレゼントする。ささやかながらここにも良い話があった。お礼のメモに、またお礼の言葉が書かれていた。知らない中で無言のやりとりである。何かおとぎ話の気分になる。いつかお互い素性を知ることが来るだろう。その時またどんなドラマが生まれるか、楽しみである。
 駅一つにもいろいろな思いがある。ボクの最寄り駅には、ある団体が生けられる花が置いてある。何気なく見て通り過ぎるが、当事者には多くの努力がいる。担当を決め、花を用意し生ける。これを続けるのは大変なことである。している人の努力や思いに想像を働かせてみたいものだ。そうすればまた違った思いで見ることができる。




2016/04/09(Sat) (第2252話) 涙雨 寺さん MAIL 

 “その日は終日、雨だった。小さな駄菓子屋を始めて十三年、うれしいことがあった。店に出ると、少年が立っていた。私を見るなり「おじさん、ぼくを覚えてますか」と聞いた。「悪いけど覚えてないな」と答えると、突然「ぼく、三年前におもちゃのくじ、うそをついて持っていったんです」。少年の目には涙があふれ、声は震えていた。思い出した。当時「こどもクラブ」というくじがあって、その子はこれに熱中した。ところが、途中から当たりばかりが続いた。おかしいと思って、あとで捨てたくじ券を見たら、どれも外れだった。
 しばらくして落ち着くと、少年は「これをもらってください」と紙袋を差し出した。中には子供に人気のアニメ「ワンピース」のおもちゃが三つ。きっと小遣いをためて買った宝物だろう。少し迷ったが、受け取ることにした。そうしないとこの子の心の傷は、いつまでも消えないと思ったからだ。年がいもなく胸にこみ上げるものがあった。少年はほっとした笑みを浮かべた。そして「ありがとうございました」と一礼すると、降りしきる雨の中を小走りに去っていった。
 やがて四月、桜が満開のころには、あの子も中学生。今、少年の宝物は、私の宝物となって机の前に並んでいる。”(3月22日付け中日新聞)

 三重県東員町の自営業・森井さん(男・63)の投稿文です。店からものをくすねる、子供のいたずらではあるが窃盗である。れっきとした犯罪である。でも子供時代にこんないたずらは誰でも少しくらい思い出すことがあるのではなかろうか。ボクもある。問題はその後どのように対応したかである。知った親や大人がうやむやにしてはいけない。子供のことだからと甘くしてはいけない。はっきりと罪であることを教えねばいけない。この少年はどうしてこのように申し出たのであろうか。一人罪に悔い病まれ、思い切って名乗り出たのであろうか。それとも誰かの助言を受けたのであろうか。いずれにしても良かった。これでこの少年もノビノビこれからが生きられるだろう。
 ボクの娘が小学校低学年の時、文房具をくすねてきたことがある。それを知ってすぐに子供と共にその店に返すと共に謝りに行った。その後、家で体罰を加えひどく叱りつけたことがある。このことについてその後話題にしたことはないが、娘は記憶しているだろうか。ボクにはその加えた体罰がきつく、今でも思い出すことがある。




2016/04/07(Thu) (第2251話) 廊下は走るな! 寺さん MAIL 

 “当時、中学校は木造、トイレはくみ取り式。昇降口、渡り廊下には簑の子が敷き詰められ、歩くとガタガタ鳴る。その上、老朽化した廊下は知恩院級の鴬張りだった。チャイムが鳴ると、睡魔と授業から解放された生徒達の右往左往で廊下は大混雑。そんな中で、相撲、徒競走、馬跳びまで始まる。
 当然怪我も多く、生徒指導主任の担任は忙しい。「廊下は走るな、止まれ!」「コラー」が口癖である。職員室に呼ばれると、担任はまず「腕を出して」と脈を取る。「走ってきたな」指導の後、用件に入る。
 その恩師も十年前に定年退職された。頂いた賀状には「老化は、走るな、止まれ!」と指導を続けられている様子が書かれていた。先生、継続は力です!”(3月20日付け中日新聞)

 「300文字小説」から横浜市の森川さん(男・79)の作品です。気難しい話が続いたので、気分転換に紹介する。懐かしく、愉快な話で「300文字小説」とあるが、ボクには実際の話と思える。昭和20年代30年代の小中学校の校舎はこんなものであった。森川さんも懐かしく思い出しながら書かれたであろう。「渡り廊下には簑の子が敷き詰められ」とあるがボクらはざら板と言ったと思う。雨の日の廊下は全く運動場であった。「廊下は走らない」と注意書きが張ってあったと思う。皆走るから張ってあるのである。効果の程は知らない。そして時には、今なら大問題になりそうなくらいひどく叱られたものである。
 そして「老化は、走るな、止まれ!」がいい。まさにである。老化こそ止まって欲しい。ところはこれも止まらないのである。でも心がけで少しはゆっくりとさせることができる。走るな、スローで進めである。




2016/04/05(Tue) (第2250話) 防災袋の中身 寺さん MAIL 

 “玄関周りを片付けていた時に、二つのリュックサックに目がとまった。災害時に持ち出せるように、子どもの着替えや非常食などを用意してあったものだ。久しぶりに中身を点検して良かった。子どものオムツや着替えはサイズが合わなくなり、非常食は賞味期限が切れ、用をなさないものだった。半年に一回は見直しが必要だと感じた。
 東日本大震災から五年がたった。震災直後は非常事態に備えて防災に関する意識が高かったが、五年という歳月は感覚を鈍らせる。ならば、防災を日常に取り込めばよい。日持ちする缶詰や水、乾麺などを買い、古いものから日常生活で使って、また補充するロ−リングストックがよい。食材が循環するので、賞味期限切れの無駄がない。常に食材があるので、体調不良時や悪天候で買い物に出られない時も活用できる。難しく考えず、私が今できる防災に努めて生活していきたい。”(3月17日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の教員・堀内さん(女・34)の投稿文です。ここにも難しい話があった。災害時の備えは、どこかで起きた時に一時盛り上がるがいつともなく忘れる。数年に一、二度起きるようなことなことなら怠らないだろうが、数十年に一度か一生涯に起こるか起こらないようなことにいつも備えておくことは難しい。人間はすぐ忘れる動物である。それでも命に関わることである。おろそかにすべきではない。
 そんな中、堀内さんは一つの知恵を教えて下さった。非常食の賞味期限の話である。何年に一度見直すのではなく、常に使いながら入れ直していくのである。防災を日常に取り込む、と言われる。日常に取り込んでこそ本物にもなるのである。実はわが家では毎年行ってきたのである。半年か1年かは知らないが、妻は入れ替えていく。取りだしたものはまだ賞味期限が来ていないので、生活の中で使っていく。非常食用なので賞味期限はそんなに短いものではない。これで十分である。先日は乾パンを大分食べさせられた。これも防災訓練をしているようなものである。多くの地区で防災訓練の時に、その非常食を食べている話を聞く。そして新しいものに入れ替える。これを家庭でもすればいいのである。




2016/04/03(Sun) (第2249話) 感動の拍手 寺さん MAIL 

 “ある病院の一室で、ささやかな結婚式が行われました。そこは、余命短い六十二歳の女性の病室で、彼女の娘さんは夏に挙式を控えていました。夏まで生きることの難しい彼女のために、病院の先生、看護師さんたちが家族の背中を押して、急きょ企画してくださったそうです。
 眠っている彼女を囲み、羽織はかまの新郎、振り袖姿の新婦。花束を持ち、ごく身近な人たちで語り合い、彼女に話し掛け、式が終わりになったとき、呼び掛けにも反応しなかった彼女が手をたたいたそうです。拍手をしたのです。周りの人々の熱意が彼女に確実に伝わり、その喜びを表現できたのでしょう。最後の拍手を残して、十八日後、彼女は旅立ちました。
 親戚として葬儀に参列した私は、斎場に置かれた一冊のミニアルバムを開きました。病院での結婚式のスナップ写真に、看護師さんたちがコメントを添えて贈ってくださったそうです。周りの方々の温かい思いやり、彼女を最後まで見守ってくださった多くの方々の深い深い愛情があふれていました。この日、私は彼女に最後の「さよなら」と「ありがとう」を言うことができ、涙したのです。”(3月17日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・小野木さん(76)の投稿文です。娘さんの結婚式を控え62歳で命の幕を引く、そんな状況に周りの人の計らいで病室で結婚式をする、良い話ではあるが辛い話でもある。母親にとって娘さんの結婚式は最後の仕上げである。それを前に命がなくなる、本人にとっても周りの人にとっても辛いことである。眠った母親から拍手が起こったと言うから通じたのであろう。辛い中にも良い時間が持てた。良かったとボクも感激である。
 人の命に絶対はない。早く亡くなる人、高齢まで元気な人、寿命はあるが病気がちの人、様々でありその違いは大きい。でも宿命と受け入れねばならない。この歳になると家でも外でも病気の話ばかりである。家族を含めれば病気と向かい合っていない人はいないと言えるであろう。いろいろな例を知り、その時にうろたえないようにしておかねばならない。小野木さんの話しも良い例である。




2016/04/01(Fri) (第2248話) 腹話術 寺さん MAIL 

 “68歳で退職後、高齢者施設で話し相手を務めるボランティアを始めました。しかし、そこで気づいたのが、笑いがないことでした。和んでいただくために、腹話術を習って披露することにしました。すると、人形と私の掛け合いや、人形の表情の可愛さにひかれ、皆様笑顔に。その場に私が溶け込む大変良いきっかけにもなりました。
 相棒の人形は、熊のクーちゃんと、男の子の次郎丸くんです。彼らを交互に抱えて会話をしていると、知らず知らずに心が通い、人形が人形でなくなります。演技で悩んでいるとき、相棒に相談すると、「練習、練習!恥かいて、プライド捨てて!」。いつも厳しく、優しく励ましてくれ、一息つくことができます。「人形でホッとできるとは、ちょっと変わった男かな」と自分でも思います。
 そんな思いを持ちつつも、相棒たちと、ご高齢の方に笑いを届けることは、私の生きがいになっています。さあ、今日もマスクをかけて自転車に乗って、台本の練習です。人形役の高い声をだしながら、セリフを繰り返して覚えるために、私にはこの方法が一番なのです。”(3月13日付け朝日新聞)

 川崎市の西野さん(男・74)の投稿文です。退職後何をするのか、これは重要なことである。元気な人であればその先はまだ長い。今までにここで何度も話題にしてきた。西野さんは68歳で退職後、高齢者施設で話し相手を務めるボランティアを始められた。そして腹話術を学び始められた。この心意気は素晴らしい。何か一つでいい、こうした活動を始められたら本人にも、周りの人にも良い効果を及ぼすであろう。ボクの知人で落語を始められた人がいる。そして今ではグループを組み、施設を訪問されている。西野さんと全く同じである。人を笑わせる、良い老後である。尊敬する。
ボクは第2の勤めをしながら一宮友歩会の運営や地元役員などを引き受けてきた。今、手術の後始末で積極的な行動ができなく、時間を持て余し気味である。週2日の会社勤めも後1年の予定である。今まではこれでよかったかも知れないが、時間はもっとできる。その時に向かって再度考えねばと思う。ボクはまだ若い。



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