2016/03/12(Sat) (第2238話) 父の分まで |
寺さん |
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“十五歳の時、健康で丈夫な父が、無念にも事故死した。私と四人の弟妹、病弱な母を残して。中学卒業式の二ヵ月前、私たち家族の運命が一変した一日だった。学校で模擬試験を受けていると突然放送で呼び出された。帰宅すると、前日まで元気に仕事に出掛けた父の姿と同じ人と思えない、信じられない悲しい姿となっていた。 「かたしッ、これからどうするッ」「お母ちゃん、俺働くよッ」。泣きながら大声で叫んだまでは記憶しているが、後のことは全く覚えていない。高校進学は諦め、働いた。 あれから六十年、貧しかった生活の中で母を支えた五人は、それぞれの道を歩み、今日まで来られた。私たちは父の亡くなった年齢をとうに越し、私は母が亡くなった年齢まであと四年となった。父母は天国で見守ってくれていると信じている。”(2月21日付け中日新聞)
愛知県豊川市の川崎さん(男・75)の投稿文です。川崎さんは15歳の時、高校受験を前にお父さんの死で将来が一変した。進学をあきらめ働きに出る。人生、自分の思い描いたとおりに行く人もあろうが、そうはいかない人も多い。自分以外の人のことで、自分の将来が変わる。例えば毎日多くの交通事故が起きている。被害者になっても加害者になってもその事故で家族の生活は大きく変わっているだろう。前回の「話・話」のような病気で家族の生活が変わる場合もあろう。こんな人が毎日どれだけいるであろうか。こう考えると、平穏に生きられると言うことは非常に恵まれた人なのだ。 実はボクも父の交通事故で将来が変わった一人である。ボクが中学1年生の秋、父が青果市場へ野菜を運んでいるときに交通事故にあった。生死をさ迷ったが、2ヶ月ばかりで退院した。ボクは百姓の長男である。当時百姓の長男は百姓を次ぐのが一般であった。父は当然そう考えるし、ボクも何の疑問も感じず、当然と受け止めていた。ところがこの入院中に、父は疑問を覚えたのである。ボクは田舎の優等生であった。先生などは「高校へ入れてやって下さい」と日頃から言っていた。そんな中で、こんな零細農業を息子にやらせていていいのか、この事故がきっかけで考え直しを始めたのである。そして、ボクは高校へ行き、大学へも行くのである。川崎さんと反対になった。描いたとおりに行かないと言うことは同じである。ただボクの場合、その後も良い方へ良い方へと展開したのである。
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