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第142号  2016年3月

2016/03/30(Wed) (第2247話) 遅くなったね 寺さん MAIL 

 “娘が小学生のころ、友だちのひな祭りに招かれ、帰宅した後、「私の家は狭いから、おひな様飾れないネー」と、ひとことつぶやいた。「そうやね」と答えながら、子どもの気持ちを思うと切なかった。
 その後、娘がおひな様について話すことはなく、年月は流れたが、私の胸の奥にはずっと残り、ひな祭りの季節ごとに思い出していた。自分の年齢を考え、今しかないと心に決めて先日、人形店に向かった。
 店内を見て回りながら、満開の桜を背にした一対の内裏びなの前で足を止めた。白いお顔にふっくらとした頬と、かすかに笑みを含んだ口元がどこか娘の面ざしに似ていて、迷うことなくそれを選んだ。
 店員さんに「お子様のお名前と生年月日を教えて下さい」と聞かれて一瞬、言葉に詰まってしまった。昔の娘との会話のことを話した。すると、店員さんは涙ぐみながら「さぞかし喜ばれることでしょう。大切にお届けいたします」と、優しく応対して下さった。
 78歳の母から、今は東京で暮らす53歳の娘の元へ。娘からすぐに「びっくりしたよ。ありがとう」と電話があった。大きな荷物をおろせた気がした。”(3月12日付け朝日新聞)

 岡山市の事務員・林さん(女・78)の投稿文です。いつの話かと、再度読み返したことである。78歳の母親から53歳の娘さんへひな人形を送る。孫へ送るとか、ひ孫へ送るというのなら時折あろう。そんな話なら分かる。それが、自分の娘の小学生の頃のことを思い出し、40年以上もたってから送るのである。ひな祭りの頃になるといつも思い出されていたのである。大きな荷物を下ろせたと言われる。母親というものはこんなものかと、感慨深く思う。店員さんが涙ぐまれるのも分かる。親をおろそかにしてはいけないのだ。良い話だ。
 わが家のひな人形については、二女が生まれた時に親王飾り一対を買い求めた。当時はまだ5段、7段飾りのものがほとんどで、親王様だけのものは一般には売っていなかった。そこで親王様だけを製造元で売って貰った。お金もなかったし、家も狭かったからである。そして40年、未だかってわが家に飾っている。今年も飾った。娘に娘ができたのだが、持って行ってくれない。家が狭いからではない、興味がないのだ。昔ながらの行事は廃れる。時代は変わっていくものだとは思うが、ボク達には寂しいことである。




2016/03/28(Mon) (第2246話) 礼状 寺さん MAIL 

 “二月のある日、娘が結婚を決めた相手を連れてきた。娘にぞっこんだという、娘より二歳下のソイツはびしっとスーツを着こなしているが、男性というより男子という感じに見える。でもまあイケメンの類いだし、脱いだ自分の靴をそろえ直していたし、ふん、まあ良しとするか。
 和室で柔和に笑う夫の遺影と向き合ってもらうと、たいた線香で前髪を焦がしそうなくらい深くお辞儀をした。ふん、まあ良しとするか。勧めてもすぐには膝を崩さなかったし、娘と末永く仲良くして家庭を守ることを誓ったし、娘の兄とも歓談できていたし、出したお茶もきれいに飲み干して帰ったし、娘を話題にするときも名前を呼び捨てにしないで、さん付けだったし、ふん、まあ良しとするか。
 五日後、思いがけなく男子から手書きの礼状が届いた。書式の誤りがいくつかあるのと、文字の小ささが小心につながるように思えて気になるが、誤字脱字はないし、ふん、まあ良しとするか。
 秋口には早くも初孫が生まれるというフライングに、私の胸の奥では怒りがくすぶっているが、そのことも真っすぐな目でわびていたし、何よりも二人が幸せなら。ふん、まあ、良しとしよう。”(3月9日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・野田さん(54)の投稿文です。何がと言う訳ではないが、痛快な話しぶり、いや書きぶりだからの掲載である。野田さんのあっけらかんとした言いぐさや文章が面白い。喜びも感じられる。嬉しさの照れ隠しの感じもある。でもなかなかこうは書けない。いい親子になられるだろう。
 娘が結婚相手を連れてくる、親にとっては重大事である。嬉しいような、憎らしいような複雑な気分であろう。ボクも娘2人で2回経験した訳であるが、今となるとんとんと思い出せない。その時はいろいろあろうが、うまく行けば思い出すこともできない、そんな類いのものであるのだ。うまく行けばである。それが離婚などと言うことになれば、その時のことが鮮やかに浮かぶのではなかろうか。あの仕草にすでに問題があったとか、もっと厳しく言えばよかったとか、更にはもっと強く反対すればよかったとか、いろいろ浮かぶのではなかろうか。人間とかくうまく行ったことは忘れるものである。




2016/03/26(Sat) (第2245話) 俳句絵手紙 寺さん MAIL 

 “絵手紙を始めて五年の年月がたちました。思い返してみれば、孫のひと言が私の背中を押してくれたきっかけになったように思います。嫁が縁あって仕事に復帰することになったので、二人の孫は私が世話をすることになりました。塗り絵が大好きな年長の孫は、いつも色鉛筆やクレヨンで上手に色付けをして、仕上げておりました。「晃ちゃん、うまいね」と声をかけ、私も一枚塗りました。「ばあちゃん、上手だよ」とほめてくれました。
 その言葉に気を良くした私は、絵手紙教室に申し込みました。思ったようには描けず、色の出し方も分からず、悩むばかり。そんな折に「ヘタでいい、ヘタがいい」という言葉に出合い、また続けることに。描いた絵手紙は、姉妹や友達に出しました。でも最近は「腕が上がったね」とも言われるようになりました。「継続は力なり」を実感しています。
 昨年度ぐらいから、これも好きで続けている俳句も一緒に書いて「俳句絵手紙」を実行しています。暖かくなってきて、草々が芽吹き、花が咲きます。よく見て、描いて、一句を添えて、春の絵手紙を発信したいと思います。”(3月7日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の大野さん(女・70)の投稿文です。絵手紙か・・・ボクも一時期気持ちが動いたが、今のところそのまま終わっている。大野さんは孫の言葉で気持ちが動き、絵手紙教室へ通われることになった。そして5年、今ではその絵に俳句をつけて俳句絵手紙になった。きっかけが孫の褒め言葉だったというのが面白い。孫の言葉は宝物だ。
 ボクの気持ちが動いたのは、川柳に絵を付けたいと思ったからである。今は写真や素材集の絵に川柳を載せている。毎月ホームペ−ジのトップページに載せているものだ。絵にしたら更に面白いと思った。しかし、今のところ思っただけで終わっている。思うだけなら誰でもできる、悔しくないのか!と書きながら、ふと気づいたことがある。先日パソコンにインストールしたアプリに、お絵描きがあった。少し試したら、意外に描けるのである。あれが活用できないか・・・挑戦してみよう。「ヘタでいい、ヘタがいい」のだから。
 そして、今月の川柳連れ連れ草で早速に試みた。そして、簡単にできたのである。後は絵の訓練である。楽しみが増えた。このきっかけもまさに大野さんの投稿文である。「話・話」バンザイである。




2016/03/24(Thu) (第2244話) ハラハラが好き 寺さん MAIL 

 “「子どもが歩き始め見守ったとき」「成長して受験し合格を祈ったとき」「娘の結婚で私の手から相手の男性ヘバトンタッチしたとき」ハラハラした時間を思い出します。若いころはハラハラした自分にも体力があり元気でした。
 長い時を経て年を取りました。夫の脳の手術、私の胃がんの手術、さらに孫の心臓の手術など、ハラハラする原因は健康に移り変わってきました。
 でも「ハラハラ」という言葉は好きです。ハラハラしているときは気付いていないかもしれませんが、心に活力がある証しだと思うのです。心に元気があるから、いろんな事態を鋭敏にキャッチして、いろいろ考えるのだと思います。もし最初から諦めていたらハラハラしませんから。どんなことでも年代に関係なく、波乗りを楽しむようにハラハラを自分の歴史をつくる一つだと思って、この先頑張っていきます。”(3月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(78)の投稿文です。「ハラハラ」という課題での投稿である。ハラハラが好きという言葉にびっくりした。普通ハラハラは嫌いなものである。ハラハラしながら待つ気分は全くうんざりである。しかし、小野寺さんの「諦めていたらハラハラしません」という言葉に納得です。期待しているからハラハラする。心に活力があるから、という言葉にも頷く。考えて見れば一生の間にどれだけのハラハラを繰り返してきたことか、裏返してみればそれだけ楽しみがあったと言うことである。本当にものは思いようである。
 先日孫が高校受験をしました。インフルエンザに罹った状態で受験しましたので、ハラハラして発表を待ちました。そして合否発表の日、なかなか連絡がなくハラハラしましたが、見事ボクの母校に合格してくれました。孫がボクの母校に行く、良かった嬉しいですね。楽しみを与えてくれました。




2016/03/22(Tue) (第2243話)  きらきら参観日 寺さん MAIL 

 “「じいちゃん、ばあちゃん、早く来てね」この日は孫の参観日。パパ、ママが仕事で行けないため、私たちが参観に行くことが多い。孫は特に、二時間目の体育の授業を張り切っていた。縄跳びである。前跳び、後ろ跳び、駆け足跳び、片足跳び、交差跳び、あや跳び、と。このごろ家でも一生懸命練習していた。
 体育館で見る一年生の子どもたちは、とってもきらきらしていた。こちらがびっくりするほど上手な子どもたちもたくさんいた。孫は前跳びと片足跳びに挑戦した。「どうか頑張って、力を出せますように」と心の中で手を合わせた。結果は両方とも真ん中ぐらいであった。夫は「あれだけできれば、たいしたもんだ」と平然としていた。
 学校から帰った孫は「緊張しちゃった」と悔しそうであった。いいところを見せたかったのだと思って「頑張ってえらかったよ」と声をかけると、表情が少し柔らかくなった。
 午前中、学校で立っているのは疲れる。でも「じいちゃん、ばあちゃん、早く来てね」と待ってくれている孫がいることは、幸せである。どんな姿でもいい、次の機会が楽しみである。”(3月1日付け中日新聞)

 岐阜県御嵩町の主婦・丹羽さん(女・70)の投稿文です。最近のこうした参観日は参観する人が多く、ごった返しているようだ。両親を始め、祖父母である。時には両方の祖父母が来ることもあるようだ。すると一人の生徒に参観する人が6人である。嬉しい悲鳴であろう。いい時代だ。誘われたじいちゃんばあちゃんは楽しみであろう。こうしたことができるじいちゃんばあちゃんは至福の時である。こうしたことができない人も多い。
 ボクには孫が2人、2人4人いるがどちらも両親は揃って行っているようだ。でも、二女の方は娘婿が小学校の教師で、行事が重なることが多く行けないことも多いようだ。妻は誘われると楽しみによく行っていたが、ボクは運動会以外ほとんど行ったことがない。でも今年の2月、小学4年の孫の2分の1成人式に出かけた。掛け合いで思い出を発表するなどいろいろな趣向が凝らされている。そして一人ずつ、将来なりたいことについての発表があった。普段見られないしっかりした姿に驚いた。孫の知らない姿が見られたし、ボク達の時代にはなかった催しに行ってよかったと思った。じいちゃんばあちゃんは孫に楽しみを与えて貰って感謝しなければならない。




2016/03/20(Sun) (第2242話) 粋な贈り物 寺さん MAIL 

 “高校生の娘が、珍しく私にプレゼントをくれた。いったいなんだろう? まな娘からのプレゼントに胸をときめかせながら包みを開けた。出てきたのは100円ライター。それには「このライター、使い切ったらたばこやめます」と書いてある。
 周りから再三「やめろ」と言われてもやめなかった。ただ、娘だけが何も言わなかったので、唯一の理解者だと思っていた。だが、それは私の思いこみ。娘も本当はやめてほしかったのだ。翌日、娘の前で断言した。「これ、吸ったらやめるよ!」
 30年間の喫煙生活にピリオド。私は最後の1本に火をつけると、思いを込めてゆっくり、ゆっくり味わった。「今までで一番おいしそうに吸ったね」。娘が笑いながらそう言った。
 あれから5年、今ではたばこの煙が大の苦手。こんなにきっぱりやめられたことに、我ながら驚いている。かわいい包み紙の贈り物。開けると小さなライターに「たばこやめます」の文字。これには心動かされた。父親というもの、やはり娘には弱いのだ。粹なプレゼントに感謝である。”(2月28日付け朝日新聞)

 長崎県南島原市のセラピスト・末吉さん(男・55)の投稿文です。「このライター、使い切ったらたばこやめます」と書かれたプレゼント、本当に賢い娘さんだ。ただ止めよ止めよ、止める止めるだけでは止められない。それがたばこらしい。ある程度許して止めさせる、こんな賢い娘さんに父親の末吉さんも止めない訳にはいかなかった。参る訳だ。そしてこんな投稿になるのだ。
 ボクのたばこは学生時代にほんの数本かじっただけであるので、全く吸わなかったと同じである。家族は誰も吸わなかった。娘婿達も吸わない。全く無煙の家族である。そんなこともあってか、たばこ吸いは好かない。だいたい吸わない人への気遣いが足りない。町中はたばこの吸い殻だらけである。ごみ拾いの活動もたばこの吸い殻を拾っているようなものだ。先日、名古屋女子マラソンの前日に沿道のごみ拾いをしたが全くたばこの吸い殻だらけであった。自分はそんなポイ捨てはしたことがないという人も信じない。受動喫煙の方が害は大きいと知ってますます憤慨である。たばこ吸いの方も昔に比べ気遣いをするようになったとは思うが、まだまだ足りない。吸わない人の立場で立ち振る舞って欲しい。




2016/03/18(Fri) (第2241話) 親切な道案内 寺さん MAIL 

 “先日、雪が積もり、私は初めて電車で登校することにしました。しかし、乗ったことのない路線だったため、乗り場が分からなくて困っていました。高校の三ヵ年皆勤を目前に、絶対遅刻するわけにはいかない、次の電車に乗らないと間に合わない、でも時間がない、とパニックに陥り、泣きそうでした。
 そんなとき、前を歩いていた若い男性がわざわざ来た道を戻ってきて「どちらへ行かれるんですか」「それなら、この道を階段のある方向へまっすぐ行くと、分かりますよ」と細かく教えてくださいました。その男性のおかげで無事、時間通りに登校することができました。違う意味で涙があふれました。
 私は、その日のことを一生忘れないと思います。同じように困っている人に出会ったとき、私は手助けができていたか考えさせられました。彼のように周りをよく見て、そういう人がいたら、手助けができるようにしたいです。”(2月26日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の高校生・熊谷さん(女・18)の投稿文です。3カ年皆勤すると誓って通学してきたことが、最後になって怪しくなった。そんなとき助け船を出してくれた人がいる。感激であろう。幾つになっても思い出すであろう。そしてそんなときは優しい気持ちになる。いい体験をされた。若い時の体験だけに生かされる期間も長い。
 ボクは先日「人生で起こること すべて良きこと」と言う本を読んだ。なかなかこうは素直に思えない。しかし、「人生で起こること すべて深い意味がある」には素直に納得がいく。ボクは今、大分改善されたと思うが、まだ尿が垂れ流し状態である。これに意味があるだろうか。あると思えばあるのだ。昨日まで知らなかった辛さがある。この世の多くの人はこの辛さを知らない。ボクは知ってしまった。知ったことに意味がある。苦しむ人の気持ちが少しは理解できるようになったろう。「人間は死ぬまで生きている」という言葉もあった。ふざけるなと思える言葉であるが、生きていて死んでいる生き方の人もある。生きているなら生きているような日々を送らねばいけない。
 最後は大分年老いた話になってしまったが、熊谷さんには本当によい出来事だった。




2016/03/16(Wed) (第2240話) いとこ会 寺さん MAIL 

 “立春が過ぎた二月の土曜日に、母方のいとこたちが集い「いとこ会」を開きました。母は九人きょうだいで、母を含めて五人が亡くなっています。その子どもたちは、上が七十五歳、下が五十歳で、総勢二十八人です。母たちが仲の良いきょうだいだったので、子どもの私たちもいとこ同士で親しくしています。
 一年ぶりに会って、食べて飲んで話して笑って、そんなみんなの顔を見ていると、似てないようでやっぱりどこか似ていて、ああ血がつながっているんだなとあらためて思います。
 昨年のいとこ会で、最年長のいとこが「自分たちの親は誰ひとり悪く言われなかった。みんないい人だった。それは、祖母がそういうふうに育てたからだ」と話してくれました。遠い昔に亡くなった祖母から、温かい贈り物をもらったような気がしました。
 今年のいとこ会では、最年長のいとこから「みんなに会えて幸せだ。みんながいとこで良かった。このいとこ会をずっと続けていきたい」という言葉がありました。私も、母がつないでくれたこの絆を大切に、来年も笑顔でみんなに会えるように、誠実に過ごしていきたいと思います。”(2月25日付け中日新聞)

 静岡県磐田市の会社員・円山さん(女・57)の投稿文です。総勢28人のいとこ会とは羨ましい限りである。どういう形にしろ親族が親しく触れあうというのはいいことである。最近は一般はもちろん、親族でも会う機会が減っている。昔を思い起こせば法要はもちろん、盆正月、祭礼など機会を見つけて集まったものだ。以前は法要と言えば何十回忌も行ったものだが、最近では7回忌、家によっては3回忌で終わる場合も聞いている。そういうボクも、今年は母親の7回忌であるが、これ以降は全くの身内だけにしようと思っている。
 昨年はボクの体のことで中止にしたが、一昨年前まではわが家に25人以上が年1回集まっていた。妻の兄弟家族が皆集まるのである。ボクの家族だけでも10人。最年長者はボクでほとんど皆来る。来ることになっていた。今年はどうなるだろう。こうした話を聞くと続けたい気がする。




2016/03/14(Mon) (第2239話) 案内板再考を 寺さん MAIL 

 “大学で観光まちづくりを学び、卒論で岐阜県中津川市の馬籠宿を調査してきた。中津川市は馬龍宿のような歴史的景観が多く残り、豊かな自然に恵まれた古里である。そして馬籠宿は最近は年間五十万人以上が訪れている観光スポットだ。しかし今回、実際に中山道を歩き回り、たびたび残念な思いをした。道中にある案内看板が朽ち、風化し文字が読めないものが多くあったからだ。
 これでは観光客にとって道が分かりにくく、中山道の美しい景観を十分に楽しむことができない。近年は外国人観光客も増加しており、日本を代表する街道の一つとして大きな問題だ。今後中山道が、中津川市が世界に語る観光地になることを望む。そのためには、まず朽ちて倒れている案内看板などは直したい。多言語化での情報発信など、馬籠宿のユニバーサルデザインも推進する必要がある。私も市民として、その活動を企画していきたいと強く願っている。”(2月25日付け中日新聞)

 岐阜県中津川市の大学生・林さん(男・22)の投稿文です。いいことを投稿して頂いた。ボクも常々思い、言ってきたことである。説明板の設置や改修など他のことに比べれば大してお金のかかることではない。特にすでに設置してあるものの古くなって読めなくなったものは速やかに対処して欲しい。担当部局の関心のなさが知れる。大したことではないが効果は大きい。ボクなどウォークで各地の史跡などを訪ね歩いているものにはこうしたものを見ると全く残念な思いに駆られる。そして少しでも多く設置して欲しいと思う。現地に今は何もなくても説明板や標識だけでもあると全く違う。
 最近ではQRコードの設置など大きな費用をかけている団体もある。作るときに熱心でも作ってしまえば終わりという場合が多い。一つには役所の職員配置に問題もある気がする。作るときに熱心だったが職員がまもなく転勤となってしまい、後任はすでにあるものに無関心と言うことがあると思う。組織として対応して欲しいものだ。




2016/03/12(Sat) (第2238話) 父の分まで 寺さん MAIL 

 “十五歳の時、健康で丈夫な父が、無念にも事故死した。私と四人の弟妹、病弱な母を残して。中学卒業式の二ヵ月前、私たち家族の運命が一変した一日だった。学校で模擬試験を受けていると突然放送で呼び出された。帰宅すると、前日まで元気に仕事に出掛けた父の姿と同じ人と思えない、信じられない悲しい姿となっていた。
 「かたしッ、これからどうするッ」「お母ちゃん、俺働くよッ」。泣きながら大声で叫んだまでは記憶しているが、後のことは全く覚えていない。高校進学は諦め、働いた。
 あれから六十年、貧しかった生活の中で母を支えた五人は、それぞれの道を歩み、今日まで来られた。私たちは父の亡くなった年齢をとうに越し、私は母が亡くなった年齢まであと四年となった。父母は天国で見守ってくれていると信じている。”(2月21日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の川崎さん(男・75)の投稿文です。川崎さんは15歳の時、高校受験を前にお父さんの死で将来が一変した。進学をあきらめ働きに出る。人生、自分の思い描いたとおりに行く人もあろうが、そうはいかない人も多い。自分以外の人のことで、自分の将来が変わる。例えば毎日多くの交通事故が起きている。被害者になっても加害者になってもその事故で家族の生活は大きく変わっているだろう。前回の「話・話」のような病気で家族の生活が変わる場合もあろう。こんな人が毎日どれだけいるであろうか。こう考えると、平穏に生きられると言うことは非常に恵まれた人なのだ。
 実はボクも父の交通事故で将来が変わった一人である。ボクが中学1年生の秋、父が青果市場へ野菜を運んでいるときに交通事故にあった。生死をさ迷ったが、2ヶ月ばかりで退院した。ボクは百姓の長男である。当時百姓の長男は百姓を次ぐのが一般であった。父は当然そう考えるし、ボクも何の疑問も感じず、当然と受け止めていた。ところがこの入院中に、父は疑問を覚えたのである。ボクは田舎の優等生であった。先生などは「高校へ入れてやって下さい」と日頃から言っていた。そんな中で、こんな零細農業を息子にやらせていていいのか、この事故がきっかけで考え直しを始めたのである。そして、ボクは高校へ行き、大学へも行くのである。川崎さんと反対になった。描いたとおりに行かないと言うことは同じである。ただボクの場合、その後も良い方へ良い方へと展開したのである。




2016/03/10(Thu) (第2237話) 美術展に出品 寺さん MAIL 

 “「出してみようかな」去年の暮れに市の美術展の作品募集を見て、人前に出ることが嫌いな主人が言いました。「おっ、珍しい」と私は思いました。彼は三年前から木彫に取り組んでいるのです。
 八年前のお正月、脳梗塞で突然倒れ、「寝たきりになります」と医者から告げられた主人。五年間ぐらいは夫婦でお互いが分かり合えず、大変なこともたくさんありました。  三年前に木彫の先生に出会い、左半身まひの体で一生懸命に工夫しながら、木を彫り作品を作っています。今回は「右手」という作品を、大事な右手だけで彫り上げました。
 今回の美術展への初出品は、なんだか夫婦二人の病気に対しての一段落した気持ちが、彼を動かしたのかな、と感じました。賞には入りませんでしたが、これからの励みになったと思います。
 終わりのないリハビリと、感情のコントロールの難しさとの闘いは、まだまだ続きます。今のままの時間がこれからも続いて、たくさんの作品を作って楽しんでほしいです。
 本当は、作品の紹介文にひと言書きたかった私です。「これは右手一本で彫ったんですよ」って。”(2月19日付け中日新聞)

 愛知県豊明市の自営業・葛本さん(女・59)の投稿文です。また体の不自由な人の話になってしまった。今回はご主人の話を奥さんからの投書である。脳梗塞で半身不随になった人が、右手1本で木彫りをするのである。半身不随になった当初は引っ込み思案であったが、木彫りの先生に出会い、美術展に出品するほどに積極的になった。そんな夫を誇りに思っての投書である。
 最近は脳梗塞などで半身不随の人も多い。ボクに身近でも、小中学の同級生が50歳前に、娘婿のお父さんが60歳前に脳梗塞になり、未だ半身不随の生活をしている。この間、家族を含めて大変な生活だったろう。でもなったものはもういくら後悔しても元には戻れない。リハビリに努め、少しでも生活を改善するだけである。葛本さんは寝たきりになると言われながら、車椅子かどうか分からないが、木彫りができるまでになられた。いい手本である。生きているのだ。生きていれば生きている生活をしなければいけない。障害者は障害者なりに、健常者は健常者の生活をしなければならない。ボクも今は尿垂れ流しという不具者である。この間にいろいろ考えておきたいと思う。




2016/03/08(Tue) (第2236話) 掃除は「創自」 寺さん MAIL 

 “私の勤める学校のグラウンドや体育館は、夜間や休日ともなると大会や練習試合などで多くの方が出入りします。どなたが始められたのか、そのトイレには、かわいいリサイクルフィルムや袋に包まれたトイレットペーパーが増えていきつつあります。「本日は体育館を使用させていただきありがとうございます」「いつもお世話になっています。大会でトイレを使わせていただきます」と書いて自分の団体名を末尾に記したメッセージカードが添えられています。
 その施設を守るべく、愛校心を持ち、感心するほど黙々ときれいにしてくれる子たちがいます。わが校では掃除を「創自」と呼んでいます。校長先生の背中を見て、なんとごみを拾いながら登校してくる子たちもいて、頭が下がります。
 見えない相手への感謝や、施設や地域を守ろうと頑張る子たちの思いのこもった活動にエネルギーを得ます。私もその輪につながっていきたいと思っています。”(2月18日付け中日新聞)

 岐阜県郡上市の学校校務員・和田さん(女・53)の投稿文です。使わせて貰うグラウンドや体育館に感謝し、少しでもいい環境になるようトイレを綺麗にする。こんな団体があるのか。誰かの発想から始まったのであろうが、素晴らしい。使わせて貰うという発想がいい。ここにもう感謝の気持ちが現れている。この感謝の気持ちがこうした行動になる。元は感謝の気持ちである。
 掃除を「創自」と言う発想があるのだ。掃除は自らを創り出す。掃除やごみ拾いをしながら、自らを考える。そこに感謝と人に尽くすことを知る。ボクの「話・話」は一般の人の話がほとんどだ。かけ離れた人の話では参考にならないことも多い。いや、そんな人を参考にして間違いになる場合もある。身近な人の話だけに学ぶことは多い。




2016/03/06(Sun) (第2235話) 駅員の連携 寺さん MAIL 

 “先日、通勤で乗った名古屋市営地下鉄で感動した。桜通線で瑞穂区役所駅から乗ったのだが、私が乗った十二番ドアのすぐ内側に車椅子の乗客がいた。どこから乗ったのかは分からないが、吹上駅で下車する時、ドアが開くと同時に、駅員が車両とホームの間に車椅子用の渡り板を置いたのだ。車椅子の乗客は、それによってスムーズに下車することができ、他の乗客もスムーズに乗り降りすることができた。
 車椅子の乗客を乗せた駅で、駅員が「どこまで行かれますか?」と聞いて「吹上まで」との答えに、すぐ吹上駅へ「○○番列車の○○番ドアから車椅子の乗客を乗せた。対応よろしく」という連絡をしたのだろう。職員の車椅子乗客に対するグッジョブぶりに拍手。”(2月17日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・榊原さん(男・58)の投稿文です。非常に感動して書かれているが最近よく見かける風景である。一昔前を思うと隔世の感がある。それだけ係の人は努力をされてきたのである。バリアフリーの施策が図られ、体の不自由な人も町に出かけやすくなった。高齢化社会になり、車椅子や補助の必要な人が多くなったこともあろう。そしてよく見かけるようになった。優しい社会になったのだ。嬉しいことである。どの人もいつお世話になるかもしれないのだ。この地下鉄の職員のようにこうしたことに係わる人の理解は深まったが、全く無頓着の人も多くなった気がする。スマホなどに夢中で人のことなど無関心の人が多い。優先席にも全く躊躇なく座る。車内放送や注意書きなど全く気にしない人も多い。良くなった面もあるがまだまだである。




2016/03/04(Fri) (第2234話) がんなんかに 寺さん MAIL 

 “今や二人に一人が、がんになる時代。わが家も例外ではない。今から一年ほど前、離れて暮らす息子から突然メールが届いた。「舌の痛み、がんかもしれん」。以前から舌の痛みを訴えていたが、私も息子もただの口内炎と思い、病院にも行かずそのままにしていた。診断は舌がんで、一番進行度の高いステージ4。息子は高校一年生の時に上咽頭がんを患い、今回は二度目のがん宣告。手術で舌を全摘出したため、言語に障害が残り、食べる物もかなり制限される。
 自分だったら、この現実をどんなふうに受け止めただろうか。きっと自暴自棄になっていたに違いない。でも息子はいつも冷静で堂々としていた。落ち込んだり弱音を吐いたり、不安を口にしたりすることはなかった。どんなにつらく、苦しくても、いつも明るく前を向いて生きている息子を、私は諦りに思う。強い精神力で、これからもいろんなことを乗り越えていってほしい。息子よ、がんなんかに負けるな!”(2月17日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の会社員・近藤さん(男・42)の投稿文です。自分がガンに侵され、がんセンターに通い、がんに対する関心は一気に深まった。がんセンターに行けば老若男女を問わず患者で溢れている。がんセンターであるので、患者はほとんどがガンであろう。新聞などもがんの記事で溢れている。2人に1人と言われて、それも実感する。
 誰でも大変だが、特に若い人は大変である。これからの人生である。死ぬことも大変だが、生きることも大変だ。近藤さんの息子さんは、高校生の時から患ったと言われる。親が感心するほど冷静に受け止め、堂々としておられるという。内心はいかほどのものか、常に苦しみや葛藤があるのではなかろうか。でもそれを面に出さない。出さないことによって自分を保っている、間違っているかもしれないがそんな気もする。
 がんの症状は様々である。遅くなるほど大変である。早期発見早期治療である。ボクはまさにこれであった。ボクは実体験者として、これからいろいろな機会に話していこうと思う。




2016/03/02(Wed) (第2233話) 励まされた言葉 寺さん MAIL 

 “「落ち着いて、失敗してもいいから」。この一言は、どん底にいた私を引っぱりあげてくれたような気がした。同じ太鼓クラブの子の言葉だ。
 太鼓クラブに入ってすぐは、楽ふをなかなか覚えられなかった。太鼓の練習も勉強も頑張ろう、とやってみてもスムーズにできなかった。
 本番のときの練習時間に、なかなかたたけない私を見て、年下のその子が「落ち着いて、失敗してもいいから」と言ってぐれた。少しうれしかった。できないことが多かったのに、できるようになっていった。
 本番では、リズムよくたたけた。ミスもなくたたけたから、その子のおかげだなと思った。この言葉は、私の大切な言葉になっている。失敗したときは、すぐにこの言葉をとなえる。おかげで立ち直ることができた。いつまでも忘れられない言葉になると思う。”(2月13日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の小学生・小松さん(女・12)の投稿文です。小学生の投稿文です。年下の子からの言葉を素直に受け入れる。言う方も言う方だが、聞く方も聞く方である。素直なやりとりに感心する。こういう姿勢が大切である。「落ち着いて、失敗してもいいから」いい言葉である。この言葉は幾つになっても、どんな場面でも生きるだろう。失敗を恐れることが失敗を誘うことは多い。失敗をしてもいいと思う気持ちが平常心を保つ。小松さんは「いつまでも忘れられない言葉になる」と言われるが、本当に忘れないで欲しいと思う。この子との絆にも。


 


川柳&ウォーク