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第140号  2016年1月

2016/01/31(Sun) (第2219話) 初日の出 寺さん MAIL 

 “今年も近くに住む娘家族に誘われて、元旦に伊勢神宮に出かけた。下の孫も大学生になり車の免許を取得したので、四人で運転できるから楽になったわ、と娘。四日市が渋滞するからと、午前六時前に家を出る。まだ真っ暗だ。車の中でおにぎりの朝食を取りながら、一番手、下の孫の運転で名古屋高速、東名阪と進む。六時半ごろに東の空か少しずつ明るくなってきた。心配した渋滞もなく四日市に入り、青い空の下が紅色になってくる。
 娘が「去年は雪だったけれど、今年は晴れだから日の出が見られるといいね」と言う。七時ごろになって、お日さまが顔を出し始めた。
 後ろの席でのんびり外の景色を眺めていた私も、昇り始めたお日さまにくぎづけ。少しずつ大きくなり、ぽっかりと全体が出た。その美しいこと、まぶしく光り輝き神々しい。八十三年生きてきて、こんな素晴らしい初日の出を見るのは初めて。思わず手を合わせ、頭を下げる。
 ばあちゃんを乗せてるからと、助手席の婿に見守られて、アドバイスされながら慎重に運転している孫に感謝しながら、こんな素晴らしい初日の出が見られたんだもの、今年も皆にとって良い年になりますようにと祈る。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の伊藤さん(女・83)の投稿文です。時の流れに切れ目も節目もない、ただ淡々と流れるのみである。そこに人間は勝手に切れ目や節目を設けている。それは人間の知恵である。12月31日の日の出と1月1日の日の出は全く同じではないが、それ程違うものではない。しかし、見る人間にとっては大違いである。
 元旦の日の出を初日の出と呼び、始めて見る日の出のようにありがたく思う。83歳の伊藤さんは、こんな素晴らしい初日の出は生まれて始めてと言われる。そんなことはないはずだが、周りの環境がそう感じさせたのである。多分、素晴らしい初日の出を何度も経験されたと思うが、その時その時で味わいが違うのである。今年の初日の出の素晴らしさは今年しかない。人間とは良いものである。
 ボクも毎年、自宅から100mほど歩いた橋の上で見ることにしている。今年も素晴らしかった。思わず手を合わせるのである。人間がしていることなど理屈で追えば分からないことが多い。最近はそれを理屈で問い詰めるが多い。すると今までやってきたことが次々止めになっていく。止めになって新たなことを生み出せば良いが、それもしない。ボクの不安は募るばかりである。話がそれた。




2016/01/29(Fri) (第2218話) 「ド主婦」もリフレッシュ 寺さん MAIL 

 “昨秋の初めごろ、ほろ酔いの夫に「前から思っていたんだけど、最近、なんか100%ド主婦って感じになってる」と言われた。「ド主婦」という言葉にショックを受けたが、5歳と3歳の2人の子どもの育児と家事に追われる毎日。そう言われてもおかしくない状態に気づいた。
 続けて夫は「これから最低でも1年に4回くらい、舞台なりコンサートなり、外に出かける機会をもったほうがいいよ」と言った。そこで、思い切ってちょうど興味のあったクラシックのコンサートに、1人でおしゃれをして都内まで出かけることにした。夫は自分が言った手前、快く子どもたちとの留守番を引き受けてくれた。
 コンサート当日。海外の室内楽団が奏でるチャイコフスキーの曲などに耳を傾けると、不思議と心の中に泉がわき出るかのような感覚を覚えた。家族と過ごすのとはまた違った意味で幸せな時間。美しいものに触れることこそ、人生を豊かにするのだと気づいた。夫に「ありがとう」って言いたいな。みずみずしくなった気持ちで、コンサートホールを出て、家路を急いだ。”(1月7日付け朝日新聞)

 恵京都西東京市の主婦・木村さん(33)投稿文です。何と優しいご主人であろうか、その伝え方が面白い。主婦だから主婦専念する、これでいいのだが、主婦だと人前に出ることが少なく、自然になり振りをかまわなくなる。美貌も損なわれるであろう。ご主人には耐えられないことである。妻には結婚しても綺麗であって欲しい、これも夫の欲望である。それが「ド主婦」などという言葉になったのであろう。また、時には主婦から解放してあげたい、こんな気持ちもあったのであろう。こうして何十年と夫婦は続くのである。
 ボクが週2日ではあるが、会社勤めをしているメリットはいろいろある。その一つになる振りをかまうことである。元々服装には無頓着なボクである。人前に出なくなったらどうなるのだろう。うるさい妻がいる限り、それ程にはならないだろうが、いなくなったらそれこそ浮浪者である。人前に出るに服装身なりを整えるのは、基本的なことである。なり振りかまえば気持ちもキチンとする。このメリットは大きい。会社勤めが終わったら、その分より人前に出る機会は作らねばならない。地域活動に積極的に参加するのはその一つの手段である。




2016/01/18(Mon) (第2217話) あの笑顔に誘われて 寺さん MAIL 

 “高齢者の仲間入りをしてから毎朝、健康のために公園を散歩するようになった。ある時、散歩中の男性たちの話が聞こえてきた。「Yさんの笑顔は素詩らしいね」「あのおばあさんだろ? 世界一だな」どうやら、公園内の散歩ですれ違う女性のことを話しているらしかった。
 数日後、一人の老婦人が人にあいさつをしている横顔を見て、私はハッとした。「この女(ひと)だ」90歳くらいだろうか。白髪で少し背中が丸まったきゃしゃな人。小さな顔にたたえられた笑顔の何と愛らしいこと。恵比寿様と弁天様、さらにモナリザを足して3で割ったような・・・。刻まれたしわまでも可愛らしい。思わず声をかけた。「Yさんですね」
 男性たちの会話のことを話すと、照れながら、娘と同居するために関西から越してきたと教えてくれた。やがて私たちはほぼ毎朝、すれ違うようになった。あいさつをし、一日の無事を約束する。「あんたさんに会うのが楽しみなんよ」そう言われて、散歩を休むわけにはいかなくなった。寒くて眠い朝も跳び起きる。今の私にとって、Yさんが一番の健康法だ。”(1月5日付け朝日新聞)

 東京都三鷹市の主婦・浜根さん(66)の投稿文です。誰もが認めるそんなに素晴らしい笑顔というものはどんなものだろうか、本当に会ってみたいものだ。ほとんどの場合、笑顔に接して気分が悪いはずはない。嬉しくなる場合も多い。笑顔は明るい社会を作る。そう分かっていてもできないものだ。素晴らしい笑顔など一朝一夕にできるものではない。常日頃の優しい心がけと感謝の気持ちが作るのであろう。艱難辛苦を得た結果の場合もあろう。
 ボクも笑顔を褒められることがある。それは多分にお世辞であろうが、この歳になって渋い顔などもう必要ない。この歳まで無事生かさせて頂いて、安穏な生活もできる。感謝感謝である。ボクは今年の日記の年頭所感に「感謝と謙虚」と書いた。この気持ちを忘れなければ、笑顔は自然に多くなるはずである。




2016/01/15(Fri) (第2216話) 当たり前が大切 寺さん MAIL 

 “私は夏休み中に初めて手術をした。不安ばかりで、痛くて眠れない夜をひとり病院で明かすのはとてもつらいことだった。一日がとても長く感じられて、早く友達に会いたいと強く思っていた。
 そんな中、友達から一本のビデオが届いた。そこには私の所属している部活の部員が映っていた。一人一人、応援のメッセージを言ってくれていた。つらい時もそれを見て乗り越えようと思った。ビデオを見ていると「早く元の生活に戻りたい」という思いが一気にこみ上げた。
 手術から4ヵ月が経ち、退院して普通に学校に通っている。朝起きたら当たり前のように家族がいて、学校に行けば友達と「おはよう」と言い合い、授業でわからないところを教えあう。こんな当たり前の生活が、かけがえのないものになった。夏休み前より何倍もこの日々が大切になったのだ。
 入院中はたくさんの人が応援、協力してくれた。うまく体が動かなくて周りに迷惑をかけたし、これからもかけてしまうことがあるかもしれない。だからこれからもずっと周りへの感謝を忘れず、日常生活を大切 に生きていこうと思う。”(12月31日付け朝日新聞)

 千葉県柏市の高校生・海野さん(女・15)の投稿文です。前回の90歳の方の文に感心するが、この15歳の方の文にも感心する。入院手術の経験から、当たり前の大切さを知る。いろいろな人から親切を受け、感謝の気持ちも知る。若ければ若いほど体験から得た感動や知識は生きる期間が長い。嘆くより幸運だと思っていい。
 さてボクも数日後に入院手術である。どんなことが待っているのか、不安もある。どんな感想を持って帰ってこられるか、いろいろ想像もする。でもボクは70歳である。15歳とは違う。その違いがどうなるか。同じかもしれないし、違うかもしれない。ボクにはまだ期待し、待っている人がいる。ガンによる不安をなくし、張り切って社会に尽くすために手術をするのである。




2016/01/13(Wed) (第2215話) おだて上手の魔法 寺さん MAIL 

 “朝起きると、きょうも元気に起きられたと感謝の心で仏前に手を合わせる。老化が進み、何事も億劫になってきて、自分ながら情けなく思う日常だ。しかし、毎朝電話してくる神奈川に住む次女が、おだて上手で一日が明るくなる。例えば私が「きょうは天気がよいので布団を干して部屋の掃除をするの」と言えば、「うわぁ、一人で布団運んでさおにかけたの、すごーい。中に入れる時は転ばないようにね」。コレステロール、中性脂肪の値を報告すれば「私よりずっといいわ、長生きすることうけあいね」。「ぼつぼつ、パーマかけに行くから」には「きっと世界一の美人になるかもね」。思わず噴き出す。「けさの新聞の数独パズル、難しくてまだ解けない」。「もう一度やれば絶対解ける。今度会う時に競争するから、腕磨いといて」と乗せられる。
 「5年日記がもうすぐ終わるから、1年か3年にするか迷う」。「そりゃあ、10年日記に決まってる」。さすがにこれには乗らなかったが、奮発して5年日記を購入した。おだてに乗り、ウキウキする90歳。長男夫婦、犬1匹との平穏な暮らしに感謝し、電話でのエールにも力をもらう。”(12月30日付け朝日新聞)

 愛知県岡崎市の田村さん(女・90)の投稿文です。奇しくも前回と同じテーマになったようである。おだて上手とは、まさに褒め上手である。この文は90歳の女性が書かれたものである。しっかりしたものだ。そして、話の主人公は二女の方である。毎朝電話をしてくると言う。時折ある話ではあるが、よく読んでみると田村さんは長男夫婦と同居されている。時折ある話と書いたが、それはほとんど1人暮らしの場合である。この点に感心する。田村さんはこのような文を書かれるほどに達者であるが、それでも老いた親の面倒を見るのは大変である。この二女の方は、そんな長男夫婦を少しでも手助けしようという気持ちがあるかもしれない。思いやりあう良い家族である。
 田村さんがおだてに乗って5年日記を買われたのはまた良かった。10年日記でもよかったのではなかろうか。でも、10年日記だと書く欄が少なくなりますね。慣れた日記で正解でしょう。ボクは3年日記を使用しているが、後何冊買うことができるだろうか。田村さんにあやかりたいものだ。




2016/01/11(Mon) (第2214話) 「小さな親切」報道して 寺さん MAIL 

 “先日、用があって家内と二人で名鉄電車に乗って出掛けた。車内は少し混んでいて、私が腰を痛めているのを気の毒に思っていただいたのだろう、「代わりましょう」と親切に声を掛けてくださる人がいて、ご厚意に甘えて席に座った。
 テレビなどで見聞きする最近のニュースは、いじめによる自殺、ニセ電話詐欺、子どもや高齢者への虐待など、悲しい話ばかり。こんなニュースを毎日見聞きしていたら、日本ってこんな国なのか、と思ってしまう。
 しかし、席を譲ってくれたり、困っている人に声を掛けてくれたり、ボランティアで清掃したりと、ニュースには取り上げられないが、頭が下がるような人がたくさんいる。これら「小さな親切」の類いは、ニュースになることが少ない。地元の新聞やテレビ局は取り上げてほしい。わが国にはいい人がいっぱいいることを、もっと伝えてほしいと思う。”(12月16日付け中日新聞)

 愛知県東海市のアルバイト・山下さん(男・68)の投稿文です。ボクも山下さんと同じように良いニュースが少ない気がしている。ニュースとは新しい出来事のこと。それを知らせるのが報道。ニュースというと事件が浮かぶ。事件と言えば多くは悪いことである。仕方がない成り行きであろうか。でも悪いことのニュースが読む人に及ぼす影響はどんなものであろうか。警鐘になることがあるかもしれないが、ほとんどは興味本位であろう。他人の不幸を喜ぶことがあるかもしれない。良いことのニュースはどうであろうか。読む人を心地良くさせると共に、自分でもしてみようと思うこともあろう。与える影響は全然違うと思う。ボクのこの「話・話」は新聞から良い話を拾い上げている。ニュースから拾い上げることはほとんどない。見当たらないのである。
 話は違うかもしれないが、ボクは昔“公務員が良いことをしてもニュースにならないが、悪いことならニュースになる”と聞いたことがある。これでは公務員にやる気が起こらない訳だ。子供は褒めて育てよという。大人も社会も同じではなかろうか。あまり考えたこともないことを書きました。




2016/01/09(Sat) (第2213話) 阿弥陀堂 寺さん MAIL 

 “歩いて三分ほどの小山の山すそに阿弥陀堂があり、地域の方々が落葉掃きや草刈り、お供えの花の取り換えなどをして、いつもきれいにしてくださっている。御堂の屋根を支えている四本柱のうち、一本がシロアリ被害に遭ったが、取り換え作業をしている方がいらっしゃった。白く削られたヒノキの用材をほぞに入れ、上手に立ち上げて支え、防蟻剤を塗り、コンクリートを打ってきれいに仕上げられた。定年後に始めた大工仕事とのことだが、立派なもの。こうしたご奉仕が阿弥陀様を支えているのだと、感心させられた。
 健康でありますように、文芸の道がひらかれますように・・・と目標を決めて日参を欠かさない。余命一年の告知を受けたというのに、おかげさまで健康でそれから五年目の年を迎えることができそう。私の心の支えである阿弥陀様も、また誰かに支えられているのだと思うと、それもありがたいことである。”(12月22日付け中日新聞)

 愛知県半田市の矢浦さん(男・70)の投稿文です。阿弥陀堂や地蔵堂と言った祠はどのくらいあるのだろう。各地を歩いているボクは至る所で見つけ、その多さにびっくりする。特に古い街道筋には多い。そしてこれらの多くは今も地域の人によって守られている。まさにこれも日本の文化である。日本人の多くは無宗教と言いながら、神社や寺院に参拝し、小さな祠にも頭を下げ、森羅万象のすべてを敬う。一つの神や仏に執着しないだけである。
 先日ボクの近くで、敷地内の一角に祠のある家の方から相談を受けた。その祠には馬頭観音が祀られていた。その観音様に前掛けを掛けたいのだが、売っているところを知りませんか、と言うのである。早速インターネットで調べ、買ってあげた。そして今年の元旦には真新しい前掛けが掛けられた。そのことでその観音様について関心が向いた。今までそこに祠があるくらいの意識しかなかったが、よく見てみると、近郷の地域名が刻まれている。その家のものではなかったはずだ。しかしながら、その家の人は昔から花を立てられていたのである。粗末にできない、敬う気持ちからであろう。尊いことである。
 そしてボクの村には薬師堂という薬師如来を祀っているお堂があるが、ボクは今年度そのお堂管理の代表者をしている。今年に入って人と話していて、その建物が何だか知らない人がいる、と聞いた。早速説明板を作る検討を始めた。
 しかし、こういった日本文化は急激に捨て去られようとしている。数十年後にはどうなっているのだろう。




2016/01/07(Thu) (第2212話) 手作り公民館 寺さん MAIL 

 “四十一年間住んでいるこの町内には、自前の公民館がなかった。古くからの住民は、自分たちの公民館を持つのが夢だった。住居付きの作業所を譲り受け、公民館にする話が持ち上がった。長年の夢がかなうわけだが、築四十年以上たっている建物は改修工事が必須だった。
 予算のこともあり、できる限り自分たちの手で修理しようと決まった。早速ボランティアを募り、平均年齢七十歳となる住民が集まった。実にさまざまな経歴の持ち主たちで、建築、土木、電気、防災、彫刻、パソコン関係など、得意の分野で大活躍することになる。作業は、草木一本、石一つ動かすことから始まった。みんなの職入技に感服しながら、私も草刈り、ペンキ塗り、掃除など、自分にできることで輪に加わった。
 約四ヵ月にわたる作業で、公民館としての機能を持つ建物に再生された。
 この町内に、縁あって家を構えてくれた子育て中の若い人たちが増えつつある今、この公民館を大いに利用して、活気あふれる町にしてほしいと願っている。南向きの建物は、日当たり最高。みんなで日なたぼっこができる日を楽しみにしている。”(12月15日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の主婦・田岡さん(66)の投稿文です。手作りの公民館とは驚いた。こんな地域もあるのだ。こうして整備した公民館は愛着も一層であり、活用も進むでしょう。
 多くの地域に公民館はあります。でも活用はどうでしょうか。ボクの村にも公民館はあります。村の各種団体の役員会などに使うだけで、活用されているとは言えません。使わなくても電気水道などの維持費はかかります。もったいない気がします。ボクが町会長の時、このことを話題にしました。話題にしただけで、それ以上には進みませんでした。ボクの熱意も欠けていたのです。いろいろな活用案を持っていますが、時折話題にするだけです。地域との関わりが深くなっている今、機会を捉えてもう少し積極的にならねばと思っています。
 公民館が古くなって困っている地域も近くにあります。いろいろ話し合っているようですが、なかなか進まないようです。田岡さんのような場合もあります。また活用策も必要です。活用を考えている人が多くなれば熱意も違ってきます。公民館は地域コミュニティーの本拠です。十分に活用していきたいものです。




2016/01/05(Tue) (第2211話) 日めくり 寺さん MAIL 

 “大分市に住む娘から、日めくりカレンダーが送られてきた。先日、娘の家族とショッピングセンタ−に出かけた時のこと。カレンダー売り場に、日めくりカレンダーがあった。「欲しいな」と手にしたが、月めくりのカレンダーをもらっていたので買わなかった。その様子を娘が見ていたのだろう。
 幼いころ、私の家には日めくりカレンダーが掛かっていた。近くの商店が配っていたのだ。いつも元旦にカレンダーの真新しい表紙を父がめくって新年を迎えた。次の日から破るのは私の役目になった。
 毎日、日付の下に書いてあることわざを読むのが楽しみだった。「泣きっ面に蜂」「七転び八起」など・・・。誰よりも早く起きてそれを読むのが日課だった。そのおかげか、子供のころ、おばに「あんたは小さいのに、ことわざがようわかるねえ」と褒められたことがある。生活の中で知らず知らずのうちに勉強していたのだ。
 娘からもらった来年の日めくりカレンダーを、待ちきれずにめくってみた。故事、ことわざ、慣用句が書かれている。父母が生きていたころの懐かしい日々がよみがえってくる。”(12月19日付け朝日新聞)

 大分県別府市の主婦・伊藤さん(66)の投稿文です。日めくりカレンダーは、ボクにも懐かしいものになりました。今ではほとんど見かけなくなりましたが、昔はどこかの店がくれました。そして、ボクの家ではボクがめくる役割でした。伊藤さんが言われるように、日めくりにはいろいろなことが書かれていました。各種記念日や天候、太陽や月に出入り、そして故事諺などです。毎日見ているので自然詳しくなります。日本にはそんな文化があったのだ、と言う時代になりました。机に向かって行う勉強も大切ですが、生活の中で知る知識も非常に大切です。いや、生活の中で知る知識が生きていく上での基本でしょう。「(第2201話) 横井さんの創意」でも少し触れましたが、いろいろな知識も生活の基本ができての上です。日めくりにはその基本が多く書かれていました。毎日めくるのが面倒で使う人が少なく、また高価なので自然なくなったのでしょうか。復活して欲しい日本の文化です。




2016/01/03(Sun) (第2210話) 日本の手帳文化 寺さん MAIL 

 “中国から日本に来て一年あまりの間に、とても面白い現象を発見した。日本人はお年寄りでも若者でも、いつも手帳を携帯している。偶然に日本人の手帳を見たが、多彩な色でさまざまな予定を記入している。その時、外国人の私にとって、理解できなかった。「なぜ、スマートフォンがあるのに、いつも手帳を使うのか」「重いのに、毎日携帯するのが面倒くさくないの」と考えていた。
 日本人にとって、手帳はメモだけではなく、友達や家族の誕生日を思い出させてくれる上、毎日の生活を管理できるものだと分かった。日本人の真面目な性格によく似合っている。詳しく書いてある手帳を見ると、規則正しい生活が想像できる。手帳はさまざまな書き方がある。もし、日本人の手帳が全部読めるなら、きっといい体験だと思う。日本人の手帳文化は大変魅力的だと思う。私も日本人のように、うまく手帳を使おうと思っている。”」(12月15日付け中日新聞)

 愛知県長久手市の留学生・洪さん(男・23)の投稿文です。外国人から見たら日本の手帳はそんなにも感心するものであったのか、改めて知った。言われるようにほとんどの日本人は手帳を持っているだろう。ボクなどは当然持っている。手帳を見ないと先の約束ができない。ほとんど持っていると書いたが、今は若い人はどうだろうか。スマートフォンなどに書き込む人を時折見かける。手帳は持っていないのだろうか。一度若い社員に聞いてみたい。また外国ではどうだろうか。
 これも持っている人のほとんどがそうだろうと思うが、毎年同じ手帳を使うであろう。ボクも昨年と同じものを求め使い始めた。それは使い慣れているのが一番の理由である。毎年同じ店へ行く。そこへ行けば同じものが買えるからである。そしてボクの使っている手帳は、予定と実際の行動を書くページに別れている。これもほとんどがそうであろう。そしてボクの持つ手帳の特色は薄い別冊があるのである。この部分には毎年見たい事柄を書く。手帳が新しくなっても、その部分は前年のものを使う。そうすると書き直す必要がない。物忘れの激しくなったこれからはもっと手帳の価値が高まる。手帳の必要がない生活になったときは、人生終焉に近い時だろう。




2016/01/01(Fri) (第2209話) クリーンスタッフ 寺さん MAIL 

 “今朝、時間に余裕がありましたので、渋谷の駅ビルのマークシティのトイレに寄りました。トイレには誰もいなくて、7?8室あるトイレのドアが全部開いてガラ?ンとしていました。見るともなく中を見ながら奥へ進むにつれ、アララ…と驚きました。どの個室も、ちぎれたトイレットペーパーやゴミが散らかり放題です。みんな、どんな使い方をしているのか…と、残念な気持ちになりました。この時期の金曜や土曜の夜は、忘年会まっさかりで、通常よりも利用者が多いでしょうし、多ければ、それだけ汚れるのはわかりますが、公共の場の利用法を考えさせられてしまいました。
 出ようとしたとき、ちょうど、朝のお掃除のスタッフさんがみえたので、つい、「土曜日の翌朝は、たいへんですね?」とお声をかけました。おそらく、「ええそうですね?」などと受け止めてくれて、ご自分の仕事のたいへんさを少しなりともアピールするような言葉が返ってくるかと思っていたのですが、そのスタッフさんは、何事もなさそうにさわやかな笑顔でこう言いました。
 「土曜の夜は、利用してくださる方がたくさんいらっしゃいますから?♪」と。その笑顔には、「別にこんなことで驚かないですよ。私は、ただ、きれいにするだけです。利用者が多いということは、この商業施設のお客さんが多いということで、いいことなんです!」という言葉が見えるようでした。仕事に徹していることが伝わってきて、労うような言葉をかけたこちらが少し恥ずかしくなるような対応でした。さわやかでステキでした。”(12月13日付けメールより)

 明けましておめでとうございます。今年も頑張って続けていきますので、ご愛読の程よろしくお願いします。そして最初の話題はボクの身近な人からの活用です。
 ボクはもう長いことDMAと言うメーリングリストの会員になっているが、この文はその1人からの報告です。クリーンスタッフ、一昔前なら便所掃除のおばさんと言うところです。そのおばさんからこんな言葉を聞くのです。使命感と誇りがあるのでしょう。最近のトイレは本当に綺麗になりました。こうした人達の努力です。トイレのいたずらなど以ての外です。本当に綺麗に使いたいものです。立派な人でトイレ掃除をする話を時々聞きます。人のいやがる仕事を積極的にする、こういう態度の人が成功する確率は高くて当たり前の気がします。
 ここでDMAについて少し紹介しておきます。DMAは「中高年の人達のネットワークを拡大するグループです。今までの人生経験で養った知識や技術、また趣味の分野での知識を、皆さんで、相互に交換したり、井戸端会議のようにおしゃべりしたりしませんか?。多少の制約はありますが会費はありません。皆さんが主役です。メンバー全員で考えながら、少しずつグループを運営していきましょう。」とうたったメーリングリストです。2000年3月に発足しています。満15年を過ぎました。ボクは開設のまもない頃から参加しています。現在会員42名、投稿総数44000強です。こんなものそんなに続くはずがないと言っていましたが、スタッフの努力と中高年の良識でしょうか、ここまで来たのです。最近少し息絶え絶えの感もありますが、時折盛り返しますので、まだまだ続くでしょう。


川柳&ウォーク