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第138号  2015年11月


2015/11/29(Sun) (第2193話) お福分け 寺さん MAIL 

 “先日、私の住む市で「わたしのお福わけ」という市民参加の企画がありました。日々の小さな幸せ、楽しかったこと、うれしかったこと、感謝していることを作文で投稿し、幸せをおすそ分けするものです。
 私の二人の子どもも参加させていただきました。投稿作品は一斉展示され、無記名の作品の中から良かったものに投票します。低学年、中学年、高学年、中高生、一般、シニアと、それぞれの部門で投票します。私たち親子も「自分の作品選んじゃおうか!」と言いながら、一堂に会した作品を読んでいました。
 家族と食事すること、旅行、ご近所さんの親切、子どもへの母親の愛情、ささやかな幸せが並びます。漢字の読めない低学年の娘に、声を出して読み進めてあげました。思わず声に詰まる作品もあります。子どもたちと帰路に就くころには、分けてもらったたくさんの小さな幸せに満たされていました。”(11月3日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の主婦・森さん(48)の投稿文です。「お福わけ」という言葉があるのだ、良い言葉だ。知らなかった。良い日本語が忘れられ、次々新たなカタカナ言葉が現れるのは何とも残念である。日本人は今でも欧米の文化に憧れているのであろうか。もうそんなに卑下する日本ではない。自信を持って大切にしていきたいものだと思っている。
 さて森さんの「お福分け」の文は全くこの「話・話」に通じる。ボクのこのページは「伝えたい話・残したい話」として、「話、新聞記事、出来事・・・・などから、伝えたい話、記憶しておきたい話を書き綴っていきます」と冒頭に書いている。要は良い話を紹介したいのである。良い話を聞くのは、嬉しいし、また自分への教え、励みにもなる。始めてもう12年、2200話に近づいている。こんなことになるとは思ってもいなかった。最初の頃とは大分形も話題も違ってきたが、気持ちは同じである。人に読んでもらう形を取りながら、実は自分のためである。いろいろ教えられている。実生活に取り入れたことも数知れなかろう。そして、読者の皆さんにも良い影響を与えられたら、これに勝ることはない。まだまだ続けます。




2015/11/27(Fri) (第2192話) 免許講習でほろり 寺さん MAIL 

 “先日、運転免許証更新の講習を受けた。仕事の都合で1歳と3歳の息子を連れ、夕方の最終回の受講。警察署でベビーカーを押しながら何度も周囲に「すいません」と謝り部屋に入ると、すでに受講者で満員。ここで子どもをあやしながらの30分は、なんと長く感じることか。
 幸い、出口付近の席に案内していただき、周囲の方にまた謝りつつ席に着いた。「静かにね」と子どもに言って、折り紙を取り出すと、一見ぶっきらぼうな講師の先生が大声で「まずはスマホの音を消して」と、よくある注意を始められた。さらに大きな声で「今日はここに小さい子どもさんを連れたお母さんがおられます。この厳しい世の中で必死に子育てをがんばっているところです。子どもというのは声が出るものです。私は負けない大きな声でお話しするつもりです。どうぞ温かいご理解をお願いいたします。それでは始めます」と。
 力が入っていた肩を優しくたたかれたようで、涙がこみ上げ、それを見た息子が不思議そうな顔をした。新しい免許証を見るたび温かい気持ちになり、今日も安全運転で子どもたちを園に迎えに行く私である。”(11月2日付け朝日新聞)

 兵庫県姫路市の医師・大崎さん(女・33)の投稿文です。講師の方の気遣いも良いし、そのれをキチンと他の方に話されるのも素晴らしい。自分が気づき、注意を払うのはマアできることかもしれないが、言葉にして発言することはできそうでできない。必要なことは何事も言葉に出して伝えると言うことは大切なことである。
 日本人は言葉に出して言うことをきらい、あうんの呼吸や察することで解決を図ってきたが、どうも近頃はそれができなくなった。考えも大きく違い、共通の認識に立てない。共通の認識がなければ言葉で伝えるのが必要になる。日本の文化はいいと思っているが、残念ながら変わらざるを得ないことも生じてくる。




2015/11/25(Wed) (第2191話) 感動の歌声 寺さん MAIL 

 “近所の小学校から児童の合唱が風に乗って届く。高校時代を思い出して、また歌いたくなった。わが一年C組は、校内合唱コンクールに向け、ホームルームのわずかな時間を練習に費やしていた。
 初めはやる気が見られなかった男子も、徐々に声量を上げ、音程が安定してきた。女子は、より声に伸びが出て美しいハーモニーをつくる。担任を含め、次第にクラス全体が「優勝、いけるぞ」という雰囲気になってきた。
 しかし、学校にはなぜか、優勝は三年生のクラスから決まるという暗黙のルールがあるらしかった。私たちは納得がいかなかった。「だったらそんなルールは打ち破ろう」と結束した。みんなの気持ちが一つになり、私は初めて歌うことのすばらしさに気づかされた。
 臨んだコンクール当日。一年C組の歌う「大地讃頌」は小さな講堂を振動させ、聴く者の心に届いたようだ。盛大な拍手。奇跡は起こり、一年生のわがクラスが優勝した。絆は深まり、それから私たちは三年連続で優勝した。
 コンクールの歌がCDなどに収めて配られる今の時代と違い、あの時の歌声は二度と聴かれない。けれど、感動は何年たっても色あせない。願わくば「大地讃頌」をもう一度、友と合唱したい。”(11月1日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・柴田さん(44)の投稿文です。合唱好き、合唱に魅力を感じる人は多かろう。音楽音痴のボクにもその魅力は分かる。健康にもいい。こんな趣味を持つ人を羨ましく思う。
 音楽音痴のボクにも合唱の機会を持つことがあった。昭和63年、ボクの地域で第九を歌おうという企画がなされた。合唱大好きの同級生がボクを誘いに来た。男が足らないのだ、男なら誰でもいいという。こんな機会があってもいいだろうと、好奇心旺盛なボクはその誘いに乗った。そして何と言うことか、半年後には第九を歌う会の設立に参加させられ、300人近い会の初代会長になっていた。そして数年後、第九を歌う前にこの「大地讃頌」を歌うのである。この会長経験は楽しいような苦いような経験であった。でもボクの人生の大きな出来事になったのは事実である。




2015/11/23(Mon) (第2190話) 今でも「子ども会」? 寺さん MAIL 

 “「子ども会に行ってくるね」夫にそう言って出掛けることがある。六十五歳の今でも「子ども会」に行く。それは息子が小学校四年生の時に務めた、私たち子ども会役員のOB会のことだ。他の名称は考えず、思い出がいっぱい詰まった「子ども会」の名称で今も続いている。
 二十四年前、教職に就いていた私は、子育ての真っただ中に学校の仕事を持ち帰る慌ただしい毎日を送っていた。「子ども会役員なんてできない。決まったらどうしよう」と思い悩んでいたところに、役員は回ってきた。他の役員さんに助けられ、何とか任期を終えることができた。
 子育てが一段落してからも皆が現役で働いていた。OB会では、金曜日の仕事を終えた後、ばたばたと近くの温泉に一泊で出掛け、仕事疲れの体を露天風呂で癒やした。
 今では、それぞれに孫がいる年齢になり、ゆったりと旅行や時々のランチ会さえできる余裕がある。「子ども会」は、私が教職を終えた後の幸せな空間の一つになった。二十四年前、いやだと思っていた役員になったからこそ、こんなにすてきな人たちとの出会いに恵まれた。どんなことでも、幸せにつなげていける。その思いを強くしている。”(10月31日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の市外郭団体職員・岡本さん(女・65)の投稿文です。子ども会やPTA役員は大分以前から女性であった。働く女性が多くなるに従って引き受け手を捜すのが大変になっていった。多分そんな中で、岡本さんは引き受けられたのであろう。しかし、引き受けてよかった。別の世界が見られたし、その仲間が24年たった今でも付き合っている。幸せに繋がった。そんな話であろう。
 ボクの妻は、子供を産んで仕事を辞め、専業主婦となった。そして、2人の子供が保育園に入ってから高校を卒業するまで、どちらかの子の役員をやり、その間に地域の役員も入って来て、ほとんど毎年のように何かの役員をやっていた。専業主婦であったから重宝されたようである。その人達と今でも付き合い、月に何回となくお茶会などに出かけている。あきれるほどである。まさに若い時に築いた財産である。
 今では地域を始め役員の引き受け手がなくて、存続が困難になっているほどだと聞く。いや、聞くばかりでなくボクの身近でも全く同じである。でもボクは降りかかってきた役員をほとんど拒んでいない。やればやるだけの意味はあるのである。自分でやると言ったのではない、やってくれと頼まれたのだからやればいいのに、と思うボクは少し異質だろうか。




2015/11/21(Sat) (第2189話) 捨てられなかった 寺さん MAIL 

 “引っ越しを機に、終活を兼ねて身辺整理をすることにした。今まで処分する気になれなかったアルバムと、古い日記帳をどうしようかと迷う。七十冊のアルバムは、あまりに重く場所をとる。幼かった息子たちや、よそいきの顔で写っている昔の自分は、心の中にしまっておこう。思いきって数冊をごみ袋に入れると、残りのほとんどか躊躇なく捨てられた。
 問題は六十七冊の日記帳。十八歳から書き始めて五十年になる。リング付きの普通のノートを使ったので、飽きっぼい私でも続いたのだろう。市販の日記帳のように毎日書かなくていいし、気に入らないページは後からでも破り捨てられるからだ。混乱した気持ちを整理したり、うろ覚えの出来事を後から確認できたりと、日記に助けられることは多い。書き始めたころの日記を読んでみた。何もかもに自信が持てず、劣等感の塊だった。あれからいろいろとチャレンジしたし、それなりに楽しんだよと、当時の私に教えたくなる。
 そして、その時々、必死になっている私がいたという証しは、年をとったからこそいとおしく感じる。もう少し手元に置こうかという気がしてきた。”(10月30日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・星川さん(67)の投稿文です。投稿欄を見ていると、60代以上の高齢の方のものが多い。高齢者がそれだけ元気で意欲あるのは結構なことである。そしてどうしても「話・話」で取り上げる話題も高齢の方のものが多くなる。すると病気や終活の話になる。
 終活などという言葉はいつから使われるようになったのだろうか。気になって少し調べて見ると、平成21年頃かららしく、平成24年の新語・流行語大賞でトップテンに選出されたとある。まだ数年前のことである。人生の終わりのための活動などと言って、多くは整理と遺言などである。自分のためにするのではなく、残された人の為にするのである。星川さんなど平均余命までまだ20年以上ある。ボクでも15年ある。まだ自分のために生きる時間は十分にある。今までの思い出をそんなに簡単に捨てて良いのだろうか。
 しかしである。平均は平均として、この歳になるといつどうなってもおかしくない。病気、事故、認知症など生活が一変することはいくらでもある。五体健康であることは難しい。ボクもいきなりガンと言われたではないか。老化は確実に進んでいる。整理など一端することはして、その後を新たな気分で始めるのも一方法であろうか。




2015/11/19(Thu) (第2188話) 病を得て 寺さん MAIL 

 “タレント北斗晶さんが乳がんを告白されました。私も昨年の今ごろ手術をし、抗がん剤、ホルモン治療と続き、現在も治療中です。北斗さんの不安と悲しみを思うと、胸が痛みます。この世のものとは思えない苦しみから、逃げ出したいだけの毎日でした。
 経験してきた感情の種類が多いほど、つらい状況でも幸福感をもつことのできる心の強さが備わると、聞いたことがあります。確かに、病気になる前より今の方が、喜びと感謝を発見するスピードが速くなり、回数も増えました。そして、自分の人生にきちんと力と愛を注ぐことの大切さを知りました。決して強がりでも負け惜しみでもなく、今後の私の人生は病気になったことで、より幅広く深く美しいものになると確信しています。    北斗さん、同じ病気と闘っている皆さん、私たちだからできること、われわれにしか見ることのできない景色が必ずあるはずです。少しずつ心も体も元気になっていくと信じて年を重ねていきましょう。”(10月29日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・彦田さん(45)の投稿文です。ボクもガンを宣告され、何か一人前の病人になった気分であるが、こうした文を読むととてもではない。ガンと言っても様々、比較的楽な人もあるが、全く苦しくもだえている人もある。彦田さんはまだ若い、そして大変な苦しみの中におられるようだ。その人がこのように喜びと感謝の気持ちを書いておられる。「喜びと感謝を発見するスピードが速くなり、回数も増えました」と言う文にあっては驚きである。さらに「自分の人生にきちんと力と愛を注ぐことの大切さを知りました」と言う文にあっては尚更である。人間って素晴らしい!
 先日がんセンターへ診察に行ったとき、偶然中学の同級生に会いました。毎年6月に開いている同窓会にいつも来てくれていたのに、昨年は来てくれませんでした。ガンが発見され、余命はあと1ヶ月と言われたとい言う。発見されてから1年半近くになるが、大分元気になってきたという。ボクなどガン治療が始まったが、何の痛くも痒くもない。ガンの自覚症状など全くないので、全くの健康人である。本当にガンは様々だ。ボクの戦いは手術を受けてからであろう。手術も普通にうまくいけば、退院後はそれ程の苦痛もないようだ。うまく行くと信じている。




2015/11/17(Tue) (第2187話) ハゼに感謝 寺さん MAIL 

 “一年半前に主人は大病を思いました。現在は日々の生活が送れるほどに体力も回復していますが、私がいくら外出を誘っても断ります。そこで「二人で一緒に何かできることはないか」と考えました。
 「あっ、そうだ。三年前に行ったハゼ釣りに誘ってみよう」。こう思いついて声を掛けると、二つ返事でOKでした。「やった」と私は心の中で声を上げ、八月に近くの海に出掛けました。三年前の私は、餌のゴカイに触れませんでした。主人がセットしてくれた釣りざおを握り、釣れたときも針の外し方が分からず、迷惑ばかり掛けていました。
 しかし、今回は頑張って自分でゴカイを付けて、さおもセットしました。二人で三十匹を釣り上げ、私は楽しくて一日でハゼ釣りにはまりました。釣れたときの、ぐいぐいさおが引っ張られる感触が忘れられなくなりました。主人も、久しぶりの笑顔。その日からもう、数回出掛けています。
 釣ったハゼは家で二人でさばき、塩焼きやてんぷら、空揚げ、甘露煮、南蛮漬けなどにしていただきます。新鮮で本当においしいのです。自然の潮風の中で食べるお弁当もまた、格別の楽しみです。ハゼに感謝! 二人の共通の趣味ができました。”(10月28日付け中日新聞)

 愛知県半田市の主婦・太田さん(66)の投稿文です。60歳半ばを過ぎて夫婦共通の趣味を見つけられた。それもご主人の大病が元である。何が幸いするか分からないものである。ボクは昔から夫婦は、何もかも同じにすることはないが、趣味の一つくらいは共通のものを持った方がいいと言ってきた。何もかも同じにすれば息が詰まることもあろう。特に老後は一緒に過ごす時間が多くなる。違った趣味を持ち、別々の時間を持つことも必要だ。それぞれの体験の話ができる。それもうまくいく秘訣だ。また、全く共通の趣味がなくて、同じ行動や話ができないのもまずいだろう。ボクの家では35年続いている川柳がその一つだし、今では畑仕事も共通の話題になっている。
 先日ある本を読んでいて、「欲望」と「感謝」について書いてあった。欲望は向上の源となるし、感謝は幸せに繋がる。どちらが良いという訳ではなく、どちらかだけでは不足である。幾つになってもこの2つを上手に兼ね備えていくのが賢明のようだ。




2015/11/14(Sat) (第2186話) 「ありがとう」言える喜び 寺さん MAIL 

 “東海豪雨から十五年がたちました。当時、母は堤防が決壊した箇所の近くに住んでおり、三日間は水が引かず近づくこともできませんでした。一階が1m以上の高さまで浸水し、冷蔵庫や仏壇が泥水に浮くありさま。引いた後も片付けが大変で、毎日、妹と二人で頑張っても一向にはかどりません。厳しい日々でした。
 そんなとき、六人のボランティアの方が手伝いに来てくれました。床下にたまった泥も運び出し「家でこんなに働いたことがないよ」と男性。思いやりや優しさがないとできない行いに頭が下がりました。
 「ありがとう」と言われるのはうれしいですが、心から「ありがとう」と言えるのは一層うれしいことだと知ったあの日。人と人との温かい絆を強く感じ、心が豊かになりました。ボランティアの皆さんを一生忘れません。ありがとう。”(10月25日付け中日新聞)

 名古屋市の岡本さん(女・78)の投稿文です。「ありがとう」と言われるのはうれしいことですが、「ありがとう」と言えるうれしさという言葉はあまり聞いたことがない。「ありがとう」という時の多くは困っているときに親切を受けた時である。ありがとうと言うものの、困っていたことが解消するだけである。マイナスがゼロになっただけである。プラスになった訳ではない。でも、ありがとうと言えるときは本当に嬉しいことなのだ。少し見方を変えると感じ方も全く違ってくる。芯から喜びを感じる心情を持ちたいものだ。
 東海豪雨は本当に大変だった。この地方の人は誰もが大小の違いはあるが、被害を受けた。堤防が切れた場所の方は本当に大変だった。あれから河川改修などの対策はかなり進んだ。ボクの家の前にも川があるが、堤防を乗り越え田は一面の大池になった。今ではかなりの雨でも水の引きは早い。でも安心はできない。常日頃から災害への心がけが大切である。




2015/11/12(Thu) (第2185話) 2人で一人前  寺さん MAIL 

 “どちらが病気になったとしても質が良い介護ができるように、11年前の夏に妻と2人そろってホームヘルパー2級の資格を取りました。幸い2人とも大病もせず、元気に過ごしています。見舞いに出かけることは多いですが、一度も見舞われたことはありません。
 妻は今月で75歳になり、後期高齢者の仲間入り。今年の地区敬老会には間に合いませんでしたが、来年からは夫婦そろって招待される予定です。
 4、5年前には2人で認知症の講座を受講して、サポーターにもなりました。どちらが先になっても、対処の仕方は理解しているつもりですが、幸いにして2人ともその兆候がないことを幸せに思います。
 12年前、地区の役員を終えた後、男女共同参画推進員になって活勤したことが、相手を思いやるいたわりの心を育んだものと自負しています。男性が家庭での役割を分担することで、家庭の和が保たれることを知りました。食事の後片付け、残り物の保存、掃除、ごみ出し、風呂洗いなど日課にしています。いつも「2人で一人前」の気持ちで、協力し合っています。”(10月18日付け朝日新聞)

 静岡県伊豆の国市の馬場さん(男・77)の投稿文です。共にホームヘルパーの資格を取るなどできそうでできない、素晴らしい。夫婦相和しの見本のような良い夫婦である。夫と妻、どちらが倒れ、どちらが認知症になり、どちらが先に逝くか解らない。どちらがそうなっても困らないように共に知識や技能を備えておく。賢い!本当に70歳も過ぎれば2人で一人前である。情けなくなるほどである。本当にこれからこそ一心同体であらねばならない。
 男女共同参画推進員などというものもあるのだ。良い機会を得られた。男女が、夫婦が助け合うのは当然である。共に同じことをすることもあるし、できないことを補い合うこともある。ボクの家では外仕事など妻ができないことが多すぎる。どうしてもボクの仕事になる。それで家庭内のことは妻になってしまう。役割分担ができてしまう。ボクが先に逝ってもらっては困る、と妻いつも言っているが、ボクこそ妻が先に逝ってもらっては困る。料理洗濯掃除など全くしたことがない。でも安心している。女は弱そうでも強いのだ。




2015/11/10(Tue) (第2184話) 母との思い出 寺さん MAIL 

 “実りの秋が来ると、しきりと亡き母のことを思う。私の古里は岐阜県の山村。家は養蚕のほか、和紙をすいて生計を立てていた。畑は桑の木がほとんどだったが、野菜も家族が食べるだけは栽培していた。
 小学五年生のころだったと思う。母とサツマイモを掘りに行った。その時、とても不思議なものを目にした。畑の隅に、クリの実が埋めてあったのだ。近くにクリの木はないし、人家もない。誰が何のためにと思ったら、不思議でならなかった。母に尋ねると「それはカラスの仕業だよ」と、あっさり教えてくれた。そして芋掘りの手を休めて話し始めた。
 「カラスは拾ってきたクリの実を、集めて土の中に隠しておく。そのときの、空の雲を目印にするんだ」と。そんなばかなと思ったら、笑えてしまった。母も笑っていた。隠したクリの場所が分からなくなるから、カラスが来ることはない。昔から「カラスの埋け栗」といって、間の抜けた行いが笑われたのだと、母は語った。
 七人家族でいつも忙しい母を秋空の下で独り占めしたようで、うれしかった。土の中で見つけたクリの感触を、今でもはっきりと思い出せる。”(10月17日付け中日新聞)

 愛知県稲沢市の加賀さん(女・89)の投稿文です。ボクがこの文を取り上げたのは、話の面白さもあるが、この文の投稿者が89歳の女性と言うことである。89歳の人が自分の母親との思い出をまだ懐かしく思い出していることである。小学5年生と言われるから、もう80年近い前のことである。何歳になっても母親である。母親とは、女とはこんなものかと感心するばかりである。女性の繋がりは深い。これでは男はかなう訳がない。
 先日から村上龍氏の「すべての男は消耗品である」と言う随筆を読んでいる。電子ブックで何気なく買った。30年前からの文と言うことで、今もそのように思っておられるのかは知らないが、頷くところも多々である。誰の消耗品か、と言えば女性のである。女性は男を消耗品として活用し、力強く生き延びていくのである。元々女性は強いのである。寿命を見よ、その違いを。その女性が益々強くなってどうするのだ。ボクは昔から見かけは男尊女卑であるが、根底は「女尊男卑」社会と言ってきた。今益々そのようになっている。女性は子供を産むのである。血が繋がっているのである、敵う訳がない。見かけ上の男性優位など、黙って見過ごせばいいと思う。話がそれた。




2015/11/08(Sun) (第2183話) 記録に残す 寺さん MAIL 

 “日記や写真など、日々の出来事を記録する方法はいくつもあります。しかし、私は何も実践してこなかったため、後悔しました。きっかけは先日、祖父が他界したことです。祖父と過ごした時を思っても、そのほとんどが断片的にしか思い出せないのです。小学生のころでしょうか、祖父が珍しく、私を連れて散歩がてら近くの喫茶店へ行きました。当時の私にとっては何げないひとときでしたが、今思うと大切な時間です。それなのに、何を注文したのか、祖父と何を話したのか、何ひとつ覚えていません。
 忘れてしまったことに対する祖父への罪悪感ではありません。ただ、忘れるのはこんなにも「もったいない」のかと思ったのです。経験や思い出は、覚えてさえいればきっと、自分にとって価値があるはずです。私は、これからの生活での出来事や経験を大切に記録していきたいです。そう感じた心を「もったいない」ものにしてしまわぬよう、ここに記しました。”(10月15日付け中日新聞)

 愛知県大府市の会社員・冨樫さん(男・21)の投稿文です。21歳の男性で、記録に気づかれるとは徳のある方である。思い立ったが吉日、気づいたらすぐに始める・・・もう始められているでしょう。忘れないように投稿までされる方である。有言実行・・・これもいい手段です。どんな形で残し、記録されることにされたのか、知りたいところです。
 人間が生きる上で、思い出とはいろいろな関わり方があります。活動して思い出を作ることもありますし、その思い出で生きる時代もあります。またその思い出をスッパリ捨てることもあります。でも捨てるにしても、作らなければ捨てることはできません。まずは上手に記録して残すことでしょう。また思い出とは過去の体験です。体験は次のステップの教訓にもなります。忘れてしまっては役立ちません。特に間違いは忘れないように記録しておく必要があります。冨樫さんが良い人生をくられることを期待します。




2015/11/06(Fri) (第2182話) 地にはう草 寺さん MAIL 

 “私の還暦の祝いを、子や孫たちがしてくれることになった。おいしい料理屋さんで、欲しかったネックレスを贈られて、集合写真も撮った。さあ、盛り上がってきた。「後は、みんなからお祝いの言葉かな?」。・・・始まる気配はない。「じゃあ、長男からひと言かな?」。・・・それもない。なぜか全員、口を閉じて神妙な顔をしている。おしゃべりなはずの孫たちも、一生懸命静かにしている。うーん・・・。
 会はお開きとなり、私と主人は車で先に帰ることに。子や孫たちは車の両側に立ち、緊張から解かれたように笑顔で「バイバイ」している。わが家に着いた。台所に行くと、机の上に、出掛ける時にはなかった大きな花束とメッセージカードのつづりが。ゼロ歳の孫からは手形。他の七人からは、どれだけ涙を流しても足りないぐらいの感謝の言葉が書かれていた。
 テレビで今、ノーベル賞の受賞者が放映されている。「天にいる人たちみたいだね。私たちは、地にはう雑草だね」。私が言うと「それも必要だろう。立派な人ばかりでも困るだろう」と主人。未熟な親が育てた二人の優しい息子。息子たちを愛してくれる大事なお嫁さんたち。そして天まで昇るような幸せをくれる孫たち。地にはう雑草にも花が咲いたようだ。”(10月15日付け中日新聞)

 三重県桑名市の主婦・川口さん(60)の投稿文です。還暦祝いをこんな形でしてもらったら、もう涙なしでは済まないだろう。息子さん2人と言われるので、多分お嫁さんがいろいろ知恵を出されたのではなかろうか。大事なお嫁さんと言っておられるので、そんな気がする。「地にはう雑草」と自分達夫婦を表現されるのもまたいい。謙虚な方であろう。
 ボクは家族の記念日は大切にしたい、と思ってきたが全く逆の送り方をしてきた。妻の誕生日を気にしたことがないくらいだから、子供や孫の誕生日はさらさらである。結婚記念日も妻に言われて気がつくくらいである。それでもボクの還暦や古稀には祝いをしてくれた。祝いのカードが残してある。この文を書くために久しぶり取り出してみた。
 家族は自分の属する最小社会である。まずは夫婦であり、次に子や孫を含めた家族である。行動のすべてもまず家族を考えてのことがほとんどである。この家族が相和し、うまくいっていることは本当にありがたい。川口さんは地にはう雑草と言われるが、雑草は何よりも強いのである。




2015/11/04(Wed) (第2181話) 「天使の日」 寺さん MAIL 

 “10月4日は数字の語呂合わせで「イワシの日」だそうだが、私は勝手に「天使の日」と呼んでいた。我が家では奇遇なことに、この日は実家の母、夫、私の3人の誕生日なのである。毎年ささやかなお祝い会を開き、プレゼントをちょうだいする。今年は長男からは見事なバースデーケーキ。長女夫婦からは、母には大好物のせんべいと、「大きくなるまで元気でいてね」という孫からの応援メッセージと写真がついたお手製の色紙が贈られた。
 私たち夫婦には二人ともが好きな女性ポップス歌手のコンサート切符。何を贈れば相手が喜ぶのか考えてくれるのがうれしい。感謝感激で、お祝い会の後、夕方からコンサートに出かけた。素晴らしい歌声と舞台に酔いしれた一夜だった。(後略)”(10月14日付け朝日新聞)

 名古屋市の主婦・後東さん(57)の投稿文です。家族の誕生日が同じ、奇遇ですね。こういう奇遇は親しむが湧くでしょう。そして贈り物をしてお互い喜び合う、家族ですね。夫と私は誕生日が同じと言うことで親しくなられたのでしょうか。
 実は10月4日はボクにとっても「天使の日」です。結婚記念日なのです。天使のような妻というのは言い過ぎでしょうか。今年は結婚して45年、苦労して結婚した意味は十分にありました。そして、例年になく妻はその日「今日は結婚記念日ですね」という。そして昼食を外食にしました。2人で2500円、何ともわが家らしいお祝いです。こうした慎ましい生活が、円満に過ごせたお陰かも知れません。後何回天使の日を迎えられるか、大切に過ごしていきたいものです。




2015/11/02(Mon) (第2180話) 母からの贈り物 寺さん MAIL 

 “「母の遺品が出てきたので」と連絡を受け、実家に赴いた。着物や写真に交じって、ピンクのリボンでとじられ「第三回卒業記念・梅花帖」と墨で書かれた冊子があった。
 そっとページを繰ると、卒業を目前にして、三十人が詠んだとおぼしき自筆の歌が書かれている。母の歌は「師の君のあつきみ教忘れじと世に出づる日の誓固しも」。初めて見る母の書だった。
 それぞれの歌のうまさもさることながら、まず全員の達筆さに感服した。高等実践女学校というから、この時の彼女らは、まだ二十歳前ではないだろうか。その若さで、すでにこういう字を書いたのか。しかもおそらく、一人一人が限られた時間で同じものを三十枚書き上げたはずで、書道教室で先生に見てもらう二枚のために悪戦苦闘している私とは訳が違う。造作なく、さらさらっと筆を運んだうちの一枚がそれらなのだ。
 私の習字はなかなか上達せず、嫌になることもしょっちゅうだった。そんな折、女学生の母が突然現れて、叱咤激励してくれたように思えた。とじられた冊子を手にすれば、友と一緒に楽しげでいる母の姿が見えて、感傷的にもなる。逝って二十五年、思わぬ母からの贈り物だった。”(10月12日付け中日新聞)

 愛知県春日井市のヘルパー・伊藤さん(女・61)の投稿文です。捨てられず、残されていた遺品があった。亡き母の思い出の歌集であった。その達筆さに驚く。
 昔は読み書きそろばんであった。戦後はそれが全くないがしろにされた。今この3つがキチンとできる人を探すのは難しい。読みが必要なのは今も昔も変わらない。次に書きである。これはパソコンなどでかなり賄えそうであるが、結構賄えない場合も多い。今書ける人は貴重である。残念ながらボクもダメである。子供の頃に習字などもっと習っておけばよかったが、残念ながらそんな家庭環境ではなかった。そしてそろばんであるが、今はほとんどなく電卓となったが、でもこれは暗算と言い換えれば違ってくる。暗算ができるのは今でも大きな武器である。ボクは今も時代でも読み書きそろばんを基本しておいた方がいいと思う。また基本的なことは丸暗記させた方がいいと思う。今の時代、手段はいくらでもあるが、いつも手元にある訳ではない。技術として身につけていればとっさの場合に役立つ。やはりこれがあってのことであろう。


 

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