2015/11/23(Mon) (第2190話) 今でも「子ども会」? |
寺さん |
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“「子ども会に行ってくるね」夫にそう言って出掛けることがある。六十五歳の今でも「子ども会」に行く。それは息子が小学校四年生の時に務めた、私たち子ども会役員のOB会のことだ。他の名称は考えず、思い出がいっぱい詰まった「子ども会」の名称で今も続いている。 二十四年前、教職に就いていた私は、子育ての真っただ中に学校の仕事を持ち帰る慌ただしい毎日を送っていた。「子ども会役員なんてできない。決まったらどうしよう」と思い悩んでいたところに、役員は回ってきた。他の役員さんに助けられ、何とか任期を終えることができた。 子育てが一段落してからも皆が現役で働いていた。OB会では、金曜日の仕事を終えた後、ばたばたと近くの温泉に一泊で出掛け、仕事疲れの体を露天風呂で癒やした。 今では、それぞれに孫がいる年齢になり、ゆったりと旅行や時々のランチ会さえできる余裕がある。「子ども会」は、私が教職を終えた後の幸せな空間の一つになった。二十四年前、いやだと思っていた役員になったからこそ、こんなにすてきな人たちとの出会いに恵まれた。どんなことでも、幸せにつなげていける。その思いを強くしている。”(10月31日付け中日新聞)
愛知県刈谷市の市外郭団体職員・岡本さん(女・65)の投稿文です。子ども会やPTA役員は大分以前から女性であった。働く女性が多くなるに従って引き受け手を捜すのが大変になっていった。多分そんな中で、岡本さんは引き受けられたのであろう。しかし、引き受けてよかった。別の世界が見られたし、その仲間が24年たった今でも付き合っている。幸せに繋がった。そんな話であろう。 ボクの妻は、子供を産んで仕事を辞め、専業主婦となった。そして、2人の子供が保育園に入ってから高校を卒業するまで、どちらかの子の役員をやり、その間に地域の役員も入って来て、ほとんど毎年のように何かの役員をやっていた。専業主婦であったから重宝されたようである。その人達と今でも付き合い、月に何回となくお茶会などに出かけている。あきれるほどである。まさに若い時に築いた財産である。 今では地域を始め役員の引き受け手がなくて、存続が困難になっているほどだと聞く。いや、聞くばかりでなくボクの身近でも全く同じである。でもボクは降りかかってきた役員をほとんど拒んでいない。やればやるだけの意味はあるのである。自分でやると言ったのではない、やってくれと頼まれたのだからやればいいのに、と思うボクは少し異質だろうか。
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