2015/10/29(Thu) (第2178話) 若くなってきた夫 |
寺さん |
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“台所で朝食の用意をしていると、誕生日を迎えた夫が「今日からさ、80歳」と重い口調でつぶやいた。この年まで夫婦共に健康でいられることはありがたい。一方、夫が何もせずいつも家にいると、息苦しく感じることもあった。私は「よかったね」と言うのが精いっぱいだった。 夫が第二の職場を退職してから10年。当初は「色々やりたい」と語っていた。しかし、これといった趣味もできず、歳月はすぐに流れた。私が「趣味を持った方がいいよ」と言っても、夫は「そのうちに」と返すだけ。私は「そのうちにって、あちらの国でやるつもり?」とあきれていた。 その夫が最近、どういうわけか変わってきた。知人の誘いで、地元のカルチャーセンターのスケッチ教室に通い始めた。花、静物、風景を描き、絵の具で色をつけていくのが楽しいという。教室の日は、朝からうれしそうだ。「仲間とお茶してくるかもしれない」と言うことも。少し気持ちが、若くなってきたのかもしれない。最近は、「秋には、写生に行くかもしれないよ」と夫。久しぶりに聞くさわやかな言葉に、私もうれしくなった。”(10月8日付け朝日新聞)
埼玉県志木市の主婦・和田さん(78)の投稿文です。仕事を全く辞めたら、あれもやろう、これもやろうと思っていたが、何もできずに過ぎていく。そして、あるきっかけでできることを見つける、人間死ぬまでどうなるか分からないという話であろう。よくある話である。この種の話はもう何回も取り上げてきた気がする。同じ話の繰り返しになるかも知れないが、ボクの体験からの話と思っていることを少し記しておきたい。 まず退職してからし始めるのは遅すぎると言うことである。したいだけでは何もできない。始めたらこんなはずではなかったと言うことも多い。退職してからではもう残された時間は少ない。すぐに本格的に始めなくてはならない。それにはもっと早いときから準備をしておく必要がある。50歳過ぎたら退職後を視野に入れることが賢明であろう。 そして何も見つからなくてもあきらめてはいけない。人間死ぬまでどうなるか解らないのである。和田さんは80歳過ぎて楽しいことを見つけられた。感動を与える死に方で、死ぬときに真価を発揮される人もある。ボクは死ぬまで生き方にこだわる人でありたい、と思っている。もう何度も紹介したが、ボクに机の上には次の文が載っている。 「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
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