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第137号  2015年10月

2015/10/31(Sat) (第2179話) 捨てなきゃよかった 寺さん MAIL 

 “二〇一二年に父、翌年に義母が他界し、二軒の家の後片付けをしました。豊かでない時代を中心に、九十年余り生きた親たちは、頂き物をしまっておくので、時代遅れの物ばかり残っていました。押し入れ、たんす、どの部屋も物であふれて、どこから手を付けていいのやら。大きな品は業者に頼み、残りはごみ袋の口を開け、金属、プラスチック、可燃、不燃と仕分けました。
 家中の引き出しだけで、どれほど日数がかかったか。捨てるに忍びない物は知り合いにもらってもらい、残りをごみ収集日に合わせて、何度運んだか分かりません。
 「生前整理」「老前整理」の言葉を見聞きする今、子どもたちには同じ思いをさせたくないと、自分の家をせっせと片付け始めました。介護の役目が楽になり、時間も空いたので、整理した物をリサイクル店に持って行って、驚きました。陳列してある品や家具が、処分した物より古いのです。「これと同じような物を捨ててしまった」「こんな物も引き取ってくれるの」と、後悔するばかりでした。今は本、CD、切手などをせっせとリサイクル店に持ち込んでいます。私の失敗が、せめてこれから整理を始める方のご参考になれば−。”(10月11日付け中日新聞)

 三重県四日市市の槙野さん(女・63)の投稿文です。「生前整理」「老前整理」とか「断捨離」という言葉は昔にはなかった。あるものは大切に使い、有り余るほどものがなかったのだから当然である。今は多くの家庭でものが溢れている。消費は美徳などと買うのがもてはやされたからであろう。また次から次へと新しい機能を持った商品が出てきたからである。ものによっては、大切の使うより適当に買い直した方がいいことも多い。これではものは多くなるばかりである。子供が親のものを使ってくれることなどほとんど思いつかない。これで整理が必要になる。でも他人となるとまた違ったことが生じる。生活様式も価値観も違う。違った場に提供することによって有用になることもある。それでリサイクルも盛んに行われる。それが槙野さんの文になる。世の中一長一短、1つの理屈ではいかない。捨てるのはやはり最後の手段であろう。ボクはさっぱり捨てられない。




2015/10/29(Thu) (第2178話) 若くなってきた夫 寺さん MAIL 

 “台所で朝食の用意をしていると、誕生日を迎えた夫が「今日からさ、80歳」と重い口調でつぶやいた。この年まで夫婦共に健康でいられることはありがたい。一方、夫が何もせずいつも家にいると、息苦しく感じることもあった。私は「よかったね」と言うのが精いっぱいだった。
 夫が第二の職場を退職してから10年。当初は「色々やりたい」と語っていた。しかし、これといった趣味もできず、歳月はすぐに流れた。私が「趣味を持った方がいいよ」と言っても、夫は「そのうちに」と返すだけ。私は「そのうちにって、あちらの国でやるつもり?」とあきれていた。
 その夫が最近、どういうわけか変わってきた。知人の誘いで、地元のカルチャーセンターのスケッチ教室に通い始めた。花、静物、風景を描き、絵の具で色をつけていくのが楽しいという。教室の日は、朝からうれしそうだ。「仲間とお茶してくるかもしれない」と言うことも。少し気持ちが、若くなってきたのかもしれない。最近は、「秋には、写生に行くかもしれないよ」と夫。久しぶりに聞くさわやかな言葉に、私もうれしくなった。”(10月8日付け朝日新聞)

 埼玉県志木市の主婦・和田さん(78)の投稿文です。仕事を全く辞めたら、あれもやろう、これもやろうと思っていたが、何もできずに過ぎていく。そして、あるきっかけでできることを見つける、人間死ぬまでどうなるか分からないという話であろう。よくある話である。この種の話はもう何回も取り上げてきた気がする。同じ話の繰り返しになるかも知れないが、ボクの体験からの話と思っていることを少し記しておきたい。
 まず退職してからし始めるのは遅すぎると言うことである。したいだけでは何もできない。始めたらこんなはずではなかったと言うことも多い。退職してからではもう残された時間は少ない。すぐに本格的に始めなくてはならない。それにはもっと早いときから準備をしておく必要がある。50歳過ぎたら退職後を視野に入れることが賢明であろう。
 そして何も見つからなくてもあきらめてはいけない。人間死ぬまでどうなるか解らないのである。和田さんは80歳過ぎて楽しいことを見つけられた。感動を与える死に方で、死ぬときに真価を発揮される人もある。ボクは死ぬまで生き方にこだわる人でありたい、と思っている。もう何度も紹介したが、ボクに机の上には次の文が載っている。
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」




2015/10/27(Tue) (第2177話) それでも努力 寺さん MAIL 

 “先日、ある視聴者投稿の番組で「努力は必ず報われる」といった格言は、必ずしも言い切れないのでは、という視聴者からの疑問が紹介されていた。私も同感だ。私自身、夢を追っているが、悲しいかな、努力は必ず報われるとは限らないのが世の中だと感じるときがある。
 どんなに努力しても、なかなか上達しなかったり、途中でエネルギーが切れて、諦めてしまったりする人も多い。私も何度もくじけそうになった。しかし、だからといって努力することをやめてしまったら、かなえられるものも、かなえられなくなると思う。要は、それに向かって頑張り続けることが大切だ。「夢は必ずかなう」と無責任なことは言えない。でも、その上であえて言いた「努力に勝る才能なし」「夢はかなえるためにある」と。”(10月7日付け中日新聞)

 名古屋市のアルバイト・光原さん(女・40)の投稿文です。光原さんの意見に全く同感だ。ボクも努力は必ず報われるものとは思っていない。努力と成果は別物だと考えた方がいいとさえ思っている。成果には能力や運も着いてくる。いくら努力しても叶わないものはいくらでもある。でも言いたい、努力しなさいと。目的を達せるまでは行かないかも知れないが、能力のある人に負けるだろうが、凡人には努力するしか方法はないのだ。何もせず黙って指をくわえていても仕方がない。それこそ悔いが残る。努力して、後はゆっくり結果を待つ。結果については宿命と受け入れる。努力は成果までには行き着かなくても、必ず向上は産んでいるはずだ。世間は結果を重視するが、個人は経過が重要である。




2015/10/25(Sun) (第2176話) スタイル貫き通す 寺さん MAIL 

 “流行と聞いて、私は一つのスタイルを貫き通すことも流行だと確信します。一時のはやりに追随して流されることなく、これぞと決めたスタイルを愛し続ける。目先の華やかさに飛び付いて惑わされることもない。中学生の時に出合った「トラッド(伝統的)ファッション」がそれだ。
 六十歳を過ぎても二十代のころと変わらぬ体形を維持している。それは大好きなマラソンが手助けしてくれている。服装に興味を持った時から、年を重ねてもおながの出た体には絶対ならないと、自分に言い聞かせてきた。そのおかげで、この夏「モデルをしてみませんか」と声が掛かった。
 装うことを楽しみ、着続けてきたからこそ、今日があると思う。数々のコーディネートの積み重ね、マラソンで心身ともにリフレッシュする爽快感、年を重ねることはこんなにも楽しいことと実感し、今後も自分のスタイルを楽しみたいと思う。”(10月4日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・小川さん(男・63)の投稿文です。流行というテーマでの投稿文である。流行とは一時的なものである。1つのスタイルを貫き通すことが流行という意見に驚いた。こんな発想もあるのだ。小川さんは体型を維持し、装うことを楽しんだと言われる。小川さんは変わらない基本があって、その周辺ではいろいろ装うことを楽しんでこられたのだ。服装に無関心ではなかった。小川さんが63歳の男性というのにも驚いた。男性でもこんな意見を持つのだ。こういう人を格好が良いというのだろう。女性にも人気があったろうな。ボクは流行どころか、服装には全く無関心であった。怠惰、愚かと言うほかにない。もっと装うことを楽しめばよかったのに、もう手遅れである。
 流行なら似合う、似合わない関係なく追い求めるのは何とも軽薄な気がする。そんな似合わない流行を追うより、まず体型や姿勢に努力をする方が先だろうと思う人も多い。流行はすぐに廃れる。不要なものがまた溜まる。商売の作戦と理解した方がいい。




2015/10/23(Fri) (第2175話) 日本独特の家 寺さん MAIL 

 “小学生の私が言うのもなんですが、最近は洋風の家が増えてきている。住みやすくなることを考えて、どんどん洋風の文化を増やしていくと、日本の文化は失われてしまうのではないだろうか。
 日本の文化をもっと守るべきだ、というのが私の意見だ。日本の「和」という文化は日本にしかないからだ。この日本独特の文化がなくなってしまったら、もうどこにもない。 外国人観光客が増えてきているので、もっと和の文化をアピールすれば少しでも守れると思う。和の風景を見たいと思って来日してくる人もいる。私も奈良や京都のお寺を見たいと思い、家族と行ったことかあり、とても感動した。
 住みやすくなるし、進歩しているからいいじゃないかと思う人もいるだろうが、命に関わる医りょうなどは別として、他のものは進歩しすぎて和の文化が失われ、洋の文化が増える一方では悲しくてつらい。”(10月2日付け中日新聞)

 愛知県常滑市の小学生・榊原さん(女・12)の投稿文です。ここ数年、ボクは外国へよく出かけている。そして日本と比較していろいろ思う。本当に欧米の生活が良いのだろうか。合理的なのだろうか。明治維新で欧化し、第二次世界大戦の敗北で戦前をすべて否定した。文化も否定した。ボクにはここに大きな間違いがあった気がしている。反省すべきことは反省し、良いことは残さねばならなかったと思う。
 その1つに住宅がある。日本の住宅は風土にも合い素晴らしいと思う。ボクの家は日本の昔の農家住宅であり、改築して今も住んでいる。娘の家は今風であるが、比べてみて利点はボクの家の方が大きいと思う。とても住みたいとは思わない。良いものは取り入れて改築し、改築程度でよかったのだ。榊原さんは今風が住みやすく進歩していると言っておられるが、本当に進歩だろうか、ここはもっとよく調べてもらった方がいい。先日北欧へ行ってきたが、比べると日本の何と雑然とした風景か。食や生活習慣、冷静に見直した方がいい。日本の良さをたくさん発見するだろう。
 榊原さんの意見はとても小学生と思えない素晴らしさだ。これからもっともっと勉強して見聞を深めて欲しい。




2015/10/21(Wed) (第2174話) がん検診 寺さん MAIL 

 “タレントの北斗晶さんが乳がんであると知った。あんなに元気で幸せそうな人がなぜ。とてもショックだった。他人を心配するような状況ではないはずなのに、ブログで乳がん検診を強く勧める気持ちに、胸が締め付けられる思いだった。何より説得力があった。
 わたし自身、がんは身近な病気には感じられず、なんとなく自分は大丈夫だと思っていたし、今まで検診を受けたこともなかった。しかし今回のことで意識が大きく変わった。早速、検診の予約をした。
 私にも小さな子どもが二人いる。家族をおいてまだまだ逝くわけにはいかない。病気になってから後悔もしたくない。自分のためだけでなく大切な家族のためにも検診を受けるのだ。
 健康で幸せな今、気付きを与えてくれたことを感謝したい。彼女の勇気ある告白はおそらく多くの人の意識を変え、行動に移させる力があっただろう。病気に打ち勝って、また元気な姿をテレビでみせてくれることを心から願っている。”(10月1日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・広江さん(35)の投稿文です。日本人の生涯のうちにがんに罹る可能性は、男性の2人に1人、女性の3人に1人と言われるまでのがんである。行政機関始め多くの場所でかなり昔から喚起がなされ、検診も進められてきた、とボクは思っている。そうした中広江さんのこの文には少し戸惑う。35歳・・・ガンについて無関心なのは普通のことだろうか。今、がんセンターに時折行くようになって、若い人も結構見かける。年寄りの病気ではないのだ。もう少し広く聞いてみたい気がする。
 ボクの父親は胃がんで亡くなり、妻の父もそうだった。それだからか、ガンについては以前から関心があった。職場の定期検診を受け、数年ごとに数時間の人間ドックも受けた。妻も早くから乳がん検診などを受けてきた。今年6月にボクに前立腺ガンが見つかり、まもなく手術予定である。このガンが見つかったのも、58歳の時から受け始めたPSA検査があったからである。ガンは早期発見早期治療と言われる。ボクはまさにこれに当たった。
 北斗晶さんが乳がんと発表し、広江さんの関心を引いた。こうした人は多かろう。著名人は国民の関心を買うのに大きく貢献する。役立つ情報を発信して欲しいものだ。




2015/10/19(Mon) (第2173話) 卓球 寺さん MAIL 

 “日々物忘れがひどく、筋力も落ち、体に自信がなくなってきた。健康寿命を少しでも延ばすため運動がしたい。歩いて五分のところに卓球教室があり、のぼりに「初心者大歓迎」「どなたでも、お一人でも」と書かれているのを見て、入門を決意した。
 始めた時が七十三歳。最初は打ち返すだけで至難の業。でも楽しいし、面白い。すぐにのめり込んだ。初心者コースから始めて四年、夢中で練習した。仲間もでき、スポーツをする醍醐味を初めて知った。
 この年齢では上達は遅い。勝ち負けにこだわって、やめようかと何度も考えたときもある。落ち込んだら「継続は力なり」と励ましてくださる先生の言葉を思い出し、頑張ってきた。
 津市・中国鎮江市友好都市提携記念の鎮江杯争奪卓球大会に、仲間と出場することになった。初級者の部に、七十七歳の初挑戦である。全く自信はない。後ずさりしながらの対戦だ。今までにない緊張感を味わい「勝てるはずがない」と、逆に開き直って挑んだ。夢中のままに終われば、準優勝。うれしい!この達成感。生まれて初めての経験に喜びをかみしめた。これからは終活に励みつつ健康のため続けよう。卓球って楽しい。”(9月20日付け中日新聞)

 三重県津市の主婦・平野さん(77)の投稿文です。73歳から卓球に挑戦、77歳にして大会に参加、準優勝の栄誉を勝ち取ったと言われる。ここにも元気な高齢者がおられた。実はボクもいつから卓球に挑戦しようか迷っているのである。いつも筋トレに行く体育館で卓球が行われている。そこに知った人が何人もいて、誘われているのである。毎週決まった時間なので、今のボクにはまだ無理な気がしている。もう1年半ばかりで完全退職の予定である。その時から始めようか、思案中である。それでも平野さんの73歳より若いからまだ大丈夫だろうか。
 高齢者が元気なことは非常の好ましいことであるが、何か高齢者の元気ばかりが目について仕方がない。投稿欄も高齢者が多い気がする。投稿欄から話題をもらうことが多い「話・話」であるので、自然高齢者を扱う話題が多くなってしまう。人間、死が訪れるまで死ぬ訳にいかないので、それまでは少しでも元気に過ごしたい。高齢者が目立つことは嬉しいことではあるが、何か寂しさも感じる。




2015/10/17(Sat) (第2172話) 文章書き投稿 寺さん MAIL 

 “高校生のころから文章を書くことが好きで、新聞や学生雑誌に投稿していた。就職してからは、意欲はあっても仕事や生活に追われ思うに任せなかった。待ちに待った定年退職後は時間の余裕ができ、投稿を再開した。新聞、雑誌、懸賞ものに応募するため、精力的に書いている。
 紙に向かうときは、新聞を精読して、世界の動きや世の中の流れをつかむ。書籍からも情報を取り入れている。漢字を辞書で調べるのも頭の体操になる。
 それに加え、掲載された際の喜びは何物にも替え難い。投稿を読んだ思いがけない友人、知人から連絡が来たり、読者から便りを頂いたり。一層の意欲を駆り立てられる。
 採用された文章をスクラップブックに大切に保管していて私の宝物だ。投稿はこの先、天寿を全うするまで続けたいと思っている。”(9月20日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の石川さん(男・75)の投稿文です。人前に出す投稿にはいろいろな能力を駆使しなければならない。まずは考えをまとめ、文章にしなければならない。そして漢字も知らねばならない。曖昧なことは書けないから調べねばならない。下手な文章を見せればすぐに批判を食う。よく吟味し何度も推敲しなければならない。石川さんは若い頃から文書を書くのが好きだったと言われる。そして投稿もされた。仕事で中断していたものの、定年退職して復活された。投稿が採用されれば嬉しいだろう。大きな喜びを伴う。もちろん、気持ちの活性化にもボケ防止にも大きな効果がある。いいことずくめである。文章を書くと言うことはそれ程良いのである。
 ボクもこの「話・話」を書いている。石川さんに比べれば少し劣るが、似たところもある。先日の9月29日の「(第2167話) 新聞を切り抜く」も同じような話である。二人ともボクより高齢である。そしてボクより素晴らしい。ボクはまだまだである。




2015/10/08(Thu) (第2171話) 健康寿命 寺さん MAIL 

 “寿命とは何だろうかと、恒二郎さんは考え込んだ。先日、近所の九十近い人が救急車で運ばれた。でも病院では、寿命が尽きかけている人を静かに死なせてくれない。あれこれ終末医療を施すのだ。そんな状態でも長生きしたい老人がいるだろうか。「おれはあっさり死なせてくれよな」と妻に頼んだ。妻は「健康寿命」に関する本を熱心に読んでいる。
 「健康寿命の調査結果では、女性が七十六歳、男性が七十一歳なのよ。日本は長寿国と思うけど、病院や高齢者施設、自宅のベッドで長い間寝たきりの人数がプラスされてるからなの。終末医療で長生きが多くて、健康寿命の方は意外に短い。知らなかったわ」「医者でさえ、大金使って苦しい終末医療を受けるのはごめんだと言ってるらしい。それより健康寿命を延ばす方がいいね」
 恒二郎さん夫婦は六十代前半だった。市のスポーツセンターで、専門の医師による健康寿命の講座が開かれるわよ、と妻が言う。二人で参加を申し込んだ。(後略)”(9月16日付け中日新聞)

 西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」からです。健康寿命とは「日常生活を自立して元気に過ごせる期間」とある。自立して元気とはどんな状態だろう。薬の世話になっていたらもう健康な状態ではないのだろうか。ボクは数年前から高血圧と尿酸値を下げる薬を毎日飲んでいる。近々ガンの手術も受けねばならない。もう健康寿命の範疇に入らないのだろうか。気になっていた。この文に出合った機会にもう少し調べて見た。
 健康寿命とは、WHO(世界保健機構)が提唱しており、平均寿命のうち、要介護となった期間(衰弱・病気・痴呆)を差し引いた期間とされている。更に、平均寿命から健康寿命を引いた“不健康な期間”とし、分かりやすくするために“寝たきり期間”と表現しているとある。何と寝たきり期間になって始めて健康寿命から外されるのか。そうなると又疑問が湧いてくる。男性は71歳を過ぎるともう半分が寝たきりになるのか、本当だろうか。この寝たきり期間が主要国でもっとも長いのは、なんと日本という。先日知人にこの話をしたら「食事、トイレ、入浴が自分でできること」と説明された。これは分かりやすい。これなら納得できる。一寸先は闇ではあるが、この程度ならまだボクは当分健康寿命を維持できるだろう。




2015/10/06(Tue) (第2170話) 自分を認めれば 寺さん MAIL 

 “母校の中学校で先月、自分が中三のころの話を、三年生に向けて話した。自分も受験生で進路に迷っている状況で、話すことがあるのか悩んだ。前夜三時半まで台本作りをした。
 高三の受験生として思うことを書き出してみた。常に思うのは「もっと勉強しておけば良かった」。もっと必死に勉強しておけば、自分は違う場所にいられたかもしれないと後侮したことが何度もあった。話を聞いてくれる後輩にも同じ後悔をしてほしくないと思い、台本を作った。
 それから私は、勉強だけでなく普段の生活でも、後悔しないようにと意識するようになった。今まで私が傷つけた人もたくさんいるし、そのため後悔し前に進めなかったこともあった。だけど、この先後悔しないため、後悔をやめることは自分を認める一つの方法かなと思った。そう思ったら心がだいぶ軽くなった。”(9月15日付け中日新聞)

 名古屋市の高校生・森島さん(女・18)の投稿文です。後輩の前で自分の中三の頃の話をするとは、森島さんは良い機会を頂いたものだ。自分を振り返る、まとめる、話す。人の前で話せば責任も生じる。森島さんはまさにそのようになった。後悔をしないような生活をしたい。自ずから自分を見つめることになる。そして自分を認めることが必要と感じられた。この体験は必ず今後に生きる。後輩の前で話す機会を得られたのは、森島さんがそれにふさわしい人と認められたからである。こうして投稿までされるとは、やはりそれだけしっかりした人であった。




2015/10/04(Sun) (第2169話) クモの巣の雲海 寺さん MAIL 

 “九月上旬の珍しく霧が立ちこめた朝、いつものように夫婦で食事前の散歩に出た。田んぼ道の両側は、稲穂がしっとりと水気を帯び、緑のじゅうたんを敷き詰めたように広がっている。(中略)
 散歩道を折り返し、太陽に向かって帰路についたとき、夫婦そろって声を上げた。稲穂の緑の広がりの上で、無数の白いクモの巣が、日の光を浴びて輝いていたからだ。それは本当に不思議な光景で、直径20〜30センチほどの白いクモの巣が、稲穂の上でしっとりと露にぬれ、朝日の中に次々とつながっている。道の両側に広がる水田の全ての稲穂の上に、絹糸を思わせるクモの巣の雲海がきらきらと浮かび上がり、まるで天空の世界を形作っているように見えた。お釈迦様が朝早くに極楽を歩かれたときも、このような景色だったのかもしれない。そんなことを夫婦で話しながら、家の門を通り抜けた。”(9月15日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の野村さん(男・63)の投稿文です。クモの糸に露がつき朝日を受けて輝く、光景が目に浮かぶ。ボクも時折見る光景である。でも無数と言い、雲海に浮かぶというとなかなか難しい。朝早い夫婦で散歩中にこんな光景を見ると感動に震えるだろう。幸せ感に胸も震えるだろう。お釈迦様を想定されたのがまたいい。
 野村さんも定年後であろうか、夫婦でゆったり過ごされている感じが想像される。夫婦相和し、こんな時間が持てることが極楽であろう。この世で極楽を過ごされているのだ。そんな思いを持って帰宅されたのではなかろうか。ボクも少しずつこんな時間が多くなった。寿命を知ってよりこんな時間が愛おしくなった。妻といる時間を大切にしたい。先日親しい同級生が奥さんを亡くした。




2015/10/02(Fri) (第2168話) 「千秋音頭」を復興 寺さん MAIL 

 “田畑が広がる一宮市の東端にあるのどかな地域「千秋町」。一度は廃れかかった千秋音頭」だが、千秋小学校が復興させ、運動会や夏祭りの盆踊りで奏でられている。
 1952(昭和27)年に郷土民謡として誕生したが、収録したレコ−ドの摩耗とともに流されることはなくなり、当初の振り付けは忘れられていった。70年代後半にレコードが復刻され、新しい振り付けも考案されたが、その浸透は年配世代に限られていた。
 千秋小で踊られるようになったのは12年前ほどから。最初は3年生の郷土学習の一環だったが、いつしか学校の運動会で全児童が踊る一大イベントになった。27日に予定される運動会では児童400人に保護者らも加わり、1000人近くで運動場に大きな輪を描くという。本番を前に10日、千秋音頭保存会のメンバーが学校を訪れて振り付けを指導した。一年と六年の合同授業ではすっかり板についた六年児童が見守る中、一年児童は初々しく踊った。
 たーんといりゃーよ ぎょうさんいりゃーよ 千秋音頭でドドント ドントネー(後略)”(9月13日付け中日新聞)

 「学校のイイトコ見っけ!」と言う記事欄からです。かなりローカルな話であるが、まさにボクの地域の話であるので紹介したい。千秋町には3つの小学校があり、ボクもその1つの卒業生である。そしてボクの小学校時代は、運動会で毎年千秋音頭を踊ったものである。この記事はそんなことも思い出させてくれた。それがいつの頃からかなくなったようだ。ボクの娘らの時にはなかった。数年前から老人会の旅行に参加した。そこで何と千秋音頭が歌われていたのである。歌詞が配られ全員で歌うのである。何十年ぶりに歌うが歌えるものである。そしてこの記事で経過をもう少し知った。
 地域に共通のもがあるというのはいいことである。今年の町民運動会でも流された。もう途絶えることはなかろう。話は飛ぶが、今の学校や地域で独自の体操はあるようだが、ラジオ体操はあまり行われていないようだ。独自のものでは地域が違えばもうできない。ラジオ体操は全国共通である。一宮友歩会の例会の準備体操はラジオ体操にしている。もう一度盛んにした方がいいと思うのは、ボクだけだろうか。


 


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