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第136号  2015年9月

2015/09/29(Tue) (第2167話) 新聞を切り抜く 寺さん MAIL 

 “毎朝、起きると欠かさずにやることは、新聞を読んで、社会問題の記事を赤色のサインペンで囲むことです。それが終わると、今度は前日の新聞の赤色で囲んだ記事を切り抜いて、スクラップブックに貼ると同時に、パソコンに取り込んで保存します。もう十年くらい続けています。
 重要な社会問題を取り上げて論評を加え、A5判二十四ページの小冊子を作成。友人・知人や公共施設のほか、希望者に八十部ほど送っています。発行は百十五号を数えました。
 社会問題を取り上げ発行するにはそれなりの確固たる検証が必要です。その基となるのは、ほとんどが新聞記事。唯一の財産がこのスクラップブックです。
 今では少しずつ愛読者も増えています。一人でも読んでくれる人がいれば、やめるわけにはいきません。今では、これが生きがいになっています。今日も赤ペンの新聞記事囲みからスタートです。さあ、今日も一日頑張るぞ。”(9月13日付け中日新聞)

 名古屋市の大川さん(男・80)の投稿文です。スクラップをしている人はかなりあると思うが、ここまでしている人は稀であろう。頑張っている人があるものだ。ボクの「話・話」と似ているが、似て否である。違いを挙げてみる。大川さんは社会問題を取り上げておられる。こうした問題は意見の相違が大きい。下手をすると攻撃や中傷の材料にされてしまう。大川さんは紙で配られるので反論もしにくいかもしれないが、ボクはインターネットであるからすぐに反論ができる。だからボクはこうした問題にはあまり触れないようにし、身近な良い話に的を絞っている。紙とインターネットの違いは大きい。そして手間の違いも大きい。紙は大変だ、大川さんの根気には敬服である。大川さんは毎日である。ボクはほぼ1日おきに1話である。始めて10年というのはほぼ同じであるが、大川さんは今80歳である。ボクの今の歳から始められたのである。この違いも大きい。生き甲斐と言われるが、ボクはまだ生き甲斐とまでは言えない。でも「話・話」にかなりの時間を割いているし、いろいろな価値を見いだしている。大川さんに負けないところまで行きたいものだ。




2015/09/27(Sun) (第2166話) 第二期は「五足のわらじ」 寺さん MAIL 

 “定年後のライフワークを自分なりに考え十年間、体力維持を主体に励んだ。七十歳で一区切りを付け、今は第二期。精神面に比重を置いた「五足のわらじ」に取り組んでいる。
 一つ目はバドミントンなどで汗を流すこと。三十五歳から続けている市民マラソン参加は四百五回を数えた。二つ目はコーラスなどで心を癒やすこと。めいの結婚式でフルートを演奏したときの興奮は忘れられない。三つ目は樹木の剪定。シルバー人材センターで腕を発揮している。四つ目は花や野菜を育てること。お天道様と相談しながら、自然とともに生きていることを実感できる。五つ目は見たこと感じたことを文字にして投稿することだ。
 これにプラスして老人施設でのボランティアなど社会貢献活動を合わせ、日記に自己評価を記録している。年の終わりにバランスを見直し、明くる年に新たな気持ちで再スタートを切っている。”(9月6日付け中日新聞)

 愛知県新城市の川合さん(男・71)の投稿文です。定年後を第一期、第二期と数えるのも面白い。もう有り余るほど残された人生ではない。区切りを付けながら人生を慈しんでいくのも人生の知恵あろう。川合さんは70歳以後を第二期と捉え、五足のわらじを心がけておられる。さらに社会貢献活動もされ、自己評価を記録すると言われる。感心するほかない。
 さてボクはどうだろう。先日満70歳を迎えたところである。河合さんの言われる第二期に入った。一つ目、四つ目、五つ目にはほぼ同じ所がある。二つ目、三つ目についてボクは少し見劣りがする。もう一工夫が必要であろうか。
 過ぎたことではあるが、河合さんは第一期目をどのように捉え、過ごされたのであろうか。体力維持を主体に励んだと言われるが、少し知りたいところである。




2015/09/25(Fri) (第2165話) 咲き誇った彼岸花 寺さん MAIL 

 “岡崎市の中心を流れる乙川の堤防800mに「ヒガンバナが咲く古里を市民でつくりませんか」と呼び掛けたのは、私が古希を迎えた年でした。最初はみんな「そんなこと無理。年を考えなさいよ」と総スカン。でも最初から諦めてやらずに後悔するくらいなら、やってから諦めても遅くはない。「まだ平均寿命まで十五年もあるんだから」とすぐに行動を開始しました。
 すると、初回の植え付けに三百人を超す人たちが集まってくれました。球根を取り寄せる代金を賄うために開くフリーマーケットには皆さんが品物を提供してくれます。思いがけず、わずか4年で20万球も植えることができました。行政の手を借りず、秋に観光客でにぎわうヒガンバナの名所が誕生したのです。
 「おばあさんが頑張っているから手伝おう」と思われたのかしら。高齢を逆手にとって成功させる、これぞ老人力。何でもやってみるものです。高齢者の皆さん、今がチャンスですよ。”(9月6日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の主婦・三橋さん(76)の投稿文です。三橋さんが普通のおばさんであったら、この話にはびっくりすることばかりです。最初は総スカンを食ったと言うことですから、多分普通のおばさんでしょう。まず古稀を迎えて堤防に彼岸花を植えるという発想されたことです。どこからこんな発想をされたのか、知りたいものです。そして、まだ平均寿命まで十五年もある、と思われたことです。古稀になったらもう使命は終わったと思うのが普通ではないでしょうか。もうこれからは自分のことだけを考えて過ごす、と思われて何の不思議もありません。総スカンを食ったのに、初回の植え付けに300人が集まったと言うことにまたびっくりです。どんな手法を使われたのでしょうか。
 娘の家の前が堤防です。ボクはそこにもう何年も前に密かに彼岸花の球根を植えました。今ではかなり増え、ちょうど今咲いています。娘に聞いてみると、見つけて見に来る人もたまにあるようです。今内々にこの堤防を遊歩道にする話が検討されています。三橋さんの話はこの堤防に全くふさわしい話です。そしてボクは古稀、考えさせられてしまいます。




2015/09/23(Wed) (第2164話) 一日一笑 寺さん MAIL 

 “好きな言葉は「一日一善」である。両親が心掛けていたことで、自然に受け継いでいた。「一日一善」について小中学校時代、学校で友達とよく話し合った。登下校時や自宅でも話題になった。昨日はいいことをした、きょうは何をしようと考えていても、毎日一善を実行するのは、なかなか難しかった。だから最近は「一日一笑」と読み替えることにしいる。
 毎日みんなが笑顔で暮らせるように、他人の困り事や悲しみをなくす努力をしてみてはどうだろうか。弱い立場の人や子ども、女性が安全に暮らせることが大切だと思う。子どものいじめが取り沙汰される昨今。降りかかった火の粉を振り払えず、悩みを背負い込み、孤独の中でもがく子たちがいる。周りにいる家族や友人、先生には笑顔を忘れないでほしい。弱い人の立場に立ち、思いやりの心を持つことがすなわち「一善」となるのだ。”(8月30日付け中日新聞)

 岐阜県瑞穂市の中野さん(男・78)の投稿文です。仕事をしても一善、家事をしても一善と数えれば可能かも知れないが、日常でないもので一日一善はかなり難しいと思う。その心がけで過ごすと言うことであろうが、でも成果は欲しい。その点、「一日一笑」は可能かも知れない。ニコニコすることは1日1回くらいはできるであろう。特に高齢者にはふさわしい目標であるかも知れない。高齢者には無理のない穏やかな日々が必要である。人に尽くすことも必要であるが、まずは人に迷惑をかけないことであろう。




2015/09/21(Mon) (第2163話) 気配りのリレー 寺さん MAIL 

 “台風が福岡を通過した日の朝のこと。私はいつもの通り、出勤のため駅へ向かった。その時は風も雨も大したことがなかったので、電車が止まってしまう前になんとか!と思い、自然と駆け足になる。しかし、駅に着いてみると電車は「全面運休」。
 バスも動いていなかったので、タクシー乗り場の行列に並んだ。私の前には、すでに10人ほどが並んでいた。その後もどんどん列は長くなる。しかし、待てど暮らせどタクシーはやって来ない。知り合いもおらず、することもなく、始業時間を気にしながら並ぶのは、もはや苦行である。
 40分ほど経って、ようやく1台のタクシーがやってきた。すると、先頭に並んでいた女性が振り返って、満面の笑みで「○○方面に行きますけど、同じ方向の方おられませんか?」と声を掛けられた。その笑顔と声掛けで、場の空気が一気に和んだ。
 その後も、タクシーが着く度に先頭の方が後ろの方たちに声を掛けて数人ずつ同乗していったので、待ち時間はずっと短くなった。あの女性の一言は、まさに値千金。行列は苦行だったけれど、何か大切なことを学んだような気もする。”(9月5日付け朝日新聞)

 福岡市の会社員・三ヶ尻さん(女・57)の投稿文です。乗る人も待っている人もこんな気持ちを持ちながら、なかなか声に出す勇気が出ない。一緒に乗ってもらえばお金も安くなろうし、待っている人は早くなる。お互いが利益になることであるのに、他人の前で大きな声を出すというのは本当に勇気がいる。そして、一つ流れができると次々とそのようになる。皆が同じ気持ちだからである。最初に言い出す人を賞賛する。
 同じような話として、2006年5月7日 の「(第586話)気遣い」を読んで下さい。乗り合わせればまさにこういうことになるのです。




2015/09/19(Sat) (第2162話) 本物のロウソク 寺さん MAIL 

 “夫婦ともども前期高齢者になったとき、火の用心から台所のガスコンロをIH調理器に替えた。そうなると、「お仏壇のロウソクの消し忘れから火事になる」とのニュースも気になりだした。時折消し忘れ、気づいた夫に指摘されたことがあったのだ。そこで、こちらも電気のロウソクに替えた。
 はじめは毎朝お経をあげるとき、なんだか電気ロウソクの灯になじめなかったが、そのうちに慣れてきた。夫が、「線香も電気のものがある。そっちに替えるか」と言ったが、線香まで電気に替えるのには抵抗があるので、そのままにした。
 あれから約5年。今年は「残っているロウソクもあるから、お盆だけでも元のロウソクを使ってみよう」と久しぶりに灯をつけた。夫とお経をあげていて、窓からのかすかな風に揺れるロウソクの灯を見ていると、ご先祖様が話しかけておられるような気がした。
 いつもは電気ロウソクなので、灯が揺れるということはない。火の用心も大切だけれど、時々は本物のロウソクでお経をあげるのも良いなと思った。くれぐれも、消し忘れには気をつけて。”(9月2に付け朝日新聞)

三重県津市の主婦・北田さん(70)の投稿文です。この文でまず、夫婦して毎朝お経をあげられることに感心した。こういう人もあるのだ。思いの外あるのかも知れない。本当はわが家もしなければいけないだろうが、したことがない。仏壇の前を通るときに手を合わせるくらいである。なぜかボクも最近仏縁が多くなった。檀家総代である。また十八講という団体に係わっている。西国33所巡りにも参加し始めた。ボクの母は近郷でも知られた熱心なる仏教信者だった。こんな環境をたまたまの役割だけで終えていいだろうか。与えられた役割をチャンスと捉え、もっと入り込むべきではなかろうか、今そんなことにも悩んでいる。
 そして火の話である。時折消し忘れて大騒ぎをしている妻を見てIH調理器の話題を出したことがある。いつも立ち消えである。だがこの文を読んだ機会に再度話を出し、今度は業者を来てもらって話を聞いた。そして安全装置の高いガスコンロを頼んだ。今のものは8年前のものだが、安全性において全く違っていた。




2015/09/17(Thu) (第2161話) 百万分の一の恋 寺さん MAIL 

 “照れてしまう手紙だった。ニューヨーク・マンハッタンの雑貸店前の街路樹に、開いた状態でホチキスで留められていた。添えられた白いカスミソウが、にぎやかな街の中で人目を引いていた。手紙にはこうあった。「数週間前、この店で見かけた名も知らぬ女性へ。私たちは視線を合わせただけで、言葉を交わすことはありませんでした。あなたは黒い服を着て、褐色の髪を美しく編み込んでいました」
 散歩中だった私は、ここまで読んで赤面してしまった。続きが気になり読み進めた。「百万に一の可能性にかけて、もしそれがあなたならば電話をください。私の名刺を同封しました」手紙の裏に封筒が挟んであった。この中に名刺が入っているということだ。
 どんな人が手紙を書いたのだろう。女性を見かけたが声をかけなかったことを帰宅後も悔やみ、悩んだ末に書いたのか。旅行者も多いこの街で再会のチャンスが高くないことは覚悟の上だろう。調べてみると、カスミソウの花言葉は「清らかな心」。次に通るときには開封されていることを願う。”(9月2日付け朝日新聞)

 「特派員メモ」という記事欄からです。いいですね、恋にはこういう一途さが必要です。恥も外聞もない、こういう一途さがないと成り立ちません。ボクにも勘当と言われる体験があって、こういう態度にはより賞賛したくなる。
 最近よく出会いの機会がないと言われる。本当だろうか。ボクには昔に比べればよほど多くなった気がする。若い男性も女性もほとんど社会に出ている。仕事は終わっても町中でうろついている人は昔より遙かに多い。その気があればできない訳がないと思う。この男性のような積極さがあったらいくらでもチャンスはあるだろう。この積極さが足りないのだ。相手にされなかったらどうしよう、恥ずかしい思いはしたくない、と1歩退いているのではなかろうか。お互いが引いていては成り立たない。そして我が身を省みず、要求が高くなっている。与えられることばかり期待している。恋とは愛とは与えることである。こんな話をしていたら切りがないが、この男性の百万分の一の恋が成就することを祈りたい。カスミソウを添えるなんて、何とロマンチックな男性だろう。ますます祈りたい。




2015/09/15(Tue) (第2160話) 「ヨーコ」と呼ばれて 寺さん MAIL 

 “結婚して32年。戦前生まれの夫は、私を「おい」と呼ぶ。戦後生まれの私は、それが嫌で、「私には、親からもらった名前があります」と反論していた。それでも、夫はいつも「おい」と呼び、何年も過ごしてきた。
 それが、「ヨーコ」と、呼んでいることにふと気づいた。いつごろからかは、定かではない。子どもたちが独立し、長年介護をしてきた母が昨年102歳で天寿を全うし、夫と向き合う時間が増えた頃からのような気がする。
 昨年は、78歳の夫と、新婚旅行以来、はじめて旅行した。お互い元気で動けるうちに、有意義な時間を過ごしたいと思ったからかもしれない。それが、正解だった。今年2月、夫は肺炎をわずらって体調を崩した。これからは介護の道を歩くことになりそうだ。夫には「ヨーコ」しか、頼れる人がいないから、名前を呼んでいるのかな、と思うとちょっぴり、いとしい気がした。出会ってから、初めての気持ちだ。朝のコーヒーをいれながら、そばでじっと持っている夫に「これからは、この気持ちを大切にしていきますからね」とつぶやいた。”(9月1日付け朝日新聞)

 東京都の薬剤師・大西さん(女・68)の投稿文です。この文でまず気になったのは「昨年は、78歳の夫と、新婚旅行以来、はじめて旅行した」という所です。薬剤師と言われるので、薬局でも経営されているのだろうか。個人店を経営されていると長期の休みは全く取りにくい。それでも78歳まで夫婦の旅行をしたことがない、と言われるとその大変さを思うと共に、考えさせられてしまう。今ボクが思い出せる範囲で、夫婦で始めて遠出したのは平成3年の南九州である。40代半ばである。ツアーであったがこれが結構気に入ったので、その後毎年1回程度2泊3日位で遠出した。ここ数年は外国にも出かけている。このことを思うと大きな違いである。最近はいつ行けなくなるかも知れないと思って、より機会を多くしている。そして、大西さんは始めての旅行が最後になってしまうかも知れない。旅行の好き嫌いがあるかも知れないが、生涯を見通して考えたい。
 名前を呼ぶことについては、この「話・話」で何度も取り上げた気がする。我々の年代は、テレからか素直でないからか、名前を呼ぶあう夫婦は少ない。ほとんどが「お父さん」「お母さん」である。ボクの夫婦もそうであったが、これは全くおかしいので数年前から止めにした。今では「お父さん」「お母さん」は子供の前以外では全くでてこない。




2015/09/13(Sun) (第2159話) 最後の心遣い 寺さん MAIL 

 “落語で「あの世はとてもいいところらしいよ。だって、いまだに向こうから帰ってきた人は、一人もいないんだから」と笑いを誘っている。心配することはない、この世に生を受けた誰もが、例外なく一度は行ける黄泉の道。
 暇と時間はたっぷりあるのに、なかなか書きつづれないのが、人生の終幕に備えて希望を書き留める「エンディングノート」。転ばぬ先のつえならず、そろそろ準備せねばと感じる年となる。
 海の向こうでは安楽死が大きな話題にもなったが、思えば十年前、母の入院先で担当医から延命治療の可否を求められ、その決断に心を痛めたものだ。特に財産もなければ借金もないわが家なれど、明日はわが身。いざというとき、やはり世話になるのが身内だ。エンディングノートに書き記すことが、残された家族・身内へのささやかな心遣いではないかと思う今日このごろ。”(8月31日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・久野さん(男・68)の投稿文です。簡単な自分の生い立ちや希望、注意書き、財産記録を書いて残すのは残された家族・身内へ心遣い、責任と思って、数年前にエンディングノートを買ってきた。しかし、買ってきたのみで全く進んでいない。なかなか気分が乗れないのである。ボクはつい先日満70歳の誕生日を迎えた。久野さんは68歳である。ボクよりも若い人である。本気で取り組まねばと刺激された。先日ガンを宣告され、寿命を感じたところである。今やらなくていつやるのか。
 遺言書も必要である。先日あるテレビ番組を見ていて、ボクの家庭はもめる家庭の一つと言われて気になってきた。それは、不動産があること、跡継ぎがはっきりしていないこと等である。本気で考えないと大変なことになるかも知れない。




2015/09/11(Fri) (第2158話) 亡父の短歌 寺さん MAIL 

 “四年前に亡くなった父は生前、短歌をつづった年賀状を書いていた。父の引き出しの中から、何枚かの古い賀状を見つけ、懐かしく眺めていたところ、次の二首が目に留まった。
 「七十年の 昔さながら 聞こえくる 議事堂よりの 進軍ラッパ」
 「戦争を 知らぬ大臣ら 意気高く 辿りはじめた 曽て来た道」
 これって、まさに今のことでは。短歌を全く知らない私でも、グサッと胸に突き刺さった。この短い歌に込められた父の強い憤り。長い時を経て、私の手元にこの歌が現れたのは父の采配かと思った。
 亡くなる三年前まで、五十年以上も医師をやっていた父だが、医学生のころは文学書を読みあさる文学青年だったと、最近になって父をよく知る人から聞いたばかり。この歌が「戦争を知らぬ大臣ら」に届いてほしいと願う今日このごろである。”(8月26日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の主婦・鈴木さん(59)の投稿文です。年賀状も儀礼的に定型的な文で出す人が多いが、自分の思いを託す人も多い。ボクがもらうものでもテーマを決めて彫った版画や鈴木さんの亡父のように短歌や句を書く人、絵手紙のような人、毎年来るのが楽しみになる人のも多い。
 ボクら夫婦も川柳を始めて以後、2人の川柳を載せるようにしてきた。楽しみにしてもらっている人もあるようだ。短歌や俳句、川柳は自然その時を反映するものになる。それがまた良いのである。そして、鈴木さんのお父さんのこの短歌はいつ作られたのであろうか。少なくとも4年以上前である。今まさに安保法案で大騒ぎである。先を見越したような短歌である。唸りたくなるのである。




2015/09/09(Wed) (第2157話) バブル崩壊後の支え 寺さん MAIL 

 “私が起業した頃は、世の中がバブル経済といわれた時代で、仕事に事欠くことはありませんでした。しかし、バブル経済が崩壊すると、急激に仕事が減りました。このまま事業を続けていくのは無理かもしれないと考えながら、車で作業現場へ向かう途中、ラジオからこんな話が流れてきました。
 女性の方で「勤めていた大手通信会社を退職し、夢だった啓発セミナーの講師になりましたが、不景気とともに企業からあった多くの依頼がなくなりました。そんな中で出会った二人の方にこんな言葉を頂きました。『意志あるところに必ず道あり』『苦しみ多きとき学ぶこと多し』」と。
 私は車を止め、この二つの言葉をメモしました。それ以来、心の引き出しの中のすぐに取り出せるところに、この二つの言葉が納めてあり、ことあるごとに大きな支えとなり、今があります。この二つの言葉との出合いに運命を感じます。”(8月23日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の造園業・山本さん(男・50)の投稿文です。『意志あるところに必ず道あり』『苦しみ多きとき学ぶこと多し』」、ラジオで聞いた言葉を車を止めてメモをする。山本さんの胸をよほど打ったのであろう。でも、こんなことをする人はそんなにあるだろうか。山本さんは素晴らしい。言葉との出合いも人の出合いと同じである。事実その後の山本さんの大きな支えになった。我々は毎日、多くの出合いを経ている。このように感じ入ることもあろう。しかし、感心したり興味を持っても多くはそのままやり過ごす。少しの行動がその後を全く変えることも多い。例えばボクと川柳の出合いは、もうこの「話・話」でも何度も書いているが、ちょっとした好奇心と行動から始まった。それがもう35年である。いつまでも少しの好奇心と行動力を持ちたいものだ。
 『意志あるところに必ず道あり』と通じる言葉で、ボクは「人は考えたとおりの人間になる」という言葉を教えてもらった。目標を定めればそのように努力し、道も開けるというのである。そして自分が考えたとおりになるのである。




2015/09/07(Mon) (第2156話) ゴールデンドロップ 寺さん MAIL 

 “冷房の効いた室内に長くいると、熱い日本茶が飲みたくなることがある。そんなときは、丁寧に煎茶を入れる。茶菓をティースプーンで量り、お湯の温度、蒸らし時間にも気を使う。
 「急須から最後にしぼりきる一滴が、このお茶の一番おいしいところよ」教えてくれたのは、独身時代に勤めていた会社の一歳上の先輩「やこちゃん」だ。会社では、事務職の女性社員が毎朝交代で営業部の全員にお茶を入れた。飲み終えた男性社員は、元気に担当地域へ出掛けていく。「やこちゃんが入れたお茶は、おいしいね」。そんな声をよく聞いた。
 一緒に机を並べて働いた期間は二年にも満たなかった。結婚退職して、お母さんになった彼女が、頭部の腫瘍で亡くなったという話を聞いてから、もう随分たつ。
 紅茶をカップに注ぐ最後の一二滴をゴールデンドロップという。ゆっくり急須を傾けて緑茶の黄金のしずくをしぼりきるとき、やこちゃんの真剣なまなざしが浮かんでくる。色白で細面の彼女が、ずり落ちる大きめの眼鏡を、長い指で鼻の上に載せ直していたしぐさを思い出す。
 最近はペットボトルのお茶を買う人が増えたので、急須がない家庭もあるそうだ。”(8月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・後藤さん(51)の投稿文です。「ゴールデンドロップ」こんな言葉は全く知らなかった。お茶を入れたこともないボクが知る訳がないか・・・。それにしてもどんなところにも知恵はあるものである。皆いろいろなところに知恵を働かせている。そして、人より少し秀でると賞賛され重宝される。皆こうして補い合っていく。そういう会社や社会、家庭は素晴らしい。
 女性がお茶を出す職場は、女性蔑視の代表のようにいわれた。そして今や皆無状態になった。また今は職場にそんなゆとりもない。皆せかせかと動きまわっている。いや、動かずにパソコンにしがみついている。お茶出しなど全く良い気分転換になろうが、今やそんなことをいう時代ではない。「やこちゃん」の出番はない。何のために働くのか、本当に働きやすい職場になったろうか、もう一度よく考えた方がいいと思う。




2015/09/05(Sat) (第2155話) 児童に学ぶ 寺さん MAIL 

 “大学や専門学校で「障害児教育学」「人間関係論」を学生たちと学んでいる。ある学生からこんな質問があった。「小学一年生に平和をどうやって教えるか」と尋ねてきた。「どう教えるかの前に、子どもに聞いてごらん。それがヒントになる」と軽い気持ちで返答をした。二週間後、その学生が明るい顔で、さわやかに語ったのが印象的だった。
 「平和はどうすれば守れる」と子どもに尋ねると、「仲良くすればいい」「けんかをしなければいい」「お友達をつくればいい」「話し合えばいい」といった意見が聞かれたという。
 大人が忘れていた「原点」が語られていると痛感した。私も学生も、未来を担う子どもたちから大きなことを学んだ。”(8月19日付け中日新聞)

 名古屋市の大学教員・加藤さん(男・58)の投稿文です。本当に平和など「仲良くすればいい」「けんかをしなければいい」「お友達をつくればいい」「話し合えばいい」、これで十分にできる。これが原点であろう。あれこれ言う前に原点に戻ればいい。これに沿うようなことをすればいい、これに反することはしないようにすればいい、簡単なことである。これを素直に発言できる子供は本当にいい。
 ところがそう簡単に答えられないのが大人である。いろいろな欲、体面、思惑などが絡まり、にっちもさっちも行かなくなることを知っているからである。こんな答をすれば子供かと思われるからである。お互いに良いことを見つけることは難しいかも知れないが、反することをしないことは簡単なことである。相手がいやがることはしなければいいのである。それができない。相手が弱いとみれば、強くでるのが大人である。
 本当に時折子供聞いて、素直に戻ることも必要である。




2015/09/03(Thu) (第2154話) 球児と校歌 寺さん MAIL 

 “試合の数だけ喜びと侮しさがある甲子園の高校野球。こちらも涙をそそられる。年に二度、こんなに純粋な楽しみをいただける幸せを思う。私には、もう一つの楽しみ方がある。それは試合の数だけ流れる校歌。伝統校では作詞作曲者に「えっ」と驚くほど有名な人の名が見受けられる。歴史の新しい学校では、現役のミュージシャンが手掛けたニューミュージック調の歌が聴けたりして楽しい。
 八日には、場内で流れる敦賀気比の校歌が途中で止まるハプニングがあり、応援団とアカペラで見事に歌い遂げた様子が新聞紙面を飾った。一番心に残る校歌は、銚子商業のもの。《幾千年の昔より 海と陸との戦いの 激しきさまを続けつつ 犬吠岬は見よ立てり》。残念ながら、ここしばらくは“お耳にかかっていない”けれど、簡潔でリズムが良く、今でも完璧に歌える。
 校歌が、このような使われ方をしている国が他にあるのだろうか。万葉の長歌を思わせる朗々たる叙情詩、俳句のように爽やかで奥深い文学性など、その学校の歴史をも感じさせる歌詞にふれたとき、あらためて国語の美しさに魅せられる。ちなみに、わが母校の校歌は、まだ一度も流れたことがない。いい歌なのに。”(8月19日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の榊原さん(女・82)の投稿文です。日本の小学校から高校まで、ほとんどの学校で校歌がある。榊原さんも知りたく思っておられるようだが、これは日本独特のものであろうか。そうであれば楽しい日本の文化だ。校歌にはすぐ校歌と分かる独特の雰囲気がある。地域を歌い、気持ちを奮い立たせるものが多い気がする。それだから、高校野球ではより印象に残る。オリンピックでは国歌、高校野球では校歌である。
 今学校ではどんな時に歌うのであろうか。運動会や卒業式に歌っているであろうか。大切にした方がいいと思う。ボクは久しく校歌を歌ったことがない。でも歌える気はする。それ程身についているのである。この文に出合うまで、校歌のことをほとんど気にしたことがない最近であったので、もう少し関心を持って見てみたいと思う。




2015/09/01(Tue) (第2153話) 「転ばない、転ばない」 寺さん MAIL 

 “今日も「転ばない、転ばない」と、独り言を言いながら、歩いています。年寄りになると前かがみになってしまい、家の中でも、敷物や段差につまずいて、転びそうになってししまいます。大腿骨骨折でもして、長い間入院になったら大変と、本当に気をつけて、家の中でも、呪文か、念仏みたいに、「転ばない、転ばない」と、ぶつぶつ言いながら歩いています。寝言でも、大きな声で「転ばない、転ばない」と言っているそうです。しかし、「足があがっていない」と家人に注意されています。元気に歩いた日には、自分で「よくできました」などとほめています。
 嫁が亡くなり、少しでも手助けになればと、息子と孫の食事作りや洗濯などを気合を入れてやっています。
 病院の先生も「あなたは、杖もつかずに1人で病院に来られているのだから、これからも気をつけて」と励ましてくださいます。皆様にやさしく見守って頂きまして、ありがたく、感謝しながら過ごしています。これからも、元気で「転ばない、転ばない」と言いながら、歩いて行きます。”(8月18日付け朝日新聞)

 千葉県白井市の主婦・浜田さん(86)の投稿文です。投稿文の年齢を見ていると高齢者が圧倒的に多い気がする。元気で意欲のある高齢者が増え、時間もある。そして浜田さんもその代表であろう。でも、元気な高齢者でも一度転んだらそれで終わりになる可能性は大きい。大腿骨骨折などで入院したら、一度に足も萎え、もう十分に活動できなくなる。それで呪文のように「転ばない」と唱えながら一歩一歩を確かめながら歩く、呪文は効果があると思う。浜田さんは賢明である。
 転ぶ場所は家の中など身近なところが多いそうだ。慣れた安心感で気が緩むのだろう。考えて見れば、家の中などこせこせして躓くところばかりである。綺麗に片付け躓きそうな場所を少しでも減らす、これも肝心である。今のボクなど十分すぎるほど元気であるが、浜田さんの歳には分からない。この世にいない可能性の方が大きい、と考えると浜田さんは本当に立派だ。


 


川柳&ウォーク