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第134号  2015年7月

2015/07/31(Fri) (第2139話) 突然の病 寺さん MAIL 

 “ある日突然、私は重病人になった。正確に言うと、もっと前から病人だったのだが、全く気づかずにのんきに日常生活を送っていた。数カ月前から下腹に少し違和感があった。医院に行ってもわからず、婦人科で検査したところ「すぐに大きな病院へ」と言われた。「卵巣がんですか」と尋ねたら否定されず、紹介状を書いてくださった。
 夫に電話をして、ふだん通り帰りにスーパーに寄って夕飯の材料を買った。紹介された病院で検査すると、がんはかなり大きくなっており、周囲にも散らばっているとのこと。「あ、あかんわ」と思った。
 しかし、主治医は「薬がよく効くので、あきらめることはありません」と笑顔でおっしやった。すぐに手術はできないので抗がん剤で小さくしてからになる。
 私は出生時、仮死状態で生まれたと両親に聞かされてきた。60年間も生き、孫まで見られたのだからもう十分かと思ったり、不安でおしつぶされそうになったりの毎日だ。
 そんな私のために、夫は仕事をやめ、そばにいてあらゆる面でサポートしてくれている。それがなによりの支えだ。”(7月11日付け朝日新聞)

 堺市の主婦・宿南さん(60)の投稿文です。先日、鳥越俊太郎さんがテレビで話す場面を見ました。鳥越さんは65歳で直腸ガンを発症し、以後4度の手術をし、今75歳である。そこで「ガンは自覚症状がない病気である。早期に見つけるには検査で見つけるより方法はない」と言うこといっていました。自覚症状が出たときにはもうかなり進んでいるのです。宿南さんの場合もまさにそれであったようです。
 そして今、ボクもまさにこれに直面しています。ボクの場合は65歳の時何気なく申し込んだPSA検査で11の値がありました。レッドゾーンです。すぐに精密検査を受けました。細胞を取ってくる検査ではすべて陰性でした。その後は3ヶ月毎に、後には6月毎にPSA検査を受けてきましたが、数値は10〜11間であまり大きな変動はありません。それでも医師は「生検をしてちょうど5年たつので、再度を受けませんか」と言われ、素直に応じました。それが今年6月のことで、6月17日に検査結果を聞きに行くと「12点の内1点でガン細胞がありました」と前立腺ガンを告げられました。青天の霹靂、ここからガンが意識の上で急上昇です。紹介状を書いてもらって別の病院に行ったのが7月7日です。別の所にガン細胞はないかの検査が始まります。7月14日にRI検査、7月28日にCT検査を受けました。結果、他にガン細胞はないようです。
 検査でガンだと言われただけで、何の自覚症状もないので何か不思議な気分です。これで手術などするのだろうか。でもこれがガンなのでしょう。宿南さんと違って、早期発見です。本当は喜ばねばいけないのだろうが、複雑な気持ちです。




2015/07/29(Wed) (第2138話) わが家のサルスベリ 寺さん MAIL 

 “我が家に1本のサルスベリがある。高さは3mを超し、毎年、花を咲かせて庭を彩ってくれる。20年前、息子の出生届を私の実家がある静岡県内の市役所に提出した際にいただいた。徳島県穴吹町(現美馬市)からの贈り物である。
 息子の誕生日は平成7年7月7日、ラッキーセブンが並んだ日である。当時の郵便番号が「〒777」だった穴吹町が、この日に生まれた全国の赤ちゃん2560人にサルスベリの苗木を届けたのだ。
 私は出産2ヵ月後に戻った自宅の庭に、高さ20cmほどの枯れ木のようなサルスベリを植えた。そして15年前、夫の転勤を機に栃木に引っ越し、木も移した。
 穴吹町からは毎年7月にバースデーカードが、正月には年賀状が届いた。見知らぬ土地からのはがきに、どれほど励まされ、元気づけられたことか。いつか訪ねたいという思いが膨らんでいった。
 このプロジェクトが20周年を迎えて終了するという。サルスベリの木とともに息子の成長を見守り続けてくれた穴吹町をこの夏、初めて家族で訪ねてみようと思う。今まで本当にありがとうございました。”(7月10日付け朝日新聞)

 栃木県高根沢町の主婦・内藤さん(48)の投稿文です。777の郵便番号にちなみ、平成7年7月7日生まれの全国の赤ちゃんにサルスベリの木を贈った穴吹町、味な企画をしたもである。申し訳ないがボクは穴吹町を知らない。しかし、この企画で少なくとも2560人は知られたことになる。それも全国に散らばっている。この何倍もの人が穴吹町を知ったことであろう。味な企画の効果はあったと思う。バースデーカードや年賀状も届いたという。それが20年、大変な労があったであろう。廃止に当たってはいろいろな議論がされたであろう。行政の財政はどこも苦しい。経費の削減と言うことはあったろう。でもこういう突飛な企画は楽しい。どこも一律一辺倒は楽しくない。いろいろなところがいろいろなことをする、こういう余裕は欲しいものだ。人生も同じである。




2015/07/27(Mon) (第2137話) 遺影撮る 寺さん MAIL 

 “先日、遺影を撮影しました。写真館で撮ってもらったのは、いま大学生と高校生の孫のお宮参り以来です。5年前に夫が亡くなった時は、遺影をスナップ写真から4、5枚選び出し、葬儀屋さんとあれやこれやと迷いながらの作業になりました。私が気に入った笑顔の写真は、引き伸ばしが難しいとのことで使うことができませんでした。そこで自分は、自分の気に入った写真を撮っておこうと出かけたのです。
 素人考えでは、せいぜい十数枚をパチパチとやって、後日選びに行くものと思っていました。ところがです。「背筋をもっと伸ばして」「あごを引いて」「肩の力を抜いて」と矢継ぎ早に指示が飛び、果ては両手のそろえ方まで。右を向いたり左を向いたり、数え切れないほどシャッターを切られました。
 リラックスするために部屋を替えたり途中で休憩を入れたりで、なんと約1時間かかりました。シミ、シワはともかく、少しでも元気で若い間でないと体力もいると痛感しました。サンプルから笑顔の1枚を選びました。今月、正式な写真が出来上がります。楽しみやら怖いやら!”(7月2日付け朝日新聞)

 横浜市の上野さん(女・77)の投稿文です。最近はこういう話も聞くようになった。遺族にとって、忙しい中遺影の写真探しも一苦労である。スナップ写真ではなかなか思うようなものが見つからない。どこかで「エイ、ヤッ!」と決断するのだが、そして、人の評価を気にするのである。これはボクの経験済みのことである。それがこのように写真館で撮っておけば、本人が納得済みのことだから、遺族は気にすることはない。選ぶ手間も省けるし、当然良い写真である。遺族の労を省けるようにしておくのも、一つの配慮である。
 毎年写真館で写真を撮る家族の話を聞いたことがある。年中行事になるし、良い記念になる。ボクが今言い出したらおかしなことになるか・・・でも、今からでも遅くないか・・・。




2015/07/25(Sat) (第2136話) 年を重ねて 寺さん MAIL 

 “これまでの人生、時々にパートナーがいた。高校時代のテニスの相棒、仕事で走り回ったときの公私共に相談できた相棒、リタイアしてから老入会や町内会で心許した相棒などなど。
 若い頃、正月帰省の折、子どもが独立して夫婦だけの暮らしとなった兄嫁が「夫の姿が見えないとき、二階でコトコト音がすると妙に安心する」と言った。そのときは聞き流していたが、八十代の今、意味がよく分かる。
 夫婦は長年暮らしを共にすると、以心伝心、短い言葉の意味がくみ取れるようになる。自然に家事の役割も分担している。生涯の相手としてお互い認め合っているからだろう。周りを見回すと、どの夫婦も実に良い組み合わせだ。活発な奥さんと物静かな旦那さん。短気なご主人には、おっとりした奥さん。年を重ねた夫婦は最高のパートナーだろう。”(6月28日付け中日新聞)

 名古屋市の河上さん(男・81)の投稿文です。パートナーは配偶者か・・・河上さんは81歳か・・・そういう歳になるとより思うかも知れない。周りからいろいろなものが消えていく。そして最後に残ったのが配偶者である。それが一般の人の宿命、自然なのだ。どんな折り合いの悪い夫婦でも、何十年も共に過ごせばもう立派な夫婦である。側に居なければ何か欠けた感じがする。ちょっとした物音に気配を感じれば安心する。
 ボクは一回り若い。でも先日ガンが見つかった。いつか終焉のあることを知らされた思いである。より人生を愛しく思い、ボクより心配する妻を愛しく思うのである。妻には今まで以上に良いパートナーと思われるようにやっていこうと思う。




2015/07/17(Fri) (第2135話) 母の告白 寺さん MAIL 

 “母が亡くなる5年ほど前、ふと私にもらしたことがある。「おまえの命がおかあちゃんのおなかに宿ったのは、○○温泉の○○旅館だったんだよ」よもや母親から夫婦生活のことを聞かされるとは思ってもみなかったので、一瞬、何を言い出すのかとびっくりした。
 実は、その日は鳥取連隊に入隊中の父に外泊許可が出された日であったそうだ。「面会や外泊許可が出されるのは前線への出撃が決まった場合が多い」と、当時よく言われていたようで、母も耳にしていただろう。しかし、それは軍事機密扱いなので、家族といえども言うことはできない。父の心中は、いかばかりであったことか。母は、その日が父との最後の別れになることを覚悟したという。どんな気持ちでその夜を過ごしたか。当時のことを思い、両親にいとおしさを感じた。
 幸い父は、戦地に行くことはなかった。すでに移送船がなく、出撃できなかったからだ。そのおかげで私は戦争で父を失わずに済んだが、そうした上に、今の私の人生がある。戦後70年を迎え、母の言葉を思い出しながら、平和のありがたさをかみしめている。”(6月28日付け朝日新聞)

 鳥取県倉吉市の自由業・池原さん(男・69)投稿文です。母親から自分の誕生を聞かされ、それも戦争の最中の旅館であったという。聞く本人は、胸にジーンと来るものなくして聞くことができようか。そんな間一髪の中で頂いた命である。両親にも自分にも粗末にできない命である。 
 池原さんとボクは全く同い年、終戦の年生まれである。と言うことはボクも同じような状況の中で芽生えたのかも知れない。ボクの父親は戦争で傷を負い、入院していて命が助かったと聞いたことがある。池原さんと同じような状況であったかも知れない。でも詳しいことは聞いたことがない。もう両親が亡くなりこういう話を聞くことができないのは残念である。
 ボクは子供たちに自分の生い立ちみたいのことをあまり話していないと思う。今こんな自分の生い立ちのようなことを話すとうっとうしがるかも知れない。でも子供が親のことを知りたいと思う頃には多分もう遅いのである。ボクが見本である。いやがっても話しておくべきかと思う。そうしなければ自分の思いも伝わらないし、それがまた子供の為でもある。いつまでも親はいる訳ではないと知った今、素直に聞いてくれるかも知れない。




2015/07/15(Wed) (第2134話) ツバメの巣作り 寺さん MAIL 

 “少しずつ暖かくなってきた春、授業を受けていた私の耳に入ってきたのは、ツバメの鳴き声だった。授業に集中できず、外を眺めていた。少し前からツバメの巣があると知っていた。今年になって初めて見つけた時は、まだ巣は完成していない状態で、ツバメが作っている最中だった。
 巣はどうやって作り、何でできていて、どうやって固めるのかに興味を抱いた。調べてみると、巣は泥と枯れ草に唾液を混ぜて作ると資料にあった。唾液で固めるとは思ってもみなかったので、びっくりした。友人に教えると、私と同じように驚いていた。ツバメってすごいんだなと思った。
 ある日、巣から嗚き声が聞こえた。赤ちゃんが生まれているんだなと気づき、うれしい気持ちになった。新しい命の誕生に、自然と笑顔があふれた。”(6月24日付け中日新聞)

 三重県四日市市の高校生・永田さん(女・17)の投稿文です。ツバメの巣作りを観察する、自然の営みを知る、そして感動する。若い人のこういう文を読むと嬉しいですね。世の中知らないことだらけです。と言うより知っていることはわずかなことです。これはいくつになっても言えます。機会があって、少しずつ知っていく、それを嬉しく思う。これを繰り返しながら人生を過ごしていく。これが普通の人の健全な世界でしょう。そういう機会を少しでも多く持つ、そういうチャンスを見逃さない、この心がけで行って欲しいものです。そうすれば悔いのない人生になるでしょう。
 そう思ってボクも孫をよく連れ出しています。その知る能力と言ったらとてもぼくらが及ぶものではない。特に若い時のチャンスを逃さないようにして欲しい。本当にゲームなどに明け暮れているときではない。




2015/07/12(Sun) (第2133話) 健康の集い 寺さん MAIL 

 “五月下旬、学区コミュニティーセンターで行われた「健康のつどい」に参加した。案内には「健康体操・レクリエーション」と書いてあったので、トレシャツ、トレパン姿で出かけたものの、すでに準備していた二十人ほどの皆さんは普通の格好。さらに男性は保健委員と私しかおらず、「やっぱり」だった。
 作業療法士の先生は巧妙な話術で、じゃんけん、握手、肩たたきなど相手とのふれあいや、会話をしながらのゲームを進めていく。向かい合って相手のいいところを褒めるゲームでは、照れや恥ずかしさのために相手の顔をじっと見ることすらできず、自分の顔のこわばりを感じた。周囲を見てみると、女性同士とはいえ、皆さんは満面の笑みで楽しんでおられた。
 男っていうのは、なかなか裃が脱げない動物だなとあらためて感じ、近い将来味わうかもしれない孤独な生活から逃れるには、いい訓練だと納得した。”(6月23日付け中日新聞)

 名古屋市の伊藤さん(男・69)の投稿文です。“「やっぱり」だった”に思わず苦笑いを浮かべる。伊藤さんも常々女性の元気さ、男性のふがいなさを思っておられたのだろう。それがこの言葉になった。「4年かけた紙芝居」でも書いたが、男性の仕事以外での社会参加が全く乏しい、と感じているのはボクだけではなかった。定年後の付き合いも仕事の延長上の人が多い。もちろんそうでない人も多いが、割合として少ない。これでは世界も広がらない。
 また女性がすべてやほとんどの会で男性が加わると雰囲気は全く違ってくる。女性ばかりだと陰口、嫉妬なども多く、足の引っ張り合いになる傾向は多い。男性が入るとほとんどは良い傾向になる。これはボクが経験済みである。もちろん、私の会はそうではない、と反論される会は多いと思うが、当然である。ボクは男性に自分のためばかりではない、と奮起を促しているのである。
 女性ばかりが元気になってどうするのだ。引っ込み思案の旦那さんも引っ張り出してこなくては。けんかばかりの夫婦であっても、2人揃っていればこそである。健康体操も2人でやりたいものだ。




2015/07/10(Fri) (第2132話) 藤村読破 寺さん MAIL 

 “月に一度、友達六人で行う読書会に参加しています。二〇〇九年の四月から読み始めた島崎藤村の著作「夜明け前」が、今年の五月でやっと終了しました。私たちの読書会のやり方は、一人が二ページぐらい音読します。それから分からないことを出し合ったり、感想を話したりします。漢字には読み仮名がかなりついていますが、まだ読めない字があります。「多分こんなふうに読むのかな」と言いながら、適当に読むこともあります。意味の分からない言葉は、電子辞書で調べます。「候文」の手紙も文中の「候」に気を取られて読んでいると意味が分からなくなってしまい、難しかったです。
 一人でこの本を読んでいたら、言葉の難しさに音を上げて、挫折していたでしょう。友達と一緒に読なことで最後までたどり着けたと思います。一緒に読んでくれた友達に感謝です。秋には、みんなで馬籠に行って、激動の時代の半蔵の生きざまに触れてみたいと思っています。”(6月23日付け中日新聞)

 愛知県江南市の中村さん(女・72)の投稿文です。「夜明け前」を6年がかりで読み上げた、よくぞ根気が続いたものだと唸ってしまった。6人で読みあい、調べ、感想を話し合うというのであるから、単なる読書ではない。こんな読み方もあるのか、人のやっていることは本当に様々である。これは一人で静かに読むのとは違った楽しみがあるであろう。いいと思われることは、いろいろな形を見つけて続けて欲しいと思う。根気という面ではつい先日の「(第2131話)4年かけた紙芝居」と同じである。そしてこの会も男性はいたのだろうか、気になるところである。
 この文を取り上げたのは、ボクも今年に入ってこの「夜明け前」も読んだばかりであるからである。ボクは電子ブックで、多くは通勤途上で読んだ。1ヶ月くらいかかったろうか。激動の時代、馬籠という静かな山村でこのように人生もあったのか。
 激動の時代と言うが、人によってはいつも激動の時代である。その渦中に飛び込むか、傍観するかの違いである。今も激動の時代である。世界は戦争だらけ、救済を待っている人も多い。日本でもいろいろな問題があり、デモも繰り返されている。




2015/07/08(Wed) (第2131話) 歩数計と健康管理 寺さん MAIL 

 “私のパートナーは歩数計である。起床と同時にポケットに入れれば、就寝までの行動を正確にキャッチしてくれる。その日の「出来高」として日記に残すのが日課だ。歩数計と出合って三十年以上になるだろうか。日々行動を共にしていて、働きぶりは確か。現在の愛器は何代目か分からないが、二年前から使っている。
 持ち主にくっついているだけなので「金魚のふん」と思われるかちしれないが決してそうではない。休まずに働き、示す数値は健康管理の目安になる。とても重要な存在なのだ。
 パートナーは通常、人に求める。多くの場合、発展向上を模索し切磋琢磨する過程で、感情を持つ人と人との間には意見の食い違いが生じやすい。往々にして破局を招くが、相手が計器ならばそのような心配は無用である。愚痴らず黙々と働き続け「沈黙は金」を教えてくれる私のパートナ−は、優れ物である。”(6月21日付け中日新聞)

 「パートナー」というテーマから名古屋市の森部さん(男・80)の投稿文です。パートナーと言われれば、多くは配偶者や仕事などの仲間を思いつくと思うが、森部さんは万歩計を挙げられた。起床と同時にポケットに入れ、就寝まで身につけておられるという。これなら立派なパートナーであろう。万歩計は健康管理の目安を示す。特に1日1万歩を目標にしようという掛け声には重要な用具である。ボクみたいにウォーキングを愛好している者はほとんどの人が付けていると思う。歩数から何キロ歩いたかを推測する。記録を付けながら励みにする。いろいろな活用がある。
 もちろんボクも愛好している。いつから付けていると問われても答えられない。多分、30代の頃には付けていたと思う。そしてもういくつ目かも分からない。今使っているものは、昨年11月からと言う新しいものである。前のものは電池が消耗して使えなくなってしまった。特殊なものでもう電池も売っていなかった。それで似たようなものを購入したのである。今では特殊ではなかろうが、もう20年近く前には特殊で、加算万歩計というものであった。使い始めて以来の歩数や距離が加算されていくのである。日々記録を付けなくても1週間、1ヶ月等の記録が分かる。1日1万歩と言うが、日によってばらつきもあり、ボクは1週間単位で気にすることにしている。1週間7万歩が目安である。




2015/07/06(Mon) (第2130話) 4年かけた紙芝居 寺さん MAIL 

 “4年ほど前、絵を描く仲間4人で「紙芝居を作ってみようか」という話になり、気軽な気持ちで始めてみた。ところが、想像以上に大変だった。話は東村山の昔話を元に創作した。主要人物の姿と色付けは同じでないとおかしいので、担当者を割り振り、背景は手が空いでいる人が描くことにした。
 昔話なので着物姿だが、洋服の人物を描くのとは何かと異なる。肩線の位置や襟のたるみ具合、髪形も違う。絵本などを借りてきては参考にした。具合が悪くて倒れ込んでいるシーンは、私がモデルになって苦しそうな顔をしながら倒れ込み、その姿を仲間にスケッチしてもらって絵に起こした。
 4人が連携してほぼ完成間近となった3月、1人が病で亡くなってしまった。急ぎ原画をコピーし、紙芝居のように仕立てて天国に持っていってもらった。
 追い込み時には、陰で応援してくれていた仲間も加わった。話し合い、描き、手を入れ直し、頑張って仕上げた紙芝居が先日刷り上がった。作った10組は各自で1組ずつ持ち、残りは図書館などに寄贈した。子どもたちが楽しんでくれるといいなと思っている。”(6月18日付け朝日新聞)

 東京都村山市の主婦・吉田さん(66)の投稿文です。4人で連携して4年がかりで紙芝居を作る、こんな人たちもあるのだ。昔話なので難しかったと言うこともあろうが、こんなに手間暇がかかった紙芝居というものはどんなものだろうか。10組が刷り上がったと言われるので、どんな形で作られたのであろうか。分からないこともあるがこの熱意にはただ感心する。
 このグループに男性は加わっていたのだろうか。ボクにはこれも関心事である。ともかく女性は元気があり、意欲もある。若い内はもとより、高齢になるとますますである。趣味の会や旅行などは言うに及ばず、カルチャーセンターなども女性ばかりである。それでこの絵の会も気になるのである。世の中、女性を元気にしようという話が多いが、ボクには何か勘違いの気がする。男を働くだけ働かせ早く死なせて、女性社会を謳歌しようという気さえする。あまりに僻んだ見方であろうか。




2015/07/04(Sat) (第2129話) 亀の甲より・・・ 寺さん MAIL 

 “2LDKに本棚が10本。布団を敷くスペースを取るのが精いっぱいという状態になったので最近、図書館を利用しています。久々に通ってみて思うのは、図書館の椅子は一体いつから、こんなに硬くて窮屈になったのかということ。子供の頃の図書館には畳敷きで足を伸ばして本が読める部屋があったし、大学時代の図書館の長椅子は布張りで軟らかかった。「あんなに硬くて冷たい椅子じゃ、お尻が冷えて長居ができん」。友人にこぼすと「あんまり座り心地のいい椅子だと寝ちゃう人がいるんだって。その対策」。
 でも先日、あのコチコチ冷え冷えの椅子で熟睡している男性がいたんです。しかも、でっかいイビキのオマケつき。閉□して席を立とうとしたら、一つ隣の年配の男性も大イビキをたて始めて。最初眠っていた男性が目を覚まし「なんじゃ、やかましい。えらい大イビキかきよって」。起きて行ってしまいました。
 2人目の男性はと見ると何と目を開けて、こちらに向かってウィンク。さては、たぬき寝入りだったのか。なるほど口で注意するより角が立たない。さすがは年の功。お見事、と私もウィンクで返しました。”(6月10日付け朝日新聞)

 愛知県日進市の主婦・清水さん(58)の投稿文です。どんな人か分からない人に注意をするというのは勇気が要るものである。いや、最近は注意をして逆襲された話も多く、そんな話を聞くと、なかなかできない。ボクなど車内で気になることも多く、年の功で若い人などには気安くしても良さそうだが、苦々しく思っているだけで全くできない。この年輩の男性のように、気に触らない形で気づかせる方法をできればいいが。
 しかし、この年輩の男性はさすがである。こういう知恵が年の功である。ボクも模索せねばなるまい。
 あまり図書館に行くこともないボクに、最近の図書館事情はよく分かっていない。ただ老人が時間つぶしの場所としてのさばっている話は聞く。冷暖房が効き、本がただで読め、更に眠ることもできたら全くいい過ごし場所である。でもこれでは、本当に利用したい人にはたまったものではない。周りに迷惑にならない形で利用したいものだ。それが年の功である。




2015/07/02(Thu) (第2128話) 感激の15周年 寺さん MAIL 

 “今年3月、満開の桜の下でパーティーが開かれました。その日のことを思い出すと、2ヵ月以上が過ぎた今も感激で胸がいっぱいになります。それは19年前の「ひととき」から始まりました。「古着の再生、広がって」という着物リフォーム活動を紹介した投稿を読み、いてもたってもいられず受話器をとりました。個人で仕立屋をしていた私は、山積みされた古着の着物を見かけ、何とかできないかと考えていたのです。
 当時73歳の投稿者にお会いしたのは、それからすぐのこと。この出会いが私の感激の15周年人生を大きく変えることになったのです。その女性の紹介で、私は東京都世田谷区に新しくできた「着物リメイク教室」の講師になりました。右往左往しながらも続き、「15周年記念パーティ−」を開くまでに至ったのです。
 パーティーにはその女性もお招きしました。90歳を超えた今も背筋がまっすぐで、すてきな励ましの言葉をかけて下さいました。パーティーの出席者は60人超にのぼり、目を輝かせながら自分の作品を着て発表する生徒さんたちの姿を見て、満開の桜と着物の再生にバンザイをしました。(6月9日付け朝日新聞)

 「ひととき」という投稿欄から東京都八王子市の洋裁講師・石原さん(女・65)の投稿文です。こういう結果を為したのは石原さんの想い、積極性、行動力などがあったからでしょう。この「ひととき」を読まれた方は数知れないでしょう。読まれた人で他に何かを為された人があったのか、それは分かりませんが、少なくとも石原さんはその文を活かされた代表者でしょう。立派です、嬉しくなりました。
 この出会いは石原さんの50歳頃です。年齢的に充実している頃です。家庭的な余裕も出てきた頃でしょう。これも幸いした気がします。「感激の15周年」と書かれているので本当に嬉しく思っておられる。継続が感激を産みます。
 こういう文を読むとボクも自分自身のことがいろいろ思い出される。何も大きなことを為した訳ではないが、良い出会いが沢山あったと思える。最近、少し気になることがあって消極的になりそうだが、こういう文を読みながら克服していきたいと思う。


 


川柳&ウォーク