2015/06/17(Wed) (第2123話) 12歳の私からの手紙 |
寺さん |
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“自分も通った地元の幼稚園に子どもを通わせています。ある日、担任の先生が、私の出身校区を尋ねられた後、おっしゃいました。「私もそうなんです。小一の時、六年生だったお母さまからお手紙を頂いたんです」 ・・・え? 当時、六年生が新一年生に学校を紹介する手紙を書く行事があり、私の手紙が偶然、先生に渡ったというのです。全く、記憶がありませんでした。 受け取った手紙を一年生だった先生が家に持ち帰ると、お母さまが「六年生で、こんなに上手な字と文章が書けるの!」と感激し、その様子が子どもながらに強く印象に残ったということでした。 「なかよし山」は、こんなふうで・・・。「すずかけの樹」は、こうで・・・。紹介して、絵も描いてあったそうです。さすがに実物はもう残っていないけれど、私の名前を覚えてくれていました。 先生は、幼稚園に提出された書類をあらためて見ていて思い当たったようです。緊急連絡先にした私の実家と生年月日で、旧姓と年齢が分かりますから。 誰に渡るか分からない手紙を一生懸命書いたであろう、十二歳の私。二十年以上たって、その気持ちが自分自身にも届きました。”(5月26日付け中日新聞)
岐阜市の主婦・松野さん(38)の投稿文です。誰に渡るかも知れない手紙が、渡った人と何十年後に出会う、何という奇遇でしょうか。こんな偶然もあるのです。世の中にはよくこんなことも起きます。これが悪い思い出だったら大変です。良いことはしておくものです。 ボクもつい先日こんなことがありました。今年の4月に知り合ったばかりの人です。話していて、その人の家に妻の書いた習字があることが分かりました。もう20年くらい前になるでしょうか、妻は習字を習っていて、その時書いた「般若心経」がその人に目に止まり、気に入られ譲ったそうです。こんなことは後にも先にもこの1件で、このことは妻から聞いていました。話していてお互いにびっくりです。これでこれからもっと親しくなるでしょう。今回市議選で支援した同級生も、高校を卒業してから遠くに離れていたので近年までほとんど会う機会はありませんでした。今一宮友歩会で手伝ってもらっている人も、何十年ぶりに会った同級生や大学時代に出入りしていた家の息子さんであったり、外国旅行で知り合った人など、考えて見ると面白い繋がりです。こんなことを繰り返してこの歳まできたことでしょう。これも縁なのでしょう。これも良い思い出であった、良い関係であったからでしょう。因果は巡る、良いことをしておきたいものです。
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