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第133号  2015年6月

2015/06/30(Tue) (第2127話) 親切が運んだ答案 寺さん MAIL 

 “今春小学校に入学した娘が、家に帰って一生懸命頑張っているのが通信教育のテストだ。先日、1回目の答案用紙がかえってきて、ますます張り切り2枚目を仕上げた。 翌日、郵送係の私はのりもつけていない封筒に答案を入れ、ショルダーバッグのポケットに詰め込み仕事に出かけた。
 昼休み、重さを確認して切手を貼ろうとバッグを見ると、封筒がない。落とした。通勤経路は巨大ターミナル駅。あわてて駅や最寄りの警察に電話をするが、見つかるはずもなく・・・。 帰宅して、申し訳なく娘に告げると、ガックリしながらも「まぁいいよ」と許してくれた。
 10日ほど後、ポストの中をのぞくと、あの届くはずのない答案用紙が添削されてかえってきていた! 見ず知らずの誰かが拾い、封筒にのりをつけて、切手を貼って、投函してくれたのだ。その一連の行為を想像すると、感謝があふれてたまらない気持ちになった。 お目にかかることもないあなた様。ありがとうございます。親子ともども、感謝しております。私もあなたの優しさを思い出して、いつか必ず誰かにお返ししようと思います。”(6月8日付け朝日新聞)

 東京都の研修講師・鈴木さん(女・44)の投稿文です。2006年1月1日の「話・話」第503話、2008年8月27日の「話・話」第982話でも似たよう話を紹介している。良い話は何度紹介してもいいものだ。ボクは落ちている手紙を見つけたら当然、近くのポストに入れると思うが、切手を貼ってでも出すということになると少し疑問が湧く。切手を買ってこなければならない。郵便局へ行かねばならない。本人に知らせられればいいが、それも難しかろう。もっと手軽な他の方法はあるか・・・思いつかない。こうせざるを得ないのかな?
 世の中良い人も悪い人もいっぱい、様々である。また同じ人でも良い面と悪い面がある。出合う場面が大きく左右する気がする。悪い場面をできるだけ減らし、良い場面に出会う機会を多くする、自然に良い人になる。危ういと思われる場面を避けることであろうか。「君子危うきに近寄らず」か、日本には良い諺が昔からある。




2015/06/28(Sun) (第2126話) 運転卒業 寺さん MAIL 

 “バスを降りてからの帰路、ミラーに映った自分を何げなく見て、体の縮む思いをしたことがある。背中にリュック、両手には重そうなスーパーの袋をさげ、閉じた日傘はわきの下。それはまさに、テレビで見た戦時中の買い出しの人のようだった。買い物へは車で行く人が多い今の社会、このような姿を路上ではなかなか見かけない。
 60歳を過ぎた頃、車の運転をやめた。スポーツジムで週数回、テニスやマシンで汗を流しているので足に多少の自信はあるが、とっさの事故を回避する反射神経が衰えていないとは言い切れない。車は手放し、今はどこへ行くにもバスや電車だ。
 先日、いつもの買い物スタイルで帰宅途中、横に車が止まり、運転していた近所の奥さんに「車の免許持たんと?」と聞かれた。事情を説明すると「私も65歳になるけど、まだ運転するよ、あきらめが早すぎる」と言われた。そうかもしれない。
 大勢の高齢者がスポーツジムで汗を流している。その駐車場には、たくさんの車がとまっている。スマートなライフスタイルのように見えるが、改善すべきポイントもあるように思う。”(6月6日付け朝日新聞)

 佐賀県鳥栖市の渡辺さん(女・66)の投稿文です。何歳まで運転するか、以前にも触れた問題である。その人の生活様式、行動や地域の交通事情も大きく影響するでしょう。車に頼った生活に放棄は大きな決断が要ります。元々乗ってない人もあるのだから、その人に言わせれば何をいっているの、と言うことになるでしょうが・・・・。
 渡辺さんは60歳を過ぎた頃と言われるからかなり早い決断である。歩いて用を足す、健康にも環境にも非常にいことである。そして、スポーツジムへ車で来ている人を見れば考えてしまうだろう。健康のために通いながら車で行く、本当にちぐはぐなおかしな生活スタイルだ。
 ボクもスポーツジムに時折通いながら、5年目に入る。そして車で行くことの矛盾を覚え、最初から極力車を避けている。最初は自転車で行っていたが最近は歩いて行く。3kmほどの距離であり、歩いて30分くらいである。これで器具でのウォークや自転車漕ぎは省略である。一石二鳥と言ってもいいだろうか。先日はカメラを持て出かけ、立葵を見つけ写真を撮ってきた。今月の川柳連れ連れ草の花に使った。こうなると一石三鳥である。
 さてボクは何歳まで乗るだろう。今週、運転免許の高齢者講習の予約がしてある。




2015/06/26(Fri) (第2125話) 人違いから 寺さん MAIL 

 “娘二人が二十歳と十八歳の学生の頃でした。四人家族の生活がずっと続くわけがないと思った私。「たくさん思い出をつくっておこう」と、夫の仕事の都合に合わせては一泊旅行によく出掛けていました。
 金沢を訪れた際、兼六園に行き、百万石の町並みを歩いた後にホテルヘ到着。その時、浴衣に着替えた他の男性が夫そっくりの後ろ姿で、次女が間違えてしまったんです。その方は気を悪くするどころか、ご自分のグループに私たちを招き入れてくれました。話が弾み、一緒にカラオケを楽しんだんです。
 石川県白山市に住むその男性と、その後も連絡を取り合い、今では夫の兄貴のような存在。年に一、二回は会っています。次女の結婚式にはあの日のエピソードを語ってくれました。
 出会いから二十三年たち、娘たちは巣立ちましたが、人違いから始まったつながりはずっと続いていくはずです。”(5月31日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の主婦・栗田さん(65)の投稿文です。人違いで声をかけたことから交流が始まるとは、またまた楽しい出会いである。これが若い男女だったら、これから付き合いが始まり結婚に至りました、と言うならままある話だろうし、おめでとう、ごちそうさまと言うところである。ところがお父さんと間違えたというのだから、こうはいかない。ましてお父さんより年輩のようである。そんな中に招かれ、お父さん同士の交流が始まるのである。間違えた娘が取り持った縁というのが、何とも楽しい。本当に人生は合縁奇縁である。
 子どもは所詮離れていくもの、「たくさん思い出をつくっておこう」と、早くから家族旅行を心がけられた栗田さん。そして今は予想通り、2人の娘さんは離れていかれた。ボクも娘2人で似た環境にある。ではどうだったか? 娘が学生時代に1回、4人で北海道へ出かけている。ただそれ1回のようだった。もっと心がけるべきだった。




2015/06/24(Wed) (第2124話) 菜の花褒めて 寺さん MAIL 

 “五年ほど前の春、青森県の八戸の知人を訪ねがてら旅に出た。ここまで来たのだからと一人でさらに北上し、下北半島に入った。早速、猿のお出迎えが道をふさぐ。長い冬で餌を求めて出てきたのだろうか。
 道の駅で地図を広げていると地元の漁師さんと出会った。話が弾み、小舟で陸奥湾を案内してくれた。初めての漁船体験の後、ごちそうになったホタテの刺し身の味は忘れられない。
 そこは同県横浜町で菜の花の名所だった。黄色く揺れる菜の花は見事な群生の美。地元の観光案内の仕事もしておられ、周囲の方にも紹介していただいた。「菜の花と同じ色して月昇る」と拙い句を贈ると、ぜひ岐阜で下北の菜の花をPRしてほしいと“菜の花大使”を仰せつかった。夏には名刺を作って送ってきてくれた。
 行く先々の人との触れ合いは素晴らしい思い出をつくってくれた。春になると懐かしく思い出す。”(5月31日付け中日新聞)

 岐阜市のパート・桐山さん(男・74)の投稿文です。つい先ほどまで知らない人だった方に俳句を書いて渡したら、大使を仰せつかったとは何とも驚く展開である。初めて会った人と話が弾み、漁船に乗ったり刺身を頂いたり、これは桐山さんの人柄が為した結果であろう。漁師さんの人柄もあろう。良い出会いであった。人生はこんなことも起こるのだ。 桐山さんは5年ほど前のことと言われるから60歳後半のことである。いろいろな社会経験が人格や人柄を作り、それが自然に現れる年代である。隠そうにも隠せない。ボクもまさにそんな歳である。どんな人柄に出来上がったのであろうか。今更どうにもならないが、どんな目で見られているのだろうか、気になるところである。




2015/06/17(Wed) (第2123話) 12歳の私からの手紙 寺さん MAIL 

 “自分も通った地元の幼稚園に子どもを通わせています。ある日、担任の先生が、私の出身校区を尋ねられた後、おっしゃいました。「私もそうなんです。小一の時、六年生だったお母さまからお手紙を頂いたんです」 ・・・え?
 当時、六年生が新一年生に学校を紹介する手紙を書く行事があり、私の手紙が偶然、先生に渡ったというのです。全く、記憶がありませんでした。
 受け取った手紙を一年生だった先生が家に持ち帰ると、お母さまが「六年生で、こんなに上手な字と文章が書けるの!」と感激し、その様子が子どもながらに強く印象に残ったということでした。
 「なかよし山」は、こんなふうで・・・。「すずかけの樹」は、こうで・・・。紹介して、絵も描いてあったそうです。さすがに実物はもう残っていないけれど、私の名前を覚えてくれていました。
 先生は、幼稚園に提出された書類をあらためて見ていて思い当たったようです。緊急連絡先にした私の実家と生年月日で、旧姓と年齢が分かりますから。
 誰に渡るか分からない手紙を一生懸命書いたであろう、十二歳の私。二十年以上たって、その気持ちが自分自身にも届きました。”(5月26日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・松野さん(38)の投稿文です。誰に渡るかも知れない手紙が、渡った人と何十年後に出会う、何という奇遇でしょうか。こんな偶然もあるのです。世の中にはよくこんなことも起きます。これが悪い思い出だったら大変です。良いことはしておくものです。
 ボクもつい先日こんなことがありました。今年の4月に知り合ったばかりの人です。話していて、その人の家に妻の書いた習字があることが分かりました。もう20年くらい前になるでしょうか、妻は習字を習っていて、その時書いた「般若心経」がその人に目に止まり、気に入られ譲ったそうです。こんなことは後にも先にもこの1件で、このことは妻から聞いていました。話していてお互いにびっくりです。これでこれからもっと親しくなるでしょう。今回市議選で支援した同級生も、高校を卒業してから遠くに離れていたので近年までほとんど会う機会はありませんでした。今一宮友歩会で手伝ってもらっている人も、何十年ぶりに会った同級生や大学時代に出入りしていた家の息子さんであったり、外国旅行で知り合った人など、考えて見ると面白い繋がりです。こんなことを繰り返してこの歳まできたことでしょう。これも縁なのでしょう。これも良い思い出であった、良い関係であったからでしょう。因果は巡る、良いことをしておきたいものです。




2015/06/15(Mon) (第2122話) 体で覚えた方言 寺さん MAIL 

 “生まれ育った場所の言葉は体で覚えていて、脳裏に刻まれたことはぬけないものだなあーと思います。私は名古屋から嫁いで五十六年になりますが、今でも「机をつる」と言います。
 同窓会は名古屋へ行きます。昨年は高校の同窓会でしたが、手術で入退院をくり返したので欠席。後日「今回をもって終了」のハガキをいただき残念でした。中学の同窓会は六月に開催され「傘寿をもって終了するのでぜひ出席を」とのことですが、まだ1人では行けず思案中です。お会いできたら、懐かしい名古屋弁でおしゃべりするでしょう。
 娘も息子も京都生まれの京都育ち。娘は福岡へ嫁いで三十年ですが、電話では時折京都弁です。息子に今でも「お母さん名古屋弁で言ってるえ」と言われます。そのつもりがなくてもアクセントが違うのですね。幾つになっても地方の発音はぬけないもの。むずかしくって、面白い。方言は大事にしましょう。”(5月26日付け中日新聞)

 京都市の主婦・竹中さん(80)の投稿文です。幼い頃から使った方言はそんなに簡単に身から離れるものではない。「机をつる」は方言か・・・机を持ち上げることですが、ボクは方言という意識もなく使っています。あいさ、うらっぽ、おもたい、ぎっちょ、さぶい、しぶち、つけもん・・・ボクには皆分かりますし、今でも無意識に使っているかも知れません。多くの人が分からなければ方言でしょう。でも、ボクは意識して避けることはないと思っていますし、恥ずかしいことでもないでしょう。方言だと言われれば、一つの話題とすればいいでしょう。
 さて同窓会ですが、昨日、中学の同窓会を開きました。それまで数年おきに開いていたものを平成18年から毎年開くようにしました。ですから毎年開くようになって今年は10年目に当たります。毎年開いたら参加者が減る、と言う声もありましたが、機会を多く作った方がいい、と言うことで開くようにしました。介護等でもう少し事情がよくなったら出席しようとしたら自分の体がいけなくなった、と言う人が実際にいます。竹中さんもそのようです。できるなら少し無理してでも、参加してもらった方がいいと思います。ボクの学年は元々100人ばかりです。今年は35人が集まりました。さていつまで開くのでしょうか。傘寿が切りでしょうか。ボクは今のところ、ボクの事情が許すまではと思っています。ボクの事情が許さなくなったら、誰か中心になってくれるでしょうか。誰かを期待するより、ボクが最後まで負う気概で行きたいものです。




2015/06/12(Fri) (第2121話) お寺でお笑い 寺さん MAIL 

 “3月に結成したばかりの若手僧侶の漫才コンビ「えしんりょう」が、一宮市千秋町佐野の養蓮寺でお笑いライブを開いた。「お寺をもっと身近に感じてほしい」との思いを込め、門徒ら二十五人に仏教などに絡めたネタを披露した。
 コンビは養蓮寺副住職の中村亮さん(三八)と名古屋市中川区の随縁寺副住職の土井恵信さん(三八)。これまで名古屋市内で三回ライブをしたが、中村さんの地元の一宮市では初めて。
 観客からは笑い声が湧き、門徒の男性(七九)は「真面目に話しているところしか見たことがなかったので新鮮。お寺の敷居が低くなっていい」と拍手を送っていた。中村さんは「門徒だけではなく若い人たちとお寺の距離が縮まるきっかけにしていきたい」、土井さんは「お寺の堅苦しいイメージを変え、親しんでもらえたら」と話した。”(5月16日付け中日新聞)

 太田記者からの記事です。このお寺さんはボクの家から数kmの所にあります。今まで行ったことはありませんが、今年中には行く機会があります。
 いろいろ工夫されてやって見える僧侶もよく聞くようになりました。ボクも檀家総代になって以来、今年は十八講という講の役も務めていて何かと寺院に縁がついてきました。仏教にはその価値も必要性も認めない訳ではありませんが、今のあり方には批判的でした。来る人を待っている宗教、葬式仏教と言われるように儀式だけを行い金儲けに近い仏教、とても近寄る気になれませんでした。訳の分からないお経を読むだけの仏教に、とても価値は認められませんでした。民の中に自ら入ってきて、理解できる言葉で話しかけ、人を導き救うのが宗教ではないか、そんな思いでした。ともかく人に集まってもらってその中でいろいろな教えを説く、これが必要であり、欠けていると思ってきました。この漫才コンビはその試みでしょう。こういう試みが続けばボクには良い傾向です。ボクの母はひたすら寺院に通い、お説教を聞いていました。無二の後生願いでした。その母の息子です。仏教にもっと関心を持ってもいいのです。望まなくても先ほど書いたように寺院と縁ができてきました。後は自分から望み、もっと積極的に関わるのか、判断しなければと思っています。




2015/06/10(Wed) (第2120話)  夫から深紅のバラ 寺さん MAIL 

 “今から四十年以上前の話です。結婚して最初の私の誕生日に、主人が少し照れながら、深紅のバラの花束をプレゼントしてくれました。結婚するまで何一つプレゼントらしきものはもらったことがなかったのでそのときの驚きと感動は、ものすごく大きく、言葉が出ませんでした。生まれて初めてもらった花束に「ありがとう」も言えず、ただ涙があふれてきたことを長い年月がたった今でも鮮明に覚えています。
 それから、結婚記念日と母の日も加え、年三回、ずっと花束の定期便は続きました。しかし、約二十年後、私が「花はもったいないから、もうやめて」と断ると、それからしばらくはお金だったりケーキだったりしました。とはいうものの数年後にまた花束に戻り、現在に至っています。今では、この年齢になっても花のプレゼントを受けるという幸せを実感しています。”(5月10日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・森井さん(68)の投稿文です。こんな夫、男性もあるものだ。ボクには信じられない。よほど愛し、感謝されているのだろう。「結婚するまで何一つプレゼントらしきものはもらったことがなかった」と言われるからより不思議だ。この逆なら分かる。釣った魚に餌は与えないのが普通だ。これならいくらでもあるだろう。本当に世の中様々、夫婦様々である。
 年3回と言われるからまたまた感心するが、母の日ということはどういうことだろう。妻ではあるが、母ではない。まして子供ではない。母の日は子供がお母さんに感謝を示す日のはずだ。結婚記念日はどうだろう。これも夫から妻にすることだろうか。妻から夫にはないのだろうか。また、旦那さんの誕生日にプレゼントはしておられるのだろうか。これはこういうことに欠けた男の、全く余分な斟酌であるが・・・。




2015/06/08(Mon) (第2119話) 野球の教え子 寺さん MAIL 

 “少年野球に携わって十七年。きっかけは、わが子がチームに入ったこと。子どもと一緒に体を動かすのも楽しく、コーチ、監督をさせていただいて、それを糧に五年前に自分のチームを発足させることにしました。
 毎週土日、祝日と子どもたちと野球をし、先月、五十五歳の誕生日を迎えました。夕方、チームの練習後の校庭に、大学二年になった教え子が来ました。「今日、試合でホームランを打ちました。監督の誕生日プレゼントです」と、笑顔で日付と教え子の名前入りのボールを届けてくれました。
 毎年、子どもたちが小学校から中学・高校へ、甲子園を目指し頑張っている話を聞きます。自分がこれから先、いつまでやれるか体力勝負でもありますが、野球でいくつもの喜びやつらさを経験し、子どもやその家族とともに思い出が増える楽しさで、自分の心の中のページが増えていきます。感謝の気持ちでいっぱいです。”(5月9日付け中日新聞)

 名古屋市の自営業・河野さん(男・55)の投稿文です。少年野球のチームの数だけ監督はいるし、コーチはもっといる。子どもがチームに入ったことが縁で、そのまま監督やコーチを続ける人は多い。ボクの周りでも探せばいくらでもありそうである。子どもと触れあうことは楽しい。学校の先生とはまた別の喜びがあるだろう。子どもの方も学校の先生より近寄りやすいだろう。本人の気持ちや意欲でたやすくできそうにも思えるが、毎週土日、祝日と言われるからかなりの時間的制約を受ける。チームの体制にもよろうが、簡単に休むこともできないだろう。一途に負うだけの覚悟が必要だ。家族の理解や支援もいる。考えるほどに大変なことだと知る。子どもによって良い人生を歩ませてもらったと言えるが、やはりそれだけの努力が必要だ。これは何事も同じだ。残念ながらボクはこの喜びを知らない人生になってしまった。




2015/06/06(Sat) (第2118話) お花のサンタさん 寺さん MAIL 

 “わが家は門の内側と外側に庭があり、外側は花壇になっている。アジサイやマーガレット、シャクヤクなど、花が終わると別の花に植え替えてきた。
 二年ほど前から、数株の花の苗が、門の手前に時々置いていかれるようになった。誰がいつ置いていくのか分からないけれど、その方にも喜んでいただけたらと、見える場所に植えるようにしている。          、
 珍しい種類なのか、名前を知らない花が多い。きれいに咲いて、とても楽しませてもらっている。家の前を通る人が立ち止まって見ていたり、小さな子どもに「きれいなお花ね」と話し掛けているお母さんがいたりして、うれしくなる。
 花が終わるころには、花壇からその株が、いつとなく回収されているのに気づく。そして次の花の苗が、また門の所に置かれていたりする。「多分、あの方じゃないかしら」と母は心当たりを口にする。
 けれど置いていってくださる方は、姿を見せずにそっと去っていかれるので“お花のサンタさん”は謎のままの方がよいのではと、私は思っている。「和ませていただいています。ありがとうございます」。心の中で感謝しながら。”(5月8日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・鈴木さん(47)の投稿文です。他人の家の前に人知れず花の株を置く。置かれた人はその人がよく見える位置に花を植える。お互い咲いた花を楽しむ。あうんの呼吸の中でお互いに好ましい方向にことは進んでいく。こんなことが現実にあるのだ。何か童話の世界の話のような気がする。こんな光景は想像するだけで楽しい。置かれる人はこの家の人を知ってみえるかも知れない。しかし鈴木さんは知らない。知らない方がいいとも思ってみえる。でもボクはいつか、何かの偶然で鉢合わせの場面があると思う。こういう人柄の関係である。そしてまた新しい展開が始まる。想像するだけでも楽しい。




2015/06/04(Thu) (第2117話) 名前を呼ぶ 寺さん MAIL 

 “去年の12月29日の天声人語は「親心を映す子の名前」について書かれていた。読みながら、四十数年前の出来事を思い出した。その時私は教員になって2年目、初めて学級担任をすることになった。始業式の前日、もう一度名簿を確かめようと目を通していた時、ある女の子の名前で目がとまった。名前が読めない。どうしよう。先輩の先生に聞けばすぐわかったかもしれないが、なにしろ2年目の新米。新学期の準備で忙しそうにしているのに、こんなことは聞けない。考え込んでいると「そうだ、学籍簿だ。読み仮名が書いてある」と思いついた。そして迎えた始業式での点呼。昨日読めなかった子の名前を読み上げると、「はい」と元気な声で返事が返ってきた。
 下校の時間、いったんはみんなと教室を出たあの子が、走って戻ってきた。にこっと笑って「あのね、一番最初から私の名前ちゃんと読んでくれたの、先生が初めて。さようなら」。
 自分の名前が正しく呼ばれることが子どもにとってどんなに大切なことか。これは私の教員生活の中で守ることの一つになった。教えてくれた小柳誉子(ようこ)さん、元気にしていますか。”(5月6日付け朝日新聞)

 愛知県江南市の主婦・長谷川さん(67)の投稿文です。自分の名前を正しく読まれる、多くの人にとっては普通のことであるが、そうではない人にとっては嬉しいことである。また先生の努力も大変なものである。12月29日の天声人語を覚えていないので、何が書かれていたか分からない。
 この投稿に登場する小柳さんのように、初めて正しく読んでもらって嬉しかったと言うことは、いつもは寂しく思っていると言うことである。今は以前より独特の名前が多くなり、読めない名前が多くなった気がする。男なのか女なのか、その判断がつかない名前も多くなった気がする。多くの人に正しく読んでもらえないその本人や親はどう思っているのだろう。名前は人に読んでもらう一面が大きいものである。読めなくて何が名前かとも思う。ボクは昔から、8割の人が普通に読めるものでありたいと言ってきた。去年の12月29日の天声人語を覚えていないので何が書かれていたか知らないが、最近の風潮を肯定していたのか、否定していたのだろうか。「親心を映す子の名前」が親の独りよがりになっていないか、気になるところである。




2015/06/02(Tue) (第2116話) せいくらべ 寺さん MAIL 

 “娘が、まだ保育園に勤めていた数年前のこと。帰宅するやいなや「お母さん、今日はとてもショックだった」と言うのです。「どうしたの、いったい何があったの?」と聞くと「同じ保育士でも“五月五日のせいくらべ”を知らない後輩たちがいるの。あのせいくらべだよ・・・」
 平成も二十年以上たち、若い保育士さんが中山晋平作曲のあの歌を知らなくても不思議ではありません。ただ、わが家では、歌にならって毎年五月五日のせいくらべを恒例行事にしてきました。
 築五十年を過ぎたわが家には、二本の柱にその印が刻まれています。一本は、三人の子どもたちの頭の上で付けた跡。もう一本は、アパートや新築の家では傷を付けられない孫たちのもの。孫たちは、毎年のゴールデンウイークに遊びに来たときに順番に測ります。「うわー、七センチも伸びたー」「今年は少ししか伸びていないー」孫は六人、中学一年を頭に一番下は八ヵ月。末の孫も今年は“せいくらベデビュー”できるかしら?
 孫たちのせいくらべを眺めながら、みんなでワイワイかしわ餅を作って食べる。じいじとばあばの至福の時です。”(5月5日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・松下さん(65)の投稿文です。柱の傷か・・・ボクもしていた。築70年の家に残っているか・・・・懐かしくなって探してみたが、改造したときに隠れてしまったらしい。見当たらなかった。こうした文を読むと残念な気がしてくる。
 松下さんは築50年の家にまだ残っている。今見ても懐かしくその昔が思い出される。こうした思い出がよみがえる場所を残しておくのも老後の楽しみの一つになる。老後が今日明日を見ていることは少なくなる。当然過ぎた人生の方が長くなる。そこに思い出すことが少ないのも寂しいものである。前回の筒井さんのゼラニウムもまた良い記念物である。記念になるものを残して置いて悪い訳がない。残った人の為にと何も捨てるばかりである必要はない。ボクももう長い人生ではない、できるだけ残すものを少なくしようという意識が働き、いろいろぞんざいにしている気がする。もう一度考え直した方がいい気がする。ボクの同級生が市会議員として出発したばかりである。この意欲に大いにあやかりたいものだ。


 


川柳&ウォーク