ha1504

第131号  2015年4

2015/04/29(Wed) (第2105話) それでも花は咲く 寺さん MAIL 

 “通勤途中に通りかかる家の庭に、それは見事な桜の大木がある。門からはみ出し、電線も追い越し、枝を伸ばして、毎年、空いっぱいの桜を咲かせていた。
 ある朝、四方に伸びていに枝がバツサリと切られていたのに気づいた。ただの老木にしか見えず、何の木かさえもわからなくなってしまった。春になり、そろそろ桜のつぼみを出そうかと準備していただろうに。なぜ?と思ったけれど、よその家の桜なので私が口出しすることもできず、枝を切られた姿を見るたびに、ため息をついていた。
 ところが3月下旬、残っている細い枝に、桜の花がほんの少し咲いているのを発見した。バッサリと切られてしまったけれど、あんな状態でも桜は咲く。太陽と土だけで毎年、桜は咲いている。そう思えば、人間も余計なものはいらないのかもしれない、と思えてきた。「ほしい」と思い出したらきりがないけれど、洋服でもなんでも、最小限あれば、過ごせるのかもしれない。
 どんな状態になろうと、生きる力があれば、この桜のように少しずつでも毎年咲いていける。桜を見ながら、自分の生き方をちょっぴり考えた。”(4月14日付け朝日新聞)

 神奈川県海老名市の会社員・平田さん(女・55)の投稿文です。木の枝をばっさり落とすこの種の話は結構多い。ただ鑑賞するだけの人には寂しいことであるが、いろいろな理由があるのである。この場合、門からはみ出し、電線も越えていると言われるから、これは道路に大きくはみ出しているのだろう。個人のものは道路にでも他人の土地にもはみ出してはならない。道路には特に建築限界というものがあり、その内側には何もあってはならないのである。あれば交通傷害になるのである。先日ボクは選挙運動に係わり、街宣車が車の上の看板を壊して帰ってきた。木の枝にぶつかったというのである。この建築限界内に枝はあったのだ。街路樹が切り落とされて寂しがる話もあるが、落葉が付近の人の苦情になり役所の人に耐えられないことも多い。
 でも樹木は強い。平田さんが見られたように、よほど強く切られても、新しい芽を吹くのである。この強さを見習うのも生きた勉強であろう。




2015/04/27(Mon) (第2104話) 取捨選択 寺さん MAIL 

 “最近、携帯ゲーム機を処分した。中学生の時、お年玉で買った物だ。理由は単純で、やらなくなっただけである。周りの友達はゲームにはまっていて、学校ではその話で持ちきりだ。
 周りからは思い切ったことをしたな、と言われるが、今しなくてはならないことを考えると、ゲームをしている暇はない。私は野球部で、高校卒業後は就職するつもりなので、最後だから侮いの無いように練習したい、と意識が変わってきた。
 夜の練習を終えて帰ると、疲れて寝るので、ゲームをやる時間がない。もしやりたくなれば、携帯電話を持っているので、アプリを取り入れてできる。
 今自分に必要な物を考え、いらない物を処分することによって将来の自分の姿を意識できたり、将来のためになったりすることがあると思う。ゲーム機を手放して、感じたことだ。”(4月11日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の高校生・桃原さん(男・17)の投稿文です。ゲーム機か・・・最近のブームにボクは納得できないことが多い。通勤電車でよく見る風景だが、電車の中だけならまだしも歩きながら、階段を上りながらもしている。迷惑や危険がきわまりないのにそれ程までにしなければならないことなのか。老いもするくらいだから、こういうことに夢中になる若い人に至っては仕方のないことかも知れない。それを高校生の桃原さんはスッパリと捨てた。他にしなければならないことがあることに気づいたからである。ゲームは生産的なことではない。若い時ほど生産的、創造的にことに取り組んで欲しい。また取り組む必要がある。自由で柔軟な頭の時期は短い。大切に使いたいものだ。




2015/04/25(Sat) (第2103話) 3年我慢 寺さん MAIL 

 “国道を走行中、道路工事で交互通行のため一時停止をした。二十歳くらいの青年が、スコップなど工事道具を洗う姿が目についた。七年前を思い出した。土木系の大学を卒業し、地元の建設コンサルに就職した。不景気のせいか実力のせいか、ボーナスカットを言い渡された。自分には机で図面を描くより現場で施工する現場監督の方がむいてると心に言い聞かせ、現場施工の会社に転職した。初日の仕事は、スコップや一輪車等をきれいに洗うことだった。
 屈辱だった。学歴のプライドがあったから。使用する道具をきれいに洗い大事に使用することが、どれだけ大切かを理解するのに半年かかった。
 転職した時、上司が「だまされたと思って、三年我慢してやってみろ」と言ってくれた。今はその人に感謝している。今だから、特に新入社員に、この言葉を贈りたい。”(4月11日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の会社員・竹内さん(男・33)の投稿文です。世間ではよく「(自分のできることより)自分のやりたいことをやりなさい」とよく説かれている。もちろんこれに越したことはないが、そんな仕事におうおう就けるだろうか?。そうしている間に、機会を逃し、歳を取り、キチンとした仕事に就けなくなる、これが多い例ではなかろうか。これを戒めたのが昔からある諺「石の上にも三年」である。竹内さんの話はまさにそんな話である。学校で数年で習ったことなど知れている。プライドが必要なときもあるがそのプライドにこだわるのも危険である。肝心なのはその後の長い職業人生である。躓いても、不本意でも耐えて3年は頑張る、その気持ちを持って進めば道は開ける、その時になってまた考えればいい。誰かが、誰もが就いている仕事である。自分が特別ではない、とボクは思っているが、間違っているだろうか。




2015/04/23(Thu) (第2102話) 日付書く癖 寺さん MAIL 

 “私のおかしな癖をお話しします。それは、買った物に購入した日付を書くことです。使いだした日付も書きます。毎日飲む牛乳パックやお酒のビンに、飲み始めた月日を、フェルトペンでクッキリと記入します。飲み終わってから、何日かかって飲んだか分かるからです。
 歯磨きチューブの表面にも書きます。中身を使い切った時に、何日かかって使い切ったのか分かります。最近、携帯電話を買った日付を見てびっくりしました。なんと、十年近くも同じものを使っているのです。そろそろ買い替えかな、と思いました。
 買った日の日付を書いても、何も有益なことはありません。それでも長く使っていたことが分かると、よくぞここまで使ってきたなーと、しみじみと満足感がわいてきます。運悪く短期間で終わってしまった物に対しては、どうしてだろうと反省して、今後の参考にしています。”(4月7日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の松波さん(男・75)の投稿文です。これはおかしな癖であろうか・・・ボクには生活の知恵と思える。「買った日の日付を書いても、何も有益なことはありません」と言われるが、ここにもう十分その効果を書かれているではないか、この効果は有益ではないと言われるのか。何とも卑下した矛盾した文に思える。堂々と有益を主張していい文と思う。
 ボクも買った日が分かるようにしているつもりだが、ここまで意識していないのでいい加減になっている。あれはいつだったのかな、と知りたくなって、分からなくて残念な気がすることは結構ある。松波さんのおかしな癖は、立派な生活の知恵である。これからもっと気をつけて書くようにしたい。いや、せねばならない。物覚えも悪く、すぐ忘れる歳であるのだから。




2015/04/21(Tue) (第2101話) 本物になるまで 寺さん MAIL 

 “私は結構見せかけで人をだましてきたと思う。悪意は全くないのだが・・・。人が勝手に判断するだけで能力以上に見られることが多かった。リスクはそれによる心の負担が大きいこと。
 私の武器は@文字を丁寧に上手に書くこと。文字が上手だと有能に見られ、得することが多いAきちんとした服装を心掛けること。高級感と一見洗練された品性が備わっているように見えるB話す言葉は必要最小限に。ボロが出ないよういつも寡黙でいること。私の必修科目だ。
 しかし私の愚鈍さを見抜く人もたくさんいる。全て見掛け倒しに終わっていく。課題はもっと精進して人間らしい人格形成をし、知識を豊富にすること。自分を磨き、努力していくとするか。ちなみに努力は大好きな言葉である。実は私の最大の武器は努力なのかもしれない。だまされている方よ! だましが本物になるその日までだまされ続けて待っていてね。”(4月5日付け中日新聞)

 三重県四日市市の家事手伝い・奥山さん(女・49)の投稿文です。これもまた面白い文である。ボロの出ない3つの武器は人を欺してきたことなのか、そのように卑下することなのか???・・・奥山さんは心苦しく思っておられるようだ。でもこれこそ人生の知恵、処世術ではなかろうか。「話・話」ではこうした知恵を沢山紹介してきた。こうした本も沢山出版されているだろう。奥山さんの3つの武器は、それが奥村さんの人柄である。字が上手なことも、身だしなみがいいことも、更に寡黙も立派な人柄である。更に努力する、この心意気に至っては賞賛である。
 考えるにこの文こそ、ユーモアがあり、人柄の良さのそのものである。奥山さんはそれに気づいておられるだろうか・・・多分気づいておられないだろうな。それだからよりいい。




2015/04/19(Sun) (第2100話) 褒めポイント探す 寺さん MAIL 

 “二十代のころ、「もう大人なんだし、お世辞の一つくらい言えないとダメだよ」と注意されたことかあります。ですが、昔から「正直になりなさい」と言われ続けていたので、うまく言えません。「いつもきれいですね、とか、若く見えますね、って言えばいいのよ」と言われても、顔色に出そうで困っていました。
 そんな中、相手を褒めるテクニックについての本を読むと「小さな褒めポイントを見つけること。そして具体的に大げさに褒めること」とありました。それからマニキュアがきれいに塗ってあるとか、服が似合っているなどのポイントを見つけ褒めました。やってもらってうれしかったことも、大きな褒めポイントと気が付きました。
 いつの間にか相手のすてきな所を見つけるのが得意になり、相手を好意的に捉えられるように。「ウソではないお世辞」を言うのは皆さんにもできますよ!始めてみませんか?”(4月5日付け中日新聞)

 愛知県大府市の主婦・秋山さん(42)の投稿文です。正直とお世辞は両立するか・・・面白い課題だ。秋山さんはそれに一つの回答を与えて下さった。どう見てもウソのお世辞は、聞いた本人も空々しく写るだろう。これは言わない方がいい。本当のことを少し大げさに言う、また、小さなことでも良いことを見つけて褒める、これは本人を気持ち良くさせるだろう。褒められて嬉しく思わない人はいない。これは人間関係をスムーズに行かせる人生の知恵である。「ウソではないお世辞」は大いに活用すればいい。
 でもこれも簡単なようで簡単ではない。人間は自分が可愛いのである、自分は人より優れていたいのである。人を褒めると言うことは自分が劣っていることを認めることに繋がる。自分より劣っていると思うことに、褒め言葉は出ない。たかがお世辞である、言葉だけのことである。何の損にも負担にもならない。気軽に言えばいいのである。それがいつか自分に戻ってくるのである。情けは人の為ならず、お世辞も同じである。




2015/04/17(Fri) (第2099話) 久々のクラス担任 寺さん MAIL 

 “若いころは生徒と深く関わることが楽しくて、教員の個性や力量が発揮できるクラス担任をやってこそ意味があると考えていた。三十代後半からは、校内分掌や組合活動の都合でクラス担任を外れるようになった。最初は物足りなさや寂しさで腐っていた時期もあったが、徐々に生徒たちに関わっているのは担任教師だけではないと知った。
 昨年度、縁あって十二年ぶりにクラス担任をすることになった。教員生活十四回目の担任で、三年生は五回目になる。クラス運営や進路指導で不安がなかったと言えばうそになるが、若いころのような気負いはない。明るく元気で前向きな生徒から毎日エネルギーをもらい、信頼できる職場の仲間に支えられ、久しぶりのクラス担任を楽しむことができた。
 妻には「好きなことを仕事にしているあなたは幸せだね」とよく言われる。生徒のおかげて、新年度も担任として頑張れそうだ。”(4月2日付け中日新聞)

 名古屋市の高校教師・山本さん(男・55)の投稿文です。続いて教師の話である。次に話すような娘婿との話がったので興味深く読んだ。
 二女の娘婿は小学校の教師である。今年の正月だったと思うが、娘婿と次のような会話をした。「将来校長になれるのかね」とボクが言うと「校長になるつもりはありません。生徒と触れあっていたいので、平教員のままでいたい。生徒と触れあっていた方が楽しくやり甲斐があります」と言うのである。教員社会を見てきての言葉であろうが、普通のサラリーマンであったボクには驚きである。そしてこの4月校務主任になった。困惑していると伝わってきた。そして忙しさに拍車がかかっているようである。この娘婿は大学を卒業し、浪人してまで教師になったのである。生徒にもかなり慕われているようで、昨年の新聞に娘婿を慕う生徒の言葉が載っていたくらいである。ボクの目からしても確かにそうであろうと思える。ボクは言った。「本人がどう言おうと、能力があればそうさせられるだろう」と。さてこの文を婿が読んだらどう言うだろう。そして実際そうなったら、こう言うであろうか、先が面白くなってきた。でもこれを見届けるためにはまだ10年も15年も生き延びねばならない。




2015/04/15(Wed) (第2098話) 卒業の色紙 寺さん MAIL 

 “最初に気づいたのはK子だった。ある事業所に所用で出掛けた時のこと。傍らで事務をとっていた女性が立ち上がって「先生、お久しぶりです。大石先生だってことは声で分かりました」と言った。
 急だったので誰だか分からなかった。その人は「私、六年生の時お世話になったK子です」と言い、次に思いがけない言葉を続けた。「今、母の介護で大変なんです。でも卒業の時、先生にいただいた色紙が私の心の支えになっています」
 当時、私は三人目の子を妊娠していて、卒業していく子どもたちに十分なことがしてやれなかった。申し訳ない気持ちで、一人一人に色紙に言葉を書いて贈った。
 K子は目立たなかったが、何ごとにも真面目に一生懸命取り組み、家庭では病弱だったお母さんを助け、弟や妹の世話をよくする心の優しい子だった。私はK子に「踏まれても踏まれても咲けたんぽぽの花」と書いた記憶がある。
 私の子どもたちも無事に育ち、結婚して孫も大きくなった、この長い年月。色紙に書いた言葉を心の支えにしていてくれたなんて、思ってもいなかった。私もお礼を言いたい。「ありがとうK子さん」”(3月31日付け中日新聞)

 静岡県吉田町の大石さん(女・79)の投稿文です。これが教師というものか・・・と感じさせられる。小中学生時代の担任の先生のことはいつまでも覚えている。これは普通のことであろう。先生の方はどうか、毎年変わっていく沢山の生徒である。30年勤めれば、ざっと1000人ほどの生徒を持つ。それをどれだけ覚えておられるだろうか。特徴のある生徒なら覚えておられもするだろうが、そうでもなければ、ボクにはとても無理だと思う。K子さんは目立たぬ生徒であったと言われる。それでも声をかけられて思い出された。それも多分40年も前の生徒である。そして書かれた色紙の文まで覚えておられた。先生とは凄いものであり、またその分先生冥利に尽きるであろう。ボクなど大人社会で、それも駆け引きの多い仕事をしてきただけに羨ましく思える。




2015/04/13(Mon) (第2097話) 家族新聞 寺さん MAIL 

 “16日付けの林真理子氏の新聞連載小説「マイストーリ−」に心に残る文章がありました。「書くということ、記録するということで、バラバラになっていた点がみんな結ばれ、それは一つの線になって未来につながっていくんです」
 私は1997年から姶めた「家族新聞」を舞台に書き続けています。義父の介護と子育てが重なり、塾の送り迎え、休み中の行楽、進学に際しての住まい探しなど、親としてしてやりたかったことの数々ができませんでした。県外の学校に進んで家を離れた子どもたちに家族とのつながりを持ってもらいたくて家族新聞を始めました。
 苦しい時期を乗り越え、昨年には末っ子が結婚。今はそれぞれの伴侶の実家にも新聞を送っています。「あれはいつの出来事だったかな?」と過去の新聞をめくり、みんなの宝物として残してほしいです。
 毎月20日前後に発行。A4判片面だけの紙面ですが、その月にあったことの概略や写真を載せています。今月の「特ダネ」は何か、トップ記事はどれかと考えつつ、素人編集長を続けています。今月で215号を迎えます。”(3月28日付け朝日新聞)

 岡山県倉敷市の主婦・花房さん(65)の投稿文です。家族の交流や記録に家族新聞を作る、いい知恵である。家族新聞については2013年5月9日の「(第1766話)母は名編集長」や2014年8月25日の「(第1990話)家族新聞」でも紹介したところであるが、いい知恵ではあるが簡単なことではない。続けるとなると更に大変なことである。花房さんは一人で作っておられるようだ。家族が協力して作ることもある。どちらが作りやすいか、どちらが続けやすいか、性格や家族状況によるだろうか。何事も自分一人の方が続く場合もあるし、誰かを巻き込んだ方が続くこともある。いい知恵は、始めたことは、それこそ知恵を使って続けたいものだ。
 川柳連れ連れ草は159号になった。これはボク一人だったらとっくに終刊していただろう。もう長いこと青息吐息であるが、でも続いている。皆さんが句を送ってくださるから捨て置く訳にはいかない。努力して掲載しなければいけない。皆さんが継続を後押しして下さるのだ。ありがたいことである。




2015/04/11(Sat) (第2096話) 白髪人生 寺さん MAIL 

 “18日付本欄の「白髪染めにさよなら」を読んだ。白髪染めをやめて悲しい、と言う声だったが、私の場合はむしろ、人生バラ色になった感じです。
 60歳を過ぎたころには、かなりの白髪、特に頭頂部は染めないと真っ白な状態。染めるのを思い切ってやめ、ウィッグを付けました。次第に白い部分が多くなったときは全てかつらにし、風の強い日には、かつらが飛ばないか心配しながらつけていました。
 ついに全部真っ白になったので、かつらをはずし、パーマをかけて薄い紫のヘアローションをつけました。毎月の仕事の例会に出かけました。びっくりされないかドキドキしながら行くと、トントンと階段を下りてきた男性のAさんが「ああ、びっくりした!女優さんかと思った!!」。この言葉に私は舞い上がりました。好きだった黒やベージュの服は似合わなくなり、明るいブルーやピンクの服が似合うようになりました。
 知らない方に「すてきなおぐしですね」と声をかけられることもあります。髪が真っ白なので写真うつりも目立ち、黒髪のときより、きれいに見えるので気に入っています。”(3月27日付け朝日新聞)

 埼玉県川越市の薬剤師・植松さん(女・70)の投稿文です。女性の容姿に関する意識は尋常ではない・・・と男のボクには思える。髪の色も重要なことである。折角の黒い髪を茶色や黄色に染めたり、その黒い髪が、白くなるとまた大変である。白くまだらにしたと思えばいいのに、今度は黒くしようとする。できないとなるとカツラにする。無頓着な人にすれば、何とも不思議なものである。植松さんもそんな努力をされてきた。そして、この抵抗をあきらめ白髪にしたとき「女優さんかと思った」という一言で、気持ちは大きな喜びに一転してしまった。一言で人間は変わるのだ、そんな見本のような話である。
 こんなことを言うボクも実は白髪染めをしていたのだ。ボクも40代後半から白髪が目立ってきた。若白髪である。そこで妻の提案で白髪染めが始まった。月に1回程度妻にしてもらう。ところが月1回程度では分け目や裾の白髪が目立つ。返っておかしいであろうが、定年まで続け、そして止めた。友人から「おかしかった、この方がいい」といわれた。今ではほぼ真っ白である。植松さんと同じように褒められることもある。でも、妻にはまだ不評である。髪が白いから老人臭く見えるという。数ヶ月もすれば満70歳である、正真正銘の老人である。いくつに見せたいのであろう。女とは全く不思議な生き物だ。




2015/04/09(Thu) (第2095話) 週に400字 寺さん MAIL 

 “三月三日付の本紙文化欄の「紙上文章教室」は、私を触発したいい記事だった。見出しを読んで、わが意を得たりと思った。「四百字から始めよう」の言葉は、続けてきてよかったと私をほっとさせた。
 私は四年ほど前から一週間分の日記を読み返し、一つの題材を見つけて原稿用紙一枚につづっている。定年退職後、それまでの「衣」を脱げない不自由さがそうさせたようだ。思ったことを文章につづるのは結構難しい。自分の言葉で表現できないこともある。毎日は無理だが、一週間に一枚仕上げるようにしている。そこには、自分を見つけて自分と向き合う姿があると思っている。
 昨年は八十枚ほどになり、このような投稿もしている。掲載されると家中が大騒ぎとなり、反響もあるが、何より私の励みになる。”(3月23日付け中日新聞)

 名古屋市の椎名さん(男・67)の投稿文です。また新しい知恵を伝えて頂いた。1週間を総括し、一つの題材を見つけ400文字の文章にする。いい知恵である。記録としてもいい。頭を使うにはもってこいである。1週間に一つ、400文字の文章を書く、でもこれは簡単そうで難しいものだ。ボクは今年に入って、天声人語の書き写しを月3回の目標を立てているが、まだ1回もできないのである。これにはボク自身びっくりしている。こんなことができないのだ。椎名さんの提案はそれより遙かに難しい。要は覚悟がなければどんな些細なことも何もできないのだ。
 そんなボクがこの「話・話」はほぼキチンと1日おきに掲載している。この方が遙かに時間も頭も使うのである。要は覚悟である。覚悟があればかなりなことはできるのだ。




2015/04/06(Mon) (第2094話) 「プロ意識」 寺さん MAIL 

 “ある日、大型スーパーの対面精肉コーナーの店員さんに声を掛けられた。「奥さん、この前から思うとったけど、そのベスト、手編み? 上手やなあ」。私は手編みのベストをほめてもらえてうれしかったが、それ以上に店員さんの「プロ意識」に驚かされた。一日に多くのお客さんを相手にされるのだろうが、そのうちの一人である私のことをよく観察し、覚えていてくださったのだ。
 昔、行きつけのちゃんぽん屋さんに家族で行った時には、店主の男性が「この前、お釣りを少なく渡していました」と差額を渡してくださったこともあった。このような努力を彼らは欠かさず、信頼や信用を築いているのだろう。
 世の中には何種類の職業があるのか、数えきれないが、一人ひとりが「プロ意識」で働いて社会が成立している。人々の努力に感謝しつつ、働くことの大切さや仕事を裏で支えることの大切さを考えていきたい。”(3月17日付け中日新聞)

 津市の非常勤講師・市川さん(女・45)の投稿文です。客の一人でしかない自分を覚えていてもらうと、びっくりもし嬉しいものである。市川さんはよほど嬉しかったのであろう、その嬉しさを投稿された。これがプロの接待である。ボクも昔びっくりさせられたことがある。転勤してまもない社員食堂で「テーブルで待っていて下さい」と言われる。分かるかな、と心配して待っていると名前を呼んで呼び出されたのである。早々に各部屋を回って顔を覚えられたのだろうか。ある食堂で、一人が何品も頼む。伝票がない。食べ終えてレジへ行くと「○○円です」と言われる。間違っていないのである。昔のことである、文明の利器などない、人間の記憶だけである。
 本当に接客業の人を覚える能力には驚かされることが多い。ボクなど全く苦手だけにより驚かされる。元々あまり違わないのにと思うが、やはりプロなのだろう。必要性とプロ意識で能力が磨かれる、人間はそうできているのだ。何事も努力である程度にはできるものなのだ。




2015/04/04(Sat) (第2093話) おとなりさん 寺さん MAIL 

 “お隣にすてきな家が建ち、若いご一家が入居されて間もなく一年になる。私の半分ほどの年齢の奥さんと、初めから気が合った。手作りのもの、いただきものなどをお裾分けし合い、メールのやりとりも頻繁にある。
 かわいい小学一年生の兄と三歳の妹がいる。わが家の夕食が終わったころ、お兄ちゃんが小さなお茶わんを両手で持って訪れた。「かたくり粉を大さじ一杯ください」「ハイ、ハイ!」急いで台所から持ってきて渡そうとしたら、お兄ちゃんは玄関を上がってきていて、うちの夕食に「いい匂いがするネ!」と言って帰っていった。
 夫と私は顔を見合わせて笑い、なんだか心がほっこり温かくなった。私たちが子どものころは、ご近所同士の調味料の貸し借りなんて、しばしばあったものだ。
 奥さんから「料理の途中で切れていることに気がついて・・・」とメールが来た。今どき、こういう「お使い」を子どもにさせたお母さんに、すっかりうれしくなってしまった。
 今日もまた、玄関先で「おとなりのおばちゃーん!」と叫ぶ兄妹の声がする。「ハイ、ハーイ!」と甘い声が出てしまう私である。”(3月14日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・太田さん(77)の投稿文です。近所付き合い、これはボクの感覚かも知れないが、これこそ昔に比べて全く疎遠になってきている。結婚式、葬儀などあれば近所は総員参加であった。それが最近は連絡さえないこともある。古いボクなど義理はどうなったのかと思ってしまう。一事が万事である。小さなことについては言うまでもない。子育て最中の同年代ならまだいいが、年代が違えば煩わしいだけというのだろうか。
 そんな中で、太田さんのお隣さんは、年代が違っても気楽に話しかけてこられたようだ。子どもさんも自然その状況になじむ。太田さんには孫を持ったような気分であろう。おとなりさんも世代の違う人と付き合うといろいろ学ぶことがあろう。こんなことも心がけ次第である。




2015/04/02(Thu) (第2092話) 感謝とともに四十路 寺さん MAIL 

 “ひな祭りの日、気乗りしないままちらしずしを作った。花粉の飛散がいつまで続くか天気予報とにらめっこし、長女が風邪を引いている隣では次女が病院ごっこ。そして1週間後に私は40歳になってしまう。
 そんな時、ちょうど届いた千葉の友人からのメールに、「ひな祭り 四十歳まで あと七日」と、憂いの句を返信した。思いのほかうけたので気をよくした私は、数人の友人にも送信した。すると宮崎の後輩からは「すぐに追いつきます」、兵庫の友人からは「まだまだいけるで〜」、東京の友人からは五七五で「大丈夫!なってしまえば変わりません!」と返信が届いた。
 途端に、グレーだった40歳のラインの向こう側が春色に変わり、先に40歳を迎えた友人に、笑顔で手招きされている気がした。いつか、私や両親や家族にも何か「変化」が待ち受けいるかもしれないという不安はある。だけど私にはそれをわかち合える友人がいて、同じ年の夫がいる。
 友人といつでもつながることができるメールと、同級生よりものんびり誕生日を迎えられる3月に産んでくれた母に感謝しつつ40歳になった。笑って。”(3月14日付け朝日新聞)

 北九州市の主婦・佐澤さん(40)の投稿文です。続いて40歳の話である。女性に40歳は気にかかるらしい。40歳は女性からおばさんの部類に入るという意識を生むのであろうか。世の中何を言おうと、美貌と若さは女性の重要事項らしい。意識のし過ぎの気がする。重要なことは生き方である。40歳に相応しい生き方をすればいい。佐澤さんもグレーの気持ちをいだれていた。それが友との少しのやりとりで、気持ちはずいぶん前向きになられたようだ。時間にも年齢にも区切りはない、人間が勝手につけているのである。人間が勝手につけるのであれば、何も暗くなるものにすることはない、前向きになれるものにしたい。何の区切りもなく延々と続くものに、気持ちを前向きにとり続けることは大変である。区切りは必要である。これも人間の知恵である。前回の「話・話」の海老原さんは上手に活用された。佐澤さんもまずは良しである。


 


川柳&ウォーク