ha1503

第130号  2015年3月

2015/03/31(Tue) (第2091話) 2回目の成人式 寺さん MAIL 

 “もうすぐ2回目の成人式がやってくる。この言い方は、友人から教えてもらったもの。40歳という節目の言い回しとして、なんだかとても前向きな響きが気に入っている。思えば、最初の20年間は、両親の保護のもと、前に、上にと伸びていき、次の20年間は、働くことと、前へ、上へと成長する子どもたちに寄り添うことで過ぎていった。
 それでは、さて次の20年は・・・。と考えたとき、もう一度働きたいと思った。子どもとリビングのテーブルで一緒に採用試験の勉強をし、トイレの壁に暗記する用語を貼り出した。宮沢賢治の詩をもじって「南ニ試験ガ心配ダトイフオ母サンガイレバ 行ッテ怖ガラナクテモイイト言ヒ」と音読してくれた小5の長男。「ママ、がんばってね」とお菓子を持ってきてくれた小2の次男。彼らの応援は大きな力になった。
 久しぶりの試験に、自分の名前を書く手が震えるほど緊張したが、数カ月間、準備してきたことを出せたと思う。4月から学校図書館の司書として働くことになった。天下のイチローも「人間が成熟していく段階は、40を超えてから」と言っていた。これからの20年が、楽しみでならない。”(3月12日付け朝日新聞)

 千葉県柏市の主婦・海老原さん(39)の投稿文です。40歳は2回目の成人式か、面白い発想である。成人式は一つの区切り、けじめである。そういう機会を利用して反省し、次に向かう。海老原さんはそれをうまく利用された。
 考えて見ると20歳毎は大きな区切りとなっている。60歳またはその前後の年齢は定年である。再出発の年齢である。次の20年、80歳はこれこそ大きな区切りである。男であれば平均寿命である。そこで終わるのか、それを乗り越え更に生きていくのか、まさに正念場である。社会には厄年というものもある。人間の寿命が延び、生活も違ってきて少し違和感もあるかも知れないが、そういう歳はあるのである。その歳を上手に活かすのも人間の知恵である。知恵は使わねばいけない。




2015/03/29(Sun) (第2090話) 「合掌」続けて90年 寺さん MAIL 

 “授業の始まりを告げるチャイムが鳴ると、席に着いた生徒たちが起立をして礼をする。ここまでは多くの学校と同じだが、仏の教えに基づく愛知啓成高校ではこの後、生徒代表の「合掌」の合図で、いすに座った生徒たちが数秒、手を合わせる。
 一九二七(昭和二)年に稲沢高等女学校として誕生して以来、九十年近く続く情操教育の一場面だ。授業の終わりも同じように、生徒と教師は手を合わせて静かに目を閉じる。登下校時の校門での一礼や朝礼、昼食時などの合掌も毎日の習慣だ。足立三千夫校長(五〇)は「何事にも感謝の気持ちを持って臨むことを覚えさせています」と説明する。(中略)
 生徒たちも効果を自覚している。「精神統一ができ、スイッチの切り替えにもつながっている」と話すのは二年の奥原和也君(一七)。授業前後の合掌などを続けることで、集中力が向上し、自宅での勉強でもメリハリがついているという。二年の溝口あやかさん(一七)も「最初はなんでするのかなと思った。でも今は、心を落ち着かせることができるようになった」と実感を□にする。(後略)”(3月8日付け中日新聞)

 「学校のイイトコ見っけ!」という記事欄からです。続いてボクの近くの高校の話である。
 合掌する姿は感謝の姿である。「合掌」をするときは、素直になり敬虔な気持ちにもなる。日々こういう場を持つことは非常に良い生活と言えよう。神社仏閣や仏壇の前なども機会もあるが、食事の場となると1日3回ある。食物に、作った人に感謝する。いい影響を及ばさない訳がない。高校生にこうした習慣を付けさせるのは貴重である。校風として90年も続いているとは感服である。学校でやって家ではしないと言うことはあるまい。
 ボクも孫も「頂きます」は言う。ただしっかり手を合わせているかというと、疑わしい。この機会に心がけたい、孫にも注意をしたい。先日はこの文を意識し、わが家で食事をしていく孫の前でその姿をしっかり見せた。そうでなければ「話・話」を書いている意味が半減である。




2015/03/27(Fri) (第2089話) 「モーニング」検索アプリ 寺さん MAIL 

 “一宮といえば、喫茶店の「モーニング」。その各種情報がスマートフォンで検索できる「一宮モーニングアプリ」を、一宮工業高校(一宮市千秋町佐野)のいずれも電気科三年の山田拓海君(18)と大崎翔太郎君(18)が開発した。市内でモーニングサービスを提供する飲食店102軒の情報が瞬時に分かる。
 アプリのダウンロードは、アンドロイド端末向けコンテンツ配信サービス「グーグルプレイ」で「一宮工業高校」と検索。(中略)
 部活動でも電気部に所属してきた二人は、三年生が一年掛けて取り組む「課題研究」のテーマとして開発に取り組んだ。新しいプログラミング言語を基礎から学び、モーニング協議会とも相談。アプリとして登録するためのライセンスの取得や102軒分のデータ入力などで、開発までに費した時間は二人合わせて600時間を超えた。(後略)”(3月5日付け中日新聞)

 記事からです。この学校はボクの家から2kmほどのところにあり、親しみが湧く。この記事を見て、ボクもタブレットにこのアプリをダウンロードした。よくできている。プログラミングから勉強されてここまで作られるとは凄いものである。利用はできても作る知識のないボクには感心するばかりである。地域の活性化に役立つ、この体験を元にこれからも頑張って欲しいことである。
 ただ、今のところ102件と少ないのは物足りない。ボクの家の500m圏内に6、7軒も喫茶店がある地域でただ1件しか載っていないのは残念である。少し使えない。これはこれからいろいろな人を頼って増やすだけのことである。ここまで作ってもらったら頑張って増やして欲しい。




2015/03/25(Wed) (第2088話) 父と喫茶店 寺さん MAIL 

 “父はコーヒーが好きで、私が小さいころは喫茶店によく連れて行ってくれました。私はプリンかパフェを食べるのが楽しみでした。コーヒーを飲む父に「苦いのに、どこがおいしいの?」と聞きましたが、笑うだけで答えてはくれませんでした。
 一緒に喫茶店へ行くことは次第に減り、父は一人で出掛けていました。家でも飲めるようコーヒーメーカーをプレゼントしましたが、相変わらず喫茶店へ行っていました。
 私が妊娠したことが分かった日、病院まで父が車で送ってくれた帰りに、ふと喫茶店に寄りました。父はやはりコーヒーを注文し、焼きそばをぱくぱく食べる私をやはり少しほほ笑んで見ていました。父と喫茶店に入ったのは、それが最後となりました。今、私はコーヒーが大好きです。一人で飲んでいると、無性に父に会いたくなります。《ずっと喫茶店通いに付き合えばよかったー》
 喫茶店で飲むコーヒーは、周りの風景も手伝ってか良い香りがしておいしく感じます。主婦であり妻であり母である自分が、一個人になれるひとときの空間であるような気がします。《父もそうだったのかしら?》。今日は自分でいれたコーヒーを飲みながら、こんなことをぼんやり考えました。”(3月4日付け中日新聞)

 三重県桑名市の主婦・松田さん(49)の投稿文です。父と娘が喫茶店でゆっくりコーヒーを飲む、ありそうでなかなかない風景である。喫茶店好きの父親に付き合わなかった松田さんもそうしなかった自分を悔いておられる。
 喫茶店文化の地方にいながらボクはあまり一人では喫茶店には行かない。時折娘と喫茶店へ行くこともあるが、必ず妻がいる。2人と言うことは無い。いや、喫茶店ばかりでなく、娘といるときは必ず妻がいる。これがボクと娘との関係か、妻が先に逝ったときのことを考えると怖くなる。これが一般的ではあるかも知れないが、寂しい話であり困ったことでもある。子育てやパートながら勤務していて忙しい2人の娘には、そんなこと思い至ることでもなかろう。多分松田さんもそうであったろう。そして悔やむのである。その順送りである。ボクに余裕ができ、1人で喫茶店へ行くようになったら誘ってみることである。その時、ボクにそれに思い至るか、怪しいものである。




2015/03/23(Mon) (第2087話) 着物出勤 寺さん MAIL 

 “日本の伝統文化を少しでも伝えたいという思いから家庭科の教員になり、月に何度か着物で出勤している。着物は非日常という意識、お年寄りやお金持ちが着るものという発想を払拭したくて、周囲の洋服になじむ色柄や綿など庶民的な素材、洋服や古着を取り入れた着こなしを選んでいる。
 着物での出勤を始めたきっかけは、生徒の言葉だった。伝統文化についての授業の際に、「月に一度、着物の日を作ったらいい」という意見が出た。休日に着物を好んで着ていた私は、突き動かされた。「晴れ着」としての着物しか知らない生徒たちは、「洗えるやつ?」と触ってみたり、着心地や値段まで聞いてみたりと、授業をするより関心を引いていると実感する。教員が日常的にできる、最も効果のある伝統文化の教育とさえ思う。
 私は生徒の成長に関わり「国をつくる仕事」をしている。そのことを忘れずに、ずっとこの仕事をしていきたい。”(3月4日付け中日新聞)

 名古屋市の中学非常勤教諭・小倉さん(女・25)の投稿文です。教員が着物を着て職場である学校に出かける、今ではまず見ない風景である。これには勇気が要るだろう。小倉さんの勇気をたたえたい。洋服が入るまでは、着物は日本人の普段着であった。いつの間にか洋服一辺倒になり、着物は特別の時に着るものとなった。ボクの小学校時に、女の先生は入学式や卒業式には着物を着ていた。また、就職しても、仕事始め式などには女性の多くは着物を着てきた。今ではもう全く見ない風景である。
 着物は活動的かというと、洋服に比べてなかなかそうは言えない。慣れた人にはいいだろうが、一般にはそうはいかない。やはり場所を選ぶだろう。でも日本の伝統的な文化である。場所を考えながら生き残っていって欲しい文化である。




2015/03/21(Sat) (第2086話) 共に年取る 寺さん MAIL 

 “先日、夫が77歳、私は76歳になった。夫婦が同じ誕生日というのは、珍しいかもしれない。私たちが初めて出会ったのは昭和30年代の半ばで、日米安保闘争の嵐が学生の間でも吹き荒れていた。私は安保反対の運動に熱く身を投じることもなく、一方ではそんな自分に引け目を感じながら漫然と暮らしていた。2人ともノンポリの学生だった。
 製紙会社に就職した夫は、北は釧路、南は熊本県八代まで、転勤を繰り返す渡り鳥のようになった。ややおおざっぱな夫の性格が、せっかちな私に合ったのか、いつの間にか心地良くなった。
 サラリーマン生活を終えて定住できるようになったのは60代半ばだった。夫とは父母やきょうだい、息子の誰よりも長く一緒に生活したことになる。
 「ハッピーバースデーパパ、ママ」とたどたどしく歌ってくれた息子は、もうすぐ50歳。「来年もそろってこの日を迎えましょうね」と、夫の顔を見た。太い眉に白いものが増えたようだ。尾頭付きの鯛の代わりに食卓にのった、こんがり焼いためざしの昧は格別だった。”(3月5日付け朝日新聞)

 千葉県鎌ケ谷市の主婦・佐久間さん(76)の投稿文です。佐久間さん夫婦は、誕生日が同じ日だったと言うことで親近感が湧き、結婚されたのだろうか。それを除けば、社会一般の夫婦の歴史である。転勤の多いことは職業により、これも程度の差はあるが特別のことではない。結婚50年近くもなる夫婦は、紆余曲折はあろうとも、お互い補い合い夫婦相和してきたのだ。言葉に出さずとも、お互い感謝も気持ちを抱いている。それが嬉しくこうした投稿になる。長く続く夫婦って、良いものだ。
 以前はほとんどの夫婦がこうであった。ところが、どんな統計か知らないが、最近までは4組に1組が離婚と聞いていたが、今では3組に1組が離婚という。特に若い夫婦の離婚が多い。ボクのような田舎でも離婚して帰ってきている人が幾人もいる。熟年離婚という言葉もある。これはボクの周りでは知らない。環境によることが大きいという気がする。その内佐久間さんのような投稿文が貴重なことにならないだろうか、そうなったら悲しいことである。「短気は損気」という言葉がある。夫婦の間ではよく覚えておきたい言葉である。




2015/03/19(Thu) (第2085話) 社の姿勢 寺さん MAIL 

 “先日、妻と二人で愛知県渥美半島の伊良湖岬から同県豊橋市行きのバスに乗り、運転手さんに豊橋駅到着後七分で新幹線への乗り換えができるかどうかを尋ねました。「バス停から改札口まで距離があり、交通事情で遅れることも多いので、途中で電車に乗り換えるのが確実です」との案内。豊橋鉄道三河田原駅で降り、電車に乗り換えました。
 交代したバスの運転手さん、駅で案内してくれた駅員さん、これらの方々の私たち年配者に対する親身な案内に驚きました。偶然、人の良い親切な運転手さんに出会ったのかなと思っていたところ、案内し対応してくれた五人の方々全員が真剣で優しく、心が温まりました。
 これは社員個々の優れた資質だけとは思えません。会社挙げての日々の努力と研さんの積み重ねが、職場の雰囲気や企業の風土にまで高められたものと感銘しました。”(3月3日付け中日新聞)

 群馬県高崎市の会社員・尾崎さん(男・65)の投稿文です。2067話では郵便配達員さん、2069話では地下鉄駅員さん、2071話ではキャビンアテンダントさんの親切な対応について紹介したが、今回はバスや電車の駅員さんの話である。「お客様は神様」からか、客に対する対応が変わった気がする。企業も競争が厳しくなった。公務員も役人然とはしておられなくなった。社会が優しくなった。困った人や弱い人を助けるのが当然の社会になってきている。そしてこの投稿の人のように、それに感謝をする。良い社会になってきたと思う。
 しかしながら行き過ぎや勘違いもある。お客は礼を言われて当然と思っている人もある。少し態度が気に入らないと苦情を言う。お客様は神様などではない。お金を払う方が偉いのではない。どちらが欠けても社会は成り立たないのだ。お互いに感謝すべきなのだ。




2015/03/17(Tue) (第2084話) 高齢男性よ 寺さん MAIL 

 “地域の福祉委員の役目柄、週一回の高齢者の集いに顔を出す。参加者は歌ったり切り絵をやったり絵手紙を書いたり、楽しい時を過ごす。「風邪ひかなかった?」「寒かったね」。元気な朝のあいさつが快い。毎週おいしい漬物を作り、昼食時にみんなにーと持参する参加者がいる。みな「今週はどんな・・・」と楽しみにしているようだ。
 ただ、毎週二十人はどの参加者は女性ばかり。男性は皆無に近い。たまに行くランチタイムの外食も周りのテーブルは女性ばかり。女性の方が平均寿命だけでなく、介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる「健康寿命」も長い。
 高齢世代の男性の日常の閉じこもりの実態も話題になる。声を掛け合い、軽スポーツ、趣味のサークル、たまには近隣の居酒屋で「集いを持つこと」が男性の健康増進の一助になるのではと、元気な女性たちを見て考える。”(2月28日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の北沢さん(男・75)の投稿文です。人生を謳歌しているのは女性ばかりである、またそんな話である。ボクも全く同様に、苦々しくさえ思っている。男たちはどこに行っているのだろう、疑問でならない。働ける世代の女性の社会進出がよく話題にされるが、老後においては男性の話である。老後の男性の社会進出をもっと話題にしなければならない。現役時代に社会で働くことに精力を費やし、老後まで人の間で気を使うのはまっぴらだ、と言うことであろうか。出かけてみても少人数の仲間内だけでもう結構だと言うことであろうか。老後こそ人生の総括、正念場である。結果よければすべて良しである。若い時の苦しいことや貧しいことなどは途中である。乗り越えて今があればまずは良しである。そして残されたその後である。これからこそ頑張らねばならない。今年の2月18日の「(第2071話)心遣いに涙」でも書いたがしょせん人生は積極的に生きる事につきる。高齢男性よ、再び社会に出よう。




2015/03/15(Sun) (第2083話) 「来てよかった」 寺さん MAIL 

 “知り合いのおじいさんが自転車に乗っていて転び、脊髄損傷のため不自由な体になった。方々の病院をへて、今は浜松市浜北区の病院で寝たきりの生活を送っている。私も高齢者なので車の運転には自信がなく、お見舞いに行くのをためらっていた。そんなある日、二十二歳になる孫が運転を買って出てくれ、やっと行けることになった。
 お見舞いに、好物のすし、たこ焼き、塩あめを持って行った。すると、おじいさんは涙を流して喜び、「今すぐ食べたい」と催促した。口に運んであげると、ゆっくりとかみしめながら、ぽろぽろと涙をこぼした。
 それを見ていた孫が、ぼそっとひと言、つぶやいた。「来てよかった」それを聞きながら、私も心の中で同じようにつぶやいていた。
 「また来るね」。帰り際、確約できない約束をした。そして、まひしているため氷のように冷たいおじいさんの手を取って握手をし、心だけ残して帰宅の途についた。
 「また、いつでも運転するから・・・」。孫がこう声をかけてくれた。その優しさに胸を熱くした。孫も、いい勉強をしたと思う。西空に、真っ赤に燃える夕日が浮かんでいた。とてもまぶしく、美しかった。”(2月28日付け中日新聞)

 静岡県湖西市の池田さん(女・86)の投稿文です。老いた二人が涙を流しながらい寄り添う姿にこの孫さんも嬉しかったのであろう、自分の申し出た行為が作り出した涙に「来てよかった」は実感であろう。でも、孫とは言え、老人のことに関心を持ち、時間を割くことができるだろうか。入院は祖母自身のことではない、自分の知らない他人の見舞いの話である。。運転をし、ほぼ1日が費やされる。しかしその結果については、想定しなかった感激があった。「また、いつでも運転するから・・・」の言葉に表れている。良い社会勉強になった。元々優しい孫さんであったろうが、更に優しくなるだろう。
 老いて病んで心細くなる。ボクも知人の見舞いにもっと心がけねばならないところである。




2015/03/13(Fri) (第2082話) 10年前の手紙 寺さん MAIL 

 “厚みのある封筒が自宅に届きました。「タイムカプセル2005→2015」と書かれた封筒を開けると、十年前の私たち家族が「十年後の皆さまへ」と書いた手紙が入っていました。
 当時、私は一歳半の息子を背負い奮闘中。主人は三十五歳で、毎日二時間かけて会社に通っていました。娘は五歳。つたない字で手紙を書いてくれています。忙しい中で幸せいっぱいの日々がつづられ、家族そろって楽しく読みました。
 一人で読み返すと、胸に込み上げるものがありました。子どちたちは確実に成長をとげ、娘は受験を通して未来を見つめています。息子は十年前の予言通り、やんちゃで元気な、でも心優しい子に育ちました。
 また手紙を書きたいね、と娘と計画中です。次の十年後には家族模様がどう変わっているか楽しみです。”(2月26日付け中日新聞)

 愛知県愛西市のパート・山崎さん(女・44)の投稿文です。タイムカプセルか・・・学校やイベント会場やいろいろなところで行われていたようですが、ボクには縁がなかったな。十年、いやもっと先の自分達を想像し、記録しておく。その時になって読むときの気持ち、良くても悪くてもいろいろな感慨を持つだろう。人生に一つの楽しみを与えてくれる、面白い企画だと思う。山崎さんはどうも意図したとおりになっていたようだ。良かったと思う。
 さてボクは、10年、20年前に今をどのように予想していたろうか。山崎さんのようにそのような文がないので、勝手な想像になる。多分ほとんどの人は家族の大きな病気や不幸は想定しないだろう。ましてや死ぬようなことは想定しないだろう。そしてボクにはそのようなことを体験せずにここまで来たので、この分は多分当たっていたろう。この分が当たっていれば、その他はそれ程のことではない。問題はこれからの10年、20年である。体の不自由や痴呆症、死ぬことだって想定しなければならない。いよいよ人生正念場である。




2015/03/11(Wed) (第2081話) とけない魔法 寺さん MAIL 

 “近所で暮らす32歳の孫娘に誘われ、初めて東京ディズニーランドに行った。コンビニエンスストアを最近まで営み、家族そろってどこかに出かける余裕もなかったが、「誘われたら断らないものよ」と娘に促され、行くことにした。
 出かけたのは、孫娘夫婦と2人のひ孫、娘、そして私の6人。近くのホテルで1泊し、翌朝ディズニーランドに向かった。駐車場は早くも車でいっぱい。ナンバーは滋賀、岐阜、富山などと遠方も目立つ。中に入った後も、混雑していてなかなか進めなかった。
 孫娘が子どもに見せたがっていたクマのプーさんの乗り物は「待ち時間100分」という。普通だったら考えられないことだが、誰も文句を言わず静かに並んでいる。やっと順番が来た。丸く太ったかわいいプーさんを見て思わず笑顔になった。終わると皆散って、次のアトラクションヘ。夕方の「アナと雪の女王」のパレードは、じっと待ったかいあって、幻想的なひとときを楽しめた。
 ディズニーに行きたがる孫にこれまではあきれ気昧だったけれど、小言を言うのはもうやめよう。”(2月26日付け朝日新聞)

 東京都清瀬市の森田さん(女・77)の投稿文です。東京ディズニーランドには娘家族もよく行っているようだ。行くと孫が報告に来る。旅行によく行く我が夫婦はまだ行ったことがない。乗り物にあまり興味がないことや並ぶことがいやで、あまり魅力を感じないのである。どうも森田さんもボクと同じだったようだ。ところが「誘われたら断らないものよ」と娘さんに促され、行ってきたらこの投稿文である。こうなるとボクら夫婦も考えねばならないか。並ぶ必要がないテーマパークには少し行ったことがあるが、より面白いものにはやはり並ばねばならないのか。娘家族の次の機会に連れて行ってもらおうか。本気で相談してみよう。
 それにしても東京ディズニーランドは、テーマパークとしては一人勝ちのようだ。リピーターも多いようだ。それだけ素晴らしいのであろう。




2015/03/09(Mon) (第2080話) 素敵な文字 寺さん MAIL 

 “小学生の孫娘を書道塾へ送る車の中で、孫娘が話しかけてきました。「ねー、じいちゃんて、とても偉い人だったんだね」「どうして、そう思うの?」「学校のお習字の先生が話してくれたんだけど、先生が中学生の時、黒板にとてもすてきな字を書く先生がいて、その字が大好きで、あこがれて先生になったんだって」
 名前などから、それが自分の祖父だということが分かったようです。何とうれしいことでしょう。夫の思いを受け継ぐ立派な先生が育ってくれたこと、先生を志した動機を孫に話し、自分の祖父を尊敬する心を芽生えさせてくださったことを思うと、先生にも夫にも感謝、感謝です。
 私は、美しい文字が書ける人をうらやましいと思いながらも努力は全くせず、今更ながら侮やんでいます。孫がこんな思いをしないで済むように、《すてきな字を書く素晴らしいじいちゃんがいたんだ》ということを知り、励みとなるいい機会をいただいたと思っています。そしてこの先、孫が先生や夫をお手本に、すてきな字が書ける人に育ってくれることを願います。書道塾へ送って行くことくらいしかできませんが、私も頑張ろうと思っています。”(2月23日付け中日新聞)

 愛知県知多市の榎本さん(女・76)の投稿文です。自分の身内の素晴らしさを、孫を通して聞く。これは自分が直接聞くことより嬉しいであろう。自分の前ではお世辞もあるが、人に話すときにお世辞はない。言いたくもないお世辞を言うくらいなら話すこともない。本心である。孫さんにも身内から聞く話はあまり本当に聞こえないし、説教臭く聞くこともある。他人から聞くときは素直に聞ける。そして家族の素晴らしさを知る。ありそうでなかなかないことである。榎本さんは良い機会を得られた。
 素敵な文字、といわれるとボクも全く恥ずかしい。適当にやり過ごし、重要なことと努力することもなくやり過ごしてしまった。妻が上手なので、必要なときには頼んでしまった。ただ昨年から天声人語の書き写しを始めて、丁寧に文字を書いている。効果はある。少し遅きに失し取り戻せないことではあるが努力をしたい。
 ご主人が突然出てきて少し理解に戸惑ったが、多分ご主人も素晴らしい書道家だったのでしょう。




2015/03/07(Sat) (第2079話) あったかいプレゼント 寺さん MAIL 

 “高校二年生の孫娘から「おじいちゃんとおばあちゃんに渡したい物がある」と電話があった。すぐにやって来て、私たちにそれぞれ手渡してくれたのは、厚手のとても暖かそうな二足の靴下だった。
 寒い日にビニールハウスの中で、七草がゆの材料をパックに詰めるアルバイトをやったそうな。寒くて指の感覚がなくなるようだったとか。暖かい所で詰めると材料が駄目になってしまうので、あえて寒い所で詰めるとのこと。
 そして、初めてもらったアルバイト代の中から家族六人全員のほか、私たちにまでプレゼントをくれたのだ。靴下を手に仕事の様子を聞いているうち、涙があふれてきた。おじいちゃんも目を潤ませている。寒い中、懸命に働いて得たお金でプレゼントしてくれたー。それを思うと、うれしくて、うれしくて。
 私は肌が荒れ性で、いつも足のかかとにひび割れができる。そのため靴下にすぐ穴が開き、駄目にしてしまう。どうしよう。はこうかな。大切にしまっておこうかな。でも、せっかくくれたのだから一足ははいて、もう一足はしまっておこう。靴下が少しでも長持ちするように、その夜、かかとに荒れ止めの薬をたっぷりと塗り、床に入った。ありがとう。お休みなさい。(2月22日付け中日新聞)

 岐阜県川辺町の挿し絵講師・西村さん(女・76)の投稿文です。初めてアルバイトで得た給料から家族にプレゼントする、多分本人もやっと少し一人前になれた気分で嬉しかろうが、もらった家族はもっと嬉しかろう。プレゼントされた祖父母に至っては涙なくしておられまい。こういう優しさを備えるには本人の心がけもさることながら、周りの環境も大切である。「背中を見て育つ」、周りの人の影響は大きい。
 幸いボクの孫4人はいずれも優しい。誕生日には手紙をくれるし、旅行に行けば小さなみやげも買ってきてくれる。西村さんのお孫さんのように、初めてお金を得たとき、どうなるか楽しみに待っていよう。まずはそれまで自分が生き延びねばならない。




2015/03/05(Thu) (第2078話) ピアノと私 寺さん MAIL 

 “中学生の時、ピアノがとても上手な先生がいて、その先生からピアノを教えてもらいました。自宅にはオルガンすらなかったので、紙の鍵盤を広げて指の練習をしました。もう一度、弾きたいと思っていましたが、始めたとしても弾ける自信はないし、途中で挫折してしまうかもと考えると、一歩を踏み出すことができませんでした。《でも今やらないと、弾く機会はもうないかも・・・》。思い切って主人に話すと、こう言ってくれたのです。「その気があるなら、早く始めた方がいい」。私はすぐ教室に通い始めました。そればかりか、何と主人はピアノを買ってくれたのです。家で毎日ピアノが弾けるなんて、まるで夢のようでした。
 昔弾いた曲は指が覚えていたのか割とスムーズにできましたが、新しい曲にはかなり苦戦。それでも、一曲ずつ弾けるようになるのがうれしくて、中学生のころに戻ったような気分です。
 思えば三年前、背中を押してくれた主人に心から感謝しています。ピアノは私に元気を与えてくれ、今では私の生きがいになっています。元気でいる限り一生懸命練習を続けたいと思っています。そして、何にでも挑戦する気持ちを、ずっと持ち続けたいと思っています。”(2月17日付け中日新聞)

 岐阜県恵那市の主婦・三宅さん(70)の投稿文です。60歳を超えてピアノを習い始めるとは、まさに60の手習いである。この年代は若い時にはしたくてもできなかったことが多い。人生するべきことを終えた年齢になったら、それこそしたかったことをすればいい。やりたくないこともやればいい。これからの人生をエンジョイし、活発に過ごせばいい。 「その気があるなら、早く始めた方がいい」とそれを後押しされるご主人はいい。そして「好きにすればいい」とまでは言うが、ピアノまで買ってくるご主人は少ないであろう。偉いものだ。「明日死ぬと思って生きなさい」、いつまで命があるか分からない年齢である。先日、68歳の近くの奥さんが突然亡くなった。思ったらできるだけ早い方がいい、すぐに始めなさい。先日紹介した「残るは11都道県」では奥さんが「今より若い時はない」と奥さんが後押しされた。夫婦は良いものだ。




2015/03/03(Tue) (第2077話) 日記焼いて 寺さん MAIL 

 “この欄に時々、日記について書かれている。父の日記を見つけて読んだとか、母の日記が遺品整理をしているうちに見つかり懐かしんだとかー。
 だが、日記を長く書いてきた私としては、読まれるのが嫌な気分だ。日記はあくまでも本人の気持ちを書いているのであって、誰かに読まれるつもりで書いているのではない。私が死ぬと同時に焼却してほしい気持ちだ。
 家族は私が以前から日記を書いていることを知っている。あるとき、私の日記を誰が「遺産相続」するのかという話題が出てびっくりした。その必要はなく、私の死とともに日記も死んで欲しいと思っている。
 日記には家族のことのほかに様々なことを書いている。仕事のこと、旅行のこと、町内会のこと。たまには政治のことも書く。もちろん子どもの結婚式など、家族の幸せの記述も見いだせるだろう。ただ、50年近く書いてきた日記は膨大な記録である。とても読み切れるものではない。
 私にとって、日記を書く朝の30分のひとときが1日で一番幸せな時なのである。誰も起きていない時、前日のことを思い出して書く時間が至福の時なのだ。”(2月15日付け朝日新聞)

 仙台市の長内さん(男・74)の投稿文です。日記を誰が遺産相続するか、そんな話を聞かれた本人はさぞびっくりされたであろう。長内さんでなくても同じである。日記の処分は、残された人にとってアルバムと同じように難しいことであろう。処分するなら処分と、残して欲しければ残して欲しいとはっきり伝えておくのが賢明である。賢明というよりしておかねばならない。ボクも今でも30年分くらいあるが、すぐ処分していいと伝えたい。アルバムは残った人に役に立つこともあろうから、残して欲しい分をキチンとしておきたい。ボクにはその他旅行やウォーキングなど膨大な資料や記録がある。これもすぐ処分していいと伝えたい。
 長内さんの文で嬉しかったのは、日記を朝書くと言うことである。これはボクも同じである。夜は酔って帰ったり不規則なこともあり、日記を書くことがままならないことが多い。その点、朝はキチンとした時間が取れる。これが続いている要因だと思っている。




2015/03/01(Sun) (第2076話) 見慣れた景色 寺さん MAIL 

 “積雪がある寒い週末、その人はわが家の前の道端で絵を描いていた。翌週末も絵を描きに来ていた。たまたま自宅の二階の窓から見えた。温かい飲み物でも差し入れようと思ったら、帰る支度を始めた。絵の道具を丁寧に片付け、手際良くまとめた荷物を持つと、描いていた景色の方を向いて直立し、ゆっくり深く一礼した。そして、別れを惜しむかのように景色を見ていた。
 その人の一礼には、いろんな思いが込められているように感じた。その人のおかけで、人にだけではなく、物や場所に対する感謝の気持ちも教えてもらえた。二階から見ていたことが申し訳なく思えた。
 表に出て、その場所に立ってみた。見慣れたいつもの景色だ。四方が山に囲まれている。おまけに今季は雪が多くて、うんざりしていた。そんな時に、絵を描きに来たその人のおかげて、見慣れた景色がいとおしく思えた。四季を肌で感じ、景色で感じることができる場所。ここで暮らせることに感謝し、毎日を大切に過ごそうと思った。
 その人のまねはできないけれど、私も生活の中で人・物・場所に対して一礼ができるようになりたい。この次、その人に会えたら、一礼してお礼の気持ちを伝えたい。そして、描いた絵を見せてくださいとお願いしよう。”(2月10日付け中日新聞)

 長野県大桑村の会社員・早川さん(女・50)の投稿文です。絵を描く、そしてその対象物になる自然物に対して感謝の頭を下げる。絵が描けないボクには分からないことであるが、そんな気にさせるのであろうか。ありがたい気持ちは起きても頭を下げるところまでなるのはこの人だからであろう。感謝の気持ちを持つ、そしてそれを態度で示す。大切なことである。
 早川さんにしたら見慣れた風景が、人によっては頭を下げるほどに尊い風景に見えることに、改めてその有り難さを教えられた。住んでいる人にはなかなか気がつかないこともある。人の振りで気づかされることもある。どうせ離れられない土地ならば、少しでも良さを見つけて愛着を持って過ごしたい。「住めば都」である。必ず良さがある。
 ボクはどうか。災害の心配も少ない、交通の便はいい、風光明媚とは言えないが回りは田畑、自然の中である。ありがたく思っているが、ただその環境も近年非常に悪くなってきている。



川柳&ウォーク