2015/02/14(Sat) (第2069話) 地下鉄の駅員 |
寺さん |
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“名古屋市昭和区の加藤靖子さん(七〇)の高校二年のお孫さんは野球部に入っている。部活を終えて午後九時すぎに帰宅するなり「グラブの入った袋をどこかに忘れてしまった」と言う。通学途中の地下鉄の中か、それとも道で落としてしまったのか思い出すことができない。靖子さんが新しく買ってあげるのはたやすいが、使い慣れた物なだけにあきらめきれない。 翌日、名古屋市交通局から連絡があった。駅員さんが終点の藤が丘駅で見つけてくれ、保管してあるとのこと。転送された栄のお忘れ物取扱所まで取りに行き、無事手元に戻った。 実は、袋の中にはグラブの他に弁当箱も入っていた。家に戻って、そのふたを開けてびっくり!箱の中がきれいに洗ってあるのだ。保安上、袋の中身を確認するのは当然のことだろう。また、食べ物が入っているとすれば、腐敗する恐れもある。衛生上の観点から、中身を廃棄せざるをえない場合もあるだろう。だが、ボンと捨てるだけでなく、あまりにも丁寧に洗ってあった。「おばあちゃんがいつも洗ってくれるより、きれいになっているよ」とお孫さんに言われ、靖子さんは思わず苦笑い。それほどピカピカなのだ。 「おそらく藤が丘駅の駅員さんが洗ってくださったのでしょう。そのこまやかな気遣いに胸がいっぱいです。小さな出来事のようですが、年寄りの身にはジーンときました。駅員さんにお礼を申し上げたくて投稿しました。お気遣いいただきありがとうございました」と靖子さんは話す。”(1月25日付け中日新聞)
志賀内泰弘さんの「ほろほろ通信」からです。郵便局員さんの話に続いて地下鉄職員さんの話です。忘れ物の弁当の中味を捨て、更に弁当箱まで綺麗に洗う。郵便局員さんの話は業務の話であるが、この弁当箱の話はどこまでが業務であろうか。忘れ物の中味を確認し、渡すことは業務である。腐るかも知れない弁当箱の中味を捨てるのは、体験上の知恵ではあろうか。更に綺麗に洗うのは、この職員さんの心遣いではなかろうか。加藤さんの感激はよく分かる。ボクも感激するだろう。忘れものなど出てこない国が多かろうに、日本は全く素晴らしい。 嬉しかったこと、感激したことなどをこうした投稿で感謝の気持ちを伝える、これも大切なことだと思う。感謝の気持ちを伝えられて悪い気はしない。良かったという気持ちになり、もっと頑張ろうと思う。人間は褒めて育てる、何もこれは子供に限ったことではない。大人でも同じである。ところが最近は苦情は言うが、感謝の気持ちを伝えることは少なくっている気がする。やってもらって当たり前の気持ちが多い。仕事だから、役員だから当然だとも言う。ここ数年地元のことの係わりが多くなってよりそんな気がしている。これでは役員のやり手はますます減っていく。人の気持ちをもっと汲み取る人が多くなって欲しいものだ。
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