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第129号  2015年2月

2015/02/27(Fri) (第2075話) 残るは11都道県 寺さん MAIL 

 “数年前から漠然と自転車で全国を踏波したいと考えるようになりました。そんな夢を妻に話すと、「今より若いときはない!」と背中を押されました。
 とは言え、長距離を走った経験はなく、装備や体力も自信がある訳ではありません。とにかく試走をしてみることに。途中で無理だと感じたら電車で帰ることにしましに。自宅から国道16号で横浜まで行き、東海道を西へ。名古屋まで6日間、約500キロを走り、必要な装備やホテルの探し方などを体験できましこ。2回目は九州一周をして、―年目が終わりました。
 2年目は2回の輪行で、まずは紀伊半島を一周。次に滋賀から山陽道を通って四国に入り、徳島まで走りました。昨年は4回の輪行で、はじめに沖縄、次に四国から山陰、さらに北陸、甲信を走りました。これまでの3年間で36府県6236キロを走破できました。
 妻への報告はフェイスブックで。食事の写真や翌日の予定などをアップし、生存確認をしてもらっています。途中、友人・知人と旧交を温める機会があるのも楽しみです。残る北海道、東北、関東を走り、すべての都道府県走破を達成したいと思っています。”(2月8日付け朝日新聞)

 埼玉県飯能市の高橋さん(男・69)の投稿文です。60代半ばから自転車で全国行脚か・・・いろいろ考えるものだ。高齢者は時間もあり、それなりの金銭的余裕もある。そして元気があってその気になればとんでもないこともできる。先日は新聞にトラクターで全国行脚に出る人の話が出ていた。全く驚くばかりである。今の高齢者は若いときにあまりいろいろなことはできなかった。そんな時間もなかったし金銭的余裕もなかった。それを今爆発させている感じさえ受ける。できる人は大いにやればいいと思う。青春を謳歌できなかった人は今こそ謳歌しよう。
 ボクも全くその1人だ。青春時代お金のかかることはほとんどしなかった。学生時代の自転車旅行についてはこの「話・話」でもう何度も紹介した。お金がかかる技能や知識を要することは今もほとんどできない。だからそれを要しない自転車やウォーク、旅行となる。健康な体がある限りまだまだできることはある。まだこれからだ。




2015/02/25(Wed) (第2074話) あいさつの大切さ 寺さん MAIL 

 “私たち夫婦は毎週土、日の朝は散歩を兼ねて、近くの喫茶店に行ってモ一ニングコーヒーを楽しんでいます。同級生や知人と顔を合わせると、子供のことや孫のこと、また家族の近況など、たわいもない話をして心を和ませています。
 そんなある日、いつものように喫茶店で妻と雑談をしていると、私たちの隣の席に同年代のご夫婦が「おじゃまします」と会釈して座られました。知人かなと思い、それとなく顔を見てみると、面識のない方でした。でも、その一言で私たちはほのぼのとした気分になりました。
 昨今は、人と人との触れ合いが希薄になったと、耳にしたり実感したりしていましたが、このご夫婦の何げない振る舞いに感動しました。私もこれからは機会あるごとに「ありがとう」「お先に」など、口に出そうと思いました。一言の大切さ、素晴らしさを教えられたひとときでした。”(2月7日付け中日新聞)

 名古屋市の菅谷さん(男・78)の投稿文です。一つの言葉が感動を与える、第2072話の笑顔の社会貢献と同じような話である。ちょっとした言葉で人をほのぼのとさせる、これも社会貢献でしょう。言葉の与える影響の大きさは凄いものがある。ちょっとした一言で嬉しくもさせるし、嘆きもさせる。トラブルにもなるし、大きな見返りを得ることもある。考えて見ると行為よりも金銭よりも大きいことがあろう。知り合いや身近な人に挨拶は当然だが、その当然を見知らぬ人にも行う。簡単なことだが、その効果は格段に違う。この菅谷さんのように感動さえ与える。
 ボクも最近心がけていることだが、もっと積極的に心がけよう。トレーニングの着替え室に入るとき、挨拶を心がけているがほとんど返ってこない。でも先日、初めて会った人から返ってきた。そしてその後も会話が続いた、良かった。めげずに続けよう。




2015/02/23(Mon) (第2073話) 琵琶湖に花を 寺さん MAIL 

 “琵琶湖をめぐる遊覧船から港に降り立った観光客が、感嘆の声を上げた。「わあ、きれい」
 琵琶湖の西岸、滋賀県高島市の今津港からJR近江今津駅前に続く約200mの歩道を彩る四季折々の花。近くに住む無職沢田清さん(八五)が、十年以上にわたって世話を続けている。きっかけは十二年前。岐阜県古川町(現・飛騨市)への旅だった。白壁土蔵のわきを小さな川が流れ、コイが泳いでいた。通りの至る所には、花が咲いていた。一方、地元はというとー。街の顔でもある駅前通りが雑草でぼうぼうだ。「こりゃいかん」と思った。
 もともと花が好きだった。まずは雑草を抜き、パンジーのプランタ一十個を通り沿いに並べてみた。初めのうちは「なんか言われへんかな」という気兼ねもあったが、通り掛かった人の反応は上々だった。プランターの数は年々増え、今では二百個に。いつしか、地域の子どもから「花咲かじいさん」と呼ばれるようになった。
 自宅近くの畑で種をまいては苗を作り、春にはサルビアやペチュニア、秋にはパンジーーやルピナスを植える。夏場だと、涼しいうちの朝四時すぎに水やりをするといい、「死ぬ間がないほど忙しい」と笑う。この冬は黄色や紫色のパンジーが見ごろになっている。
 「今津を訪れた観光客の皆さんは、『素晴らしい』と楽しんでくださっています」とは、駅前通りにある「琵琶湖周航の歌資料館」の村井佳子館長(五一)。最近では、地元住民有志が花作りを手伝ってくれるようになり、グループ「はなのみち」ができた。仲間たちと一緒に「もう十年は続けたい」と思っている。”(2月6日付け中日新聞)

 「虹」という記事欄からです。少し長いですが全文を紹介しました。これはまた素晴らしい社会貢献である。歩道の草を取り、プランターを置いて花を植える。プランターは水やりも必要である。それを朝4時からする。最初は10個ばかりのプランターであったものが、今では200個という。1人で始めたものが今や地域の活動になった。70歳を過ぎて始め、今85歳、もう10年はやりたいという。どこまでも素晴らしい。沢田さんは若い時どんな人生を過ごされたのか知らない。今以上に素晴らしかったのかも知れないし、それ程でもなかったかも知れない。でも、それ程でなくても、今は素晴らしい。人はいくつになって真価が発揮されるか分からない。こういう人は多い。「積極的な考え方で生きる」これを死ぬまで続けたいものだ。
 ボクは地元でこれに似たことを数年前に提案したことがある。誰の賛同者も得られなかった。1人ででもやれることをやる。会社を完全引退するとき、もう一度考えよう。




2015/02/21(Sat) (第2072話) 笑顔が一番 寺さん MAIL 

 “地下鉄の通路で見ず知らずのおばあちゃんが転んだ。急いで駆け寄ったが、私より一瞬早く近くにいた二人の女子高生が手を差し出していた。私はとっさに「ありがとう」と彼女たちにお礼を言った。すると、二人ははじけるような笑顔を見せた。立ち上がったおばあちゃんを囲み、互いに顔を見合わせてにっこり。
 数日後、私は手相占いをしてもらった。今後の指針を聞きたかったからだ。鑑定士はこんな助言をしてくれた。「例えば買い物をした時、自分は客であってもレジの人に笑顔で『ありがとう』と言いましょう。自分の周りの人に笑顔で対応すると、相手もいい気持ちになると思うのです。周囲の人の気持ちを温かくし、希望を与えることも立派な社会貢献だと思います」《そういえばレジの人にお礼を言ったことはないなあ》などと考えている時、ふと、先日の出来事を思い出した。
 あの時も私がお礼を言う必要はなかったのだが、「若いのにえらいな」と感心して思わずお礼を言った。多分、私がうれしそうな顔をしていたのだろう。女子高生が返してくれたはじけるような笑顔は、とても印象的だった。《そうか、そういうことなのか》。心にほっこりと残るあの笑顔を思い起こしながら鑑定士の言葉をかみしめた。”(2月6日付け中日新聞)

 名古屋市の市嘱託職員・伊藤さん(男・74)の投稿文です。伊藤さんは自分がしてもらったように感じ、思わずお礼の言葉が出たのであろう。他人のことも自分のことのように思う、言うは易くともなかなか出来ることではない。そして笑顔である。「笑顔を与えることは社会貢献である」という鑑定士の言葉に驚いた。笑顔は社会貢献か、考えたこともないが、頷かされた。社会を明るくすることは社会貢献である、と理解すれば納得である。年齢、能力、立場などその人に応じた社会貢献はいろいろある。社会貢献をしようという気持ちがあるか、それをいつも意識しているかが要である。社会貢献は生きている価値でもある。高齢になればその範囲も限られてくる。笑顔はその気持ちがあればいつまでもできる。心がけておきたい。




2015/02/18(Wed) (第2071話) 心遣いに涙 寺さん MAIL 

 “函館で一人暮らしをしている義姉が倒れたので、お見舞いに行きました。寝たきりになり、めいが東京に家族を置いて看病しています。義姉とめいの心痛を思うと、切なくなります。
 帰りの飛行機の窓から、きれいな飛行機雲が三本見えました。キャビンアテンダント(CA)さんに「こんな光景は初めて見ました」と言うと、搭乗の目的を聞いてきたので、「義姉の見舞いです」と伝えました。すると「私は強い幸運の持ち主です。お姉さまは絶対に冶りますよ」と、私の両手を握ってくれました。
 飛行機が下降体勢に入ったころ、先ほどのCAさんが「私たちでお姉さまの回復を願って心を込めて折りました」と言って、赤い水引で連ねた折り鶴を手渡してくれました。
 搭乗客の安全を第一に気ぜわしく働きながら、沈んだ私の心に寄り添ってくれたことに涙が出ました。CAの皆さん、ありがとう。義姉はきっと治ります。”(2月5日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・金岩さん(71)の投稿文です。キャビンアテンダント(CA)、以前はスチュワーデスといっていた。それがいつの間にかCAが通るようになったが、ボクにはやはりスチュワーデスである。スチュワーデスは女性のあこがれの職業であった。外国語に堪能、高級な接待術を心得た容姿端麗な人であった。ボクもよく飛行機に乗っているが、あまり世話になったことがないのでよく実感していない。しかし、あまり余分なことを言うことも無く、あこがれる割には大変な業務と思っていた。でも、先日は「どこへ行かれるのですか?」と問われ、少しびっくりした。何もこちらから言わない中、相手から問われたのは初めての気がする。
 金岩さんの驚きは当然であろう。一期一会の出会いである。それも短時間の触れ合いである。それなのに折り鶴を折って渡されるとは、誰でも感激であろう。それ以上にボクが驚いたのは「私は強い幸運の持ち主です」という言葉である。簡単に言える言葉でない。どんな人であったろうか。これは自分に暗示を与えるおまじないであろうか。そして自分と縁を持った人にも幸運が与えられると伝える。これも豊かな人生を生み出す一つの手法である。ボクは若い頃「心のアドベンチャー」という研修を受けたことがある。その中で「人は考えたとおりの人間になる」、そして「人生とは積極的な考え方で生きる」ということにつきるということを学んだ。さらに「私の人生はだんだん良くなる」と思い続けてきた。ボクの人生の中でこの研修を受けた効果は大きかった。このCAもこの研修を受けられたのだろうか。




2015/02/16(Mon) (第2070話) 新しい格言 寺さん MAIL 

 “「子を持って知る親の恩」。昔から言われている言葉だ。子を持てなかった私でも、年とともに、それなりに親に感謝の気持ちは持っている。ある朝、洗面所で父の洗顔をしている時、ふと気付いた。下着の交換、歯磨き、洗顔、爪切り、耳掃除、食事の世話・・・。これらはすべて、子どものころ、親からしてもらったことだということに。
 両親は、あふれる愛情を注ぎ、手をかけてくれた。忘れてはならないのに忘れてしまっていた。介護が長くなり、《面倒をみてやっている》という偉ぶった気持ちを抱いてしまったのかもしれない。そして、私からみれば“わがまま”と思われるような言葉に腹を立て、《いいかげんにしてよ》と思ったり・・・。でも、父からは「すまんなぁ。ありがとう」という言葉をもらっていた。子どものころ、私は父母に「ありがとう」なんて言ったことは一度もなかったはずだ。
 「毎日笑顔で介護」なんて無理だと思っていたが《昔、してもらったことを、今、してあげている。お返しをしてあげている》と考えたら、介護も苦にはならないだろう。強く生き抜こうとしている百歳の父の姿も、私に力を与えてくれる。「介護して知る親の恩」。私にとっての格言である。”(1月26日付け中日新聞)

 長野県上松長の大畑さん(女・67)の投稿文です。普通の親であれば、子供にかけた手間、時間、お金等は計り知れない。いくら子供がその分を返そうと思ってもできる量ではない。もちろん親の愛情によっているから、そのまま返してもらおうと思う親もなかろう。でも困ったときにはその何分の一かは返して欲しいと思う。そうして親子関係、家族は成り立っていく。
 「恩送り」という言葉がある。人から受けた恩を、ほかの人に順に送っていくという意味である。親子はまさにそれであろう。親に返せない分、子に送る。これが普通であった。ところが今は子供がないどころか、結婚しない人も多くなった。子供が欲しくてもできない人は仕方がない。大畑さんは多分悔しい思いをしながら過ごされたことであろう。結婚しない人もいろいろな状況があろうと思うが、大半は興味がないからしない人が多い気がする。社会はそれを認めている。結婚をすべきだなどと言おうものなら大変な批判である。年頃の人に向かって結婚、出産などの言葉は禁句になろうとしている。昔だって、結婚などは回りの強い勧めや見えない強制があった。それで人間社会は続いてきた。自由は尊い。でも独りよがりの自由は危険である。




2015/02/14(Sat) (第2069話) 地下鉄の駅員 寺さん MAIL 

 “名古屋市昭和区の加藤靖子さん(七〇)の高校二年のお孫さんは野球部に入っている。部活を終えて午後九時すぎに帰宅するなり「グラブの入った袋をどこかに忘れてしまった」と言う。通学途中の地下鉄の中か、それとも道で落としてしまったのか思い出すことができない。靖子さんが新しく買ってあげるのはたやすいが、使い慣れた物なだけにあきらめきれない。
 翌日、名古屋市交通局から連絡があった。駅員さんが終点の藤が丘駅で見つけてくれ、保管してあるとのこと。転送された栄のお忘れ物取扱所まで取りに行き、無事手元に戻った。
 実は、袋の中にはグラブの他に弁当箱も入っていた。家に戻って、そのふたを開けてびっくり!箱の中がきれいに洗ってあるのだ。保安上、袋の中身を確認するのは当然のことだろう。また、食べ物が入っているとすれば、腐敗する恐れもある。衛生上の観点から、中身を廃棄せざるをえない場合もあるだろう。だが、ボンと捨てるだけでなく、あまりにも丁寧に洗ってあった。「おばあちゃんがいつも洗ってくれるより、きれいになっているよ」とお孫さんに言われ、靖子さんは思わず苦笑い。それほどピカピカなのだ。
 「おそらく藤が丘駅の駅員さんが洗ってくださったのでしょう。そのこまやかな気遣いに胸がいっぱいです。小さな出来事のようですが、年寄りの身にはジーンときました。駅員さんにお礼を申し上げたくて投稿しました。お気遣いいただきありがとうございました」と靖子さんは話す。”(1月25日付け中日新聞)

 志賀内泰弘さんの「ほろほろ通信」からです。郵便局員さんの話に続いて地下鉄職員さんの話です。忘れ物の弁当の中味を捨て、更に弁当箱まで綺麗に洗う。郵便局員さんの話は業務の話であるが、この弁当箱の話はどこまでが業務であろうか。忘れ物の中味を確認し、渡すことは業務である。腐るかも知れない弁当箱の中味を捨てるのは、体験上の知恵ではあろうか。更に綺麗に洗うのは、この職員さんの心遣いではなかろうか。加藤さんの感激はよく分かる。ボクも感激するだろう。忘れものなど出てこない国が多かろうに、日本は全く素晴らしい。
 嬉しかったこと、感激したことなどをこうした投稿で感謝の気持ちを伝える、これも大切なことだと思う。感謝の気持ちを伝えられて悪い気はしない。良かったという気持ちになり、もっと頑張ろうと思う。人間は褒めて育てる、何もこれは子供に限ったことではない。大人でも同じである。ところが最近は苦情は言うが、感謝の気持ちを伝えることは少なくっている気がする。やってもらって当たり前の気持ちが多い。仕事だから、役員だから当然だとも言う。ここ数年地元のことの係わりが多くなってよりそんな気がしている。これでは役員のやり手はますます減っていく。人の気持ちをもっと汲み取る人が多くなって欲しいものだ。




2015/02/12(Thu) (第2068話) わが家の歴史 寺さん MAIL 

 “七日付本欄の[プリント写真 良さ実感」を読んでうれしくなりました。そして投稿した若者の感性に少し驚きました。幼いころのアルバムを見つけ、家族と夢中になって見たこと、電子化で便利になるのはいいことだが昔を振り返るのも大切だーと。
 亡き父はよく撮影してくれました。戦災で全部焼失してしまいましたが、祖父母に送っていた写真を大事にしています。その父の影響か、私も写真が大好き。わが家のアルバムは百三十五冊目になりました。新聞記事や投稿記事、孫らの賞状もこのアルバムに収めます。
 これらの多くのアルバムが子孫の負担になるかなとも考えますが、孫やひ孫がアルバムを開き、じいじいやばあばあを思い出してくれたら、そして何か一つでも役立てばと思います。今日もプリントした写真に添え書きしながら、アルバム整理に精を出しています。わが家の歴史づくりに。”(1月22日付け中日新聞)

 愛知県東海市の主婦・松岡さん(78)の投稿文です。七日付本欄とは「賛論異論」という投稿欄です。アルバムが135冊とはまた凄いものである。それでもまだプリントしながら増やしていかれる。わが家には40冊ばかりあるが、デジカメになってからはわずかしか増えていかない。ほとんどプリントしないのである。
 この「話・話」でもアルバムの扱いについて取り上げたことがある。残された人にとってアルバムの処理は大変難しいことであろう。生前に処理しておいた方がいいという意見が多い。松岡さんはこの意見に真っ向対抗しておられる。さあ、どうすべきか、賛論異論である。ボクは数冊にまとめて、後はすぐ処分してもいいようにしておこうと思っているが、未だ手つかずである。




2015/02/10(Tue) (第2067話) 郵便配達員さんに感謝 寺さん MAIL 

 “最近、速いスピードで出来上がる新築の家があちこちに増え、住宅事情がどんどん変化する中、ふと思うのは郵便配達員さんの新たな配達先へのご苦労です。特に年賀はがきは量の多さとともに、配達先不明のはがきが少なくないのではと思います。
 今までわが家に届いた中にも住所の間違いや番地のないもの、名字が全く違っていたり、達筆過ぎて読みづらいものがあったりで、よくぞ無事に届けてくださったと驚くことがしばしばです。年末ぎりぎりに投函したはがきを「元日早々に受け取ったよ」と送り先の相手から聞かされた時は、きっと不眠の作業で届けてくださったんだと感謝の気持ちでいっぱいになり、とても感心しました。
 今年も元旦から連日、年賀はがきの配達が大変だったと想像しています。さまざまなご苦労を重ねながら、差出人の思いを確実に届けてくださる配達員さんに、あらためて心から「ありがとう」とお礼を言いたいです。”(1月22日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・橋本さん(87)の投稿文です。郵便配達も本当に速く正確になったものだと思う。これにはいろいろな文明の利器の利用や郵便局の努力があると思う。ありがたいことではあるが、民営化によって郵便局員さんの大きな負担はないのだろうか。年賀状の自縛営業の話もある。近くの郵便局員さんが過労で入院したという話も最近聞いた。利用者の要求拡大はいくらでも進む。勤める人のライフワークバランスが保たれての上であって欲しい。利用者も別の面では勤労者である。他に要求すると言うことは自分にも降りかかってくることである。すべてのことは勤労者の、国民の健全な生活が保たれてのことである。
 宅配便の速いことにも驚く。インターネットをよく利用するが、注文した翌日に届くのはどんな仕組みになっているのだろうか。こうした業務に関係したことがないのでさっぱり分からないが、嬉しいが疑問ばかりである。




2015/02/06(Fri) (第2066話) 日記帳2冊 寺さん MAIL 

 “毎年、「1年本当に365日あったのだろうか」と疑ってしまうほどの速さで日々が飛び去っていく。昨年の1月6日、「天声人語」の「元旦や今年も来るぞ大みそか」を読み、まさにその通りだと思った。私は早くも、今年末を楽しみにしていることがある。
 私は五十余年、3年連用日記を使ってきた。それが今は2冊になっている。1冊には天気や気温と体重、忘れてはいけない事項など記録や記憶的なことを書く。もう1冊は随想帳にしている。現実には再会できない人たちと夢の中で出会えた歓びの情景、喜怒哀楽や、種田山頭火や尾崎放哉をまねして自由律の句や詩を書き留めたり、新聞や本などで読んだ文言や、心を動かされた文章を書き写したりしておく。
 昨年の師走に、2人の娘にそれぞれ孫が誕生し、私は曽祖母になれた。孫娘は「この子が成人するまで元気でいて」と言ってくれる。100歳までもはしんどいな―と思いつつ、わけのわからない元気が一瞬わいた。今年末には、3年を埋める真っ白な日記帳2冊を買おう。その一日一日を明るい文字で埋められるように、今日一日普通に生きられるように心がけよう。”(1月17日付け朝日新聞)

 三重県松阪市の主婦・浅井さん(80)の投稿文です。「私は五十余年、3年連用日記を使ってきた。それが今は2冊になっている。」この文に何のことだと分からなくなりましたが、よく読んでみたら、同時に2冊の日記帳を使っていることだった。1冊には単なる記録を、もう1冊には随想など気ままに文章を書く。こんな人もあるのだ、まさに人間の知恵は様々です。ボクも3年日記が今年から9冊目に入ったが、3年日記を2冊使うのは1日1ページの普通の日記帳を1冊使うことよりどういう良さがあるのだろうか。分けることにより内容別になっているので後に調べやすい。あれはいつだったのか、これはよくあることです。日記には多くは本音を書きますので、残したくないことがあります。仮定ですが、ボクが死ぬときすぐに処分したい気持ちも生じるでしょうが、処分が惜しまれる気持ちも生じるでしょう。この時、後にも利用できることが別にされていたら迷うことはないでしょう・・・考えすぎでしょうが。それより、今まで長年愛用してきた日記帳を続けたい気持ちがそうさせたのでしょう。一度考えてみてもいいことです。
 『私は曽祖母になれた。孫娘は「この子が成人するまで元気でいて」と言ってくれる。』これはボクには無理だ。曽祖父になれるかも怪しい。「100歳までもはしんどいな―と思いつつ、わけのわからない元気が一瞬わいた。」、ボクもこの気分を味わいたい。




2015/02/04(Wed) (第2065話) 「情け」は巡ってくるよ 寺さん MAIL 

 “配送中に、リヤカーを畑の脇に置いて、畑仕事をしているおじいさんを見かける。その近くを通ると、雨の日以外はいつも野菜作りに励んでおられるようだ。ある時、学校帰りの中学生二人がかばんを路上に置き、おじいさんに向かって走りだすのを見かけた。何事かと思って車を止めて見ていると、農作業を終えて道具をリヤカーに積もうとするおじいさんを手伝い始めた。そして、リヤカーを畑から路上に押し上げるのを手伝った。おじいさんは「すまないね」と、うれしそうな表情で道路を歩いて行った。
 私は中学生たちに「良いことをしたね。情けは人のためならずだよ」と声をかけた。すると「人のためにならないのですか」と不思議そうな顔をするので、良いことをすれば、巡り巡って良い報いがあるということだと教えてあげた。その言葉通りに、優しい中学生たちに良いことがあることを願っている。”(1月13日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の自営業・田財さん(男・79)の投稿文です。リヤカー運搬の手伝いをする、また親切な中学生の話です。この中学生とおじいさんは知り合いなのでしょうか。文面からするとそうではない気がする。見かけたおじいさんを「助けようか」「そうしよう」と急に話がまとまり手伝った、そんな気がします。1人ではできないが友達とならできる、中学生とはそういうものだと、自分を振り返ってもそう思います。それだけにどんな友達かが重要です。「朱に交われば赤くなる」と言うこともあります。また「類は友を呼ぶ」と言うこともあります。まずは自分の判断を間違えないようにしなければなりません。
 「情けは人の為ならず」間違って覚えている人が多くなったようです。間違っていても多くの人が使うとそれが正解になってしまうのも言葉です。「悪貨は良貨を駆逐する」では困ります。混在すると話が通じなくなってしまう。「結構です」「大丈夫です」など誤解も生じる。勝手な自分判断ではなくて、しっかり学びたいものです。田財さんに教えられた中学生はもう間違えることはないでしょう。




2015/02/02(Mon) (第2064話) 年賀状文化 寺さん MAIL 

 “今年の正月は地元に帰って友人たちに会う時間が取れなかった。事前に分かっていたので、新年のあいさつとして数年ぶりの年賀状を友人たちに送った。近況報告やお世話になった感謝などを添えて、元日に届くよう早めに投函した。
 ありがたいことに、多忙ながらも全員が返信をくれた。彼らとは普段からメールなどで連絡を取り合っていたけれども、画面に表示されるメッセージとは違って、年賀状の手書きの文章には個性が表れ、とても新鮮に感じられ、じっくり何度も読み返した。
 近年、若者を中心に年賀状を送り合う習慣が薄れており、新年のあいさつをメールなどで簡単に済ましたり、省略したりすることが多いようだ。それでも、私は年賀状のおかげて正月を気分よく過ごすことができ、年賀状が友人とのつながりを深めてくれる素晴らしい文化だと、あらためて気付いた。今年もまた年賀状を書きたいと思った。”(1月13日付け中日新聞)

 名古屋市の大学生・本城さん(男・20)の投稿文です。年賀状の発行枚数を調べて見ました。2003年が最高で45.6億枚、1人当たり35枚、10年後の2013年は34.2億枚、1人当たり25枚と出ていました。ほとんど毎年確実に減っているようです。本城さんが言われるように、最近はメールで済ます人が多くなったのでしょうし、年賀状の意識もなくなってきたのでしょう。本城さんは今年は年賀状を出された。そして返信を受け取って、その良さを認識された。
 年賀状は日本の文化です。しかし、ありきたりの文を印刷しただけの年賀状にどんな意味があるのか、ただ面倒なだけではないか、そんな疑問を持つ人もあるでしょう。その代わりになるメールも一般的になった。そして年賀状は減った。こんな流れでしょうか。
 わが家も昔は300枚を超えていましたが、今年は170枚でした。全く形式的な文面の人や義理だけの人は減らそうと思ったときもありました。しかしその後また思い返しました。元気な便りと思えばいい。黙っていても減っていく。自分から欠礼することは止めようと思い直しました。川柳を始めてからは毎年2人の川柳を載せることにしています。もう30年以上たちます。これを楽しみにしていてくれる人もあります。そしてできるだけ一筆を加えるようにしています。工夫すれば価値は上がります。これは何事も同じです。年賀状文化は続いて欲しいと思います。



川柳&ウォーク