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第128号  2015年1月

2015/01/31(Sat) (第2063話) 寒い日に 寺さん MAIL 

 “昨年暮れの寒い日、腰の治療を受けるため、整形外科医院へ出かけました。その途中、足がすくんでしまいました。歩道に積もった雪が凍り付き、とても滑りやすくなっていたからです。しかも、そこは少し上り坂。腰を痛めているため普段でも歩くのが大変なのに、この様子を見て《どうしよう》と考え込んでしまいましたら
 その時、一人の男子中学生が反対側からやって来ました。そして擦れ違う時、こんな言葉をかけてくれました。「手を引きましょうか」思いがけない言葉に一瞬、驚いてしまいました。「先を急いでいるのでは?」と尋ねると「大丈夫です。余裕を持って家を出てきましたから」という返事。そして、来た道を戻る格好になるにもかかわらず、何と医院の前まで私の手を引いて送ってくれたのです。
 《こんなに優しい子もいるんだ!》。その手が私にはとても温かく感じられ、気持ちまで温まりました。きっと、ぬくもりがあふれるご家庭で育てられているのでしょうね。名前を聞き、お礼を言って別れました。
 帰宅後、長男と次男の家に電話し、この出来事を報告しながら、いい涙を流しました。藤川君、本当にありがとうございました。”(1月12日付け中日新聞)

 名古屋市の榊原さん(女・78)の投稿文です。「手を引きましょうか」、見ず知らずの人にこんな言葉をかける中学生がいるのか、唸らざるを得ない。それも自分が行く方向と同じならまだしも、反対の道に行くのである。男子中学生は最も無愛想な年代である。それがこんな言葉が出てくるとは、どんな教育や躾をしたのだろうか。学校よりも家庭の影響がが大きいと思うが、どんな家庭なのだろうか。榊原さんと同じようなおばあさんがあって、いつもこのような対応をしているのだろうか。それなら分からないでもないが、それでも藤川君は素晴らしい。
 ボクに今中学2年生の男の孫がいる。小さい頃はよくウォークに連れて行きよく慕ってくれたが、今では全く無愛想である。ボクの家庭も数年前までは、母親の介護で明け暮れていた。それをこの孫も見てきたはずだ。その姿がこの孫に今どう残っているのだろうか。それを思い出し、行動に移してくれることがあるだろうか。神のみが知ることであろう。




2015/01/29(Thu) (第2062話) ヒッチハイク 寺さん MAIL 

 “2015年元日。僕は保育園時代からの友人と2人でヒッチハイクの旅を始めました。道路に立ち、通りかかる車に同乗をお願いして、地元の京都から福岡・博多を目指しました。2日をかけて目的地である博多に無事たどり着くことができました。乗せて頂いた車は合計13台。多くの方々にお世話になりました。今回の旅で、人は本当に優しくて温かいのだと強く実感することができました。
 おなかのすいた僕たちに手作りのサンドイッチを差し出してくれた老夫婦。狭い車内に無理をして入れてくれた5人家族。わざわざ高速道路を降りて送ってくれたおじいさん。突然の訪問にもかかわらず笑顔で迎えてくれた福岡の友人。様々な出会いがありました。
 人と人とのつながりが希薄だとか、冷たい社会になったとか言う人もいますが、僕はそうは思いません。たくさんの愛であふれていることを肌で感じることができた旅でした。僕たちは本当に幸せ者です。感謝の気持ちを伝えたいと思い、投稿しました。この記事がお世話になったすべての人に届くことを願っています。本当にありがとうございました。”(1月11日付け朝日新聞)

 京都市の大学生・下田さん(男・19)の投稿文です。良い体験をされた。特に若い時の良い体験は後に生きてくる。もうこの投稿文を書かれたように、すでに生きている。
 ボクも学生時代に、4回延べ約50日の自転車での旅行をした。この間、宿泊費を払ったのはただの1回である。朝夕食はほとんど食べさせて頂いた。無銭飲食宿泊である。親切を受けて走る旅であった。この体験はその後のボクのある種の原点になっている。この旅は後々まで生きてきたと思う。多分、下田さんも生きていくだろう。
 ただ気になるのは時代が違うことである。ボクはもう50年も前のことで、やっと敗戦から抜け出し、曙が見えだしたがまだまだ貧しい時代であった。ボクの家庭も貧しく、お金をかけずに青春を謳歌することに自転車旅行を思いついたのである。そして世の中も素朴であった。車も多くはなかった。今は違う。こうしたヒッチハイクが受け入れられるか、また大きな危険が伴うのではないか、少し危惧する。




2015/01/27(Tue) (第2061話) 人に会ったら 寺さん MAIL 

 “中日新聞サンデー版「おじさん図鑑」に掲載された「人に会ったら」と題するエッセーが心に留まった。筆者が紹介したのは若い時に先輩から授かった二つの教え。一つは「人に会ったら、この人に何かお礼を言うことはなかっただろうか、と思いなさい」ということ。「謙虚に身を処すことができるということなのだろう」と筆者。もう一つは「人に会ったら〈懐かしそうな顔〉をしなさい」ということ。「『また会えましたねという顔は相手にとっても喜ばしいものだ』とも教わった」と振り返る。
 私は最近、病院で二度、心がほっこりする思いをした。帰り際、女性から声をかけられた。小学校の同級生で、六十年以上も会っていないのに覚えていてくれた。うれしくて「声をかけてくれてありがとう」とお礼を言った。待合室で声をかけてくださったのは、母が以前お世話になっていたデイサービス施設の介護士さん。母のことを覚えていてくださったので、とてもうれしくなった。
 《二人に声をかけられなければ、この心のぬくもりはなかった)と思うと、感謝の気持ちが湧く。私も人に会ったら、エッセーの中で紹介された言葉を思い出し、その人が温かい心になれるような心遣いをしようと思っている。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県みよし市の主婦・酒井さん(74)の投稿文です。人生をスムーズに過ごす知恵をまた授かった。真っ先にお礼を言うという一つ目はボクも気遣っていることであるが、でもよく後で後悔することが多い。思いがけなく出会ったとき、すぐに思い出せないのである。後で気がついて、しまったと思うのである。また言うタイミング逃してしまうこともある。こうならない知恵はないだろうか。
 懐かしそうな顔をしなさい、については聞くと納得である。会えて嬉しいという顔をされれば、多くは会った相手も嬉しいであろう。納得ではあるが、本当に懐かしい人の時は問題でないが、そうでないときは難しい。態度がぎこちなくなる。こちらがあまり嬉しく思わないときは相手も同じようなことも多い。心がけて見る価値はあると思うが、あまり無理することではない気もする。しょせん相手との人間関係である。良い人間関係を作る事がまず必要だ。




2015/01/25(Sun) (第2060話) 良い年 寺さん MAIL 

 “元日、夫と二人で母に新年のあいさつに行った。「今年も良い年にしたいね」と言うと、思いがけない答えが返ってきた。「去年は私にはもったいないくらい良い年だった。今年も健康に気を付けて、去年のように過ごしたい」
 母は今七十八歳。月に数回、地域のボランティア活動に参加したり、気が合う友人とお茶を飲んだりするほかは、のんびりと家事をしている。私には変化が乏しい毎日を送っているように見える。それなのに、なぜそんなにもったいないくらい良い年だった、と思っているのだろう。
 不思議に思い、その訳を尋ねてみた。すると、こんな答えが次々と返ってきた。「こんな私でも役に立てることがあるのはありがたい」「おいしいと思って食事ができるのはありがたい」《そうだったのか》。母の言葉を聞いていて、あることにふと気が付いた。《母は小さな幸せに感謝する気持ちをいつも持っているからだ》と。
 帰宅後、夫がこう言った。「お手本になる生き方だね」そうだ、私も今年は母を手本にして毎日を過ごしてみよう。今年の大みそかに「私にはもったいないくらい良い年だった」と言えることを目標にして。“(1月6日付け中日新聞”

 名古屋市の小学校講師・池村さん(女・53)の投稿文です。ここにも感謝の気持ちが大切なことを知る話があった。「去年は私にはもったいないくらい良い年だった」と言うには感謝の気持ちがなくては出て来ない。感謝の気持ちは平穏な日々の原点である。ボクもこの「話・話」を書くようになったからか、歳を取ったからか、昔と違って感謝の気持ちを強く持つことが多くなった。「話・話」の影響はかなり大きい。これだけ良い話を集め、読み、意見を書く。感化を受けない訳がない。これで感化を受けなかったら愚かか傲慢の何物でもない。歳を取ったことも大きいと思う。一社会人とし、一家庭人として、欲を言えば切りがないが、概ねなすことはなしてきた。父の死亡年齢も超えた。その余裕であろうか、何事もありがたく思えるようになった。池村さんのお母さんは78歳、ボクにはもう一時代ある。まだまだ感謝の気持ちを持つことが多くあろう。そして池村さん夫婦、こんな母親から良い教えを受け止められた。夫婦円熟に勢いを増すだろう。良い手本があってもそれを受け止めなくては何もならない。受け止めるには素直な気持ちも必要である。素直な気持ちと感謝の心、できるだけ早くから持てるに越したことはない。




2015/01/23(Fri) (第2059話) 乾杯!! 寺さん MAIL 

 “今年も、あちこちから喪中はがきが届きました。私ども夫婦と同じ年代の方もぼつぼつと逝かれ、寂しい思いをしました。幸い、私たち二人は、お互いの体の不調を訴え合いながらも、まずまずの日を送っています。
 そんな生活の中、いつからか乾杯をする習慣ができ、二人でグラスやカップを高く掲げてカチッと合わせます。乾杯の理由は、さまざま。朝はまず「今日もよろしく」から始まります。
 そして、中学、高校、大学生の孫たちが、それぞれラグビーやアメフット、吹奏楽と、クラブ活動に燃えていること、入院していた親戚の人が退院したこと、久しく会っていなかった同級生が訪ねてきてくれたことなど、何かと理由をつけては乾杯。
 三回の食事の前はもとより、おやつの時間にも必ず実行しています。そして夜には、今日一日を平穏無事に過ごせたことに感謝して乾杯をします。このささやかな習慣も、果たしていつまで続けることができるでしょうか。
 書店で、来年からの三年日記を購入しました。これから先、せめて三年間だけでも心安らかな日々を過ごせることを祈願しながら、今夜もまた乾杯です。”(12月31日付け中日新聞)

 三重県明和町の木戸口さん(女・77)の投稿文です。ここには素晴らしい夫婦があったものだ。以前の乾杯はビール等アルコール飲料の時であったが、今はそうではない。ウーロン茶の場合もある。木戸口さんは3度の食事やお茶の時もと言われるので、アルコール飲料ではない。これは感謝の心とよほどうまくいっていない夫婦でなければできないことだろう。この話を先日妻にそっとした。では自分達もしようという言葉はなく、全く乗ってこなかった。
 わが夫婦の場合で少し気になっていることがある。2人が同時に「いただきます」といって食べればいいが、ボクが少し早く食べ始めるときがある。ボクが待っていればいいだけのことだが「どうぞ」といわれると食べ始めてしまう。ここで乾杯をして食べ始めればこんなこともなくなる。まだまだ直す部分はある。




2015/01/21(Wed) (第2058話) 雑煮に託して 寺さん MAIL 

 “我が家には、大学受験を控えた娘がいる。そこで今年のお正月は、願掛けをしながらお雑煮をつくった。元旦は、すまし仕立てのお雑煮で「どんな時も冷静さを保てますように」。2日は西京味噌仕立てで「最強脳みそ(西京のお味噌)になりますように」と。そして3日はとろろ仕立て。「粘り強く受験勉強に取り組めますように」と唱えながら山芋をすり下ろした。受験勉強でクリスマスもお正月も休めない娘の気持ちを、少しでもほぐすことができたらと思った。
 思えば、娘が生まれてこのかた、どれだけたくさんの願い事を食膳に託してきたことだろう。お食い初めに始まり、節分やひな祭り、七夕など季節の行事では必ず、健やかな成長を祈る親心を隠し昧にしてきた。ほかにも、良いことがあるとオムライスにケチャップで花まる。「その調子!」と盛り上げる。落ち込んでいるときは、ごはんにのりでニッコリ笑顔を描く。「大丈夫だよ」と気持ちを込めて。
 娘よ、あなたのそのまっすぐな瞳を輝かせながら、未知の大空へ羽ばたく姿を楽しみにしているよ。さあ、本番に向けていざ出陣。頑張れ!”(1月9日付け中日新聞)

 神奈川県大和市の主婦・大井さん(49)の投稿文です。子供の状況に合わせ、願いを込めていろいろな雑煮を作るとは全く素晴らしいお母さんだ。ここまで考える親もあるのだ。そして雑煮もいろいろな作り方があるものだ。わが家の雑煮は全く単純、正月菜とだしと餅を入れているだけです。いろいろな地方の話を聞くとその手間の多さに驚くが、我が地方ではこれが一般的な作り方でしょう。わが家では元旦から先日まで、毎朝雑煮でしたが、一般にはどうなっているのでしょう。もう食べない家もあるのではないだろうか。おせち料理も買ってくる家は増えたかも知れないが、家庭で作る家はかなり減ったのではなかろうか。わが家も昔に比べ種類も量もかなり減りました。
 大井さんはその他の時もいろいろな願いを込めて料理を作られている。主婦とは自由業、その人の考え方、仕方次第です。いくらでもできることはあるし、やらないでもすむ。そしてその姿は子供に伝えられていく。大井さんの娘さんは思いやりがあり、知恵を生かす人になるのではなかろうか。




2015/01/19(Mon) (第2057話) のんびり海外旅行 寺さん MAIL 

 “海外旅行の面白さを覚えてから十五年が経過した。年に一、二回、東南アジアやハワイに行くことが多い。ただ、いつも旅行会社のツアーに参加しているので、現地では時間に縛られてあたふたとしてしまう。高齢者にとっては、これが非常につらい。たまにはのんびりとした海外旅行をしてみたいと思っていたが、今年の夏、ついに実現した。航空機とホテルだけを旅行会社に世話してもらい、目的地へ着いたら、あとはフリーで過ごすという旅である。初めて行く国は何かと心配なので、過去に三回出掛けたことがあるハワイを選んだ。
 ホテルで朝食を取って、さて今日はどこへ行こうかとガイドブックをおもむろに開いて、のんびりと考える。行き先も見ないでトロリーバスに飛び乗ってみたり、ワイキキビーチをゆったりと散歩したりして、日常の憂さもどこかへ置き忘れてしまうような至福の日々であった。”(12月29日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の松波さん(男・75)の投稿文です。外国旅行から帰るといつも、日本は良いなと思うが、外国旅行はやはり面白いなと思う。そしてまた行きたくなる。1年に何回と行けるようになってまだ数年であるだけに、まだまだ行きたいボクである。
 松波さんはもう15年と言われ、旅行社のツアーを利用されてきた。ツアーは結構きついことが多い。そこで、旅行社で飛行機とホテルだけ決めて出発、そのゆったりさを満喫された。75歳と言われるから分かる気がする。ツアーで75歳以上の方を見かけることは少ない。他人に迷惑はかけられない。一緒に行動することはやはりキツイからであろう。 いつかボクもそうなるだろうが、今のところは全く逆である。ゆったりしたものは物足りない、折角来たのにもったいないという気になる。今年も年間計画を立てた。今年は2月くらいから行くつもりであったが、5月までは無理となった。いつ行けなくなるかも知れない、予定は狂うものである。行けるときに行く。




2015/01/17(Sat) (第2056話) サロンに集う 寺さん MAIL 

“近くの喫茶店に東三河地域の人を集め、月一回のサロンを開くようになって三年半になります。会員は二十人ほどで、おのおのが持つ体験や知識を披露し合い、談笑するのが活動の中心。はや骨董の部類に入る幻灯機(映写機)を用いてスライド上映も楽しんでいます。
 今年七月、三河全域に会員およそ百三十人を持つ同人誌グループの人だちと知り合い、数人にサロンの会員になってもらいました。メンバーの1人は、旧日本海軍の戦艦大和の乗組員だった九十五歳の男性です。体験談を語っていただく会には二十人が集まり、悲惨な戦争のの証言に聞き入りました。
 何らかの活動を続けていると、どこかで同好の士に巡り会えるという予感は以前からありました。その点で今年は大きく前進した年になりました。来年は新たな仲間とともに一層充実したサロン活動ができると楽しみにしています。”(12月29日付け中日新聞)

 愛知県新城市の山本さん(男・74)の投稿文です。先日紹介した喫茶店同窓会と似たような話である。喫茶店で話すのに何も同級生である必要はない。他人同士もよく会うようになれば自然親しくなる。喫茶店などはまさにそんな場所だ。ボクの近くの年寄りは、ほとんどと言っていいくらい、毎日、と言うより毎朝、決めた喫茶店へ行く。自然顔なじみなる。挨拶も話もするようになるだろう。そして、山本さんのように少し積極的な人がいれば、このような同好会になるのはそんなに難しいことではない。ボクはまだ勤めているし、休みの日も結構用事があるのでそのような生活にはいっていない。ボクが知らないだけで、すでに身近にそんな会はいくらもあるかも知れない。会の体裁をなしてはいないが、実質はそんなことを行っているものも多いかも知れない。
 他県に行くと愛知県の喫茶店の多さを改めて知る。考えて見れば老人には本当にいい喫茶店文化だ。いずれボクも仲間入りするだろう。その時また新たな楽しみになろう。山本さんの話も覚えておかねばならない。




2015/01/15(Thu) (第2055話) ライト自動点灯に 寺さん MAIL 

 “私は自転車で通動している。この時期は日の出が遅く、日没が早いため、ライトをつけて走ることが多い。私の自転車のライトは、辺りが暗くなると自動で点灯するので、わざわざ操作しなくてもいい。また、輝度の高い発光ダイオード(LED)のライトなので、低速時の点滅状態でも、夕暮れ時には十分に目立ち、自転車の交通事故防止に役立っていると思う。
 自転車の無灯火がよく問題にされるが、私は夕暮れ時に車幅灯もつけていない車も問題だと思う。自転車に乗っていて、遠くのヘッドライトをつけた車に気を取られ、その前にいた車幅灯もつけていない車にヒヤッとさせられたことが何度もあるからだ。
 夕暮れ時のライト点灯は、自分が前方を見やすくするためではなく、自分を目立たせるためである。交通事故防止のために、自動車のライトもすべて自動点灯式にすることを検討する時期にきていると思う。”(12月22日付け中日新聞)

 愛知県東海市の地方公務員・久野さん(男・56)の投稿文です。前半の自動点灯は車のことかと思ったら自転車のことであった。自転車でも自動点灯があるのだ。自転車の無灯火は本当に危ない。子供たちは自分で車を運転しないから、いくら言われてもその恐さが分からないかも知れない。点灯は人や車が来る場所では、久野さんが言われるように自分を目立たせるためである。
 ボクは昨年自転車のライトを変えた。それまでは昔ながらの発電機をタイヤで回すものであった。自転車が重くなるのでつい無灯火になってしまう。これが無灯火の大きな原因ではなかろうか。それを、ホームセンターで見つけたLEDの乾電池式のものにした。これで負担はボタンを押すだけになった。でもそれよりは、できるだけ夜自転車に乗るのを避けることである、特に年寄りは。
 自動車は、自動点灯できるので当然自動点灯にしている。この装置の整っている自動車なら当然そうするだろうと思うが、しない人があればどんな理由だろうか、知りたいものだ。
 考えて見れば今の時代、自転車でも自動点灯はあるだろう。またホームセンターを歩き回ってみるか。ホームセンターは思いがけないものを見つけられて面白い。昨年末、切り干し大根を作る器具を見つけた。早速購入し、今切り干し大根作りに励んでいる。たくさん作って物々交換だ。




2015/01/13(Tue) (第2054話) 協力の輪 寺さん MAIL 

 “大雪の朝、乗り合わせたバスが乗客を乗せて発車する際、タイヤがスリップを繰り返し、動けなくなってしまいました。近くの住民や会社にいた人、店の前で雪かきをしていた人たちが集まってきて、スコップで凍結した箇所を砕いたり、段ボールをタイヤの下に敷いたり。乗客もバスから降りて、声を合わせて後ろや前から何度か力いっぱい押しますが、バスは抜け出せません。
 しかし、それらの総合力が功を奏したかのように、やがてバスがスリップしていたくぼみから無事脱出しました。動けなくなってから三十分後、空のバスに乗客たちが再度乗り込んで、ようやく出発しました。
 大雪に覆われた都会の道路での思わぬ出来事。遅刻して失ったものより、はるかに大きなものを得ることができ、ラッキーでした。ここぞという時の人々の協力し合う姿を見れば、まだまだ世の中、捨てたものじゃないですね!”(12月25日付け中日新聞)

 名古屋市の早川さん(男・70)の投稿文です。バスのスリップを近くにいた人が皆助け合って解決する、いい風景だ。困った人がいたら見過ごしにしない、人はこうでありたい。
 ところがこうでない場合も多い。多くの人と一緒にやればできるが、1人だとできない。気持ちがあっても、そのまま通り過ぎてしまう。皆が見ている中、真っ先に1人で親切にすることにためらいや気恥ずかしさがある。良いことをするのになぜ恥ずかしがるのだろう。以前のボクはそうだった。よく出合う場面として電車の中で席を替わることがある。気持ちはあるが、声がかけられない。良いことをして堂々としていればいいのに、何か気恥ずかしさが先に立ってしまう。そして機会を失ってしまう。これは「良いことをしてひけらかさない」という道徳観がさせている気がする。返って災いになっている。こんな人が意外に多いのではないかと思うが、どんなものでしょう。席について最近ボクは比較的躊躇なくできるようになったが、この頃は譲ってもらう場面もあり困惑している。




2015/01/11(Sun) (第2053話) 喫茶店で気軽に 寺さん MAIL 

 “高校を卒業してから、はや五十二年がたちました。古希を迎え、クラス会の案内が届きました。「正月三日十時から喫茶店で。費用は二千円」と書かれています。今までは料理店やホテルを借り切って、会食をしながらの談笑会でした。しかし、費用が結構高く、「品数が多すぎて食べられない」「席を巡っての会話が難しい」「飲酒運転も心配」などの声も増えてきたため、今年は喫茶店で催すとのことです。
 確かに、あれこれ料理を出されても全部は食べられません。いつも「残った料理がもったいない」と心が痛んでいました。だから、今回の決断に「何と機転の利いたことを」と思わず拍手しました。多くの友の声を聞いてくれた幹事さんに感謝です。
 会費は会食形式だったころの三分の一以下です。気軽に参加でき、多くの友に会える、と心が弾みます。友の顔を思い出しては、今から楽しみにしています。”(12月25日付け中日新聞)

 愛知県知立市のパート・荒井さん(女・70)の投稿文です。喫茶店で同窓会とは、検討する材料を頂いた。大きな集まりとなると料理とアルコールを伴う。すぐにそんな考えになる。同窓会などは女性も多く、全くアルコールと無縁な人も多い。また荒井さんが言われるように、歳と共に食べる量も飲む量も減る。ボクは小学校と中学校の同級生の同窓会会長を引き受けて長いことになる。長いことになるというより当初からそうなっており、ボクが元気な内は続くだろう。数年間隔で開いていたものを、小学校は平成18年より隔年に、中学校は平成15年より毎年開いている。毎回、開催日も場所も決まったように惰性で開いてきた。実は毎回利用していた中学校同窓会の料理屋さんが昨年閉店になった。新たなところを検討しなければならなくなっていた。そんなところにこの投稿文である。提案してみる価値はある。まずはそんな場所を見つけておかねばならない。我が地方は喫茶店王国である。どこかに適当な店は見つかるだろう。
 1昨年7月から月1回、中学校の同級生が集まる機会を作っている。決まった日時、決まった喫茶店へ行けば同級生の誰かに会える、そんな企画をしている。数人から十数人、楽しく話しいろいろな情報交換をしている。




2015/01/09(Fri) (第2052話) 奥深い郷土 寺さん MAIL 

 “「せめて一生に一度でも」と伊勢音頭に歌われたように、当地は古来にぎわう土地である。五十歳を前に、郷土についてあらためて学ぼうと先日、「検定お伊勢さん」に挑戦した。対策として公式テキストや市史等を読むだけでなく、町並みを自転車で走ったり、街道沿いの資料館、偉人の記念館、県立博物館などを訪ねだりして、多くのことを学べた。
 伝統行事や町づくりの動きについて、関心が高まった。最近は式年遷宮関連が多かったが、八年間も歳月をかける重みを感じた。町の風景を見る目も変わった。伊勢ゆかりの俳人や芭蕉などの句碑が多いことにも気づいた。歴史的な建造物、史跡などの案内板を見つけるとじっくりと読み、歴史に浸るうとするようになった。
 先日は、知り合いに町を案内するのに早速役立った。さらに見聞を広めて、老後は郷土を案内できるほどになっていたらと思う。”(12月24日付け中日新聞)

 三重県伊勢市の公務員・田中さん(男・48)の投稿文です。「検定○○」はもう数え切れないほどあろう。よく広まったものである。田中さんのように地域を知るよい機会である。地域を知ることは大切である。地域を知ってより愛着を持つ。愛着を持てることは嬉しいことである。そうすると自然それを人に教えたくなる。それが各地のガイドボランティアに発展している。そして、僕らはその方たちを利用させて頂く。一宮友歩会では今年の例会計画の中で、こうしたガイドさんを大垣市と清須市の例会でお願いすることになっている。それが自分達のためになり彼らのためにもなる。機会があれば積極的にお願いしている。こうした検定がもっともっと広まる事を願っている。




2015/01/07(Wed) (第2051話) ナイスなお兄さん 寺さん MAIL 

 “クリスマスが、そこまでやって来ています。昨年の娘宅での話を思い出しました。三人の孫のうち一番上の娘は、前から欲しかったベッドをサンタクロースさんにお願いして、クリスマスを楽しみに待っていました。
 ある日、家具店の車が家の前に止まり、お兄さんたちが梱包されたベッドを孫娘の部屋に運び、組み立て作業を始めました。「えっ、何で!?」と孫娘たちはキョトン? ついに、普段は人見知りが激しい末の孫が思い切って尋ねたのです。「お兄さんたち、サンタさんに頼まれたの?」「うん そうだよ。頼まれたんだよ」にこっと笑ったお兄さんたちのナイスな答え。子どもたちの顔がぱっと輝き、「サンタさんは、やっぱりいるんだ!お願い、聞いてくれたんだ!」と大興奮。
 事前に娘が配達の人にお願いしておいたとはいえ、お兄さんたちのとってもナイスな対応に感激。そして感謝。
 さてさて、サンタクロース関係者の皆さまは、今、年に一度の繁忙期。どうぞ皆さまの前には、目をきらきらさせたかわいい子どもたちが待っていることを、お忘れなく。すてきな夢が一年でも長く続きますよう、よろしくお願いいたします。”(12月23日付け中日新聞)

 岐阜市の主婦・荒深さん(64)の投稿文です。サンタクロスはいると子供に信じさせ、周りもそれを楽しむ。ついいないことがばれそうになる。間一髪免れヤレヤレとなる。子供と大人のゲームの感である。これもそんな話の一つであろう。お兄さんの機転に感謝である。
 今中二の孫はボクと一緒にいたある人のちょっとした言葉でばれてしまった。娘に恨まれた。今小三の孫は信じているようだ。分かるのはしょせん早かれ遅かれのことである。先日の投書欄で、ある小学校のクラスでサンタがいるかいないかの議論になった時、ある生徒が「サンタはいます。見える人と見えない人があるだけです」と言ったことに感心している話があった。神様や仏様はいるか、同じであろう。いる人にはいるし、いない人にはいない、ボクも感心する。世の中いろいろなことがあって面白い。こんな事を楽しめる世の中であって欲しい。




2015/01/05(Mon) (第2050話) 歩み進める限り 寺さん MAIL 

 “夕方、「忙しい時間で悪いけれど聞いて!」と、息を弾ませた友人の声が電話から聞こえてきました。たまたま昼に食堂に入っていた友人の席に、おずおずと少し離れた席から女性が同席をこうてきたそうです。そこでその彼女が涙ながらに語ったのは、相談相手が誰もいない今、重大な病をお医者さんに告げられたこと。思いあまっての行動のようでした。最後には重荷を一時なりともおろしたうれし涙で、固い握手をして別れたとのことでした。
 私はこの話にとても感動し、これは自分が今歩いている老いの険しい坂道で、たまたま見つけた花園ではないかと思いました。その女性にとって、私の友人は仏様のように見えたのでしょう。さもありなんと思いました。そして、そういう友人を持っている誇りと幸せを感じた一刻でした。
 若い時分には考えられなかった、このような行きずりの出会い。IT社会からははじき出されている私たちではあっても、そして小さな歩幅ではあっても、歩みを進めている限り、昨日とは違う、新しい景色を見る幸せを持つことができるのだなあと感慨を覚えました。”(12月22に付け朝日新聞)

 神奈川県鎌倉市の主婦・岩本さん(84)の投稿文です。見ず知らずの人に自分の困惑を話す、こんな話があるのだ。この話自体は美しい話であるが、考えさせられてしまう。全くの高齢化社会に向かっている。高齢化社会は長寿が念願の人間にとってその願いが叶うのである、喜ばしいはずである。問題の多くは高齢者だけで住んでいることにある。夫婦2人であるうちはまだ良いが、1人になったときである。それがこの話のようになる。先日も新聞を読んでいて、民生委員さんが訪問した老人から「今日話したのは貴方だけです」と言って感謝された話があった。また、先日私の町内で来年度の役員選出の打ち合わせをする機会があった。70戸ばかりの団地から1人選出したいと言う希望を話したら、高齢者ばかりで無理だという話になった。全く驚いた。数年後その団地はどうなるのだろう。子供がいない訳ではない。皆別居していて同居の可能性がないのである。そして介護者がいないことが問題になる。こうなると地域住民で支え合うより仕方がない。ところがこの地域住民が全く別々の方を向いているのである。




2015/01/03(Sat) (第2049話) 40年分のありがとう 寺さん MAIL 

 “今年は結婚40周年。妻と旅行に出かけた。母を自宅で介護している関係で、日程は1泊2日、行き先は車で1時間弱の隣県の温泉地にした。子育てや介護に忙しかったので、夫婦で県外を旅ずるのは三十数年ぶりだった。
 時間は限られていたが宿は少しぜいたくな旅館にした。到着すると妻は「こんな良い旅館は新婚旅行以来ね」と喜んでくれた。温泉にゆっくり浸り、おいしい夕食を食べると、新婚時代が懐かしく思い出された。
 振り返ると、プロポーズの言葉も言わずに結婚。新婚旅行中にけんかしたをことはじめとして、妻には随分つらい思いをさせた。それにもかかわらず、山あり谷ありの私の人生を、妻はよく支えてくれた。この節目の時に、40年間の感謝の気持ちを妻に言おうと思っていたが、なかなか言い出せなかった。
 帰り道、車を運転しながら「40年間ありがとう。これからもよろしく」とようやく口にできた。妻は「迷惑でなかったら、いいですよ」。内心ほっとした気持ちになった。10年後、2人で金婚式を迎えたい。その鐘を鳴らすために互いの健康と、助け合いの心を大事にしたい。”(12月14日付け朝日新聞)

 長崎県の松下さん(男・66)の投稿文です。夫婦で感謝の気持ちを伝え合うことはなかなか難しいようだ。できない多くの理由はテレである。日本人夫婦は愛情や感謝を持っていてもそれを伝える習慣がない、苦手である。誕生日などをキチンとしていればその機会はある。しかし、子供の誕生会をやっても夫婦のものはしない。本当は最も大切なことであるのにである。こうしたことをしていれば熟年離婚などないだろう。最後、最も頼れるのは夫婦である。このことをしっかりわきまえていたい。
 数年前までのボクも同じだった。でも今は違う。素直になった。朝の挨拶はハグである。しっかり腰や背中を揉ませられる。




2015/01/01(Thu) (第2048話) 英訳6千編 寺さん MAIL 

 “語学力の維持と老化防止のため、「ひととき」の英訳を始めて17年。1千編を達成した2000年に35冊だったノートも今では214冊に増え、11月16日、ついに6千編目を訳した。
 休刊日と、病院に入院した日々以外は毎日、翻訳を続けた。6時前に起床し、朝食の用意と洗濯を同時に始め、朝刊を広げる。電気やガスのおかげでこんなに効率的な作業ができることに感謝しつつ、ざっと読み終えたら、さて、「ひととき」の英訳だ。投稿者と対話するつもりで、あれこれ表現に迷いながら、ノートに英文を書き込んでいく。ひとたび取り組めば、せっかく頭に浮かんだ表現が消えてしまう気がして、鍋が噴いても動けない。邪魔されたくない、これが至福の時なのだ。
 語学力向上には期待したほどの効果はなかったが、その力が低下する速度は、多少は遅らせることができたかもしれない。「ひととき」英訳と並行し自分が住む市や近隣市町、昔お世話になった地域の民話や伝説の英訳もボランティアで始め、語学と同時に祖先たちの歴史も学ばせていただいた。人生を豊かに広げてくれた毎朝の習慣。次に目指すは、7千編だ。”(12月6日付け朝日新聞)

 岐阜県各務原市の主婦・久代さん(83)の投稿文です。「ひととき」とは、この文の投稿欄である。よく引用させてもらっている。
 またまた凄い人があるものである。上記ほどの長さの文を毎日英訳する、それが17年、6000編である。60代半ばから始められたことになる。それも英訳である。久代さんは謙遜されているが、多分日本語と同じように英語を駆使されるだろう。日本語で書き写すだけでも大変だ。それを英訳して書き写す、どのくらいの時間を要されているのだろう。英語の全くできないボクにしてみればまさに驚異、尊敬の一言である。
 この投稿から12月24日には朝日新聞に記事として紹介されていた。感嘆した読者のファンレターが相次いでいるという。
 実はボクは昨年4月から「天声人語」の書き写しを始めた。できる時、したい時に行う。その結果は惨憺たるもの、わずか十数編である。時間や目標を定めなかったのがいけなかったと思う。こんな事でこの有様である。あきらめた訳ではない。来年は目標を立てて行おう。
 清水さんを目標にできることがあるとすれば、この「話・話」である。先は長いが頑張って続けたいと思う。



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