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第127号  2014年12月

2014/12/30(Tue) (第2047話) この仕事が好き 寺さん MAIL 

 “寝床に就く時、「今日はいい日だったなあ」としみじみ思えるようになった。1月から1日3時間、週3日のマンション清掃員を始めて11カ月。掃く、拭くの仕事はもちろんだが、それ以上に居住者との会話や交流を楽しんでいるからだ。
 朝、玄関先で交わす「おはようございます」「いってらっしゃい」から、「こんにちは」「お帰りなさい」まで。何人もの方々に声を掛ける。年配の女性からは「他に言ってもらえる人がいないからうれしい」との言葉を頂いた。2歳の男女の双子ちゃんは、いつもニコッと笑ってくれる。
 食材やお弁当の配達、介護施設からの送迎、ヘルパー、ゴミ収集など、様々な職業のお兄さん、お姉さんとも声を掛け合う。私たちは、こうした多くの人たちに支えてもらいながら生きている、と気付く。
 たくさんの笑顔や元気をもらって、少しでも気持ちの良い住まいや明るい暮らしを感じてもらえるよう、私も一生懸命、努めたい。この仕事が好き。巡り合えたことに、心から感謝。先日、禅寺の住職さんから、「お掃除することは自分の心を磨くことです」と教わった。胸に刻み、明日も仕事にでかけよう。”(12月10日付け朝日新聞)

 名古屋市のパート・中岡さん(女・56)の投稿文です。中岡さんにも感心する。「職業に貴賎は無し」とは言うが、清掃員である。誰もがあまりしたいことではなかろう。それを好きと言われる。これも気持ちの持ち方、考え方という気がする。やった成果は如実に見える。成果の見えにくい仕事より、世に役立っていること、確かである。そして仕事をしている中で、声を掛け合う楽しみを見いだされた。これも行き交う人には嬉しいことである。これも仕事に誇りを持ってみえるから行えることである。
 人はその気になれば行えることはいろいろある。時間をもてあますことなく、暇を愚痴ることなく、冷静に見渡せば何か見つかる。健康なら選択の幅は広く、病を得てもできることは何かある。生きている限り、生を享受したいものである。




2014/12/28(Sun) (第2046話) イルミネーション 寺さん MAIL 

 “夜になると、わが家の庭でイルミネーションが輝き、寒さを吹き飛ばしてくれます。飾る契機となったのは、十四年前の秋に大きな被害をもたらした東海豪雨。わが家が営んでいたパンエ場も浸水し、大打撃を負いました。
 その年の冬のことでした。ある家の窓から点滅する光が見えました。クリスマスツリーだったのでしょう。それを見ているうち、闇のようだった心が明るくなりました。その時《わが家にもイルミネーションを》と思い付いたのです。それは《自分の心に灯をともし、失意の底から立ち上がろう》とした私の決意だったのです。
 年々数が増えて家の外と中で輝く光を見ながら、窮地に陥ったときにこそ笑顔を出すことが大切だという思いを痛感しています。それと同時に、感謝の気持ちも忘れないようにしています。というのは、災害からしばらくして、他の業者の設備を借りてパンの製造を再開することができるようになったからです。応援してくださった皆さまのおかげです。
 悩みなどを抱えて落ち込んでいる方も、わが家のイルミネーションを見て心に灯をともしてくださっています。毎年、サンタクロースが大きなお土産を残していってくれているような気がしています。”(12月5日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の主婦・水谷さん(女・65)の投稿文です。イルミネーションを目立つ時期である。最近はイルミネーションを飾っている家庭を多く見かけるようになった。通りすがりにチラッと見るだけでも楽しい。水谷さんは東海豪雨でひしがれていたとき、イルミネーションを見て心が奮い立ったと言われる。そして自宅にも飾るようになり、最近では非常に増えたと言われる。イルミネーションを飾る家は多分自分の楽しみであろう。それが道行く人の楽しみにもなる。電気の無駄遣いという人もあるが、それ以上に社会に潤いを与えると思う。無駄遣いなど探し始めたら切りがない。要は程度とバランスである。
 実はわが家も飾り始めてもう何十年と立つ。道路からよく見える松の剪定が終わるとその木に飾るのである。11月下旬から1月初旬まで飾っている。ただ毎年同じものを、工夫も凝らさず飾っているだけである。それでも十分楽しんでいる。




2014/12/26(Fri) (第2045話) 感謝の恋文 寺さん MAIL 

 “老人ホームに入居して間もなく1年になります。朝食と昼食は1階の大食堂で頂きます。夕食はヘルパーさんが居室に持って来て下さいます。部屋のブザーが鳴って「はーい、お夕食です」。忙しいヘルパーさんのお声に応えたくて私、一筆せんに「ありがとう」の言葉を書いて、そっとお盆の隅に置いてみました。最初の日は「天国まで配膳して下さるの。あちらの世界までこんなおいしいものを届けて頂けるのかしら」。ヘルパーさんはびっくり。予告もなくこんなことを言われたら、誰だって驚きます。
 次の日、「お食事は体も心も癒やします。今日は良い夢見ながら眠れます。ありがとうさん」。その次の日は「食べるって生きるだめ、生きるって食べるため?」。この答えは、私にも出せません。そしてまた、「加齢、華麗、カレー、悪くないわね」。ヘルパーさんは、クスッと笑って下さいました。
 ある日、ヘルパーさんに聞いてみました。「こんなラブレター、ご迷惑?」。すると「いいえ、みんなで楽しみにしてますよ」。ああら、うれしい。ほっとした夕暮れでした。それからも毎日、書いています。”(12月4日付け朝日新聞)

 茨城県土浦市の清水さん(女・83)の投稿文です。小さな心遣いである。でもほほ笑ましい心遣いである。何かして反応がある、嬉しいものである。清水さんには変化の少ない生活であろう。そんな中で、今度はどんな事を書こうか、どんなことを書いたら喜んでもらえるだろう、そんなことを考えるのは清水さんの楽しみにもなろう。お互いの良い関係になる。生活は工夫次第である。
 人と関わりを持ちたくないと思う人もあろう。そんな人も全くではなかろう。どこかで1人、2人は持ちたいものである。またそうしていかなければ生きていけない。人間は生きている限り人との係わりは避けて通れない。それなら少しでも良い関係を作りたい。それは気持ちと少しの工夫でできるのである。清水さんがそれを示している。




2014/12/24(Wed) (第2044話) 「今が一番」 寺さん MAIL 

 “自分の親がこの世からいなくなるなんて誰も想像がつかないと思います。いつか亡くなるのは分かっていても、ずっと元気でいてくれるような気がしていました。優しかった母が亡くなってから、もうすぐ三年。後を追うように一年後に父も亡くなりました。その父の三回忌の法要を七日に営みます。両親とも十二月に亡くなったので、私は一年の中で十二月が一番嫌いになってしまいました。
 母が元気だったころ、「もしもタイムスリップして昔に戻ることができるとしたら、いつごろがいい?」と尋ねたことが何回かあります。そのたび、母はこう答えました。「今が一番。今が幸せ」
 亭主関白だった父に仕えて家事をこなしていた母。三人の子どもを育て上げ、六人の孫をかわいがり、そして、いつも笑顔で私の悩みに耳を傾けてくれた母。あなたがいなくなった時、私は心が空っぽになり、何もする気力がありませんでした。でも、月日が流れ、少しずつ心が落ち着いて、今は元気に働いています。
 三人の子どもも成長し、明るいお嫁さん、元気な孫にも恵まれ、私は「今が一番。今が幸せ」です。たくさんの愛をありがとう。心から感謝しています。”(12月4日付け中日新聞)

 三重県いなべ市の派遣社員・出口さん(女・52)の投稿文です。自分の人生のいつに戻りたいか、こう問われたら、多分自分の人生の最も輝いていた時代か、もう一度やり直した時代か・・・・いろいろ浮かぶ。しかし、戻った後、良くなるか悪くなるか分からない。それだけに、今が何とかなっていれば戻りたいとは思わない、これが普通の気持ちだろう。永遠の人生を求めながら、実際に死ねなかったらどういう感情を持つだろう。多分困惑するのではなかろうか。何をやっても死ねないのだ。苦痛になるのではなかろうか。願いながらできないところに良さがあるのではなかろうか。寿命があるから今を大切にしようと思う。「今が一番」なのだ。前回の話にも通じる。浅薄な感想だが、そんな気がする。
 また、この話は2004年5月27日の「(第1話)5年の命短縮」と似た話でもある。




2014/12/22(Mon) (第2043話) 今日を大切に 寺さん MAIL 

 “よく利用する幹線道路の交差点に建設会社の掲示板があり、いつも《いい言葉だな》と思う文が書かれた紙が張られています。月替わりくらいで新しい内容に替わるので、信号待ちの時に気にかけて見ています。
 今回書かれていたこの言葉に、私は特に強い衝撃を受けました。「あなたがむなしく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日」
 私は今年、時を近くして同年の二人の友を亡くしました。二人ともがんを患っていましたが、そのことを周りの人たちに感じさせないくらい気丈に振る舞っていました。今でも信じられません。そして家族や仕事、多くのことを気にかけ、計り知れないほどの無念さを抱えて逝ってしまったのだと思います。
 同年の友を送るのは初めての経験でした。切なさだけでなく、いろんなことを感じ、考えてしまいました。今まで明日が来るのは《当たり前》だと思っていましたが、決して《当たり前ではない》ことも知りました。
 今日という日を迎えられたことを《ありがたい》と感謝しながら一日一日を大切に積み重ね、いつか彼岸で友と会う日が来たら、胸を張って声をかけたいと思っています。”(12月2日付け中日新聞)

 愛知県高浜市の造園業・山本さん(男・49)の投稿文です。このような掲示板の話は寺院などではよく聞くが、建設会社という話は始めてである。誰かの思い入れが大きいのだろう。そうして山本さんのように関心を持つ人がいる。これも社会貢献の一つのあり方だろう。
 そしてこの言葉である。こんな言葉も初めて聞く気がする。本当にそうなんだ。死が迫った人には1分1秒の時間も切ないくらいに大切なのだ。それが健康な人は何となく過ごしたり、無駄なことで時間を費やしている。こんな事ばかり思っていたら息苦しくなるかも知れないが、知っておきたい言葉である。ボクも最近、同級生が亡くなったし、職場の1年下の後輩も亡くなった。死が近いものになってきた。ボクの机の上には「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」と書いた紙が数年前から置いてある。




2014/12/20(Sat) (第2042話) 想定外のすてきな今日 寺さん MAIL 

 “息子とともにランニングを始めたのが3年前。5キロのレースから少しずつ距離を延ばして、先日、夢のまた夢と思っていたフルマラソンにチャレンジした。
 元気あり余る18歳の息子は、「重度の発達遅滞をともなう自閉症」と診断名がついたいわゆる知的障害者だ。私は運動歴のほとんどない50歳間近の立派なおばさん。無謀とも思える2人の挑戦は、カメの歩みでも止まることなく5時間半かけて42.195キロを走りきった!息子と手をつなぎ、大きくバンザイしてゴールしたときの感動を表す言葉は、いまだに見つからないでいる。
 息子がまだ小さかった十数年前、坂本九さんが歌った「明日があるさ」がカバーされて流行していた。どんなに声かけしても手を尽くしても、発語しない息子を前に、テレビから流れるその歌を聞くたびに「私には明日なんてない」と涙した。
 できるならあの時の私に、彼が18歳になるころには案外いい青年に育ち、家族仲良くけっこう楽しく暮らしているから心配いらないよ、むしろ、想定外のすてきな明日があるかもしれよ、と教えたい。”(11月25日付け朝日新聞)

 東京都の主婦・本田さん(48)の投稿文です。 重度の障害者の息子さんとフルマラソンを完走である。その感激は言葉にならないだろう。ボクの身内にそのような人はいないので、本当の気持ちや苦労はよく分からない。フルマラソンなんて、普通ではなかなかできないし、走っていたボクもしたことがない。本当によくやられたと思う。
 先日、ダウン症の書道家・金澤翔子さんとその母親の泰子さんの講演を聴く機会があった。泰子さんは何度も死のうと思ったが、今は幸せ一杯であると言われる。そう言えるようになったのはここ10年とも言われる。そして、翔子さんが我々の前で大きな筆で力一杯書かれた。その姿には感動に近いものを覚えた。「人間、死ぬまでその価値は分からない」とはボクが若いときに知った言葉が、本当にそうだと思う。死ぬ間際に感動を与えその真価が発揮されることもある。ほんとに死ぬまで、精一杯生きることだと思う。改めて知った。




2014/12/18(Thu) (第2041話) 料理を残し後悔 寺さん MAIL 

 “レストランで食事をしていると、「ごめんなさいね、こんなに残してしまって。私には量が多くて。決しておいしくなかったわけじゃないから、コックさんにちゃんと伝えてね」と、年配の女性が店員さんに話す声が耳に入り、苦い思い出がよみがえりました。
 十数年前、富士五湖を巡りながら湖畔のレストランを探すうち、私は車酔いをしてしまいました。車酔いの経験がなく、少し休めば冶るだろうと思い、見つけたレストランで料理を注文しました。ところが、一向に気分はよくならず、料理をほとんど残してしまったのです。
 紙ナプキンで料理を隠すように覆い、体調不良を伝えないまま店を出ました。車の後部座席に横たわると、料理人の方、そして食材に申し訳ないことをした、と後悔の思いがあふれてきました。冒頭の女性のようになぜ伝えなかったのかと、今でも悔やまれます。”(11月25日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(57)の投稿文です。料理を残した理由をキチンと伝える、いろいろな気遣いがあるものである。作った人にすればなぜ残されたのだろう、不味かったからだろうか、口に合わなかったからだろうか、いろいろ気にかかるものだろう。それを私の方の理由だと伝える。いろいろな優しさがあるものだ。日比野さんはそんな行為を見て自分の行為を悔やまれている。一つ勉強された。また成長された。これが大切である。
 実はボクも気遣いをしているのである。残しては申し訳ない、と思ってほとんどを食べてしまう。これは大食らいのボクだからできることである。誰にも勧められることではない。




2014/12/12(Fri) (第2040話) くわの輝き 寺さん MAIL 

 “タマネギの定植のため自転車でゆっくりと畑に向かう道すがら、実家の父が好きだったサザンカの花のつぼみを見つけた。父の勧めで嫁いでから、四十四年の月日を思い返した。この家に嫁いだとき、古びた納屋にくわが二本輝いていた。農家の生まれではない私だが、くわの輝きの美しさに勤勉な農家なのだな、とうれしくなった。
 義父、義母と暮らした尊い十年間。サクサクとくわで土を耕す音に、生命を育み、自然が豊かな農村風景を紡いでいることを実感した。夫と二人の農業経営となったときは、私は決意を新たにくわを手にした。
 近年、トラクターなど農機の進歩は著しい。しかし、トラクターでは耕せない大切な部分がある。そんな時、私は先代、先々代を思ってくわを持ち、汗を輝かせて土と語る。肥料が土によく配合されるように。何事もまず土作り、それがタマネギの品質向上につながっていく。”(11月23日付け中日新聞)

 愛知県東海市の農業・杉江さん(女・68)の投稿文です。農家育ちでない杉江さんが、農家に嫁ぎ、農業になじまれたのは大変なことであったろう。それも専業農家のようだ。ボクの母もそうだった。大変な苦労だったと思う。でも杉江さんは一時代違う。当然と思ってされてきたろうか。ボクの妻も町育ちだ。父の時代は専業農家だったが、ボクは勤め人になってしまった。畑仕事は自家用程度になった。妻は畑に出るが、草取りと収穫程度である。クワを握ることはない。
 ボクの農業の作業道具や資材はほとんど父が残していったものを使っている。父が亡くなってもう30年以上たつのにである。備中やクワ、スコップはまさにそれである。竹やビニールもまだある。竹の替わりなど買いに行けばもっと使いやすいものがある。でも買わず、ある間はと思ってそれを使い続けている。父とまだ繋がっているのだ。杉江さんの文からこんな事を改めて気づいた。




2014/12/10(Wed) (第2039話) 小さなお友達 寺さん MAIL 

 “市の敬老会の時にいただいたお菓子やタオルが入った袋に、小学六年生の女の子が書いた手紙が入っていました。名前に私と同じ字があったので親近感を覚えて手紙を書いたところ、思いがけず返事が来ました。小学校最後の運動会の案内状で、自分の出番などが書かれていました。
 《運動会なんて何年ぶりかしら)と思いながら、顔も知らない女の子が通う小学校の運動会に出かけました。組み体操が目の前で行われた時、《この女の子じゃないかしら》と勝手に想像していましたが後日送られてきた写真を見て、私の想像が当たっていたことが分かりました。
 運動会に続き、今度は学習発表会の招待状が届いたので、また小学校へ出かけて行きました。そして、その女の子にあいさつし、初めて言葉を交わしました。年の差は随分ありますが、その女の子を私は友達だと思っています。手紙の中でも、初めて言葉を交わした時も、私のことを「優子さん」と呼んでくれました。それが何よりもうれしくて、心が温かくなります。
 私は後期高齢者になりましたが、文通をきっかけに小学六年生の女の子とお友達になれたことは、私にとって小春日和のような出来事だと思っています。”(11月20日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・伊神さん(75)の投稿文です。江南市とはボクの隣町である。敬老会の記念品に小学生の手紙を入れるとは、味なことをしているものだ。記念品以上に嬉しいことであろう。それが伊神さんのような発展になる。高齢者と小学生が交際する。高齢者には夢のようなことであろう。
 敬老会の記念品については我が町の場合、あまり評判がよくない。対象者の増加と共に貧弱になってきた。催し物もあまり人を呼べるようなものでもない。だから参加者が減ってきた。そして来ない人には町内会で記念品を配っている。その数が多くなって大変な作業である。昨年の町会長の時、あまりに腹が立って市役所に苦情を言ってしまった。隣町のようにもう少し知恵を出さないといけない。




2014/12/08(Mon) (第2038話) 急がば回れ 寺さん MAIL 

 “「息子はこんなに練習しているのに、なぜあの子に勝てないのか。もうやめさせたい」。最近、ある地域の柔道教室で、少年選手の親が指導者に向かって、こう言ったらしい。言われたベテラン指導者は「昔はこんなことを言う保護者はいなかった。そもそも、試合に勝つことだけが目的じゃない」と困惑し、子どちたちが目先の勝ち負けにこだわり過ぎることへの弊害を心配する。武道なのだから、試合結果だけでなく礼儀や所作の美しさにも価値を置く。そう思っていただけに、門外漢の私も驚いた。
 この話を聞いた同じ日に、青色発光ダイオード(LED)を発明した日本人三人のノーベル物理学賞受賞が決まった。新聞には「停滞は実験につきもの」「失敗千五百回」「根気よく」と名城大の赤崎勇教授らの言葉が紹介され、長年の苦労の一端がうかがえた。もし、三人が早々に「成果が出ないからやめたい」と投げていたら、新世紀を照らす大発明は生まれなかった。
 急がは回れ。目に見える手っ取り早い成果を追わず、別の価値を信じて耐えることの大切さを、別々の話から学んだ気がする。偉人たちだけの話ではない。(11月20日付け中日新聞)

 「ぺーぱーナイフ」という記事欄からです。今の世の中、実力主義、成果主義を礼賛している。客観的に評価できるもので価値を決めている。礼儀や所作はなかなか評価できない。その流れがこのような話になるのではなかろうか。
 実力や成果に見合った見返りを出す、非常に理に適い、納得しやすく思える。しかし、これを喜べるのはほんの5%、10%の人であろう。誰もが自分を高く評価しがちである。その結果ほとんどの人が評価に不満を覚える。そしてこれはまた短期決戦を強いる。赤崎教授らが言われることはますます難しくなる。またできる人とできない人の格差を大きくする。例えば勤労者の話になれば、生活が保障されての上の格差であればいいが、そうでなければ生活できない人を多く生む。それが進んでいるのが現在の社会ではなかろうか。社会はいろいろな実験を経ていく。他国のよい制度を取り入れようとするとき、その国の他の制度や習慣もよく見なければいけない。企業等の都合のよい部分だけを取り入れた実力主義や成果主義の社会がどんなことになるか分かってきたと思う。ボクはそろそろ見直す時期ではないかと思っているが、現実はますます進んでいるのである。




2014/12/06(Sat) (第2037話) 譲リスト 寺さん MAIL 

 “私は市バスをよく利用しています。始発に近く、だいたい座れるのですが、満席になったときは、お年寄りや体の不自由な方に席を譲るよう心がけています。先日も、満員時に赤ちゃんを抱いた方が乗車され、その方に席を譲りました。私が降車する時、その方から「ありがとうございました」と声をかけられ、少し話をして別れました。
 私は席を譲る人を「譲リスト」と名付け、マイブームにしています。特別なことではありませんが、その行動によって、その日一日か幸せな気分になれます。
 妻に話すと、妻が乗ったバスでの出来事を話してくれました。妊婦さんが乗ってこられた時、誰も席を立たず、運転手が「妊婦さんに席を譲ってください」と何回か車内放送をし、やっと妊婦さんの前に座っていた人が立ったそうです。私は悲しくなりました。
 皆さんも譲リストになってみませんか。きっと幸せな気分になれるでしょう。”(11月20日付け中日新聞)

 名古屋市の今井さん(男・49)の投稿文です。「譲リスト」とはまた味な言葉を創造されたものだ。「ボクは譲リストだ」と思えば、そんな場面に出合えば積極的に行動するだろう。宣言するのは更に良い。今井さんはそれをこの文によって実践された。誰もがそのようにするようになれば無関心社会は大分改善されるだろう。今井さんに敬意を表したい。
 しかし、現実社会は全く逆に動いている。特にスマフォがそれに拍車をかけている。車内放送など全くどこ吹く風である。そんな中、ボクも時折譲られるようになったが、何か面映ゆいが嬉しいものである。




2014/12/04(Thu) (第2036話) 家族 寺さん MAIL 

 “「選挙戦で一番悩み、苦しむのは候補者の奥さんです。皆さんどうかフォローしてあげてください」来年二月に投開票が予定される一宮市長選。ある立候補予定者の支援組織発足式で、応援に駆け付けた他市の若手市長が、会場を埋める六百人の支援者にそう呼び掛けた。
 力強い言葉が胸に響き、メモを取る右手が震えた。目に浮かんだのは、記者が長年親しくしている親類女性の姿だった。女性の父親は九州で六期市長を務めた。任期中、彼女は常に父親に寄り添い、街頭で頭を下げ続けた。市政批判の矢面に立つこともあり、落選後は手のひらを返すように市職員から冷遇されたこともあった。家族にしか分からない苦しみがあったのだろう。
 冒頭の発足式後、立候補予定者の妻や親族の元には多くの支援者が駆け寄った。「選挙戦はまだ先が長いで倒れんでね」「やれることは何でもやらせて」。口々にそう声を掛けた支援者たちもまた、「家族」なのかもしれない。
 西尾張地域では来年四月の続一地方選までに衆院選と稲沢、一宮、弥富の三市長選が予定されている。各立候補予定者の「家族」たちの長い戦いは始まっている。(11月20日付け中日新聞)

 「モーニング一席」と言う記事欄からです。昨年、ボクの地域から出ている市議が引退を表明した。後継者探しが始まった。ボクも係わった。本人が少しその気になってもほとんど家族の反対にあい、あきらめることになる。立候補は本人だけのことではなく、家族も大きく巻き込まれるのである。特に配偶者は大変である。切羽詰まった時期になって、ボクの親しい同級生が地域のために立候補を決意した。後援会組織の設立などの準備が始まった。ボクも大きく巻き込まれることになった。先日奥さんに会ったとき、ボクは真っ先に「よく決意して頂いた」と言った。立候補する本人も家族も、そしてボクも新しい体験である。どんな展開になるだろうか、苦労以上に興味津々である。この文を読んで、家族もフォローしていかねばならないと強く思った。




2014/12/02(Tue) (第2035話) 工場参観 寺さん MAIL 

 “私の住む町で「工場参観日」という催しがあった。学校の参観日にはなじみがあるが、工場参観日というのは初めて聞く言葉で興味を持ち、参加してみた。
 市内の刃物製造からコンクリートの工場まで十数社を見学できた。私は数社を参観した。昔はあちこちの小さな納屋や工場で刃物の研磨やプレス加工が行われ、「ジャージャー、ドンドン」という音が聞こえたものだが、今はそんな光景もあまり見られないので、工場参観は新鮮だった。
 従業員が十散人の工場から航空機の部品を造る大きな工場までさまざまで、中には全国シェア90%の刃物工場もあった。どの工場も働く方々が真剣に創意工夫し、愛情を持ってよりよい製品づくりに取り組んでおられ、感動の連続だった。
 長年の伝統が若者や女性にも受け継がれ、日本を代表する刃物産地が着実に進化していることを実感し、この町に住んでいることを誇らしく思った。”(11月17日付け中日新聞)

 岐阜県関市の荘加さん(男・79)の投稿文です。工場参観日とはまた良い試みである。地域のことを知るのは住民として大切なことであり、また新しい住民には特に大切なことである。仕事場などと言うものは従来関係者以外にはあまり目を向けられてこなかったと思う。見せようともしなかったし、見ようともしなかった。考えて見れば非常に大切なことであるし、興味の湧くことでもある。地域を知り誇りを持つ、なければ作る。
 このように街興しや交流にいろいろな試みがなされている・・・地域もある。しかし、簡素化やなくなるばかりの地域もある。いろいろな行事が沈滞化していく。例えばボクの地域では、葬儀はここ数年で家族葬ばかりになってきている。葬儀は交流の場として貴重である。いろいろなことが簡略化してきている。簡略化すると交流が少なくなる。社会は高齢化し少子化している。ますます交流が必要なのに逆行している。本気で考えねばならない。荘加さんの地域はそれができている。


 


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