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第126号  2014年11月

2014/11/30(Sun) (第2034話) メモ活用 寺さん MAIL 

 “年を重ねると物忘れがひどくなる。歯科医の予約日や人と会う日を忘れたりすることが増えてきた。未明にふと目が覚めて趣味の川柳や短歌のフレーズがひらめいても、起床時にはすっかり忘れてしまっている。こんなことの繰り返しである。このままでは、いずれ重大な事態になることは火を見るより明らかだ。
 いろいろ考えた揚げ句、思いついたら何でも書くことにした。まずはメモ用紙が必要である。未使用の紙はもったいないので、新聞の折り込みチラシで裏が白いものを活用しようと、はがき大に切って鉛筆とともにいろんな場所に置くことにした。
 明日中にやらなくてはならないことなど、思いつくままにそのメモ用紙に書いていき、それを机の上に置いておくのである。以来、朝起きるとメモ用紙を見て、効率よく一日を過ごせるようになった。皆さんにもお勤めしたい。(11月13日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の松波さん(男・75)の投稿文です。今までメモを取っていなかった・・・何歳の人の文かとまず思った。75歳。この歳までメモも取らずにやって来られたのか、あきれるほどに感心してしまった。ボクなどもう何十年も前から手帳やメモ帳を活用し、なしでは過ごされない。メモを取らないとそれだけ記憶力が良くなるのだろうか。多分そうだろう。しかし、この文の通りである。これからは十分にメモを活用して健やかにお過ごし下さい、と言いたい。




2014/11/28(Fri) (第2033話) 使い捨ての罪 寺さん MAIL 

 “先日の朝、通信局を出ようとして駐車場に落ちているビニール傘に気づいた。前夜に雨が降った跡はない。手に取ると、骨がほとんど折れている割に汚れはない。誰かがここで捨てたんだろう。不愉快だったが、急いでいたので、とりあえず軒下へどけた。
 後日、傘を処分しようと市役所に電話して捨て方を尋ねた。「不燃ごみです。指定袋に入るように折ってください」と担当者。片足で傘を踏み付け、骨をパキパキと折った。心が痛むと同時に、指先にも痛みが走った。U字形の骨のふちで切り、血がにじんでいた。
 沸々と怒りが湧いた。他人の家にごみを捨てる無法者に対してだけではない。なぜすぐに壊れるような、そのくせ解体しにくい物をつくるのか。そんな物を何げなく買ってしまうのか。
 「前が見えて安全だ」と言う人がいるかもしれない。ならば、もっと大切に使えばいいし、長く使える丈夫さが必要だ。「それではコストが合わない」とメーカーは言うだろう。せめて分別しやすい構造にすべきだ。
 そもそも、突然の雨をしのぐためだけに、数百円を払うのはもったいない。折り畳み傘を一本、バッグか車に入れておけば済む話だと思うが。”(11月13に付け中日新聞)

 「ぺーぱーナイフ」と言う記事欄からです。この記事には全く同感である。そして、やっと記者さんにも知って頂いたかという感じである。
 ボクは会社で会社近辺のごみ拾いを月1回行っている。毎回ビニール傘が捨ててある。雨の多い月など5本くらい拾う。そして言われるように折ってごみ袋に入れるのである。これがなかなか難儀である。手に持つ中心棒が折れないのである。傘である。強い風にも出合う。骨はまだしも中心棒が折れてはそれこそ使い物にならない。だからそれなりにしっかりしている。記者さんが言われるように解体を前提に作られていないのである。
 本当に使い捨て時代になって困ったものだ。街はごみの氾濫である。ごみを捨てないというマナーが社会全体について使い捨て時代に入ればまだ良かったが、そんなことお構いなしに便利さだけを優先してしまった。人間の欲望、傲慢は果てがない。ごみ拾い一つでいろいろな社会が見えてくる。




2014/11/26(Wed) (第2032話) お巡りさん効果 寺さん MAIL 

 “週末、自宅にお巡りさんがやってきた。手には分厚い住民台帳のようなものを持っている。家族構成の変化を聞かれ、少し話した後、「では戸締まりに気をつけて」と帰っていった。
 七年前に亡くなった母が台帳に載っていたので、前回の訪問は七年以上前なのだろう。私は「もっと頻繁に巡回してくれたらいいのに」と思った。お巡りさんがいるだけで、この日は何となく町が落ち着いていたように感じられた。家の前の道を通る車も、いつもより心持ちゆっくり走っているような気がした。「お巡りさん効果」はすごいとあらためて思った。
 言い方は悪いが、ただうろうろしていただくだけで構わない。それだけで、多分、人々は道にごみを捨てていかなくなり、塀に落書きをしなくなるのではないか。そんな「微罪」をなくしていくことで、大きな犯罪を阻止できるのではないかと思う。”(11月13日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の保育士・佐野さん(女・44)の投稿文です。お巡りさんは権力の塊である。特に何も悪いことをしていなくてもあの制服を恐れない人はいないだろう。車に乗っていてもパトカーが近くにいるとより慎重になる。ゆっくりにもなる。このように身を正し、緊張するものである。佐野さんの言われるようにうろうろでもいい。地域の子供の見守りに老人のぶらぶら歩きを進める人もあるし、実際やっている人もある。これがお巡りさんだったらより効果は大きいだろう。
 ボクはよくパトカーは見るが、こうした訪問を受けたい記憶もないし、近年自転車で地域を回るお巡りさんを見た記憶もない。パトカーは大きな道路をひた走っていくだけである。ボクの家は県道に面しているのでこんなパトカーを毎日のように見ている。これでも効果はないとは言わないが、自転車のお巡りさんは村の中にも入ってこられる。効果と親しみは大きな違いである。お巡りさんも多分多忙であろう。お巡りさん効果は大きいことを自覚して、地域の安全を図って欲しいと思う。




2014/11/24(Mon) (第2031話) 人に尽くす 寺さん MAIL 

 “主人が健在の時は、家族のために尽くすことがありました。ですが、亡くなって一人暮らしになると、人のために尽くすことがなくなりました。社会とのつながりを持ちたいと思いボランティア活動に参加し、旅行も十分楽しみましたが、もう一度働きたいと希望して毎日暮らしていました。
 ある時、学生時代の友人から、病院で病院食を作る仕事に誘われました。私は何の経験もなく迷いましたが、思い切って働かせていただきました。
 いくら健康であっても、高齢者になると職場が少なくなります。友人のおかげで、新しい第一歩が始まりました。叱られはしませんが注意されることはあり、張りがあります。年齢は間係なしに、人間は働くことで毎日充実するのだと実感しています。いま、人さまに尽くす自分は輝いていると思います。”(11月8日付け中日新聞)

 三重県桑名市のパート・浅井さん(女・66)の投稿文です。人の為に尽くす、これも自分のためである。直接、間接で自分に返ってくる場合もあるし、浅井さんのようにその行為ができるだけで嬉しい人もある。夫のために尽くす、それだけに亡くなった後の虚しさも大きいだろう。それを旅行やボランティアで紛らす。更に働きたいという希望を持つ。働くというのは、あまり考えることもなく充実感を覚える。また社会貢献でもある。それ程にありがたいことなのだ。
 実はボクもまだ働いている。働いているからあまり何も迷わなくてもいい。ボクは時折怠け者かな、と思ったりする。働かなくなったらもっと悩み考えるかも知れない。いろいろな時間の使い方も模索するだろう。それを先延ばししたいから働く、怠け者である。働けるのは本当にありがたいことである。浅井さんの文でより納得した。




2014/11/22(Sat) (第2030話) 「ありがとう」の言葉 寺さん MAIL 

 “毎日、車で買い物に出かける。帰りに駐車場から出る時、警備員さんが出口で誘導してくれるので、いつも「ありがとうございます」と声をかける。先日、重い荷物を両手いっぱいに抱えて車まで歩いていた時のこと。一人の男性が近づいてきて、私の荷物を半分持ってくれた。いつも会う駐車場の警備員さんだった。仕事が終わって帰る時、私が悪戦苦闘しているのを見かけて手を差し伸べてくれたのだという。
 車に着いて「ありがとうございました」とお礼を言うと、「いつも僕に『ありがとう』と言ってくれるので、今日はそのお礼です。それなのに、また『ありがとう』と言ってもらっちゃった」と恥ずかしそうに笑った。
 私が誘導してもらった時、いつもお礼を言っているのを見て、友人などは「彼らは仕事をしているんだから、お礼を言う必要はないんじゃないの?」と言う。でも私は、何かしてもらって少しでもうれしいと感じたら、『ありがとう』という気持ちを言葉という形で返すことによって、お互いが豊かな気持ちになれると思う。だから、これからも惜しみなく「ありがとう」という言葉を使っていきたいと思っている。”(11月5日付け中日新聞)

 静岡県浜松市の主婦・鈴木さん(47)の投稿文です。仕事でしているからお礼を言わなくてもいいという発想にはどうやっても同調できない。本当にこんなことを言う人があるのだろうか。でも、学校給食で、お金を払っているから「頂きます」という必要はない、と言う人もあるようだからあるかも知れない。いつも感謝の気持ちを持つ、そして嬉しければ素直にお礼を言う。これでいいのである。そして、鈴木さんのようなことも起こる。情けは人の為ならず、「ありがとう」の言葉も同じであろう。
 この警備員さんが、鈴木さんにこのような行為に出られたのは、鈴木さんの言葉が嬉しかったからである。それはお礼を言う人が少ない事を表している。レジでも駅員にもお礼や挨拶をしよう。こんな言葉が飛び交えば嫌な社会にはならない。ボクも心がけているつもりだが、もっと、もっと心がけよう。




2014/11/20(Thu) (第2029話) 庭木に感謝 寺さん MAIL 

 “シルバー人材センターの方々の世話になり、庭木を剪定してもらった。晴天の下、順調に仕事がはかどり、見ごたえある美しさになった。一年間私たち家族を楽しませてくれた庭木へのお礼ができたことをうれしく思い、枝や葉の後始末をしっかりした。
 昨年も、より多くの美しい花を咲かせるために、そして充実した果実を得るために剪定をしてもらい、そのどちらも効果がよく表れ、ありがたかった。おかげで季節に応じて咲く美しい花が、日々の生活に豊かな彩りを加えてくれたり、鮮やかな緑の葉が、疲れた心を癒やしてくれたりする毎日であった。今年は、大きくなった庭木を抑えるために思い切ってたくさん切っていただき、すっきりした。
 さらに私が八十歳、妻が七十七歳でお祝いが重なったため、十一月二十二日の「いい夫婦の日」に、縁起のいい庭木を植えるのを楽しみに準備を進めている。”(11月3日付け中日新聞)

 岐阜県関ヶ原町の西村さん(男・80)の投稿文です。最近は庭木を植える人が少なくなった。庭があっても申し訳程度に数本植える程度である。それも洋風の木が多い。昔ながらの日本庭園を造る人は全く珍しい。ボクは日本庭園が大好きである。
 ボクは昭和57年に父が亡くなって、その後1本も庭木のなかった庭に大量に庭木を使った日本風庭園を造ってもらった。そして、庭園を造った庭師が毎年11月頃に来て剪定をしてくれた。ところが昨年から来てくれなくなってしまった。高齢になって体調が悪いというのである。困った、さあどうするか。西村さんのようにシルバーセンターに頼むか、別の庭師を探すか。妻は自分では始末に負えないから、すべて切り倒してくれた方がいいという。そして思案の末、自分ですることにした。いずれ倒される運命なら少々どうなってもいい。昨年から我流で始めた。そして、今年も11月に入って時間を見つけてやっている。やり始めれば結構面白いものである。誰にも遠慮は要らない、難をつける人もいない。庭師に来てもらった頃は下働きだけであったが、今は自分の工夫で進める。少し苦労ではあるが、新しい楽しみの発見である。もう30年も育ってきた庭である。ボクが少しでも長く手入れして、1年でも長く命脈を保ちたいと思っている。このように造れば確かに大変ではあるが、これを見られるのは気持ちがいいものである。ボクなどただジッと見いている時間が好きだ。




2014/11/18(Tue) (第2028話) 家事の価値 寺さん MAIL 

 “社会の行き詰まりを打開するためにも、女性の社会進出は望まれますが、逆風を覚悟で言いたいのは、家事というものを軽く見ないでほしいということです。専業主婦が、経済的で環境に優しい家事をすることで家庭にぬくもりを与えるなら、家事には夫の収入と全く同じ価値があると思います。ならば夫の収入額の半分は主婦のものです。
 もちろん夫婦共稼ぎもあるし、一家の収入に妻が責任を持つのなら、主夫が家事に専念してもいい。要は状況に応じて夫婦が役割分担をすればいいのです。
 家事の価値を保つには、勉強や経験の蓄積など不断の努力も必要です。食事の支度をみても、食の安全とバランスを考え、衛生管理もしながら食材を有効に使い、さらに食材の包装資材も無駄にしないようにするのは、大変なことです。そうしたことを女性自らが見下してしまい、男性社会を追うだけの社会進出なら、私は賛同できません。”(10月30日付け中日新聞)

 岐阜県山県市の高橋さん(男・64)の投稿文です。これからますます少子高齢化社会が進みます。すると社会に働き手が足らないのですから、望むと望まないにかかわらず女性の社会進出は必要になるでしょう。前話でも言いましたが、男性女性の全く平等、同等には何の異論もありません。でも、一部の人にはできるでしょうが、多くの男性女性は全く平等同等にはなりません。性差は厳然とあります。
 ボクは昔から言ってきました。なぜ女性は育児や家事の価値を高く認めさせる運動をしないのか、と。育児と商売とどちらが価値があるか。育児は人を育てること、商売は駆け引きです。
 今いろいろ施されている政策は、女性をいかに社会に引き込むかの政策の気がします。一方で労働者をいかに使いやすくするかの政策も見られます。高橋さんが心配されるように男性社会を追うだけの社会進出のような気がします。この社会を変えるのが女性かも知れませんが、今の動きは悪い部分に巻き込まれて行く動きの気がします。11月5日の中日新聞にJT生命誌研究館館長の中村佳子氏が「既存の社会での地位を求めるのではなく、女性が働きやすい場をつくり、女性が重要と思う活動に予算がつくようにすることである。むしろこちらの方が社会を変える力は大きいだろう」と述べていた。この言葉と紹介した2話はボクの感じ方を少し代弁してくれた気がします。




2014/11/16(Sun) (第2027話) 女性の活躍 寺さん MAIL 

 “女性の活躍の必要性が叫ばれている。能力のある人は大いに社会で活躍してほしいと思う。でも核家族で子育てしていたり、両親の介護等々で能力を発揮できない状況の女性も多い。私も核家族だったが、定年まで正職員として勤務させていただき、感謝している。半面、放課後は1人で留守番して育った娘から「あんな寂しい思いは、自分の子どもにはさせたくない」と言われ、折に触れ反省することがある。
 社会での「女性の活躍」に反論はないが、二度とない子どもの幼少期には、事情が許せば家庭での「女性の活躍」、母性愛を発揮することも大切だ。それが母親、子どもともに人格形成の原動力となり、将来、経済成長の原動力にもつながると信じている。子育てに向き合った経験は、その後、社会貢献する上でも発揮できると思う。女性の皆さん、それぞれの立場で頑張ってください。”(10月25日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の臨時保育士・星野さん(女・73)の投稿文です。女性の活躍について2話続けます。
 「輝く女性」とか、女性の役職者何割とか、いろいろ女性の社会進出に拍車が掛けられているようですが、ボクには何か少ししっくり来ないことがある。ボクは女性と男性は全く平等、同等と思っている。同じ条件で同じ成果を生めば同じ待遇があって当然と思う。しかし、同じ条件にはならないのである。男性には男性の優れたところがあり、女性に女性の優れたところがある。また逆に劣ったところもある。性差、特に女性には生理や出産がある。これを同じ条件で扱うには無理がある。女性の優位さを生かしての社会進出ではなかろうか。
 言っておきますが、ボクは女性の方が強く優れていると思っている。分かりやすい例が、平均寿命は女性の方がはるかに長く、長いと言うことは強いと言うことです。そして子供が産めます、乳がでます。




2014/11/14(Fri) (第2026話) 旬の食材 寺さん MAIL 

 “学校の授業で旬の食材のことを習った。最近では食材を外国から輸入したり、促成栽培や抑制栽培をしたりすることで、いろんな食材が季節に関係なく手に入るようになり、旬の食材が何なのかを詳しく知らない人が増えているそうだ。
 私も今の旬の食材を思い浮かべようとしたが、浮かんできたのは、サンマやキノコだけだった。「食欲の秋」というくらいだから、旬の食材はたくさんあるはずなのに、これだけしか思い付かなかったことに自分でも驚いた。
 インターネットで秋が旬の食材を調べてみると、案の定、たくさんの食材があり、初めて知ったものも多かった。そして、私は旬の食材が分かる人になりたいと思った。旬の食材を知って、旬の季節に食べるというのは、日本人が昔から大切にしてきた文化の一つだと思う。季節に関係なく、好きなものを好きな時に食べるのもいいけれど、たまには旬の食材をゆっくり味わってみたいと思う。”(10月24日付け中日新聞)

 名古屋市の通学生・磯部さん(女・13)の投稿文です。良いことに気づかれたと思う。旬のあるものは旬に食べる、これは基本です。旬は自然の恵みです。自然にできるものを人口で作るというのは邪道だと思います。手間やエネルギーを余分に使って自然環境にもよくない。季節にかかわらず食べたいときに食べる、人間の勝手な欲望でこうなったのですが、その結果どうなったのでしょう。旬も分からず、感激も少なくなったしまった。食べたいのにまだできていない、できるまで我慢する、そして味わうと感激も大きい。これは何事にも言えることです。我慢する、そして目的ものものを手に入れる、これが感激を生む。
 ボクの家の野菜類の多くは自家製です。そして、一部に小さなビニールトンネルを掛けるだけで、後は自然任せです。消毒もしません。でも残念ながらあまり感激はありません。2人では食べる量は知れているし、できはじめると嫌になるほど食べさせられるからです。過ぎたるはなお及ばざるが如し。




2014/11/12(Wed) (第2025話) ナナちゃんの力 寺さん MAIL 

 “臓器移植に対する理解を深めてもらおうと、名古屋駅前の巨大マネキン「ナナちゃん人形」に二十二日、臓器移植をPRするプラカードとたすきが飾られた。二十八日まで。
 臓器移植の普及などに取り組む公益財団法人愛知腎臓財団(名古屋市)が推進する活動の一環。ナナちゃんは「意思表示が、移植医療の希望になる」と書かれたプラカードを持ち、臓器移植のシンボル「グリーンリボン」をたすき掛けした姿を見せた。
 同財団の大曲正博事務局長(六一)は「皆に身近なナナちゃんの力を借り、多くの人に臓器移植を身近に感じてもらいたい」と話した。リボンのように移植も大きく広がるか。”(10月23日付け中日新聞)

 「通風筒」という記事欄からです。名古屋近辺の人にとってナナちゃん人形は身近である。ボクもよく待ち合わせ場所にナナちゃん人形の前を使った。昭和48年に誕生し、身長は6mを越える長身であり、歩道にどんと足を広げて立つ細身の女の子である。よく目立つので、この記事のようにいろいろな広報に活躍している。
 臓器移植については多くの人が知ることではあろうが、どれだけの人が申し込んでいるのだろうか。ボクはいつの頃だか忘れたが、結構早くから登録した。今は保険証の裏に記入するようになっている。「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します」に○つけている。臓器の健康を保って、死後には多くの臓器を活用してもらいたいと思っている。




2014/11/10(Mon) (第2024話) 思いやりの上着 寺さん MAIL 

 “御嶽山の噴火で死亡した愛知県豊田市の小学五年、長山照利さん(11)が発見時に着ていた登山用ジャケットが二十二日、持ち主で同じ噴火で亡くなった横浜市中区の会社員近庄屋洋さん(26)の遺族に届けられた。近江屋さんは噴火直後、長山さんと別の女性と三人で岩陰に隠れ、女性を介して長山さんにジャケットを着せたという。
 長野県警の警察官が同日、横浜市栄区の近江屋さんの実家を訪れ、両親に手渡した。ジャケットを手にした近江屋さんの父親(65)は「息子のものと確信しました。切迫した状態の中で、息子が女の子を守ってあげようとした勇気を褒めてあげたい。二人とも生還できなかったことは、本当に残念で残念でなりません」とコメントした。
 近江屋さんは発見時、薄いジャンパーとTシャツ姿だったといい、父親は「寒くなかったのかな。頑張ったねと言ってあげたい」と話した。長山さんが大人サイズの緑色のナイロンジャケットを着ていたため、長野県警が持ち主を捜していた。
 長山さんの父幸嗣さん(44)は「自分のことで精いっぱいの状況で、上着を着せてくれたのは本当にありがたい。照利は人一倍、臆病な子だったので、そばに大人がいてくれたのは心強かったと思う。感謝の言葉しかありません」と話している。”(10月23日付け中日新聞)

 記事からです。御嶽山噴火のニュースには驚いた。その予兆になるニュースはどこにもなかった。こうした大きな噴火になる前には関係者から何かの警告が発せられるものと思っていた。人間にまだそこまでの予知科学はなかったのである。自然に対して人間の知識などまだ微々たるものである。
 そして、多くの犠牲者が出た。そしていろいろなドラマが生まれた。御嶽山はボクの家からも見える。愛知県に近いだけに愛知県の被害者も多い。この話もその一つである。横浜の青年が豊田市の女子小学生にジャケットを貸してあげた。でも共に亡くなってしまった。貸すとき、青年はどこまでの結果を想定しただろうか。今では分からないことだが、いずれにしろこの切羽詰まったときに人を思いやる気持ちは尊い。悲しい中にも嬉しい話である。
 人間にとって一寸先は闇である。1秒先のことも分からない。しかし、自分の予知を信じて生きている。その予知には自分の意に反することはあまり含まれない。悲観的に生きるより楽観的に生きる方がいいのかも知れないが、等分にやって来ることを忘れてはならない。




2014/11/08(Sat) (第2023話) 善意のバトン 寺さん MAIL 

 “先ごろ行われた秋の高山祭の初日、道に迷ったオーストラリア人女性が、二人の日本人女性観光客に付き添われて案内本部にやってきました。脚が少し不自由で、頭痛などの持病もあるそうなので、からくり人形が終わったら私がホテルまでお連れし、荷物を受け取ってから高山駅までお送りすることにしました。
 「日本人はとても親切で本当にありがたい」。ホテルまで送る途中、その女性は何度もこう言って感謝してくださいました。不自由な体で、しかも一人で旅をする勇気に感心しながら、外国で不自由な思いをしていらっしゃる方を助けることができ、《ボランティア通訳の仕事を引き受けて本当によかったな》と思いました。
 高山駅でも駅員の皆さんが親切に対応してくださり、名古屋行きの列車に無事乗せてあげることができました。名古屋から先もまだまだ旅を続けると聞きました。二人の日本人女性観光客から託された善意のバトンは、行く先々でもきっと誰かの手に渡り、あの女性を助けてくれたと信じています。
 お互い名前も知らない者同士の善意のリレーに参加させていただいたことを幸せに、そして誇りに思っています。皆さん、温かな心をありがとうございました。”(10月23日付け中日新聞)

 岐阜県飛騨市の主婦・岩塚さん(58)の投稿文です。小さな善意をつないでいく、良い話だ。今の日本でそんなに特別の話ではなかろう。多くの人の中から少しの親切な人を見いだす、そんなに無理なことではない。このオーストラリア人は嬉しい気持ちで帰られ、多くのオーストラリア人にこの話をされるだろう。これで良い関係になるのだ。
 アメリカで「日本は世界で一番素晴らしい国なんですよね」と女高生から話しかけられ戸惑った話があった。世界で一番素晴らしい国は少し言い過ぎと思うが、こういう評価が広がることは嬉しいことである。この評価に恥じない行動をしなければならない。
 総合的に見れば日本人はいいと思うが、個々を見れば情けないことも一杯である。先日ニュージーランドへ行った。どこを見ても全く綺麗である。ごみの散らかしなどほとんど目にしなかった。公徳心など見直さねばならないことは多い。




2014/11/06(Thu) (第2022話) 子猫と私 寺さん MAIL 

 “消したはずの蛍光灯がついている。《消さなかったのだろうか》と思いながら消す。朝、ご飯を炊いた炊飯器の保温灯が消えている。《おひつに移した覚えはないが・・・》と首をひねりながらふたを開けてみると、冷めかけたご飯が入ったまま。
 《いよいよ物忘れがひどくなったのか・・・》と、内心じくじたる思いとなる。しかし、ぼけ始めたと思われたくないので誰にも言わずにいた。そして数日後、私は見た。わが家で飼っている子猫の「チビ」が畳から1.2mほどジャンプ。ペンダント式蛍光灯からぶら下がっているひもを左右の前脚で挟んで引っ張り、点灯させた姿を。温かくて寝心地がいい炊飯器の上に飛び乗った時、保温のボタンを脚で踏んだ瞬間を。
 人がいるときはしないのに陰でこっそりやっていたらしい。それにしても、猫の仕業まで自分のせいだと思い込み《いよいよか・・・》などと悩んだ数日間を振り返ると、悔しい一方、笑えてくる。今後は、少々の失敗があっても猫のせいにしようと考えた。(後略)”(10月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・宮本さん(82)の投稿文です。猫が蛍光灯をつけたり、電気器具のスイッチをいじることができるのだろうか。でも宮本さんは確認されたという。いろいろなことがあるものだ。自分の呆けのせいでないことが分かってよかった。
 高齢になると、若い時のように行かなくて落ち込むことが多い。だが落ち込むことは更にいけない。自信喪失は行動を鈍らせ、惚けに拍車をかける。宮本さんはいいことに気づかれた。失敗は猫のせいにする。責任は当たり障りのなものに押しつけるのだ。若い時に許されなかったことも、高齢になったら笑って済ましてしまえばいい。それが自分のため、周りのためである。




2014/11/04(Tue) (第2021話) 近所の助け 寺さん MAIL 

 “父を亡くし、実家で母が二人で畑仕事をするようになった。といっても、小さな畑で季節の野菜を自宅で食べる分だけ作る程度。収穫などを手伝うぐらいしか経験のない母は、農業初心者といってもいい。
 先日、実家に行き、母と二人で父が残してくれた小型耕運機を動かした。コツがなかなかつかめず、思うように前進できずに苦戦していると、通りかかった近所のおじさんが声をかけてくれた。再び動きだす耕運機。すると、もう一人、おじさんが通りかかり、手伝ってくれた。
 結局、母と私は耕運機を動かすことなく終了。私たちがお礼を言うと、おじさん二人は笑顔で帰っていかれた。危なっかしい母を温かく手助けしてくださるご近所の方々に感謝!いつも声をかけ、見守っていてくださる故郷の田舎町の素晴らしさをあらためて感じた。こんな優しい近所付き合いのある町が減らないことを望んでいる。”(10月13日付け中日新聞)

 岐阜県美濃加茂市の主婦・酒向さん(50)の投稿文です。「遠くの親戚より近くの他人」という。近いだけにすぐ目にするし、すぐ助けることができる。この関係は大切だ。特に高齢社会になるこれからはより大切になるだろう。この関係も一朝一夕にはできない。道で会えば挨拶をし、手助けできるときにはする。ボクは村中で会えば、知らない人でも挨拶をするよう心がけている。若い人から先に挨拶をされることなどほとんどない。若い時には人と関わらなくてもやっていける。係わるのは鬱陶しい。ボクのような村でも若い人にはそんな雰囲気が満ちている。何か年齢の断層がある気がする。
 酒向さんの話は将来のボクの家のことかも知れない。妻も娘も草を取るか収穫するくらいである。耕耘機など動かしたことがない。妻はこの家は自分では守りきれない、先に逝きたい、と言ってるが、残念ながらそうはいかない。今を見ればボクの方が元気が良さそうだが、女はしぶとい。後に残ることを覚悟して、今からいろいろやっておいた方がいいと思うが、なかなか動きそうにない。




2014/11/02(Sun) (第2020話) 決断力の練習 寺さん MAIL 

 “時々利用する日帰り温泉の牛乳の自勤販売機には、▽牛乳▽コーヒー牛乳▽フルーツ牛乳▽イチゴ牛乳の4種類がある。小学校1年生ぐらいの男の子を連れたお父さんが来て、お金を入れ、「好きなものを押しなさい。決断力の練習だ」と言った。大げさなことを言うなあ、と聞いていたら案の定、男の子が「決断力って」と聞く。「自分で決めることだ。大きくなって女の子と付き合うときに、何でも女の子に決めてもらってはいけないからね」とお父さん。
 お風呂からあがると、私はいつもこの自販機の前で迷ってしまう。「牛乳は朝飲んだ」「甘すぎると嫌だ」「カロリーが高いかな・・・」。結局、隣の自販機でお茶か水を買うことが多い。そうだ、牛乳くらい自分で決められなければ、選挙になど行けない。私も次は、本当に飲みたいものをしっかり選ぼう。何かで迷うときは、若いお父さんの言葉を思い出そう。自分で決めれば他人のせいにすることはない。あの男の子はどんな大人になるのだろう。大きくなって「何がたべたい?」と聞かれた時「何でもいい」とはいわないだろうな。”(10月15日付け朝日新聞)

 愛知県半田市の主婦・石橋さん(62)の投稿文です。努力の次は決断の話です。小学1年生くらいの子供に決断力の練習というのは、このお父さんには特に強い思いがあるのだろう。何か体験に基づいている気がする。でも良いことだと思う。人間は小さなこと、大きなこと、常に決断をして生きている、生活している。常に選択をしている。決断の連続である。平生にこんなことは考えもしないが、考えると全く不思議なくらいである。
 その決断に、自分の意思を十分反映させるのか、人や周りに迎合するのか、それによって結果は大きく違ってくる場合が多い。特に気持ちの上では大きい。自分の人生はやはり自分のものである。人に責任をかぶせても仕方がないし、負ってもらっても何にもならない。この若いお父さんの教育方針は大切であろう。でも、このよう躾けたからと言って結果はまた別物であることも知っていなければならない。


 


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