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第125号  2014年10月

2014/10/31(Fri) (第2019話) 「怪物」の努力 寺さん MAIL 

 “今年9月で72歳。私自身は認めていないが、他人様から見ればばーさんだ。このばーさんが今年大学院修士を卒業し、続いて博士課程に挑戦中である。
 また、県の施設での自然案内人、幼稚園・小学校での出前環境授業、タイの貧村の学校に図書館を建設寄贈するボランティア活動の企画運営などと、毎日楽しく奔走している。
 老眼鏡なしで新聞を読み、肩、腰、ひざに故障なし。超朝型人間で家事をこなす私を、「病気のデパート」の夫は「怪物」と呼び、子育て中の娘は「宇宙人」と呼ぶ。
 でも私には夫や娘たちに内緒でしていることがある。ラジオ体操を1日2回、暇を見つけては「ふくらはぎもみ」をする。湯船で目の上下左右斜め運動をして視力維持を図り、口げんかで夫に勝つため舌の運動を歯磨き後にする。「猫背」と言われればすぐ通販で背筋ベルトを購入し、1日2〜3回装着している。
 怪物?宇宙人?と言われる裏に涙ぐましい努力があることを夫らは知る由もない。今後も健康維持の努力を重ね、山ほどあるやりたいことを思いきりやって人生を楽しみたい。72歳はまだまだ若いのだから。”(10月8日付け朝日新聞)

 愛知県江南市の主婦・祖父江さん(72)の投稿文です。また凄い人がいたものだ。脱帽もいいところだ。まさに怪物であり、宇宙人だ。学問への意欲、健康への努力、そしてそれを実践するボランティア精神、素晴らしい。そしてその裏では密かな努力がある。当然であろう。山ほどやりたいことがある、と言われるのも凄い。この歳で何がやりたいのだろう。
 唐突な話になるが、最近迷っていたことがある。ボクの地区の市会議員が来年の統一選に出ないという。候補者探しにいろいろな人が努力していたが、この時期になっても見つからない。誰も出ないのはまずい、いっそボクが名乗りあげようか。名乗りあげれば多くの人が安心し、喜ぶだろう。当選でもできれば新たな人生が始まるだろう。大きな挑戦だ、それも面白い。でも生活は大きく変わる。その生活の変化を考えると決断がつかない。そうしている間にボクの同級生が立候補を決めた。これでボクの迷いはなくなったが、大きなチャンスを失った気もする。やはり勇気がない。祖父江さんのような意欲もないし、すべて足許にも及ばない。




2014/10/23(Thu) (第2018話) 感情的書き込み 寺さん MAIL 

 “会員制交流サイト(SNS)やブログなどに書き込みをした結果、それを見た人から嫌がらせをされたり、いじめをうけたり、ブログが炎上したりする事件が後を絶たない。そうしたSNSやブログの書き込みで思うのは、思いついたことをそのまま書いてしまうのではないかということだ。書き込んだ後に「しまった」と思っても後の祭り。ここが怖さだと思う。
 手紙だったら、そんなことはない。昔から「いったん書いたものは一晩置き、翌日に見直してから出せ」といわれるが、実に理にかなっている。一時の感情に駆られながら書いた文章はとげとげしかったり、生々しかったりするから、冷静になってから見直し、それで良ければ手紙として出しなさいという教えだが、これはトラブル回避の方法としても有効なように思う。
 今、子供たちの間でも、言葉をめぐるトラブルが発生しているらしい。感情に任せた書き込みは避けて、時間をかけて言葉を紡いでほしいと思う。”(10月7日付け中日新聞)

 岐阜県八百津町の主婦・細江さん(32)の投稿文です。若い人のSNSやブログがどうなっているかよくは知らないが、来たメールにはすぐに返信しないと嫌われると聞いたことがある。これは間違いの元である。そして、細江さんの提案に全く同感である。ボクも言いたいことである。
 ボクも昔すぐ反応して失敗したことがある。それを反省して書いたものを出すことに時間をおくことにしている。これはもう長いことしつづけている習慣である。それと朝書くことである。書くまでに時間をおくと言うことである。これも気を付けていることである。ボクも結構メールを書くし、この「話・話」のように文も多く書く。夜はどうしても気が高ぶっている。文も高ぶりがちになる。夜書いても朝に出す。出す前にもう一度読み直す。この「話・話」はUPするまでに数回推敲する。ほとんど手が入り、当初よりかなり柔らかい文になる。皆さんにも是非実行して欲しい。




2014/10/21(Tue) (第2017話) 夫婦で読んだ原書 寺さん MAIL 

 “「終わったね」。夫と静かに握手した。ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」の原書を読み始めて、5年半が経っていた。
 夫の定年後、共通の楽しみとして、自称英語好きの夫の主導で始まった英書読み。大学受験の勉強で読み残していたサマセット・モームの短編からスタートした。
 何冊か読んだ後、翻訳本を読んで面白かった「敗北を抱きしめて」にした。しかし、読み始めて後悔した。難しかった。それでもどちらもやめようとは言い出さなかった。幸い、翻訳本がある。これを参照しながら、週1回、2時間。これでは生きているうちに読み切れないと気がついて、2回にした。1回に読むのは1、2ページほど。亀の歩みだった。
 訳し方にお互いの性格が表れる。夫は文法にこだわる。私は「勉強じゃないんだから」と雰囲気で読む。日本の戦後史を米国人に教わるのも面白かった。読了の共通の感想は「これだけ読んでも、ちっとも英語力はつかないね」だった。
 目がしょぼしょぼしてきて辞書を引くのも大変になったが、もう少し続けたいと思う。次の本も決まったし。”(10月6日津朝日新聞)

 埼玉県蓮田市の主婦・六十里さん(69)の投稿文です。夫婦で英語の原書を読み合う、唸ってしまった、こんな夫婦もあるのだ。それも定年後からである。1冊を読むのに5年半かかったという。1冊の本によくこれだけ関わったのも凄い。あきらめても何の不思議もない。お互い言い出さなかった。やはりそんな夫婦なのだ。
 ボクが苦手なものも多いが、特に英語である。中学、高校、大学と学んだのに何の役にも立たない。外国へ盛んに行くが英語では何も話せない。全くの弱点である。
 でもこの文から思い出したことがある。就職してまもない頃、3年先輩の人から原書を読み合うことに誘われた。専門書である。数年続けたと思う。そんな青春もあったのに、全く情けない。




2014/10/19(Sun) (第2016話) 育自中 寺さん MAIL 

 “テレビのトーク番組で、女優の藤田弓子さんが、こんな話をしていた。「私はただ今、育自中なんです。育児ではありません。毎日、ポジィティブ思考を心掛けたり、周りに優しい気遣いをしたり・・・。毎日が勉強なんです」
 とても興味深く話を聞いているうちに私も「これだ!」と思い、即実践することに。定年退職した主人と日々行動を共にしている私。慣れっこになってしまって、優しい言葉を掛けたり、こまやかな気遣いをすることを年とともに忘れかけてしまっている。だから、自分を反省する良いチャンスだと思った。
 育児中、子どもたちに言っていたことを今の自分に当てはめてみれば見事にぴったり。「常に機嫌良くあいさつをする」「食事は楽しく」「人に迷惑を掛けない」・・・。生活の基本的なことばかりだ。行動するたびに自分に問い掛け、育自する。結構楽しいので、その夜、主人にも育自を勧めてみた。すると・・・。
 「君だけ育自してくれれば、わが家は平穏さ」。実に説得力ある言葉だが、主人は面倒くさいと思っているだけなのだろう。誘いを拒否され、ちょっとむっとしてしまったが、その反発心からやる気がますます満ちてきて、ただ今、一人で育自に奮闘中。”(10月3日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・鈴木さん(61)の投稿文です。「育自」いろいろな言葉があるものだ。そして良いことだ。自分のことは一番分かっているつもりだが、実は一番分かっていない。自分のことは自分の都合が良い方に理解する。勝手な理屈もつける。1歩離れて自分を見つめる必要がある。そして、気がついたことを是正していく、自分を磨く、これが育自であろう。これは何歳になっても必要なことである。早い内から周りの人や社会への配慮もしておいた方がいい。高齢になるとこれから人のお世話にならねばならない。その分できる内に周りにしておく。それが自分のためでもある。
 鈴木さんは夫を誘ったら断わられたという。男はこれだからいけない。育自は男こそ必要である。特に家事については主婦のように一人前にこなす人もあろうが、多くは周り任せである。特に奥さんに対してはすぐにも始めた方がいい。
 ボクはタレントのことはほとんど知らない。でも藤田弓子さんには時折お目にかかる。ボクはNHKEテレの「団塊スタイル」と言う番組を毎回録画して見ている。そこによくゲストとして招かれているのである。ひょっとしてしてこの話もそこで聞かれたかも知れない。やはりそんな女優さんであるのだ。




2014/10/17(Fri) (第2015話) ボイスバンク 寺さん MAIL 

 “「ボイスバンクプロジェクト」にボランティアとして参加しました。この事業は、私たちが声を録音し、その声を合成して、喉頭がんや筋萎縮性側索硬化症(ALS)などで声が出なくなった人に、自分の声に近い声で会話してもらおうというものです。
 私は五十種類以上の文章を読み、録音しました。たくさんの声を合成させて作った平均的な声に、声が出なくなる前に録音しておいた本人の声を合成することによって、本人の声に近い声が作り出せるそうです。音声合成システムの技術に驚き、自分の声が役に立つことに感動しました。
 高校生の時に初めて献血をして、何だか世の中の役に立ったようでうれしかった記憶がよみがえってきました。無理をせず、できる範囲で誰かのお手伝いが続けられたら、と思います。まだまだ[声」は必要だそうです。本欄で髪の寄付についても知りました。こういった活動の認知度も上がり、協力の輪が広がることを祈っています。”(9月30日付け中日新聞)

 愛知県大口町のパート・廻さん(女・50)の投稿文です。「ボイスバンク」こんなことがあることを始めて知った。自分の声で話すことができない、それを希望している人がいる。その希望を少しでも叶えようとする技術がある。今の時代いろいろなことができるのだ。そんなボランティアにせいを出している人がある。良い社会だ。
 実はボクの義弟は筋萎縮性側索硬化症(ALS)で苦しんでいる。50歳半ばで発症しもう10年近くになる。まだ声は出るようだが、症状は大分進んでいる。いずれ声も出なくなるのだろうか。かなり消極的になっている。活用できるものは活用し、生を愛おしんで欲しいと思う。




2014/10/15(Wed) (第2014話) 父の生き方 寺さん MAIL 

 “父が逝って半年が経つ。「寒気がする」と言ってから2週間足らず。あっという間のことで、心に空いた穴はまだ塞がらない。体調を崩す直前まで自分のことは何でもこなし、好奇心旺盛でよく学んでいた父。米寿の際に執筆した自分史の原稿は、パソコンで何度も推敲を重ねていた。
 そんな姿を見て育った我が子たちは、祖父である私の父を慕い、しっかりと生きざまを学んでくれた。亡くなる数時間前まで病室で筆談したノートには、「お前たちと暮らせて幸せだった。残りの人生を健康で真摯に、そして楽しくな!」とつづられていた。また苦しい中、病棟スタッフの方々に何度も「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える姿を見せていた。孫たちの心の糧になっている
 お骨上げの時、係員の手を振り払い最後の一片まで泣きながら丁寧に集めていた次男。そばで見守りながら涙を流していた長男。
 お父さん、あなたのお陰でこんなに心の優しい子どもたちの母になれました。空の上から見てくれているお父さんが恥ずかしい思いをしないように、私もしっかりと心豊かに生きていくね。何物にも代えられない遺産をありがとう。”(9月26日付け朝日新聞)

 神奈川県横須賀市の主婦・西ケ谷さん(59)の投稿文です。子供ならまだしも、孫にこれだけ慕われたお父さんは全く素晴らしい。米寿で自分史執筆とあるので、亡くなったのは90歳以上であろう。孫さんは何歳だろう。お母さんの歳から考えて子供ではないだろう。その孫さんが「お骨上げの時、係員の手を振り払い最後の一片まで泣きながら丁寧に集めていた次男。そばで見守りながら涙を流していた長男。」の文には、どのくらい慕われていたか、分かって感激である。こんな人もあるのだ。ボクも全く同じ立場にあるだけに羨ましい。その年までボクにはまだ20年以上あるが、でも孫にはもう今までの姿であろう。男の孫2人は近くにいるので、姿を見せるつもりでやってきた。ウォーキングにも沢山連れて行った。リーダーの立場も見せて来た。農作業や家事の姿も見せてきた。まだ勤めている姿も見せている。でも、西ヶ谷さんのお父さんのように慕われる自信は全くない。でも、あきらめたくない。このお父さん目指して心がけよう。




2014/10/13(Mon) (第2013話) 名月 寺さん MAIL 

 “「月は、じっと見ていると、何だか寂しくなるね」秋の円い月を眺めていたら、母が生前こうつぶやいたことを思い出した。「そう!?」。当時はこう返しただけ。「どうして?」と理由を聞くなど、もう少し母に寄り添えばよかったと思う。なぜあんなことをつぶやいたのか、いろいろ考えてみた。欠けてもまた円くなる月に比べ、だんだん若いころのようにはいかなくなる現実を思ったのか。一緒に住んではいたが、当時は、親孝行はまだずっと先のもので、そんなことさえ思い付かなかった。
 秋のお彼岸がやってきた。車で三十分ほどの所に住む義母から、網戸の修理や買い物などいつも頼りにされている夫に、言ってみた。「親孝行できていいね」すると、夫はさらりとこう応えた。「お母さんも親孝行してるでしょ。今幸せにしているのが親孝行」加えて、小さめの声でこう言いながら笑った。「そのための努力をしているのは、お父さんだけどね」 私は、こう返した。「うん、その通り」”(9月21日付け中日新聞)

 愛知県大府市の介護福祉士・広藤さん(女・48)の投稿文です。9月29日の第2006話に続いて月の話である。やはり月は秋である。太陽と違い、月は暗い中に明るいので際立つ。気候も少し冷えてきて感傷的になる。また月の満ち欠けも人生に例えて感傷的な見方になる。親が子を思う気持ちは、子が親を思う気持ちより何倍も深い。心ある人は早くから親孝行に心がけた方がいい。それが悔いの少ない人生になろう。
 この文で気になるのは、お父さん、お母さんの呼び方である。一読したとき誰のことを言っているのだろうと、スッと理解が行かなかった。やはり夫婦でお父さん、お母さんと呼び合うのは不自然だ。わが家では数年前から止めた。数年たつが、ボクはなかなか慣れない。いろいろな呼び方になるが、お母さんと呼ぶことはなくなった。ただ子供の前では相変わらず、お父さん、お母さんである。子供に向かって話すのだからこれは自然であろう。




2014/10/10(Fri) (第2012話) 「多忙」という言い訳 寺さん MAIL 

 “「自分は多忙だからできない」と、何らかの公共の当番などから逃れようとする言い方をよく耳にする。しかし、この言葉に私は違和感を覚える。多忙なのは誰しも同じではないだろうか。この言い方だと、「他の人は暇だからできる」と言っているように聞こえるのは、私だけだろうか。
 中には本当に多忙な人もいるだろう。そうだとしても、他人にとってはあくまでもその人の自己都合でしかないと思う。他方、時間に余裕のある人は、要領よく物事をこなしているのではないだろうか。
 私は「自分は多忙だ」と堂々と言うことは恥ずかしいことで、他人に対して失礼だと思う。どうしても多忙なのであれば、謙虚な態度で丁重に断るのが礼儀ではないだろうか。”(9月18日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・水野さん(41)の投稿文です。公共の当番というのは、ある意味義務である。その当番を逃れる発言や他に押しつける発言には誰も反発を感じるだろう。特に「私は多忙」という言葉には、有能な人という意味が潜んでいるのではなかろうか。だから、水野さんでなくてもより反感を買うのは当然であろう。「暇」というと無能と思われ、誰も使わない。だから忙しくなくても多忙という人もあろう。考えて見ると全くおかしな世の中だ。「忙」は心が亡いという字だそうだ。「多忙」という言葉をに振り回してはいけない。
 こんなことを書くボクは、実は多忙という言葉を意識して避けてきた。ほとんど使った覚えはない。「忙しそうですね」と言われると「時間をもてあまさない程度にいろいろあります」などとと答えていた。それが事実でもあるが。
 今の時代、役員のなり手がなくて危機存亡にかかっている組織も多かろう。ボクの身近でも全くそうである。なぜそんなにやり手がないのだろう。その一つに、役員への尊敬、感謝の念が薄れていることがあろう。苦労してやって批判される。これでは引き受け手もなくなろう。人に押しつけて非協力的な態度や無関心も改めねばならない。寄ってたかって社会を過ごしにくくしている面がある。




2014/10/08(Wed) (第2011話) 誘致活動 寺さん MAIL 

 “田原市で七日開催された「トライアスロン伊良湖大会」。選手が集う前夜祭の乾杯のあいさつで、嶋津隆文田原市教育長がぶちあげた。「皆さんにいいニュースがあります。田原市が、東京五輪トライアスロン日本代表の事前合宿地に決まりました」
 やや問があって「マジ?」「すごい!」という空気が出始めると教育長はすぐに続けた。「と、何年後かに皆さんに言いたい」。会場が苦笑いに包まれた。
 場の盛り上げと、市が合宿誘致を進めることを知ってもらうための冗談。記者も最初の一言を聞き「これはニュースだ」と反応してしまった。合宿地は二〇一六年のリオデジャネイロ五輪後、競技団体が決める。
 市は過去二十八回の大会実績や海水質の良さ、宿泊施設の充実などをPRするが、アスリート向けのトレーニング設備が不十分だとの指摘もある。誘致活動の行方は未知数だ。
 一方で、市民ボランティアが中心となって大会を運営するなど、旧渥美町地区を中心に「おらが大会」の要素も強い。長年の蓄積による強みだろう。上位に入った男子選手も「こんなに沿道の応援が多い大会はない」。これこそが、他の立候補地にはない魅力に違いない。”(9月18日付け中日新聞)

 「ぺーぱーナイフ」と言う記事欄からです。公式の場での発言は慎重を要する。場を柔らかくするつもりの発言が問題になることも多い。最近は言葉狩りや過剰反応と思われることもある気がする。そういった中、この教育長さんのユーモア、機転に感心する。直接でなく市が合宿誘致を進めていることを知らせることにもなった。応援したくもなろう。
 トライアスロンの大会開催には大変な苦労があるだろう。1種目だけでも大変なのに、水泳、自転車、マラソンの3種目もしなければならない。伊良湖ではもう28回という。知恵も大分蓄積されたろう。ボランティアの数も多かろう。市民の意識も高かろう。是非教育長さんの希望が叶えられるといい。その時には今回の挨拶をどう評価されるだろうか。その言葉も聞きたいものだ。




2014/10/06(Mon) (第2010話) とびきりの笑顔で 寺さん MAIL 

 “「おはよう、大変だけど今日も頑張ってな」。夫の声に《守られている》という幸せを感じながら一日が始まります。と言っても、私は家事をすることができません。昨年、脳出血で倒れ、右半身が不白由になってしまったからです。そこで家事は夫にお願いし、私はリハビリに励んでいます。
 「気にするなよ。どっちがなっても助け合っていくんだよ。一人じゃない。二人で支え合っていくんだ。それより、この状態で今までのように楽しく生活していくにはどうすればいいか、だ」
 手間をかけて食事を作ってくれるのに「悪いなぁ。百パーセントできなくて」と言う夫。謝るのは私の方なのに、いつも温かい言葉をかけてくれます。《何か手伝わなければ・・・。でも、今の私に何ができるのか・・・》と思うと気が焦ります。
 そんな時、娘の由華子からもらった手紙に書かれていた言葉を、ふと思い出しました。「お母さんの誰にも負けない元気な笑顔が見たい」。何か急にうれしくなりました。《そう、心は元気だもの》
 退院してから間もなく一年。笑顔で、しかもとびきりの笑顔で夫に感謝しながらリハビリに励んでいく決意です。たとえ道がどんなに遠くても・・・。”(9月18日付け中日新聞)

 静岡県磐田市の伊藤さん(女・64)の投稿文です。前回に続いて闘病の話です。今回は前回と逆に、夫が妻を面倒見る話です。男には慣れない介護や料理をしながら、妻にこれだけ優しくなれるだろうか。その時になってみなければ分からないが、今のボクにその自信はない。一朝一夕に出来ることではない。夫婦の長い歴史がものを言う。こういう文を読みながら、その心構えを作っておくことだろう。
 そして、介護する方ばかりでなく、介護される方でも心構えは必要であろう。伊藤さんのように、卑屈のならず、感謝の笑顔も大切である。渋い顔ばかりしていては良いことにはならない。明るい顔をしていれば介護する方もやり甲斐がある。来たものは淡々と受け入れ、お互いに良かれと思うことをする。
 先日、健康上の問題がなく日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」が発表されていた。2013年は男性が71・19歳、女性が74・21歳だったという。「エエッ!?」びっくりした。ボクにはもう2年しかない。




2014/10/04(Sat) (第2009話) 絵手紙がつないだ 寺さん MAIL 

“脳梗塞を患った父は晩年、出来ることが日々減りました。自宅で介護をしていた母はそんな父に絵手統を描くことを勧めました。絵筆など握ったこともなかった父は、離れて暮らす孫娘に宛てて、季節の花や野菜、身の回りの物を題材に1日1枚描き上げ、投函することが仕事になりました。私は郵便受けにはがきを見つけると、今日も無事に過ごしてくれたなと安心し、はがきを話題に電話での会話も弾みました。
 そのうち、父が描いた絵手紙の中から秀作を抜粋して本にしようと夫が提案しました。夫がパソコンに取り込んで印刷し、娘と私でそれを製本しました。はがきサイズの小さな本でしたが、それを手渡したときの父のうれしそうな顔が今でも忘れられません。友人や親戚にも送り、その反響も父には大変な励みになったようです。
 不自由な体に文句を言わず頑張る父と、その最期の日々を自宅介護という大変な重労働で支えた母、それを遠くから見守るしかなかった娘の様々な思いがこの本に詰まっています。老いることの悲しさ、でもその中にも確実に楽しみを見つけられることを私は2人から学びました。”(9月18日付け朝日新聞)

 東京都の主婦・津田さん(55)の投稿文です。老後、それも健康でなくなったときの話は興味をひく。それはもうこの歳になるといつそれが訪れるかも知れないからである。ぽっくり逝けない限り、思うように体が動かなくなっても生きていく期間が来るのは、今の時代必然である。体が不自由になるか、認知症になるか、避けられない。健康な今と全く違う生活になるのだ、それを覚悟していた方がいい。
 津田さんの話は非常に良い、麗しい。絵手紙など書いたこともない夫に、孫宛に書くことを勧め、それに頑張って従う夫。その成果をまとめ上げる家族。家族揃って知恵を出している。こんなこともできるのだ。不自由になった体を嘆くばかりではいけない。なぜ自分がこんな身にならねばならないかと恨むばかりではいけない。世の中にはいろいろな人がある。上を見ても切りはないし、下を見ても切りはない。いろいろ知って上手に対応すべきであろう。
 最近妻との話もこんな話が多くなった。「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。




2014/10/02(Thu) (第2008話) 短歌に救われて 寺さん MAIL 

 “短歌を始めて10年がたった。最初、近所の方から短歌サークルのお誘いを受けた時は2度お断りした。根気よく声をかけていただき3度目で入ったのだった。
 学校でもつくった記憶はなく、生まれて初めての短歌だった。31文字に整えるのは難しい。2度お断りしたのは「無理じゃないの」という心の声だったと思う。それでも10年続けられたのは、表現する喜びや会の皆さんとの出会い、暮らしに歌の芽を探す楽しさが加わったからだろう。(中略)
 先輩の皆さんは、「短歌に救われてきた」と言われる。曲折を経て30年、50年余りも詠み続けてこられた方たちの言葉である。だからとても深く響く。そして、私もその意味がほんの少しわかりかけてきた。短歌は、心を潤すものであると同時に、私にとっても心を救ってくれるものである。”(9月15日付け朝日新聞)

 北海道恵庭市のパート・五十嵐さん(女・64)の投稿文です。短歌の誘いを受け、3度目にやっと決心し、そして10年、短歌に救われたと言えるまでになった。良かった。これは何も短歌に限ることでは無い。俳句でも川柳でも、いや、文芸に限らなくても、スポーツでも手芸でも何事でこのように「救われた」と言えることがあるか分からないだろう。五十嵐さんは3度誘われたことが幸いであった。これが普通は1回で終わるのである。誘う方も1回断られればそれ以上は迷惑だろう、ともう言わないのが普通である。
 何事もきっかけは些細なことが多い。ちょっと面白半分に行ってみたらそのまま始めてしまった、などと言うことも多い。興味を持って出かけたなどと言う場合でも、興味を持つまでにきっかけがあり、そのきっかけは大したことがない場合が多い。そしてそのきっかけは至る所にある。毎日のように目の前に転がってくる。ただそれに手を出すまでの興味を示さないだけのことである。ボクなど川柳を始めて30年、ウォーキングも20年、そのきっかけや些細なことである。ボクは体験者である。


 


川柳&ウォーク