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第123号  2014年8月

2014/08/29(Fri) (第1992話) 父との1冊 寺さん MAIL 

 “私は子どものころ、父から「本を読め」「勉強をしろ」などと言われた記憶が一度もない。そんな父だったが出張帰りのお土産は、なぜかいつも一冊の本だった。「十五少年漂流記」「宝島」「三銃士」・・・。どの本も小学生だった私を冒険の世界に誘い、夢中にさせた。
 書店で息子への一冊をどのような思いで選んだのか。父の読書観を今や知る由もない。だが、振り返ると父との間で唯一共通の一冊に思い当たる。それは五味川純平の「人間の条件」。仕事の専門書が並ぶ父の本棚にそれを見つけた高校生の私は当初、主人公梶と美千子の恋物語と思い読み始めたのだが、戦時下の満州で過酷な運命に翻弄されながらも誠実に生き抜いた梶の姿に、最終章では思わず涙していた。
 父は海軍を志願し、小豆島の特殊潜航艇基地で終戦を迎えている。出撃していれば今の私はない。生前、父は戦争体験の多くを語らず、「人間の条件」の読後の感想を父と語り合うこともなかった。大正生まれの少し取っつきにくい父でもあった。
 ちなみに、私から息子への一冊は、ジュール・ベルヌの「海底二万海里」だった。”(8月5日付け中日新聞)

 名古屋市の会社員・小松さん(男・62)の投稿文です。父親のみやげはいつも1冊の本だった、良いみやげだ。父親の一つの信念があったのだろう。子供もそれを嬉しく受け入れた。語らずとも、良い親子関係である。そしてまた、父親の書棚から1冊の本を抜き出し読んだ。それが、父親との共通の1冊になった。しかし、親子は何も語ることはなかった。
 先々回、親子新聞の話を取り上げた。親子はなかなか本音で語ることや感謝の気持ちを伝えることをしない。親が子を思い、子もそれを十分に受け入れている小松さんの家族でさえそうである。親子だから話さなくてもわかり合える、と言うこともあろうが、親子だからの誤解もまちがいもある。小松さん親子もこの本について語ったら、もっと大きな価値を生んだだろう。ボクの親子も似たり寄ったり、もっと真剣に考えねばならないと思う。その解決方法として、親子新聞は実に良い。




2014/08/27(Wed) (第1991話) ラジオ体操の日 寺さん MAIL 

 “春日井市鷹来町の市総合体育館で三日、ラジオ体操会があり、市民八百人が大きく手を広げるなどして体操に取り組んだ。
 市は本年度、八月の第一日曜をラジオ体操の日に制定。まず県ラジオ体操連盟理事の小竹亜弥さんのピアノ伴奏で、全国ラジオ体操連盟の指導士丸山洋生さんによる体操指導があり、丸山さんは「しっかり胸を張って」「体を伸ばす」などとポイントを解説した。
 参加者はグラウンドいっぱいに広がり、第一、第二体操のリズムに合わせて体を動かし、心地よい汗を流した。同市山王小六年の川村美玖さん(11)は「朝から体を動かせて気持ち良かった」と話していた。”(8月4日付け中日新聞)

 記事からです。「ラジオ体操の日」を検索してみたらこの春日井市しか出て来なかった。もっとあるだろうと思っていたが、意外である。春日井市の良い着眼であった。
 ラジオ体操についてはもう何度も取り上げている。ボクもほぼ毎朝するようになって7年たつ。その効用についても紹介してきたと思うが、ボクは全く自分自身で実感してきたからラジオ体操の信奉者である。昨年から地元のお寺さんで開かれる夏休みのラジオ体操に孫と参加している。今年は8月10日で終わったが、出かけられる日は毎回出かけた。毎日やっていることなので苦にならない。多くの人とやるのもいい。
 やっていてまた別なことを思い着いた。これを老人会でやったらどうだろう。今我が地区の老人会は危機的な状況にある。何が一番の原因か、魅力がないからである。行事らしい行事がないからである。週1回からでも月1回からでもでいい。賛同する人から始める。先日ある人に提案しておいた。やるなら協力するとも伝えておいた。




2014/08/25(Mon) (第1990話) 家族新聞 寺さん MAIL 

 “家族新聞を作り始めてから30年になった。家族の絆を強めたいという思いで提案したところ、翌日、当時小学6年生の長女が早速A3判で第1号をまとめてくれた。新聞名は小学3年生の長男がつけた「けらけら新聞」。いつも笑いが絶えないようにという意味を込めたそうだ。
 作成は長女と長男が主に担ってくれた。毎月発行していたが、長女や長男の受験などで中断することもあった。17年前、長女が結婚する時に結婚を祝う新聞を作成したことを機に、夫婦で毎月の発行を再開することにした。現在220号までになった。
 口で言うのは照れくさいことも、紙面を通して喜んでいることを伝えた。家族に関わる日々の出来事を記憶だけではなく、記録として残すことは貴重なことだと思っている。友人や知人にも家族新聞の意義を説明し、勧めてみるものの、長続きしないと聞く。継続するのが難しいようだ。
 300号の達成を目指しているが、早くても6、7年かかりそうだ。家族新聞は独りでは作れない。達成を目指して、夫婦、家族が元気で仲良くいることを大切にしたい。”(8月3日付け朝日新聞)

 横浜市の斎藤さん(男・72)の投稿文です。良いと分かってもこれはなかなかできないことである。一人でできることは比較的たやすい。しかし、この家族新聞は家族皆がその気になり、協力しなければならない。文を書くのである。苦手な人も多い。それを編集しなければならない。更に大変である。斎藤さんの場合、子どもさんから始まったのが良いかもしれない。良いことを子どもが一生懸命になれば、大人は協力せざるを得ない。
 親子と言ってもなかなか本音で語ることはない。ボクも子どもや孫たちに、これまでの人生経験やそこで得た知恵など伝えたやりたいといつも思っているが、そんな雰囲気の時はなかなか見つからない。聞いても来ない。鬱陶しく思われるのが嫌で語らない。子どもが親のことをもっと聞いておけばよかったという話はよくあるが、それはもう取り返しがつかないときである。何とかしたいと思いながら時は過ぎていく。この親子新聞があったらスムーズに行くだろう。本当に何とかしたく思う。




2014/08/22(Fri) (第1989話) 人に恵まれた 寺さん MAIL 

 “「あなたは運が良い方ですか? それとも悪い方ですか?」と問われ、迷わず「良い方です」と答えた。就活で企業のエントリーシートの中で聞かれた項目の一つだ。    二十二年と数力月という人生の三分の一にも満たないであろう短い年月でも、関わってきた人たちは確かに多く、また人に恵まれていると感じていたからだ。親や友人はもちろん、小中高の担任の先生方は私にとってとても大きな存在だった。「やればできる」が口癖の先生、生徒のことをよく見ておられた先生、良いことをしたときは心からほめ、悪いことをしたときは厳しくしかってくださった先生、相談事をすべて聞き入れ受け止めてくださった先生−。数え切れない。
 人との出会いは貴重な財産であり、現在の私自身の土台といっていい。果たして私は周囲の人たちに良い影響を与えることができているだろうか。そうでありたい。”(8月4日付け中日新聞)

 愛知県大口町の大学生・鈴木さん(女・22)の投稿文です。22歳にして「人に恵まれた」、こう言い切る鈴木さんは実に良い。今まで教えを受けた先生方をこれだけ尊敬して語れることは実に幸運である。疎ましく思う先生もあったろう。その先生方も受け入れる度量が鈴木さんにはあった。
 何事にも「恵まれている」と言える人は実にいい、好感も持てる。「恵まれている」と言える人は感謝の気持ちが表れてくるが、「悪い」と思っている人は愚痴も出てくる。まして、就職試験で「運が悪い」という人よりは「恵まれた」と言う人を採るであろうし、採用されたければ「運がいい」と答えるだろう。本当にこれだけの設問であったろうか。ボクの読みが足りないのだろうか。
 ちなみにボクは最上位に恵まれた人生と思っている。本当にありがたいことである。先日は子どもたちが古稀の祝いをしてくれた。




2014/08/20(Wed) (第1988話) 初夏の電話 寺さん MAIL 

 “「今年もシソを分けてくださいな。あんたとこのシソにほれてしまってなぁ」。梅漬けの時季になると、赤シソの注文の電話が入ります。うちのシソを、こんなふうに思ってくださる方がみえるのです。
 主人と二人で勤めの合間に野菜作りをしています。家で使うには少し多いので、近くの産直市場に出荷しています。《ガソリン代と種代がとれたかなぁ》ぐらいの出荷量ですが、作る楽しみと売れる楽しみを同時に味わっています。
 毎年お電話をくださるこの方には、配達をしています。笑顔で迎えてくださり「私は八十を過ぎてるんやよ。娘も梅漬けは喜んで持っていくし、十キロは潰けるんやよ」などと話してくださいます。
 凛とした方で、玄関にはすてきな手作りの小物が飾られており、私にも袋などをくださいました。野菜作りが縁でこんな出会いがあることに感激しました。でも、今年は電話が来ませんでした。実は、その方は二月に亡くなられていたのです。(後略)”(8月3日付け中日新聞)

 岐阜県高山市のパート・三辻さん(女・64)の投稿文です。シソ(紫蘇)に惚れる、こんなことがあるのだろうか。シソにそんな違いがあるのだろうか。野菜は同じように見えても風味に大きな違いがあることは、ボクも作っているのだからよく分かる。野菜は天候、地味などに大きく影響されるので、毎年同じようにやっても同じものはできない。でも努力や知恵によっては同じようなものはできる。上手な人は状況がどう違っても上手に作る。ボクは全く運任せだ。
 シソはボクも作っている。シソにそんなに違いがあるのだろうか。シソは他の野菜に比べれば違いは少ないように思う。三辻さんのシソに惚れた人は、実は三辻さんに惚れたのではなかろうか。いい訳ではなかろうか。でもいずれにしろ良い関係である。こうした人間関係も持てるのは良い。




2014/08/18(Mon) (第1987話) 非常食贈る 寺さん MAIL 

 “先日、いつも俳句の会で席を並べている80代の友人が、突然欠席した。腰椎を骨折したそうだ。さっそく電話したら、ようやく退院したとのこと。胸から腰までカメのようにコルセットをはめられて動くのも大儀らしい。一人暮らしで食事作りが悩みの種だという。
 私はさっそく近くのスーパーに行って、レトルトのご飯やおかゆ、ふりかけ、みそ汁、煮物、スープ、シチューなどをあれこれ選んだ。どれも電子レンジでチンしたり、ちょっと火にかけたりすればすぐに食べられる。段ボール箱に詰め合わせ、お見舞いの手紙を添え、宅配便で送った。
 もう12年前になるが、私も10カ月入院した。骨折や病気はひとごとではない。だから、入院中や退院後に何が役に立つか、身をもって分かる。決まり切った果物かごやお花などより、すぐに役立つお見舞いが届けば、きっとうれしいに違いない。実は、この非常食宅配便、ほかの友人たちにも退院祝いとしてよく贈っている。意外と好評で、みんな喜んでくれる。翌日、友人からすぐにお礼の電話がきた。「今日から助かります」と。喜ばれると、私もやはりうれしくなった。”(7月31日付け朝日新聞)

 東京都の牧野さん(女・69)の投稿文です。体験をした人が知る知恵である。一人暮らしや主婦の場合は退院した翌日から家事が待っている。買い物にも行かなくてはならない。この非常食はそれを助けてくれる。事情をよく知った間柄なら何も形式張ることはない。果物かごや花が悪いとは思わないが、あまり喜ばない人があるのも事実であろう。果物などは重なれば結局人に渡る。また病人ではしょせん食べられない。花と無縁な人も病人になって突然花であれば、病気を意識するばかりである。何事にも状況を配慮した対応が肝心である。牧野さんの知恵も覚えておきたい知恵である。




2014/08/15(Fri) (第1986話) ドライバーにおじぎ 寺さん MAIL 

 “岐阜県郡上市内を妻とドライブしていて、心が温まる光景に遭遇しました。信号機のない横断歩道での出来事です。女子高生が横断歩道を渡ろうと待っていました。その道路は車が多く、なかなか渡ることができないようでした。私が停止すると、反対車線の自動車も停止し、女子高生は軽く会釈をして横断歩道を渡りました。
 ここまでは、よく見かける光景です。渡りきった女子高生は、こちらを振り返って私たちドライバーにおじぎをし、感謝の意を表したのです。
 今どきの子どもは、とか今どきの若者はとか言われる昨今、このように素直に感謝を相手に伝えることができる若者に会い、晴れやかな気持ちになりました。
 学校での教育の成果か、家庭環境により自然に出た行動かは分かりませんが、この優しい心をいつまでも持って成長してもらえればと思いながら横断歩道を後にしました。”(7月28日付け中日新聞)

 愛知県一宮市の石原さん(男・74)の投稿文です。振り返って会釈をする、これはなかなか見ない光景である。どこで躾けられたのであろうか。ボクが特に感心するのは、この人が高校生であることである。小学生までなら躾であり得ることである。でも、中高生となると、今までの躾や学びはどこに行ったかと言うことが多い。反抗期があって、こういった道徳的なことはほとんど忘れられる。電車内や街中を見てみよ、周りに無頓着な行動がいかに多いか。携帯電話やスマートフォンの類いができて一層悪くなった気がする。そういった社会世相の中で、もう何も急ぐ必要のないオジンやオバンはいい手本を示すべきではなかろうか。車内でゲームなどをする必要は全くない。ゆったりと周りを眺め、気を配るべきではなかろうか。ましてこの女高生に恥ずかしい態度を取ってはならない。




2014/08/13(Wed) (第1985話) 車間空け 寺さん MAIL 

 “私は車の運転免許を取得して五十年近くになる。この間に三、四回追突された。一度は信号待ちで片側二車線の国道の中央分離帯寄りに止まっていた時で、前に六、七台いた。右カーブの緩い下り坂になっていて、分離帯に植栽があったため、見通しが悪かったのも一因と思われる。
 私は日ごろから、運転中に止まるときは前の車との距離を三、四メートル空け、ブレーーキを強く踏み続けるよう心掛けている。そのおかげで自分から追突することはなく、追突されても多重事故にはならずに済んだ。
 交差点や踏切の最前列で停止するときも、前の距離を空けている。その方が、交差点で追突されても、横断歩道を渡る歩行者を巻き込む可能性が少なくなり、踏切で追突されても電車と衝突しにくくなると思う。
 車間距離を空けて止まると、すぐ後ろに止まる車も距離を空けて止まる車が多いように思えるから不思議である。また、前の車とほとんど同時に発進でき、渋滞緩和に役立つ気もする。”(7月24日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の森下さん(男・72)の投稿文です。ボクは昔から森下さんの言われる行動の実践者である。止まっているときも走っているときも一般より車間距離は長いと思う。お陰でいつも割り込まれている。またいつも停止線より大分前で止まる。停止線ぎりぎりで止まると、大型の右折車が回りきれないことが結構あり、余分な苦労をすることがある。車のことは何が起こるか分からない。森下さんも追突はされている。見込み以外のことも往々にして起こる。注意だけでは逃れきれないことがある。その中で危険を減らせる主要なことはスピードを落とし、車間距離を取ることである。少しばかり急いでも実際の生活に何の効果もない。
 ボクは安全運転というより、空けないと怖いというのが実際である。またボクは車の運転は下手だと思っている。でもこれは安全に大いに役立っている。運転を始めて30年以上立つが、車を傷つけることはあったが、人身事故はない。交通違反で捕まってこともない。でもこれからは更に要注意である。下手な上に高齢でますます下手になる。




2014/08/11(Mon) (第1984話) 古い仲間と再会 寺さん MAIL 

 “病弱のため、定年前に退職して三十二年がたちました。元の職場の方を含め、年賀状の交換だけの友人も多いのですが、近況を添え書きした賀状を受け取ることが増えてきました。お互いに後期高齢者に仲間入りし、残り少ない人生で年賀状の交換もあと何年も続かないでしょう。共通の話題で楽しい時間をつくるのは、認知症の予防にもよさそうです。そこで、今年の年賀状に添え書きしてあった友人に対し、「今年こそお会いしたい。万障繰り合わせて出掛ける」などと印刷した暑中見舞いのはがきを六月末に送り、積極的に再会の機会をつくるよう働きかけてみました。
 すると、これまでに七組十三人と再会の約束ができました。短期間にこんなにたくさんの方々と旧交を温める機会ができたのが、うれしいです。再会の日に話す材料を集めるために日記を読み返すことなどが日課となり、とても充実した日々を送っています。”(7月24日付け中日新聞)

 名古屋市の長屋さん(男・88)の投稿文です。ここにも良い知恵があった。年賀状で気がありそうな人に、暑中見舞いを出す。その中に会いたい旨を書く。皆同じような境遇である。今の状態に寂しく思っている人も多かろうし、長屋さんのように懐かしい友人に会いたいと思っている人も多かろう。ただそう思いながらも自分からは動かない、誘われればホイホイ出かける人も多い。長屋さんは行動された。その結果、短期間に13人もの方と会う約束ができた。仲間に長屋さんのような方がいるかどうかによって、そのつながりは大きく違ってくる。同窓会などする学年は毎年のように行い、しない学年は全く行わない。ボクの仲間ではボクが長屋さんの役目を負っている部分がある。小学校は隔年、中学校は毎年同窓会を開いている。職場の同期退職者の会もボクが退職後ズッと世話人をやっており、もう25回を重ねている。長屋さんは88歳、ボクはまだ70歳前。もう少し立ったら、合わない知人巡りもしてみたいものだ。長屋さんの知恵を忘れないようにしたい。




2014/08/09(Sat) (第1983話) 食べ残し減らす 寺さん MAIL 

 “長野県が「宴会食べきりキャンペーン」を実施していることを広報誌で知りました。食べ残しを減らす県民運動の一つで、宴会の席でお酌をする前にしっかり食べて、食べ残しを減らそうという呼びかけです。
 私が働く結婚式場でも、団体のお客さんが暑気払いなどで来館する時季で、一考する機会になりました。折しも、先日利用していただいた団体の幹事さんが、最初の三十分は座席を立たないで料理を召し上がるよう呼びかけられ、飲み物も空になってから次の栓を抜くようにと指示されて宴会が始まりました。参加者もそれを素直に受け入れて、私も共感を持ちました。
 家庭や飲食店などから出る食品廃棄物は、全国で年間約千七百万トンに上るそうです。飲食関係に携わる私たちも、利用者の方々から料理の好みなどを聞く機会を設けて、少しでも食品のロスを防げるよう工夫して料理を提供していきたいと思います。”(7月24日付け中日新聞)

 長野県飯田市の会社員・鎌倉さん(男・60)の投稿文です。続いて食糧の問題である。「宴会食べきりキャンペーン」なるものを初めて知った。宴会の食べ残しは凄い。酒が出る席では料理の要らない人も多いのではなかろうか。それなのに普通より料理の量が多い。ボクは食べないと飲めないのでほとんど食べてしまうし、残すのは料理を作ってもらった人に申し訳ない、失礼と言う気がして食べてしまう。さてこのキャンペーンであるが、面白いが、何かおかしい気もする。食べ物を粗末にしないと言うことの方策であろうが、何も無理して食べる必要はないのではないか。まして無理して食べて肥満になったりダイエットをするようでは本末転倒である。必要な量、適当な量を注文する方が本筋である。バイキングというのは自分に合った量を食べられるので問題解決の気がするが、ところがこれがまた問題である。食べなきゃ損と食べ過ぎてしまうのである。人間とは全く卑しくできている。店で注文するときのように、注文しただけ代金を払うようにすればかなりの解決になると思うが、少しでも売りたい側にすればまた問題があろう。鎌倉さんが言われるように「飲食関係に携わる私たちも、利用者の方々から料理の好みなどを聞く機会を設けて、少しでも食品のロスを防げるよう工夫して料理を提供していきたい」をして欲しいものです。




2014/08/07(Thu) (第1982話) ウナギ 寺さん MAIL 

 “ニホンウナギが絶滅危惧種に指定され、食べられる量に限りがあると警告された。土用の丑を前にして、ウナギを食べることにいささかためらいを感じる。古来、私たちは夏の時季だけウナギを食べて、暑い夏を乗り切るうとする習慣があった。ところが近年、安価なウナギが一年中食べられるようになった結果、大量消費を招き、絶滅の危険が高まっている。ウナギが消えないようにするには、私たちは大量に食する時代が去ったことを認識しなければならないようだ。
 私は今まで、マグロ、ウナギなどが厳しい環境下にあることを知らずに食していた。スーパーの売り場に並ぶ魚介類が有限であることを再認識するとともに、これからは魚種を慎重に選びたいと思う。食べ物を慈しみ、それに感謝する。そして食する喜びを忘れないよう心掛けたい。暑い夏の間くらいは、これからもウナギが食べられるよう願いたい。”(7月22日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の太田さん(男・74)の投稿文です。ウナギもマグロも日本人の大好物である。共に世界の消費量の中でも大きなウェイトを占めている。生息数が激減したのは日本人のせいと言われても仕方がないようだ。完全養殖の話も出てきているようだが、今のところ養殖と言っても稚魚や卵は自然のものの捕獲である。いろいろ言ってみても日本人は飽食であり美食である。テレビ番組の食べ物の話の割合はどんなものだろう。そして多くを輸入に頼っている。輸入に頼りながら廃棄物にしている量も膨大である。日本の食糧問題は知れば知るほど裾野は広く大きいことを知る。本当はもっと節約、質素にならねばならない。たまに節約の話がでるが、すると一方ではもう経済の問題になり、消費拡大の話をしている。ボクの少し偏見かも知れないが、経済が縮む話の前ではすべての問題は吹っ飛んでいく気がしている。「政治家、政府に何を望むか」というアンケートになるといつでも一番は経済問題である。日本も世界も経済拡大がすべてに優先する。




2014/08/04(Mon) (第1981話) 店員の心遣い 寺さん MAIL 

 “今にも降りだしそうな空模様。私は折り畳み傘をバッグに入れて、ドラッグストアヘ買い物に出かけた。買い物を済ませ、ふと外を見ると、どしゃ降りになっていた。白い水しぶきが上がり、視界も悪かった。
 十分も待てばやむと思い、店を出なかった。近くには年配の女性がいて、手押し車にトイレットペーパーなどの買い物が山積みだった。今店を出たらずぶぬれになるので、もう少し待ちましょうかと、どちらからともなく話しかけた。
 すると、店員さんが二本のビニール傘を持ってきて、「どうぞお使いください」と差し出された。私は折り畳み傘を持っていることを伝え、謝意を述べて辞退した。年配の人はうれしそうに傘を借りていた。「傘は近くに来た時に返していただければいいです」と店員さんは言われた。
 雨がやみ、店を出た。店員さんの心遣いで梅雨の不快さが吹き飛び、すがすがしい気持ちになった。(7月22日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・高木さん(60)の投稿文です。雨宿りしている二人に、店員さんが傘を貸す親切な対応に感激した話である。ありそうでなかなかない話である。小さな親切がいろいろなところで見られるのは嬉しい。こういう話が聞けるのも楽しい。
 同じ方向に歩いている。雨の中を濡れたままに歩く人や小走りに走っていく人がいる。自分は傘を差して悠々と歩いている。「傘に入りませんか?」となぜ声がかけられないのだろう。ボクは最寄り駅から駐車場まで数分であるが歩く。この間でこういう場面によく出合う。濡れている人も少しの間であるが、ここは思い切って声をかけねば・・・人間性を試されている気がする。




2014/08/02(Sat) (第1980話) オジンな自分を楽しむ 寺さん MAIL 

 “今年に入り、左肩に違和感を覚え、次第に痛くなり左腕が上がらなくなってきた。四月に誕生日を迎えた途端に五十肩になってしまった。連動するようにけんしょう炎になるわ、目はかすむわ、毛は抜けるわと、老化まっしぐらである。
 うどんやそばが一気にすすれなくなり、立つときにも座るときにも無意識に「どっこいしょ」と言い、何もない所で蹴つまずく。そのたびに自分の老化ぶりに大笑いしている。 中学生の頃、当時五十歳の教頭先生を「オトナだなあ。でもオジンだな」と思っていたけれど、いざ自分が五十歳になってみると、オトナどころか感性や感覚は中学生だったころと何ら変わらないのである。オジンなのは事実だが。
 時の流れの速さを痛感する。若い人は「まだ若いから」と悠長に構えないで、やりたいことにどんどん挑戦してほしい。ある程度年を取った人は、自分の老化ぶりを楽しみましょう。”(7月22日付け中日新聞)

 愛知県江南市の自営業・石黒さん(男・50)の投稿文です。何歳の方の文かと思えば、何と50歳である。50歳はボクにはもう古いことになりよく覚えていないが、考えて見ればその時にはやはりこのようであった気がする。50肩にもなった。毛は抜けなかったが真っ白になってきた。人の名前が出て来なくて、これで定年まで勤まるかと不安に思ったことはよく覚えている。多分老眼も始まり、近眼レンズを変え始めていたと思う。
 でも今石黒さんの文を読むと、50歳で何を軟弱なことを言っているのだ、と思ったのも事実である。何がそう思わせるのか。先にも書いたようにボクも例外ではなかったはずである。多分この20年に、少しずつ老化をしてきたが、大きな変化はなかった。そして、今も大きな不都合はなく元気を保っている。それが20歳も若いのにと思ってしまったのかも知れない。50歳はいろいろ不都合を感じてきたと言えども、勤め人であればこれから責任も大きくなる。人生真っ盛りになってくる。そこを越えて平穏な人生に入って来るのである。石黒さんは「自分の老化ぶりを楽しみましょう」と余裕があるから大丈夫だろう。オジンを楽しみながら本当のオジンになっていけるでしょう。


 


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