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第120号  2014年5月

2014/05/31(Sat) (第1949話) 時間を気にせず 寺さん MAIL 

 “腕時計を外して、20年になる。定年退職してから仕事の締め切りがなくなり、拘束時間から解放されたからだ。会合があれば、遅れずに出席する。これは、変わらない。時間が知りたければ、すれ違う人に尋ねてもいいし、コンビニをのぞいても分かる。時計を持たない不自由は、全くない。
 これまでの人生のほとんどを、時間に縛られて暮らしてきた。会社には遅れてはいけないと思い込まされ、仕事後の酒は、終電を気にしながら飲んでいた。
 時間を発見した人間が時計を発明したのに、時間にがんじがらめになっている。それが人間社会だ、と言えばそれまでだが、自縄自縛もいいところだ。
 生存競争の激しい花や鳥、象やミミズにしたって、自らの「生物時計」で、自由に生きている。私は無意識で、彼らに近づこうとしたのかもしれない。
 今は、酔っぱらって午後7時には寝ている。夜更かししても、目が覚めるまでは起きない。用件のない日は、朝からでも酒を飲む。
 腕時計を外して変わったのは、何よりも気持ちが軽くなったこと。1日が50時間にもなったみたいだ。健康寿命が延びたかな。”(5月11日付け朝日新聞)

 北海道北広島市の文化教室講師・大久保さん(男・80)の投稿文です。時間を気にしない、腕時計を離す。考えたこともない。腕時計を忘れたとき、そのことを忘れて習慣で何気なく見てしまう。その回数の多いことにびっくりする。平生そんなにも見ているのだ。そんな腕時計を離す。大久保さんは退職されたとき、そのような生活に入られた。そして、時間を気にしない生活を満喫されている。確かに腕時計がなくても、その気になれば時間を知る方法はいくらでもある。何気なくではなく、その気になると言うことが必要かも知れない。
 退職して大久保さんは全く気ままな生活を望まれた。ボクは退職してもそのままの生活を望んでいる。今までと同じように起き、同じように寝る。果たしてどちらがいいのだろうか。




2014/05/22(Thu) (第1948話) 自信胸に 寺さん MAIL 

 “私は高校に入り、数々の資格を取ったり、検定に挑戦したりしてきました。その中でも最も難しいと感じたのは、「普通旋盤作業三級」です。
 今まで旋盤のように大きく、危険な機械に触れたことがなく、旋盤がとてもデリケートな機械ということもあって、最初はとても怖く、おそるおそる慎重に扱っていました。
 しかし、回数を重ねるたびに、あることに気がつきました。それは、一つ一つの作業を自信を持ってする方がいいということです。自信がないまま作業をすると、何か大きなけがにつながるおそれがあります。逆に自信を持ち、胸を張ってやれば、スムーズに作業をすることができます。
 私はこのような気持ちを常に意識することで、合格することができました。これからも、さまざまなことに自信を持ってチャレンジしようと思います。”(5月8日付け中日新聞)

 岐阜県関市の高校生・松田さん(男・16)の投稿文です。いろいろな資格を取っておくことは非常にいい。資格時代とも言われる。資格がなくてはまず始められない。資格を取るにはまず意欲、勉強が必要である。取れば自信になり、そして実際に役立つ。松田さんは更に良いことを発見された。自信を持ってチャレンジすることが必要であるという。
 ボクは技術職ながらほとんど資格を持っていない。その時、必要がなかったからである。必要がなくても取れるときにとっておくべきだった。悔いである。
 この新聞がボクのところに届いたとき、この投稿文の「作業を自信を持ってする」部分にマーカー印がつけてあった。聞いてみると娘婿が印をつけ、それは中2の孫に見せるためだったという。婿はこうして孫を指導しているのであろう。感心した。




2014/05/20(Tue) (第1947話) コンビニコーヒー 寺さん MAIL 

 “最近、コンビニでも香り高い、ひきたてが売りのコーヒーがある。独身時代、仕事でつらいことがあると、上司や同僚と飲みに出かけて気分転換していたが、結婚し子どもが生まれればそうもいかない。気分転換をしたくても、やんちゃな娘と体調が良いわけではない母が家で待っていると思うと喫茶店に寄るわけにもいかない。でも、コンビニなら「買い物ついで」で許されそうな気がする。
 店員さんに「いらっしゃいませ」と声をかけられるだけでもほっとするし、コーヒーマシンから香りが漂ってくるのも、うれしい。店頭で、コーヒーを飲みながら仕事の頭を切り替え、子どもたちのことを考える。「学校で何かあったかな」、「最近忘れ物はしていないか」と考えているうちに、母親の気分に変わっていく。コーヒーを飲んでいる時間は、気持ちを切り替える時間であり、一人で考えごとをする貴重な時間だ。
 私が働くために娘を見てくれ、家事を手伝ってくれる母をはじめ、いろいろな支援をしてくださる方のことを思う。コンビニのコーヒー、支えてくれる方々、ありがとう。”(5月8日付け朝日新聞)

 神奈川県相模原市の公務員・福井さん(女・41)の投稿文です。。ボクはモーニングコーヒー発祥の地に住んでいる。そして全く喫茶店が多い。自宅の周り500m圏内に何件喫茶店があるのだろうか。それでも喫茶店となると時間が必要だ。それだけ余裕がなければいけない。ボクはこんな環境にあるが、人と会うとき以外ほとんど喫茶店には行かないが、コーヒーは好きである。その点、コンビニコーヒーは気楽だ。外でも全く気軽にコーヒーが飲めるようになったものだ。それも100円、150円である。最近ではコンビニ内でもコーヒーを飲むカウンターができてきた。更に気軽になった。コンビニコーヒーの愛用者になった。買って公園で緑を見ながら飲んでもいい。空を見ながら飲むのも好きである。喫茶店より気楽でいい。
 福井さんの楽しみは切実だ。コンビニコーヒーで救われている。コンビニはいい知恵を出してくれたものだ。コンビニはが生まれて便利だし、一般の生活様式も大きく変えた。ただ深夜の営業については効よりも非の方が多いと思っている。




2014/05/18(Sun) (第1946話) 笑顔は魔法 寺さん MAIL 

 “「顔が怖いですよ」。トレーナーにこう指摘された時はショックだった。この年で、生まれて初めて接客業にチャレンジ中の私。トレーナーのあのひと言以来、車の運転中も家事の合間も、買い物中でさえ笑顔の練習を欠かさない。
 夕飯を作りながら中二の娘に「今、笑顔の特訓中なんだ」と話すと、「笑顔をわざわざ作りなくても、お母さんの自然な笑顔、結構いいよ」と褒めてくれた。照れた。でも、すごくうれしかった。励みにもなり、がぜん張り切った。
 四六時中笑顔を作ろうとして気付いた。私は普段、面白いことがなければあまり笑うこともなく、無愛想な顔をしていることが多かったことに。そして、笑顔の練習を始めてからは、あまり怒らなくなったような気がする。そうか、笑顔って心の中まで穏やかにする魔法なんだ。無謀にも選んだ人生初の接客業だけど、ひょっとすると私のこれからの人生を大きく変えるチャンスになるかもしれない。
 今はまだ不自然な笑顔だけど、いつか心からの笑顔でお客さまをお迎えできる店員になりたい。きっとそのころ私は、家の中でいつも笑顔のお母さんになっていると思うから。さあ、頑張るぞー。”(4月30日付け中日新聞)

 愛知県大府市のアルバイト店員・平野さん(女・48)の投稿文です。笑顔の効用については言うまでもない。しかし忘れている。先日本を読んでいて「目と目が合ったらニコッと笑う。笑顔は人間関係の一番の秘訣」という文に出合った。見知らぬ人とでも顔を合わせたたら笑顔を見せる。不謹慎に思われはしないか、気になる所であるが、書いた人は実践している人である。笑顔はそれ程に信頼関係を作るのである。接客業の人は、何の懸念もなく見せたらいい。見せねばならない。最初の作り笑顔もそのうち本物になり、その人自身が明るい人になる。
 2008年1月27日の「(第885話)笑顔を意識」も読んで頂きたい。「笑顔に勝る化粧なし」という言葉が出てくる。高齢者ほど笑顔が必要とも言っている。ボクももう一度意識し、心がけよう。




2014/05/16(Fri) (第1945話) 毎朝散歩で家内安全 寺さん MAIL 

 “ツバメがすいすいと飛び交い、ヒバリが高い空で盛んにさえずる。もう巣作りを始めたのだろうか、ケリが「キキッツ、キキッツ」と警戒の声を上げている。田んぼではもう田植えが始まった。今日も気持ちのいい一日が始まる。
 12年前、毎朝の散歩を始めた。妻と一緒に歩き始めてからは6年がたった。夜型の妻のために朝食の準備、そして後片付けは私の仕事だ。妻をせかして午前7時半には家を出る。二つのお地蔵様に手を合わせて田んぼ道を通り、「水郷の塔」に上る。ここからは、朝日に輝く木曽川や鈴鹿、岐阜の山々が一望できる。塔上で軽く体操をして帰る。
 散歩を始めてから知り合いもたくさんできた。一言二言、言葉を交わしたり、じゃれてくる犬と遊んだりするのも楽しい。約1時間、決まったコースを毎日歩く。帰るとコーヒータイム。運動をした後のコーヒーの味は格別。新聞片手にゆっくり味わうこのひと時は至福の時間だ。
 散歩は健康増進にもなるし、季節の変化も敏感に感じることができる。妻との会話も弾む。仲良くするためにも、これからも続けていきたいと思っている。”(4月27日付け朝日新聞)

 愛知県弥富市の平野さん(男・70)の投稿文です。何とも老後の穏やかな生活を感じる文である。夫婦関係も刺激し合って良い。ウォーキングに自然観察に、コーヒーに新聞。お地蔵様へ手を合わせて感謝。人生の良さがあふれている。文も詩的でさえある。70歳か・・・ボクとほとんど同じ年だ。ボクも近くなっているが、まだこのようには行かない。何かあくせくしている。最近の騒動はどうだ。騒動の中にもこのような心境を少しでも持ちたいものだ。老境に入るのも良いものだ、そんなことを感じさせる平野さんの文である。




2014/05/14(Wed) (第1944話) ちりも積もれば 寺さん MAIL 

 “「お父さん、一円玉あるう?」と妻。「今んとこ、ある」と私。近くの山の頂上にある神社に出かける時の会話である。毎日ではないが、登り続けて21年目に入る。その神社へのさい銭は、初めから一円と決めている。
 登頂回数を数えると、5900回を超えた。ということは、5900円余りのさい銭を一円玉で奉納してきたことになる。今まで何食わぬ顔で投げ入れていた一円玉だが、今回のテーマから、あらためて気付かされた。「ちりも積もれば山となる」である。
 一円玉5900枚の姿を計算してみた。一円玉の厚さはは1.5ミリなので、積み上げると8850ミリ、すなわち8メートル85センチになる。一円玉の重さは1グラムなので、合計の重さは5900グラム、すなわち5.9キログラム。
 数字を見て、一円玉への愛着とそのありがたさを感じた。明日からの山登りと一円玉のさい銭を、心して続けていきたいと思う。”(4月20日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の市川さん(男・84)の投稿文です。この市川さんは2004年8月31日の「(第45回)村積山登山3000回」や2014年1月17日の「(第1888話)早朝の山登り」で登場して頂いている。この文で、山頂の神社に毎回1円の賽銭を上げられていることを知った。やる人はいろいろなことを考えてやってみえるものだ。積み上げる計算をされたのも面白い。それにしても5900回は凄い。続けると言うことは、いろいろな話を生み出すものである。
 この文の中に「このテーマ」とあるが、それは「一円玉、五円玉」と言うテーマである。先日の第1942話も同じである。




2014/05/12(Mon) (第1943話) 還暦のサプライズ 寺さん MAIL 

 “支援学校を定年退職した3月は、私の60回目の誕生月でもあった。担任するクラスの子どもと同僚からサプライズプレゼントをもらい、最良の日となった。
 慌ただしい昼休み、職員室で電話をしていた私をI君が「先生大変だ。早く教室へ来て!」と呼びに来た。慌てて戻ると、大きなケーキが二つ。たくさんのロウソクがともっている。K君が私のギターをぶら下げてかき鳴らすと、「ハッピーバースデー」の合唱。せかされて火を消しながら、私の目は熱い汗でいっぱいになった。
 ケーキをみんなで食べながら、ケーキを買いに行った話、どこに隠しておくか、誰が私を呼びに行くかなど作戦を練る苦心を楽しそうに話してくれた。子どもたちが自分たちで考えて行動したことがうれしかったという同僚の言葉に、感動した。
 60本のロウソクをサービスしてくれたケーキ屋さん、心優しい子どもだちと同僚にすばらしい還暦祝いを頂いた。4月からは、同じ職場で再びお世話になっている。この子たちの卒業の日に、お返しと卒業祝いをどんな作戦で行くか。1年かけてアイデアを練ろうと思っている。”(4月20日付け朝日新聞)

 大阪府東大阪市の支援学校教員・佐々木さん(男・60)の投稿文です。嬉しいサプライズです、生徒や同僚にこのような扱いを受けられると先生冥利に尽きますね。また佐々木さんが皆さんに好かれていたからでしょう。先生なら誰でもという訳でもないでしょう。ボクの娘婿は小学校の教師ですが、どうなっているでしょう。先日来たとき、バレンタインデーに沢山もらったからと言って、チョコレートのおすそ分けをしてくれました。これなら多分大丈夫でしょう。
 僕らが就職する頃は「でもしか先生」と言って、先生はあまり人気がなかった。ボクもその口に乗った。技術職に就いたことに悔いはないが、先生になればよかったと思ったことはある。人間相手が良いと思ったことはある。「隣の芝生は青い」と言うことではあろうが・・・・。




2014/05/09(Fri) (第1942話) 恋の思い出 寺さん MAIL 

 “五円玉には初恋の淡い思い出があります。中学三年生の時「ご縁がありますように」といった御利益とは関係なく、五円玉を集めていました。それを知った隣の席の男子生徒が、一緒に集めてくれるようになったんです。少々奥手だった私が、彼の優しい心にひかれていつしか恋愛感情を抱くようになり、交換日記もやりとりしました。五円玉がたまっていくとともに、二人の気持ちも深まっていった気がします。
 卒業して別々の高校に進み、恋は終わってしまいました。でもその時の五円玉はまだ私の手元にあり、今も神社仏閣へのお参りのときに大切に使わせてもらっています。少女時代の恋心を思い起こさせてくれる懐かしくて大切な宝物。卒業以来、彼には一度も会っていませんが、年月を経ても胸がときめく思い出をくれました。”(4月20日付け中日新聞)

 長野県阿智村の主婦・熊谷さん(67)の投稿文です。「一円玉、五円玉」という特集からの投稿です。五円玉集めから中学生に恋心が芽生えたというほほ笑ましい話です。中学生の頃の恋心はほほ笑ましい。初恋は中学生の時という人も多いでしょう。そして多くの初恋は実らぬものです。初恋が実って生涯を添い遂げるというのは、羨ましい気もしますが、少し物足りぬ気もします。失恋は辛いものですが、人間を育て人生を豊かにします。熊谷さんの恋は実りませんでしたが、その時の五円玉は50年たった今も残っている。そしてお賽銭に使っている。お賽銭に入れる度にその時のことを思い出されている。五円玉が取り持つ縁、こんな人生も良いと思います。
 ボクは大失恋をし、大得恋をしています。失恋があって得恋があった、このことは妻にも話してあります。妻も似たようなものです。これだけ結婚率の低い今の若い人の恋愛状況はどうなっているのでしょう。失恋を怖がっているのでしょうか。もっと勇気を持って欲しいと思います。




2014/05/07(Wed) (第1941話) 誕生日は母への 寺さん MAIL 

 “義理の妹に赤ちゃんが生まれた。直前のはち切れそうな大きなおなかを見ていた時、数年前の自分の出産時に感じた家族が増える喜びを思い出した。私は二人の子供を出産した。最初の出産はなかなか進まず、時間がかかり大変だった。産院の先生に同情されたほどだ。しかし、そんな経験をしたからこそ思うことがある。
 それまでは、誕生日とは無事に生きてこられた自身の成長を祝う日だと思っていた。が、同時に誕生日はこんなに大変な思いをして産んでくれた母に感謝する日でもある、と。そのことに気付いて以来、自分の誕生日が近づくと遠方に住む母のことを思うようになった。小柄で決して丈夫ではない母。
 「頑張って産んでくれてありがとう」。自分が母親になった今も、まだ照れくさくて、面と向かっては言えないが、いつかこの感謝の気持ちを伝えられたらと思う。”(4月19日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市のパート・小菅さん(女・38)の投稿文です。2008年2月29日の「(第901話)誕生日とは」で全く同じような話を紹介している。第901話では人から教えられて、すぐ母に感謝を示した話。今回は小菅さん自身が思い着いた話。しかしまだその気持ちを伝えていない。こんな違いはあるが、納得できる話である。小さい内は成長を喜んでもらい、大きくなったら周りに感謝を示す、誕生日とはそういった日だと一般に認識されると良い家族、社会になると思う。特に女性など、30歳を過ぎるともう誕生日を祝う年ではない、などという言葉を聞くが、親に感謝する誕生日となれば、それこそそんな年である。小菅さんも早くお母さんに伝えられたら良いと思う。感謝するに早すぎると言うことは無い。
 ボクは最近よく思う。ボクの父親はボクの今の歳でもう亡くなったのだ、ボクはもうそれを越えたのだ、ありがたいことだ。これからは父親の分まで頑張らねばと思う。楽しまねばと思う。




2014/05/05(Mon) (第1940話) お返しはニコニコ顔 寺さん MAIL 

 “92歳の母は、大腿骨骨折のリハビリと認知症のため、昨年、老人保健施設に入居した。ずっと農業をしてきて、2年ほど前に体調を崩すまで、庭の草取りや庭木の剪定もやっていた。天に何かしてもらったら、自分もかわりにできることをする」というのが母の考え。入居したてのころ、面会に行くと、「食事を運んでもらって食べるだけでいいのかね」と聞くので、「ずっと働いてきて体も調子が良くないんだから、いいんじゃない」と言うと、納得できない様子だった。
 次に行った時も「草のひとつも取ってやらなくては」と言うので、「食事を運んでくれた人にニコニコ顔をすれば、それでいいって」と言ってしまった。母はけげんそうな顔をしていた。
 その次に行った時は、ヘルパーさんから「いつも二コニコ顔でかわいいおばあちゃんですね」と言われ、「良かった」と思った。
 雑誌を読んでいたら「和顔施」という言葉があった。仏教の言葉で、他人に笑顔で接することは、恵みを与えることと同じだと書いてあった。「ニコニコ顔」は苦し紛れに言ってしまったのだが、間違いではなかったのだと得心した。”(4月18日付け朝日新聞)

 埼玉県小川町の書道教師・佐藤さん(女・64)の投稿文です。僕たちの親の代は、暇にしていることは悪、何かしてもらったら返す、これが身についていた。ボクの親もそうだった。常に動いている。何かしてもらったら、何かで返す、物をもらったら物で返す。全く律儀であった。佐藤さんのお母さんも全く同じようだ。これは何も悪いことではない。ボクの親で少し困ったことはそれを相手にも要求することであった。佐藤さんはそのお母さんに笑顔で返すことを教える。良い思いつきだ。高齢者にはこれで十分だ。「和顔施」覚えておきたい言葉である。
 実はボクにもまだ少し残っている。昼間にテレビを見ると罪悪感を感じる。朝寝坊も罪悪感を感じる。もちろん妻にそんな要求はしなかったが、それでもそんなボクの相手に昔は少し迷惑がっていたようだ。もちろん、今の妻は堂々たるもので、私は私で行っている。




2014/05/03(Sat) (第1939話) 最後まで分からぬ 寺さん MAIL 

 “日本は一度失敗すると、挽回のチャンスが少ないので深刻に考える人が多い。負け惜しみと言われるかもしれないが、私は、自分の人生がよかったかどうかは棺おけに両足を突っ込むまでは分からないと思う。
 社会的地位の高い人でも、人生の晩節を汚す人もいるし、定年退職後に地域になじめない人もいる。現役のころの考えを引きずっていると、「第二の人生」がつまらないものになる。私がたまに参加する探鳥会は同好の士の集まりで、現在・過去の役職などは何も関係ない。逆にそれらを持ち込むと浮いてしまう。
 人間死ぬときは一人である。自分一人でも楽しめる趣味を持ち、人生最後の日を迎える日に「まずまずの人生だった」と言えるようにしたいものである。”(4月17日付け中日新聞)

 愛知県東海市の地方公務員・久野さん(男・56)の投稿文です。「その人の価値は死ぬまで分からない」はボクの口癖である。きんさん、ぎんさんがその真価を発揮されたのは100歳を超えてからであろう。死ぬ間際の対応で評価を上げられる人もあろうし、下げられる人もあろう。だから死ぬまで清く正しく頑張って生きる必要がある。
 「ワンアウトチェンジ」と言う一度失敗したら交替、と言う社会であるかも知れないが、それは社会のこと。自分は経過が大切、結果はたまたまそうなっただけのこと。失敗したからと言って人生終わる訳ではない、終われる訳でもない。失敗も一つの体験、生かすも殺すもその後の生き方次第。失敗したことが返って良かったと言うこともある。人生、死ぬまで分からない。前向きに生きていきたいものだ。久野さんの言われるとおりである。でも「言うは易し、行うは難し」、だから生きていく意味がある。
 ボクの4月後半は散々だったなあ・・・。檀那寺の住職が亡くなって、檀家総代のボクはそれからの約1週間、すべての予定を断って寺へ詰めていた。その後に予約してあった1泊2日のバス旅行は出かけられたが、1日目から足首が痛み始め、2日目は歩けず。杖を調達し、車いすがある所では妻に押してもらった。、全く人生ままならぬ。




2014/05/01(Thu) (第1938話) 大切なストラップ 寺さん MAIL 

 “10年ほど前のことである。名古屋市営地下鉄鶴舞線の上前津駅で、手すりにつかまり階段を一段ずつ下りていく年配の女性を見かけた。重そうなキャリーバッグを持っていた。近寄り「お持ちします」とバッグに手をかけると、その人はゆっくり体を起こして「ありがとう。でも下りはなんとか」と笑顔で言った。私はじきにホームに入ってきた電車に乗った。
 何駅か過ぎたころ、「やっと見つけた!」と頭上で声がした。見上げると先ほどの女性。「さっきはどうもありがとう」と言って、バッグから布袋を取り出した。ビーズで作った色々なストラップがあった。
 「好きなのを取りなさい、あげる。親切にしてくた人に渡しているんだよ」。恐縮する私に、淡いンクと若草色の瓢箪が並んだストラップを選んでくれた。その人と階段で話しだのは長くても30秒ほどだろう。ホームには大勢の人がいて、車両も満席だった。その中で何の変哲もない私を探し、手作りしたストラップをくれた。
 2色の瓢箪は今も輝いて、触れると小さな鈴がリリと鳴る。「私のように生きよ」と、あの人がささやいているように思える。”(4月16に付け朝日新聞)

 名古屋市の主婦・丹羽さん(76)の投稿文です。親切にされたらお礼に飴やチョコレートなど渡す物を用意しておく話も以前紹介した。丹羽さんが出会われた人は、ただ声をかけただけなのに人混みの中を探して、手作りのストラップを渡すのだから、そういった話の最先端の人である。手作りとあるから、趣味の上手な活用である。もらった人の嬉しさも倍増であろう。頭も手も使いようである。老いたらこうでありたい。丹羽さんにも大きな影響を与えられた。いい影響を耐える人は先生である。



川柳&ウォーク