2014/04/12(Sat) (第1930話) 庶民の住宅 |
寺さん |
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“明治生まれの祖父が建てた家が取り壊されることになった。建てたのは戦後で、部材は質素なのだが、伝統的な田の字形の間取りで、作物を保存する室が残っている。大工の祖父が手直しも自分でしたため、業者による現代的なリフォームもされず、今となっては貴重な建築物であろう。家を見た一級建築士も「残せばいいのに」と言っていたそうだ。 私としては手直しして興味のある方やNPOの方などに利用してもらいたかったが、傷みが激しく、叔母の意向もあり、今月中には跡形もなくなってしまう。 武家や庄屋の屋敷など立派な建物は保存されることもあるが、庶民の建物や生活道具などが残るのはまれだ。写真や図面で残すことはできても、日本人の性質にあった生活空間、細かい造作、風通しなどは建物に入らないと体験できない。身近にこういう建物が残っている方は簡単に取り壊さず、何とか残す方法を考えてみてほしい。それは貴重な生活遺産なのだから。”(3月24日付け中日新聞)
愛知県みよし市の塾講師・深谷さん(女・46)の投稿文です。古い建物の保存、特にそこに人が住んでいる場合は大変難しい問題である。ここ十数年でも生活様式は全く違ってきているし、何十年ともなればもう全く違う。断熱や防音などの構造もある。新しい様式で快適な生活をしたい。歴史的建造物保存地区などに住んでいる人は全く大変だといつも思っている。公共団体などが買い取ればいいが制限が多いだろう。ちょっとした願望だけでは難しい問題だと思う。 実はボクの住んでいる家は昭和23年築造の木造住宅である。深谷さんの言われる田の字形の間取りである。鴨居は幅38cmもある木であり、梁もむき出し、天井は踏み天井という1枚の板だけでその上に直接乗ることができる。居間と座敷の境の戸は帯戸と呼ぶ板戸である。古い農家住宅を見たことのある人はおおよそ想像できるであろう。昭和57年に大改造したが、居間や座敷はそのままである。ボクの近くの戦後まもなくの住宅はほとんどが建て直された。ボクの家は当時の全く普通の庶民の住宅であるが、もう貴重な住宅になっていると思っている。ボクには非常に愛着があり、住んでいればまだ何十年、否百年以上も持つだろう。子供らはすでに別に住宅を持ち、ここに帰ってくる気はない。住む人を見つけぬ限り、僕ら夫婦がいなくなれば取り壊される運命だろう。何とかならないだろうか。
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