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第117号  2014年1月

2014/01/31(Fri) (第1895話) 古稀の自分史作り 寺さん MAIL 

 “私は今年、古希を迎える。昨年、中学校のクラス会で同級生から「古希を記念し、生きてきた証しとして自分史を書きましょう」と提案があった。賛同した五人が自分史の本を自費出版することになった。テーマ・内容は各自が自由に決めて書くことになった。
 仲間の奥さんが友人と自費出版したことを知り、他の仲間と本を作成する場合の心構えや留意点、苦労話を聞いた。書く意欲が湧き、大変参考になった。
 私は自分史の書き方に関する本を参考にしながら、履歴書に書き込んでいる。今は幼少の時、小学校、中学校、高校、大学時代の出来事を中心に書いているが、今まで忘れていたことを思い出し、懐かしく感じることもある。
 十一月に中学校の同級生が集まって「古希を祝う同級会」を開催予定である。それまでに出版できるよう五人とも毎日、意欲的に書き続けている。今から出版を楽しみにしている。”(1月19日付け中日新聞)

 名古屋市の大学講師・山田さん(男・68)の投稿文です。古稀に自分史か・・・いい思いつきと思う。書いてまとめると言うのは大変な作業である。古稀の記念としてそれに挑戦する。どのようなものになろうとも、書くこと、過去を振り返るというのはそれ自体良いことである。小学校、中学校時代のことなどこんな機会もないことには思い出すことも少ない。そんな時代があって今がある。感謝の気持ちも生まれてこよう。出版を祈りたい。
 ボクも古稀である。今のところボクにはとてもその気になれない。ボクのこのホームページはまさに自分史であると思っている。ホームページを始めて仕事や家庭のこと以外はかなりこまめに記録している。それ以前のことも「話・話」を書きながら、折に触れて書いている。と言っても1冊の本にまとめることとは大違いである。これは言い逃れの何物でもない。




2014/01/29(Wed) (第1894話) 心ポカポカ 寺さん MAIL 

 “私が勤めているこども園では、保育士たちの間で「ありがとうございます」の言葉があふれています。昼寝の布団を敷いてくれた時、おやつを用意してくれた時、他のクラスの子どもの面倒を見てくれた時・・・。初めは違和感がありました。「ありがとう」の言葉は大好きですが、そんなにたくさん言わなくてもいいのでは?と思っていました。しかし、毎日「ありがとうございます」を声に出していると、心がポカポカしてくるのがわかりました。
 きっと子どもたちは保育士同士の言葉のやりとりを聞いていると思います。「ありがとうございます」が子どもたちの中にもあふれていくことを願っています。そして、この言葉に笑顔を添えたら、もっとすてきになると思います。”(1月19日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の保育士・檀上さん(女・51)の投稿文です。「ありがとう」もあまりくどいと、そんなに言わなくても思われる気持ちは何となく分かります。お詫びの言葉も同じです。ボクは電車などの公共交通機関でよく思ったりします。あまり言われると惰性で言っているだけだろうとか、マニュアルに従っているだけだろうと思ったりします。でも、やはり、言わないより言った方がいいでしょう。檀上さんは毎日続けているうちに、それで心がぽかぽかしてきたと言われる。2013年10月27日の「(「話・話」第1840話)あすおもう」で紹介した、「あ」はありがとう、「す」はすみません、「お」はおかげさま、「も」はもったいない、「う」はうれしい、に言いすぎはないのである。




2014/01/27(Mon) (第1893話) 季節に敏感 寺さん MAIL 

 “俳句を始めて一年になります。きっかけは、俳人の故鈴木真砂女さんの半生を描いた演劇を見たことでした。俳句を心の支えにして逆境に耐えた真砂女さんに感動しました。以前から俳句に興味があり、真砂女さんに背中を押される形で俳句の会に入りました。
 毎月、句会があり、会員の方が持ち寄られた句には、それぞれの生活感がにじみ出ていて楽しいです。俳句を始めると、周りの風景が気になってしょうがないのです。ビワの花が冬に咲くことに気がつきました。六月ごろに実をつけるのに、準備が早いなと思いました。ただ、なかなかビワの花で句ができません。
 毎月の俳句の会誌を読むときの必需品は、電子辞書です。ある時、「老鶯」という言葉がありました。年を取ったウグイスかと思ったら、春をすぎて鳴くウグイスでした。私は思わず笑ってしまいました。俳句は言葉が豊富だと思います。今後も俳句作りを生活の一部にして楽しんでいきたいと思います。”(1月19日付け中日新聞)

 愛知県江南市の中村さん(女・71)の投稿文です。自然を感じなくても生きられる人もあるでしょうが、心豊かな人生に自然は切っても切り離せないと思います。自然の移り変わりを感じるのも豊かな人生を作るひとつです。俳句は昔から花鳥風月を詠むものと言われています。俳句を始めればおのずと自然に目が行きますし、目が行かなければ句は作れません。自然の移り変わりにも敏感になるでしょう。そしていろいろなことを知るでしょう。ボクは川柳を長年やっていますが、川柳も俳句も同じようなものです。川柳と言うから川柳、俳句というから俳句と言うくらいの違いです。私のやっている川柳連れ連れ草を見て頂くと、多分、これって川柳ですか?と言われるでしょう。
 中村さんは電子辞書まで活用されていると言われる。電子辞書は便利です。ボクも活用してます。ボクは毎日日記を書いていますが、できるだけ漢字を使うようにしています。分からないとすぐ引きます。ボクの持っている電子辞書は広辞苑始め70冊以上の辞書類を含んでいます。もちろん歳時記も入っています。いろいろ上手に活用して豊かな人生を作っていきたいものです。




2014/01/25(Sat) (第1892話) 一生懸命な姿 寺さん MAIL 

 “元旦から本欄のテーマ「新しい年に願う」の投稿を読んだ。皆さんがそれぞれ夢に向かって抱負を書いておられた。四日の「川柳さらに磨きかける」の筆者は、輝くおばあちゃんの背中を孫に見せるべく馬車馬のごとく頑張ります、とのこと。私も以前から、子や孫に物を与えるより、自分が頑張っている姿を見せることが最高のプレゼントと思い、できる範囲のことをしてきた。
 例えば、娘と息子の一家の全員に私の手製の誕生カードを送っている。習い始めて十年近くになるパソコンを使って、写真を取り込んで作っている。パソコンや携帯電話でメールも送ったりして、今の時代の波に少しでも乗って子どもたちから「価値観が違う」と言われないように努力しているつもりである。
 五年前に夫が他界してから、過去にこだわらず、今を一生懸命生きるおばあちゃんの背中を見せるべく頑張っている。”(1月19日付け中日新聞)

 岐阜県恵那市の主婦・安藤さん(71)の投稿文です。安藤さんの意見に賛成です。ボクも孫にはほとんどものを与えません。買ってくれと言われても買いません。ボクがやらない分、妻がやっているようです。妻に点数を稼がれ損な役割ですが、ボクまで甘くてどうなるのだと思っています。
 先日、町内で火事がありました。中学生の孫が、町会長の私は走り回っているだろうな、と親(娘)に言ったそうです。子供はよく見ているものです。聞いていないようでも聞いているものです。時折驚かされます。姿を子供に見せる、見せてもいい行動を取る、これがボクを律しさせているとも言えます。もう中学生となった孫にはもう過去のことになってしまいましたが、小学生の孫は今、よくウォークに連れて行っています。このことは多分覚えていてくれるでしょう。これが孫の記憶に残せる最大のことかも知れません。今はそれでいいと思っています。




2014/01/23(Thu) (第1891話) 恋成就 寺さん MAIL 

 “北海道から沖縄まで、日本全国津々浦々、小笠原諸島に伊豆諸島、瀬戸内や沖縄の島々に至るまで、郵便局のあるところどこまでも、窓口を訪ねて千円を貯金して、その局の印を通帳に押してもらう。そのことに生きがいと情熱を傾け、22年にわたり郵便局に恋い焦がれてきたのがわが夫である。
 2度の狭窄症の手術に首の手術もし、右手が満足に上がらない。歩行にも支障をきたし2本の杖を使っているにもかかわらず、日本中を駆け回って訪ねた郵便局は重複を含め2万4681局、通帳の数は187冊。貯金が10万円になったら次の軍資金にあてた。
 12月、沖縄県北大東島の郵便局を最後に、とうとう全国制覇の夢を実現した。もっとも宮内庁の1局のみは、一般人の立ち入りができないとのことである。
 夫の夢のために私はアッシーとなり、軽自動車に布団を積み、道の駅に車中泊。浮いた経費を貯金に回し、観光は二の次でひたすら窓□に突進してきた。
 交通事故にも1、2回あったが、ここまで完遂できた。離島の局の方々、宿泊所のみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。”(1月11日付け朝日新聞)

 大阪府枚方市の主婦・神原さん(68)の投稿文です。先日の「(第1888話) 早朝の山登り」の人もそうだが、人は全く様々で、どこに価値を見つけるのか分からないものだと、つくづく感じる。神原さんのこの話に至っては全く唸らざるを得ない。夫の恋のために夫唱婦随とはまた良い。そして22年、2万4681局、187冊は継続の賜である。余計な心配だが離島まで出かけては費用も大変だったろう。
 ボクが以前全国のウォーキング大会に出かけていた頃、ついでに郵便局回りをしている人をよく見かけた。この人達は出かけたついでである。この人達はその後どうされたのであろう。ボクの知り合いにJR線を全線回ることを目標にしている人がいる。これでも大変である。大変だからやり甲斐もある、価値もある。何ごとも一朝一夕でできるものではない。ひたすら継続である。




2014/01/21(Tue) (第1890話) 全盲から 寺さん MAIL 

 “私は三十四歳で網膜色素変性症により失明、全盲となりました。その後、鍼灸師の資格を取得し、三十年間鍼灸業を経営しました。七十歳で一念発起しパソコンを習得。点字入力で文章が書けたときは天にも昇る心地でした。インターネートを覚え本紙ホームページを見つけたときは、自分の思いを多くの人に発信できる手段ができたとうれしくなりました。情報の大海原に船出したような思いでした。点字しか書けなかった私がITの進歩で活字が使用できるようになり、社会参加もできるようになりました。こんな幸せが訪れるとは思ってもいませんでした。
 私は信じています。目は見えなくても手足は動く、頭で考えて目標に向かって歩くことができる、そして自分なりの幸せをつかむことができる、と。
 私も後期高齢者といわれる年代になりました。人生の総仕上げを目指し、健康に気を付けて、インターネットを楽しみながら有意義な老後を送ります。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の石黒さん(男・75)の投稿文です。生まれつきの失明者も大変だが、中途失明者はもっと大変のようである。ボクは昔盲人の方に係わっていたことがあるので、少しは知っているつもりである。それは生まれつきの人は晴眼時代を知っていないし、感覚も備わっている。中途失明者は晴眼時代を知っていてその落差に戸惑い、感覚もそれから養わねばならない。その中途失明者がこの文である。喜びを知る人はどこでも喜びを見つけるものだなあ、感心する。いろいろな嘆きや困難を乗り越えてのこの文かも知れない。でもこんな文が書ければ石黒さんは人生の成功者だ。石黒さんの過去を想像すれば、僕ら健常者に何が不満があろうか。それこそもったいないのである。




2014/01/19(Sun) (第1889話) 機転に感動 寺さん MAIL 

 “先日、仕事に向かう途中、バスを乗り間違えてしまいました。相手のいる仕事で遅れては大変と、慌ててバスを降りようとしました。それを知った運転手さんは「このバス停から歩くには遠いです。このバスはぐるりと一周して戻りますから座っていてください」と言われました。
 私は席に戻りましたが、時間が気になって仕方ありませんでした。運転手さんは他のバスに無線連絡をし始めました。乗客のいないバスを見つけて、落ち合う場所を相談し、私に「ここで降りて、そこの停留所で待っているバスに乗り換えてください」と言ってくれました。運転手さんは、何と私を他のバスにリレーしてくれたのです。
 私は、感動と感謝でいっぱいになりました。仕事にも間に合いました。その運転手さんにサービスやマニュアルではない、人としての大きさを感じました。運転手さん、ありがとうございました。”(1月7日付け中日新聞)

 三重県津市のアルバイト・増田さん(女・26)の投稿文です。最近のバスの運転手さんは本当に親切になった。各会社の方針だろうが親切すぎるくらいである。この増田さんの話などもまさにそれである。ここまでしてもらえば増田さんには感動だろう。乗客には非常にありがたい話ではあるが、ボクには少し疑問も残る。
 昔は車掌さんがいた。それが今では運転手さん1人で運転の上、案内、料金の確認まで行わねばならない。今の交通事情は大変なのにあんな大きなバスを運転しなければならない。過酷になっていないだろうか。運転手さんにはまず安全第一に務めてもらわねばならない。本当はそれ程に気を使わせてはいけないのだ。ボクなど運転が下手で嫌いなので運転するだけで精一杯である。それだからよりそう思うかもしれない。乗客の要望が過大になってはいないだろうか。そんな話も時折聞く。




2014/01/17(Fri) (第1888話) 早朝の山登り 寺さん MAIL 

 “私には「道場」と呼んでいる山がある。近郷の村積山だ。標高二百六十mほど。一九九三(平成五)年から山歩きを始めて、昨年十二月で登頂五千八百回を超えた。四季を通して、午前三時半には家を出る。家から片道およそ六km。往復三時間を費やしての早朝歩きと山登りだ。毎朝登っていたときもあるが、今では1日おさに実践している。冬場の登頂は暗さと寒さで厳しい。そんなところも「道場」と呼ぶゆえんである。
 この山登りが、日々の体力と気力を培っている源であり、私の生きがいと楽しみともなっている。二十年続けられたのは、妻をはじめ家族や周囲の人たちのおかげである。毎回、人々の応援があることを自分の足腰に言い聞かせながら、登頂している。
 最終目標は、百歳にして登頂一万回達成である。今年は、その節目となる六千回達成を目指して、日々、努力していく。”(1月4日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の市川さん(男・84)の投稿文です。もしやと思って過去の「話・話」を繰ってみた。そしたら、2004年8月31日の「話・話」第45話に「村積山登山3000回」として紹介していた市川さんである。10年で3000回が5800回になっていた。
 低山を含め早朝に往復12kmのウォーク、ボクにはこれはまさに修行の道場だが、この価値をどの程度に見るかは人それぞれであろう。が、でも5800回となっては誰も唸らざるを得ないのではなかろうか。それも60歳の定年後から始まるのである。今や84歳、丈夫な体はその賜であろう。ボクの信念としてこの「話・話」でもよく言ってきたと思うが、たとえその行為自体は大したことでなくても、続けることによって大きな価値になる。これは凡人でもできる、凡人にはこれしかできない。でも続けた結果はもう凡人ではなくなる。継続はそれ程に難しいし、継続はそれ程に価値があるのである。
 ボクのこの「話・話」も、この間に45回から1888回になった。まだまだこれからである。




2014/01/15(Wed) (第1887話) 里山の保全活動実践へ 寺さん MAIL 

 “昨年四月から、シニア対象の自然活動リーダー養成講座で学んでいます。あと三ヵ月で基礎科修了です。名古屋市内や近郊を中心としたフィールドで、里山を保全する目的や方法など幅広い分野の知識を習得、実習を重ねました。
 藤前干潟で生きものを探したり、森林公園で間伐などを体験したりする中で、名古屋市周辺に多くの自然が残されていると知りました。そして、人間は自然の中で生かされており、自然とともに生きることが大切なのだと再認識しました。
 自分の身近にも、いろいろな種類の草花や樹木があることにも気付きました。私は絵手紙を描いているのですが、これからは一つ一つもっと丁寧に観察しようと思います。
 四月からは高等科に入って知識をさらに深め、実践につなげたいです。皆さんも一緒に学びませんか。”(1月4日付け中日新聞)

 愛知県阿久比町の石橋さん(男・74)の投稿文です。自然活動リーダー養成講座に入り、基礎科から更に高等科へ入って学ぶ。良いチャンスを捉えられ、生かされている、人生これだと思います。これがその人の人生を作っていく。これは年に関係ないでしょう。
 働き盛りの年齢と定年後の人では向ける目が違います。定年後の人には余裕があります。社会全体を見渡せます。石橋さんはいいことに目を向けられたと思います。自然は大切です。でも人間社会と相容れない部分もあります。大げさに言えば人口工物は自然を壊してできています。共存を学ばねばなりません。




2014/01/13(Mon) (第1886話) 時手紙と夕日 寺さん MAIL 

 “以前から「時手紙」に興味があった。三十年ぶりに、ふらりと愛知県蒲郡市へ足を延ばした。以前はまだ立っていなかった海辺の文学記念館があった。入館すると、丸いテーブルで小学生の子どもたちを連れた家族が、にぎやかに手紙を書いていた。ここでは五年後、十年後の未来へ向けて手紙を投函することができる。子どもたちは希望に満ちた未来の自分宛てに書いていたのだろう。
 六十歳を過ぎた私も、身を少し縮めながら自分自身宛てにこの「時手紙」を書いた。一緒に訪れた二十八歳になる娘も熱心にペンを走らせていた。満足感に上気して外へ出ると、日が沈むところだった。空をオレンジ色に染め変えながら、神様のマジックショーみたいに神秘的に。数カ月前、ドミニカの海を見てきた娘は「日本の風景もいいねぇ」と、感動してつぶやいた。
 時手紙と夕日で締めくくった今年は、わが家にとって良いことも悪いこともとくになかった一年だった。平凡という幸せに感謝。「時手紙」が手元に届く時が楽しみである。”(12月31日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・永田さん(61)の投稿文です。将来の自分に向かって手紙を出す、こういう行為があることは知っていましたが、「時手紙」という言葉は始めて知りました。5年後、10年後の自分はこうなっていたい、そんな希望を書く。こうして書いたことはよく覚えているものです。自分の励みなるでしょう。タイムカプセルとは違うのでしょうか。ボクには経験がありません。
 さて何年後の自分に書くのか、若い人ならかなり先でいいでしょうが、高齢者は5年、10年でしょうか。さてボクの5年後は、今の状況から勤めだけがなくなっているだけでしょうか。これではあまりに寂しい。新たな地域活動や趣味活動を模索しなければならない。そして10年後は、見つけたその活動もおぼつかなくなり、ただ生きているだけになるのだろうか。ひとつずつ減っていくのは自然の理である。こう考えるとウカウカしておられない。
 蒲郡の海辺の文学記念館は愛知県ながら知らない。機会を見つけてボクも一度行って、時手紙を書く機会を持ちたいものだ。そして夕日も見たいものだ。三河湾は美しい。別の場所ながら昨年12月に3夫婦で露天風呂に入りながら三河湾を眺める機会があった。また来たいと思った。




2014/01/11(Sat) (第1885話) 小さな仕事の花 寺さん MAIL 

 “先日、勤務先の介護施設で開く利用者の誕生パーティー用ケーキを注文しようと電話したら、店員から1万円以上でなければ配達しません」と言われた。店内は大忙しで、3500円程度の品物を届けるほどゆとりがないということらしい。「また、ご縁があれば」と電話を切った。
 その後、印刷会社の新入社員として営業に配属された時のことを思い出した。私が小口注文ばかりの得意先を切ろうと上司に提案したら、「どんな小さな仕事でも断ってはいけない」とたしなめられた。納得できなかったが、半年後、その会社から大口契約の話が来た。先方は「割に合わない仕事を誠意を持ってやってくれたのでせめてもの恩返し」と言われた。上司に「このことを見通しておられたのですか」と聞くと、「足元の小さな花に水をあげれば、必ずお花畑になるものだよ」と笑った。その夜、「お祝いだ」と料亭に誘ってくれ、「君の手柄だぞ」と何度も肩をたたいてくれた。思わず涙が出た。
 あれから約30年。お元気なら80代半ばだろう。もし会えば「介護の仕事はきついわりに賃金が安い」と文句を垂れる元部下に、どんな言葉を掛けるだろうか。”(12月29日付け朝日新聞)

 埼玉県川越市の介護福祉士・校條さん(男・54)の投稿文です。上司から注意と共に適切な話を受ける、今年1月1日の「話・話」の「(第1880話)何をなすべきか」と同じような良い話ですね。注意をするというのは難しいことです。注意を受けると言うことは嫌なものです。だから素直に聞けない。反感が先に立ったりします。最近は注意をできない上司が問題になったりします。上司が臆病になっています。上司の方が体験も多く、知識も豊富です。話す価値は必ず持っています。でも今の時代、年の功はものを言いません。ボクは今でも年功序列がいいと思っています。これが悪い時もありますが、大半は問題ないと思っています。悪い点を上手に修正しながら活用すればいい制度にならないでしょうか。何事も絶対はありません。年功序列を言うのはあまりに時代錯誤でしょうか。




2014/01/09(Thu) (第1884話) 至福のリビング 寺さん MAIL 

 “「師も走る」と言われるほど忙しい12月。私には、この季節だからこそゆっくりと時間を過ごせる場所がある。それは、朝家族が出かけたあと数分間のリビングルームだ。というのも冬は、窓の外に昇ってくる太陽の見える時間が、家族が出かけたあとなのだ。冬は日の出が遅く、夏とは違って日差しが柔らかいので、この朝のひとときは日焼けをさほど気にすることなく紅茶を飲んだり、ぼーっとしたり、ゆったりと朝日の中に身を浸すことができる。なんとも言えない至福の時間だ。
 日々の生活に追われていると感じることのできないささやかな幸せを、このひとときに感じる。愛する家族のいる幸せ、健康で今ここに存在できる喜び。日々の生活を送れる安心感。そういう気持ちを感じていると、おのずと感謝が湧いてくる。家庭を支えてくれている夫に、元気に育っている息子に、そして、それら全てを見守ってくれている「何か」に。
 私は無宗教だが、朝のリビングには、パワースポットのように偉大な力を感じずにはいられない。朝日のパワー、ゆったり流れる時間を感じることができる環境、すべてに感謝したい。”(12月28日付け朝日新聞)

 福岡県宗像市の主婦・吉田さん(46)の投稿文です。こういう時間、こういう場所があるというのはいいものですね。少しの時間だけによりありがたみを感じる。誰でも探せばあるでしょうから、十分いい気分を味わって欲しいものです。
 ボクにも当然あります。ボクの場所も吉田さんと同じような場所です。リビングの南側の窓際です。冬の日差しが快くなる時間からの数時間です。でもこの年末年始の長い休みの間でも数時間しか味わうことができなかった。日中家を出ていては味わえない。吉田さんの家族は味わえない。吉田さんには誰もいないだけにより幸せ感を感じられるのでしょう。ボクもまもなくこんな時間が増えよう。でも増えない今の方がいいかもしれない。ボクにとってはこうしたゆったりした時間はもっともっと先でいい。




2014/01/07(Tue) (第1883話) ペットボトルが電球に 寺さん MAIL 

 “ペットボトルで太陽光を集めたら「電球代わり」にならないか−。12年前、ブラジルで自動車修理工がふと考えた。そのアイデアがいま、はるか遠いアジア各国で、貧しい家庭の生活を明るく照らす。
 れんがやブロックを積み上げ、板やトタンをかぶせた家が長屋のように並ぶ。フィリピンの首都マニラ近郊のサンペドロ市の生活保護地区。6人家族のグロリア・モレスさん(47)宅は間口が3mほどで窓がない。昼間でも玄関のドアを開けておかないと真っ暗。居間に蛍光灯があるが、毎月の電気代が建設作業員の夫の日当(350ペソ=約800円)の4日分にもなるため、できるだけ電気をつけずに過ごしてきた。
 暮らしが変わったのは3年前。地元のNGOの協力で「ペットボトル照明」を寝室と納戸に設置した。屋根に穴を開け、漂白剤を混ぜた水を入れたペットボトルを頭の部分が屋外にでるようにとりつける。差し込む太陽光が水中で屈折や反射をして散乱し、容器のおしり部分が突き出た屋内を広く照らす。末っ子のマークくん(12)は「捜し物がすぐ見つかるようになった。家で宿題もできる」とうれしそうだ。(後略)”(12月23日付け朝日新聞)

 記事からです。知恵にも驚いたが、この貧しさにも驚いた。そして、この電球を喜ぶ姿に複雑さも覚える。世界の何という差であろう。ある程度知っていることではあるが、改めてこういう話を聞くと考えてしまう。欲求は進歩を促す原動力ではあるが、日本人の欲求はいかがなものか。これだけの豊かさがあるのに、幸せ感、満足感は世界でも低位であるという。いろいろ理由も並べられ、研究もされているようだが、それでも不思議である。日本人同士を比較すれば、自分がどの位置にあるか、それによって感じ方も違おう。いつも他と比較していては半数は、否、半数以上はいつまでたっても幸せ感はない。日本人、総中流と言われた時代はいつだったか、あれでいけなかったのだろうか。少なくともあの時代より今は良くなっていると思うのだが・・・。




2014/01/05(Sun) (第1882話) 民生委員 寺さん MAIL 

 “三年前、地域社会への奉仕と心得て責任を持ってやろうと、民生委員を引き受けた。緊張、多忙、疲労の毎日だったが、やっと三年回の任期を終えた。地域を回り、何より驚かされたのは独り暮らしの高齢者が多く、人間関係が希薄になっていることだった。支援の必要な人がどこにいるのか把握し、その人達に寄り添うため、自分にできることは何か、日々考えながら活動した。
 民生委員の仕事は多様化しており、「えっ、こんなことまでするの?」と首をかしげることも多かった。また、役所に対する疑問や仲間の民生委員から非難の声もあり、何度心がバラバラになりそうになったことか。それでも、自分の時間を犠牲にして地域の人のために力を注いでいるという意識でやってきた。週に一回、買い物をしてあげた生活保護の男性の所に、後任の委員を紹介するためあいさつに行くと、涙を流さんばかりにお礼を言われた。とてもうれしかった。今はただ、ゆっくり休みたい。”(12月19日付け中日新聞)

 岐阜県各務原市の五藤さん(女・71)の投稿文です。五藤さんは本当に真心込めて民生委員の職責を果たされたのであろう。真心を込めれば込めるほどに大変だったろう。本当にご苦労様でした。
 今年ボクの町内では6年努められた2人の民生委員が退きたいと言われ、町会長のボクは後任の選任に当たった。引き受けて頂ける人が見つかって本当にホッとした。民生委員は本当に大変だと思う。今のやり方だとこれからますます大変になろう。少子高齢化社会になり、今までのやり方ではいろいろなことが行き詰まる気がする。特に町会長や民生委員などボランティアに近いことはよほどやり方を変えないと引き受け手がなくなろう。今年ボクは町会長の選任方法を変えるつもりである。




2014/01/03(Fri) (第1881話) たい焼き 寺さん MAIL 

 “冷たい北風に吹かれ、帰り道も足早になりますが、たい焼き屋の前で足はピタリと止まります。食べたい気持ちはもちろん、ぼうっと立ちんぼして焼き上がるまでを眺めるのがいいのです。
 熱くした焼き型に、じゅうっと流し込まれる白い生地。片面が焼けてひっくり返せば現れるきつね色の肌。ぱりぱりに焼けはじっこもおいしそう。薄い紙袋に放り込まれた焼きたてのたい焼きからは香ばしい匂いがしてきます。
 由来は諸説ありますが、タイはやっぱり縁起物。なかなか手に入らないけれど、おめでたいものを食べたいという庶民の願いから。それをかなえる夢のお菓子がたい焼き、ということのようです。”(12月16日付け中日新聞)

 「くらしの歳時記」という欄から広田さんの文です。新しい年を迎え、鯛でお祝いしましょう。くつろいで読んでもらうように取り上げました。
 鯛はめでたい時に出てくるもの、たい焼きも同じでしょう。広田さんはたい焼きを焼く風景をよく紹介されている。そして、ボクの子供の頃はたい焼きを食べると非常に幸福感を感じたものである。大判焼きでも同じであった。滅多に食べられない甘いものが嬉しかったのであろう。屋台などで良い匂いを放ってたい焼きがみえると気持ちが踊ったものである。しかし、お金を持っていない子供にはそれまでであった。この気持ちは今でも続いている。今でもたい焼きを買うと贅沢した気持ちになる。それを熱々言いながら食べるのは高価なケーキよりも嬉しいのである。




2014/01/01(Wed) (第1880話) 何をなすべきか 寺さん MAIL 

 “私は働きながら高校に通っています。体調不良で仕事を休ませてもらおうと思ったときのことです。申し訳なさから「ごめんなさい」と謝ると、アルバイト先の上司にこう言われました。「ごめんなさいという気持ちは分かった。じゃあ次はどうするの。次は体調を崩さないようにどうするか、それを言ってくれ」
 謝るのは大事なことです。反省することも必要です。でも、それだけではだめなのだと、そのとき私は学びました。今後は迷惑をかけないようにどうするか、体調管理のために何をすべきか、ということを伝えるのも重要なのだと知りまし、これからも、いろいろな人に「ごめんなさい」と言わなければならない場面がたくさんあるでしょう。そのとき、私は自分の過ちを認めて、その上で、過ちを繰り返さないためにどうするかということを考えようと思います。さまざまなことにきちんと責任を持つことのできる人間になるために。(12月13日付け中日新聞)

 明けましておめでとうございます。これからも良い話を発掘し紹介をしていきますのでご愛読の程よろしくお願いします。

 今年の第1話は愛知県西尾市の高校生・鈴木さん(男・20)の投稿文からです。良い上司に会われ、良い教訓を受けられた。これも一生の宝になるでしょう。最近はテレビでも謝罪会見をよく見かける。謝れば良いのかと思ってしまう。まず謝っておこう、という姿かと思う時もある。謝らないのもよくないが、何でもかんでも謝るのもいかがと思う。時には、謝るのは恥である、最後の手段である、そんな気構えも必要である。土下座もはやっているようだが、土下座などは切腹と同じようなものである。する方も要求する方もいかがと思う。
 謝ると同時に対策も考える、鈴木さんは本当に良い勉強をされた。鈴木さんは20歳にして高校生と言われる。働きながら高校と言われるので、夜学かも知れない。夜学でも順調なら20歳にはならない。多分ここまでいろいろな体験をされたのだろう。素直の方に思われるので、この体験は生涯生きるだろう。ちなみにボクの妻は、中学を卒業するとすぐ就職し、1年後夜間高校に入学している。この体験は生きてきたと思う。
 何をなすべきか、若い人にも大切なことであるが、高齢者にはより大切である。残り少なくなった人生をいかに生きるべきか、何をなすべきか、ボクももっと考えねばならない。


 

川柳&ウォーク