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第114号  2013年10月

2013/10/31(Thu) (第1850話) 孫とジョギング 寺さん MAIL 

 “「一緒に走るか」「うん、いいよ」10年近く前から始め、習慣となった週末のジョギング。我が家に遊びに来ていた孫に、期待をせずにかけた一言に、意外な返事が返ってきた。
 孫は小学2年生の男の子。ストレッチする私の動きをまねながら、まなざしはやる気満々である。「さあ、行くぞ」かけ声とともにゆっくりと走り出す。しばらくすると、「じじ、もっと速いかと思った」の一言が。
 いつもはもっと速いんだよ、と言いたいところだが、「こんなもんだよ」と返す。やがて、おしゃべりも絶えて、足音のほかは、彼の息づかいだけが聞こえてくる。「あと少しだぞ」自宅前をスタートしてから約30分。ゴール地点の公園を目前にして2人とも自然とペースが上がる。そして無事ゴール。
 いつも思うのだが、走り終えた時の爽快感、解放感は何ものにも代え難い。そして、今日は、彼の汗に光る笑顔がいつもの思いを倍にしてくれた。ありがとう、と心の中でつぶやく。「また走ろうな」「うん」”(10月13日付け朝日新聞)

 千葉市の会社員・森崎さん(男・62)の投稿文です。先回は親と娘の、今回は祖父と孫の話である。祖父と孫が一緒にジョギングをする、これもいい風景である。できるときにできることをする。これは一緒である。今年中学生となった孫とは孫が小学低学年まではよくウォーキングに行った。今では近くにいながらほとんど会うこともなく、会っても話すことも少ない。できるときにできることをしておいて思い出もできた。あのウォーキングがなかったら将来思い出してくれることも少なかろう。
 森崎さんの投稿文を読んで、先日小学2年の孫にジョギングを誘った。すぐ「やるやる」と乗ってきた。そして1週間後に実現した。30分近く一緒に走った。そして昨日はボクが会社から帰るのを待っていた。なかなか走るものだと思った。忙しい孫と一緒に走るのはなかなか難しそうだが、1回でも多く実現したい。ボクには11月、1月と市民マラソン大会に申し込んであるし、孫には2月頃に校内マラソン大会があるだろう。それをめざして孫と走る、楽しみだ。




2013/10/29(Tue) (第1849話) 父とラジオ体操 寺さん MAIL 

 “今月、私の誕生日が来る。その記念に、何か新しいことを始めようと考えていた。思いついたのが、87歳の父が毎朝続けているラジオ体操につきあうことだった。少しでも一緒に過ごす時間を作ろう、と思いついたのだ。
 父は7年前に母を亡くしてから、隣家で1人暮らしをしている。何事もマイペースな父にイライラしてしまうこともあり、父との時間をゆっくり取れないできた。
 決意をしてからは、いつもより少しだけ早起きをして、ラジオ体操の時間に合わせ、父の住む隣家に出陣する。父の体操は自己流で、腕の振り方も適当だ。その隣で、私も1、2、3」とかけ声をあげ、一緒に腕を振っている。
 場所が玄関先なので、体操をしていると、近所のおじさんが散歩しているのが見える。ゴミ出しをする向かいの奥さんも見える。父は、母との思い出や家庭菜園に植えたいもの、お尻にできものができたことなどとりとめのない話をし、私が相づちを打つ。今年、米寿を迎える父。いつまで続けられるかわからない。よし、明日も早起きだ。”(10月11日付け朝日新聞)

 秋田市のパート・伊藤さん(女・58)の投稿文です。父親と娘さんが玄関前でラジオ体操をする、いい風景だ。近くにいても一人暮らしはどのような気持ちだろうか。昔話がでるというだけでも気持ちが察せられる。嬉しくも穏やかな時間だろう。伊藤さんにとってもこれがきっかけでラジオ体操をされることはいい機会となった。10月24日にラジオ体操の効用を書いたばかりだが、是非続けて欲しいことだ。
 寿命が長くなっただけに親子関係もなかなか難しくなった。特に親の老化や呆けの期間が長くなっただけに単に親孝行だけでは務まらなくなった。できるときにできることをする、親にとっても子にとっても大切であると思う。




2013/10/27(Sun) (第1848話) あすおもう 寺さん MAIL 

 “社会で生きている限り、誰でも多かれ少なかれストレスと無縁ではありえない。また、ストレスとうまく付き合えないと老化につながることにもなる。心身のストレスには良いものと悪いものがある。後者はためこまないようにしたい。
 数年前にある住職に伺った話で、今も実践していることがある。「あすおもう」を、折に触れて自分の行動や気持ちのありように照らしてチェックしている。「あ」はありがとう、「す」はすみません、「お」はおかげさま、「も」はもったいない、「う」はうれしい、である。
 例えば、散歩中何かにつまずいて転び、けがをしたとき、これが妻でなくてよかったと思う。自分に素直に向き合い、「ありがとう」という感謝の気持ちを持ちながらも、それと矛盾するようだが、他の人に迷惑を掛けない範囲で自分中心主義を貫くことも必要である。
「あすおもう」を日常の習慣にし、自分自身の物差しとして使っていくとよいと思う。漢字を当てはめれば「明日思う」となるだけに、これを実践していくのは今である。しなやかに身を処していくための知恵としてお勤めしたい。”(10月9日付け朝日新聞)

 愛知県尾張旭市の宇留さん(男・74)の投稿文です。「あすおもう」に何を思うのかと思ったら、戒めの頭の語であった。この類いはいろいろあり、「話・話」でも紹介したことがある。例えば「かきくけこ」で、166話、1582話で紹介している。こうした知恵は覚えやすいだけに生きていく上で大切な知恵である。
 この話で驚いたのは「散歩中何かにつまずいて転び、けがをしたとき、これが妻でなくてよかったと思う」という部分である。例えの話にこんな例が出てくるとは・・・・実際の話だったら、もっと激しい言葉が出るのではないでしょうか。それ程に奥さんを大切にされているのだ。思わぬところで真実や本音が出るものだ。




2013/10/25(Fri) (第1847話) 97歳の教え子 寺さん MAIL 

 “会社勤めを終えてから、存分に囲碁を楽しみ、自宅で囲碁の個人講習もしてきた。己の体力が後退し、そろそろ講習を減らそうとしていた昨年八月、大変貴重な電話を受けた。
 面識のない方からだった。「父に囲碁を教えてくれませんか」。私は迷ったが、次の一言で一変した。「父は九十六歳です」
 ご本人にお会いすると、私より二十歳ほど年上で小柄だが、しぐさが若く、とても九十六歳には見えない。囲碁がほとんど分からぬまま、デイサービスの仲間の相手をし、惨敗したという。その体験が受講となった。
 それから一年余り。九十七歳を迎え、習得の成果を上げ、今も頑張っている。私は「元気さん」と名付け、余生録に記録している。最近になって気付いたことだが、私自身の日々の立ち居振る舞いに若さが感じられるのだ。「元気さん」のおかげである。”(10月3日付け中日新聞)

 名古屋市の日向野さん(男・76)の投稿文です。この話を読むと人によっては年齢を全然意識せずに過ごされていると言うことである。96歳にして囲碁で惨敗して、その悔しさからであろう、先生について囲碁を学ぼうとされる。年齢を聞かなければ普通の話しである。日向野さんもそうであったろう。聞く自分達は年齢に驚くのであるが、96歳の人は全然年齢を意識していないのだ。学びたいからする、それだけであろう。
 自分も70歳近くなり、自分でも高齢だ、歳だという言葉をよく発している。言うほどに本人は思っていないのだが、でもこの姿勢は危険だ。若いというのも空々しいので、あまり年齢に触れないことだろう。先日、体年齢を図ってみたら53歳であった。内心は50歳のつもりで事に当たろう。まだ前途洋々だ。悪あがきか・・・。




2013/10/23(Wed) (第1846話) ラジオ体操4回 寺さん MAIL 

 “皆さんはご存じでしょうか。ラジオ体操の放送が一日四回もあることを。私は九月二十一日朝刊の「見てます聴いてます」の欄で知り、驚きました。朝六時半からのNHKラジオ第一での放送後、第二で三回も放送されているのです。今まで「ラジオ体操イコール朝六時半」と思っていました。早速、ラジオ欄を見ると、NHKラジオ第二の番組表に「(ラジオ)体操」の文字が三ヵ所載っていました。
 私はごみを捨てに行った時、公園でラジオ体操をしている方々を見て、「やらなきゃなぁ」と思っていました。また、音楽なしで体操すると、順番がわからなくなったりします。
 ラジオ体操は手軽にできる割に、とてもいい運動であることはわかっています。これからは朝六時半の放送を逃しても、一日一回はやろうと思います。”(10月3日付け中日新聞)

 愛知県知多市の主婦・野呂さん(54)の投稿文です。この投稿にボクも新聞を見たら確かに4回あった。ボクも「ラジオ体操イコール朝六時半」と思っていた。4回もあるならそれぞれが自分の都合のいい時間にすればいいのだ。先日の新聞にラジオ体操の効能についての話があり、いつやっても良いと書いてあった。そして、今の体操はどこの筋肉の体操かを考えてやると効果が大きいとも書いてあった。時間は基本的に決めておいた方がいいと思う。何ごともいつでもいいと思うと返ってできないのである。
 ラジオ体操の効用については「話・話」でももう何回も触れたと思う。そしてボクは平成18年4月から続けているのでもう7年以上である。そしてその効果を身にしみて知っている。野呂さんにも是非続けて欲しいと思う。




2013/10/21(Mon) (第1845話) 七つ道具 寺さん MAIL 

 “時々行く病院はいつも早朝から満員。待ち時間が長いとイライラが募り、ストレスがたまる。今はその病院に行くときは、普段読みにくい本、読んでいない新聞の切り抜き、さらにはがき、原稿用紙、封筒、切手など、七つ道具をバッグに入れる。
 病院はクーラー完備。テレビも流れ、その日の新聞、そして週刊誌すべてがそろっている。それらにあきると、待合室の人間ウオッチングを楽しむ。会話を聞いているだけでも勉強になる。
 名前を呼ばれて中に入ると、医師が「いい顔色しているね。心臓の音もいいし、体重も徐々に減ってきているね」。その言葉にちょっとたまりかけたストレスがどこかに飛んでいく。ストレスと上手に付き合っていけば毎日がルンルン気分である。当面は、七年後の東京五輪を目標に、元気な体で、この目でしっかりと見ることを目指して頑張ろう。”(10月2日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(76)の投稿文です。病院でイライラしたとて早く順番が回ってくるわけではない。分かっていてもそれができないのが人間だ。それならイライラしない工夫をしなければならない。その工夫に小野寺さんの七つ道具とは恐れ入った。ボクはせいぜい本くらいである。小野寺さんにとって病院の待合室は作業場だ。何かをしている合間に診察を受けるという態度にすればイライラと無関係だ。考えようによれば病院の待合室も喫茶店もあまり違わない。エアコンが効いて、雑誌があって・・・。ただ周囲の人気配りも怠らないようにしないといけない。そして一番肝心なことは時間に余裕のある時に、病院へ行くことだろう。




2013/10/19(Sat) (第1844話) 妊婦じゃないのよ 寺さん MAIL 

 “土曜日の昼下がり、用事を済ませて帰路につくため電車に乗りました。座席はほとんど埋まっていましたが、10分程度で下車するので、つり革につかまって立つことにしました。
 すると目の前に座っていた若い女性が、私を見るなり「どうぞ」と立ち上がり、ドアの方へ行ってしまいました。周囲には他に立っている人はおらず、私が譲られたのだと分かりました。妊婦さんと間違えられたのでしょうか。チェックのふわっとしたシャツを着ていましたが、まさか。ドアまで追いかけて「違います」と弁解するのも変なので、せっかくのご厚意と思って座ることにし、複雑な気持ちを抱えたまま帰宅しました。
 毎朝、体重を量り、増加しないように気をつけているつもりです。しかし、現状維持ではまた席を譲られてしまうかもしれません。食いしん坊の私の大好きな季節、秋も到来し、あれも食べたい、これも食べたいと考えていましたが、腹筋トレーニングなどもちょことした方がよいのかな・・・。でも、冬場はコートなどを着て外出するため、体形は目立たないわけで、やはり堂々と食欲の秋を満喫したいと思います。”(10月1日付け朝日新聞)

 東京都町田市の主婦・猪原さん(44)の投稿文です。この勘違いは痛快だ。この席を譲られたのは単に服装だけではないと思う。大いに反省すべきだろう。ところが猪原さんは目立たない格好をして食欲の秋を満喫したいと言われる。この態度も図太いが、でもほどほどにしておいた方が将来のためであろう。肥満は相撲取りにでもならない限り、あまり良いことはない。
 ボクは肥満と言われたことはなく、今でもちょうど標準体重を保っている。ただ食事は妻の言いつけで米類を減らし、肉類も避けるようにしてきた。ところが最近の情報を見ると、老いてますますよく食べ、肉類も食べる人が元気だと言う説や統計が出てきた。そうだろう、食べなければ元気になれないだろう。食べる人は元気だ。ボクもこれからは痩せていくことはあってもそんなに太ることはなかろう。大いに意を強くしている。




2013/10/17(Thu) (第1843話) 「今日用」生活 寺さん MAIL 

 “町内の老入会で敬老の日にちなんでイベントがあり、祝辞で「教養と教育を心掛けて、ますますお元気でお過ごしください」と言われました。教養は「今日用」、教育は「今日行く」という字を当てます。今日する用事がある。今日行くところがある。そんなことに留意をとの言葉に納得し、感心しました。
 買い物や習い事など日々の生活の中で、外に出る用事というのは意外に多いです。また、用事というのは、いろいろ考えることでもあります。例えばスーパーでの買い物の場合は、家族の好物を考慮しマンネリにならない献立を考える、少しでも安い食材を手に入れるため、ちらしをみて決める、今日は天気がいいから筋力アップのために自転車ではなく歩こうかと思案する・・・。
 いざ外出すれば、いろんなものを見て感動したり、人と会っておしゃべりをしたりと刺激があって、知らず知らずに頭の体操になっていると思います。
 日常生活の中でできることは実行し、健康長寿を目指したいと思っています。大いに外に出て、多くの人ともかかわり、楽しい人生を送りたいものです。”(10月1日付け中日新聞)

 愛知県知立市のパート・荒井さん(女・69)の投稿文です。教養と教育、今日用と今日行くか、ダジャレに近いがなかなか良い。朝起きて今日は何をしようかな、今日はどこへ行こうかな、何も浮かばない日が来るなんて・・・・今のボクには考えられないが、いずれ来るだろう。荒井さんのように女性は家事や食事などいつまでも継続してすることがありあまり問題なかろうが、男には問題になる人が多かろう。ボクも可能性が大である。
 ボクの周りには毎日モーニングの喫茶店へ行って時間を潰す人が結構多い。そんなこととボクに思えるが、考えてみればそれはまだ良い方法のなのだ。毎日喫茶店へ出かける。そこでみんなと話す。その年齢、体力あった方法を考える。半径500mの距離に5軒も6軒も喫茶店があるボクの家、地方は良いところだ。




2013/10/15(Tue) (第1842話) そろばん使い 寺さん MAIL 

 “先日、押し入れを片付けていたら、奥の方から見覚えのある赤いビニールケースに入ったそろばんが出てきました。ケースの内側を見ると、私の字で次女の名前が書いてあります。次女が小学生のときに使っていたものです。手に取ってはじいてみると「パチパチ」と澄んだ音がします。とても三十年以上間に使っていたものとは思えないほどでした。玉もスムーズに動きます。片付けの手を休め「忘れていないかな」と思いながら、簡単な計算をしてみました。徐々に桁数を増やし、電卓で答えを合わせました。
 「大丈夫。合っている」。昔のように早くはできませんが、玉をはじくたびに、指先に懐かしい感触がよみがえってきます。指が動きを覚えているのです。何だかうれしくなってきました。このまま押し入れへしまっておくことはない。「そうだ! 毎日付けている家計簿の計算を、電卓からそろばんに変えよう」。指先と頭を使うことで、きっと老化防止になるでしょう。”(9月30日付け中日新聞)

 三重県松坂市の主婦・門山さん(72)の投稿文です。押し入れから昔使ったそろばんが出てきた。この機会に使ってみた。まだ覚えていた。老化防止に電卓より良いだろうと使い始めた門山さん。これは正解だと思う。そろばんと電卓とどちらが良いか、足し算引き算くらいならそろばんの方が早い人はいくらでもあろう。でも今は電卓に頼っている人がほとんどであろう。ボクの家にも古いそろばんはまだ残っている。電卓もそろばんも指を使うことでは同じだが、頭の使い方全然違う。時間に余裕ができた人はそろばんに回帰するのも老化防止の一つの方法だ。
 妻は、結婚以来家計簿を付けており、家計簿と一緒にそろばんがおかれている。ズッとそろばんを使っているのである。これには脱帽である。




2013/10/13(Sun) (第1841話) わが家の防災 寺さん MAIL 

 “防災・減災対策に詳しい専門家に、こう教わった。「自分が住んでいる場所のことをきちんと知っておくこと。まずは、それが肝心です」
 東日本大震災がきっかけとなったのは間違いない。さらに最近のゲリラ豪雨や竜巻発生などの特異な気象現象も人びとを不安にさせ、各家庭の防災への関心を高めているようだ。「自分が住んでいる場所」を知るといっても、そう難しいことを要求されたわけではない。ふつうの住宅地なのか、山や崖のそばなのか、海や川のそばなのか、海抜ゼロメートル地帯のような低地なのか・・・。
 たとえ、ふつうの住宅地だと思っても、地名に水に関連した「川」「河」「潟」「津」などの文字が含まれていれば、元の地盤が軟弱だった可能性があるという。地名には由来があり、くせものなのである。
 でも危険な場所でも悲観する必要はない。避難する時期や方法など、土地に合わせた対策を備えておくために「特徴を知ってほしい」のだそうだ。と、書いてきて気づいた。わが家の住所は「久手」がつく。「低湿な」の意味かあり、要注意の地名とか。ハザードマップをもらいに市役所に行くとしよう。”(9月29日付け中日新聞)

 「世談」という欄から論説室の金田さんの文です。昔からの地名は地域の特徴を表しているものが多いので、その地名からいろいろ推測して欲しいと言うことである。特に災害について参考になることが多いのである。昔は簡単に地形を改変することなどできなかった。そして昔の人は自然災害について弱かったので、敏感であったと言うことであろう。しかし、見た目に地形を改変してもそれは部分的であり、表面的である。その地形の本質はあまり変わっていないので、危険性はそんなに変わっていない。
 ボクに村にも池田という字名がある。確かに今でも水がたまりやすい。上流や下流もある。他の地名についても知ると興味のあることがあるかも知れない。
 この話は今年の2月18日の「(第1728話)災害地名」とほとんど同じ話であるので、そちらも読んでいただきたい。




2013/10/11(Fri) (第1840話) キリギリスの幸せ 寺さん MAIL 

 “自由に飛び回る働き蜂に憧れながら、私は働き蟻として生きてきた。高度成長期の日本にさほど貢献したわけではないが、その恩恵は享受した幸福な蟻人生だった。母の面倒をみるため、55歳で退職。3年後、母は逝った。
 天涯孤独となった悲嘆の底で、ふと目にしたボランティアという言葉の定義の一節が、心に灯をともしてくれた。「できること、得意なことを長く持続させて行うこと」天啓の如くひらめいたのは、ずうずうしいにもほどがあるが、老人ホームでの歌のボランティアである。我流のピアノでも唱歌の伴奏ぐらいは……。悪声だが音痴じゃないし……と勝手な理論武装をし、音楽セラピストよろしく企画書を作成し、近くの老人ホームを訪ねた。
 音楽の力、恐るべし。無表情な方に笑顔が戻り、涙ぐむ人も。現場の介助者の方々も驚くほどだ。そして、「キリギリス」に変身した私自身もしっかり楽しんでいる。私の心の支えは、不慣れな当初、失敗で落ち込んだ私を慰めてくれた入居者の言葉である。
 「あなたがピアノを弾いてくれるから、今日、私たちは歌えるのよ」”(9月29日付け朝日新聞)

 東京都の藤沢さん(男・68)の投稿文です。老後は「できること、得意なことを長く持続させて行うこと」と思いつき、ピアノが弾け、歌が歌えるからと老人ホームにボランティアを申し出る。少しばかり能力があるからと言って自分から名乗り出ることは難しい。藤沢さんは本当に勇気のある人だ。そして、老いてなお何かできるというのは幸せなのだ。人の為ではない、自分のためである。キリギリスはいささか謙遜である。これだけの積極性がある藤沢さんは何より若いのである。
 ボクの知人にも定年後習い始めた歌を老人ホームで歌っている人もあるし、落語をしている人もある。こんな知人がいながらボクにはとてもできない。ボクは押されないとできない人なのだ。完全退職までに考え直さねばいけないだろうか。
 この藤沢さんの話は、先日見たNHKEテレの「団塊スタイル」で紹介された話と全く似ている。あの話は藤沢さんの話ではなかったろうか。




2013/10/09(Wed) (第1839話) 運動会の弁当 寺さん MAIL 

 “近くの幼稚園で運動会の練習が始まり、軽快な音楽が流れてきます。小さな子どもたちが一生懸命練習する姿が目に浮かび、同時にはるか昔の自分の運動会が思い出されます。
 古里の小さな島の運動会は小・中学校合同で、青年団や婦人会も参加する島挙げてのお祭りのようでした。そして、母が用意してくれるお弁当が何よりも楽しみでした。中でも、小豆色をした蒸しパンが大好きで「運動会には蒸しパン作ってね」と念を押すほどでした。後で思えば、前日に仕込みを始め、当日も早朝から時間いっぱいまで台所に立った母は、本当に大変だったと思います。でも、幼い心に刻まれた味は何十年たっても季節が巡るたびによみがえり、気持ちをふんわり包んでくれます。
 今年の運動会でも、青空の下で子どもたちの心にお母さんの味や思い出がたくさん刻まれることを願います。大人になった彼らをきっと支えてくれることかあると思うから。”(9月26日付け中日新聞)

 愛知県愛西市の主婦・日比野さん(55)の投稿文です。今年は町会長と言うことで、小中学校や高校まで来賓として招かれ出席している。先日は小学校の運動会で、孫がいることもあって終日参観していた。そして、昼食は体育館で娘の作ってきた弁当を一緒に食べた。どこにも大きな輪ができていた。それぞれの思いがあるであろう。良い日本を見た思いである。ボクの小学校時代の運動会は、親に運動会を観ている余裕はなく、それでも弁当だけは作って持って来てくれたことを思い出す。その時代その時代で、親は一生懸命であったと思う。
 親子競技もあった。どの子にも家族が来ていた。無理をした家族もあろうと思うが、度々あることではない。思い出作りの良い機会である。続けて欲しいことである。




2013/10/07(Mon) (第1838話) 幸せいっぱい 寺さん MAIL 

 “散歩の途中で名前を知らないかわいらしい花を見つけたとき、さわやかな風に秋の訪れを感じるとき、思う存分、好きな読書ができたときー。今、さまざまなことに、幸せをかみしめている。
 最近、長い闘病生活から解放された。病気のときはずっと真っ暗なトンネルにいるようだった。そのためか、ささいなことにより感動できるようになった。気持ちが穏やかになり、不安という波風が立たないのが本当にうれしい。
 「健康であること」のありがたみをひしひしと感じている。健康であれば、どんなことでもできる。「うれしい」「楽しい」という思いがどんどんふくらんでくる。それだけで、幸せになれると気付いた。
 人それぞれ度合いは違うけれど、幸せを感じる能力はすべての人に与えられている。常に、幸せを心いっぱい受けることができるような自分でありたい。そして、心配をかけた周囲の人々に恩返しがしたい。”(9月24日付け中日新聞)

 名古屋市の磯村さん(女・53)の投稿文です。病気になって健康のありがたさを知る、よく聞く話である。磯村さんは長い闘病生活の上、健康を得られたようである。それだけによりそう思われるのだろう。まだ53歳の若さである。これからの人生をこのように幸せを感じて過ごされるのは災いが幸いしたようなものである。
 人は常に上をめざす。それは良いことだが、今の自分に不満ばかりが上昇志向の原動力であったらあまり良いとも言えない。幸せであるが故に上昇志向となれればより良いであろう。難しいことであるが、磯村さんのように災いを知った人には可能な気がする。ボクは大きな災いを体験していない。本当はこういう人が大きな幸せを感じ、その幸せを社会に還元していかなくてはいけない。




2013/10/05(Sat) (第1837話) 表札 寺さん MAIL 

 “わが家の玄関には、幾分大きめの表札がかかっている。ここに住み着いてから、もう二十八年もたったが、その間、玄関を出入りする人たちをずっと静かに見守り続けてきた。台木はすっかり色あせ、墨で書かれた氏名もかなり見づらくなっているが、真新しいものより貫禄があって頼もしくも思う。
 二十八年前、念願かなってやっとわが家を新築した時、表札は以前の家で使っていたむので間に合わせるつもりでいた。ところが、母が「せっかく新築したのだから、表札も新しくしましょう」と言って、神社で祈祷をあげてもらった表札を取り寄せてくれた。やはり、新築家屋には新しい表札が似合うようだが、それよりも、その表札には、ここに住む家族の幸せを願う母の思いが込められていて、とてもうれしかった。
 あれから三十年近くなる。特に不幸、災難もなく、平凡な毎日の連続だった。が、それこそが母が願った幸せかもしれない。玄関を出入りするたび、古ぼけた表札を眺めながら、あの時の母の思いやりに感謝している。”(9月20日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の宇野さん(男・77)の投稿文です。ボクも結婚してからズッと表札を掲げている。40年も使った木の表札の文字が見えにくくなってきて、数年前に台湾に行ったとき、石の表札を作ってもらって替えた。しかし、古いものが捨てられず、今は家の中に掲げている。結婚して表札を掲げたとき、一人前になった気がして誇らしく思ったことを思い出す。考えてみれば表札は、雨にも負けず風にも負けず玄関でわが家をじっと見つめてきてくれたのでる。守ってきてくれたのである。神様の御札様以上かも知れない。
 最近は表札を掲げている家が少なくなった。これも個人情報を隠したくなった風潮からだろう。そして、始めて訪ねる人には全く辛くなった。どこの家か分からないのである。近くで聞いても分からないことも多い。寂しい世の中になって来たものだ。
 ボクは今、町会長の表札を道路から見える位置に立てている。訪ねてくる人に安心して入ってきてもらうためである。表札の果たす役割は大きいと思う。




2013/10/03(Thu) (第1836話) 拾う子は捨てない 寺さん MAIL 

 “夏の甲子園で初優勝した前橋育英高校の荒井直樹監督は、11年前に監督になったとき、毎朝生徒たちと寮や学校周辺のごみ拾いを始めたという。今大会期間中も宿舎の周りを掃除したとか。「ごみを拾う子は捨てる子にならない」と教えられた何百人もの生徒たちは、今後も社会のモラルを高め心豊かに人生を過ごしてくれるだろう。
 我が家の前の十字路には「とまれ」と書いてあり、朝夕は停止する車が3、4台並ぶ。そのとき窓が開いて、空き缶や空き瓶、紙くずなどを捨てていく。時には食べ残しがある弁当箱入りのずっしりと重いスーパーの袋が側溝に落ちている。先を急いでいるだけなのか、車内だけがきれいならばそれでいいのかわからないが、「ごみを拾う子は捨てる子にはならない」と耳元でささやいてみたいものだ。”(9月12日付け朝日新聞)

 愛知県の清水さん(男・85)の投稿文です。ごみ拾いについてはもう何度もここで取り上げている。それだけ投稿文も多いのである。前橋育英高校の野球部員のごみ拾いは毎日である。これはあまりないことである。ボクの回りでも、昔に比べればごみはかなり少なくなったとは思うが、それでもごみ捨ては多い。「ごみを拾う子は捨てる子にならない」、本当にそうだから、多くのところで行って欲しいと思う。
 ボクの町内でも11月に町内会、老人会、子供会の役員で行うことになっている。でも年に1回である。ボクの地元にある私立の中高校生も行っていると、先日その学校の先生から聞いたが、ここも年1回である。もう少し増やさないと、ただやっていると言うだけで本当の効果は少ないだろう。ボクの会社では月1回である。この程度にできないだろうか。




2013/10/01(Tue) (第1835話) 防災リーダー 寺さん MAIL 

 “私は三年前、町内会長の役職を引き受けました。高齢ながら、地域社会への奉仕と心得て、やる以上は責任を持ってやろうと思いました。予期しなかったことは、前会長から大変な荷物を引き受けたことです。大きな段ボール箱数箱分のヘルメットやバケツ、衣服類などでした。ほとんどが防災用品で、しかも一度も使っていない新品ばかりでした。
 区役所で辞令交付式があり、町内会長のイメージとは異なる区政協力委員と防災責任者に任命されました。間もなく、消防署で救急処置の方法など災害時には防災リーダーになるための講習を受けました。体力に自信がないので、せめて事務的な仕事で役に立とうと、住民名簿を完備させようと思ったら、個人情報保護法に抵触するとかでやんわりと断られました。
 最近、世の中は建前ばかりが幅を利かし、例えば防災訓練を企画しても参加する人を集めるのが一苦労。一番体験し、しっかりと技術を身に付けてほしい人は人ごとと決め込んでいるのが現状です。在任中、幸いにも災害らしきものは何一つなく、無事に役目を終えることができました。”(9月11日付け中日新聞)

 名古屋市の岩井さん(男・88)の投稿文です。この文にはいくつも考えさせられることが含まれている。今ボクが町会長を務めているだけにより感じるのだろうか。まず88歳で町会長と言うことである。今の時代元気な老人が多いと言っても88歳では大変だ。名前だけの町会長ならいいが、普通は先頭に立たねばならない。いろいろなやり方や組織があると思うが、それでもこうした高齢者を町会長にしなければならないのか。次に個人情報保護法である。先日ボクが出席した町会長会で、ある町会長から「個人情報が含まれているから扱いを慎重にして欲しい」と言われた。どこに個人情報があるかと一瞬首をひねった。何でも個人情報と言って公にしないのである。びっくりした。そして、参加者のことである。町会長をやっていて何が一番大変かというと、参加者を集めることである。ボクの地区でも10月終わりに防災訓練がある。役員でも参加しない。一般住民は言うに及ばない。他の行事でも同じである。町会長がこんな事で苦労していては、改革や新しいことに取り組む意欲も余裕もない。今町会長をやっているだけに言いたいことはいっぱいである。


 


川柳&ウォーク