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第113号  2013年9月

2013/09/29(Sun) (第1834話) 猛暑の置きみやげ 寺さん MAIL 

 “早寝早起きの夫と、遅寝遅起きの私。時間のずれがストレスになり、寝室を別にして十数年になる。夫は夜7時には自分の部屋に入り、ラジオを聞き、読書して早々に寝る。私は夜10時ぐらいまでテレビ、パソコン、長電話。互いに快適な生活だった。
 しかし以前、夏の寝苦しい夜に夫の部屋を見てドキッとしたことがある。窓は開いていたが、カーテンはしっかり閉まり、扇風機が止まっていた。部屋中がムンムンとしている。熱中症が心配で、エアコンがある私の部屋で寝るように言ったけれど、冷房嫌いの夫はがんとして動かなかった。
 しかし、さすがに今年の猛暑は危険である。やっと説得に応じて、7月から私の部屋で寝るようになった。とはいえ、「涼しくなったら部屋に戻る」と何度も言っていたが。最近は私もテレビは見なくなり、長電話もせず、早寝するようになった。枕元のラジオで夫とナイター中継を聞きながらストレッチしたり、2人でおしゃべりしたり。そんな就寝前のひとときが何とも心地よい。
 セミの声も少なくなり、とっくにエアコンは切っている。なのに夫は自分の部屋に戻る気配がない。”(9月10日付け朝日新聞)

 横浜市のパート・加藤さん(女・66)の投稿文です。夫婦は床は別にしても寝室まで別にしてはいけないだろう。特に高齢者は夜中に何が起こるかも知れない。早く気づいて助かることもある。この話はなかなか面白い。今年の暑さの効用だ。
 実はボクの夫婦は今年に入って少しパターンが違ってきた。その原因は寝室にテレビとビデオを入れたことにある。これ以前は、いつも午後9時からのドラマを飽きもせずに妻につき合って見ていた。所が、寝室にテレビを入れてから、ボクはもっぱら教養番組を録画して一人で見ている。今ではほとんどドラマを見ていない。妻は相変わらずドラマを見ている。加藤さんと逆のパターンになってしまった。でもボクの夫婦は結婚して以来、寝室を別にしたことはない。




2013/09/27(Fri) (第1833話) 日常を見直す 寺さん MAIL 

 “僕は今年一月から毎日、日記を書くようになりました。始めたきっかけは、祖父が日記をつけていると知ったからです。正月に祖父の日記を見せてもらい「毎日、日記をつけているなんてすごいな。僕もこういうことを継続できるようになりたいな」と思いました。
 書き始めたばかりのころは、書くのはそんなに大変ではありませんでした。しかし、最近では「書くのが面倒くさいな」と思う日があります。そんなときには、前日に書いたものを読み返します。すると、毎日のいろいろな出来事を思い出すことができて、やっぱり書こうという気持ちになれます。また、起床・就寝時間を記入することによって、自分の生活について見直すことができます。
 日記とは生活や思い出の記録で、いい点がたくさんあります。皆さんも日記をつけてみてはどうでしょうか。”(9月6日付け中日新聞)

 名古屋市の中学生・嵐さん(男・13)の投稿文です。中学生で日記を始められたのはいい。もういくつもの効用を見いだされたが、まだまだたくさんの効用がある。続けていくうちに気づかれるだろう。長く継続されることを期待したい。
 きっかけが祖父の日記からと言うのもいい。ボクももう何十年と日記を書いている。孫が気づいてくれないだろうか。何かの折りにそれとなく話してみたい。嵐さんのようにならないとも限らない。




2013/09/21(Sat) (第1832話) 「みにくいあひるの子」の幸せ 寺さん MAIL 

 “「また学校へ来て、紙芝居を見せてください」。少女は可愛らしく頭を下げて言った。今年7月、地元小学校での朝の読み聞かせ時間。仲間と手作り大型紙芝居のボランティアを始めて3年目のことだった。
 少女の願いに、アンデルセンの「みにくいあひるの子」を見せてあげたいと、その日から制作に取りかかった。次回の読み聞かせの9月に間に合わせたかった。日中の室温は33度、窓を開け放し扇風機を使用。不思議なことに制作中は暑さを感じなかったし、体のだるさも消えていた。
 紙芝居を描いている時、「みにくいあひるの子」と、いじめられていた自分の子ども時代が重なった。でも今の私は幸せだ。家族や友人、隣人に恵まれ、夫の協力にも支えられて、大型紙芝居を制作し、幼稚園や小学校、老人施設ヘボランティアに出かけている。(後略)”(9月3日付け朝日新聞)

 静岡県堪南町の主婦・鈴木さん(女・71)の投稿文です。大型紙芝居を作り、子どもらに読み聞かせる。素晴らしい活動である。71歳である。年齢でもない。きっかけは何だったか知りたいが、出合いと好奇心、意欲であろうか。ボクの先輩で、定年後落語に励み、老人ホームなどで活動している人がいる。ボクの同級生で、毎日のように小学生の登下校の見守りをしている人がいる。ボクの村に車で地域をパトロールしている人がいる。身近にもあるのである。ボクもアンテナを張って、ボクに無理のない活動を見つけたい。




2013/09/19(Thu) (第1831話) 携帯電話禁止車両 寺さん MAIL 

 “「申し訳ありません。心臓が悪いので携帯電話を使うのを遠慮してもらえますか」。電車の車内で携帯電話を使う人が現れるたび、何度もそう声をかける初老の男性を見ました。(中略)
 車内では、「優先席付近では携帯電話の電源をお切り下さい」と放送されることもあります。しかし、それでも携帯電話を使用する人がいることもありますし、混雑した車内では先の男性のような方が優先席付近に行けない場合もあるでしょう。
 1車両を丸ごと「携帯電話禁止」にしてはどうでしょう。そのような車両があれば、心臓に不安のある方や子どもへの電磁波の影響を心配する方も、安心して電車に乗れるはずです。鉄道機関の方に検討していただけたらと思います。”(9月3日付け朝日新聞)

 岐阜県の国語教室主宰・高田さん(男・40)の投稿文です。誰もがどの車両にも自由に乗れて、どの席にも自由に座れる。そして、弱者やその人に応じた気配りを示す、これがあって欲しい姿だ。それが弱者優先席ができ、女性専用車両ができた。そうであれば、携帯電話禁止車両があってもおかしくない。車両の中を見ていると、携帯電話やスマホなどを見ている人の多さにボクは不思議な世界を見ている気分である。そして、人のことなど無頓着である。いくら注意の放送があっても動じない。高田さん提案の携帯電話禁止車両がかなえられるのもそう遠くない気がする。そうなると本当に悲劇だ。2005年8月5日の「話・話(第367話)女性化粧車両」はまだ実現されていないようだが。




2013/09/17(Tue) (第1830話) どういう意味? 寺さん MAIL 

 “「浸水被害が出ていますのでアンダーパスには気をつけて下さい」。大雨が続くとニュースで警報の情報を知る。各放送局の同じ言葉を耳にして一瞬意味を考えた。浸水から推測できるが、その「アンダーパス」とは地下にもぐる構造の高架下の道路という意味らしい。それなら、半地下や地下の道路などと表現した方がわかりやすい。
 いつから日本で使い始めたのだろうか。日本語だと長い文字数になるため短い表現が可能な横文字を使いがちだが、危険を知らせる場合に使うのが適切かどうか疑問に思う。学校教育で8年間、英語を学んだ私でこの程度。高等な英語教育よりも日常英会話を教えれば、アンダーパスも誰もがすぐに理解できるのかもしれませんね。”(9月2日付け朝日新聞)

 山口県の佐藤さん(男・59)の投稿文です。ボクもカタカナ語の氾濫を苦々しく思っている一人だ。なぜ昔からキチンとした日本語があるのに、なぜわかりにくいカタカナ語をわざわざ使うのか、疑問に思うことがよくある。特にマスコミ、行政は奇抜さや流行に流されるものであってはいけないのに、逆にあおっている気がする。佐藤さんの言われるように、危険を知らせる場合に使うのは特に避けて欲しい。例えばハザードマップなど以ての外、災害予測地図でなぜいけないのか。和製カタカナ語など国際化でも何でもない。
 カタカナ語の氾濫に、先日NHKを訴えていた人が新聞に出でていた。ボクも応援したい気分だ。勝つのは難しいだろうが、どのようにした方がいいのか、これをきっかけに多くの人で考えて欲しいことだ。訴えた人もそれがねらいであろう。




2013/09/15(Sun) (第1829話) 安心かプライバシーか 寺さん MAIL 

 “銀行のカウンターで振込用紙に記入していると、「学費ですか」という声。驚いて顔を上げると、男性行員が、私にぴたりと寄り添うようにして手元をのぞき込んでいる。「お母さんですよね。金額はこれで大丈夫ですか。振込先は確かに大学ですか」と、怖い顔で問い詰められた。実際は、私自身の学費だった。
 だが、この年齢で学生をやっていると気恥ずかしさと、それをのぞき見られた居心地の悪さで、返事もせずにその場を離れた。銀行を出てから、ハッと気がついた。あれは、振り込め詐欺防止のための声かけだったのだと。
 被害を未然に防ごうと、警察も金融機関も神経をとがらせているに違いない。行員の声かけで、被害が未然に防げた例も報告されている。被害者の多くは高齢女性。怖い顔で私に接してくれた行員さんには、悪いことをしてしまった。
 声かけは、大変ありがたい。しかし、それはプライバシーの侵害にもなる。私の不快感はそこから出ていた。安心か、プライバシーか。一筋縄ではいかない問題だが、多少の不便や不快さを我慢してでも、被害を食い止めてもらわなければと思い直した。”(9月2日付け朝日新聞)

 千葉市の社会人学生・田嶋さん(女・62)の投稿文です。新聞等を見ていると振り込め詐欺は相変わらず多い。読んでいて、なぜこんな事に欺されるのか、不思議に思ってしまう。そして、どの人もまさか自分が欺されるとは思っていなかったとコメントされる。これが老人と言うことである。いつまでも正常と思っているのは自分ばかりである。ボクも信じられないような失敗をよく犯している。こうなると周りが気をつけなければならない。最近の銀行はロビーに人をおいている所が多くなった。少しウロウロとしているとすぐに寄ってきて親切に対応してくれる。ありがたいが、田嶋さんのように思われる人もある。
 プライバシーについて以前はこのように騒がれなかった。もっと大らかであった。しかし、それを悪用する人が多くなった。そして、何でもないようなことにも知られることをいやがる人が多くなった。一部の悪用のために、大きな弊害を生んでいる。絆、絆という割りにはますます疎遠になっている。今、町会長をしていてますますそれを感じている。
 それにしても田嶋さんは62歳にして学生とは、本当に人は様々だ。ボクは何とする。




2013/09/13(Fri) (第1828話) 筋トレ3年目 寺さん MAIL 

 “週三回、筋トレに通いだしてから三年目に入り、最近、われながら驚くほどの効果を感じている。まずひどかった肩こりが冶った。自律神経失調症など忘れて夏パテもなし。心なしか以前より背筋が伸び、姿勢がよくなったように思う。テレビの健康番組の医師が「筋トレは何歳からでも効果あり」と言っていたのは本当だった。以前から続けている毎朝のラジオ体操、体調に合わせてのウォーキングの効果もあるだろうが、うれしい限りだ。
 家に閉じこもらず、積極的に人と語り合い、笑う。趣味を持ち、頭の体操を怠らない。三日坊主に終わらないことが大切だ。
 健康に生かされていることに感謝しつつ、明るい余生を過ごすには心がけと努力が必要だ。医療保険などの財源に頼らないのも、社会への貢献と信じている。悲惨な戦争に青春を奪われたわれわれ戦中派は、健康な限り、何が来ようと負けないという自負がある。いつか果てる日まで、命を大切に楽しみたい。”(9月2日付け中日新聞)

 三重県亀山市の会社役員・本城さん(男・84)の投稿文です。筋トレ3年目という表題を見てこれはボクのことかと思った。そして投稿者の84という年齢を見て大違いと知った。しかし、84歳にしてこの文である。何歳になってもできるのだ。
 効用については言われるとおりである。健康なことは社会貢献という発想も、言われればまさにその通りである。健康は自分のため、社会のためである。ボクは筋トレに通うようになって老人ほど必要と言うことに気づいた。日常生活の行動が少なくなる老人は日常生活だけで筋力は維持できないのである。筋力はどんどん衰えるのである。筋力の衰えはいろいろな弊害をもたらす。それだけに意識して行う必要がある。しかし、ボクの行っている体育館で、60歳以上は数パーセントであるらしい。70歳代となるともう数える程である。先日ボクは68歳の誕生日を迎えた。体育館での参加票に早く70歳代と書きたい・・・でもこれはおかしいか。まだまだ60歳代を楽しまなくては。




2013/09/11(Wed) (第1827話) 地震への備え  寺さん MAIL 

 “先日の緊急地震速報には驚かされた。私は自宅の居間でテレビを見ていて速報を知ったが、どうしようかと戸惑うばかりで、何もできなかった。
 やがて誤報と判明したが、それに対する批判より、やれ一安心という気持ちであった。もしこれが本当だったとしたら、速報から一分もたたないうちにこの地方は大揺れとなり、人々はパニックに陥ったと思う。今回は、速報が出た場合にどうするかという問題を提起されたような気がする。
 いまさら言うまでもなく、わが国はいつ、どこで巨大地震が起きてもおかしくない状況である。身の安全を確保する準備が、喫緊の課題である。まずは速報が出たらすぐに避難行動をとることだ。それ以降の準備はどうか。わが家では大型食器棚を固定しているほか、飲み水のボトル数本、手回しラジオとライトを常備しているだけだった。まずは対策を早急に見直し、手配すべきものをリストアップして対応しようと思う。”(8月26日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の松波さん(男・74)の投稿文です。ボクも職場にいて、この情報をすぐに知った。そして、誤報であったことも知った。しかし、誰も不服を言う人はいなかった。また新聞等でもあまり批判記事や意見は見なくて、この投稿文のように戒めとされた人も多かったように思う。実際これだけ全国各地で地震が起こり、豪雨があり、竜巻まで起こる。少しでも早く情報は欲しいのである。苦情を言って、情報を出す方が慎重になり、遅れるようなことになったら、何の苦情かと言うことになる。自然のなす事に人知はとても及ばない。100の避難情報があっても、一つも当たらない方がいい。避難訓練だと思えばいい、そんな気持ちで受け止めたい。そしてその度に、我が身を振り返ればいいのである。




2013/09/09(Mon) (第1826話) ヒマの上にも5年 寺さん MAIL 

 “退職して丸5年が過ぎた。決してあっという間ではなかった。ボランティア、市民講座、通信教育、四国遍路とあれこれやってみた。退職後の予定などまったく考えていなかったせいもあって、自由を謳歌するというより、のたうちまわったという感じが強い。当然ながら家内との間もぎくしゃくして、険悪な空気が漂うことも一再ならず。
 しかしこのところ家内の機嫌がいい。昨年から週2日、アルバイトに出かけているからだ。自分自身も現役時代の生活のリズムが少し戻ってきて、心なしか体調もよくなったように感じる。やはり現実の社会とのかかわりの中で、少しでもなすべきことを持つことが必要だったのだ。それを思い知るのに遠回りして5年もかかってしまった。アルバイトの日は家内が昔のように弁当も作ってくれる。そして車が見えなくなるまで見送る。機嫌がいいと手まで振ってくれる。バックミラーに映る笑顔がうれしそうだ。
 私のいない自由な時間と空間は、かけがえの無い宝物なのだろう。それはそれで大切なことだ。ヒマの上にも5年、やっとそんなことが骨身にしみてわかるようになった。”(8月25日付け朝日新聞)

 山口県下松市の砂田さん(男・66)の投稿文です。これはまさに定年後のあり方を考えさせられる文である。先日「老後の大盲点」と言う本を読んだ。この文で納得されられることも多い。本に「定年後にあれもやりたい、これもやりたいは、何もできない」と言う表題があった。砂田さんは定年後にいろいろ挑戦されたが、のたうちまわったと言う感じであると言われる。定年後では遅いでのある。「年取ったら女房が面倒をみてくれるというのは、錯覚」と言う表題もあった。砂田さんはまさにそれを実感されたと思う。
 定年のある職業というのは辛いものである。毎日束縛されていたものがいきなり自由になり、また環境が大きく変わってしまうのである。特に元気な男に暇は辛いのである。方法はいろいろあろうが、現役時代にやりたいこと、やれることに少しずつなじんでおき、定年後に本格的にするが一つの方法であろう。また、頼るのではなく、自立できるようにする、する意欲を持つのが大切であろう。ボクはその必要性は知っていた。そして、ボクは幸いに60歳定年後、いきなり自由になったのではなく、徐々に軟着陸している。そして、趣味の川柳とウォークはもう何十年という経験を持ち、今も続けている。それでも完全リタイアが近づいて不安が漂ってくる。地元役員もほとんどやり終えた。浮く時間をどう使うか、今から考えておく必要がある。




2013/09/07(Sat) (第1825話) 暑さ活用した干し野菜づくり 寺さん MAIL 

 “連日の気温35度超えの、うだるような暑さの中、私の住む街は雨が降らない。もし来年以降も亜熱帯のようなこの気候が続くとすれば悲観ばかりしていられない。そうだ!この機会に干し野菜を作っておこう。太陽を浴びてミネラル豊富なものになるに違いない。冷凍保存で1年は持つはず。
 干しショウガは鍋料理や汁物に入れれば体が温まり、風邪の予防になる。大根、ニンジン、ゴボウは煮物に。ぐっと甘みが増すので砂糖も控えめになる。そしてうまみが大幅に増すのがキノコ類。これらをスライスし、干物用の網に並ベカラカラになったらでき上がり。炎熱の日々でなんとわずか2日間でできた。エノキはアメ色になり見るからに滋養が豊富そう。よしよし。家族の健康のために前向きな発想ができてなんだかうれしい。”(8月23日付け朝日新聞)

 埼玉県の主婦・佐藤さん(56)の投稿文です。ボクは昔の男の典型で料理には全く係わらないが、野菜作りはボクの仕事である。そして作ったからには有効に利用して欲しい。一時に食べきらないくらい多くできたとき、有効な方法は保存できるようにすることである。それは干す、漬けるであろうか。これは災害時の保存食にも役立つ。
 わが家の干す代表は茄子である。毎年5本の茄子を植えるが、盛りになると毎食食べてもとても食べきれない。そこで薄く切って干すのである。妻には大変な労力になるようで、気が進まぬ妻を叱咤するのである。これが野菜が少なくなった冬からの出番である。戻して煮るのである。これがボクの好物でもある。
 佐藤さんはメニューが豊富だ。素晴らしい。そしてこんなに多くの野菜を作っておられるのだろうか。先日、偶然テレビで干し物の効用を話していた。干して味が凝縮するので調味料が少なくなる。また煮る時間も少なくなる。そして、ホウレンソウやトマトなどこんなものと思うものまで干し物にしていた。




2013/09/05(Thu) (第1824話) 渋谷から被災地に出店 寺さん MAIL 

 “若者のファッション情報の発信基地として知られる東京・渋谷の店舗が、3日間の期間限定で岩手県釜石市に出店し、地元の人たちに喜ばれているというテレビニュースを見ました。
 これは率直な希望を持った地元の女子中学生がその思いを母親に伝えたところ、「行動しなければ」と後押しされ、運営会社の社長宛てに手紙を出したことがきっかけだそうです。その社長も彼女の希望を快諾され、私はとても心を動かされました。会社側としては、震災からの復興支援としての側面を考慮した上での決断だったと思いますが、実際に店舗を訪れた人々の明るい喜びの表情を見て、やってよかったと思ったのではないでしょうか。
 何かと暗い話題の多い中で心地よいニュースでした。同じような出来事がもっとあればよいなと思いました。”(8月22日付け朝日新聞)

 東京都のバス乗務員・長縄さん(男・66)の投稿文です。ボクもこのニュースを見ました。女子中学生のインタービューも見ました。この文のように母親に行動を促されてと言っていました。思ったら行動に移す、これが何かが始まる原点でしょう。
 「行動する」重要性については、「話・話」6月24日の「(第1818話)高齢者活用制度」始めいろいろなところで紹介しています。行動に移すには努力がいります。人前にさらすという勇気もいります。また責任も生じます。行動に移すと言うことはたやすいことではありません。それだから賞賛されるのです。そして、それに呼応して下さる人も現れます。この社長さんがそうです。傍観の他人になるか、一つ踏みだし係わるか、ここで人生が大きく違ってきます。人生をどう捉えるか、しっかり考えたいものです。ボクは小市民としては比較的積極的に生きてきたと思うが、問題はこれからだ。




2013/09/03(Tue) (第1823話) 声かけ実践の警官 寺さん MAIL 

 “先日、所用で博多駅を利用した。猛暑厳しい昼下がり、出入り口で汗だくになりながら道行く人に声をかけている警察官がいた。「こんにちは」「暑い中、お疲れさまです」「高校生諸君、毎日ご苦労さん」。ひっきりなしに声をかけている。地元の人にとっては日常の風景と化しているのか、注目しているのは私ぐらいのものだった。
 一度は通り過ぎたのだが、戻って声をかけてみた。彼は、「あいさつが人間関係の基本、あなたの地域でもぜひ広めてください」と満面の笑顔でおっしゃる。先頃、話題になった東京・渋谷のDJポリスを思い出して、「警視総監賞も近いですね」と軽□をたたいてしまった。
 パトロール業務に加え、声かけを実践されているのは自発的な行動なのだろう。社会を明るくしたいという願いを、ご自分ができる形で続けておられる姿に、猛暑の中、とてもさわやかな思いがした。”(8月22日付け朝日新聞)

 長崎県の森さん(女・50)の投稿文です。この警察官の方は「あいさつが人間関係の基本、あなたの地域でもぜひ広めてください」と言われることから挨拶に対する思い入れがかなり高いと感じられます。言われるとおりに、挨拶は人間関係の基本です。この「話・話」でも幾度となく挨拶の話しは取り上げています。そして、森さんはこの警察官に感心され、声をかけられた。この姿勢も良いと思います。
 ところで通りがかりの他の人はどうでしょうか。挨拶をされて返す人はあったでしょうか。あったとしてどのくらいだったでしょうか。ボクの最寄りの駅の駅員さんはいつも朝挨拶をされています。ボクは会釈をしたり、言葉を出すように心がけていますが、ほとんど見当たりません。ボクの会社が入っているビルでは、朝、警備員の方がロビーで挨拶をされます。ボクはいつも返しているつもりですが、これも多くは見かけません。会社の入っているビルですからかなり限られた人間です。それでも少ないのです。挨拶は基本、他人同士でも心がけたいものです。少なくとも声をかけられたら応じたいものです。




2013/09/01(Sun) (第1822話) 引き戸の玄関 寺さん MAIL 

 “最近、引き戸の玄関を見かけない。ドアの玄関が主流、部屋も多くがドアだ。ドアがバタンと閉まるときの、他をシャットアウトするかのような音が嫌いだ。その点、日本家屋の引き戸は味があった。
 初訪問の客はそろそろと、元気な子どもはガラガラッと戸を開けた。来訪者を見送るときは、姿が見えなくなってから戸を閉めた。戸の開閉の音だけで、どんな人が来たのか大方の予想がついた。日本人はそういうところで、知らず知らずのうちに感性が磨かれていたのではないか。「壁に耳あり、障子に目あり」で時に窮屈を感じる半面、「世間に顔向けできないことはするな」という戒めになっていたような気もする。
 ドアは冷たく内と外を隔てる。一度閉めたら「ここからは自分だけの空間、邪魔をするな」というような空気が漂う。引きこもりも育児ノイローゼもそんな空間の中で他者との接触を避け、自身を追いこむことから起きているのではないか。引き戸が持つ優しい感触を、見つめ直してはどうだろうか。”(8月13日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・豊田さん(女・50)の投稿文です。いろいろな見方があるものだと感心する。ドアーは他をシャットアウトする、と言われればそんな気がする。どこからドアーが全盛になったろうか。欧米化からだろうか。
 ドアーか引き戸かと言うとき、まず家の構造による使い分けがある。引き戸は横に余裕が必要だし、ドアーは前後に余裕がないといけない。どちらでも設置が可能だとすると、引き戸の方が便利なときが多い気がする。特に引き戸はどこでも止めることができる。持っている必要もない。豊田さんの言われるように開け方によって誰かも分かるかも知れない。どこかでなくしてしまった日本の文化である。
 ボクの家の玄関も昔は引き戸だったが、今はドアーである。裏口もドアーだ。引き戸に出来なかったわけではないが、自然にドアーにしてしまった気がする。ボクの家には室内にもう1本ドアーがある。ここは構造上、引き戸は無理である。その他は何十本と引き戸である。数年前の自宅改造で、トイレのドアーを引き戸に変えた。これは体が不自由になったときのことを考えてのことである。考えるほどに引き戸の方が都合がいい。


 


川柳&ウォーク