2013/09/09(Mon) (第1826話) ヒマの上にも5年 |
寺さん |
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“退職して丸5年が過ぎた。決してあっという間ではなかった。ボランティア、市民講座、通信教育、四国遍路とあれこれやってみた。退職後の予定などまったく考えていなかったせいもあって、自由を謳歌するというより、のたうちまわったという感じが強い。当然ながら家内との間もぎくしゃくして、険悪な空気が漂うことも一再ならず。 しかしこのところ家内の機嫌がいい。昨年から週2日、アルバイトに出かけているからだ。自分自身も現役時代の生活のリズムが少し戻ってきて、心なしか体調もよくなったように感じる。やはり現実の社会とのかかわりの中で、少しでもなすべきことを持つことが必要だったのだ。それを思い知るのに遠回りして5年もかかってしまった。アルバイトの日は家内が昔のように弁当も作ってくれる。そして車が見えなくなるまで見送る。機嫌がいいと手まで振ってくれる。バックミラーに映る笑顔がうれしそうだ。 私のいない自由な時間と空間は、かけがえの無い宝物なのだろう。それはそれで大切なことだ。ヒマの上にも5年、やっとそんなことが骨身にしみてわかるようになった。”(8月25日付け朝日新聞)
山口県下松市の砂田さん(男・66)の投稿文です。これはまさに定年後のあり方を考えさせられる文である。先日「老後の大盲点」と言う本を読んだ。この文で納得されられることも多い。本に「定年後にあれもやりたい、これもやりたいは、何もできない」と言う表題があった。砂田さんは定年後にいろいろ挑戦されたが、のたうちまわったと言う感じであると言われる。定年後では遅いでのある。「年取ったら女房が面倒をみてくれるというのは、錯覚」と言う表題もあった。砂田さんはまさにそれを実感されたと思う。 定年のある職業というのは辛いものである。毎日束縛されていたものがいきなり自由になり、また環境が大きく変わってしまうのである。特に元気な男に暇は辛いのである。方法はいろいろあろうが、現役時代にやりたいこと、やれることに少しずつなじんでおき、定年後に本格的にするが一つの方法であろう。また、頼るのではなく、自立できるようにする、する意欲を持つのが大切であろう。ボクはその必要性は知っていた。そして、ボクは幸いに60歳定年後、いきなり自由になったのではなく、徐々に軟着陸している。そして、趣味の川柳とウォークはもう何十年という経験を持ち、今も続けている。それでも完全リタイアが近づいて不安が漂ってくる。地元役員もほとんどやり終えた。浮く時間をどう使うか、今から考えておく必要がある。
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