2013/07/31(Wed) (第1806話) 歯科定期検診 |
寺さん |
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“今、健康に関心のある人が増えています。私は半年に一回くらいの頻度で、歯科検診を受けています。歯科医院は歯を削られるから苦手という人が多いと思います。しかし、虫歯になってから通院すると大変なのに対し、定期的に検診を受ければ、虫歯が初期段階で見つかる可能性が高いので、痛い注射をしなくて済みそうです。それに、毎日の歯みがきだけでは取れない歯石も取ってもらえるので、口の中がきれいになります。 私は歯科助手のアルバイトをしていたことがありますが、二十代の若さなのに治療に二年近く通われていた方がいて、驚いたことがあります。八十歳で自分の歯が二十本あるのが理想とされています。いつまでも自分の歯でおいしい料理を食べたいと、誰でも願うと思います。毎日の歯みがきももちろん大切ですが、大切な歯を守るために時には歯科医院で診てもらいたいものです。”(7月13日付け中日新聞)
愛知県安城市のパート・石原さん(女・38)の投稿文です。体のどんな部分も大切なものである。小指がほんの少し傷ついただけでも不便である。どの部分が特に大切などと言えないが、そうであっても歯は特に大切な一つであろう。人間は食べなければ生きていけない。そして食べるなら美味しく食べたい。それには歯が重要である。それだから「80歳で20本」などと叫ばれているのである。 ボクはもう10年前にインプラント治療を2本した。そしてその後年に3回ほど呼び出しを受け、定期検診を受けている。歯垢や歯石を取るだけでなく、歯の状態を問われ、早め早めに治療をしていく。面倒なことではあるが、良かったと思っている。今2本は抜けたままになっている。歯槽膿漏はない。8020は大丈夫だろうと医師は言っている。先日同級生に会ったが、ほとんど入れ歯であった。医者のかからないことに越したことはないが、気づいたときには手遅れと言うこともあり、高齢者になると定期的に行くことも良いと思う。
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2013/07/29(Mon) (第1805話) 事故にあって |
寺さん |
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“高校二年生になって、交通事故に遭いました。自転車と車の事故です。狭い道で自転車に乗っていた私は、交差点で一時停止を無視して進み、車に4、5m討ほどはね飛ばされました。私は車を確認もしていませんでした。 いきなりのことで本当に驚きました。何が起きたのか分からず自分はどうしたらいいのかも分かりませんでした。痛かったです。この事故の原因は私にあります。私は、交通ルールを守らなければならないと、心から思いました。 最近はイヤホンで何か聞きながら、また携帯をいじりながら自転車をこいでいる人が大勢います。それでは交通事故は減りません。交通ルールを守らないと、いつか、私のように痛い目に遭うでしょう。皆さん交通ルールは守りましょう。私のような事故が減るように願っています。”(7月12日付け中日新聞)
岐阜県本巣市の高校生・多賀さん(女・16)の投稿文です。たいした事故にならなかったようでよかった。そして自分の非を率直に認め、今後の戒めにされたのは更によかった。 本当に交通事故は怖いものだ。一瞬に一生を台無しにする。そしてこの事故の場合、相手方の車の方はどうなったのであろうか。多賀さんが全面的に非を認められても、相手の車の方が過失ゼロでは済んでいないだろう。ヒョッとして5割以上の過失になっているのではなかろうか。この方の生涯にも大きな影響を与えているだろう。交通事故は自分が悪かっただけでは済まないのである。いくら気をつけても事故になるのが交通事故である。横着などは以ての外である。車の運転をしたことのない中高生の自転車などは最も気をつけて欲しいことである。
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2013/07/27(Sat) (第1804話) 「幸せます」 |
寺さん |
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“山口県防府市の職員らが、左胸にのロゴが入ったポロシャツを職場で着始めたそうだ。幸せますは、地元で「ありがたい」などの意味で使う方言。私も防府市出身なのでなつかしく感じた。 ところで、みなさんは職場や学校に行くときにどんな呼びかけをしているだろうか。「行ってらっしゃい」「気をつけてね」など様々な言葉がある。私が一番うれしかった言葉は、親や妻がよくかけてくれた「行ってお帰り」だった。この言葉を聞けば今日一日頑張ろうという気持ちになったものだ。無事でお帰りという意味が込められているが、現代社会は子どもから大人まで、家から一歩外に出れば何か起こるかわからない危険をはらんでいる。行ってお帰りのやさしいひと言、私にとってまさに「幸せます」。”(7月11日つけ朝日新聞)
山口市の農業・田中さん(男・74)の投稿文です。「幸せます」と聞いたときには、最近はやりの省略語かと思った。しかし、方言であった。方言を使うのは地域の主張であり、また和やかさが漂う。時や場所を考えながら大いに活用するのがよかろう。ボクの会社でもサマースタイルと言うことでポロシャツが支給された。会社のロゴマークと創立60周年のマーク入りである。この投稿文を見るともう一捻りあったら面白かったと思う。 「行ってお帰り」もいい。この言葉は田中さんの地方の一つの挨拶言葉だったろうか。こういう言葉がどんどん忘れられていく。復活して欲しいものだ。
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2013/07/25(Thu) (第1803話) 2度目の日本一周ウォーク |
寺さん |
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“喜寿を迎える記念に2度目の日本一周ウオークに挑んでいた一宮市萩原町の岩山正さん(77)が9日、昨年3月15日に出発した同市の真清田神社前にゴールした。1年4ヵ月間で約1万6500キロを歩き島々にも足を運ぶ列島踏破だった。 太平洋側を北上して北海道に渡り、日本海側を南下して九州、四国を回った。8年かけて5年前に達成した日本一周とは逆回り。北は奥尻、利尻、南は石垣、宮古など20以上の島に足を伸ばし、歩いた距離は前回より約4千キロ増えた。 東北では前回お世話になった旅館が津波で無くなっていた。自動車の免許証更新を思い出して北海道から飛行機で戻ったこともあった。旅館やビジネスホテルに泊まりながら、ほとんど毎日、朝8時前から午後3時まで、20キロから50キロを歩き続けた。 最終日は名古屋の金山駅前から約40人の仲間とファイナルウオーク。大阪府高槻市の戸田巽さん(88)らウォーキングの達人たちが駆けつけた。 岩山さんがウォーキングを始めたのはクリーニング会社を定年退職してから。リヤカーを引いて日本一周した人がいるのを知って触発されたという。 「3年前に傷めたせきついが心配だったが、病気ひとつしなかった。三陸沿岸を歩いたときは気が引けたが、歩いてこそ見えるきれいな景色と、仲間の顔を励みに戻って来られた」。真っ黒に日焼けした顔に笑みが浮かんだ。”(7月10日つけ朝日新聞)
記事からです。この岩山さんは元一宮友歩会の役員である。ここにも書かれているように脊椎を痛められて退会され、またこのウォークを実施された為に最近は会っていない。ともかく寡黙な人、黙々と目的に向かって前進される人である。歩いて日本1周など普通の人には考えられないし、また思っても出来ることではない。それを2度までである。そして喜寿である。驚くことが重なる。世間は広い、いろいろな人がいる。 ボクは古稀が今までの生活の切りと思っている。会社も完全に退職するだろう。地元役員も解放されるだろう。今のまま行けば人並み以上に元気であろう。その先のことを今から描いておいた方がいいだろう。でも歩いて日本1周は考えられない。いや、学生時代に自転車で日本半周?をしたボクである。考えられないことではないかも知れない。
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2013/07/23(Tue) (第1802話) 地域高齢化 |
寺さん |
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“小学4年生の娘が通う学校で、学区で一人暮らしをするお年寄りを中心に招いた「ふれあい給食会」が聞かれました。70人ほどのお年寄りや地域の方が集まり、楽しく会食できたそうです。身の回りに、一人で暮らす高齢者がたくさんいらっしゃるということを改めて知り、驚きました。 会食後は子どもたちがリコーダーの演奏や劇を披露したり、お年寄りからはこまや紙風船、おはじきなどの昔の遊びを教えていただいたりと、貴重な体験ができ、帰宅した娘はとても喜んで話をしてくれました。 ただ、娘の学校は児童数が少なく、4年生は19人しかいません。当日は、児童2人ずつを、その倍近い数のお年寄りが囲んだと聞き、身近で進む少子高齢化をしみじみと実感しました。子どもが減り続け、この地域の小学校は統廃合が相次いでいます。娘が通う学校も存続が危ぶまれています。この地域だけのことではないのでしょう。この子たちが高齢者になったとき、このような交流ができる世の中なのだろうかと、少し不安を覚えました。”(7月9日つけ朝日新聞)
名古屋市の主婦・石浜さん(43)の投稿文です。児童と老人のふれあいも大切なことです。核家族が多くなった現代はこういう触れ合いの機会も減りました。核家族と言うことはいずれ1人暮らしになると言うことです。1人暮らしの老人は周りで気をつけねばなりません。若い人にも高齢者に馴染んでもらわねばなりません。こういう機会を少しでも多くしていきたいものです。 児童19人に年寄りが70人とは一瞬驚くが、何の驚くこともありません。ボクの町内では子供会の人数が80人ほど、老人会の会員が350人ほどです。1人暮らしの人も30人近くあります。ますます増えるでしょう。先日町会長のボクの元に市から「災害時要援護者登録台帳」なるものが届けられました。ボクがボクの知らない人の地域支援者になっています。こんなことで本当に力になれるでしょうか。ボクにはますます疑問に思うことが増えています。
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2013/07/21(Sun) (第1801話) バスの乗り降り |
寺さん |
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“バスに乗ると、気になることがあります。「降りる方は、停車してから席を立ってください」とアナウンスされているにもかかわらず、停留所が近づいてくると、降車ロヘ向かう人が多いことです。何となく足元が不安定な人が多く、無事に停留所に着くと、その様子を見ていたこちらもほっとします。そういった人々は、自分の動作が遅いと分かっておられ、だから早めに降車□へ向かおうとされているように思います。 バスの運転手は、さまざまなことに気を配って運転していらっしゃいます。こういう人々がおられると、ますます気を使わなければなりません。乗客は、バスが停止してから立って、ゆっくり降車口に向かわれればいいのではないでしょうか。乗客が無事に降りることで、運転手側も精神的にゆとりができ、結果として安全運転につながると思います。 一緒に乗っている人も、乗り合わせた人のけがを望んではいません。乗客が慌てずに乗り降りできるよい方法が何かないものでしょうか。”(7月8日付け中日新聞)
名古屋市の川村さん(女・66)の投稿文です。早めに立つ人の気持ちは、自分が早く降りたいのではなく、バスをあまり待たせないという周りの人に対する配慮である。これは高齢者に多いと思う。昔は、停車してから立って下さい、という言葉掛けはなかったと思う。ボクも降りるバス停に近づくと立って降り口の方に行く癖がついていた。でも、これは返っていけないと思うようになり、止まるまで座るようになった。川村さんの言われるように、車掌さんが乗っていた時代の運転手さんは運転に気をつけていればよかったが、今はそんなバスはなくなった。すべてワンマンバスで乗客などいろいろな気遣いが必要になった。本当に大変だと思う。乗客として運転手さんの言葉に素直に従った方がいい。昔の気遣いは邪魔になったのである。 投稿欄には運転手さんの言葉使いや態度に不満のものも多い。運転手さんには安全運転に一番気をつけてもらい、その他のことについて苦情を言うのはほどほどにした方がいいと思う。安心して乗っておられる安全運転の運転手さんが一番いいのである。
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2013/07/19(Fri) (第1800話) ごみの出し方 |
寺さん |
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“ごみ出しをするときに、ときどきカラスを見かける。だが、ごみが散乱していることはなく、地域のごみ出しには問題ないと思っていた。ところが集会時の話で、明け方、カラスにごみ袋が荒らされて散乱し、他の地域から苦情が出ていると知った。環境事業所から対策を考えてほしいという連絡があったという。 取り決めでは、ごみ出しは朝七時からとなっている。しかし「深夜に帰宅した場合、ごみ出しのためにだけ早起きするのは難しいので、どうしても深夜にごみ出しすることになる」ケースもあると聞いた。 対策として、カラスネットを利用することになった。役員が前夜にネットを準備することで落ち着いたが、当然、ネットを片付ける人をお願いしなければならないことになった。これが地域社会の協力なのか。出勤時にごみ袋が整然としているのは、だれかが片付けをして、ごみ袋を並べ直しているからなのだ。その人のためなら、協力を借しまない。”(7月8日付け中日新聞)
名古屋市の公務員・川上さん(男.60)の投稿文です。ゴミ出しはほとんどすべての家庭で行われるもであり、家庭の事情は様々、人柄も様々だけにいろいろな問題を引き起こしている。そして、近頃のカラスの増加である。ボクも町会長になってすぐにいろいろゴミ問題に引き込まれた。他町内からの持ち込みの多い箇所、ネットの破れの対応、ゴミの出し方の問題等である。そして、ついに先日「町内の美化について」として回覧板を回した。ゴミ出しの部分だけを紹介しよう。 《◎間違った日に出されているものが見受けられます。決められた日に出されるよう、再度カレンダー等の確認をお願い致します。 ◎ネットがあるところでネットの上に置かれたものも見受けられます。鳥の食い荒らしや散乱を防ぐ為のネットですので、キチンとネットを掛けて下さい。 ◎各集積場において、自主的に清掃をして頂いている方が多くあります。この場を借りて御礼申し上げます。その方たちの負担を少しでも減らすよう、またその方たちの善意を踏みにじることがないような配慮をお願いします。》 こんな文を出すことなど少し子供じみてると思いながらも、また回覧板がどれほどの効果があるか分からないとは思いながらも、やれることはやろうということ出だした。ところが意外にいい反響である。よく言ってくれたと言うことである。苦々しく思っている人が多いと言うことであろう。
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2013/07/17(Wed) (第1799話) もう一度息子と |
寺さん |
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“欽ちゃんの仮装大賞というTV番組に挑戦し続けてもう20年になる。たいていは1人だが、時には家族にも協力してもらい、おかげで何回か本選大会に出場できた。でも最近は予選落ちが続いている。 長男が生まれる前から、仮装大賞への参加は、私の趣味の一つだ。その長男とも何回か一緒に出湯した。今は高校1年生。スマホやパソコンに夢中になって、親のことなど一切耳に入らない年頃になった。何を言っても、「うるさいなぁ」である。最近は衝突することも多い。そんな時は、彼が2階の自分の部屋に上がった後で、夜、夫婦2人で何年も前に彼と私が出湯した時のビデオをこっそりと見る。 私の肩にも満たないちいさな彼が、ばかばかしい演技を一生懸命にやって、会場を沸かせている。2人で2階に聞こえないように、笑いと涙をこらえて見ている。いつかまたあの時のように親子で出場できるのかな?そんな日がくることを願っている。もっとも、その前に、私のアイデアがイマイチなのを何とかしないといけない。それまで、欽ちゃん、慎吾ちゃん、待っててね。”(7月7日つけ朝日新聞)
相模原市会社員・榎本さん(男・46)の投稿文です。テレビをあまり見なくなった最近はそうでもなくなったが、一時は楽しみに必ず見ていた。家族や仲間との共同事業、又は一人でのちょっとの知恵の出し方など感心するものばかりである。 そして、テレビに出るまでには何度も予選を通過しなければならないことなど、大変なことも知った。そんな体験者の榎本さんの投稿文です。趣味と言われるのはいい。そんな気持ちで楽しんでいる人が多いのであろう。趣味としての真剣さがある。それが視聴者の好感を呼ぶのだろう。親子で臨んだ時代を懐かしがられる。今は親に素っ気なくなった息子さんも心の中ではいい思い出にされているはずだ。 先日畑でたくさんのカブトムシを見つけ、孫に知らせてやった。その後が大変なことになったと娘からのメールである。会社から帰ってきた父親と大きな虫かごを買いに走ったという。それにつき合う父親はなかなかいい。またこれもつい先日のことであるが、父親が2人の息子と富士山まで行き、キャンプやカヌーを楽しんできたという。欽ちゃんの仮装大賞もけしかけてみようかな。親子で楽しんでいれば間違いは起きない。
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2013/07/15(Mon) (第1798話) ゲーム |
寺さん |
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“「人生はひまつぶし(ヒツマブシではないよ)」とよく言われる。一見、哲学的合意があるようにも思われるが、なに、引かれ者の小唄(負け惜しみ)にすぎない。「人生はひまつぶし」などでは断じてない。そんな余裕をかましている暇などありはしない。趣味的なひまつぶしで生きられるほど、この世は楽ではないのだ。みな、毎日、必死で生きている。 だから、公共交通に乗っている時間ぐらいは「ひまつぶし」の余裕を味わいたい、と思うのか。みな、スマホをのぞいている。ゲームやメール、あるいはインターネットにアクセスして・・・。今や、何もせずぼんやりと宙空を見つめたり、読書する人間は絶滅危惧種になりつつある。 しかし、大勢の人間がみな一様にスマホを見つめているシーンは、壮観というより、怖いようにおじさんは感じてしまう。グリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」を思い出す。笛につられた無数のネズミが川に入り込み溺れ死んでいく。一斉に同じ方向に進んだり、右へならえの行動をとることは、実は滅びへの序章ではないか。ひまつぶしのスマホ凝視は、笛吹き男が奏でる滅びの笛かもしれないぞ。”(6月30日付け中日新聞)
飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。ボクも皆が一様にスマホなどに熱中している姿に時折怖くなる。これが暇つぶしではない有効な時間の過ごし方なのであろうか。こんな時くらいしか暇つぶしをする時間が無いから、あのようにスマホを見つめているのだろうか。こんなことにあまりとやかく言うつもりはないが、いけないのは人が全く目に入らないことである。少し動けば席も立っている人も楽になるのに全く動かない。自分の世界に入り込んでいるのである。人がいっぱいの電車の中である。周りに配慮し、皆が少しでも気持ち良くおられる状況をつくって欲しいものだ。 この文で一番問題にしたいのは人生暇つぶしかどうかである。これについて考え始めると切りがなくなる。またの機会にしたい。
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2013/07/13(Sat) (第1797話) 救急救命 |
寺さん |
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“PTAの取り組みの一環で、消防士を招いて救急救命の講習会を開いた。「プール当番のときに役立つかな」という軽い気持ちで提案した企画だったが、多くのことを学んだ。救急救命にまず必要なのは胸骨圧迫(心臓マッサージ)で、それがとても難しいことがわかった。しかも救急車が到着するまでの長い時間、継続して行わなければならず、かなりの力仕事である。 その実践の技術を学ぶだけでなく、「命」についても考えさせられた。普通の生活をしていると、なかなか自分や他人の命について考える時間もないが、1年に一度くらいはこのような時間も必要だと思った。とくに未来を担う若い人たちに救急救命を通して命の大切さを学んでほしい。”(6月30日つけ朝日新聞)
山口県下関市のパート・久木さん(女・45)の投稿文です。ボクも以前一宮友歩会の行事として、消防署で救急医療の講習を計画、実施したことがある。今至る所にAED(Automated External Defibrillator,自動体外式除細動器)が設置されている。すっと使える自信はない。再度講習が必要と思う。 久木さんが言われるように本当に年1回くらいはこういう機会を持つと良いと思う。命の大切さを学ぶ機会にもなろう。良いことを提案されたと思う。今のボクは地元町内会のことで頭がいっぱいである。こういったことができる町内会になると本当に良いと思うが、本当にいつかできないだろうか。
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2013/07/11(Thu) (第1796話) 神々しい霊峰 |
寺さん |
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“日本人なら誰でも誇らしく思っている富士山が、世界文化遺産に登録されました。それも国際記念物遺跡会議(イコモス)から除外勧告された三保松原も含めて、というのですから思わず「やった!」と快哉を叫んでしまいました。 大学時代を静岡で過ごしたこともあって、富士山のさまざまな表情を見てきました。山中湖のほとりから望んだ夏の富士。黒茶けた地肌とごつごつした印象ばかりが目立ち、ちっとも美しいと思わなかったのは、ラグビー合宿でヘトヘトに疲れていたからでしょうか。忘れられないのは、歳暮や年賀状を夜行列車に積み込む徹夜のバイトが終わった後、三保松原から幾度も眺めた冬の赤富士です。 凛とした冷気が肌を刺す夜明け前。東の空か朱に染まり始めると、黒く雄大な山容が現れます。そして日の出の直前、山は瞬く間に赤く染まり、霊峰と呼ぶにふさわしい神々しさに包まれます。思わず手を合わせてしまうのは、日本人にとって「信仰の対象と芸術の源泉」だからでしょう。 ただ、喜んでばかりもいられません。世界遺産への登録は、富士山の環境を守り抜いていく世界公約にほならないのですから。”(6月29日付け中日新聞)
「編集デスク」からです。富士山が世界遺産の登録の候補になり、そして登録されて、テレビ等のメディアで取り上げられることが多くなった。そして、どれを見ても全く美しいと思う。高さで劣っても本当に世界のどの山より素晴らしいと思う。 世界遺産になってますます登山者が増えるだろう。ボクも40代の頃に一度登っている。最近知った弾丸登山であった。頂上付近は数珠つなぎであった。高山病でうずくまっている人をたくさん見た。多くの人が登っているからたやすく思う人がいるかも知れないが、そんなものではない。3000mを越え、日本で一番高い山である。ボクは12人で出かけたが、山頂まで登った人は2人であった。熱い体も少し休めばすぐに冷える。軽装などは以ての外である。 そして世界遺産になることによって観光客の増加をもくろむ人が多いが、ボクは以前からおかしいと思っている。遺産である。多くの人が来て遺産が守れるはずがない。富士山などは入山料を取り、登山者を抑制すべきと思っている。富士山は自然遺産として登録しようとしたが、あまりの汚さに見送られたはずである。今こそこの汚名を挽回すべきである。自然遺産としても堂々と通る姿になって欲しいものだ。
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2013/07/09(Tue) (第1795話) 南吉を楽しむ |
寺さん |
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“童話作家の新美南吉は私の高校の大先輩にあたる。私は定年退職後、漢詩の勉強を始め、大先輩への畏敬と憧憬の念を込めて「新美南吉」と題した詩を作ったことがある。この詩が縁あって南吉の生家の片隅に展示されている。 私は毎週、近くの英語学習会に通っているが、先日、たまたまこの漢詩のことが話題に上った。英語の先生は早速、この七言絶句の詩を分かりやすい英文に訳して、すらすらと板書、解説してくださった。思いがけなく漢詩を英語で味わうという勉強ができた。 さらに、女性会員の一人が即席でこの詩を吟詠してくださった。音吐朗々、情感豊かで、拙詩に花を添えていただいた。こうしていろいろな切り□から南古をしのぶひとときを過ごした。私にとっては往事の作品がよみがえりうれしかった。生涯学習を続けていると、こんな楽しいこともある。”(6月29日付け中日新聞)
愛知県半田市の間瀬さん(男・81)の投稿文です。新美南吉は愛知県では地元出身だけに馴染みもあり人気のある童話作家です。投稿欄にもよく出てきます。そして今年は生誕100年と言うことでいろいろな行事も計画されているようです。昨日半田の方へ行きましたら至る所に「南吉生誕百年」のポスターが貼ってありました。 南吉にちなんだ漢詩を詠み、そしてそれに英訳をつけえる。また即興で吟詠をする。全くいろいろな切り口で語られる。話を聞くだけのボクでも感嘆するが、漢詩を作られた間瀬さんには感動の時間ではなかったろうか。生涯学習といわれるが、81歳の方が英語学習である。凄い時代になったものだと思う。そして良い日本である。ボクもこの時代を満喫したいと思うが、今ひとつ意欲簿不足だと思う。
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2013/07/07(Sun) (第1794話) 踏み出す勇気 |
寺さん |
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“「おばあちゃん、家まで送りますよ」。けがをして傷めた脚を引きずりながら病院の外へ出た時、若い女性から声を掛けられた。《ありがたい》と思ったが、車の向きとは逆方向のすし屋さんへ行って注文した品を受け取り、そこから家に電話して迎えに来てもらうつもりだったので、丁重にお断りした。 それでも、「どうぞ」と熱心に勧めてくださった。その態度が、愛知県に住む孫娘のように思え、お言葉に甘えることにした。 その夜、孫娘に電話をし、「あなたも体が不自由な人を見かけたら助けてあげてね」と話した。孫娘は「はい」とだけ答えたが、後で母親にこんな話をしたという。 「先日、似たような場面に出合って一瞬迷ったけれど、勇気がなくて声が掛けられなかった。それに、車の中が乱雑で恥ずかしかったし・・・」そんな孫娘に分かってほしいことがある。親切とは、ためらったり恥ずかしがるのではなく、相手を思いやって素直に踏み出すことだと。あなたが誰かに小さな親切をしてくれることが、あの娘さんへのお礼になると私は思っているんだよ。”(6月24日付け中日新聞)
三重県桑名市の水谷さん(女・83)の投稿文です。どこの誰かも、どこへ行くのかも分からない人にここまで親切にできるものだろうか。人というのは全く様々だ。 そして、孫娘さんの気持ちが普通だ。良いことと思ってもなかなか行動に移せない、本当に困ったものだ。でもこの気持ちがあればちょっとしたきっかけで行動に移せるようなる。この水谷さんの言葉がきっかけになれば良いのだが。 2007年1月9日に「(第709話)恩送り」を紹介している。水谷さんのこの話がまさに恩送りである。恩送りは恩返しよりも大切なことであろう。
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2013/07/05(Fri) (第1793話) 親に伝えたい |
寺さん |
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“私は高校のバレー部に入るため、親元を離れて、寮生活をスタートさせた。中学のころを振り返ってみると、ご飯や洗濯、掃除、買い物だけでなく、お弁当さえ親が作るのが当たり前だと思っていた。私の思い通りにやってくれないと、親に怒ってしまうこともあった。母はいつも変わらず一生懸命に家事をしてくれていた。 入寮してから1ヵ月もたたないうちに、私は母のありがたみに気付かされた。「自分一人の家事をするだけでも大変なのに、母は家族四人分の家事を文句一つ言わずにこなしてくれている。感謝してもしきれないな」と思った。 「将来、親孝行しよう」と決めている人は多いだろう。でも、親孝行は今からでもできると思う。自分のことはできるだけ自分でやって、家族にも目を向けて手伝う。そんな小さなことが、親孝行へとつながっていくのではないだろうか。今度、親と会ったときには「ありがとう」と伝えたいと思っている。”(6月24日付け中日新聞)
岐阜県大垣市の高校生・原田さん(女・16)の投稿文です。早くから親に感謝する気持ちや孝行をしようと思う気持ちを持つことは、もちろんご両親にとっても幸せであるが、その人自身の幸せでもある。そのきっかけが寮生活であった。「かわいい子には旅をさせよ」、まさにこの実践である。社会生活の最小単位は家族である。その家族がうまくいっていなくて幸せは難しい。感謝の気持ちを持った行動は端々で自ずとその気持ちが両親に伝わる。両親にとって気持ちの悪いはずがない。お互いに優しくなる。幸せの循環になる。こういうものだ。これが逆の循環になると大変だ。どんどん険悪になっていく。その分かれ目は意外に小さい。「感謝」、これだけで好循環になるのである。
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2013/07/03(Wed) (第1792話) オバちゃんゾーン |
寺さん |
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“中学生の頃、二十代の人がとても大人に思えた。当時の私にとって、オバちゃんと思えるのは二十代後半からの人であった。 いざ二十代になってみると、何ら変わらぬ子供のまま。私にとっての「オバちゃんゾーン」は、三十代後半からになっていた。 そして四十代。白髪も増え、年齢を感じる歳になった。すると、私が思う「オバちゃんゾーン」は、いつしか五十代後半からになっていた。 ある日、娘に、「さっき、知らないオバちゃんから道を尋ねられたのよ」と話すと、こんなことを言われた。「そのオバちゃん、ママより若い人だったの?」「・・・えっ?」 あくまで、私だけの「オバちゃんゾーン」であった。”(6月23日付け中日新聞)
久しぶり、「300文字小説」から岐阜市の主婦・堀さん(女・47)の作品です。「オバちゃん」、多くの人にとって嬉しい言葉ではない。嬉しく無い言葉は先延ばしする。だから「オバちゃん」は自分より先の年代のことになる。これは誰もが実感されてきたことではなかろうか。こうして指摘されると全く笑えてしまう。でも自分をいつまでも若く思っているのは、多くの場合悪いことではない。 ボクも就職した頃、30代の人がもの凄く「オジちゃん」に思えた。その30代になった時全くオジちゃんとは思えない。それどころか、未だに自分のことをオジちゃんとは思っていないし、呼べない。孫には未だ「大パパ」と呼ばせている。もうこうなると悪あがきか。自分ではどう思ってもいいが、オジちゃんどころか、おじいちゃん、じじいと呼ばれても腹を立ててはならない。耄碌をつけられてもニコニコするくらいでなければならない。
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2013/07/01(Mon) (第1791話) 忘れもの |
寺さん |
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“私は膝などを患い、闘病生活をしている。そんな一人暮らしの私のために、弟が買い物に行ってくれたり病院などへの付き添いをしてくれている。その弟も突然病で倒れて入院したので、私の生活は一変した。 先日、不安と闘いながら付き添いなしで整形外科医院へ行った時、一人の婦人が玄関の外で回れ右をし、丁寧に頭を下げてから帰られるのを目にした。この光景に、はっとした。学生時代を思い出したのだ。私が通った中学、高校は行儀作法が厳しく、校門で必ずお辞儀をしていた。六年間で習慣としてすっかり身に付いた。卒業後に洋裁学校へ行き、その洋裁学校に就職。初めのうちは校門で頭を下げていたが、次第に頭を下げずに素通りするようになり、以後五十年が過ぎた。 まさか、治療のために出かけた医院で「忘れもの」を見つけるなんて”! あらためて大切なことを教えられた気がして、うれしかった。 膝も股関節も首も患っている私には、回れ右をして頭を下げることは無理。でも、病院などに出入りするときは、心の中できちんとお辞儀をしようと思った。せっかく見つけた「忘れもの」を大切にしたいから。”(6月22日付け中日新聞)
浜松市の荻野さん(女・69)の投稿文です。医院や校門で回れ右をして頭を下げる、ボクの範疇にない礼儀である。こんなことをする人があるのだ。頭を下げると言うことは感謝を表している。何ごとにも感謝の気持ちを持てることは、相手も為ではない、その人の幸せである。小さい時の態度はいつまでも生きるものである。そういう意味で子どもしつけは特に大切である。 ウォーキングをするようになって寺社を訪ねることが多くなった。門の前で頭を下げる人を多く見かけるようになった。ボクは寺社の門で頭を下げることを知らなかった。しかし、知った今でもなかなかキチンと頭が下げられない。「三つ子の魂百まで」小さい時のしつけがいかに大切か、思い知るのである。
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