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第109号  2013年5月

2013/05/31(Fri) (第1775話) 生徒のごみ拾い 寺さん MAIL 

 “田畑のあるのどかなところに県立豊田工業高校が立っている。私は朝、民家のない田畑の道をよく通る。農家の人が土手の草刈りをし、きれいに手入れされていた。それなのに、草一つない田に家庭で出たごみを放り投げていく人がいた。
 捨てられたごみ袋が車にひかれ、散らばっているのも見かけた。時には粗大ごみの布団や毛布も落ちていた。どんな神経をしている人がこういうことをするのかと腹立たしく思っていた。
 その道が気が付いたら、きれいになっている。ここ一年くらいであろうか。ある朝、同校の生徒が、市指定のごみ袋を持ち、二人一組になって拾っている姿を見かけた。それ以後、何度も生徒が拾う姿を見かけた。生徒たちに頭が下がる思いだ。
 この活動は新入生にも引き継がれているようだ。ごみ拾いを経験した生徒たちは、社会に出てからも「ポイ捨て」は絶対にしないと信じている。学校周辺の道路はとてもきれいになった。学校や生徒たちに感謝している。”(5月20日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の主婦・松永さん(71)の投稿文です。高校生のこうした活動は大変いいことである。ボク自身がゴミ拾い活動をしていることもあって、この「話・話」でもゴミ拾いについては何度も紹介している。いいことの一つが松永さんが言われるように「ごみ拾いを経験した生徒たちは、社会に出てからもポイ捨ては絶対にしない」と言うことである。拾った経験のある人は捨てないだろう。捨てなければ拾う必要もない。若い人に是非やって欲しい活動である。実はボクの住む近くにある高校もゴミ拾い活動をやっているようだ。どの程度の活動か知りたいが、町会長としてそのうちこの高校を訪問することになるようだから知ることになろう。
 ゴミのポイ捨てについて、住民の方から苦情が届いている。その他ゴミの出し方等についても問題があり、まずは回覧文を出そうと思い、今その文を練っている。




2013/05/29(Wed) (第1774話) 消防団員 寺さん MAIL 

 “消防団員の担い手が減る一方の現代社会。職場の同僚が地域の団員として活躍していることを知り、居ても立ってもいられない心境になった。私自身、入団したい思いがあったにもかかわらず、その一歩を踏み出すことができなかったからだ。せめて、どういった活動をしているのか見学させてもらおうと、早朝、ある小学校に赴いた。そして気持ち良い号令の下、放水訓練を見ることができた。
 聞くと、出勤前の方もいて、数時間定期的に集まり、地域防災としての役割を縁の下の力持ちとして発揮しているそうだ。いつも出勤時間ギリギリに飛び込んでくる同僚の、もう一つの顔を垣間見ることができた。そして、精いっぱいに輝いているりりしい姿に、背負っているものの重さを感じることができた。
 児童のいない校庭にすがすがしい声がとどろく中、あらためて消防団へ感謝の気持ちでいっぱいになった。”(5月19日付け中日新聞)

 愛知県新城市の高校教員・平野さん(男.43)の投稿文です。ボクの村にもボクが若かった頃は消防団があった。そしてボクも義務的に入った。そしていつの頃からか、担い手がなくなったのであろう、なくなってしまった。ボクの村は過疎化ではない、今も戸数は増え続けている。ところが何をするにも人がいないのである。若い人は忙しすぎる、そして高齢者ばかりである。
 ところが隣村には消防団があるのである。来週、消防団操法訓練があり、町会長として激励に出かけることになっている。どんな状況か、知るいい機会である。平野さんのような思いで帰ってくるのだろうか。




2013/05/25(Sat) (第1773話) 節度を見失う 寺さん MAIL 

 “「バイキング」という言葉に弱い。好きな食べ物をおなかいっぱい食べることができ、嫌いな食べ物を食べなくて済む。こんな素晴らしいシステムを最初に考えた人に感謝したいが、理性よりも本能が勝る私は、毎回食べ過ぎてしまい、腹痛に見舞われ後悔する。
 バイキングの料理で適量をバランスよく食べることができない。好きなだけ食べられるからバイキングなのであって、おなかの調子や健康を考えて、もっと食べたいのに適量で我慢するなどという行為はバイキングの趣旨に反する。私は精神的に未熟だと自覚しながらも、同じことを毎回繰り返し後悔している。
 バイキングに対して会席料理は、さまざまな料理が適量でバランスよく出される。この年になると、嫌いな食材も出されれば我慢して食べてしまう会席料理の方が、体に良いのだとつくづく思う。生活習慣病の原因はパイキングにあり、かな?”(5月16日付け中日新聞)

 名古屋市の高校教員・山本さん(男・53)の投稿文です。本当にバイキングは節度を見失うものである。ボクも旅行中のホテルで度々経験している。そして町のバイキング料理店は大食いの人はことに好まれるだろう。心なしか太めの方の利用が多い気がする。
 山本さんは「こんな素晴らしいシステムを最初に考えた人に感謝したい」と言われるが、ボクは全く反対だ。こんなシステムを開発した人を憎む。肥満の原因、無駄の最たるものだ。そしてボクら夫婦はバイキングは嫌いである。ツァー旅行でバイキングとあるとげんなりである。食べ過ぎると言うこともあるが、折角の料理が自分でごちゃ混ぜに載せた料理になり品がない。その点、会席料理はいい。綺麗な器に盛りつけた料理に品がある。




2013/05/23(Thu) (第1772話) 看板娘 寺さん MAIL 

 “戸数百三十ほどの小さな山村。私の住む集落は江戸時代からほぼ変わらぬ戸数で、先祖からの田畑を守り、病院もスーパーも何もない過疎地である。そこに五年ほど前、パンやさんができた。人家もまばらなこの地で経営は大丈夫かと危ぶまれたが、実際は午前十時の開店を待ちかねたお客が毎日押し寄せ、午前中には完売する繁盛ぶり。
 石窯でまきを燃やし、天然酵母と四季の果実を使って焼き上げる、しっとり香ばしいパン。そして、もう一つの魅力は看板娘のすてきな対応。ひきたての豆でコーヒーを入れてくれ、お客さんと一緒になって世間話に花を咲かせる。
 看板娘がいなければこれはどの繁盛はないのではないかと思われる。時にこの看板娘は御年八十五。お肌ツルツルで腰も曲がらず、ピンシャンと元気なおばあちゃん。私もこんなふうに年を重ねたいと、パンを買いに通っている。”(5月16日付け中日新聞)

 愛知県新城市の主婦・岡田さん(70)の投稿文です。パン屋さんに85歳の看板娘とは何ともほほ笑ましい話である。こういう人が地域を和ませ、盛り立てるのだろう。まだまだ人と人の関わりの多い地域だからできるのだろうか。どこの地域にもこうした人が欲しいものだ。
 これはボクの全く当て推量だが、この投稿者の岡田さん、ヒョッとして2009年11月10日の「(第1195話)1円玉の教訓」の投稿者ではなかろうか。年齢的にも合う。そうだとすると、この岡田さんも地域の良い話を紹介しながら地域の活性化に役立っておられることになる。あり得ることだと思う。




2013/05/21(Tue) (第1771話) 詰めて並ぶの変? 寺さん MAIL 

 “連休中にハンバーガー店へ行き、レジの長い行列に並びました。娘さんを連れて前にいた女性がキッと私をにらんで「近すぎません?」。最初は何のことか分かりませんでした。50センチほどの間隔で立っていたのが狭すぎると指摘されたのだと分かり、反射的に謝りました。
 後で二十代の息子に聞くと「1メートルくらい空けなきゃ」。後ろを考えて詰めて並ぶという常識が変わったのか、世代の差なのか。びっくりしました。”(5月14日付け中日新聞)

 愛知県岩倉市の会社員さん(男・59)の投稿文です。この投稿文に腕を伸ばした距離よりも空けておくのがいいと思う、と言う意見が出ていた。それで全体が保たれればいいが、前の方の人は気持ち良く空けていて、後ろの方が窮屈ではこのやり方は通らない。この会社員の方は文意から後ろを考えて並んでいたと思う。ボクはこの会社員の方を支持する。
 ボクは名鉄名古屋駅でいつもイライラを覚えている。この駅はいつも人で溢れている。前の方に並んでいる人は最初に気分のいい間隔で並ぶので、後ろの方は大混雑である。空いていればそのままでいいだろうが、混んできたら詰めなければ。それが全く動かない。また、「2列で並んで下さい」とよく見える文字で書いてある。それが多くの列は1列であるのだ。それで後ろはまた大混雑である。ボクは空いている人の間に入ってやろうかとか、2列にする為に一番前に行ってやろうかと思うが、横入りと思われるのも嫌で実行に移せないままである。本当に気配り、状況を応じた行動が欠けてきたと思う。それだから少し気の利いた行動を見るとホッとしてしまうのである。




2013/05/19(Sun) (第1770話) 役員で達成感 寺さん MAIL 

 “春は進学、進級の季節で、子を持つ親にとっては何かと忙しい時期です。同時にさまざまな役員交代の時期でもあります。
 私はあまり取りえがなく、主婦業もどちらかと言えば苦手で落ち込むこともありますが、長所を一つ挙げるなら「役員をすることに抵抗がないところ」だと思います。目立ちたがり屋の性格も手伝って、これまで七年間、毎年何かの役員を自主的に引き受けてきました。そして本年度は10個目となる、息子が通う小学校のPTA役員がスタートしました。
 様々な役員をしてきて感じることは、面倒くさいと思うときもありますが、達成感、充実感が味わえたり、新しい友人ができたり、いろいろと人生勉強になることばかりでした。不本意ながら役員になってしまった方も多いでしょう。でも少しだけ気持ちを切り替えると、全く違う一年になります。せっかくの機会なので、前向きに楽しんでやろう、という気持ちで取り組んでみませんか。”(5月5日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・近藤さん(47)の投稿文です。近藤さんは目立ちたがり屋で「役員をすることに抵抗がない」と言われる。役員のなりてのない時にこういう人は貴重である。人それぞれ持ち場があるというものである。不本意ながら役員になってしまった人も、気持ちを切り替えて前向きに楽しんでやろう、と言う姿勢も本当である。どうせやらねばならないなら楽しむ気持ちを持たなくては。そう簡単にはいかないかも知れないが、その気持ちは必要である。ボクもここ数年毎年何かの役員をやっているが、その気持ちで臨んでいる。
 ここで要注意は毎年やっていると、知っているだけについ、横暴、自己中心になることである。周りへの気づかいはいつでも必要である。




2013/05/15(Wed) (第1769話) 住民交流の場 寺さん MAIL 

 “自治会の集会所が老朽化して使用に不便さが出てきたのと、耐震建築でないことから建て替えられた。新集会所の一角には毎月第二日曜日だけの喫茶店が開店した。運営はボランティアによるスタッフで賄われている。
 日ごろ顔を合わすことがない地域住民が、喫茶室で「久しぶりやな。元気やった?」などと言いながら近況報告する姿は、ほほ笑ましい。当初の見込みよりも利用者が多いようだ。所期の目的は十分達せられたと思う。近辺の住民方の来店もあり、注目されている。
 本紙の地方版に喫茶室の風景が写真入りで取り上げられた影響も大きいようだ。制約にとらわれず、開放的な場所に人は集まってくることを実感した。
 安価なモーニングセットなどの提供には材料の仕入れ、早朝からの準備などスタッフの苦労も見逃すわけにはいかない。運営も軌道に乗ってきている。住民の交流の場として、末永く続いてほしいと願っている。”(5月5日付け中日新聞)

 三重県津市の山田さん(男・75)の投稿文です。全く同じような話を2009年9月30日の「(第1177話)自主運営喫茶店」で紹介している。三重県津市も第2日曜日も同じだが、こちらはまだ始まって日が新しいようだから違う場所だと思う。ヒョッとして自主運営喫茶店の話を知って始められたのかも知れない。それだったらより面白い。いずれにしろ良いことだと思う。
 ボクの村にも公民館はある。今年町会長になっていろいろ知ってみると、その使用は各種団体の役員会に使用している程度である。維持管理に必要な経費に比べて使用頻度がいかにも少ない。前回の役員会でボクはこのことをポツリとつぶやいた。同好会や講習会などでもっと使ってくれるといい。この山田さんの話など全く良い例だ。ボクにはまだ問題意識を持っただけで具体案はない。




2013/05/13(Mon) (第1768話) 人間ナビ 寺さん MAIL 

 “人間ナビが開発された。行きたい場所へ連れていく、なんて簡単なものじゃない。なんと、将来なりたい職業に必ずなれるという夢のような最新ナビだ。ケーキ屋でも弁護士でも、セットすると必ずその職業につけるらしい。
 僕は幼い頃から野球選手になりたかった。目標は、まず甲子園。そして大学リーグ制覇。ドラフトー位で指名され、プロチームに入団すること。難しいことはわかっている。でも、なりたいのだ。そして、この人間ナビを取り付ければ、努力や不安なく願いが実現する。
 僕は迷いなく装置を購入。「野球選手」と入力、セットした。しかし・・・。必ずなれるとわかった途端、野球選手にはなりたくなくなってしまった。”(4月28日付け中日新聞)

 「300文字小説」から愛知県刈谷市の会社員・小久保さん(男・44)の作品です。良い教訓的な作品です。人間いろいろな望みを持つが、その望みが確実に達成されるなら、もう望みにならない。やる気も努力をする気にもならない。努力をして達成するから楽しみもあり、妙味もあるのである。寿命も同じようなものである。人間いつまでも死にたくない。不老長寿の薬が欲しい。でも本当に死ななくなったらどんな気持ちになるだろう。生きているのがいやになるのではなかろうか。限られた寿命の中でどう人生を活かそうと考えるから良いのだ。努力の不要な人生はつまらないものだ。あきらめてしまう人生も空しいものだ。生きている限りどこかに努力をするところがある。「努力は生きがい」この文を書いていてこんなことに気がついてしまった。




2013/05/11(Sat) (第1767話) 幸せ話 寺さん MAIL 

 “本人は自慢ではなく、ごく自然に現在の己を語っているのに、聞いている方は何だか面白くない、ということがある。例えば、「いやあ、お陰さまで、何とか仕事はうまく回っていましてね。貧乏暇なしですわ。大学生の息子も某大手企業に勤めが決まりました。長女の方は、三年前に医者と結婚しましてね。孫もできました。(美人の)妻も元気でやっておりますよ。今は孫に夢中ですが・・・ははは」つまりは、幸せであるという話である。「へえ、それはそれは」と返すが、こういう幸せ話には素直に共感できない。内心、鼻白む思いで聞くばかりだ。
 反対に、「妻が危ない投資に手を出して、莫大な借金をこしらえたんです。その上、私が大病を患って入院したりしましてね・・・」などという不幸話には、おじさんは本当に親身になって、真剣に耳を傾けることができる。
 度量の大きい男、を自任していたおじさんだが、なに実際は、他人の不幸は蜜の昧という心の狭い人間であったのだ。少し言い訳がましいが、これはおじさんのみならずや。”(4月28日付け中日新聞)

 エッセイストの飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。人間上を見れば切りがない、下を見ても切りがない。それを自分は不幸せ、不遇であると上ばかり見て愚痴ばかり言っていてはいけない。それよりも自分は幸せな人、恵まれていると思うことは大切なことである。しかし、幸せな人はつい幸せ話に陥りがちになる。自分は幸せと思っているから、話せばそうなるのは自然である。しかし、聞く方はこのおじさんのように素直に聞けないのも人間である。他人の不幸は蜜の味というのも本当である。本当に人間は理不尽、困ったものだ。幸せ話も愚痴話も聞く方にはあまり心地よいものではない。ではどうすればいいのか・・・話す時には相手を見極め、聞く時には虚心坦懐にと言うことであろうか。




2013/05/09(Thu) (第1766話) 母は名編集長 寺さん MAIL 

 “パソコンの練習用に新聞を作り始めた。しかし、ちょっとした文章を書くのもなかなか難しい。適当に作ったり、何ヵ月も作らなかったりしていた。ところが五年前、母が八十三歳で絵手紙を書き始めて私に送ってくれるようになった。ちょっとでも励みになるだろうと、その絵手紙を私が作っている新聞に載せ、犬の漫画なども描いて印刷し、母に送り届けた。
 それ以来、母は毎月一回必ず絵手紙を書き、私の新聞を催促するようになった。読者ができたので、こっちも真剣になった。発行日を月一回、十五日と決め、名前も「やっとかめ通信」とした。十五日近くになると、決まって電話がなる。受話器の向こうから「もうできた?」と母。どうも、近所の人や親戚のおばさんにまで配っているらしい。印刷も五部に増えた。
 えらいこっちゃ。十五日になると頭を抱え、一日中新聞作りにかかりきり。どうしても記事が書けないときは、妹に頼んで原稿をメールで送ってもらったり・・・。そして、めでたく六十号になった。母は、まさに名編集長!!”(4月26日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・名倉さん(女・61)の投稿文です。文章を書くのが苦手だったのに、月1回の家族新聞、母親に背を押されながらも、もう5年、60号である。続けていれば数は増すのである。この試みも楽しみにしている読者があってこそである。パソコンの練習から思いがけない親子関係ができた。何ごともやってみなければ分からない。どう発展するかも知れない。こういう親子関係は良いものだ。できそうでありそうではあるが、なかなかないものだ。
 川柳連れ連れ草も投稿者、読者があってこそである。時には掲載が苦しい時もあるが、投稿者への責任が後押ししてくれる。そして掲載できるとまた続いたと嬉しくなる。継続されるものはこうしたことの繰り返しである。名倉さんにはいい後押しがあってよかった。ボクにもいい後押しがある。




2013/05/07(Tue) (第1765話) 忘れること 寺さん MAIL 

 “年とともに物忘れがひどくなり、困ったことだと嘆いていると、「正常に年を取っているということだ」と夫に言われ、納得しました。忘れないようにとメモを書いても、そのメモがどこへやら・・・。カレンダーに予定を書いておきながら、それを見ない。どうしようもありません。
 夜寝る前にその日の出来事を思い出すと脳の活性化に良い、とテレビ番組で紹介されていたので、実行しようと思っています。でも、忘れることは悪いことばかりではありません。前に行った所でも初めてのように思い、新鮮で感動します。若いころのつらかったこと、腹の立つことなどは時間とともにだんだん薄れ、また年を重ねて理解できることも多々あります。人間だけが忘れる機能を持っているそうです。嫌なことは忘れ、うれしいことは心にとどめよう。年を取るのも悪くない。これからの人生が楽しみです。”(4月25日付け中日新聞)

 愛知県知立市のパート・荒井さん(女・68)の投稿文です。そうか・・・忘れることは正常に年を取っていることであり、忘れることの効用もあるのだ。なかなかこのようには考えられないが、やはりものは思いようのようだ。旅行や美味しい食事も初めては感激も大きい。毎回最初というのも面白い。いやなことは忘れればいい。ついでにいいことも忘れてしまうが、それは忘れてもいい程度のことなのだ。忘れてはいけなことは忘れないものだ。忘れることを苦にしないで悠然と過ごしていけばいいのだ。




2013/05/05(Sun) (第1764話) 忘れること 寺さん MAIL 

 “年とともに物忘れがひどくなり、困ったことだと嘆いていると、「正常に年を取っているということだ」と夫に言われ、納得しました。忘れないようにとメモを書いても、そのメモがどこへやら・・・。カレンダーに予定を書いておきながら、それを見ない。どうしようもありません。
 夜寝る前にその日の出来事を思い出すと脳の活性化に良い、とテレビ番組で紹介されていたので、実行しようと思っています。でも、忘れることは悪いことばかりではありません。前に行った所でも初めてのように思い、新鮮で感動します。若いころのつらかったこと、腹の立つことなどは時間とともにだんだん薄れ、また年を重ねて理解できることも多々あります。人間だけが忘れる機能を持っているそうです。嫌なことは忘れ、うれしいことは心にとどめよう。年を取るのも悪くない。これからの人生が楽しみです。”(4月25日付け中日新聞)

 愛知県知立市のパート・荒井さん(女・68)の投稿文です。そうか・・・忘れることは正常に年を取っていることであり、忘れることの効用もあるのだ。なかなかこのようには考えられないが、やはりものは思いようのようだ。旅行や美味しい食事も初めては感激も大きい。毎回最初というのも面白い。いやなことは忘れればいい。ついでにいいことも忘れてしまうが、それは忘れてもいい程度のことなのだ。忘れてはいけなことは忘れないものだ。忘れることを苦にしないで悠然と過ごしていけばいいのだ。




2013/05/03(Fri) (第1763話) 東海学 寺さん MAIL 

 「この人」という欄から、「東海学」を発信するNPO法人を設立した大下武さんの紹介です。
 “考古学をテーマに愛知県春日井市で二十年間も続き、昨年十月に閉幕した「春日井シンポジウム」。当初から市教委職員として事務局を担ってきたが、その成果を引き継ごうと、シンポの講師らとNPO法人「東海学センタ−」を設立した。「春日井を歴史、文化の発信拠点にしたい」
 長年、市内の発掘調査を担当してきた。多数の埴輪が出土した国指定の味美二子山古墳など知られざる市内の遺跡を全国に紹介しようと1993年の市制五十周年事業としてシンポの開催を提案。著名な考古学者森浩一さんと相談し企画・運営を受け持った。
  2000年のシンポから提唱するようになったのが東海地方の歴史や民俗を掘り下げる「東海学」。今秋から毎年十月、「東海学シンポジウム」を開くのが主な活動になる。「二十年前を思い出す。今までの繰り返しではなく、新たな視点を取り入れたい」。ご当地グルメの歴史など身近な話題もテーマに加え、ファン拡大を狙う。「地元でもまだ知らないことがいっぱいある」。市内のアパートの一室に資料室も開設、文献約一万点を収蔵する。「歴史好きの人のサロンのような場になれば」。七十一歳。”(4月22日付け中日新聞)

 「学」とつければ何でも学問になるが、「東海学」とはまた味な学問を始められたものだ。地域のご当地検定などをもう少し発展させたものであろうか。地域の歴史や風習などは身近なものであり、誰もが興味をひきやすい。そこからいろいろな発展もある。こうした身近なものの引き出しを大いにして欲しいものだ。そして、その気になれば誰だっていろいろなことができる。きっかけをいかに作り、係わるかである。大下さんは楽しんでやっておられるのであろう。楽しくやれなければ発展はない。ボクもこの町会長の1年、きっかけ作りに務めたいと思っている。思いついたことはどんどん発信していく。それに乗ってくれる人がいるかである。楽しんでやっていきたいが、それができれば発展はある。応じてくれる人がどこかにあると思っている。




2013/05/01(Wed) (第1762話) 鵜飼60年ぶり 寺さん MAIL 

 “清須市の新川で20日、戦後に数回行われたとされる鵜飼が復活した。水質改善に取り組む市民グループが川の浄化を願って開いた。岸から大勢の住民らが、約六十年ぶりに戻ってきた一夜限りの光景を見守った。
 グループは定年後の男性が2009年に結成した「新川をよみがえらせる会」。きれいな川を取り戻そうと清掃活動を続けてきた。今回は犬山市の「木曽川うかい」の鵜匠の協力を得て実演。「新川うかい祭」の名前で長年の目標をかなえた。
 かがり火をたいた二隻の船が姿を見せると、来場者から「鵜がおる」と歓声が上がった。鵜飼いは計三回披露され、家族と一緒に楽しんだ新川小学校四年の井戸龍星君(九つ)は「船がかっこいい。また見るために、川をきれいにしたい」。加納祐一郎代表(六五)は「みんなで達成した鵜飼い。地道な活動が夢の実現につながった」と感慨深そうだった。”(4月21日付け中日新聞)

 記事からです。新川で鵜飼いがあったとは知らなかった。60年も前では知らなくて当然ではあるが。それを定年後の男性が集まって再現とはまた粋な催しをしたものである。
 この記事はボクに意欲を湧かせるのである。昨年老人会の会長をやり、今町会長をしていることからとんでもないことを思いついてしまったのである。ボクの村には青木川という1級河川が流れている。1級河川と言っても支流であるので川幅20m程である。県、市への要望でその川に遊歩道を設けて欲しいということが上がっていた。散歩する人は多い。この川の堤防も草が茂っていない時期には歩く人も多い。しかし大半の時期は歩けない。遊歩道を設ければ通年の良い散歩コースになる。本気で要望する価値は十分にある。しかし、要望するだけではだめである。まず自分達でできることをする。そして地元の熱意を示しながら要望していく。4月25日の第1759話でも書いたが、ボクの村の老人会も衰退の状況である。この活動を老人会の活動に組み入れれば老人会の発展にもなる。そして、ボクはこの案をもう人に話してしまったのである。この後どのような展開になるのか、自分ながら楽しみである。「新川をよみがえらせる会」ようになることを密かに願っている。


 


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