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第106号  2013年2月

2013/02/28(Thu) (第1732話) 壁画を描く 寺さん MAIL

 “四十数年前、火曜日の夜に町の公民館で「青年学級」という勉強会がありました。昨年亡くなられた児童文学者の赤座憲久先生を講師に迎えるなど、充実した内容でした。
 後に学級に参加していた有志でグループをつくりました。これが「ちゃんちゃん会」でず。会社員、公務員、自営と職業はバラバラで、年齢も十歳ほどの差がありました。初めは懇親会が主でしたが、メンバーが結婚し子どもができてからは、キャンプやクリスマス、忘年会、小鳥の巣箱作り、運動会など子どもに合わせた活動内容になりました。
 その後、国道21号バイパスができ、道路の側面にモザイク壁画を描くことになり、休日を利用して二年がかりで完成させました。二十二年前のことです。以来、毎年会の行事の一つとして、壁画の掃除をしています。メンバーは高齢化してきましたが、絆と友情でしっかりと結び付いている自慢の仲間です。”(2月6日付け中日新聞)

 岐阜県関ヶ原町の自営業・三輪さん(男・67)の投稿文です。ここにも良い仲間作りができた見本がありました。勉強会の仲間が親睦の仲間になり、ボランティアの仲間になった。その時その時にあった理想的な進み方だと思います。毎年続けられる作業が見つけられたのもよかったことでしょう。習い事や老人大学など一緒に学んだ仲間が会を作っていく話はよく聞きます。身近にもいろいろあります。ボクもいつかと思いながら、未だその機会が持てません。今は地元のいろいろな催しに顔を出しながら状況を把握することに努めています。




2013/02/26(Tue) (第1731話) 菜の花畑 寺さん MAIL

 “大雪のニュースばかりで身も心も縮まりそうなとき、夕刊に掲載された渥美半島の菜の花畑の写真と記事にほっと救われた。1999年に農家の男性が荒れ地を借りて植えたのが始まり。多くの作業をこなし、仲間と花を増やしていった。その後、市が菜の花を観光PRに活用し始めた。男性はNPO法人の理事長となり、市内の菜の花畑の半分を五十人の正会員と管理する。菜種油の販売で活動費を稼ぎ、畑を農業の担い手に引き渡しているという。
 菜の花が現在の黄色いじゅうたんになるまでには、皆さんのご苦労はいかばかりであったか。地道に活動してくださった方々のおかげで、この寒い時期、ほんわかと春を味わうことができる。この場所をつくっていただいたことに心から「ありがとう」と言いたい。
 どんなことでも、最初にお骨折りくださった方々があればこそ、である。初めの一歩がいかに大切かと、つくづく思い知らされた。暖かくなったら、息子たちに車で連れていってもらうのを楽しみにしている私である。”(2月5日付け中日新聞)

 愛知県豊明市の主婦・布目さん(85)の投稿文です。ボクも見に行ったことがあります。その菜の花畑がこのような形でできたことをこの投稿で知りました。最初は一人が、だんだん仲間が増えて今ではNPO法人になっている。畑を借り、菜の花が終われば返す。畑が荒れることもなく良い仕組みです。感心します。そして、布目さんが言われるように、初めの一歩は大変なことです。ボクも「一宮第九を歌う会」や「一宮友歩会」でその大変さを十分に味わってきました。でもこれは最初から仲間がいました。でもこの菜の花畑は最初は一人です。次第に仲間ができたということです。また違った大変さがあったと思います。そして最初の一歩も大変ですが、それを維持していくのもまた大変です。更に大変なのは次の世代に受け継ぐことです。最初の人は意欲も理念もあります。だがそれを理解し継いでくれる人を見つけるのはよほどの幸運がなければいきません。でもここまで来たこの菜の花畑はそれを乗り越えていく気がします、それを願っています。




2013/02/24(Sun) (第1730話) 新一筆啓上賞「ありがとう」 寺さん MAIL

 “福井県坂井市と同市の丸岡町文化振興事業団は二十五日、日本一短い手紙コンクール「新一筆啓上賞」の入賞者を発表した。「ありがとう」をテーマに63745通の応募があり、最高賞の大賞には、福井市明新小学校三年の岡崎仁彦君(8)、愛知県岡崎商業高校一年の西尾萌香さん(15)ら五人が選ばれた。
 岡崎君は、七歳と四歳の二人の弟あてに「まねするな。くっつくな。すぐよぶな。でも、そばにいてくれてありがとう。心強いよ」と親愛の気持ちをつづった。選考委員の一人で作家の中山千夏さんは「男の子の兄弟の感じを、実に見事に短い言葉で表現している」と講評した。
 西尾さんは、小学校五年のときに亡くなった祖母に「私に色々なことを教えてくれたおばあちゃん。最後は命儚さを。本当にありがとう」と感謝した。中山さんは「『最後は命の儚さを』の一言が胸に飛び込んでくる」と評価した。”(1月26日付け中日新聞)

 記事からです。一筆、短文で気持ちを表す、これは川柳にも通じます。なかなか味なものです。以下に大賞の他の3編も紹介しましたが、幼いという人も含めて若い人が多いのに驚きです。発想も言葉も新鮮なのでしょう。
 「母」へ。母ちゃん。生んでくれてありがとう。今日も弁当、少し、味濃いよ。(熊本県菊池市高校3年 野口宗太カ)
 「校長先生」へ。どうぞうをたおしてしまったぼくのために、あちこちでんわをしてくれてありがとう。(和歌山県海南市小学1年 柿本恭佑)
 「赤ちゃん」へ。仮設内に、元気な赤ちゃんの声が聞こえるようになった皆で耳をかたむける。ありがとう。(宮城県石巻市漁業アルバイト 近藤孝悦(69))
 丸岡町のこの賞は、同町にゆかりのある徳川家康の忠臣 本多作左衛門重次が陣中から妻にあてて送った手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」にちなむものです。この陣中とは「長篠の戦い」で、その戦の地である愛知県新城市の消防防災センターに「火の用心」発祥の地として石碑(高さ3m)が建てられています。この話は2008年3月18日の「(第909話)「火の用心」発祥の地」も読んで下さい。




2013/02/21(Thu) (第1729話) 三K主義 寺さん MAIL

 “「汗をかく」「字を書く」「恥をかく」という「三かく主義」を実行しているという方の本欄へのご投稿が忘れられず、「これなら私にもできる三K主義」に変えて、実行し現在に至っています。
 まず、第一は「健康」です。健康は命あっての物種です。基本となる食事は野菜中心で、腹八分を心掛け楽しみながらゆっくりといただきます。その後、軽くテレビを見ながら自転車こぎ体操をし、やる気満々の一日が始まります。
 第二は「感謝」です。炊きたてのごはんと水を仏前に供え、般若心経と光明真言、随求陀羅尼(ずいくだらに)を三回唱えます。子や孫の五家族と自分の無事に感謝し、今日一日の平安を祈ります。
 第三は「会話」で脳の活性化です。正しい言葉で自分の意思を伝え、きずなを深めます。
 認知症を寄せつけず、いまわの際にお世話になった皆さんに家族を通してきちんと「ありがとう」が言いたい。それが「三K主義」の究極の悲願です。”(1月26日付け中日新聞)

 三重県亀山市の主婦・岡田さん(82)の投稿文です。感心するほどに人はいろいろな知恵を見いだすものです。この話もその代表でしょう。「健康、感謝、会話」の三Kは高齢者に限らず誰にも大切なことです。ただ何となくこの3つを思っているよりこうして唱えれば気の付け方も違ってきます。実は一宮友歩会では当初より内容は違いますが、この3Kを唱えているのです。「一宮友歩会3つのキーワード:環境・健康・交流」の3Kを毎回配布する地図に記してきました。特に説明したこともありませんが、目にすれば配慮して頂けると思っています。三かく主義については2004年7月29日の「(第24話)三かく主義」で紹介していますし、2011年7月1日の「(第1467話) 三しない主義」では三かく主義から派生した話を紹介しています。一読下さい。




2013/02/18(Mon) (第1728話) 災害地名 寺さん MAIL

 “地名の由来を調べている宮城県地名研究会の太宰幸子会長(六九)が東日本大震災の発生後、宮城県内で津波の被害を受けた約二百力所の地名を無作為に調査したところ、旧名や通称名を含め約百十カ所で過去の津波被害や軟弱な地盤をうかがわせる言葉が使われていることを確認した。
 仙台市若林区の「荒浜」地区や石巻市の「渡波」地区など津波や高潮を連想させる地名のほか、砂の堆積地を意味して地盤が軟弱な場合がある「須賀」や、海水を指すことがある「塩」などの地名も目立ったという。太宰会長はこれらを「災害地名」と呼び、「先人が子孫に土地の危険性を知らせようとしたメッセージ」と地名の意味に関心を持つよう呼び掛ける。
 名古屋大減災連携研究センターも、名古屋市の地名と地盤の関係を研究。時代とともに変更された地名も多いため、旧地名が比較的残る市内のバス停全千二百二十八ヵ所の名前を調べている。”(1月21日付け中日新聞)

 記事からです。今年の1月7日の「(第1709話)名古屋ビルヂング」で「何でも新しいもの、合理的にすればいいというものではない。ボクは特に地名について思っている。この話はまたの機会にしたい。」と書いたが、この機会に書いてみたい。
 昔の地名はその土地の特色を表していることが多く、この記事はまさにそれを証明している。特に災害を受けたところは顕著である。いくら地形を改変しようとその危険は多くの場合残っている。土地選びには昔の地名を把握しておこうともいわれる。それ程重要なのに分かりやすくする為という理由で簡単に地名が変更されてきた。昔は建てなかったところに今はたくさんの家が建っている。そして災害を受ける。昔の知恵を今も生かす心配りをしたいものです。また歴史上の地名もある。金座、銀座などに代表されるように歴史上由緒ある地名も多い。地名によってその昔に思いがいたる。楽しいではないか。地名の改変には慎重を期して欲しいものだ。




2013/02/16(Sat) (第1727話) 新幹線またぐ 寺さん MAIL

 “九日午後十一時半から翌朝五時まで、名古屋市熱田区の国道1号と市道江川線の交差点付近で、名古屋高速4号東海線の未開通部分のうち東海道新幹線の高架橋をまたぐ橋桁の工事が始まった。東海道新幹線上にあるアーチ形の橋をどのようにまたいでいくのか興味があり、見学にいった。
 午前零時半ごろ、JRの橋の上を、ゆっくりとした速度で仮設の橋桁が台車で送り出されていった。四十五分ほどかけてつながったときには、大勢の見物人から大きな拍手が起こった。りんとした空気。輝く月。河村たかし市長ら、その夜集まった大勢の人の目が橋桁を見つめていた。橋桁の重さは千トンという。緑色の橋桁が空中をしずしずと進む様子はこの世のものとは思えず、見とれてしまった。
 工事関係者たちの緊張はこれからも続くのだと思うと頭が下がる思いである。日本の技術のすばらしさを目の前で見せてもらった。その興奮は今も続いている。”(1月21日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・富田さん(女・76)の投稿文です。ボクも土木技術者の端くれ、こうした土木工事を讃賞してもらう文を見ると嬉しいですね。土木工事は本当に社会に必要な工事です。土木工事は公共工事の代表、公共工事が悪者呼ばりされてよく思われていない。更に3K、5Kと呼ばれる職場。外を見渡せばほとんどが土木に関わっている。道路、河川、上下水道は言うに及ばず農業以外土をいじればほとんどすべてが土木と言っても過言ではない。縁の下の力持ちということも多い。
 東北の震災復旧が進まないという。いろいろ原因はあろうが、土木技術者、作業員が足りないことも原因のひとつといわれている。計画がまとまればまず土木工事である。ますます足らなくなるだろう。この文のように目立つ工事もあるが、これから本当に必要な工事は今ある物の維持補修、そして災害時の対応、復旧であろう。それをまかなうこともできない予算、従業員不足にならないことを祈るばかりである。ボクは土木を国防と思っている。




2013/02/14(Thu) (第1726話) 写真 寺さん MAIL

 “私のアルバムには感動した言葉や自分の思いなどが写真に書き添えてあり、青春の思い出がたくさん詰まっている。中学のころ、アルバムに張りたくて、いつもおしゃべりしていたクラスの男子三人に写真をお願いし、なぜだか自分の写真を交換にあげた。今思うと容姿に自信もないのに、相手から欲しいと言われたわけでもないのに自分の写真をあげたと思うと顔から火が出るほど恥ずかしい。
 高校を卒業し、私が働いていた職場にその中の一人が後から入社してきた。何色の糸でつながっていたのか分からないが、結婚することになり、結納の品が届いた。その中に、私が中学の時に渡した写真が入っていたのにはとても驚いた。
 写真を宝物のようにしている私と違って主人は写真を一枚も残していないのに、私が渡した写真だけは大事に持っていてくれたと思って感激した。しかし、冷静に考えてみると、私がとった当時の行動が《あなたが好き》という意思表示だと勘違いさせてしまったのかもしれない。いつも主人が言っている「もらってやった」結婚記念日一月二十六日が、またやってくる。”(1月20日付け中日新聞)

 浜松市の平松さん(女・67)の投稿文です。小説のような話しですね。「塞翁が馬」何が何となるか分からぬものです。平松さんは67歳になられてこのよう話しをされるのだから嬉しい出来事だったのでしょう。もしこの結婚が誤解から生まれたのなら嬉しい誤解です。冷静さだけではなかなか結婚に至らないでしょう。最近の若者が結婚から遠いのはあまりに冷静であることが一つの理由かも知れません。結婚にはこうした誤解と熱が必要です。結婚は始まりです。長い期間をかけてその誤解を良いものに変えていけばいい。平松さん夫婦にはその気持ちがあった。でも本当は誤解ではなく、赤い糸があったと思いますが。
 ボクの夫婦は親の強烈な反対があり、それを乗り越えて今があります。反対がより熱をあおったかも。




2013/02/12(Tue) (第1725話) おせっかいなおばさん 寺さん MAIL

 “東海市の村瀬晴香さん(一七)は、毎年のお正月に楽しみにしていることがある。年賀状を郵便受けまで取りに行くことだ。一月五日の朝のこと。年賀状の束とともに、一通の封書が届いていた。差出人のところには「○○さんのハガキ在中」と書かれてあった。○○とは、晴香さんのクラスメートの名前だ。
 開封すると、透明なビニール袋に包まれた、その友達からの年賀状が入っていた。そして、手紙が添えられていた。「十二月三十一日、道でこの年賀状を拾いました。このままポストに入れようと思いましたが、真心を込めて書かれたハガキにタイヤなどの跡が付いており、汚れてしまっていたので、その旨をお知らせしておいた方が良いと思い、送りました。風が強く吹いていたので、一枚だけ飛んでしまったのでしょうね。晴香さんや友達にとって飛躍の年となりますように」。差出人の住所はなく「おせっかいなおばさんより」とだけ書かれていた。
 一月七日、高校の始業式の後、部活でその年賀状をくれた友達に「おせっかいなおばさん」の手紙のことを話した。すると、年賀状を出してきてくれるようにお兄ちゃんに頼んだのだが、ポストまで行く途中で落としてしまったのではないかとのことだった。でも、そのおかげて知らない方の心遣いに触れることができた。
 晴香さんから、おせっかいなおばさんへ。「タイヤで汚れた年賀状と手紙は私の宝物になりました。新年からとても心が温かくなりました。見ず知らずの私と友達のために年賀状をここまで大切に思ってくださり、感謝の気持ちでいっぱいです」”(1月20日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。少し長いですが全文を紹介しました。この場合、拾ったハガキをポストに入れることなら多くの人ができることでしょうし、することでしょう。しかし、もらった人は汚れた手紙を見てどう思うでしょう。郵便屋さんが汚したと思って恨むかも知れません。汚しておきながら何の謝罪もないと言って苦情の投稿するかも知れません。事実自分勝手な思い込みではないかと思う投稿を時折見かけます。このお節介おばさんはこうした誤解を防ぎました。感謝の気持ちと宝物を作りました。いい話です。




2013/02/10(Sun) (第1724話) 畑の師匠 寺さん MAIL

 “家庭菜園をしている私には、畑の師匠と呼んでいる八十五歳のおじちゃんがいます。気前の良い温厚なおじちゃんです。おじちゃんとのつき合いは三年くらいになります。
 早朝からの畑仕事、昼は市場への出荷作業、夜は七時前後に就寝という規則正しい生 活をしていて、病気で床に就いたところを見たことかありません。知り合ったのは、おじちゃんの家が勤務先の隣で、野菜をもらったことがきっかけでした。丹精して作った野菜を借しげもなくくれる心遣いが、とてもうれしかったです。
 私は「安い、うまい、新鮮」をモットーに、家庭菜園で作った野菜とおじちゃんから安く仕入れた出来の良い野菜を小屋で売っています。お客さんの評判は上々で、野菜作り名人のおじちゃんのおかげだと思っています。
 寒さ暑さの折に「ご機嫌伺い」をすると、反対に私の心配をしてくれます。亡くなった父に似ていて心強いです。いつまでも長生きして私の師匠として支えてください。”(1月19日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市のパート・高見さん(女・64)の投稿文です。野菜作りは易しいといえば易しいし、難しいといえばこれほど難しいものもありません。種さえ蒔いておけばほとんどの場合何とかできます。口に入れることはできます。しかし、これを美味しく、沢山取れるなど上手にしようと思うと並大抵なことではできません。土、蒔く時期、天候、肥料など沢山のことに左右され、毎回同じということがありません。一生懸命やっている人は毎日、毎年が研究です。家庭菜園作りはこれが楽しい理由の一つです。そうして身につけた人は知識が豊富です。高見さんの畑の師匠はまさにそんな人でしょう。
 ボクの父も近所では農業の先生といわれていました。研究熱心な人でした。そして、近くの人にいろいろ教えていました。そんな人から「お父さんにお世話になった」といってボクにも優しくしてもらっています。それに比べボクは全くいい加減です。この広い畑に沢山できたら始末に困る、いい加減程度でちょうど良いのだとうそぶいています。研究心がありません。怠惰の言い訳です。




2013/02/08(Fri) (第1723話) 見習いたい人 寺さん MAIL

 “私には尊敬できる人が何人かいる。その一人は「感謝」という言葉を素直に使う女性で、職場の人や旦那様に対してや、今生きていることへの感謝の念をいつも抱いている。そしてその気持ちをきちんと態度や言葉で表している。彼女を見ていると心が洗われる。
 私の職場にも見習いたいと思う人たちがいる。どんなときも笑顔を絶やさない人、話し上手で場を明るく盛り上げてくれる人、私が忙しいことに気づいて助けてくれる人、いつもありがとうと惜しげもなく言ってくれる人・・・。だから仕事はつらくないし、むしろ行けなくなったら悲しい。
 もう一人は私の母。何でも器用にこなし、シンプルな服でも小物でもセンス良くアレンジして、一味も二味も違うすてきな物に変身させてしまう。世界でたった一つのオリジナルの作品は、お金では買えない。今年も目標となる人たちに支えられながら頑張っていきたい。”(1月19日付け中日新聞)

 名古屋市の派遣社員・山崎さん(女・45)の投稿文です。尊敬できる人に囲まれているのは幸せの一つですね。それは山崎さんがそういう好意的な目で見られることもあるでしょう。それも一つの幸せでしょう。しかし、そうでなくても周りはすべて手本です。良い面も悪い面も手本です。良い面はまねすればいい。悪い面はしないようにすればいい。「他山の石」「人の振り見て我が振り直せ」という諺もあります。
 ボクが「話・話」を続けているのは、世の中、不満や批判に満ちあふれていることも理由です。昔批判できる知識を養いなさいと言われたことがあります。一億総批評家時代といわれます。批評のほとんどは批判です。批評できるということはその当事者より幅広い高度な知識を持っていなければなりません。本当にそういう人が批評しているのでしょうか。ボクはこれに批判的です。




2013/02/06(Wed) (第1722話) 1年100冊 寺さん MAIL

1年100冊
 “一昨年末、朝刊発言欄で六十九歳の方の投稿を拝読。一年で「百冊の読書、百の登山、百日の労働」の目標を達成したという男性を少しまねしてみようと思い立ちました。
 そして昨年、本を図書館で借りて読んだものの目標の約半分の五十二冊止まり。登山の方は運動に置き換えて、買い物ついでのウオーキングも数に入れれば何とか達成、という結果でした。「先輩」の偉業にあらためて感服し、今年も再挑戦します!”(1月19日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市の講師(女・51)の投稿文です。69歳の方の投稿文は2012年1月18日に「(第1554話)すべて達成」で紹介しています。この文を読んでまねしようとされた人があったのですね。そしてこの文である。読書は半分と言われるが見事である。実はボクも同じように数字で目標を立てた。100ではない。前年の実績を振り返りながらそれをやや上回る目標にした。読書は30冊である。結果は42冊であった。一つを除けてほぼ達成できた。やはり数字目標に効果があったと思う。投稿文の効果も大きいのである。




2013/02/03(Sun) (第1721話) 後期高齢者 寺さん MAIL

 “後期高齢者。どのような区切りでそれが決められたのかと思っていたが、最近、納得することがあった。昔、心打たれ、とても感動した映画があり、もう一度見たいとずっと思っていた。願いがかなって知人からDVDを借りることができ、夕食後に見入った。ところが、あれだけ長年焦がれていたはずなのに、いまひとつ感動がない。なぜだろう・・・。そうか、老いとはこういうことだったのか。体力だけではなく、感情も薄らぐのか。ショックだった。
 そういえば先日、運転免許の高齢者講習で「若い人にはまだまだ負けないという自信があっても、この結果が物語っていますよ」と言われた通り、機能は確かに落ちていた。今年、その年齢になるのを機に、考えたい。体力、機能、感情の衰えはしっかり認め、でもやはりそれなりの希望は捨てないで、これからをどう生きるか、と。
 こんな言葉がある。「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」そうだ、生ある限り学び、働き、感謝し「老いの才覚」を心得て生きる節目の年にしよう。”(1月16日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の今井さん(女・74)の投稿文です。ボクはまだ後期高齢者にはほど遠いが、老いを感じることは日々である。ボクなどこの年齢にしては最も元気な方だと思っているが、それでもだめである。あまりの愚かさに妻と笑い合うことはたびたびである。後期高齢者ではなくてもこの文に書いてあることはよく分かる。
 この文を紹介したのは「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」という言葉にひかれてである。ボクは「明日死ぬかも知れないし、あと30年生きるかも知れない、それが難しい」とよく言っている。しかし、この言葉で大方解決である。まさに納得である。ボクの机の上には「今が本番、今日が本番、そのうちはもうない」と書いて張ってあったが、この言葉に置き換えた。




2013/02/01(Fri) (第1720話) 受けた善意宝物 寺さん MAIL

 “受験を控えて机に向かう時間が増え、肩こりがひどくなったため接骨院に通院しています。学校帰りに寄ろうとしたら診察券がありません。「駅か電車内で落としたのだろう」と諦めていました。
 四日後に受診すると届けられていてびっくり。JR東海道線車内で拾った刈谷市の方が匿名で郵送してくださったんです。「患者様にお渡し下さい」という美しい字のメッセージは大切に保管しています。ありがとうございました。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県安城市の高校生(女・18)の投稿文です。無くして諦めたものが出てくる、嬉しいことであろう。それもこのように思いがけない親切を受けてのことだとより嬉しさも募るというもの、宝物にもなるわけである。こういう親切はこの高校生の今後において大きな良い影響を及ぼすだろう。若い人への対応はその後の影響も考えて最善のものを考えていかなくてはならない。


 


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