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第105号  2013年1月

2013/01/30(Wed) (第1719話) おいの人助け 寺さん MAIL

 “札幌市に住む弟に聞いた話です。弟の高校生の息子が大雪の日に駅前を通り掛かると、階段の下で近所の高齢の女性が雪に埋もれていました。雪をかき分けて女性を救いだし、背負って自宅へ送っていったそうです。
 その後、女性は何度もお礼にみえて「まるで神様のような扱いを受けた」とか。おいにとってはささいな行いだったようですが、伝え聞いた伯父の私の心も温まりました。遠く離れた土地での著しい成長に驚かされています。”(1月7日付け中日新聞)

 愛知県あま市の会社員(男・53)の投稿文です。雪に埋もれていたといわれるから、大変な状況であったろう。発見が遅れたら命に関わったかも知れない。しかし、救い出すことはまだしも、送ることは家族に連絡するだけでも済むことである。高校生にして背負って歩くことに抵抗はなかったであろうか。女性はどんなに嬉しかったことであろう。神様のように思う気持ちが知れるというものである。この出来事が男子高校生と高齢女性と言うことに何か言いしれぬ嬉しい気分になる。




2013/01/28(Mon) (第1718話) 便教会 寺さん MAIL

 “教師たちがトイレ掃除に学ぶ会「便教会」を立ち上げて十二年になる。「方法論や技術や手法ではない。ただ身を低くして実践あるのみ」を合言葉に、昨春赴任した愛知県西尾市の鶴城丘高校で再び一から生徒と向き合う。
 英語教師として碧南高校に勤務していたころ、自動車用品販売会社「イエローハット」創業者の鍵山秀三郎さんが唱えるトイレ掃除学に影響を受けて始めた。最初は呼び掛けても手伝う生徒は一人か二人。だが次第に増えて、ボランティア部の活動もトイレ掃除が柱になった。
 トイレ掃除に妥協はない。目指すは「感動的な美しさ」。スポンジや紙やすりを駆使して汚れと格闘。一つのトイレで三時間以上かけることもあり、徹底的な掃除がモットーだ。「トイレが一つの教材。モノを大事にする日本人の心だって学べる」
 活動は全国に広がり、発行する「便教会新聞」は九十一号を数え、購読者は教百人にも。新たに賛同する先生がいれば学枚に出向いて「便教」の普及も欠かさない。「トイレ掃除に教育の原点がある気がする」。自問自答しつつ、ただ実践あるのみ。”(1月5日付け中日新聞)

 「この人」という記事欄からです。世の中いろいろな主張、運動があるものだが、この便教会にも驚かざるを得ない。トイレの掃除は誰もいやがるもの、ボクなどはしたこともない。利用しない人は誰もないトイレ、そのトイレを綺麗することに価値を見いだす。少しくらいの技術は必要だろうが、後はただ一生懸命磨くだけのこと。気構え、心の問題である。生徒に及ぼす影響は大きかろう。「便教会」とは先生らしいしゃれた名付けだ。
 最近は公共のトイレも綺麗になったと思う。清掃をされる人をよく見かけるようになった。管理者もその必要性を認識なされ、力を入れておられるのだろう。綺麗なトイレを使えるのもこうした人があってのことだと認識し、利用者も綺麗に使うことを心がけたいものだ。いたずらをするなど以ての外だ。
 ボクなど一宮友歩会の運営をしていて、コース設定でトイレの場所を確保することは最も大切なことである。1時間前後で1箇所のトイレを見つける、それが見つからなくてコースを変更することもたびたびである。トイレのあることのありがたさを感じている。




2013/01/26(Sat) (第1717話) 一日一善 寺さん MAIL

 “昨年の元旦に「一日一善」を誓い、どうにか一年続けました。毎日というのは、なかなか難儀なことでした。しかし、集落の住民や地区内の人から感謝されることもあり、うれしく思いました。家族が心から喜んでくれたときは涙が出るほどうれしかったです。目立たず、目に見えない「善意」も心がけ、自分一人、満足感に浸って、すがすがしい気持ちになったりもしました。
 また、一日の出来事などを短歌、俳句、川柳に詠むのは楽しく、新聞や雑誌に応募して入選したときは二重の喜びで、言い表す言葉が見つからないほどでした。今年も一日一善は続けていきたいと思っています。そして、愛犬の散歩も雨天以外は毎日行きたいです。この二つを一年間、頑張って続けることを心に誓っています。”(1月4日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の農業・神戸さん(男・78)の投稿文です。「一日一善」を続けておられると聞くと唸ってしまう。毎日良いことをしなければならないのである。それなりの意志と覚悟がなくてはできまい。難儀といわれて当然である。ボクなど一週一善も難しい。いろいろ素晴らしい人があるものだ。
 「新春に願うこと」から4話紹介しました。何かオヤット思われたことはないでしょうか。高齢者の投稿ばかりで何か意図的だとは思われなかったでしょうか。実は何の意図も入っていません。ちなみのこの3日間の投稿者の年齢を紹介しましょう。(1月1日)41,73,73,74,75,79,85,(1月3日)65,76,78,82,83,85,(1月4日)50,64,64,71,73,78,81、見事に高齢者です。これでは高齢者ばかりになるのは自然です。ボクは実際の投稿者がどのよう年齢構成になっているのか知りたい気持ちです。実際の投稿者の年齢が多岐にわたっていれば、新聞社の編集者は多分満遍なく選ばれるでしょう。ボクなら少し無理してでもそのように選びます。高齢者が元気なことを喜ぶべきか、若い人が少ないのを嘆くべきか。




2013/01/24(Thu) (第1716話) 短歌に込めて 寺さん MAIL

 “み:自らの み:身の丈に合う み:未来図と み:実りの量を み:見定めてゆく
 これは、巳年にちなんで今年の年賀状に書いた自作の短歌です。私は毎年、政府への要望や自分の決意などを趣味の歌に託して賀状を送ります。人に知らせることが、私の背中を押してくれそうな気がするからです。
 今年の未来図(目標)は@今月行う色紙の個展に昨年以上の人に来てもらうことA寒さでしばらく休んでいたウオーキングの再開B健康維持に家内と一緒に努めることーです。
 喜寿が近づいたこのごろですが、幸い相応の仕事に恵まれ、六つの職場で楽しみながら働いています。地域のボランティア活動にも協力しています。今年もあまり背伸びせず、少し努力すれば手の届くことを頑張リたいと思っています。”(1月3日付け中日新聞)

 愛知県江南市の英会話講師・河村さん(男・76)の投稿文です。巳年にちなんだ短歌とはまた面白い。年賀状に趣味の短歌で思いを伝える。河村さんの年賀状を楽しみに待たれる人も多かろう。実はボクも川柳をはじめて以来、年賀状に川柳を書いている。今年の句を紹介しておきます。
     美しい朝だ 巳年の夢描く     幸智子
     夢抱き巳年も歩く熱意込め     英人
 年賀状に川柳を載せ始めて33年になります。ボクのホームページの川柳欄に「年賀状展」としそのすべて紹介しています。
 この歳で六つの職場で楽しみながら働いているという言葉に羨ましくなります。それは多分、英会話という能力を持ってみえるからでしょう。技術を持つといつまでも役立ちます。羨ましい限です。




2013/01/22(Tue) (第1715話) 長寿の秘訣 寺さん MAIL

 “年の始めに、長生きするための「か行」で始まる五つの方法を考えてみた。
 「か」は、考える。時と場所に合った最善の方法を考えて行動する。考えることによって技術や能力が向上し危険から身を守ることができる。
 「き」は、記憶力を維持する。高齢化で忘れやすくなるので、五感を働かせて書くことで、脳の活性化を図る。記憶力が鈍ると、生きる力も衰える。
 「く」は、苦にしない。いやなことは早く忘れる。苦にしていると大事なことを忘れて、事故を起こす恐れがある。精神衛生上も良くない。
 「け」は継続する。早寝早起き、テレビ体操、三十分程度のウォーキング、囲碁を継続することで、認知症の予防を図る。
 「こ」は、興奮する。日常生活の中で喜び・笑い・悲しみ・憤りを持つ。漫然と生きている人は、短命とのこと。
 「かきくけこ」を実践して百歳まで生き、国の表彰を受けよう。”(1月1日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の佐藤さん(男・85)の投稿文です。「カキクケコ」については、第166話、第1582話と過去2回紹介している。166話では考え、記録し、工夫し、研究し、行動する。1582話では感謝し、興味を持ち、工夫し、健康に気をつけ、恋をする。そして今回は、考え、記憶力を養い、苦にしなくて、継続し、興奮する。皆さんいろいろ考えられるものである。自分で大切と思うこと、自分に欠けていることなどを選んで再構成することも良かろう。ボクなら、感謝、興味、苦にしない、継続、行動であろうか。それにしても他の行でなく「カキクケコ」ばかりなのが面白い。




2013/01/20(Sun) (第1714話) 毎日心みがき 寺さん MAIL

 中日新聞では1月1日から3回に渡って「新春に願うこと」という掲載がありました。その中から数話を紹介します。
 “後期高齢者になると、誰でも健康を考えますが、「ピンピンコロリ」だけは思うようになりません。だから私は、いつお迎えがきてもいいように、今年は心みがきを真剣にしたいと思います。
 例えば、今までは夫とけんかすると、相手を責めて自分を許していました。それを、一歩ゆずって「ごめんね!」と言ってから話をする、自分の思い通りにならない出来事も一呼吸して答えを出すというように。無事故の運転をしていても、何が起こるかわかりません。狭い道や交差点では相手の車に道をゆずることを心がけるようにします。
 心みがきは、洗剤やお金ではできません。朝、「今日も心みがきをするぞ!」と気合をいれて一日をスタートし、明日にむかって願いをこめて一日を終わる−。そんな一年にしたいと思っています。”(1月1日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小野寺さん(75)の投稿文です。「心みがき」か、小野寺さんの造語であろうが、いい言葉である。自分磨きもいろいろあろうが、その中で心である。どんなことも心の持ち方ですべてが変わってくる。ちょっと油断すると自分勝手な方向に、自分に甘い方向に動く。「今日も心みがきをするぞ!」と気合をいれる必要がある。75歳の小野寺さんにしてそうだ。若輩の僕らにしてはより必要であろう。「感謝」の心で接すれば多くは問題なく進むと思う。




2013/01/18(Fri) (第1713話) 人と人の絆 寺さん MAIL

 “今年も多くの映画を見た。最近の日本は無縁社会、家族ではなくて孤族だといわれ、人の絆が希薄になってきている。社会のセーフティーネットがなくなり、悲しい事件が頻発している。東日本大震災の中で、被災者への救援活動、被災者同士の助け合いを通して、人の絆が復活しかけている。大切にしていきたい。そういう状況を反映してか、今年は日本映画に人の絆を描いた映画が多かった。
 「あなたへ」は、主人公が亡くなった妻の絵手紙に書かれた「故郷の海に散骨してほしい」という遺言を実行するために、長崎へと向かう。旅の中で出会う多くの人々との絆を温かく描いている。
 「北のカナリアたち」は、二十年前に起きた悲劇によって引き裂かれた教師と教え子たちが教え子の殺人事件をきっかけに仲間としての絆を取り戻していく。最後に童謡「かなりあ」を全員で合唱する場面には涙があふれた。
 人は絆によって生きていることを今年の映画は思い起こさせてくれた。”(12月29日付け中日新聞)

 「今年を振り返る」から名古屋市の野田さん(男・70)の投稿文です。昨年は映画を見ることが全く少なかったが、それでもこの2本は見た。それだからこの2本は見に出かけた。じっくり見ることができた。ボクはか、ボクの年代はか知らないが、観覧者は高齢者が多かった気がする。僕らの時代は高倉健や吉永小百合と共にあったから当然だろうか。
 震災以来、絆、絆と叫ばれるが、本当にそうなったのだろうか。一時のこと、一部の人のことではなかろうか。それが統計的に今も続いていることが示されたら嬉しい。ボクはこの「話・話」でもう何回も触れたが、社会の最小単位は夫婦、家族と思っている。それが崩壊していてはその他どころではない。まずこれらが改善されているかどうか知りたい。
 「今年を振り返る」から「新しい年の抱負」の参考になることもあろう。そう思って紹介した。




2013/01/16(Wed) (第1712) ガイド充実へ 寺さん MAIL

 “今年は名古屋城の観光ガイドボランティアを引き受けて丸三年になる。当初はぎこちなかったガイドも、最近は自分なりに慣れてきた。しかし、先輩諸氏に比べたらまだまだ足元にも及ばない。そこでガイドとして一層の飛躍を期すため、ご当地検定の一つである「名古屋城検定(上級)」にチャレンジした。
 同試験は難易度が高く、出題範囲も広くて四苦八苦しながらの受験となったが、幸いにも合格した。いくつになっても目標に向かってチャレンジすること充実感を昧わえたことは、何よりだったと思っている。
 来年の五月二十九日から、名古屋城本丸御殿の一部(玄関、表書院など)が公開される予定だ。多くのお客さまの来場が予想されるが、勉強の成果を発揮して、心からおもてなしをしたいと思う。そして名古屋城のみならず、名古屋の街をもう一度訪れたいと思ってもらえるようなガイド活動に励みたい。”(12月29日付け中日新聞)

 「今年を振り返る」から名古屋市の鈴木さん(男・71)の投稿文です。ここにも検定に挑戦する人がいた。ご当地検定も多くなった。これもいいことである。地域の勉強をする。そして地域のガイドに役立てる。高齢者にはもってこいである。
 ボクは逆で、一宮友歩会でこういう人たちを利用させてもらっている。大方の場合、依頼すれば喜んで引き受けてもらえる。日頃の研鑽を発揮する場であろう。持ちつ持たれつ、ありがたいことである。ボクは一宮友歩会で頑張るので、もっともっとこういう人たちが増えることを期待したい。




2013/01/14(Mon) (第1711話) 漢字学習継続 寺さん MAIL

 “今年は、毎週一時間程度、漢字の勉強をしてきた。テキストは百円均一のものだ。「漢検4級」「中学一年生の国語」「漢検3級」をクリアした。今は「中学三年生の国語」を勉強中だ。
 読み仮名を振るのは案外と簡単だが、漢字の書き取りはなかなか頭に思い浮かばない。解答を見ては赤ペンで修正するので、テキストは真っ赤だ。間違った漢字はノートに三回から五回くらい書いて覚えていく。
 昔は書けたのに、今では、字をあまり使わないのでどんどん忘れていってしまう。こんな簡単な漢字も書けないなんてと、自分でもびっくりというか、情けない次第である。しかし、勉強していくうちに、来年は漢字検定を受けてみたいと思い始めた。私は学生時代に英語検定三級に合格したが、当時は漢字検定は実施されていなかった。
 駄目でもともと。これからも漢字を覚えて、来年は漢字検定四級にチャレンジしてみたい。学生に戻った気分で頑張りたいと思う。”(12月29日付け中日新聞)

 「今年を振り返る」から三重県四日市市の家事手伝い・奥山さん(女・47)の投稿文です。漢字検定があるようになって漢字を勉強する人が多くなった気がする。いいことである。 今の時代、手で字を書く機会が減った。パソコンで書いても、あまりに便利すぎて書いたことにならない。書かないより良い程度である。そしてますます漢字が忘れられていく。ボクなど日記を毎日書いているのでまだいい方であろうか。日記は自分だけが読むものだから、漢字が分からなくてもひらがなでもいいが、できるだけ調べるようにしている。漢字も日本文化の代表である。大切にしたいものだ。
 今の時代、する人しない人、持てる人持てない人、何ごとも差が大きくなっていく気がする。漢字勉強もしかりである。自主を重んじると言うことはそういうことである。




2013/01/09(Wed) (第1710話) マナー大切に 寺さん MAIL

 “今年も健康で一年を過ごすことができました。十数年続けているソフトボールが生活リズムの一部となり、おかげさまで病気には無縁です。チームは町のリーグ戦に参加しています。グラウンドの整備やライン引き、審判も各チームの選手が交代で担当しています。
 リーグは勝敗よりも競技者マナーの向上に力を注いでいるので、ルールの適用や解釈などを共有する機会を大事にしています。その成果はどんどん表れ、以前ほどクレームを言う選手はいなくなりました。必要な抗議も監督だけで、それもすぐに解決します。
 マナーの向上で良いプレーが生まれ、全体的に競技者のレベルも上がっているのが分かります。リーグの成績優秀チームは、一つ上の大会に出場できる権利が与えられていることで力も入ります。うれしかったのは今年優勝できたことで、来年に出場する権利をつかんだことです。大きな大会で一つ勝つことは難しいですが、ここを目標にしてソフトボールを楽しんだ一年でした。”(12月29日付け中日新聞)

 「今年を振り返る」という特集から数話を紹介します。この文は愛知県江南市の会社員・小川さん(男・55)の投稿文です。ソフトボールをするのも健康増進や交流に役立ち、いい時間の過ごし方です。ボクの知り合いに何人も見受けられます。ボクはボール競技が苦手なのが残念です。この文で特に気に入ったのは、マナー向上に力を入れていると言うことです。スポーツは勝たなければ、という主張もありますが、趣味で行っていることです。楽しくやりいい人間関係を作ることがまず第一、勝敗にこだわることはほどほどにしたいものです。小川さんの文では、それが返って競技レベルの向上につながったといわれる。団体競技だから輪がより必要なのでしょう。納得です。




2013/01/07(Mon) (第1709話) 名古屋ビルヂング 寺さん MAIL

 “(前略)もう一つ、今年が私にとって忘れられない年になったニュースが先月末、11月28日の夕刊紙面に。「大名古屋ビルヂング」の名称存続の記事である。「やった!」とばかり、うれしさがはじけた。言い続けたかいがあったというものだ。
 始まりは2010年12月。大名古屋ビルヂング改修の報に接して、ぜひとも名前は残してほしいと、その思いをこの欄につづった。タイトルは「ビルヂングよ永遠に」。それから二年後の今秋、それを読んだ社会部の記者の方からインタビューを受けた。大名古屋ビルヂング閉館にあたり、ビルの中で働いた方々それぞれの哀惜の思いが連載記事になり、最終回に私の意見が掲載された。「名前は文化遺産、残して」と。
 友人から電話やメールがあって、「賛成よ」という声をもらった。もしかして三菱地所の方にも目を通していただけたかも。声をあげると誰かに届くという思いがうれしかった。来年もよろこびある年であってほしい。”(12月23日付け中日新聞)

 「中日新聞を読んで」という欄から愛知淑徳大教授・山田登世子さんの「今年うれしかったこと」の後半部分です。「大名古屋ビルヂング」は昭和34年の伊勢湾台風で痛めつけられた名古屋に、昭和37年に名古屋駅前に一部が開業したので、名古屋、愛知の人にとっては復興の象徴のような気持ちがある。昨年そのビルの建て直しが始まった。名称が問題になった。今、ビルはビルディングでビルヂングという言い方はしない。それを取り壊すまでビルヂングという言葉を使ってきた。惜しむ人が沢山いた。山田さんもその1人である。何でも新しいもの、合理的にすればいいというものではない。ボクは特に地名について思っている。この話はまたの機会にしたい。
 ビルヂングの言い方を少し調べてみると、英語のディはdを含む発音であるため、日本語に直すときにザ行の「ジ」(日本式ローマ字でzi)ではなく、ダ行の「ヂ」(日本式ローマ字でdi)を当てたために生まれたとある。ディの音を「ヂ」で表現するのは戦前では「後楽園スタヂアム」などでも用いられている普通の表記であったという。




2013/01/05(Sat) (第1708話) ウインカー 寺さん MAIL

 “毎朝、通勤時は車が多く、どの車もいらいらとした様子で走っています。そんな中、右折しようとウインカーを出して待っていると、前方から来た直進車がかなり遠いところから「私は左に曲がるの」とウインカーで知らせてくれました。おかけで私は素早く右折することができ、後続車もスムーズに直進していきました。その日は、時間に余裕ができ、何だか気持ちのいい通勤タイムとなりました。
 「ウインカーは自分の意思表示と相手への思いやりなんだなあ」と思いました。時々、信号が変わってから突然ウインカーを出したり、曲がる直前に点滅程度にウインカーを出すドライバーを見かけます。「曲がるのなら早く教えて」と、ひやりとしたことも一度や二度ではありません。自分自身も反省しながら、いま一度、車のウインカーの役割について考えてみようと思いました。”(12月25日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の保育士・佐野さん(女・42)の投稿文です。ウィンカーひとつでもいろいろな気づかいがあるものです。佐野さんの場合もまさにそのひとつです。これで多くの車がスムーズに進めます。少し交通量の多い道路で、1車線、右折車線もないとき、先頭車両が右折だと信号が青の時でも1台も進めないときがある。そんな時、この場合のように反対車線の車が少し気を利かせばかなりスムーズになる。ボクもよく体験することです。
 ボクの地方では皆さん、ウィンカーを出すのが遅い気がする。決まりでは原則、右左折の交差点進入時は30m手前から、進路変更の際はその3秒前に、と出すタイミングが定められています。30mというと、現場の状況で返って紛らわしく不適当なこともありますが、早めを心がけたいものです。ウィンカーを早めに出しても何の損にもならない。




2013/01/03(Thu) (第1707話) 伝統の餅つき 寺さん MAIL

 “地区コミュニティーの行事として「もちつき大会」が行われました。私たちは行けなかったのですが、子どもたち二人は私の両親と参加しました。子どもたちが昼前に帰ってきたので様子を聞いてみました。「もちは、あんこもち、きなこもち、おろしもち、菜もちがあって、いっぱい食べたわ」「長い棒(つき棒)で私も友達と一緒についたよ」「たくさんの人が来ていたし、係の人はみな親切やった」などと感想を話してくれました。
 今ではめったに見られなくなった木の臼ときねでついたようで、子どもたちは大喜びでした。最近では、こうした昔ながらの行事がなくなりつつあり、寂しい限りです。
 このような伝統行事を個人で計画することはなかなかできません。この行事を計画し、実行してくださったコミュニティーの役員さんの苦労は大変だったと思い、心から感謝しています。今後もこうした日本の文化を継承するような行事を計画していただき、子どもたちに夢を与えていただきたいとお願いします。”(12月23日付け中日新聞)

 三重県亀山市の会社員・後藤さん(男・41)の投稿文です。ボクのような田舎でも最近は臼と杵の餅つき風景は見なくなった。何かの祭りや行事の中で見られるくらいであろうか。後藤さんの地区では地区の行事として「もちつき大会」が行われたようである。一般家庭ではほとんどしていないだけに準備は大変だったであろう。それだけに参加した人は大喜びであったろう。地区のコミュニティーとして継続されることを期待したい。餅つきは本当に日本の過去の文化になろうとしている。
 餅つき大会についてボクにも懐かしい思い出がある。平成9年のことであるが、その年ボクは輪番制の組長であった。その年、いろいろな理由で盆踊り大会が中止と決まり、その代わりの行事を検討する委員長にボクが指名された。そして「ふれあい祭り」と称していろいろな種目を取り入れ、結果的に大盛会を納めた。その中に餅つきも入れたのである。喜ばれた。3年ばかり続いたが、毒カレー事件の影響で中止となってしまったのは残念の極みである。




2013/01/01(Tue) (第1706話) 感謝の気持ちを伝える 寺さん MAIL

  あけましておめでとうございます。今年も「伝えたい話・残したい話」の発掘に努め、紹介していきますのでご愛読下さい。そして、皆さんの生活に少しでも役立てば幸いだと思っています。では今年最初の「話・話」です。
 “私はスクールガードリーダーとして、岐阜市内にある十六の小学校と二つの中学校で下校時の見守りをしています。この秋、素晴らしい子どもたちとの出会いがありました。
 ある小学校の一、二年生が、横断歩道でボタンを押して信号が青になったとき「右よし、左よし、手を上げて渡ろう」と言って歩き始めました。渡り終わると、止まっていた車に「ありがとうございました」とお辞儀をしていきました。また、夕暮れの時雨時、女子児童が「おじさん、雨の中をありがとうございます」とねぎらいの言葉をかけてくれました。私は胸が熱くなり、つい涙をこぼしてしまいました。
 子どもたちは学校や家庭で人と人とのつながりの大切さや感謝する言葉を学んでいるのでしょう。誰も見ていなくても、子どもたちはちゃんと実践しています。私は先生や保護者の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。子どもたちにも「ありがとう」と言いたいです。”(12月4日付け中日新聞)

 岐阜県北方町の金神さん(男・63)の投稿文です。金神さんの活動は頭が下がる立派な活動です。そして子供は本来素直、真っ白です。接し方でいかようにもなります。家庭や学校でのしつけは本当に重要です。この子供達はそのように教えられ、実践しているのでしょう。第1705話でも書きましたが問題はこの後の中高生です。この後は家庭や学校だけでなく、社会が大きく影響します。子供は社会を映す鏡です。大人がしなくてどうして中高学生にできるのでしょう。この小学生のような行動をする大人があったらボクはもっと感動するでしょう。
 金神さんは十六の小学校と二つの中学校で下校時の見守りをしていると言われるが、どのようにされているのだろうか。時間は同じような時間帯だと思うが、毎日違った学校に行かれるのだろうか。それも一つの手法である。


 


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