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第102号  2012年10月

2012/10/30(Tue) (第1678話) カメラ事情 寺さん MAIL

 “以前、最近のデジタルカメラの進歩から、写真は犬のマーキングと同じようなものになってしまったと書いた。ところが、現況はマーキングどころか「垂れ流し」状態になっている。
 とくに携帯電話のカメラ機能が、日常のあらゆるシーンの写真撮影を可にし、促進した。外食の食べ物をパチリ。人だかりしているとパチリ。酔っ払いをパチリ。美人をパチリ。景色をパチリ。動物をパチリ・・・。とにかく何でもかんでもケータイの中に収めてしまう。が、それで終わりだ。メールで人に送ったりするが、本質的には撮影することで事は完結している。とりあえず「撮る」。
 カメラなどない明治以前の昔は、「言葉」でさまざまなシーンを脳に写し込んだ。他人に伝えるときも言葉を尽くしてそのシーンを再現した。旅した景色の美しさ、目撃し事件の模様、食物のおいしさななど、文字にしろ口語にしろ、すべて言葉が「写真」だった。デジタル写真が「垂れ流し」の今は、撮ったらそれで終わりで、言語化することはほとんどない。便利さは言葉を衰退させ、退化させるのではないか、とおじさんは余計な気をもんでいる。”(10月14日付け中日新聞)

 エッセイストの飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。デジカメが発達して簡単に綺麗な写真が撮れる、本当に便利になった。ボクも使いまくっている。飛鳥さんが言われるように、ほとんどの人が持ち歩く携帯電話のカメラ機能はそれに拍車をかけた。まずは撮る、それで終わっている人も多かろう。便利になった分失うものも多い。
 先日、主に外国の風景を描かれる知人の個展が開かれたので出かけた。写真を撮られるのですかと聞いたら、その場でスケッチをするのだと言われる。写真で撮ると観察が鈍るとも言われる。確かにスケッチだと細かな点も書いていかねばならないから、しっかり観察しなければならない。写真はカメラを向けるだけで何の観察も必要ない。飛鳥さんの意見と全く通じる話である。
 ボクの場合、その写真を結構活用しているのでまだ救いがある。まずはホームページに使っている。また掲示板でも紹介している。その時、よく見て選ばねばならない。またフォトフレームを活用して常時見られるようにしている。しかしボクも気をつけねばならない話だ。




2012/10/28(Sun) (第1677話) ハガキごっこ 寺さん MAIL

 “七十歳になったある日、故郷の同級生より一枚のハガキが届いた。頭の体操の為、ハガキごっこしない?このハガキが届いたら、すぐ返事を出して。こちらも、受け取ったら、すぐに返信するから・・・という誘い。
 ゲーム感覚で、「そうだ、やってみよう」と思い立ち、すぐ返事のハガキを出したら、四、五日して、相手方からのハガキが届いた。「うれしい」またすぐ書いて、ポストに入れる。
 それから三年余り、やりとりは途切れなく続いている。毎日、ポストを覗くのが楽しみ。続けてみると、いつも一緒におしゃべりしてるみたいで、心がつながっていく。
 さあ、今日も来てるかな? 来たっ!どうして、こんなにうれしいのか不思議なくらい。友よ、ありがとう。”(10月14日付け中日新聞)

 「300文字小説」からさいたま市の齋藤さん(女・73)の作品です。多分これはノンフィクションであろう。若い頃にはやったし、ボクもしたことがある文通、ペンフレンドである。老いてするのもよかろう。いや、老いてからの方がメリットは大きいかも知れない。
 今の若い人では携帯メールのやりとりがある。これは数分でやりとりができてしまう。1日に何十通もやりとりし、その弊害の話があった。先日もテレビで話題にしていた。それに比べればハガキはいい。来てすぐ書いても次に書くまで数日はかかる。丁寧に文字を書く機会にもなる。ボクも考えてみてもいいことだ。女性同士は楽にできることだろうが、残念ながら男同士ではなかなか難しいことである。それなら女性を求めればいいだろう。心のときめきもあるだろう。絵はがきも記念切手も沢山ある。それらを使えばより楽しいだろう。しかし、相手をしてくれる女性を見つけるという最大の問題が横たわる。




2012/10/26(Fri) (第1676話) そうだったんだ 寺さん MAIL

 “六十歳でパート勤めを辞め、二人の娘も嫁ぎました。これを機に、あることを心に決めました。《これからの人生、自分の好きなことに時間を使おう》
 いろいろ考えてみましたが、《まずは、洋服の手作りに挑戦しよう》と思い、ミシンを購入しました。そして、本屋さんに行くたびに一冊ずつ洋裁の本を買い求め、何枚も縫ってみました。ところが、《これだ!》と思うものがなかなかできないまま、三年が過ぎてしまいました。
 つい先日のこと。友人が「洋裁のいい本があるから」と言って、三冊の本を持ってきてくれました。二、三日後、あまり気乗りしないまま、その本を袋から取り出し、一冊目をバラバラと見てみました。すると、何と、私が求めていた洋服がずらりと載っているではありませんか! 二冊目も、三冊目も。
 そこで、初めて表紙を見てみました。その瞬間、本のタイトルに驚き、一人で大笑いしてしまいました。三冊とも「おばあちゃんの・・・」だったのです。まさに「納得」の一瞬でした。”(10月14日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・下井さん(63)の投稿文です。なかなか愉快な話である。高齢化社会になって、高齢者に対するいろいろな意見や、ノウハウものの本が溢れている。それらの多くは、いつまでも元気で、楽しく、美しく、若々しく生きるなどの助言である。ボクもそれらを否定する気はない。こんなことを頭に描いていると、服装などではついトレンディーなものに目がいってしまう。それが下井さんのこの話である。やはり年相応というものはある。
 服装についてボクは以前全く無頓着であったが、最近は少し気にかけている。若さで補えなくなった分?を服装で補おうというこれらの本や妻の気づかいに答えてである。各種ノウハウものには、一般人にはかなりの無理のある話もある。いくらいいことでも今までの生活と違いすぎては続かない。あまりに飛躍せず、冷静な判断、対応が肝心と思う。




2012/10/24(Wed) (第1675話) 全席優先席 寺さん MAIL

 “「名古屋も地下鉄全席優先席に」(1日)を読みました。横浜市営地下鉄を利用した私としては大賛成です。
 身内の葬儀に参列するため昨年、姉と新横浜駅から乗りました。二人とも身障者でつえを突いています。乗り込むと間髪を入れず十人ほどの方々がすっと立ち上がり、ほほ笑みながら席を譲ってくれて感激。びっくりしながら座って見回すと「全席優先席」とあちこちに掲示してありました。名古屋も見習えたらいいですね。”(10月10日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦(74)の方の投稿文です。「全席優先席」に反対ではないが、この話は何かおかしい。公共乗り物で弱者がみえたら席を譲るのは当然のことである。本来全席優先だったのだ。それが次第に譲らなくなった。そこで一部の席を弱者優先とした。そしたら他の席は譲らなくてもいいと理解する人が現れた(らしい。そうだとしたらボクはびっくりだが)。余分な配慮がおかしな現象を生んだと言えるだろう。横浜地下鉄では今どのような反響だろうか、気になる。どこの場所、どのような状況だろうと弱い人に配慮するのは当たり前のことだ。全席優先席で効果があるのならそれをするのもいいだろう・・・その時その時に応じた対応をするのも必要である。




2012/10/20(Sat) (第1674話) 私の生きがい 寺さん MAIL

 “若いころは子育てに追われていた上、しゅうとめへの気兼ねもあって「くらしの作文」を書く時間はあまり取れませんでした。唯一自由になれたのは授乳の時。授乳しながら書き継ぎましたが、いつも未完のままになっていました。
 子育てが終わって書いた「父のコート」が採用されたのは一九八〇(昭和五十五)年二月のことです。家計を助けるため就職することにしていた私に、父は進学を強く勧めてくれました。受験を控え着ていく服がなかった私のため、父が自分のオーバーを仕立て直して私のコートを作ってくれた話を書きました。
 一番喜んでくれるはずの父は亡くなっていましたが、しゅうとめが予想以上に喜んでくれ、それを機に本当の親子のように親密になれたのは「くらしの作文」のおかげです。そして、この作文を読んで感動したという画家の方が、父から贈られたコートを着た私とコートなしの父が雪道を歩いて受験校の下見に行く姿を想像して絵を描き、プレゼントしてくださいました。その絵は、今も大事に飾ってあります。「くらしの作文」は私の生きがい。今後も書き続けようと思います。”(10月5日付け中日新聞)

 岐阜県郡上市の永井さん(79)の投稿文です。父のことを書き姑が喜ばれた。その文に感動した見知らぬ画家が絵を描いて送ってくれた。世の中いろいろな話があるものだ。何がどう発展するか分からないものだ。良い方ばかりに進むとは限らないが、それでもやってみないことには始まらない。ことを見極めながら積極的に進めることだろう。
 「くらしの作文」は「くらし」と言うだけに身近な話が多い。日々の生活の中でちょっと良いことを感じた話でいい。それだから「話・話」でもよく使わせてもらっている。これからも活用させてもらいたいので、いい話を期待したい。




2012/10/18(Thu) (第1673話) 母に捧げた作文 寺さん MAIL

 “「ありがとう」と題する私の作文が掲載されたのは、平成二十年九月十日のことでした。母が入所している施設に様子を見に行くと、いつも私たちに「ありがとう」「ありがとう」と言っていた母や、母を見舞いに行くと身内の私たちにいつも「ありがとうございます」と言ってくださった施設の方々のことを書きました。
 掲載されて最も喜んだのは母で、自分の部屋に拡大コピーを張りました。私が訪ねて行ってベッドを起こしてあげると「作文をとって」と言います。手渡してあげると、眼鏡なしでもよく見える目で何度も繰り返し読み、「あんた、よぉーく書いたね」と私を褒めてくれました。
 母の心の中には小さな子どものままの私たちがいて、学校で何か賞をもらってきたような感覚だったのだと思ったものです。その母も九十八歳を目前に老衰で亡くなりました。旅立つ日には、その作文を持たせてあげました。どんな言葉よりも母が喜んでくれた「くらしの作文」。そして、あらためて親の思いの深さを知ることになった「くらしの作文」。忘れられない思い出です。”(10月4日付け中日新聞)

 愛知県半田市の主婦・木村さん(69)の投稿文です。「くらしの作文」はここでもよく使わせてもらっている。その「くらしの作文」に投稿された方の「くらしの作文」に対する思いを2話ばかり紹介します。
 その1話目です。「くらしの作文」に母のことを書き、その母が非常に喜んでくれた話です。よほど悪いことをするかいいことをするかしないと、一般には自分のことが新聞に載ることはなかなかないことです。それが少し良いことで載ると嬉しいものです。お母さんは自分のことを話題にされた文に、賞をもらったような気分だったという。その気持ちは分かります。




2012/10/16(Tue) (第1672話) 稲沢サンドフェスタ 寺さん MAIL

 “高さ二メートル余の砂像十基が木曽川砂丘を飾る「第三十四回稲沢サンドフェスタ」が六、七日、稲沢市祖父江町のサリオパーク祖父江で開かれる。制作期間は九月二十二日に始まったが、台風17号の風雨で一部が壊れた像も。出展者たちは制作と修復を急ピッチで進めている。
 さらさらの白砂が広がる主会場の木曽三川公園ワイルドネイチャープラザでは三日午後、五組が作業に汗を流していた。ハロウィーンや「ゆるギャラ」、日本神話など多様な題材の作品が、徐々に形を現していく。
 砂像は高さ1.8メートル、縦横3メートルのピラミッド状に押し固めた砂山を基に、砂を積んだり彫ったりして作る。仕上げに「グ−」と呼ばれるのりを吹き掛けて固める。作業の大半は、水を掛けながら佐官用のこてやへらなどで完成像を削り出す地道な作業だ。
 参加歴十年余という自営業荒川英也さん(41)=祖父江町島本=は「子どもの砂遊びの延長みたいで夢中になる。普段は芸術と無縁だけど、サンドフェスタは仕事を空けて来てしまう」と魅力を語る。(後略)”(10月4日付け中日新聞)

 記事からです。家から15kmほどの所なのに一度も出かけたことがありません。それがこの新聞の記事に今年の10月7日、始めて妻と孫と見に出かけました。駐車できないほど沢山の人出でした。そして、作品は素晴らしいものでした。技術もいるでしょう。一人ではできないので、グループでこの作業をするのでしょう。子供の頃の砂遊びを思い出します。わいわい言いながら楽しい姿が想像されます。仲間作りにもいいと思います。いつまでも続くことを願っています。
 木曽川の左岸堤にできた砂丘です。こんな川に砂丘ができるのは珍しいでしょう。しかし、上流にダムができ、下流にも堰ができて砂丘はやせ細るばかりでしょう。この砂丘が砂丘として維持されることを願ってやみません。




2012/10/14(Sun) (第1671話) お風呂カウンセラー 寺さん MAIL

 “小二の三男のお風呂係は主人。わんぱく盛りの男の子の相手は大変疲れるので大助かり。今日も三男のはしゃぐ声が浴室から聞こえてくる。学校での出来事、習っているサッカーのことなどを話しているようだ。
 小さい時は主人とお風呂に入っていた中三の長男と小六の次男は今では一人で入浴しているが、学校で何か嫌なことがあった時、暗い顔をしている時は主人の出番となる。
 狭い空間に二人きりになり、一緒に湯につかってリラックスしていると、普段は父親としゃべる機会が少ない息子たちも、胸の内をさらけ出すようだ。私ははらはらしながら彼らが風呂から上がるのを待ち、主人から報告を受ける。
 感心するのは、主人がいつも息子たちに的確なアドバイスをしていること。主人は、私では思いも寄らない視点から物事を見ることができるので、母親としてはすごく助かっている。息子たちも風呂から出た後は、何となく笑顔が戻っている。いつまで主人と一緒にお風呂に入ってくれるか分からないけれど、当分は主人に「お風呂カウンセラー」を頑張って続けてもらいたいと思っている。”(10月2日付け中日新聞)

 「暮らしの作文」から静岡県湖西市の主婦・森田さん(45)の投稿文です。素晴らしい父親と息子さんの関係だ。こんな家族もあるのかと感心する。中三、小六と言えば反抗期でもあり、親との関係は難しくなる年頃である。特に父親と息子は難しいと思う。この文章からみると特にべったりでもないし、困った時に父親を頼りにしてる。信頼されている。こういう親子に間違いはない。
 実はボクの小六の孫と父親の関係も好ましく見ている。休みの度にカヌー漕ぎや魚釣りに出かけている。孫は父親を頼り、父親も自分自身楽しんでやっているようだ。どこまでもこの関係が続くことを願っている。お陰で小一の孫はほったらかしにされている。それをボクがウォーキングに連れ出す。声をかければ喜んでついて来る。先日など2日続けて出かけてしまった。この関係は小三くらいまでであろうか、今小六の孫もそうであった。ボクはまもなく寂しくなる。




2012/10/12(Fri) (第1670話) 自分だったら 寺さん MAIL

 “六月のある日、名古屋市守山区の下垣内みち子さん(四七)が、リサイクルステーションヘ古紙を運んだときのこと。自転車の前後の買い物かごいっぱいに、子どもの古い教科書や雑誌を詰め込んだ。重くて重くて、ふらふらしながら走った。十分ほどでステーションがあるスーパー駐車場の入り□まで来た。そこからは、長い緩やかな上りのスロープになっている。もうひと頑張りと、必死で立ちこぎをして上る。
 途中、前を五十歳くらいの車いすの男性が行くのが見えた。「押してあげたい」と心の中では思いつつも、「今降りたらふらついて、自転車を倒してしまうかもしれない」と、そのまま一気に上り切った。
 古紙回収業者のトラックに自転車を横づけし、荷台の上の人に一束ずつ手渡していく。終わりがけに、回収業者の人が下垣内さんの後方に声をかけた。「助けてるの?ご苦労さん」と。それに気付いて振り向く。先ほどスロープで追い越した車いすの男性が、下垣内さんの自転車が倒れないようにと支えてくれていたのだった。照れ隠しなのか「アルバイトしとるんだ」と男性。作業に夢中で気が付かなかった下垣内さん。「ありがとう」と言うと、男性は大きく手を振ってスーパーの中へ消えて行った。(後略)”(9月30日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。助けたいと思った人に助けられた、こんなこともあるのです。いや、気がつかないだけで沢山あるかも知れない。例えは少し違うかも知れないが、親は子供を養育しているつもりで、実は自分を磨いたり喜びを与えられている。下垣内さんは“しまった”と思われたでしょう。人生、支え支えられるもの、手を伸ばせる時にはしておきたいものです。「情けは人のためならず」という、情けを受けるより先に情けを施しておいた方が気分がいい。




2012/10/10(Wed) (第1669話) 『人生!』よ 寺さん MAIL

 “六十五を過ぎると、今まで見えなかったものも時々よく見えるようになった。先日、買い物途中に呼び掛けられて振り向くと、二十年ぐらいお会いしていなかったご夫婦だった。とりとめもない話をしていた時、ご主人の深く長いしわに目が行った。
 女性はお化粧で隠すことができるが、男性はそのまま。ところが、そのご主人は、しわが何とよく似合っていることか。人生のいろいろを刻んでいるしわ、笑ってできるしわ。とてもいい男に見えた。美しく迎えた老いに見とれてしまった。
 帰宅後、鏡で自分の顔をじっと見た。「小じわが多い」「皮膚がたるんできた」「染みが増えた」などと文句を言っては手入れをしていたが、素っぴんでもなかなかのもの。《しわも年相応に私の人生》。こう割り切ったら一本一本のしわがいとおしいものに見えてきた。
 主人が帰ってきた。今度は、その顔をじーっと見つめた。主人の顔にも七十年近い人生を乗り越えてきたしわが深く刻まれている。「何を見ているんだ」。いぶかしげに尋ねる主人に、私はこう答えた。「『人生!』よ」”(9月27日付け中日新聞)

 「暮らしの作文」から岐阜県多治見市の主婦・水野さん(66)の投稿文です。「しわは人生の年輪」ということわざがあるが、しわが本当に人生を語っているのだろうか。ボクなど若い時からしわだらけだっただけに信じがたい。でも、水野さんが感動を覚えるほどのしわもあるのだ。いい男に見えるようなしわとはどんなしわだろう。人それぞれと言うところか。
 高齢になればよほどの手入れをしなくてはしわができるのは当然、自然なことである。ボクはやっと泰然としておられるようになった。




2012/10/08(Mon) (第1668話) 運動会で防災訓練 寺さん MAIL

 “運動会に防災訓練を取り入れている地域があると知った。種目はバケツリレーや担架リレー、消火レースなどで、参加者たちは楽しそうに、そして真剣に取り組んでいた。お昼にはみんなで非常食を食べていた。
 とてもいいアイデアだと思った。毎年恒例の行事として楽しく学べるならば、住民たちにとって訓練がより身近になり、効果も上がるというものだ。何があって何が足りないのか、確認もできるし、意見交換もできる。非常食が期限切れになることもなくなるだろう。
 消火にしても担架を運ぶにしても、実際にやってみた経験があれば、いざという時にパニックを起こさず行動できるはずだ。応急処置の練習や避難場所、災害ダイヤルなどをゲーム形式にして、再確認しても面白そうだ。家族で防災について話したりするいいきっかけとしても、ぜひ全国に普及してほしいと思う。”(9月24日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・中野さん(32)の投稿文です。ボクも先日、小学生の孫の運動会に出かけた。ボクには何年ぶりのことだが、父兄や祖父母などその多さにびっくりした。小学校の運動会というのは、これだけ多くの人を動かす行事と言うことを改めて知った。
 ボクの地域でも防災訓練はある。しかし、参加者はその年の何かの役員か依頼された一部の人である。これでは普及に歳月を要する。また何年に1回の訓練では実際には役立たないかも知れない。
 この二つを思うと、学校の運動会に防災訓練になるような種目を取り入れることは大きな意味のあることだと思う。バケツリレー競争など結構運動会の種目になり得る。中野さんの意見を大いに取り入れたら良いと思う。




2012/10/06(Sat) (第1667話) 読み聞かせ 寺さん MAIL

 “夕方、近くの河原でウオーキングをしていると、学校帰りの子どもたちが土手の上から元気に手を振ってくれました。思わず土手をかけあがって「今帰りなの? 気をつけてね」と話しかけ、見送りました。
 五月から週1回、わが家の息子と娘もお世話になった地元の小学に通い、読み聞かせポランティアをしています。授業前のたった十分間ですが、子どもたちは教室の床に座って、しっかりこちらを見つめています。毎回緊張しますが、今回、六年生の子たちに「わたしがちいさかったときに」という、原爆を体験した子たちが書いた文章を集めた本を読みました。岩崎ちひろさんの絵も所々に入っていて、購入してからすでに三十年もたっている本です。わが家の子どもが幼かったころ、せがまれては毎晩読み聞かせをした本が、こういう形で役立つ日が来ようとは。次回は一年生。何を読もうかと、今からドキドキです。”(9月22日付け中日新聞)

 愛知県豊川市の主婦・中尾さん(67)の投稿文です。こんな活動もあるのか、いろいろあるものだ。その気になれば見つかるものだ。
 子供と接触するのは高齢者のためにも良いことであろう。いや、高齢者の方が受ける恩恵は大きいと思う。孫と接触していれば分かる。一緒にいればその生気を受け取る。またこうした活動をすれば老化防止にも役立つし、生き甲斐にもなる。高齢者にとっては良いことばかりだ。自分に合ったものを見つけねばならない。




2012/10/04(Thu) (第1666話) 黙々と草取り 寺さん MAIL

 “毎日、狭い庭が日陰になるころ、少しずつ草取りをしている。成長が早く、一日休むと、あっという間に伸びる雑草。昭和天皇が「雑草という草はない」とおっしやったといわれるが、今、目の前にある草の名前を私は知らない。
 よく生命力のたとえにされるが、確かに日照りが続こうと雨降りが続こうと、びくともしない。花も付けず、地下茎でどんどん広がっていく草にも、やはり命があるのだと思うと、申し訳ない気もするが、取らなくてはならない。何も考えず目の前の草とだけ向き合って、黙々と自分の手元だけを見つめる。そしてふっと気付いた。これはまさに禅ではないかと。少しくらい理不尽で腹立たしいことがあっても、草取りの無念無想の時間は心を穏やかにしてくれる。
 終えた後のさっぱりとした庭は風通しもよく、心の中まで風が通りすぎる。草取りはまさに私を座禅の世界へと導いてくれる。”(9月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・富田さん(76)の投稿文です。取られても取られてもここまで生き延びてきた草はそれだけ生命力が強かったのである。弱い野菜を一生懸命はぐくみ、こんな強い草は取らねばならない、何とも理不尽である。草を食べるようにすれば問題は解消するだろうに・・・こんなことを言いたくなるほど、ボクも草には閉口している。
 そんな草取りを富田さんは「禅の世界」と言われ、この言葉に驚き、感心もした。確かにボクも草取りをしている時、時々無念無想となることがある。黙々としていると何もかも忘れている。これを禅の世界というのか。こういう発想は楽しい、さすが人生の先輩と思う。ただ急いで済まそうと思う心が邪魔をする。時間を気にすることなく草取りができる日はいつ来るだろうか。




2012/10/02(Tue) (第1665話) 急ぐ人は階段 寺さん MAIL

 “エスカレーターの片側は空けるべきではない。歩くのは危険だと思うからだ。エスカレーターが急停止すれば、歩いている人は倒れてけがをする可能性もある。エスカレーターは駆け上がる人のための補助器具ではない。もともと足腰の弱い大人や子どもたちのためにあるのを、大人の健常者も使わせてもらっているというくらいに私は考えている。
 名古屋市営地下鉄の駅のエスカレーターではよく、止まって乗りたい人の列が渋滞している。私はあれが嫌でいつも階段を利用しているが、エスカレーターを歩いて上がる人と大差なく上階に到着できる。急ぐなら階段を使えばいいのだ。
 また、上りエスカレーターしか設置していない駅が多いが、足腰の弱い人は下り階段こそつらいという。そこで提案したい。エスカレーターは1人用で上り・下りを設置し、歩行は厳禁にする。急ぐ人は階段を使う。公共交通機関はぜひ検討してもらいたい。”(9月19日付け朝日新聞)

 名古屋市の会社員・神谷さん(女・43)の投稿文です。意見、要望はあまり取り上げないことにしているが、あまりにボクの意見と一致しているので紹介した。先日、お互いが気配りしていれば危険なこともなく、問題ないという意見が載っていたが、ボクは違うと思う。あの幅では片側に寄っていても接触にヒヤヒヤするものである。立っている人にとって歩く人は多かれ少なかれ迷惑である。それよりもエスカレーターは片側に偏った荷重をかける設計になっていないと言うことを聞いた。名古屋の地下鉄には「エスカレーター上を歩かないで下さい」と書いてある。名古屋では右側が空いているが、その右側に立っていると今の状況では何となく気が引ける。もっと徹底するために理由も書いてもっと多く掲示し、放送ももっとして徹底すべきだ。右側に立つ人が数人でもあればもう歩けない、少しその気になればこんな変な習慣はすぐになくなると思う。
 ボクもかねがね思っていたことは、1人しか立てない幅の狭いエスカレーターにして登り、下り共に造ることである。神谷さんが言われるように階段は下りの方が危険である。高齢者や弱者には登りも下りも必要であるのだ。健常者は歩けばいいのだ。昔はエスカレーター上を歩く人などいなかった。いつからこうなったのであろう。そんな急いでどこへ行く?。


 


川柳&ウォーク