2012/09/20(Thu) (第1659話) ゴマすりでない父の言葉 |
寺さん |
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“三波春夫といえば、「お客様は神様です」という言葉を思い出す方が少なくないと思います。でも多くの場合、父の真意とはまったく違う形で理解されているので困っています。(中略) 家業がつぶれて上京。住み込み奉公をした後、16歳で日本浪曲学校に入りました。浪曲師として全国を巡業で歩くわけですが、お客様は耳が肥えている。気の荒い漁師町だと、芸がまずいとベテランでも勝手に幕を引かれてしまうことがあります。 舞台はまさに真剣勝負。浪曲は多くの役柄を瞬時に演じ分けるため、雑念があると的確に表現できません。「まるで神前に立った時のように、澄み切った心でないと完璧な歌はうたえない」と話していました。つまり、お客様イコール神様ではない。「お客様を神様のように見立て、雑念を払って歌う」という舞台人としての強いプロ意識を表したのが、あの言葉だったのです。三波春夫としてデビューして5年目の春、37歳。今から51年前の地方公演で飛び出したあの言葉は、お客様へのゴマすりでも、へつらいの言葉でもなかったのです。(後略)”(9月6日付け朝日新聞)
三波春夫の長女・美夕紀さんの文章からです。「お客様は神様です」と言う言葉に不満を感じることをこの「話・話」でもう何度も書いた。それは客にこびを売る言葉であり、客の横暴を助長ことになっていることの不満である。買う方も売る方も五分五分、お互いがあってこそ成り立つのにである。そしてこの文に出合った。そうだったのか・・・そうだったのだろう。三波春夫があんな言葉で客にこびを売る必要などどこにもなかった。神様の前で歌うような厳粛な気持ちで歌おうと気持ちを引き締める言葉であったのだ。良かった、と納得である。 しかし、弱った。言葉は自分に都合の良いように解釈して一人歩きしてしまう。言葉に出して言うことは全く気をつけねばならない。この「話・話」でも同じだが、幸いというか、残念というか三波春夫のような反響は微塵もない。と言ってもボクの精進のつもりでかなりに真剣に取り組んでいる。そして、少しでも読者の参考になればと思って恥もさらしながら書いている。
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