2012/07/26(Thu) (第1637話) 近くの他人 |
寺さん |
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“中部国際空港に着いて初めて、パスポートを自宅に忘れてきたことに気がつきました。友人と二人で行く韓国旅行。もうあきらめるしか・・・。 私は一人暮らし。息子も娘も県外に住んでいるので即戦力にはなりません。搭乗手続き終了まで、あと七十分。自宅がある春日井から空港まで六十分はかかります。いちかばちか、自宅近くの友人に電話しました。相当情けない声だったのでしょう。何と、その友人のご主人が「持って行ってあげる」と言ってくださったのです。しかもご自身の仕事を横に置いて。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。 今回はたまたま玄関の鍵を家の外に隠してきたのでその場所を伝え、パスポートを探してもらいました。そして、ぎりぎりで空港に届けられ、私は搭乗することができました。 昔から「遠くの親類より近くの他人」と言います。息子や娘が頼りにならないというわけでは決してありませんが、今回の場合はまさにこの言果通りでした。実り多い旅を終え、 《今度、誰かが困っていたら、私がその人の役に立つ行動をしよう》と胸に刻み込みながら帰国の途につきました。”(7月12日付け中日新聞)
愛知県春日井市の松田さん(女・72)の投稿文です。外国旅行にパスポートは何よりも大切、少々の金銭では償えない。そのパスポートがなくては外国旅行などできない。それを忘れてくるなどは一巻の終わりである。 それがこの話である。この話は普通ではあり得ない。近くに親切な友人がいたこと、これはあり得る。ボクでも間に合えば何とかするだろう。ところが家には入れない。本人の了解があったとしても泥棒のようにガラスを割って入るわけにはいくまい。それが褒められたことではないが鍵が隠してあるとは。家に入っても他人の家である。あり場所が分からない。それも分かった。全くいろいろな幸運が重なったものである。 これが人生である。今それなりに過ごしておられる人は、今まで多くの幸運が重なってきたのである。あの時一つ間違っていたら今の自分はないだろう、と言うことに思い当たることは一つや二つではあるまい。ボクなど小学1年で死んでいたかもしれない。あの時あのおじさんがいたから助かった。先日ボクの車と自転車と接触したが、よくあれで済んだと、今思い出してもゾッとする。こういう幸運が重なって今があるのである。生きているのは幸運の塊である。
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