ha1207

第99号  2012年7月

2012/07/31(Tue) (第1639話) おくすり手帳 寺さん MAIL

 “「おくすり手帳」をご存じでしょうか。調剤薬局や医療機関で処方された服用歴をまとめたもの。私は乳がん、心臓など合わせて五種類の薬を飲んでいます。変更になった薬、量が増えた薬、力タカナで名前の覚えにくい薬などこの手帳を見ればすべて分かるようになっています。
 先日、新たに腫瘍が見つかったとき、手術をして調べることになりました。看護婦さんに血液がさらさらになる薬を飲んでいるかと聞かれましたが、答えることができませんでした。
 それは血栓を防ぐとされている心臓の薬でした。その薬の服用を休止してからでないと手術ができなかったのです。私が手術当日に手帳を見せたところ、急きょ手術が取りやめとなりました。「このまま手術していたら大量に出血していただろう」と言われました。早く手帳を見せていればと反省するとともに、この手帳の大切さを再認識しました。”(7月23日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・山本さん(46)の投稿文です。最近おくすり手帳が病院や薬局で渡されます。ボクも持っています。でもいつももらった薬の内容を張っているわけではありません。でもこういう話もあるのですね。こういう話を聞くとこの手帳の大切さを認識します。
 でも薬を渡す側からおくすり手帳の提示を請求されることはほとんどありません。こういう重要なことがあれば徹底する必要があるでしょう。渡す側が請求し、張って下されば徹底は簡単なことです。そこら辺りの考え方はどうなっているのでしょう。一度聞いてみたいと思います。




2012/07/29(Sun) (第1638話) 家族 寺さん MAIL

 “「パパ、お帰り!」玄関で子供達が出迎える。台所では妻が料理をしている。
 「お疲れ様、あなた。晩ご飯は酢豚よ」「ああ、そうかい。いいね」思わず頬が弛む。やはり家族は素晴らしい。顔を見るだけで仕事のストレスも吹き飛んでしまう。ネクタイを外し、椅子に腰を下ろすと、妻がビールをついでくれた。わいわいと皆でする食事は楽しい。子供達は今日学校であった事を話し、私は満足げに、それを聞いた。
 「そうだ、宿題を見てやろう」食後、私は言った。「うん、もってくる」「あたしはお風呂をいれてくるわ」
 妻と子供らは席を立った。それきり戻ってこない。時計を見ると『家族食堂』の閉店時刻だった。私は代金を置き、再び暗い夜道に出た。”(7月15日付け中日新聞)

 「300文字小説」から東京都のイラストレーター・千地さん(男・50)の作品です。妻と子供が席を立つまでの風景は、数十年前までは多くの家庭風景であったろう。ところが専業主婦が少なくなって次第に減り、今ではどんなものであろうか。それより今後はこの前段階の妻子供がいない人がかなりの割合を占めるようになってくる。そしてこの『家族食堂』の風景が現実になるのではないかと言う気がしてくる。男たるもの、時代は変わってもこういう家族風景にあこがれるのだ。そこがこの小説の思いつきなのだろうが、何ともわびしい話である。商売に鋭敏な人はこんな商売を始めるかもしれない。いやもう似たようなことは始まっているかもしれない。




2012/07/26(Thu) (第1637話) 近くの他人 寺さん MAIL

 “中部国際空港に着いて初めて、パスポートを自宅に忘れてきたことに気がつきました。友人と二人で行く韓国旅行。もうあきらめるしか・・・。
 私は一人暮らし。息子も娘も県外に住んでいるので即戦力にはなりません。搭乗手続き終了まで、あと七十分。自宅がある春日井から空港まで六十分はかかります。いちかばちか、自宅近くの友人に電話しました。相当情けない声だったのでしょう。何と、その友人のご主人が「持って行ってあげる」と言ってくださったのです。しかもご自身の仕事を横に置いて。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
 今回はたまたま玄関の鍵を家の外に隠してきたのでその場所を伝え、パスポートを探してもらいました。そして、ぎりぎりで空港に届けられ、私は搭乗することができました。
 昔から「遠くの親類より近くの他人」と言います。息子や娘が頼りにならないというわけでは決してありませんが、今回の場合はまさにこの言果通りでした。実り多い旅を終え、 《今度、誰かが困っていたら、私がその人の役に立つ行動をしよう》と胸に刻み込みながら帰国の途につきました。”(7月12日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の松田さん(女・72)の投稿文です。外国旅行にパスポートは何よりも大切、少々の金銭では償えない。そのパスポートがなくては外国旅行などできない。それを忘れてくるなどは一巻の終わりである。
 それがこの話である。この話は普通ではあり得ない。近くに親切な友人がいたこと、これはあり得る。ボクでも間に合えば何とかするだろう。ところが家には入れない。本人の了解があったとしても泥棒のようにガラスを割って入るわけにはいくまい。それが褒められたことではないが鍵が隠してあるとは。家に入っても他人の家である。あり場所が分からない。それも分かった。全くいろいろな幸運が重なったものである。
 これが人生である。今それなりに過ごしておられる人は、今まで多くの幸運が重なってきたのである。あの時一つ間違っていたら今の自分はないだろう、と言うことに思い当たることは一つや二つではあるまい。ボクなど小学1年で死んでいたかもしれない。あの時あのおじさんがいたから助かった。先日ボクの車と自転車と接触したが、よくあれで済んだと、今思い出してもゾッとする。こういう幸運が重なって今があるのである。生きているのは幸運の塊である。




2012/07/23(Mon) (第1636話) 同窓会 寺さん MAIL

 “中学校の同窓会に出席した時、思いがけない″めぐりあい″がありました。私が小学六年生の時に趣味で描いた少女の絵を、当時のクラスメートが持っていてくださったのです。彼女とは中学時代は別のクラスだったので会うのは五十五年ぶり。今や茶色に変色してしまったノート紙の絵を台紙に丁寧に貼り、「約六十年ぶりにますみ画伯の絵をお返ししたいと思います」とのメッセージを添えて渡してくださいました。
 私の手元には当時の絵は残っておらず、その絵を見て、少女のころの自分に出会えたような不思議な気分になりました。関東在住の彼女が「今日の日に」と届けてくださった、その心遣いが胸に温かく染み渡りました。迷った末の出席でしたが、これからは努めて外に出て人に会っていこう、生きていると思いもかけない良いことにも出会えるんだなと、目の前が明るく開けたような気分になった一日でした。”(7月5日付け中日新聞)

 愛知県碧南市の主婦・石井さん(71)の投稿文です。小学校は隔年で、中学校は毎年、ボクが幹事長で同窓会を開いている。頻度が多いこととマンネリで少し活気に欠けていると感じている。これは良いヒントだ。そのころの思い出の品を持って集まってもらう。この話のように思いがけない品が出てくるかもしれない。実はボクはある人の描いた少女趣味的な絵を持っているのである。そんな品物に話は盛り上がろう。今年はもう終わった。来年までこの話を忘れないようにしたい。
 開催頻度に誰もが多いと感じられるだろう。それだからいつでも参加できると思って参加者数も多くならず、新鮮みにも欠けると言われるだろう。事実である。しかしボクの思いは別で、毎年やっても後何回参加できるか分からない。参加したいと思った時には参加できなくなっていることだってある。機会をできるだけ多くすることが重要だと思ってこのようにしている。そして、毎回参加する人は参加するし、時には思いがけない人が参加してくるのである。




2012/07/21(Sat) (第1635話) 地域活動 寺さん MAIL

 “私は三十五年間暮らしている場所で、地域の触れ合いをほとんどせずに今まで過ごししきた。その私に、地域活動に参加してほしいという話が来た。私は地域に溶け込みたいという思いと、自分の時間を自由に楽しみたいという思いの間で悩んだ。しかし、現在必要性を強く感じ、活動の会合に参加した。
 テーマは夏祭りの進め方だった。地域の絆を深めるため楽しい夏祭りにしようという趣旨で討論した。「子どもたちが参加できる魅力的な行事」に対して新しいイベントが提案された。私は「目的に合ったいい意見だ」と思いはしたが、本当に実現するだろうかと半信半疑だった。
 ところが数日後、提案者が意見と知恵を集め、子どもの絵や習字などの作品を張ったあんどんの試作品を持ってきた。私は提案者の行動力にびっくり。私も協力しなくてはと、作品募集の案内を作って感謝された。私は地域にちょっぴり溶け込み始めたことを実感した。地域の人々と「断ちがたいつながり」を築いていこうと思う。”(7月3日付け中日新聞)

 愛知県大府市の山本さん(男・65)の投稿文です。一言に地域活動と言っても、地域の状況に応じて様々である。都会と田舎、古い町と新興住宅では大きく違うであろう。活発な地域もあろうし、衰退の地域もあろう。しかしこれからの時代、どうあろうと地域のつながりを大きくしていきたいものだ。少し考えれば理由をあげるのに切りがないので今回は止めにしておきます。
 山本さんはそのことに気づかれ、地域に溶け込み始められたのでよかった。こういう人が多くなることを期待したい。それが地域のため、本人のためであると思う。




2012/07/19(Thu) (第1634話) 最優秀作品「思ひ出」(その2) 寺さん MAIL

 前回紹介した「第10回300文字小説賞」に輝いた吉田さをりさんが「この人」欄に紹介されていたので、作品と併せて紹介します。
 “(前略)「蚊に刺されると、かかずにいられないのと同じ。ひらめくと書かずにいられないんです」。ひらめきは、すべて携帯電話に入力する。「パッと書いた方がいい」と、小説は数分で書き上げることもある。
 今や300文字小説の常連。「投稿以外、文字を書くことは皆無に等しい」と言う。ただ、「中日春秋」の筆写は毎日続ける。新作を生めば前作のあらが見えるため、納得のいく作品はない。怖いのは二つ。「ひらめきがなくなることと、300文字小説がなくなること」。三年前には優秀賞にも輝いた。”(7月1日付け中日新聞)

 「投稿以外、文字を書くことは皆無に等しい」と言われるが、中日春秋の筆写を毎日続けている人なんてそんなにあることではない。筆写すると言うことは、単に読むだけに比べたら大変な努力がいり効果がある。知らず知らずのうちに知識がつき、書く能力も養われる。ひらめいたらすぐにメモにしておく。これも重要なことである。受賞されるだけの生活習慣をしておられるのだ。何事も一朝一夕でなるものではない。納得である。




2012/07/17(Tue) (第1633話) 最優秀作品「思ひ出」(その1) 寺さん MAIL

 “「おじいちゃん、おじいちゃんはどうして、おばあちゃんと結婚したの?」孫が聞きました。
 「それはね」にっこり笑って祖父が答えました。[昔々、おばあちゃんが、とてもとても可愛かったからだよ」「ほんと?見てみたい!」孫は目を輝かせます。
 「よろし、じゃあ見せてやろう」祖父は古いアルバムを持ち出し、孫の前に拡げました。
 「おじいちゃん、昔のおばあちゃんはどれ?」けれど、思っていたような写真は見当たりません。長い年月の間に美化しすぎていたようです。
 「ねえ、どれなの?」「ここだよ」祖父は、自分の胸を、そっと押さえました。”(7月1日付け中日新聞)

 「第10回300文字小説賞」の発表があり、最優秀の作品の再掲があったので紹介します。
 愛知県瀬戸市の主婦・吉田さん(51)の作品です。ほのぼのとして、少し滑稽さもあって多くの賛同者を得たのでしょう。おめでとうございます。
 また、この時代は写真も少なかったので、思うようなものがないのも当然でしょう。美しい姿が胸の中にあるのが一番です。また、恋愛中はあばたもえくぼ、欠点までもよく見える。それで良いのです。「蓼食う虫も好き好き」それで良いのです。それでなければ偏ってしまって、ありつけない人ばかりになってしまう。世の中うまくできている、それだから人類がこれだけ続いているのです。




2012/07/12(Thu) (第1632話) 息子の語録集 寺さん MAIL

 “わが家には高一、中一、小五の男の子がいます。書くことが好きな私は、子どちたちがしゃべり始めたころから、その言葉をノートに書き、語録集を作りました。まだ喃語しか話せなかったわが子が成長してゆくにつれて、さまざまな言葉を私にくれました。上の子が中学生になり反抗期を迎え、語録集に書くこともなくなってくるのかしらと思っていたら、感激するほど頼もしく立派な言葉を私にくれる日もありました。
 もちろん写真やビデオも良いと思いますが、こうした形で子どもたちの成長の記録を残しておくことも面白いと思います。
 三冊のノートを兄弟同士で見せ合い、懐かしむ様子は心が温かくなります。三人の言葉にはそれぞれの性格や個性がにじみ出ており、三冊の語録集は私の宝物です。これからも子どもたちが、どんな言葉でページを埋めてくれるのだろうかと思うだけで幸せな気持ちになるのです。”(6月28日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・種田さん(42)の投稿文です。子供の発想は面白い、豊かである。また年齢と共に変わってくる。こんなことはどの家族でも感じておられるだろう。でも多くはその時で終わっている。種田さんはそんな言葉を記録しておかれた。そして宝物になった。ここが大きな違いである。皆さん、いろいろ考えて過ごしておられることに感心する。ここでももういろいろ紹介してきた。先日は家族の交換日記を紹介した。皆さんの参考になることを期待したい。そして一つでも実行されることを。




2012/07/10(Tue) (第1631話) お礼の姿さわやか 寺さん MAIL

 “名鉄大江駅で普通電車に乗って発車を待っていた時、若い女性が階段を駆け下りてきました。閉まりかけたドアが開き、女性は車内へ。人ごとながら、乗られてよかったなと見ていました。
 しばらくして私が下車すると、先ほどの女性も同じホームに降りました。まだ電車が発車する前、私の前を歩いていた女性が、運転士さんが見える位置に近づくと深々と頭を下げました。丁寧なお礼この仕方にさわやかな印象を受けました。”(6月27日付け中日新聞)

 前回の同じ欄から東海市の主婦(69)の方の投稿文です。優しくしてもらって、機会をとらえてお礼を言う。それも深々とおじぎをしての態度に、見ていた人が感動を覚える。こういう風景が広がれば社会も穏やかに、過ごしやすくなる。
 公共機関の場合、何でも当たり前と受け取りやすい。少し対応が悪いとさんざんに不平を言う。「お客様は神様」と言う言葉がはやったが、ボクは昔から疑問に思っている。お客様は神様というのは、お金を出す方が偉いと言っていると同じである。売ってもらう、買ってもらう、乗せてもらう、乗ってもらう、お互いがあって成り立つ。5分5分である。共に感謝である。




2012/07/08(Sun) (第1630話) 待ってくれたバス 寺さん MAIL

 6月27日付け中日新聞の夕刊「ハイ編集局」から2話をまとめて紹介します。
 “スーパーで買い物の帰り、停留所で名鉄バスを待っていました。バスが来たので立ち上がったら、持病のメニエール病の症状でふらふらしてしまって。乗れなかったバスは一度出発した後に停車。運転手さんが降りてきて荷物を持ち、体を支えて乗せてくれました。
 乗客の方にも助けられて無事に下車し、傘をつえ代わりに帰宅。夕方、病院で注射してもらいました。皆さんにご迷惑をお掛けしたのに親切にしていただき、感謝しています。”
 名古屋市の女性(81)の投稿文です。乗り物に関する投稿文は実に多い。身近なものだけにいろいろ感じることが多いのであろう。不満の話も多いが、感謝の話も多い。
 今回は運転手さんの優しさの話である。出発したものの乗れなかった人に気づいて停車、手助けして乗せた話である。公共機関の運転手さんは社会の優しさのバロメーターの感じがする。その意識で頑張ってもらいたいと思う。




2012/07/06(Fri) (第1629話) 季節を大切に 寺さん MAIL

 “わが家では夏から冬、冬から夏と、食器の入れ替えを行います。今は夏なので主として透明の涼しげな食器を使っています。結婚してから夫の母に教えてもらい、季節を感じながら、楽しんで食器の入れ替えを行っています。食器に合う食事も考えるので勉強になります。
 夏は蒸し暑い日が続くので、食事だけでも涼しく食べたいです。服の衣替えや、じゅうたんの入れ替えといろいろ行っているとすごく季節を感じます。食事も本当に季節を感じる時があります。季節に合った食べ物をいつも食べていると、人間は長生きするし、健康でいられることを学びました。
 家族が健康で笑顔でいられるためには、季節を大切にしなければいけないと思います。これからも、食器の入れ替えなど、小まめに楽しんでいきたいし、すてきな食器をみつけたら、自分の購入できる範囲でそろえていきたいです。”(6月24日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の主婦・嶋村さん(38)の投稿文です。知識としては知っていたが、海外旅行をするようになって、日本のような四季を味わえる国は少ないことを実感している。その日本でも四季を感じる生活は豊かになると共に少なくなってきている。何でも年中食べられる、夏涼しく冬暖かく過ごせる、これが人々が求めた豊かさである。でもそれは本当に豊かなのだろうか。折角四季豊かな日本に生まれたのだ、少しでも四季を感じる生活に心がけたいものだ。これも別の面の豊かさであろう。
 嶋村さんは食器の中に四季を求められている。こんな四季は世界中探しても日本だけではなかろうか。考えるほどに大切にしたいものになってくる。




2012/07/04(Wed) (第1628話) うれしい弟の成長 寺さん MAIL

 “「お兄ちゃんに直接お土産を渡したい」。修学旅行から戻った小六の弟が、僕の帰りを待っていたそうです。十時ごろ帰宅するともう寝ていて、起こすと「これあげる」。小さな置物をくれました。
 仕事で不在がちな父に代わって、少し年の離れた僕は弟にとって怖い存在。そんな僕に心を砕いてくれたのがうれしくて。家族から離れて旅行するという挑戦を終えた弟に成長を感じ、親心ならぬ兄心をくすぐられました。”(6月19日付け中日新聞)

 岐阜県美濃市の学生さん(男・18)の投稿文です。歳離れた男兄弟のこうした文を読むとほっとする。こうしたことは結構あると思うが、なかなか文としてお目にかかることは少ない。こうした文も発信して欲しいものだ。
 僕には小学6年と小学1年の男兄弟の孫がいる。平生はなかなか厳しい戦いをしている。しかし、兄には厳しい中にも優しさが感じられる。多分この文の投稿者も同じではあるまいか。
 「兄弟は他人の始まり」とも言うが、人様々、時により変わるだろう。肉親として一生うまくいく人もあれば、他人以上に難しく骨肉の争いになる人もある。親を嘆かすような兄弟姉妹にはなって欲しくないものだ。




2012/07/02(Mon) (第1627話) いとおしいアマガエル 寺さん MAIL

 “わが家の庭の一角にある菜園の手入れをしていると、アマガエルの子どもたちが、ぴょんと目の前に飛び出してきた。体の色は、鮮やかというよりも、何だかほっとするような緑色。お茶の新芽か柿の若葉のような緑色だ。そのかわいいこと。ほんの少し芥川龍之介の気持ちになって「青蛙おのれもペンキぬりたてか」と声をかけた。
 そのまま草花に水やりをしていると、小さなカエルたちが指先に触れてくる。ひんやりとして気持ちがいいが、しばらくして三匹とも手から消えてしまった。
 菜園を後にして車に乗り込む。今日は楽しみにしている高齢者将棋クラブの開催日だ。会場までは約七キロ。ところが、あとニキロという所で、ワイパーの先端にしがみついているアマガエルを発見した。「おい、降りろ」と声をかけたが全く動かない。体が風圧に耐えかねているように見える。「仲間のいる菜園からなぜ飛び出したんだ」とどなったが、もちろん通じない。
 気がつくと、私は走ってきたばかりの五キロの道のりを、わが家に向けて車を走らせていた。”(6月17日付け中日新聞)

 静岡県掛川市の中村さん(男・75)の投稿文です。童話のような小説のような話である。何ともほほえましい。紹介だけにしておこう。


 


川柳&ウォーク