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第94号  2012年2月

2012/02/28(Tue) (第1574話) 念願のクラス写真 寺さん MAIL

 “私には小学校入学時のクラス写真がなかった。両親が「金が無い」という言葉をたびたび口にしていたので「写真代が要る」と言い出せず、黙っていることにしたのだ。級友が写真を受け取るのを横目で見るしかなかったあの日を、今も忘れない。後年、写真が無いことに気付いた母が私に聞くので訳を話すと、思い詰めたような表情で、クラス写真を撮った写真店に私を連れて行った。そして、焼き増しをお願いしたのだが、年数がたってネガを廃棄したので焼き増しはできないと言われた。
 あれから五十年以上が過ぎ、昨年クラス会があった。友人がその写真を持っていると聞き、最新の画像技術ならコピーできるのではないかと頼んだところ、写真店で見事に複製してもらった写真を届けてくれた。あの時は、がっかりした母を見て「写真代ぐらい出してやったのに」と母は思ったのだろうと推測した。しかし、五十八年ぶりに手にした写真を前に、本当は「幼い子に心配かけさせてすまない」と母が思ったのではないだろうかと想像している。
 今年二十七回忌を迎える母が生きていたら、こう言いたかった。「いいんだよ。写真ができたよ」”(2月16日付け中日新聞)

 愛知県刈谷市の加塚さん(男・65)の投稿文です。本当に昔は多くの人が貧しかった。写真など滅多に撮るものではなかった。加塚さんはクラス写真を58年ぶりに手にされていろいろな想いがよみ返ってきた。お母さんの想いにつながった。貧しかった話ではあるが、今となっては心豊かな思い出となった。何事も豊かな今は何事も当たり前で深い思いになることは少ないのではなかろうか。
 数年前のことであるが、小学校の同窓会でクラス写真を持ってきた人がいた。皆が懐かしがった。そこでこの写真を写真屋さんに持ち込み複製してもらって、皆に配った。持っていなかった人も多かったのであろう、喜んでくれた。
 この文に、久しぶりに昔のアルバムを引っ張り出してみた。幸いボクには毎学年、クラス写真が貼ってあった。でも、1年分の写真はそれ1枚か、また他に数枚であった。小学校入学以前の写真は1枚もない。また高校卒業するまででもアルバム1冊にならない。




2012/02/26(Sun) (第1573話) 絆で結ばれた奇跡 寺さん MAIL

 “家族とは、清水寺貫主が書かれた漢字一文字の「絆」そのものです。強い絆で結ばれてこその家族の平和があります。核家族が増えてきていますが、わが家は息子夫婦の優しさで同居し、一緒に生活しています。一つの家の中で寝食を共にすることで、どれだけ心が通じ合うかは分かりません。縁あって一つの家族になれたこと自体が奇跡なのです。不思議な巡り合わせに感謝しなくてはなりません。
 どこかで一つ間違ったらこの家族にはなれなかったと、この奇遇を喜び合います。まず結婚です。相手を選ぶ時、一人違えばこの夫婦は成立しません。子どもたちも違ってきます。そう考えたら、いい嫁や孫たちに囲まれたこの幸せも成立しません。主人と私が結婚した結果、息子が今ここにいるのですから、こうした出会いに感謝し、この絆を大切にしていきたいと思います。”(2月15日付け中日新聞)

 岐阜市の木野さん(女・80)の投稿文です。続いて家族の絆の話です。この夫婦があってこの家族がある、木野さんの言われることなどあまり考えもしないが、考えてみれば全くそうです。何十億という人間の中でこの男と女が出会い、夫婦となった。奇跡、奇遇と言われればもっともです。
 そして、ボクが若い頃によく言っていた言葉を思い出した。「誰と結婚しようともそれなりの夫婦になるが、その内容は相手によって全く違うものになる」と。誰も幸せになろうと思って結婚する、そういう気持ちがあればほとんどの場合うまくいく、何も結婚を恐れることはない。しかし、人にはいろいろな色がついており、どの色と混ぜるかによっては色は全く違ってくる。だから人を選ぶことは大切である、こんな意味で言っていた。今でもこの考えは違わない。それにしても結婚しない人が多くなった、離婚も多くなった。どこに原因があるのだろう。




2012/02/24(Fri) (第1572話) 家族の絆実感 寺さん MAIL

 “退職してはや十年、妻と二人で温泉旅行を楽しんでいます。昨年末出発の朝のこと、妻は仏壇へのお勤めのかねがやんでも姿を見せず、いってみると仏壇の前で横たわっていたのです。「メニエール」という病気だそうで、長男夫婦や娘夫婦を呼び、安静な日々を数日送りました。
 七十歳にしてジャガイモやダイコン、ニンジンの水洗いと皮むき、切る大きさの指示を受けみそ汁、カレー、野菜炒めに挑戦しました。朝食を終えて後始末、掃除、洗濯、風呂掃除で、やっと昼食。
 妻が少し回復して今日は病院、明日は美容院への送迎。そんな生活も子供たちの手助けもあり数日間でピリオドを打ちました。健康なはずの妻の急病に慌てふためくとともに、母や祖母の手助けはあったものの、勤めながら子育てした妻の大変さを思い知らされました。健康で生かされていることと、家族という絆に感謝しました。”(2月12日付け中日新聞)

 三重県大台町の小西さん(男・70)の投稿文です。夫たるもの妻が倒れたときどうするか、どうなるか。小西さんはしたこともないことに大慌てであった。数日間のことであり、子供さんの助けもあって何とか乗り越えられた。奥さんの大切さと家族の絆と感謝を知る機会になった。小難あって吉となりか・・・。小西さんには心構えも出来たろう。
 ボクは以前時折早く帰ったときなどに妻がテレビを見ていると、昼間からテレビばかり見ていて・・・と、時折腹立たしく思った。最近ボクは家にいる時間が多くなり、1日中妻の行動を見る日もあるようになった。すると全くよく動いている。子供や母がいた頃はもっと動いていたのだろう。改めて感心すると共に感謝を感じる。しかし、ボクはここまでだ。妻のいない生活は考えたこともない。料理、洗濯、全くしたことがない。妻にそのことを言われると、そのために娘が近くにいる、と空とぼけている。先日、妻は散歩中に転倒し、手足を強く打った。傷と腫れだけで終わったようだが、骨折でもしていたらと思うとゾッとする。




2012/02/22(Wed) (第1571話) 世代による損得 寺さん MAIL

 “高齢者への風当たりが強まっている。年金、医療、介護とお年寄りにはコストがかかる。しかも日本は世界有数の長寿国。病院へ行くと、待合室はお年寄りであふれている。医療負担増にあえぐ国の悲鳴が聞こえそうだ。最近は政治家、役人、経済の専門家が盛んに社会保障の世代間格差を発信している。試算を見ると、高齢者を支える若い世代の不満が分かる気がする。
 一方で反論したい気持ちもある。戦争中に生まれたわれわれの世代は、厳しい環境の中で育った。社会人になった当時は日本経済が発展途上で、豊かさを実感できなかった。それに引き換え今の若い世代は、生まれた瞬間から、豊かさを享受している。今、現役世代が前途を憂慮するのも理解できるが、トータルで考えると老いも若きも、さほど差がないような気がする。”(2月11日付け中日新聞)

 名古屋市のパート・松隈さん(男・72)の投稿文です。一つの考え方の紹介であるが、ボクの常日頃言っていることでもあり紹介します。これからの日本を考えると悲観的になることばかりである。特に社会保障等、景気のいいときに作った制度が耐えきれなくなっている。社会情勢にあったようにいかに切り下げていくか、抵抗もあろうし、困難も伴うだろう。
 我々世代は厳しい環境の中から始まり、上昇する時代に多くを過ごしてきた。これからの世代は、世界希なるいい時代から下り坂の中で過ごしていかねばならない。その結果、トータルでは世代間格差はそれほどない、松隈さんの言われるとおりだと思うし、ボクもそう思ってきた。これからの世代はいい時代を先取りしただけのことである。こういう捉え方があることを理解し、前向きに努力して欲しいと思う。理解をしても下り坂は苦しいものではあるが・・・それでもそう理解すれば少しは苦しみも和らぐだろう。
 こういう意味でも、若い世代にはうっとうしいだろうが、我々の若い頃の貧しい話もしていた方がいいと思う。ボクは両親を亡くして、もっといろいろ話を聞いておけば良かった、と言う思いもあり、娘らに機会を捉えて話しておきたいと思う。
 世代間格差の話は、各家庭のおいても個々人においても同じようなことが言えると思う。社会で羨ましいくらいばりばりやっている人が家庭のことで苦労していたり、あんな人がと思う人が家庭生活では恵まれていたり・・・トータルではそれほど違わないことが多いのではなかろうか。




2012/02/20(Mon) (第1570話) 息子の家回り 寺さん MAIL

 “スープの冷めない距離に二人の息子は住んでいます。そこで、次男の結婚を機に「月に一回、手料理を持ち寄り各家を回る食事会をしよう」と提案し、始まってから七年になり、二人だった孫も今は四人になりました。この日ばかりは、核家族三世代十人が集まり大家族に。それはそれはにぎやかです。最初は料理の量も分からず戸惑いましたが、今は調整でき、楽しいイベントも盛りだくさんになってきました。
 孫たちははしゃぎ回り、嫁さんらは楽しそうに語らい、男たちは酒を酌み交わす・・・そんな光景を楽しんでいる私です。「次は、ばあちゃんの所やで」と、かわいい声が飛んできます。お互いに声を掛け合い、出会うことで、家族の絆を深め合っております。優しい嫁さんたちのおかげで良い家族に恵まれました。仲良く助け合い、この笑顔を見守ってゆくのが私の役目だと思っております。”(2月8日付け中日新聞)

 滋賀県甲賀市の主婦・西村さん」(67)の投稿文です。タイトルから、親の世話に子供達の家をたらい回しにさせられている冷たい話かと思ったが、違っていた。それより温かい話であった。それぞれの家に料理を持ち寄って交流する、別居している家族の絆や親睦を深める一つの手法であった。多くの家庭で参考になるのではなかろうか。
 息子と娘の違いはあるが、近くのところで家庭を持っているのはボクの家も同じ、参考になる。今のところ何かの機会を見つけて皆わが家に集まってくるが、僕たちがもう少し疲れたらこのようにするのもいいだろう。




2012/02/18(Sat) (第1569話) 妻の宝物 寺さん MAIL

 “直明さんは料理が苦にならない。むしろ好きな方だ。妻が朝早く出かける時も「めしは勝手に作って食うから、ゆっくりしておいで」と言う。政子さんは安心して外出できて大喜びだ。
 小さな畑がある。小松菜とネギが寒さに耐え、元気に育っていた。「そうだ、久しぶりに肉どうふ作るか」薄切り肉を解凍する。木綿どうふを買いに行く。肉どうふは上出来だった。いろどりもきれいである。いつも使ってるものでなく、上等の食器に盛りつけたくなった。食器棚の奥をさがし、深めの手ごろな皿を出す。薄暗いすき間に古ぼけた封筒がはさまっていた。女房のやつ、へそくりの隠し場所を忘れたのかと笑いながら中をのぞく。
 写真が一枚入ってるだけだ。裏返しに出したので「私の宝もの」という文字が目に飛び込んでくる。妻の過去―直明さんの心臓が激しく打った。震える手で表に返すと、若い男が笑いかけてきた。よく見ると、結婚前の直明さんの写真だった。政子さんとデートした時に写したものらしい。「私の宝もの」か。直明さんは照れくさくてちょっとうれしくて、妻がいとおしかった。政子さんが今もこの写真を時々出して、しみじみ眺めているとは思えない。封筒も変色しているし、たぶん食器棚に入れたまま忘れているのだろう。でも「私の宝もの」という言葉が、直明さんの胸を熱くした。”(2月8日付け中日新聞

 作家・西田小夜子さんの「妻と夫の定年塾」からです。少し長いですが、全文を紹介しました。愛し愛され、愛しさに写真を忍ばせていた時代もあった。妻は見ないうちに置いておいたことを忘れてしまった、それを夫がふと見つけてしまった。自分の写真を妻は宝物という、思わぬところで本音を知った(遠い昔のことではあるが)。照れくささと共に嬉しさが漂う。麗しい話ではないか。いい出会いといい結婚であった。
 内緒話ではあるが、この話とは逆ですが、実はボクにもあるのです。多分どこかの本に挟んであるはずです。今のうちに探して外しておかなくては・・・いや、妻が見つけたときに感激させるためにそのままにしておくか・・・。それより妻がそうしていないか、家捜ししてみるか・・・。




2012/02/16(Thu) (第1568話) 「後期高齢者」を改名 寺さん MAIL

 “後期高齢者の名称はセンスがないという意見(1月28日)に同感です。現時点では難しいと思うので、勝手に改名してみました。
 一つは、光り輝き、香り麗しくおしゃれでありたいと願いを込めて「光輝香麗洒」。もう一つは、好奇心旺盛で、いつまでも頂点を目指す人でありたいという意味の「好奇光嶺者」。どちらも「こうきこうれいしゃ」と読みます。笑顔を忘れることなく、ボランティアをしながら余生を楽しんでいきたいです。”(2月2日付け中日新聞)

 瀬戸市の女性(77)の方の投稿文です。後期高齢者の名称はかなり人気が悪いようだ。時折こんな意見を見る。同日の欄に「高貴高齢者」と名乗ろうという意見も出ていた。確かに名称は気分を左右する。
 後期高齢者は高齢者の中でも更に高齢者を感じる。そしてそういう意味で付けられたのだから当然である。役所としてはほとんどの人に分かる名称を付けねばならない。投稿文のような名称では何のことか分からない。この名称を付けた役所を非難できないと思う。
 別称や愛称を使うのは個人の自由である。「光輝香麗洒」や「好奇光嶺者」 「高貴高齢者」を使うもいいだろう。自分の好きな別称を楽しんだら良い。これも一つの過ごし方である。ボクの村の老人会は「白寿会」と名付けされている。「○○村老人会」よりいいと思っている。




2012/02/14(Tue) (第1567話) 精一杯 寺さん MAIL

 “私は健康だけが取りえだと思ってきた。だが、二年前の夏、毎年受けていた人間ドックで肺がんと診断された。元気だし、自覚症状も全くないので、すぐには現実を受け入れることはできなかった。しかし、最新の機器で検査した結果であり、間違いないという。
 仕事を辞めて入院し、抗がん剤治療を受けた。今も高額の薬を飲んでいる。さまざまな副作用で何度も心が折れそうになった。「早く死んだ方がまし。こんなの蛇の生殺しだ」などと愚痴が出る。同室だった人たちの名前を新聞のお侮やみ欄で見た時は、複雑な気持ちになる。
 だが、昨年の東日本大震災で大切な家族や家を失い、今も苦しみの中で頑張っている人たちを新聞やテレビで見るたびに、強くこう思う。《私には家もあり、普通に生活することができている。私も負けないように、命ある限り頑張って、一日一日を精いっぱい生きていこう》
 春になったら大好きな花を育てようと考えながら庭に出てみたら、フクジュソウが早くもつぼみをたくさんつけていた。春はもうそこまで来ていると思ったら、何だかふつふつと元気がわいてきた。”(2月1日付け中日新聞)

 長野県松川町の主婦・細江さん(67)の投稿文です。本当に人間の健康、命は分からないものである。そんなことは知識としては十分に分かっているのだが、我が身に起こるとは思えない。それが起こるのである。その時にどんな対応になるか、静かに受け入れられるか、嘆き狂うのか、それもなってみないことには分からない。一時は苦しんでも、時と共に冷静に受け止め、前向きにとらえられるようになりたいものだ。そういうときのためにもこういった文を読んでおくことはいいことだろう。上を見れば切りがない、下を見ても切りがない。
 この文に、早速ボクもわが家の庭の福寿草を見に行った。芽吹いていた。毎日寒い日が続くが、春は遠からじである。




2012/02/12(Sun) (第1566話) ドナーカード 寺さん MAIL

 “私はドナーカードを持っています。社会の授業でドナーカードのことを知り、持つようになりました。ドナーカードとは、臓器提供をする、しない、またはどのような場合に提供するかなどの意思を示すためのものです。
 最初に授業で話を聞いたときは「脳死になったり死んだりすることを考えるなんて嫌だな」と思いました。しかし、脳死と診断された方からの移植で今までに多くの方が助かっていると知り、考えが変わりました。
 脳死は現在の医療技術では助かりません。ならば自分の臓器を、移植を必要としている方へ提供したいと思うようになりました。もちろん、提供したくない人もいると思います。ドナーカードは提供しない、と意思表示することもできます。
 交通事故などで脳死や心停止となった場合本人の意思確認が必要です。提供する人もしない人も、自分の意思表示をするためにドナーカードを持つと良いと思います。”(1月29日付け中日新聞)

 愛知県安城市の中学生・石川さん(女・15)の投稿文です。今では学校でドナーカードについての授業もあるのだ、初めて知った。時代の推移を感じる。そして、石川さんはその授業の内容を理解され、ドナーカードを持たれた。関心を持たれる人が増えるといい。
数年前に我が夫婦は健康保険証の裏に「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。」と記載した。2月1日のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」で、臓器提供のことを話題にしていたので見た。脳死になったとき、本人の意思が明確でないと、残された家族に判断が任される。その時の家族の苦悩を扱っていた。このことも娘らに伝えねばならない。早速文書にして、先日娘らに伝えた。その文書には、延命治療についての我が夫婦の考えも書いておいた。




2012/02/09(Thu) (第1565話) 届いた防具 寺さん MAIL

 “学生時代、剣道に打ち込んだ夫は隣町の小学校に剣道教室があることを聞き、長男を教室に入れた。以来息子は中学、高校と剣道を続けた。ところが、大学に進学すると、受験からの解放感からかテニス同好会に入って楽しい学生生活を送るようになった。夫が問いただす。「なぜ剣道を続けないのか」「後輩に防具をすべてあげてしまったから、もうできない」
 こう答えた息子の元に、しばらくして真新しい防具が届いた。驚いた息子。当時、父親の気持ちが理解できたかどうかは分からないが、彼は再び剣道を続けることになった。
 あれから三十年以上。心身が鍛えられたのはもちろん、交友関係が広がるなど、剣道にどれだけ支えられた人生だったことか。無言ながら「一つの道を究めよ」と諭したあの時の親の気持ちを今では十分に理解することができ、ことあるごとに父親への感謝が募っているようだ。
 《お父さん。息子が一般剣士の最高位とされる七段を取りましたよ。あの時、ボーナスをはたいてくれたおかげです。あなたは私たちの中に今も生きていてくれるのですね》”(1月26日付け中日新聞)

 岐阜県下呂市の主婦・今井さん(73)の投稿文です。もう一度、買い与えても剣道を続けさせたかった父親の思い。剣道の良さと続けることの大切さを教えたかったのでしょう。それに素直に答えた息子さん、そして最高位まで取得した。父親の愛情、想いを知ればこその努力があったのでしょう。感動さえ覚えるいい話です。
 ボクも高校時代剣道部に所属していた。初段を取っただけで終わってしまった。武道と言うことでは同じだが、大学では弓道部に入った。ここも初段だけで終わってしまった。続かなかった、熱意が足りなかった。武道は単なる競技ではない、そこに礼儀作法がある。昇段試験では筆記試験もある。ボクの友人で今でも剣道を続けている人がいる。この面では全く完敗だ。この友人は今一宮友歩会に参加していてくれる。




2012/02/07(Tue) (第1564話) 同窓会 寺さん MAIL

 “昨年の世相を表す漢宇は「絆」だった。この言葉は東日本大震災発生以降、毎日のように耳にするようになり、思いやりの大切さと日本人の素晴らしさを再認識させてくれたと思う。
 人は家族や仕事仲間など、さまざまなつながりの中で生きている。助け合い励まし合って生きていく上で、なくてはならない力の根源となっている。中でも同窓生のつながりは、誰にとっても最も大切な人間的なつながりの一つではないだろうか。
 図らずも私のもとに、昨年の十月に中学校、十一月に高校、十二月に大学、今年の一月に小学校と立て続けに同窓会開催の案内状が届いた。私は喜び勇んで古里の岡山に四度帰った。
 懐かしい顔、顔・・・。いずれの時代の同窓会も何物にも替え難く、人と人との出会いの大切さを再確認する場となり、この上なく充実した時間を過ごすことができた。お互いの健康と被災地復興を願いながら再会を約束し、名残を借しんで別れた。”(1月26日付け中日新聞)

 岐阜県海津市の福井さん(男・67)の投稿文です。同窓生、同窓会は良いものです。特に高齢になるとそれをより感じます。そして同窓会もより盛んになります。福井さんは何年目の出来事か分かりませんが、その好例でしょう。交流を復活し、絆を深める、これからはより大切なことです。
 ボクは小学校の同窓会は隔年に、中学校は毎年開催しています。こうなってもう10年以上になるのでしょうか。今年1月の小学校の同窓会で1泊旅行をしたいという話が出、先日今年の12月くらいに計画しますと案内を出しました。昨年は大学の同窓会もあり、私も幹事として手助けをしました。あと高校がないが何とかしないといけないだろうか。
 先日ボクの妹の住所を尋ねて人が来ました。妹の高校の同窓生で、同窓会を開くための問い合わせでした。




2012/02/05(Sun) (第1563話) たくさんある 寺さん MAIL

 “「ほろほろ通信」欄外の「読者の皆さんへ」を読み、中区の三冶和代さん(59)は思った。「いい話なんて、そうあるものじゃないわ」と。「でも何かないかしら」と名古屋駅の構内を歩いていると、前を歩いていた中年の女性が、前かがみになって何かを拾った。それは壊れたメガネだった。そばに落ちていた部品も拾い、近くの派出所へ届けた。三冶さんは「あっ」と思った。落ちていた場所というのが、目の不自由な人たちを誘導するための黄色いブロックの上だった。ひょっとすると、利用者が踏んだら危ないと考えたのかもしれない。そんなことを思いつつ地下鉄に乗った。「こちらに座ってください」と言われ、三十代の女性に席を譲られた。遠慮なく座らせてもうらった。
 それから数日後のこと。三治さんの目の前の交差点で一台の車が止まった。歩道に乗り上げてきたのでヒヤリとした。中からサングラスをかけた、ちょっと怖そうな男性が降りてきた。横断歩道の途中まで駆けて行き、サッと帽子を拾った。横断中に風で飛ばされてしまったおばあさんの帽子を、わざわざ車を急停止させて取りに行ったのだとわかった。
 また、駅前でのこと。三治さんの前を女子高生が歩いていた。化粧が濃く、いかにも「今どきの格好だなあ」と思った次の瞬間、その子は駐輪場に倒れていた自転車をスッと起こすと、何事もなかったかのように去って行った。あまりにも自然な振る舞いに驚いた。これらは全部、ほんの一週間の間の出来事。「いい話は注意するとたくさんありました」と三治さんは言う。”(1月22日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。三治さんは良いことに気づかれた。非常に水くさい世の中になったものだと思いますが、それでも気をつければいい話は見つかるものです。何事も見ない人には見えないものです。100%良いものもなかなかないし、100%悪いものもなかなかないものです。どちらの目で見るかも大きな要素と思います。この「話・話」は良い目で見た話を拾い集めています。話題探しに時折四苦八苦しますが、それでも途絶えずに見つけられるのですから良しとしましょう。見つけてまねられるものは少しでもまねる、その心がけで可能なかぎり生涯続けていきたいと思っています。




2012/02/03(Fri) (第1562話) 喜寿のプレゼント 寺さん MAIL

“主人はめでたく喜寿を迎えることができました。とはいっても、主人は十四年間、自宅で寝たきりの状態です。頭、目、耳以外は全身まひですが、喜怒哀楽を感じることができるだけに一層つらいと思います。その主人に、娘と孫たちから素晴らしいプレゼントが届きました。
 娘がわが家から、私たちの若いころの写真をはじめ、結婚当時や二人で行った旅行、そして子どもたちの成長、出席できなかった息子の結婚式の写真などを納めたアルバムをごっそり持ち帰ったのは昨年秋。どうするのか不思議に思っていたところ、それを元に主人が好きな演歌を挿入して一時間ほどに編集したDVDを作ってくれたのです。主人の体を横に傾け、それを大型テレビで見ると、その時々のシーンが思い起こされて感極まり、主人に語りかけながら私は涙してしまいました。
 昼夜の介護に体力の衰えを感じ、この先を思うと心がなえるときが増えてきた私でしたが、このDVDを見ていると、思い浮かぶのは楽しかったことの方が多く、これから先も明るく、前向きに頑張ろうという気持ちになれました。何にも勝る最高の喜寿プレゼントをありがとう。“(1月21日付け中日新聞”

 三重県四日市市の村西さん(女・68)の投稿文です。アルバムはあってもなかなか見る機会はない。わが家にも何十冊とあるがほとんど見たことはない。それをDVDに納めれば楽に見られる。体の不自由になった西村さんにはこの上ない贈り物であろう。娘さんたちはいいことを思いつかれた。
 今の時代は本当にいろいろなことができるものだ。それも少し知識を得れば普通の人が家庭で出来る。実はボクも似たようなことをしている。ネガフィルムを専用のスキャナーで読み込んでパソコンに保存している。きっかけは沢山のネガフィルムをどうしようかと迷っていたときにそのような専用スキャナーを新聞広告で知ったことにある。アルバムやネガフィルムは残された子どもたちが処分に困ろう。邪魔ではあるし、捨てるにも忍びない。自分の生存中に捨てればいいが、それも踏ん切りがつかない。パソコンのデータにして残しておけば邪魔にもならないし、アルバムもその時になれば簡単に処分できよう。まだ作業は途中であるが、思いがけない効果を生んでいる。若かりし頃の写真をスクリーンセーバーに取り入れたことである。時折流れる写真に見とれているのである。




2012/02/01(Wed) (第1561話) 反省の一言 寺さん MAIL

 “クリーニングの取次店をしています。子ども連れで来るお母さんらが、店の大事な物を触ったり破ったりするお子さんに「おばさんに怒られるからやめなさい」と注意します。
 そんなことが二、三回あったので、私から「『怒られるからやめなさい』はないでしょう」「子どもさんのしつけはママが教えること」と声を掛けました。その方が次に来られた際に「おばさん、ありがとう。反省したのでまたよろしく」と言ってくれて、ほっとしました。”(1月20日付け中日新聞)

 岡崎市の女性(72)の方からの投稿文です。この話も子育て中の人には心して欲しいことである。怒られるからやめる、子どもに恐怖を与えれば止めさせやすい。ついしがちなことである。しかし、この仕方では怒られなければやってもいいことになる。また怒る人を憎らしく思う。弊害ばかりである。悪いこと悪い、人が見ていなくてもやってはいけないことはやらせない、これがしつけだ。しつけは親の義務だ。
 この母親はそれが理解でき、反省と感謝の言葉が出て本当に良かった。きっとクリーニング屋さんのおばさんといい関係が続くだろう。



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