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第93号  2012年1月


2012/01/30(Mon) (第1560話) 明かりは愛 寺さん MAIL

 “「宅配便でーす」。夜八時。荷物を受け取ってサインをする。ドアを閉め、玄関の外灯の電気を消そうとしたその時、母が言った。「もう少しつけておいてあげて」
 「えっ、どうして?」。わが家がある地域では、夜八時くらいになると、どの家もたいてい外灯を消す。この時間帯になると、誰も外を歩かなくなるからだ。「ほら、宅配便の人の車、家の前にまだ止まっとるやろう。最後までお見送りしてあげやんとな−」《そうか。明かりは、愛なんだなー》
 小学校のころの記憶が、ふとよみがえった。遊びや習い事で帰宅が遅くなった私を、玄関の外灯はいつも「お帰り」と迎えてくれた。柔らかな光を放ちながら。あの少しぼやけた明かりを見ると、心がほわんと温かくなった。
 きっと明かりは、誰がつけるものでもなく、みんなでつけ合うものなのだろう。空にちりばめられた星のように、地上でも明かりがともり続ければいいなー。しばらくして、車のエンジン音がわが家から遠のいていった。私はパチンと外灯の電気を消した。”(1月20日付け中日新聞)

 三重県玉城町の事務職員・田所さん(女・34)の投稿文です。「明かりは愛」とは粋な表現である。外に出たとたん、明かりが消えては寂しく感じる。そして、外灯は外にいる人のためにある。明かりがついていれば見送りを受けているのだな、とも感じられる。この心遣いは是非行いたいものだ。
 この話は以前にも書いたと思うが、その時妻と話題にした。ボクもその時以来気にしてる。暗くなって帰ったときにも明かりがついているとホッとする。家族のためにも配慮したいことである。




2012/01/28(Sat) (第1559話) 平家物語通読 寺さん MAIL

 “本欄のテーマ「新春に誓う」でみなさん方の誓いを読み、遅まきながら私も「新春の誓い」を立てることにした。実は一昨年、蔵書の始末をした折に、日本古典文学全集の「平家物語」全二巻も売却。後日そのことを深く後悔し、買い戻したいと思っていた。
 幸いにも、昨年一月にあった古書展に当該の古書が出品されていたので、買い戻すことができた。ところが、二月に総合病院でのCT検査により、腹部大動脈瘤が確認された。いろいろな検査をした後、五月に無事治療が終わって、元気を取り戻すことができた。しかし、その後も定期的にCT検査を受ける必要があり、気分的に大冊の「平家物語」を読む気にはなれなかった。
 しかし、年も改まったことだから、今年のNHK大河ドラマ「平清盛」にあやかって、「平家物語」を読もうと思う。”(1月15日付け中日新聞)

 岐阜県多治見市の高木さん(男・80)の投稿文です。80歳の人が古典の平家物語を読むといわれる。それでも一度処分した本を買い戻してである。よほどの思い入れがあったのであろう。この本を読むにはかなりの根性がいるだろう。ボクにはほど遠い話だ。
 実はボクも今年はある目標を立てた。1月18日の「話・話」第1554話に従って読書の目標を立てたのである。読書の目標を立てるなど言うことは過去にあったろうか。そして何を読むか、文庫版の「ローマ人の物語」がまだ6冊残っている。まずはそれを読もう。そして、大河ドラマ「平清盛」にちなんで「平家物語」を読もうと決めた。高木さんの話とのこの偶然が面白くてこの話を紹介したが、違いはその平家物語が吉川英治著の「新平家物語」であることである。この違いは大きいがボクには結構な負担である。昭和58年に読んで以来の再読である。全12巻の内の今1冊目を読み終えたが、ドラマと作者が違うのもドラマを面白くしていく気がする。




2012/01/26(Thu) (第1558話) 家庭で餅つき 寺さん MAIL

 “わが家の元旦の雑煮は、暮れの三十日についた自家製の餅だ。昭和の二十、三十年代には、年末になるとあちこちの家から餅つきの音が聞こえ、子供心にやがてやってくるお正月を思い、わくわくとした気持ちにとらわれたものだった。今ではそうした光景はすっかり見られなくなってしまったが、わが家の餅つきは、三十年ほど続く年末恒例行事だ。わが子にもそうした体験をさせてやりたいと考えたのが、発端だった。
 何軒もの古道具屋を回ってやっと手に入れた石臼ときねでの、久しぶりの餅つきは私にとっても懐かしかったが、子供たちが目を輝かせ、おいしそうに食べる姿に、つくづく良かったと感動したことを覚えている。
 今では大人になった子供たちが、友人やその子供を呼んで引き継いでくれている。昔からの風習にはどこか胸をうつものがある。いつか、孫と餅つきのできる日がくることを楽しみに、続けていけたらいいなと思っている。”(1月15日付け中日新聞)

 名古屋市の市川さん(男・69)の投稿文です。ボクは生まれてから父母と別居するまでずっと家庭での杵、臼を使っての餅つきをしてきた。同居するようになってまた餅つきをしていたが、父が亡くなって電気餅つき機になった記憶である。今ではボクの村でもほとんど餅つき風景は見なくなったが、ただ1軒、近所で今でも餅つきをしている家庭を知っている。その家庭は年末になると一族郎党が集まって餅つきを楽しんでいる。羨ましいほどいい風景だ。その家庭は田植えなども皆集まっているようだ。これが家族の絆であろう。
 市川さんは自らの意思で途中から始められた。それがもう30年である。子供らも受け継いでいる。いいことを思いつかれた。
 ボクの家も電気餅つき機ながら毎年年末に子供らが皆集まって餅つきならぬ、餅練りをしている。先月30日に10人が集まった。風情は杵、臼の餅つきには遠く及ばぬが続けたい風景である。




2012/01/24(Tue) (第1557話) 心八分目 寺さん MAIL

 “中年のころから腹八分目を心掛けてきた。高齢者入りしてからは「心八分目」を目標としている。「心八分目」とは気持ちに余裕を持つこと。焦らず、急がず、興奮せず、無理をしない、を原則とした生活を心掛けることである。
 なぜ「心八分目」なのか。私の先輩や同僚はバブル期、仕事はたくさんある、収入もあるで無理をしてしまった。体の具合が悪くても仕事を休まない。夜はお付き合いで飲み歩く。身も心も酷使した人が多く、五十代のころから心身ともに行き詰まり、体に変調を来す人を多く見てきたからである。
 人間、一度体を壊すと、一時の入院ではなかなか完治しない。薬の常用、通院を生じる場合があり、快適な生活とはいかない。体調を維持するには、まず心の健康からである。これにはゆとりがないとだめだ。気持ちに余裕があれば健康に気をつけるし、体調もコントロールできる。心身の健康には「心八分目」を実行することである。”(1月8日付け中日新聞)

 長野県伊那市の農業・北原さん(男・67)の投稿文です。腹八分目はまさに腹のこと、食事のことに使われることがほとんどであろう。それをもじっての心八分目であろうが、うまい言い方だ。心とは欲望と言い換えてもよかろう。本当に僕らはいろいろな欲望に振り回されている。苦労やストレスの大半もこの欲望のためであろう。身の程を知り、少し欲望を押さえることによってずいぶん楽な生活になるだろう。心八分目、確かに賢い生き方だ。しかし、欲望は活動の原動力でもある。若い頃には十分目どころか十二分目にしなければならない欲望もあろう。この見極めが重要である。何と言っても体を壊してしまうことがあっては元も子もない。高齢者に限って言えばもう十二分目にしなければ欲望はなかろう。心八分目で心身共に健やかに過ごしたいものだ。




2012/01/22(Sun) (第1556話) トイレの神様 寺さん MAIL

 “一昨年の四月、岡田豊さん(五七)が岡崎市の南中学校校長に赴任すると、前任からこんな申し送りを受けた。大みそかになると、南中学に「トイレの神様」がやってくるというのだ。25年前、卒業生四人が大みそかにやってきて外庭の掃除やペンキ塗りの補修など奉仕活動を始めた。その後何年かたち、それぞれの事情で一人減り二人減り。しかし、今でもたった一人、大久保芳朗さん(三九)という造園業を営むOBだけがやってくるのだという。岡田先生は着任一年目の大みそかに出勤し、掃除に立ち会った。
 そして再び、2011年の大晦日も「神様」やってきた。その大久保さんに「母校の掃除を続けている」理由を直接伺った。「あまり深い意味はありません。あえて言うなら、きれいになると気持ちがいいからかな。先生方に喜んでもらえるのもうれしい。先生方も転勤で代わって行く。でも『大みそかに大久保っちゅうのが来るらしい』と引き継いでもらえたのも続けられた理由の一つでしょうか」(後略)”(1月8日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。母校のトイレ掃除を25年、大晦日の日の年1回とはいえ尊い行為である。多分本人の生き甲斐になっているだろう。学校だけに後輩に与える影響も大きい。
 こういう行為はきっかけさえあれば多くの人にできることである。そのきっかけをつかむのが難しい。待っているだけでは始まらない。第1歩は自ら踏み出さねばなるまい。そして、続けることは更に難しい。仲間を作り刺激し合うこともいいだろう。何事にも工夫は必要だ。特にボランティアはしなければならないことではないだけに特に必要だろう。




2012/01/20(Fri) (第1555話) ボランティアで妻はきれいに 寺さん MAIL

 “今年は妻のボランティア元年だった。数年前からボランティア関連の記事を読む度に「いつかしたいね」と2人で話していたが、夫婦で商売をやっており、なかなか時間が取れずに時が過ぎていた。それが今夏、妻は何を思い立ったか、ボランティアセンターに会員登録。翌週には紹介されたお宅へ通い始めた。週1回、朝6時に家を出て、1時間かけてお宅を訪問し、お子さんのリハビリを4時間手伝う。お昼に帰ると店に立つ。
 仕事と両立できるか心配だったが、「○○ちゃんに少しずつ成果が表れてうれしい」と生き生きした目で語る。私としても妻がお役に立ててうれしい限りだ。妻は仕事も家事も前より積極的になったように感じる。さらに目が輝いている分、きれいになったようにも見える。”(12月30日付け朝日新聞)

 熊本市の酒販売店主・木村さん(男・43)の投稿文です。忙しい仕事をしながら、その合間を縫ってのボランティア活動。奥さんの活動にご主人も積極的に応援。そして奥さんの生き生きした姿に改めて惚れ直しているご主人。いい光景だ、さわやかな夫婦の見本のようである。
 今となっては遙か昔のことになったが、ボクの夫婦も一緒に点訳のボランティアをしていたことがある。子育てで出かけられない妻にボクが習ってきて教える。そして、お互いに選んだ本の点訳を、迷ったところは意見を聞きながら進めた。今思うと懐かしい一時代だ。




2012/01/18(Wed) (第1554話) すべて達成 寺さん MAIL

 “今年の正月に私が掲げた目標は百冊の本を読む、百の山登りをする、そして百日働くの三点だった。幸い健康に恵まれすべてをクリアすることができ、うれしい限りだ。
 ジャンルを問わずいろいろな本を読んだ。安部公房、城山三郎、五木寛之、村上春樹、から東野圭吾に至るまで、印象に残る数多くの本に出合えた。三月十一日の東日本大震災災に関する文庫本には心が痛んだ。
 里山で多くの仲間と四季の移り変わりを堪能する機会もたくさんあった。真夏に長時間かけ、汗して登った信州の山。そこで見た樹海での景色、花々は強く印象に残った。
 若い仲間の中で働ける喜びも得ることができた。毎日の暮らしにメリハリがつき、己の脳と体のトレーニングにも結びついた。体調管理をしつつ、新しい年を迎えて、一つでもレベルアップしたいと思っている。”(12月29日付け中日新聞)

 岐阜県本巣市の派遣社員・高木さん(男・69)の投稿文です。全く素晴らしい、完敗である。特に本100冊は足元にも及ばない。その上ボクより年長である。言いようがない。
 このように言うには、まずは目標を立てることが必要である。見習ってボクも元日に目標を立てた。勤務、地元役員、一宮友歩会等の必要日数が約200日と見当をつけてもまだ160日がある。農作業、旅行等に、またウォーキングにまだかなりの日数が使える。昨年から始めたトレーニングも中途半端だった。読書など1時間のまとまった時間があればいい。昨年の実績を見ながら、実績とはかなり上回った目標を立てた。月々の記録表も作った。楽しんで、少し苦しみながら、年末によくやったと言えるようにしたいものだ。




2012/01/14(Sat) (第1553話) 投稿文を読み電話 寺さん MAIL

 “「もしもし、先生ですか。お元気でしょうか。私は中学三年の時に担任をしていただいた○○です」七日朝八時すぎ、教え子から電話がかかってきた。五十年ぶりに聞く声だ。「『爆弾鍋』の話、先生に聞いて以来、忘れたことはありません。今日、新聞で読み、懐かしくて連絡させていただきました」
 「ありがとう」と言いながら、半世紀前の記憶がよみがえってきた。防空ずきんにもんぺ姿で通学していた教え子たち。体育館が工場になっていた。懐かしい。お互いに、残り少ない人生を頑張って生きようね。
 当日の本欄に載った私のつたない文章が、いかに多くの人に読まれたことか。掲載後の四、五日、教え子や知人の懐かしい声を耳にすることができた。私は今、病人の世話で休む暇もない毎日を送っている。日々、沈みがちになるが、その日ばかりは勇気づけられ、和まされた。教え子の声を聞き、ほおに涙がつたった。これからも頑張らなくては、と心にむち打つこともできた。”(12月26日付け中日新聞)

 岐阜県可児市の溝口さん(女・80)の投稿文です。投稿の効果はいろいろなところにあるものだ。溝口さんは教え子からの声が届いた、嬉しいことだった。ボク自身も先月その体験をし、12月13日の「話・話」第1538話で紹介したばかりである。ボクは電話をした方であるが。
 投稿効果は文を書く機会、掲載されたときの喜びなど大きいものがある。しかし、時によっては批判を呼んだり、いたずらをされることもあるようだ。この「話・話」でも同じだが、文を公にさらすと言うことはそれなりの配慮、注意が必要だろう。




2012/01/11(Wed) (第1552話) 朝日夕日 寺さん MAIL

 “早朝10kmランニングを習慣にしている私にとって、厳しい季節となりました。寒い、強風の中を走るのは、結構きついです。しかし、楽しみもあります。伊勢湾を望む海岸の堤防を南東に向かって走っていくと、ちょうど朝日が昇るところに出会います。赤く大きく輝く朝日を見ていると、なんだか心が温かくなり、生きていることを実感し、今日も一日いいことがたくさん起こりそうな気がしてきます。
 自然体験が豊かな子ほど道徳観や正義感も身についているとの調査も過去にありました。10年ほど前、「休み中に一度でいいから朝日の昇るところ、夕日の沈むところを見る」との、夏休みの宿題を出したことがあります。休み明けにある子が「腹の立つことがあったけど、沈む夕日を見ていたら怒りが引っ込んでいった」と言ってきました。
 朝日や夕日には不思議な力があるようです。”(12月23日付け朝日新聞)

 三重県明和町の小学校非常勤講師・西川さん(男・62)の投稿文です。昨年12月9日の「話・話」第1536話では空を見る素晴らしさを紹介した。今回は朝日夕日である。これも実にきれいだ。やはり心が洗われる。その時間には気にしていたいものだ。ボクは幸いに家の中から多くの日数見えてしまう。しかし、外に出て見た方がずっといい。
 西川さんは10kmランニングをしながらの朝日である。更に快いものがあろう。早朝ランニング・・・・ボクももう少し本格的にランニングを始めないと3月の大会に間に合わない。早急にきちんとできる時間を見つけなくては。




2012/01/09(Mon) (第1551話) わが家の十大ニュース 寺さん MAIL

 “もう何十年も前になるが、年末の押し詰まったある日、父が言った。「この1年のわが家の10大ニュースを考えよう。順位を含めて、お父さんとぴったり一緒だったニュースがあれば10円ずつあげるから」まだ子どもだった私は、お小遣いほしさに張り切ったが「この1年」となると意外に難しいものである。ヒントは一切もらえず、しかも、順位が違えばお金はもらえないというあたり、父の策略だったろう。
 引っ越しをした年は、それがわが家の第一番のニュースになった。夏休みに出かけた家族旅行や、私の入院、弟妹らが絵の展覧会で入賞したことなどが上位を占めた。
 最初はほとんど当たらなかったが、以来「年末のお楽しみ」となり、毎年、大みそかには1年を振り返って、親と色々話をして楽しかったことを覚えている。何かあれば10円−で、うれしかった時代である。”(12月23日付け朝日新聞)

 三重県伊勢市の特別支援学校講師・稲葉さん(男・55)の投稿文です。わが家も毎年重大ニュースを列挙している。子どもがいた時代もボクの作業だった。稲葉さんは1年を振り返るにあたり、子どもと触れあういい機会にされた。それも子どもに楽しみを与えながら・・・いい知恵である。しかし、こんな楽しいやり方があったとは・・・子どもいなくなった今となっては後の祭りである、残念である。
 ボクは昨年も大晦日に妻の意見も聞きながらこの作業をした。1番は近年にない穏やかな1年であったということである。1昨年までは親の介護で振り回されていた。親4人を看取り、これからは自分の身を案ずる時代に入ったが、昨年は大きな患いもなく過ごせた。これからはこのことが1番のことになろうか。




2012/01/07(Sat) (第1550話) ほめられた 寺さん MAIL

 “うれしかった−。宝くじに当たったのでも、ダイヤをもらったのでもない。それは、日課の早朝散歩に出たときのこと。路地を抜け、川に出た。ゆっくり流れる川面や、朝の景色を眺めながら歩いていると、向こう岸から男性が「おはようございます」と声をかけてきた。私も笑顔であいさつを返した。男性は続けて何か話されたが、聞き取れない。たぶん川面のカルガモのことかと思い、「かわいいですね」と川をのぞいて答えた。
 すると、今度はよく通る声で「いや、あなたの歩く姿勢がとてもいい」。思わず、「えっ、ありがとうございます」と声が弾んだ。年を重ねるごとに、姿勢に自信をなくしていた。夫から「ホラ猫背だよ。首が前に出ているよ」と注意を受けたときや、店のガラスに映る自分のくたびれた姿を目にするたび、背筋を伸ばしていた。でも、すぐまた元の姿に戻ってしまう。
 そんな矢先の一言だけに、どんな宝石にも勝る贈り物に思えた。しかも、私よりも若く見える見知らぬ男性からだ。立ち止まり、もう一度「ありがとうございます」と手を振った。彼も手を振り、いい顔でうなずき、再び歩き出された。”(12月22日付け朝日新聞)

 埼玉県加須市の主婦・徳田さん(70)の投稿文です。人間とは摩訶不思議、面白いものである。たった一つの言葉で宝石より、お金より嬉しいとは・・・・。
 年を重ねると前屈みになり、姿勢は悪くなる。それが楽なのだ。しかし、楽が体にいいとは言えない。見栄えも悪い。高齢になると意識しないといい姿勢は保てない。意識しなくてもいい姿勢が保てれば、それはまだ若い。また若いときからそういう努力をしてきたのだ。いい姿勢を保つには「臍を引く」、これがボクが信じる極意である。臍を引けば背筋は伸びる、試しにやってみて下さい。しかし、今の若者の姿勢の悪いこと、年寄りどころではない。




2012/01/05(Thu) (第1549話) 遺言は義務 寺さん MAIL

 “時代の流れでしょうか。近年、生存中に自分の葬儀の積み立てなどをしておくのが珍しくない世の中です。納得するようなしないような、不思議な思いがします。
 自分が亡くなった場合に備えて遺言を残しておくのが、愛する家族のために果たすべき義務だそうです。遺言は、財産の多い少ないにかかわらず、相続人のトラブル回避のために有効といいます。相続財産が少ないほど、争いが多いそうです。
 遺言は時間と精神的エネルギーを必要とするので、遺書とは違って元気なうちに書き残しておくもの。後々の相続手続きを簡易、迅速にして、残された家族の負担を軽くします。
 遺言は、筆者の気持ちが伝わるとなおいいと学びました。筆者は自分の思い、家族への愛を伝えましょう。気持ちの変化で遺言の撤回や変更はいつでも可能で、新しい日付の遺言が優先されるとのことです。勉強会に参加し、頭が少し柔らかくなりました。”(12月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・宇野さん(75)の投稿文です。「遺言は義務」と言われて頷いてしまう。相続財産が少ないほど争いが多い、という言葉にも頷いてしまう。相続財産をどのように分配するのか、何の示唆もなかったら残された家族は全く戸惑うだろう。遺産が今まで穏やかに過ごしてきた家族の争いの元になってしまったら何のための遺産かということになってしまう。遺言は義務なのだ、そして人間はいつ死ぬかもしれない。
 こんな話しに数年前、ボクも案を書き始めた。そして中断してしまった。ボクにもう猶予はない。早速にまとめねばならぬ。気になったら何度書き直してもいい。




2012/01/03(Tue) (第1548話) 日本の風呂 寺さん MAIL

 “米国では、たいていの人は毎日シャワーを浴びるが、湯船に入ることはあまりない。だから米国人は日本に来たら、お風呂をとても不思議に思う。
 米国のお風呂はヒーターがないのでお湯がすぐ冷たくなる。だから冬はあまりリラックスできない。お湯を足すしかないが、もったいないと思ってしまう。また米国人は湯船に入る前に体を洗う習慣がなく、お湯がすぐ汚くなる。家族皆が入るには毎回お湯を入れ替えなければならず、とてももったいない。だから米国の習慣にはシャワーの方が合っている。
 でも、私は日本のお風呂は本当に最高だと思う。特にその最新技術は素晴らしい。スイッチーつで温度を選べ、保温も追いだきもできる。私にとって冬にお風呂につかっている時間は至福の時だ。”(12月19日付け朝日新聞)

 相模原市の留学生・コリーナさん(20)の投稿文です。続いて外国人の方からの投稿文です。日本の風呂について賞賛の文です。ボクは最近よく外国へ出かけているが、風呂については特になじめない。日本に帰るのが待ち遠しい。それを外国人からも聞けるとは嬉しいことである。
 ドイツ、フランスへ行ったときだったと思うが、ガイドさんから「日本の良さを知る旅になります」と最初から言われた。遺跡や風景については及ばないところもあるが、日々の生活については日本が全く良い。日本の良さを外国へ行って知る、そのためにも外国へ行くのはいいものだ。日本で生まれ日本で育ったのだからなじんだ日本がいいのは当然かもしれないが、当然の故に感謝を知らないことも多い。いろいろ知って感謝の気持ちを高めたい。




2012/01/01(Sun) (第1547話) 日本人の温かさ 寺さん MAIL

 “中国から11年前に来日した当初、日本に溶け込めず、人間関係に悩み、日本人の冷たさを感じる時期があった。その後も違和感のようなものはあったが、先月の出来事が気持ち大きく変えた。
 1歳の長男と名鉄瀬戸線の森下駅で降りる隙、開く扉の戸袋の隙間に息子の右腕が引き込まれてしまった。異変に気づいた乗客の男性がとっさに非常ボタンを押し、周囲の人と戸袋の隙間を力いっぱい広げようとしてくれた。大泣きする息子に男性は「大丈夫!もうちょっとだから」と激励。数分後に乗務員さんが手動で扉を開け、息子の腕が抜けた時、歓声が上がった。その後、駅員さんが病院まで付き添い、診断結果を聞いてひと安心。翌日もお見舞いの電話をいただいた。
 私は驚いた。見知らぬ子どものために、たくさんの人が必死に助けようとしてくれたことに。日本では「渡る世間に鬼はない」というが、本当だ。人の心の温かさに触れ、幸せな気持ちになった。”(12月16日付け朝日新聞)

 あけましておめでとうございます。平成24年が始まりました。今年も良い話しを探して発信して生きたと思っていますので、ご愛読下さい。
 そして、平成24年最初の「話・話」は名古屋市の会社員・韓さん(女・37)の投稿文からです。まだまだ日本人はこういう場に出合わせば、多くの人は協力して何とかしようとするであろう。これが中国から来た人には驚きであった。
 昨年中国で、倒れている少女を誰も助けようとする人がなく、皆通り過ぎていったことがニュースになっていた。助けられた人が、助け方が悪かったといって訴えられた例があり、それが影響しているかもしれないとも伝えていた。日本でも善意が善意として伝わらない例がたびたび紹介されている。特に注意をした場合に逆ギレする例がよく伝えられる。そんな事例は多いことではなかろうが、一度知ると君子危うきに近寄らずとなってしまう。その結果人と接触する善行は減っていく。日本人の善意の気持ちはまだまだ高い。金品などの寄付はよく集まる。報道は社会を左右する。よくよく考えた報道をしてほしいものだ。


 


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