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第91号  2011年11月


 
2011/11/30(Wed) (第1531話) 流れ去る時間 寺さん MAIL

 “このごろ、時間の流れがとても早く感じられます。つい最近、中学校を卒業して高校に入学したと思ったら、あっという間に三年生になり、高校生活も残りわずかとなってしまいました。
 早起きをし、朝食を取り、学校へ行く。学校で勉強し、夕方に帰る。同じような毎日を送っています。特に何をしたわけではありません。一日が終われば一瞬にして時間がたったかのように錯覚してしまいます。
 時間は、楽しいことがあると短く感じ、嫌なことがあると長く感じられます。時間とは不思議なものですが、どんなに長く感じてもいつかは過ぎ去っていきます。今という時間は、今しかありません。私はあっという間に過ぎていく時間の中で、これからは「今」という時間を大切にしていきたいと思っています。”(11月18に付け中日新聞)

 滋賀県守山市の高校生・北口さん(女・18)の投稿文です。「流れ去る時間、今を大切に」というタイトルに、何歳の人の投稿文かと思いきや、高校生18歳である。高校生から「今という時間を大切にしていきたい」と言う言葉を聞くとは思わなかった。よくものを考えられる人だ。北口さんが言われるように「時間は、楽しいことがあると短く感じ」というのは事実であろう。だから北口さんの生活はそれだけ楽しいのだ。いい生活なのだろう、羨ましい。
 しかし、この文章は高齢者に聞かせる文章だ。「今という時間は、今しかありません」これは誰にも同じだが、高齢者にはその今がもう少ししかないのだ。何もあくせくする必要も無いが「今日はいい1日だった」といえる日を1日でも多くしたい。「この1年、何をしたのか思い出せない」と言わないために、日記を書くことを勧めたい。ボクは3年連用日記を使用して6冊目が今年で終わる。この日記帳だと短い文章でいいので、何もないようでも書くことはできる。書いてあれば思い出せないと言うこともない。日記は高齢者のものだ。書く効用は大きい。先日来年からのものを買ってきた。




2011/11/28(Mon) (第1530話) 太陽の家 寺さん MAIL

 “友人の部屋を借りての「井戸端会議熟女の会」を始めて一年半、探し求めていた空き家が見つかりました。家主さんの好意で草取りと家の掃除を条件に、無償で借りることができました。一部屋から家に場所を移して、「太陽の家」と名前も変更しました。
 九月七日に開所パーティーを開きました。新しい出会いの場として、少しでも喜んでもらえるように、仲間たちと家の掃除や窓拭き、草取り、庭の掃除をしました。
 それから二ヵ月余。今までの団地の仲間はもちろんのこと、三重県内の菰野町、四日市市、東員町など、人の輪がだんだん広がってきました。これからの「太陽の家」の方向性や目標はゆらゆら揺れる波のようです。しかし、慌てず、こだわらず、決めつけないで、ゆっくり歩んでいきたいと思っています。”(11月17日付け中日新聞)

 三重県菰野町のパート・小林さん(女・66)の投稿文です。女性の活発さ、元気さには驚かされることが多い。この話もまさにそれである。井戸端会議に家まで借りてしまう。その話しが広まり、近隣の町の人まで取り入れ、広域活動の場になってしまった。高齢化社会にはこうした交流の場所は本当に必要だ。「太陽の家」とはまたいい名付けである。地域に日を照らす場所になろう。大きくなればゆらゆら揺れることも多くなろうとは思うが、ゆっくり歩んでいけばますます発展する気がする。




2011/11/26(Sat) (第1529話) 早めに大掃除 寺さん MAIL

 “今年もあと一ヶ月半となり、年末の大掃除が気になります。わが家では、十一月に入るとすぐ、大きなものから順番に取りかかります。
 まず一階と二階のガラス戸を外して全部で二十六枚洗います。お天気と仕事の合間を見計らっての作業ですから、この時期から始めてちょうどいいです。そして、普段手入れの行き届かない蛍光灯のかさ、棚やたんすの上、神さん仏さんなど順番にきれいにしていきます。
 厄介なのはキッチンの掃除。普段、料理のときの噴きこぼれや調味料の飛びはねは、すぐ台ふきで拭いて夕食後、ごとくを外して洗います。大掃除では、油のべっとりした周辺も気長にきれいにしようと思います。
 今はスーパーなどにさまざまな掃除道具が豊富に置いてあり便利ですが、私は節約を兼ねて使い古しの歯ブラシや布を使います。年に一度の大掃除は新しい年を迎えるというフレッシュな気分をもたらしてくれる効果があると思います。”(11月15日付け中日新聞)

 三重県桑名市の自営業・堀場さん(女・62)の投稿文です。この時期なると「もう大掃除を始めなくては」とか「毎年そう言いながらいい加減に済ましてしまう」とか、掃除の話しが挨拶の始まりとなる。ボクの奥さんも毎年そう言っている。そして、先日床屋さんへ行ったら、理容師のおばさんにそう話しかけられた。
 堀場さんは優等生である。寒くなってから気ぜわしく行うより、暖かいときから余裕を持ってやった方がいいとは、誰もが思うことだろうが、そうはいかないのが掃除のようだ。ボクなど掃除などしなくても死ぬことはない、とうそぶいている。




2011/11/24(Thu) (第1528話) 五感で天気予報 寺さん MAIL

 “先日、スーパーでおばあさんと孫らしい少年の会話が耳に入ってきました。
 「なんか雲行きが怪しいな。急いで帰ろうか」とおばあさんが言うと、少年はおもむろに携帯電話を取り出して、あれこれ操作を始めました。そして「雨が降りだすまで、あと十四分。家へ着くまでは降らないよ。雨雲レーダーを見たから間違いない」と答えたのです。便利になったものだと感心しつつスーパーを出ると、重たい灰色の雲が頭の上一面に広がっていました。速い雲の動き。ほこりくさいような雨の前特有の匂い。五感で自然現象を感じる時代は終わったのでしょうか。
 「夕焼けがきれいだね。明日はいい天気になるよ」「小さな虫が群れて飛んでいるから明日は雨だね」。こんな会話はもう時代遅れなのだなあと思うと、寂しい気がしました。”(11月15日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の保育士・佐野さん(女・41)の投稿文です。また携帯電話の便利さの話しである。本当に携帯電話もパソコンもインターネットも便利である。ボクも知らないうちにはまり込み、無くてはならないものになっている。先月はパソコンが動かなくなり、復活するまで全くパニック状態であった。
 機器に頼る便利さであるので、その機器がなければお手上げだし、便利である分人間の能力は落ちている。この佐野さんの話のように五感で判断していた天気も、機器に頼った生活をしていたらその五感はもう働かない。ご飯ももう薪では炊けないだろうし、洗濯も手ではできない。災害などそれらが使えなくなったとき、全くうろたえる。ただ便利な生活に流されるだけではなく、考えた生活が必要であろう。




2011/11/22(Tue) (第1527話) 深夜のリダイヤル 寺さん MAIL

 “カルチャーセンターのエッセー教室に通っている。「エッセーを書くと、思いを伝えるだけでなく、生き方の整理もできる」という先生の言葉を、書くたび実感する。ものごとや人間をよく見るようになり、丁寧な生活を心掛けるようにもなった。
 深夜一時半、ポケットの中の携帯から発信音が聞こえてドキリ。慌てて取り出すと、画面にはエッセーの先生の電話番号が。何かの拍子に再発信の操作になったようだ。すぐ止めたので先方には着信記録は残っていないだろうと勝手に判断した。
 翌朝、先生から「着信記録がありますが」と電話を頂いた。「無意識にリダイヤルに触ってしまったようで、用事ではありません。深夜にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」とおわびした。
 すると「そうじゃないかと思ったけど、一応かけてみたの。お声が聞けてうれしかったわ」。さりげない優しい言葉。電話の向こうの先生の笑顔まで見えるようだった。ほんの一言で人柄の一端を知ることがある。エッセーを書くようになって、言葉というものに敏感になったのかもしれない。秋の空気が一層すがすがしい朝になった。”(11月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・後藤さん(48)の投稿文です。文を書く効果は大きい。このことはもう何度もこの「話・話」の中でしたと思う。ボクなどその効果を十分味わっている。川柳もいい。これなど単語一つずつに慎重になる。
 この話では、この先生の対応に感心する。迷惑であったろうが、相手を喜ばせる言葉で対応している、なかなかこうはいかない。いや、先生は本当に嬉しかったのかもしれない。それでもとっさの場合、素直に嬉しかったと言うのは難しい。やはり先生の人柄であろう。人柄は一朝一夕ではできない。平生からの心がけが大切であろう。
 それにしても携帯電話は便利だ。この便利さはどこまで進めば気がすむだろう。便利な故に余裕もなくなっている。




2011/11/20(Sun) (第1526話) 思わずワッハッハ 寺さん MAIL

 “「お願いします」と、レジヘ。「何を食べましたか?」と店主。「盛りそば、大と中です」「ああ、そうそう」。笑いをこらえて支払いを済ませ、外へ。ワッハッハ。旅先のそば屋でのことでした。
 数日後、古民具店でラジオが目に留まりました。軍資金不足のため求めずに帰宅しましたが、どうしても欲しくて買う約束の電話をしました。すると「値札、いくらになっていましたか?」と店主。旧家から譲り受け、きれいに磨いて店頭に並べた本人からの値札の確認に、受話器を置いた途端、ワッハッハ。
 打ち直したこたつ布団の支払いをするため、地元の布団店へ。奥さんと雑談をしていたらご主人が「端数はおまけ」と言いながら、お釣りと領収書を私の前に差し出した。「お金、払ってないけど」と私。過疎の町に、大爆笑の声が響き渡り、「だめだ、こりゃ」と、どこかで、いかりや長介さんが苦笑しているような光景でした。
 人々の気持ちが負の方向へ傾いているような殺伐とした日々の暮らしの中で、心が和むほのぼのとしたひとときを笑いの中から味わうことができ、小さな幸せを感じました。笑いがある生活って、いいですね。”(11月5日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・熊谷さん(62)の投稿文です。冗談か作り話か、この欄はそんな欄ではないので、事実の話しであろう。本当にワッハッハと笑えてしまう話しである。相手を全く信じている対応である。こうした対応をしてもらったらごまかす気も起きないだろう。気を使わなくてもいい上手な商売方法かもしれない。こうしたおおらかな気持ちで過ごせたら人生穏やかなものだ。
 この話は年寄りの商売ではありそうである。これは記憶力が衰えそうなってしまったのであろう。でも、このやり方で問題なく進む社会でありたい。




2011/11/18(Fri) (第1525話) 本の感想共有 寺さん MAIL

 “退職して三ヵ月。時間が自由になり、じっくり本を読むことができるため、毎日が充実しています。読書の場所ですが、たまには図書館もいいものです。例えば地元の図書館。規模は都会には及びませんが、大きな窓からは飛騨川が見えます。住民らがボートの練習にいそしむ光景が飛び込んできます。自然豊かな場所だからこその、のどかで心安らぐ光景です。
 最近、地元のグループから「評論家ではなく、身近な人が書いた親しみやすい『あらすじ集』がほしい」という声を聞きました。そこで提案です。本を読んだら簡単なあらすじと感想を書き、皆で情報を共有しませんか。各人、得意分野で正直な気持ちをしたためたものを図書館にまとめて置いておき、追加していくのです。図書館を核にした、町民レベルのこんな町づくり運動があってもいいのではないでしょうか。”(10月24日付け中日新聞)

 岐阜県川辺町の井上さん(男・60)の投稿文です。いい提案である。井上さんは投稿までされたのだから、多分この提案の実現に動かれるだろう。文を書く効果は大きい。そういう意味でもこの実現に期待したい。
 名の知れた人の話しもいいが、多くの人はそれは自分とはレベルが違うと思ってしまう。一般市民だと自分と同類とみられる。多くの身近な人の話は、一つ一つは大したことなくても集まれば大きな効果となる。60歳、終わったと思えば終わりであり、これからが本番だと思えば本番である。少なくともこれからが集大成である。今まで培ったものを生かしていくのである。




2011/11/16(Wed) (第1524話) 礼儀忘れない日本人 寺さん MAIL

 “日本人は世界で一番礼儀正しいといわれている。私がそう実感するようになったのは、台湾から日本に来て語学の勉強を始めてからのことだった。
 普段の生活の場で、日本人は一人ずつ並んで順番を待つ。例えば電車に乗るときは、乗客が降りるのを待ってからだ。簡単なことのようだが、そんなに簡単ではないと思う。
 三月に東日本大震災が起きた。連日、テレビで被災地の様子が流れていた。まだ寒く、食べ物もなかった。しかし、人々はコンビニの前で静かに並んで順番を待っていた。奪ったり、暴動が起きたりすることはなかった。それどころか、老人や小さな子どものいる家族がいたら、順番を譲ってあげることもあった。こんなシーンを見たら、思わず涙が出てきた。未曽有の震災が起きたというのに、なぜ日本人はこんなに冷静で礼儀正しいのだろ
うか。”(10月24日付け中日新聞)

 愛知県岡崎市の留学生・高さん(24)の投稿文です。面映ゆいような文である。日本人のマナーが悪くなってきたと言っても、ここに書かれたことはまだまだ多くの日本人の普通の行為であろう。外国人から見ると感激のようである。この気風をなくしてはならない。
 今年10月20日の「(第1515話) 日本の運動会」でも他国から見た日本の運動会の良さを紹介した。日本には良いところがいっぱいあるのだ。自信を持って住みよい社会作りをしていきたいものだ。




2011/11/14(Mon) (第1523話) 若いママに拍手 寺さん MAIL

 “ベビーカーに対してのご意見が本欄で続きましたね。デパートの一階でエレベーターを待っていると、地下駐車場から乗った数台のベビーカーと家族でいっぱい−。もちろん優先ではあるのですが、ちょっと首をかしげたくなります。
 先日、地下鉄駅のホームで見掛けた若いママさん。ベビーカーは折り畳み赤ちゃんはおんぶしていて、心の中で思わず拍手喝采。公共の場では、こういった気配りが必要ではないでしょうか。”(10月21日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦(60)の方の投稿文です。弱者優先、弱者保護はするべきだ。しかし、それを権利とばかり、横暴に振る舞ってもらっては困る。そこには気遣いと感謝が必要である。小さくなっていなさいなどと毛頭言う気はないが、あまり当たり前にされると、つい反発したくなるのが人間である。そして気遣いがあると感激する。これは何も弱者に限ったことではない、すべての人のことである。電車やバス、エレベーターなどの狭い空間ではより必要だ。




2011/11/12(Sat) (第1522話) ドラゴンズ連覇 寺さん MAIL

 “引き分けは残念であったが、テレビで中日連覇の感激を味わった。折り返し地点で10ゲームという大差をはねのけた快挙には、心から拍手を送りたい。
 落合式オレ流野球と揶揄されながらも、監督、コーチをはじめ、選手の皆さんの全員野球で勝ち取った喜びはひとしおだろう。折り返しをとっくに過ぎたわが身ではあるが、最後まで頑張る姿勢に活力を頂いた思いである。
 九州出身の私にとって中日は遠い存在だったが、ファンとなった契機は、今から半世紀以上前の1954(昭和29)年にさかのぼる。その年は、杉下茂投手が西鉄(現西武)打線を封じ込め、中日が日本一となったが、私の名古屋への就職が決まったのも同じ年だった。当時から巨人、阪神といった人気球団の陰で、名古屋に根付いたファンとともに努力を重ねる球団の姿に次第に魅せられていったことを思い出す。
 この年になって味わう中日連覇の喜びに感謝しながら、当時の仲間と一緒に日本一を願いながら、大いに語り合いたいと思う。”(10月20日付け中日新聞)

 名古屋市の福田さん(男・79)の投稿文です。中日はクライマックスシリーズも制し、今日から日本シリーズに入った。そしてまず1勝である。
 中日はボクの地元、当然中日ファンだ。そして落合ファンだ。落合式オレ流野球と皮肉を言われてきたが、プロ野球はいろいろな手を使いながら正々堂々と勝つこと、まずはこれにつきる。落合の場合、当初はこれほど期待されていなかったと思う。。それがここまで勝ってくると勝つことが当然視され、批判はその上の無い物ねだり、勝手な要望の気がする。中日に今まで勝つのが当たり前の監督はいたのであろうか・・・惜しい監督を失う気がする。落合監督についてはこの「話・話」の2004年9月26日の第67話、2004年10月8日の第78話、2006年10月25日の第672話などで触れているが、ボクの心に最も残るのは67話で紹介した“就任会見で「トレードや外国人、FAによる戦力補強はしない」「今の戦力でも一人一人の力が一割アップすれば日本一になれる」と発言”し、見事言葉通りにしたことである。1割アップさせる自信があったのだろう。
 ボクがプロ野球や中日を知ったのはまさに昭和29年、杉下投手が活躍したことを聞いてからである。小学3年であった。




2011/11/10(Thu) (第1521話) 3つの目 寺さん MAIL

 “実りある人生を送るには「虫の目、鳥の目、魚の目」の三つの目が必要といわれます。「虫の目」とは虫のように、近いところから物事を注意深く見ること。「鳥の目」とは、高いところから全体像を把握すること。そして「魚の目」とは魚が水の流れに従って泳ぐように、時流を読むことです。
 物事の一面にとらわれず、さまざまな角度から見るように努めてください。そうすれば悩み苦しんでいる人も、それがどんなにささいなことか気づくはずです。心機一転、今までとは違った気持ちで生活できるのではないでしょうか。視点を変えれば周りの景色が変わり、心を変えれば周囲が変わります。私たちは他人を変えることはできません。過去を変えることもできません。
 しかし、今の自分の考え方を変えることで、他人の言葉や行為、そして過去に起こった物事の受け止め方を変えることができます。このようにして周りの人とより良い関係を築くことが大切だと思います。”(10月15日付け中日新聞)

 岐阜県大垣市の田島さん(女・88)の投稿文です。虫、鳥、魚の目か・・・また良いことを教えたもらった。確かに物事は、見る目を変えることによって全く違ったものになる。幸が不幸にも善が悪にもなる。この逆もある。この投稿者は88歳である。88歳にしてこんなことを考えておられる。僕らなどまだどれだけ学び、反省すればいいのか、気が遠くなる。でも歳は関係ないか・・・生きている限り続けねばならないのだ。このことに終わりと言うことはない。




2011/11/08(Tue) (第1520話) 先斗町の試み 寺さん MAIL

 “京都市の繁華街・先斗町で、町民や店の経営者たちによって京都市の条例より厳しいルール「町式目」を定め、通りにはみ出した屋外広告物を排除する取り組みを始めたという。世界遺産の、日本屈指の古都でありながら、近年の京都の町の醜悪さに閉口していた私としては大賛成である。
 昨今、日本の田園風景や美しい自然を求めて旅行しても、どこの町も駅前ではチェーン店の大きく下品な色の看板ばかりが目に飛び込んできて、がっかりさせられる。世界の町を紹介するテレビ番組などを見ると、スペイン、イタリア、フランス……。ヨーロッパの国は、小さな町や漁港、農村に至るまで、どこもかしこも美しい。でかでかとした、どきつい色の看板がない。電柱もない。歩いている人の多くは「世界一美しい町だよ」とか「ここに生まれたことに誇りを持っている」と答えている。本当にうらやましい。
 今さら日本の町がヨーロッパ並みになるとは思えないが、観光国・日本をめざすのなら、せめて看板くらいは国や自治体でしっかり規制してほしい。”(10月14日付け朝日新聞)

 名古屋市の高橋さん(女・60)の投稿文です。日本の街中の看板の醜悪さについてはよく言われる話しである。ボクも最近、外国は行くことが多くなってよく思うことであり、確かに違う。役所も屋外広告物の取り締まりをしているだろうが、その効果はなかなか目に見えない。日本は戦前の規制一辺倒から、戦後は反動か、何でも自由にした。そして自由の履き違えも多い。一度許した自由を抑制するのは難しい。住民、国民がその気になれねば効果は出ない。そうした意味で、住民が自主的に始めた先斗町の試みは楽しみだ。民主社会というのは住民の意思が尊重される社会である。それだけ住民に責任があるのだ。それが成熟した自由社会だろう。
 先日愛知県犬山市へ行った。犬山市では国宝犬山城を中心に城下町にふさわしい街作りが行われていることは知っていた。行ってみて驚いた。電線地中化が終わり、街の様子も一変していた。人出も多かった。変わるものである。このように街もいい方向に変わってほしいものだ。




2011/11/06(Sun) (第1519話) 就活で審査 寺さん MAIL

 “6月末に派遣会社との契約が切れて失業、20社ほど受けた末、9月にようやく新しい仕事を見つけて働き始めました。求職活動で感じたのは、応募者に一定の敬意を払ってくれる会社とそうでない会社の差です。
 多くの企業は不採用者には何の連絡もしてきませんが、丁重な断りの手紙を添えて履歴書を返却してくれる会社もあります。証明写真は1枚数百円しますから、多数の会社を受ける者としては、これを返してもらえるだけでもありがたいのです。中には500円程度のクオカードを添えてくれた会社もありました。逆に応募しても梨のつぶてだったり、問い合わせの際に不誠実な対応をしたりする企業には、悪いイメージを抱くことになります。
 応募者は企業にとって、顧客でもあります。企業が人を募集するということは、実は企業側も社会から審査を受けているのだということを忘れないでほしいと思います。”(10月13日付け朝日新聞)

 東京都狛江市の派遣社員・加藤さん(男・44)の投稿文です。「コンカツ」に続いて「就活」の話しである。この投稿に赤面する会社も多いのではなかろうか。審査しているつもりが実は審査されている一面もある、これは事実だ。審査しているという優位の元につい忘れがちになることである。企業にとって、就職試験を受けに来る人間の数など、顧客としては問題でないかもしれない。事実、顧客してみてないから不親切な対応になっているのだろう。一事が万事である。小さな見落としが大きな見落としにつながる。加藤さんの指摘は貴重だ。多くの企業の人に読んでほしい。




2011/11/04(Fri) (第1518話) 「コンカツ女」 寺さん MAIL

 “今、「コンカツ」という言葉を聞けば結婚活動(婚活)だが、これが世間に出回る前から、私はある種の女性を心の中で「コンカツ女」と名付けていた。コンカツ女は年中出没するが、芸術の秋には特に気に障る存在になる。女としたのはコンカツ男に出会ったことがないから。
 コンカツ女というのは、美術館などでコンカツ、コンカツと靴のヒールの音をたてて歩く女性のことである。あの静寂の中にあって、どういう神経をしているのだろう。美術館の床の素材は布張りばかりではない。昨秋、目にした監視員は何とコンカツ女だった。
 音のする靴が悪いとは言っていないし、施設の床を直してほしいとも言わない。まして、スリッパに履き替えればと求めているわけではない。モラルの問題なのである。芸術を鑑賞しにきたのなら当然、場所をわきまえるべきだ。”(10月12日付け朝日新聞)

 三重県松坂市の主婦・伊藤さん(47)の投稿文です。世間に出回る前から「コンカツ」を使って見えたから元祖みたいなものである。でも意味合いは違った。「コンカツ」はボクも全く気に入らない。どうして靴製造メーカーはあんな靴を作るのだろう。美術館でなくても、静かなところでは全く迷惑である。響き渡る音に気恥ずかしさはないだろうか、ボクはいつも不思議に思う。ファッションとは「自然な身体にそぐわないもの」とボクは定義付けしている。辛い分評価が上がるのである。体に窮屈であったり動きを阻害する衣装、足を痛めつける靴などまさにそれである。ネクタイもそうである。そして反社会性である。「コンカツ」などまさに反社会性である。最近の若い女性の服装を見よ、挑発して歩いているようなものである。




2011/11/02(Wed) (第1517話) いいこと三つ 寺さん MAIL

 “この夏、いいことが三つ続いた。一つ目は、駅前の商業施設が募集していたエコ川柳で、私の作品が佳作に選ばれたこと。 二つ目は、近所の神社に来たラジオの中継を見に行った時に、100人ほどが参加したジヤンケン大会で1位になって、ボールペンをもらったこと。三つ目は、普段は買わない宝くじを2千円分買ったら、2千円が当たったこと。
 どれも微妙だ。川柳は優秀賞ではないし、もらったのはボールペンだし、、宝くじは1等だったら3千万円だ。でも、うれしかった。ものすごくうれしくて、「私はついてる!」と舞い上がった。
 好きな絵本の一節に、足りないことを数え過ぎて、満ちている今を忘れてしまわないように、という言葉がある。心に留め置いてはいるけど、いつも守れているわけではない。むしろ、上を見ては「足りない、足りない」と不平不満が頭をもたげてくる時の方が、圧倒的に多い。だけど本当は今、この時に感謝して過ごす方が、毎日は幸せで楽しいものになるんだ。”(10月6日付け朝日新聞)

 川崎市の主婦・渡辺さん(41)の投稿文です。いいこと三つ・・・確かに微妙な三つである。でも本人は嬉しくて仕方がない。これが喜べる人は喜ぶべきことだ。こんな三つ、とても喜べることではない、そんな人もあろう。もっと大きなことでも喜べない人もある。上を見ればきりがない、これは事実だ。上を見なければいけないこともあるが、見ない方がいいことも多い。足りないことを数え上げない、これは重要なことである。数え上げたとて、足りてくるわけではない、不満が募るだけである。特に夫婦の話では言われることである。今を感謝して過ごせることが何よりも大切なことである。



川柳&ウォーク